ラインの娘   作:ほいれんで・くー

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29. ギガントマキアーの足跡

 あの戦争から二十七年が経った。かつての魔術帝国は東西に分断されたままで、混迷を極める世界情勢の中、祖国は未だ統合の兆しすら見えない。

 

 それでも、市民生活は格段に豊かになった。私が子どもの頃、戦争終結から十年近くが経つというのに、市民たちは日々のパンも満足に得ることができず、所々に継ぎが当てられた古着を着ていて、魔竜による爆撃の痕跡が生々しく残る街路を一様に浮かない顔をして歩き回っていた。それを思うと、その後の十七年間で果たした目覚ましい経済復興は世界史上類を見ないものであるのは間違いない。

 

 政府は数年前より、復興のシンボルとしてのオリュンピア競技大会開催を望んでいた。もちろんその裏には、イデオロギーの異なる東側世界に対して西側の経済力の高さを知らしめるという意味合いが込められていたが、とにかく、営々たる招致運動は成功した。来年の七月にはミンガ市のスタジアムで開会式が執り行われる予定で、現在、国中で大会に向けた大規模なインフラ整備が推し進められている。

 

 私は雑誌記者として、国境にほど近いイーザーロンの町へ取材に行くことになった。編集長から命じられたのは、「復興の名のもとに消し去られていく戦争の足跡を取材し、記事として纏めること」だった。誰もが忘れたがっているあの戦争の記憶をあえて掘り起こすのは、雑誌の購買層にとって好ましくないことではないかと私は反論した。だが、そんな私に対して編集長は、まるで教師のような口ぶりで説き聞かせた。

 

「良いかね、ブーフハイム君。ジャーナリストというものは大衆に奉仕する存在ではない。ましてや、雑誌を買ってくれと読者に頭を下げて懇願する存在でもない。そうではなくて、我々は文筆の力で、読者大衆の目を覚ませてやらねばならんのだ。なるほど大衆はあの戦争を忘れたがっている。しかし、忘れようにも忘れられるはずがないのだ。我々の国家と民族が存続する限り、あの戦争の記憶は決して消え去ることはない。ならば、せめてそれが色濃く残っている間に、我々はジャーナリストとして正確に事実を捉え、記事を纏めておかねばならんのだ。君はそう思わないのか……?」

 

 編集長のエリート主義的かつ独善的な態度に思うところもあったが、若い駆け出しの記者たる私がそれ以上反論することなどできるわけもない。命じられるままに私は汽車に乗り、イーザーロンへ赴いた。「巨人の町」として知られている人口三万人に満たないその町は、外国人選手団の事前キャンプの一つとして指定されている。戦後になって国内でも随一の目覚ましい復興を遂げた町として有名だった。

 

 客車の座席に身を沈めながら、私は編集長が言ったことについて考えていた。確かに、どれほど忘れたいと思っていても、過去は染み込んだ油汚れのように私たちの人生についてまわる。あの戦争は疑いようもなく悲惨な侵略戦争だったし、帝国首脳部の狂気はエウロパ大陸二億の人々の人生を破滅へと導いた。過去は過去であるとし、これからは明るい未来を建設するのだと言ったところで、あの戦争の被害者たちが忘れることは決してないだろう。

 

 ならば、あえてジャーナリストがそれを記事に起こして記録する必要はどこにあるのだろうか? 人々が決して忘れないというのならば、我々ジャーナリストがわざわざそれに助力する理由はない。編集長の口ぶりには、どこか人々の記憶の力を軽視するような気配があったように私には感じられた。

 

 いや、そのように人々の力を消極的に評価するからこそ、我々ジャーナリストの存在価値が生まれるのかもしれない。私は考え直した。人は矛盾を抱えた生き物だ。過去を忘れたがっているようで過去にしがみつくのが人間というものであるし、仮に忘れることができたとしても、ふとした瞬間に思い出したりもする。矛盾によって生まれるさらなる矛盾が生命と精神を混沌へと導いていくのならば、その混沌から脱出するための避難経路を我々ジャーナリストがあらかじめ用意しておくべきなのかもしれない……いや、そもそも混沌から脱出する必要があるのか?

 

 考えは煙のように纏まらなかった。汽車はいつしかイーザーロンの駅のプラットフォームに到着していた。事前に文面で申し込んでいた町長への取材は、問題なく許可されていた。私は一晩宿で身を休め、翌朝九時には宿を出て、町長公邸へ向けて足を運んだ。ちょうどその日は土曜日だった。

 

 町は、喧騒に満ちていた。ひっきりなしに大型のダンプカーや重機を積んだトレーラーが道路を行き交っていた。住民たちは絶え間ない地響きと舞い上がる土煙を意に介した様子もなく、明るい顔をして散歩や買い物を楽しんでいた。事前キャンプ招致とそれに伴う町の改造を、住民たちは心の底から受け入れているようだった。

 

 道を行く途中、私はとある公園を目にした。遊歩道は赤レンガで綺麗に舗装されており、木々は丁寧に剪定されていて、花壇には花々が控えめに咲いていた。こじんまりとしたこの公園を、私はすぐに気に入ってしまった。時間ならまだあった。私は、少しだけ公園の中を歩くことにした。

 

 特に私の気を惹いたのは、公園中央にある池だった。

 

 それはあまり大きいとも言えない、外周およそ三十メートルほどの、細長くいびつな形をした小さな池だった。池は静かに水を(たた)えており、中ほどには白く可憐なヒツジグサが浮かんでいた。

 

 二羽の大きな白鳥が寄り添うように泳いでいた。池の縁に立っている看板に「注意! 白鳥が噛むので近寄らないこと!」と書いてあるのを見ると、なかなか気性が荒い白鳥たちのようだった。

 

 仕事がなければ、穏やかなひと時を池のほとりで過ごせそうだったが、そろそろ町長公邸へと向かわねばならなかった。それに、その公園はとても「穏やかな」雰囲気ではなかった。入口付近には重機が何台も並んでおり、土砂を積んだダンプカーも停車していた。木も既に何本か切り倒されており、オレンジ色の切り口の周りに白い木屑を撒き散らしていた。

 

 この公園も、整備のために潰されてしまうのだろうか? 公園を出ながら私は考えていた。アングリア人ほどではないが、我が国の国民も公園や庭園を愛するものである。いくらオリュンピア競技大会に向けた町の改造のためとはいえ、あの美しい公園を潰すのは割に合わないことだと私は思った。だが、そのようなことは住民も承知の上だろう。今の時代は復興と繁栄がすべてに優先するのだ。公園が復興と繁栄の妨げになるのならば、潰されて然るべきなのだろう……

 

 それにしても、あの池も埋められてしまうのだろうか? それだけは、どこかもったいないことであるように私には思われた。あのヒツジグサや白鳥たちは、どうなるのだろうか?

 

 そのようにとりとめのない考えに耽っている間に、私は町長公邸に到着し、いつの間にか使用人に案内を乞うていた。使用人は私を応接室に案内した。

 

 応接室の中には、私が会うことになっている人物がソファーに身を沈めて待っていた。

 

「ようこそ、イーザーロンへ。私が町長のホフマンです。アルバート・ホフマン」

 

 グレーのダブルのスーツに身を包んだ町長は、ソファーから立ち上げると、にこやかな顔で私に握手を求めた。低く、知的な声だった。年の頃は六十歳手前だろうか。痩せているが貧弱な体格ではなく、肌は適度に日焼けしていた。髪はやや薄くなっているが黒々としており、老いを感じさせなかった。だが、どことなく青ざめた顔色をしているのが、私の気にかかった。

 

 知的な風貌と和やかな雰囲気に助けられて、私はさして緊張もせずに町長へ話を切り出すことができた。

 

 この町に残る戦争の足跡とは何か? それは今、どのような状態になっているのか……?

 

 町長はあらかじめ話すべき内容を整理していたのだろう。ファイリングされた資料を机の前に広げて私に示しつつ、タバコを吸いながら順序立てて話を始めた。人格のなすものであろうか、戦後生まれのどこぞの一雑誌記者に過ぎない私に対しても、その言葉遣いは至極丁寧だった。

 

 

☆☆☆

 

 

「……この町が『巨人の町』として知られていることは既に御存じかと思います。それというのは十二世紀頃にこの町で起きた、ある事件が元になっておりまして……」

 

「ちょうどその頃、町はフランク人の侵入に悩まされておりました。この地方は鉄鉱石の豊かな産地でして、フランク人はそれを求めていたのです。相手は大国ですが、こちらはバラバラの国が寄り集まった帝国の中の、ちっぽけな一領邦国に過ぎません。何回かの戦いを経て次第に領地を削り取られ、遂には町の城壁の外を敵の軍勢が取り囲むまでになりました」

 

「援軍は来ず、守備隊の数も敵の百分の一以下でした。絶体絶命の状況下にあった町でしたが、これを救ったのがある魔術師でした」

 

「魔術師は包囲下にある町にどこからともなく現れて、町の人間を広場に集めて言いました。『健康優良なる男子を一人、我に与えよ。さすれば町を救わん』と。そして、報酬として金貨三百枚を要求しました。町の人間は議論を重ね、魔術師の要求を受け入れることにしました。それ以外にもう採るべき方法がなかったからです」

 

「選ばれた男子は、町で一番の力持ちだった二十歳の青年、モーリッツでした。彼は五十キロもある大石を軽々と持ち上げて、十キロの道を息を切らすことなく走ることができたとされています。広場に連れて来られた彼は、魔術師の魔法によるものでしょう、突然ぱっと姿を消しました。住民たちは『恐ろしい魔術師と契約を交わしてしまった』と後悔しましたが、とにかく二人が帰ってくるのを待つことにしました。そして一週間後に、彼は住民の前にまた姿を現しました」

 

「モーリッツの姿は、変わり果てていました。もともと身長が二メートル近くあった彼でしたが、今や身の丈二十メートルを超え、体重も数十トン以上になっていました。彼が歩くたびに地響きが起こり、地面には無数のひび割れが生じるほどです。まさに巨人(ギガント)でした。巨人となったモーリッツは銀色に輝く分厚い鎧兜に身を固めており、手には樹齢数百年の大木で作った巨大な棍棒を持っていました。彼は恐れおののきながらも反撃を加えてくるフランク人の軍勢に襲い掛かり、瞬く間に蹴散らすと、逃げ散る敵を追撃してさらに戦果を挙げました」

 

「勝利を喜ぶ町の人々の前に、魔術師がまたいつの間にか姿を現して、そして言いました。『私は約束を果たした。金貨三百枚を直ちに寄越せ』と。ここで町の住民たちは、とんでもない過ちを犯してしまいました。金貨を二百枚しか渡さず、残りの百枚は金メッキのメダルでごまかそうとしたのです」

 

「偽りに気づいた魔術師は怒り、杖を振るいました。魔法で巨人のモーリッツを操ったのです。直前には敵を撃破した巨人が今度は町を襲ったのですから、住民たちはどうしようもありません。教会は崩れ落ち、倉庫は潰され、家々もすべて破壊されました」

 

「いよいよ巨人が、最後に残った家を破壊しようとしたその時でした。家から一人の老婆が出てきて、『モーリッツ』と名を呼びました。その老婆は、青年の育ての親だったのです。声を聞いた巨人は我に返ると町を出て、外に広がる深い森の中に姿を消しました。魔術師も復讐を果たしたからか、二度と町に現れなかったとのことです。かくして事件は終結しました。その後、町は『巨人の町』と呼ばれるようになったのですが、一説によると、巨人はその森の中でひっそりと暮らしているところを聖騎士ミヒャエルに討ち取られたのだとか……まあこれは話の本筋とは関係がありませんね」

 

「さて、私が長々と『巨人の町』という別称の由来を説明したわけですが、それは、あの戦争がこの町に残した足跡と巨人とが、深く関係しているからなのです」

 

「あの戦争の最後の年にイーザーロンの町を守っていたのは、十二人の巨人からなる部隊でした。そしてその十二人の巨人の指揮官が、他でもないこの私だったのです」

 

「あなたは戦争が終わってから生まれましたね? ですから、あなたはあまり帝国の魔術兵器と魔法生物については御存じないと思います。機械と工業の力を誇るアングリア人やフランク人に対して、ゲルマニア魔術帝国はその名の通り魔術によって国富を得て、軍隊を養っておりました。今では魔術師など国中のどこを探してもなかなか見つけることができないと思いますが、私が生まれた六十五年前には、どんなに小さな村でも必ず一人は魔術師がいたものです」

 

「帝国が発明した魔法工学技術は実に様々でした。エーテルの人工合成とその濃縮。魔力炉の開発とその小型化。魔石による発電、大規模共同魔法による製鉄……軍事においてはエーテルエンジン駆動の魔力式戦車の開発と、魔法生物兵器の大量人工生産。アングリア人などは帝国のことを『神から見捨てられた邪術国家』として非難しましたが、あの当時のエウロパ大陸において名実ともに最強の勢力だったのは、間違いなくゲルマニア魔術帝国だったのです」

 

「その帝国が二度目の世界大戦の引き金を引いた経緯について、今更説明するまでもないでしょう。あなた方若い世代は、あの戦争が侵略行為であり、帝国と軍隊が犯した数々の犯罪行為について学校でよく教えられているはずです。私たちの世代からすると、言いたいことは色々とあるのですが……いえ、そのことについて深入りするつもりはありません。私はこれからただ、実際にあの時に起こったことについて、主観を交えずに話したいと思います」

 

「私は士官学校を修了した後、魔法生物兵器を運用する部隊に配属され、それ以来戦争が終結するまでのおよそ二十年間、第一線で働き、かつ戦いました。私は戦争勃発時のポルスカ国侵攻に参加しましたし、その翌年のフランク国での作戦にも一大隊の長として従軍しました。私の部隊が運用していたのは装甲火竜(ザラマンダー)で、敵の重防御施設や火点を攻撃することに特化しておりました」

 

「ルーシの共産国家との戦争の四年目、私は最前線で指揮を執っていたところを敵に狙撃され、重傷を負いました。幸い一命を取り留め本国に送還されましたが、その間に帝国の戦線は東西南北、陸海空のすべての局面において崩壊し、敵の大軍は猛烈な勢いで帝国本土へ迫りつつありました」

 

「負傷から回復した私は原隊に復帰することなく、新設されたある特殊な部隊の大隊長として着任することになりました。それが巨人(ギガント)部隊(トルッペ)だったのです」

 

「それまでの帝国が用いていた魔法生物兵器の難点は、指揮統制の困難さにありました。兵器とはいっても所詮は動物ですので、人間の言うことを聞かないこともあれば、恐れに駆られて逃げ出すこともあります。せっかく強力な戦闘力を秘めていても、作戦と命令に従って動かなければ戦場ではものの役には立ちません。その問題を解決したのが、巨人(ギガント)だったのです」

 

「巨人は、志願した人間を元にして生み出された兵器でした。耐久力では通常の魔法生物兵器に劣りますが、機動力において優れており、なにより人間の言うことをちゃんと聞くのが一番の利点でした。ええ、当時の帝国においても人間を改造して魔法生物兵器化することは、紛れもない禁忌でしたよ。ですが、首脳部はそれを断行したのです……」

 

「開発当初の巨人は身長三メートル前後と控えめな大きさでしたが、戦争末期には全高五十メートルの超巨大な型が開発されました。私はその超巨大型巨人(ギガント)の指揮を執るように命じられたのです。『Ⅵ号K型超大型巨人』というのがその制式名でした」

 

「陸軍首脳部は大型巨人を、『劣勢を一挙に挽回する秘密兵器』として位置づけていたようです。ですが、既に戦線は少数の巨人でどうにかなるものではなくなっていました。私が十二人の巨人とその補助人員を率いてイーザーロンに着任した直後、この地方は連合軍による完全な包囲下に置かれました。B軍集団の四十万もの将兵が逃げ場もなく、絶望的な戦いを強いられたのです」

 

「巨人たちはもともと、みな若い男子たちでした。年齢は全員十代で、一番若いのは十四歳でした。爆撃や戦火で両親を失い、生きる糧を得られなくなった子どもたちが、志願して巨人になったのです。いえ、志願というのはおかしいかもしれません。軍隊における『志願』というものは、得てして『志願せざるを得ない状況において』行われるものですから……」

 

「巨人たちとは通信機で話をしました。彼らの声はおどろおどろしいものでしたが、口調は子どもそのものでした。巨人というよりも、巨人の肉体が与えられた子どもと言ったほうが良いでしょうか。常にお腹を減らしていて、眠たげで、それ以上に苦痛に身を(よじ)らせていました。無理な改造が彼らの全身に耐えがたいほどの痛みをもたらしていたのです。内臓膜も骨格も神経細胞も、彼らの巨大な体を支えるには不十分なものでした」

 

「私は部隊長としてではなく、彼らの保護者として振舞うことを心がけました。ですから、彼らとはすぐに仲良くなることができました。彼らは時折、泣きごとを言いました。家に帰って、母さんの料理が食べたいと。しかし体がこんなことになってしまった以上、故郷に帰ることはできませんし、それに両親はもういない。だから、せめて敵をたくさんやっつけて、手柄を立てて褒めてもらうんだと……彼らは健気にもそんなことを言うんです」

 

「中でも一人、私が特に気をかけている巨人がいました。その名前は奇しくも、あの十二世紀の伝説の巨人と同じく、モーリッツといいました」

 

「モーリッツは当時、十六歳になったばかりでした。彼は空襲で両親を失いました。結婚して他の場所で暮らしている姉がおり、そこに身を寄せれば軍隊に入る必要もなかったのですが、『両親の無念を晴らすために』志願したとのことでした。なんと、その姉はこのイーザーロンに住んでいると彼は言います。『全力をかけて自分はこの町を守ります』と彼はよく言いました。私は、そのように気負いこんでいる者ほど戦場では真っ先に死ぬものですから、彼に『(はや)るな、訓練されたとおりに動けばそれで良いんだ』と常に言い聞かせていました」

 

「私はイーザーロンに到着して以来、補給物資と輸送手段を確保すべく狂奔しました。特に、巨人が動くために必要不可欠な混合濃縮エーテル液を、なんとしてでも手に入れなければなりませんでした。巨人一人につき、一日に最低二トンものエーテル液が必要でしたが、なかなかそれを得ることができません。既に帝国の輸送網と工場は完全に破壊されていて、ありとあらゆる物資が不足していたのです」

 

「エーテル液がないと、巨人たちの動きは極端に鈍くなります。完全な状態ならばスポーツ選手のような鋭く軽やかな身のこなしをする彼らも、エーテル液不足の状態ではまるで腰の曲がった老人のような動きしかできませんでした」

 

「ほどなくして、私は三人の巨人を失いました。いずれも装甲板を外して森の中で身を休めていたところを、敵の戦闘爆撃機の群れに襲われたのです。どうやらスパイが居場所を通報したようでした。雨のように降り注いだ爆弾とロケット弾によって、五十メートルもの巨体は無残に破壊されました」

 

「無線機越しに聞こえた彼らの最期の喘鳴(ぜいめい)が、今も私の耳に残っています。最後まで彼らは、痛いとも怖いとも言いませんでした……」

 

「その後、私は九人の巨人を率いて、敵の迎撃に向かいました。巨人たちはよく任務を果たし、迫りくる敵の戦車を三十両も破壊しました。上首尾とも言えましたが、しかしここでエーテル液が底を尽いてしまったのです。後退する最中、敵の重砲による射撃と航空攻撃を受けて、逃げ遅れた五人の巨人が足に傷を負い、行動不能になりました」

 

「彼らをどうしても動かすことができないことを知った私は、決断を下しました。装置を起動して、彼らの心臓近くに埋め込まれていた自爆用爆薬を爆発させたのです。それは『敵による鹵獲を防ぐための処置』として軍律によって命じられていた行為でした……ええ、そうです。私が行ったことは間違いなく殺人です。私はこの手で、五人の少年の命を奪ったのです……」

 

「その後、戦果に気を大きくした司令部は、もう一度出撃するよう私に命じました……『拒否しなかったのか』ですか? ええ、拒否しませんでした。大義を失った勝ち目のない戦争であっても、司令部が機能し命令を送ってくる限りは、それに従うのが軍人というものです。私たちは自己の信念に基づいて戦う戦士ではなく、戦争という巨大な機械の歯車だったのですから。歯車として振舞うことがどれほど罪深いものかは承知していましたが、だからといって他にどうすることもできませんでした……いえ、これはただの自己憐憫というものでしょう」

 

「再度の出撃は、何の戦果ももたらしませんでした。敵はまたもやスパイによって私たちの出撃を察知していたのです。ええ、その頃の帝国本土ではもう、厭戦(えんせん)感情が蔓延していました。誰も徹底抗戦などとは考えておらず、むしろ敵に内通し、我が軍の位置を通報する者まで続出するようになっていたのです」

 

「私たちは待ち構えていた敵の火線に捉えられました。三人の巨人が集中砲火を浴びてその場に崩れ落ち、残った一人も甚大な損傷を受けて、その場から後退しました。戦果はありませんでした。私たちは逃げ帰るだけで精一杯だったのです」

 

「最後に残った一人の巨人が、モーリッツでした。私たちは敵軍に押し込まれるようにイーザーロンの町へ入りました。モーリッツが歩くたびに地響きが起こり、大きくて深い足跡が街路や地面に残されました。傷口から流れ落ちる血液が、そこかしこを赤紫色に染めます。広場に腰を下したモーリッツは無線機越しに私に言いました。『今度こそ自分は、町と姉を守ります。エーテル液をください』と。私は部下に銃を持たせ、他の部隊の補給所へと向かわせました。銃で脅してでも良いから、分捕って来い、と。それは功を奏しました。なんとか五トン分のエーテル液を集めて、モーリッツに飲ませたところで、敵がやってきました」

 

「モーリッツは立ち上がると、武器を手にして戦いはじめました。彼が抱え持った重対戦車砲は次々と敵戦車を撃破しました。十両ほどの戦車を破壊されたところで、敵は一度部隊を下げると、今度は猛烈な砲撃を町中へ向けて放ち始めました。モーリッツの体の上で無数の爆発が起きました。周囲の建物も崩れ落ち、炎上しています。モーリッツが受けた砲弾は、軽く百を超えていたでしょう。それでもなお、彼は雄々しく立ち続けていました」

 

「砲撃の後、またもや敵戦車部隊が来襲しました。モーリッツはまた五両の敵を撃破しましたが、そこで弾薬が払底しました。こちらが弾切れになったのを敵は悟ったのでしょう、敵はこちらを侮るかのように距離を詰めると、射的遊びでもするようにモーリッツに向けて戦車砲を撃ち始めました。彼の体から肉片と血液がバラバラと飛び散り、地面に雨だれのような音を立てて落下しました」

 

「モーリッツは、そこで最後の力を振り絞りました。一旦しゃがんで力を蓄えると、一挙に力を解放して跳躍をし、敵戦車部隊の只中に下りたのです。離れた場所に立っている私でも恐怖を感じるほどの、猛烈な地震が起きました。敵戦車は、あるいは転覆し、あるいは走行装置が破壊されて、そのほとんどが戦闘能力を失いました。敵はまた撤退し、再度挑戦してくることはありませんでした」

 

「私はモーリッツの元へ走りました。彼は周囲に敵戦車の残骸が散らばる中、力なく座り込んでいました。手元の装置が彼の心拍数と血圧を示していました。かなり危険な状態でした。『よくやったな、お前は町を立派に守ったぞ、大戦果だ』と私が言うと、モーリッツは静かに頷きました」

 

「そこへ、何人かの男たちが集団を組んで私たちのところへ歩いて来ました。先頭の男は白衣を着た医師で、その周りは町長などの町の主だった者たちでした。厳しい表情を浮かべて、彼らは言いました。『ただちにその巨人を連れて、町から出ていって欲しい。これ以上町で戦闘を継続されたら、住民への被害が拡大し、町そのものも壊滅する。病院はすでに負傷者で満杯となっている……』」

 

「町から出る。それはモーリッツにとって、死を意味しました。最後の補給拠点であるイーザーロンから離れてしまえば、エーテル液を手に入れることはできない。モーリッツは敵に反撃することも、攻撃から身を守ることもできなくなるのです。それに、イーザーロンを守備することは司令部からの命令でした。それを放棄するわけにもいきません」

 

「私は反論しました。『この巨人はあなた方の町を守るために命懸けで戦った。せめて治療が終わるまで、この町にいることを許可して欲しい』と。しかし、医師は言下に否定しました。『そのバケモノが町にいれば、敵は今度こそ容赦せず、町ごと爆撃してくるだろう。もう時間がない。はやくバケモノを連れ出してくれ』と……町を守るために戦ったモーリッツは、町の住民からバケモノとしか見られていなかったのです。私は愕然としました」

 

「しばらく睨み合いが続きました。すると、無線機から声がしました。それはモーリッツの声でした」

 

「彼は、荒い息を吐きながら言いました。『自分は、町から出ます。森の中へ連れて行ってください。そこなら身を隠せますから……』と。そのようなことが口実に過ぎないことは分かっていました。森に行けば他の巨人と同じく、スパイによって居場所が即座に露見してしまうでしょう」

 

「ですが、私たちに他に選択肢はありませんでした。私たちは森へ向かいました。その時、モーリッツが高く跳躍して着地した時に出来たのであろう、クレーターのように巨大な足跡が、奇妙なまでに私の網膜に焼き付きました」

 

「暗い森の中で、モーリッツは私に言いました。『部隊長殿、今までお世話になりました。ぼくはもう満足です。早く自爆装置を作動してください』 私は言葉に詰まりました。他の巨人たちと彼の死の間に、価値的な違いはありません。ですが、私は彼がこれから迎えることになる死が、あまりにも惨めなものに思えて仕方なかったのです」

 

「せめて、なにか彼にはなむけとなるものはないだろうかと私は考え、そして思いつきました。私はなるべく明るい声音で言いました。『そうだ、モーリッツ。お前の姉をここに連れてきてやろうか。すぐに町から呼んでこられるぞ。住所を教えてくれないか?』と」

 

「すると、モーリッツは静かに首を左右に振りました。『部隊長、それには及びません。ぼくは巨人になってしまいました。姉はぼくを見ても、誰であるか分からないと思います。それに……』 そこまで言ってから、モーリッツは深く溜息を吐きました。濃厚な血の匂いを纏った呼気が、強風のように私を打ちました」

 

「『小さい頃から、姉は巨人の伝説が大嫌いだったんです』 彼はぽつりと呟くように言いました」

 

「彼は私が自爆装置の準備をするのを、大きな目でずっと見ていました。そして、準備が完了したのを見届けるや、無言で頷き、そして瞼を閉じました。私は装置を作動させました……」

 

「その後、私は連合軍に降伏しました。二年間をアングリアの捕虜収容所で過ごして、それから東西に分裂した祖国に私は帰りました。軍隊時代の人脈によってバーベンベルク市の魔法生物関連企業に就職できましたが、いつも気になっていたのは、あのイーザーロンでの戦いと、モーリッツの最期でした」

 

「戦後、祖国はあの戦争を強いて忘れ去ろうとしているようでした。あの大きすぎる子どもたちの戦いと最期も、いずれ忘れ去られてしまうかもしれない。そう思った私はいてもたってもいられなくなり、途中で仕事をやめると、イーザーロンに移住することにしました」

 

「イーザーロンに着いて驚いたのは、戦争の爪痕が未だありありと残されていたことでした。住民も減り、建物は半分以上が崩れたままで、戦後五年以上は経っているはずなのに、まったく復興していませんでした」

 

「聞けば、あの戦いで生活することができなくなった住民たちはこぞって他の大都市へと移って行き、今この町に残っているのは老人ばかりということでした」

 

「私は責任を感じました。彼らがこの町に住めなくなったのは、敵ではなく、私たちのせいではないかと……」

 

「その日から私は精力的に働き始めました。借金をして建設会社を興し、人手を集めて、建物の解体と建設に尽力しました。幸い、地方政府から助成金が出たこともあって、次第に会社の規模は大きくなり、それに伴って町にも人が戻ってきました。数年後、私は町長に選ばれました」

 

「私が特に力を入れたのは、公園の整備でした」

 

「あなたはここに来るまでの道中で、お見かけになりませんでしたか? あの公園のあの池は、まさしくモーリッツが高く跳躍した時に残した『足あと』だったのです。他の足跡は埋めましたが、私はあの『足あと』だけは戦争を忘れないためのモニュメントとして保存することにしました……」

 

「あの公園は、モーリッツたち十二人の巨人の墓場です。足あとの池の花と白鳥は、巨人たちの魂を慰めるでしょう。そのように私は願っていたのですが……」

 

「実は、私は心臓を患っておりましてもう長くありません。今期で町長職から退くことになります」

 

「私は事前キャンプ招致には反対でした。推進派は公園を潰して、そこに外国人選手も利用できる巨大なショッピングモールを建てようと主張しました。毎日議員たちと議論を交わし、もう少しで説得できるところまでいったのですが、ここで私の心臓がおかしくなりました。おそらく、信じていた私の息子までもが推進派に回ったのも関係したのでしょう。町議会での決議において、反対票を投じたのは一人の女性議員だけでした」

 

「そう、その女性議員こそ、モーリッツの姉です……」

 

「今では、これで良いのだと諦めています。足跡というものは、どれほど巨大であってもいずれ消えるものなのです。そして、町の住民があの戦争そのものの足跡を忘れようとしているのならば、町長としてそれを受け入れないわけにはいきません」

 

「そして、私が消えることで、戦争の痕跡の一切が町から消えることでしょう。いわば、私自身もあの戦争の『足あと』だったのです……あなたにお話ができて良かったと思います。記事を書き上げたら、是非私に送ってください。楽しみに待っています……」

 

 

☆☆☆

 

 

 町長公邸を出た時には、既に日は傾いていた。私は疲れ果てた体に鞭を打って、またあの公園へと向かった。

 

 公園に人気はなかった。池は、残光の中でぼんやりとしたシルエットを浮かべていた。二羽の白鳥の姿だけが、薄闇の中でやけに鮮明だった。

 

 確かに、池の形は足あとそっくりだった。それを見て私は、かつてこの地上にそれほどまでに巨大な体を持った少年たちが存在したことを、ようやく実感することができた。

 

 カメラで何枚か池の写真を撮ってから、私は白鳥たちに「元気でな」と声をかけて、その場を立ち去った。

 

 私は宿へ向けて歩み始めた。

 

 何を記事に書くべきかは、その時にはもう頭の中に、はっきりした形で浮かび上がっていた。




※以下、作品メモとなりますので、興味のない方はここで読むのを終えられるか、もしくはお手数ですが後書きを非表示に設定してください。

らいん・とほたー「ギガントマキアーの足跡」作品メモ

 2021年1月6日公開。

 通算29本目となるオリジナル短編。エブリスタ主催の妄想コンテスト「足あと」に応募するために執筆した作品です。

 作品の舞台は西部ドイツ、イーザーロンです。イゼルローンと言ったほうが通じる人は多いかもしれません。巨人部隊のモデルとしたのは、かのドイツ軍戦車エース、オットー・カリウスが所属した第512重戦車駆逐大隊です。

「足あと」というお題を聞いて、即座に「巨人の足跡」とは連想したのですが、じゃあ内容をどうしようかと考えました。結果、2021年の書き初めということで、あまり力を入れずサーっと書けるように書いてしまおうということになりました。形式的には「キヨのメタモルフォシス」と同じでしたので、あまり悩むこともありませんでした。

 次回もどうぞお楽しみに!

※加筆修正しました。(2023/07/13/木)

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