ラインの娘   作:ほいれんで・くー

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31. フォルモサ島への飛行

「あなたのような若い世代に属する方に、あの戦争について語るのはいささかの躊躇(ためら)いを覚えます。果たして私の語るところをすべて理解してもらえるのか不安ですし、そもそも、正真正銘自分が経験したことを語っておきながら、その語る内容が果たして真実であるかどうか、自分自身でも判別がつかないからです」

 

「語る内に語りそのものに引きずられて、経験は物語と化してしまうものです。そして、物語というものが本質的に嘘を含むものである以上、真実を伝えようとして語ることが嘘を生み出してしまうことになる。真実を後世に残したい。しかしそれを為そうとすればするほどに真実を損なってしまう。語ることで自分の過去を傷つけることになるのです。あなたにもこれまであったかもしれません、語ると約束してくれた元兵士たちが、いざ語る段になって口を閉ざしてしまったことが。それは彼らが無意識的に、語るという行為が持つ虚偽性と破壊性を理解しているからなのです」

 

「ですが、私は語ることにしましょう。私にはそうする以外他に方法がないからです」

 

「なるほど、嘘を吐くまいとして語らないでいれば、真実が傷つくことはない。しかし、その真実はどうなるでしょう? その人の死と共に消滅するのです。この世から、永遠に、死と共に真実は消滅します。それならば、嘘を纏っている状態であっても真実は残されるべきです。あなたのように優秀な(かた)ならば、きっと私の語りの内に潜む『嘘』を見抜いてくれるでしょう。あなたは遠慮したり、恐れたりしてはいけません。『実際に経験した者が言うのだから、それはすべて真実であるはずだ』などと考えてはいけません。私は真実しか語らないつもりですが、そこには必ず嘘が含まれているでしょう。どうかそれを(あば)いてください。あなたにはそれが可能なはずです」

 

「このように私が言うのには、私が経験したある出来事が深く関係しています。私はその出来事によって、誰にも侵されることがないはずの自分の経験と記憶が、実のところまったく不確かで当てにならないものであることを思い知ったのです」

 

 

☆☆☆

 

 

「私は敦賀(つるが)県の城下町で、五人兄弟の次男として生まれました。兄が一人に、姉が三人です。つまり末っ子です。母は私を産んだ二年後に、新型流行性感冒(インフルエンザ)で亡くなりました。家系は大坂幕府以来の武家で、先祖が岡崎の地で三河武士と戦ったことを誇りとしていましたが、維新後の士族らしく、経済状況はあまり豊かとは言えませんでした。祖父、父共に軍人で、子どもの躾の方針は『家名を汚すな』の一言に集約されるような、そういう厳しい家風でした。父はしばしば『国のために尽くすことが、畢竟(ひっきょう)家名を高めることになる』とも言っておりました。今からすると時代錯誤も良いところのような考えですし、当時としてもやや古びている観念だったのは(いな)みがたいところです」

 

「八つ年上の兄は、父の言葉に従って軍人になりました。江田島(えたじま)の兵学校に入り、海軍の士官となったのです。祖父、父共に陸軍の軍人で、父は兄にも陸軍士官学校を受験するように勧めていたのですが、兄は海への憧れが強かったのでしょう。小さい頃から嶺南(れいなん)の海岸で泳いで遊んでいたことも影響したのかもしれません。父は当初こそ不満そうな様子でしたが、やがて兄が兵学校で優秀な成績を挙げ、卒業時には恩賜の軍刀と時計を頂くまでになると、『俺の自慢の息子だ』と言って嬉しげな様子を隠しませんでした」

 

「私もそんな兄が大好きでした。歳は離れておりましたが、兄はどこまでも優しく、生き物や草花を大切にする性格をしておりました。私が八歳の頃には、兄は既に兵学校に入校していましたが、たまに帰ってくると私を誘って一緒に海に出て泳いだり、ボートを漕いだりして遊んでくれました。兄はよく私に『これからは海の時代だぞ、礼次郎(れいじろう)。我が国は海に囲まれているからな。海を守れば国を守ることができる。飛行機と潜水艦という、最新技術を用いた近代兵器も海軍でなければ扱えない。お前も軍隊に入るなら海軍にしろ』と言ったものでした」

 

「その一方で、兄は私にこうも言ったものです。『お前は俺以上に頭が良い。お前にはもっと勉強をして欲しい。お前は大学へ行って学問を積め。父さんには俺から説得するし、学費がなければ俺の給料から払ってやる』と。確かに私は勉強することが好きでした。他の子どもたちが野山で虫やウサギを追っている間、私は家で本を読んでいるのが常だったのです。特に、欧州の文学と詩が私は好きでした。兄はそんな私の繊細で内向的な性格をよく把握していたのでしょう」

 

「私は末っ子ということもあり、父からは特に可愛がられていました。それに、息子を二人とも軍人にするのには流石に心理的な抵抗があったのでしょう。いざ戦争となって、もし二人とも戦死してしまえば、家が途絶えてしまいますから。ですから、私の大学進学に関して父はまったく反対しませんでした。兄からの口添えがあったのは言うまでもありません。私は地元の中学から高等学校へと進み、十八歳の時に大坂帝国大学の文学部に進学しました」

 

「その年の十二月に、私と私の家に激震が走ったのです」

 

「それは、兄が戦死したとの報でした。あなたもよく御存じでしょう、十二月に我が国は大洋の向こうの連合国に宣戦布告し、同時に布哇(ハワイ)の軍港に奇襲攻撃を仕掛けました。海軍中尉となっていた兄は、その作戦に参加していたのです。そこで兄が戦死したと……」

 

「海軍の発表によると、兄は二人乗りの特殊潜航艇の艇長として敵軍港に侵入し、敵戦艦を雷撃して魚雷二発を命中させ、これを撃沈したと言います。攻撃後は敵の駆潜艇に捕捉され、数時間海中で耐えた後、最後は浮上して決戦を挑み、そして戦死したと……帝国軍人の名誉に恥じない、壮烈な最期です。私たち家族は、兄がそのような兵器に乗り組んでいたことすら知りませんでしたから、報を聞いてしばし呆然としました。新聞社の記者が毎日のように大勢我が家に押しかけて家族を質問攻めにし始めて、ようやく兄の死を認識した。家に残っていた姉の一人はそのように言っておりました」

 

「大坂で下宿暮らしをしていた私も、そのことをラジオと新聞で知りました。すぐに頭に浮かんだのは、私も軍隊に入って兄の仇を討つ、ということでした。私はすぐに家に手紙を送り、その旨を父に伝えました。しかし父は『学問を継続するように』と返事をしました。兄の死によって国家への奉公は済ませた、これ以上息子を死なせる必要もない。そのように父は考えたのでしょう。私はしばし迷いましたが、兄が『お前は大学で学問を積め』と言っていたことを思い返して、結局は大学に残ることにしました」

 

「さて、『その程度』ならば、激震といえば激震ではありましたけれど、我が家の根本をひっくり返すほどのことではなかったのです。真なる問題は、ここから起こりました」

 

「翌年の六月中旬の頃です。信じられないニュースが届きました。兄が生きているというのです。兄は連合国の捕虜となって収容所にいると、とある外信が発表しました。『シンタロー・サカマキ中尉は連合国が得た最初の日本軍捕虜である。彼は従順であり、連合国の法と価値観を理解し、今や収容所にて捕虜の再教育という重大な役目を担っている……』 そのことを聞いた時の私の驚きを、あなたは想像できますか?」

 

「情報統制がされていた国内において、その外信がそのままの形で公表されることはあり得ませんでした。しかしそのニュースは、不思議なほどに早く広まりました。その日、その瞬間から、私たちの一家は『非国民』となったのです。いえ、非国民どころではありません。私たち一家は祖国の裏切り者となったのです。あなたたちからすれば、一生懸命戦った結果、力尽きて敵の捕虜になったのならば、それは仕方のないことだと思うかもしれません。しかし当時はまったく違いました。捕虜となるのは紛れもない恥であり、国家と皇室の威信を貶める背信行為だったのです。軍人は勝利するかあるいは死ぬか、それ以外はあり得ませんでした。捕虜になるというのは口にすることですらおぞましい、大変な裏切り行為だったのです」

 

「ほどなくして、私の下宿に憲兵がやって来ました。私は連行され、大坂の憲兵本部で取り調べを受けました。兄にはスパイ行為の嫌疑が掛けられていたのです。私が欧州の文学を勉強していることを知ると、担当の憲兵大尉は蔑むような顔をして、『西洋かぶれの一家だな』と言いました。私は一ヶ月にわたって断続的に取り調べを受け、そしてようやく解放されました。しかし大学にはいられなくなりました。友人たちも、教官も、私のことを白い目で見てくるのです。どこから聞きつけたのか、下宿にも人がやってきて窓ガラスに石を投げつけます。下宿の主人からは『早くここから出て行ってくれ』と言われ……私は大学を辞めて、故郷の敦賀(つるが)に帰りました」

 

「家に帰ると、可哀想に父は寝込んでいました。父もまた憲兵隊の取り調べを受けたのです。いえ、父だけではありません。家族全員も、嫁いだ姉たちも、親類縁者全員が兄の件で調べられたのです。大坂幕府以来の武門の誉れは、すでに地に堕ちていました。御用聞きの人間すらやって来ません。誇り高い父はめっきりと老け込んでいました。食事の際はいつも丹塗りの(ぜん)の前に端座して、決して姿勢を崩さずに箸を運んでいたのに、今や布団に横になって、姉から匙で粥を食べさせてもらう有様です。帰ってきた私を見ても、父はなんら感慨はないようでした。一か月間、我が家は沈鬱な空気に包まれていました」

 

「私は次第に、怒りが湧いてきました。いえ、兄に対してではありません。世間に対してです。あれだけ兄のことを英雄だと持て囃しておきながら、いざ捕虜になったと知ったら手の平を返したように我が家を裏切り者の一家として迫害し始めたその世間に対して、私は強い憤りを覚えました」

 

「しかし、どうすればその怒りを収めることができるでしょう? どうすれば世間を見返してやることができるでしょう? その日も煩悶を抱えながら自分の部屋で読みもしない本を開いていると、突然父がやって来ました」

 

「父は痩せこけていて、肩の骨が浮き出ていました。私と父は一対一で向かい合って座りました。痛いほどの沈黙がしばし続いた後、父が言いました。『礼次郎、今や我が家の頼りはお前だけだ。お前、もしや兄さんの仇を討とうと考えてはいないだろうな。あるいは、世間を見返してやろうと思ってはいないだろうな』

 

「父は続けて言いました。『いいか礼次郎、お前はそんなことを考えてはならないぞ。今は世間の目が厳しいが、そのうち忘れられる時が来る。これまでの歴史においても我が国の軍人で捕虜になった者は多いが、その後復活して活躍を遂げた例は少なくない。今は耐えて、この戦争が終わって新太郎(しんたろう)が帰ってくるのを待とう。それに、そのうち捕虜交換で帰ってくるかもしれない……』」

 

「てっきり、軍隊に入って家名の恥を雪げと言われるものとばかり思っていた私は、その言葉を大変意外に感じました。そして同時に、父がどれだけ意気消沈しているのかを思い知りました。そのことが却って、私がそれまで抱いていた、ある思いを強くしてしまったのです。私は父に言いました。『父さん、僕は軍隊に入ります。軍隊で戦功を立てさえすれば、もう肩身の狭い思いをすることはありません。なにより、僕自身が祖国の裏切り者として、この後も生きて行くのは()えられないのです』」

 

「父は私を引き止めました。私たちはしばらく議論をしました。父は終始、私に圧されていました。ついに父は折れました。父は私に陸軍に入るよう言いました。海軍は裏切り者の弟を採ることはないだろうが、陸軍ならば父の人脈を利用することができると。私としては海軍のほうに惹かれていましたが、最終的に父の言葉に従うことにしました。というよりも、それ以外に路はなかったでしょう」

 

「幸い、陸軍は私を拒絶しませんでした。私は学力を生かし、航空機操縦者候補生として陸軍に採用されました。訓練は過酷でしたが、私は歯を食いしばって堪えました。この程度で音を上げていたら、家名に塗られた泥を雪ぐことなど夢のまた夢です。ありがたいことに、私のことを裏切り者と蔑んでくる人は周囲に一人もいませんでした。教官も同期生も誰一人として、です。きっとみんな、私の兄のことについてよく知っていたのだと思いますが……戦況が日に日に悪化しており、一刻も早く多くの操縦者を前線に送らなければならないことも関係していたのでしょう。みんな、私を虐めている暇などなかったのです」

 

「私が訓練を終え、少尉として任官した頃の全般的な状況ですが、我が国は連合国の総反攻を受けて各地で敗退を重ねていました。聯合艦隊はソロモン海の決戦にて大敗北を喫し、絶対国防圏とされたススペ島の守備隊は住民もろとも玉砕していました。無論、ただのなりたての一軍人にそのような状況を知ることはできません。そういった敗報は、どこからともなく漏れ伝わってくる噂という形で知ったのです。きっと私の兄の件も、そうやって広まったのでしょうが……」

 

「ただ、一つのことだけは確かであるとされていました。次の決戦は比島(ひとう)になるだろうと。そう、今はマハルリカ共和国という名の、あの比島です。陸海軍共に、膨大な戦力を比島に集結させていました。比島が陥落すれば、南方からの資源輸送が断たれてしまう。それは戦争全体の敗北を意味します。我が国は今度こそ、負けるわけにはいかなかったのです。もっとも、それはいわゆる掛け声倒れというもので、比島守備の内実はまったく伴っていなかったのですが……」

 

 

☆☆☆

 

 

「辞令を受領するや否や、私は輸送機に乗せられて比島(ひとう)へ飛び、ほどなくして第四航空軍隷下(れいか)の飛行第十三戦隊に戦闘機操縦者として着任しました。しかし戦闘機操縦者とはいえど、私はそれまでに練習機しか操縦したことがありませんでした。第一線で使える戦闘機はすべて外地に出ており、本国には存在しなかったからです。私は現地で戦闘機の操縦を覚えることになりました」

 

「私に戦闘機操縦のイロハを教えてくれたのは、少年飛行兵上がりのW軍曹でした。可愛らしい顔に似合わず、W軍曹はそれまでに敵機十機を撃墜したこともある歴戦の勇士でした。彼の年齢は私よりも一歳下でした。彼は編隊の組み方から見張りの仕方、それから基本的な空戦機動まで、一通りのことを的確に、かつ内容豊かに教えてくれました。『戦場の空で二十秒真っ直ぐ飛んではいけませんよ』と彼はよく言いました。『必ず機体を背面にしたり、縦にしたりして、見張りを厳重にしてください。見張りさえしっかりしていれば敵に先手を取られることはありません』と。階級こそ私の方が上でしたが、私は彼を尊敬していました」

 

「いえ、尊敬していたとだけ言うのは、事実を半分しか語っていないことになります。私はW軍曹を尊敬すると同時に、嫉妬してもいました。彼は私と歳がそれほど変わらないのに、若き撃墜王として称揚されています。上から下まで、戦隊の全員が彼を可愛がっており、彼自身も屈託のない笑顔を振りまいています。彼は、私の理想だったのです。彼のようにならなければ、私は世間を見返すことができない。それなのに私と彼との技量にはまさしく雲泥の差があります。私は彼を見ずにはいられませんでしたが、見れば見るだけ心の中の焦慮が増すのを感じておりました」

 

「W軍曹はそんな私の内心を知ってか知らずか、私のことを兄と慕ってくれました。休憩時間などに雑談で私が欧州の文学について話すと、彼は目を輝かせて話を聞いてくれました。『死んだ姉が文学好きだったのです。自分もできることなら大学で勉強したかった』と彼は無邪気にも言うのです」

 

「軍曹はまた、私にしばしば『(はや)ってはいけませんよ』と言いました。着任したての頃、私はこれでようやく家名の恥を雪ぐことができると張り切っていましたが、傍から見れば非常に危なっかしく見えたのでしょう。軍曹は『何度も飛んでいれば必ず戦果に恵まれます。ですから、焦ってはいけません』と忠告してくれました。その忠告がまた私の焦りと妬みを増したのですが……中隊長はそんな私たちの様子をよく見ていたのでしょう、私とW軍曹は同じ編隊としていつも組まれていました」

 

「戦闘機について、ですか? 私が乗っていたのは最新のキ八四(はちよん)ではありませんでした。運用され始めてから四年ほど経過した、キ四三(よんさん)です。火力は機関砲が二門と貧弱でしたが、機動性は抜群で、それになにより各種の不具合が洗い出されていることで、大変実用性と信頼性の高い機体となっていました。キ八四(はちよん)が『決戦機』と呼ばれたのに故障が続発して稼働率が低かったのに対し、キ四三(よんさん)にはそのようなことはありませんでした。もう少し火力が欲しいと思わなくもありませんでしたが、私はおおむね満足していましたよ。その時までは」

 

「私が着任し、W軍曹から手ほどきを受け、ようやく戦闘機を乗りこなせるようになったところで、遂に敵が来襲しました。敵は大型航空母艦十六隻を中心とする大艦隊でした。敵艦隊は一千機近くの艦上機を比島に放って、こちらの戦力をまず空から徹底的に叩こうとしました。電波警戒機と見張り員の通報を受けて、私たちの戦隊も早速迎撃に出撃しました」

 

「私たちは戦隊の全力である四十機で空に上がりました。私の右隣にはW軍曹がいました。私は、これだけ多くの機体に囲まれて編隊を組むのは初めてだったので、いつも以上に冷や汗をかいていました。ええ、編隊を組むだけで精一杯だったのです。見ると、私と同じ頃に着任した新米の操縦者たちの機体が、ふらふらと頼りなさそうに飛んでいます。四十機といえば大戦力に見えますが、その中でそれまでに実戦をしたことがあるのは十機に満たず、それ以外は私のような促成栽培の操縦者で水増しされていたのです」

 

「しばらく飛ぶと、W軍曹が翼を軽く上下に振りました。どうやら敵機を発見したようです。しかし私には何も見えません。なおも飛び続けていると、次第に遠くの空にぼつぼつと黒い微細な点が見え始めました。そちらの方向は海です。間違いなく、それは敵の母艦から発進した艦上機の群れでした。編隊長機が機関砲の試射を始め、各機もそれに倣いました。私も、前を行く味方に当たらないように注意しつつ、機関砲のボタンを軽く押しました。機関砲は問題なく作動し、ドンドンと轟音を立てて二発の弾が勢いよく飛んでいきました」

 

「編隊長は私たちを率いて、まっしぐらに敵へと飛んでいきます。彼我(ひが)の距離はぐんぐん縮まります。敵は既に、私たちを発見していたようです。私たちの上空を取ろうと、敵は大馬力のエンジンにモノを言わせてどんどん上昇していきます。空中戦では、相手の上空を取った側が圧倒的に有利になりますからね。一方、私たちの戦闘機のエンジン出力は敵のおよそ六割ほどでしかなく、おまけにその頃は燃料である混合濃縮エーテル液の質が低下していたので、思うように上昇できません。距離が二キロほどになった時には、完全に敵が上空を占めていました。そのうえ、数も敵のほうが多いのです。六十機から七十機ほどがいたでしょうか……一度逃げて仕切り直すべきだったのでしょうが、編隊長は実戦経験が少なく、そのような柔軟な判断ができませんでした」

 

「数分も経たずして、私たちの編隊と敵の編隊が真正面からぶつかりました。敵の戦闘機は六門もの機関砲を備えていて、機体の翼が真っ赤に燃えているのかと思われるほどに猛烈な射撃をしながら、まっしぐらに降下してきました。それにひきかえ、こちらは数も少なく、態勢も整っていない。私は正面から突っ込んでくる敵機に機体の軸線を合わせ、碌に照準もしないまま、機関砲のボタンを押しっぱなしにしました。真っ赤な弾幕がこちらに迫ってきます」

 

「すれ違いざまの撃ち合いをした瞬間、私は悟りました。『勝てない!』と。撃たれたわけでも、撃墜されたわけでもない。初めての戦闘での、初めの数秒間に過ぎません。それでも、私が覚えたのは圧倒的なまでの敗北感でした。とにかく、『勝てない!』と私は思ったのです」

 

「幸運なことに、私の機体には一発の被弾もありませんでした。私は敵編隊を通り抜けた後、今度は機首を下げて海面に向けて降下しました。事前にW軍曹に言われていたのです。『だいたい戦闘機操縦者というのは初陣で戦死するんです。これは無理そうだと思ったら、迷わず戦場から離脱してください。早々に降下して海面スレスレに飛べば、敵はあえて追ってきませんよ。私も援護します』と。その言葉を聞いた時は『随分と敗北主義的なことを言うな』と思ったものでしたが……」

 

「飛行場に帰ってきて何とか呼吸を整えて着陸し、機体から下りて指揮所の方へ赴くと、驚いたことにW軍曹が私のすぐ後ろに立っていて、声を掛けてきました。『気づきませんでしたか? 自分はずっと少尉殿の後ろにおりました。海面に降りた時、後ろから敵が四機追ってきていましたが、そのうち諦めて帰っていきましたよ。まあ、初陣で自力でここまで帰ってこられただけでも立派なものです……』 彼がいなければ私は敵にやられていたでしょう。その日、編隊長機を含めて、十七機が帰って来ませんでした。戦隊の戦力は、たったの一日でほぼ半減してしまったのです」

 

「私は落胆しました。私の『戦場で活躍し、裏切り者としての汚名を返上する』などというごく個人的な望みなど、この比島の空においてはあまりにもちっぽけなものであることを思い知ったからです。私は、戦闘機に乗って空に上がれば、あとは勝手に戦果が挙げられるものと信じていました。いえ、そう信じようとしていたのです。私は大戦果を挙げて感状を授与され、新聞に撃墜王として紹介され、家に逼塞している父と家族は大手を振って街を歩けるようになる……そのように明るい未来を想像することで、濃密なまでに漂っている死の気配を無視しようとしていたのです。初陣によって、私は現実に引き戻されました。現実は私が思っている以上に過酷で、望みのない、つまらないものだったのです」

 

「それからの比島の航空戦は一方的な展開になりました。こちらの航空戦力はみるみるうちにすり減らされ、例えば私の戦隊などは、戦闘開始から一ヶ月もしないうちに稼働戦力が五機に満たなくなりました。海軍は残存艦艇のすべてを投入して最後の決戦を挑みましたが、逆にトドメの一撃を加えられて、事実上消滅しました。敵は制空権、制海権を掌握したことで大量の兵力を堂々と上陸させることができ、瞬く間に比島の主要な飛行場を占領し、制空権をより強固なものとしました。敵は千機単位で航空機を動かせるのに、こちらには陸海軍合わせて五十機もいないのです。本土から続々と増援は送られてきましたが、送られた先から撃破されました。敗北は、誰の目にも明らかでした」

 

「私はしつこく生き残っていました。あれから三回ほど私は空戦しましたが、そのいずれも潜り抜けることができたのです。もちろん、戦果などありません。ただ逃げ回っていただけです。その時々の空戦から私が辛くも生還することができたのは、言うまでもなくW軍曹のおかげでした。彼はいつも私を守ってくれました。そして帰ってくるたびに、『撃墜戦果はなくとも、生き残って飛び続けていることが重要なんです。その分だけ敵は兵力を割かねばならないのですから。少尉、あなたはこれからも生き延びることだけを考えてください』と言うのです」

 

「三回目の空戦の時、私は敵の中型爆撃機に体当たりしようとしました。このまま戦果が挙げられないまま死ぬよりは、いっそ敵を道連れにしてやろうと思ったのです……しかし、腕が未熟だと体当たりすらできないのです。敵と自分との距離と方位、相対速度をしっかりと把握していなければ、接近することもままならないのですから。それでも私は苦労して機体を敵に近づけました。いざ私が機体をぶつけようとしたら、目の前で敵機が爆発しました。撃ったのは、私の後ろに占位していたW軍曹でした」

 

「着陸すると、軍曹は私を睨みました。無言で私を叱ったのです。私は彼に謝りました。これからはもう、向こう見ずなことはしないと……それでも心の奥底では、なんとかして戦果を挙げなければならないと思っていました。今でも故郷では父と家族が肩身の狭い思いをしているだろうと……」

 

「私の焦りとは対照的に、W軍曹はとても朗らかでした。空中戦での彼の実力を実際に見たことと、何度も彼に命を救ってもらったことで、私の中にある彼への嫉妬の念は薄らいでいましたが、それでも彼を見るたびに覚える胸の痛みはなかなか消えませんでした。W軍曹は戦隊の隊員だけではなく、現地住民とも仲が良くて、よく近くの村に行っては果物や肉類をもらって帰ってきました。彼は真っ先にそれを私に分けてくれるのです……私にとって、彼はあまりにも眩しすぎました」

 

 

☆☆☆

 

 

「それからさらに一ヶ月が過ぎ、私たちはますます追い込まれていました。空には敵の航空機の影しか見えず、味方機は夜間にこっそり、敵の目を盗んで飛ぶ始末です。私の戦隊も稼働機がほぼゼロになり、生き残った操縦者たちは地上でなすすべなく日々を食い潰していました。敵機は飛行場上空をわが物顔に飛び回り、少しでも動くものがあれば機関砲を撃ちまくってきます。爆撃機が日に二度は飛来し、もう壊すものも残っていないのに爆弾をばら撒いていく。私たちは防空壕に逃げ込みますが、その都度必ず死傷者が出ました。隊員たちの精神は次第に荒んでいき、口論や諍いが絶えなくなりました。そのたびにW軍曹が出て行って仲を取り持つのです」

 

「ちょうどその時です、『あの作戦』について戦隊長から直々に説明があったのは……」

 

「その日の夕刻、戦隊長が全操縦者を指揮所の前に集合させました。戦隊長の横には、参謀懸章をつけた将校が立っていました。彼は第四航空軍の作戦参謀でした。戦隊長は言いました。『比島の情勢は日に日に悪化している。敵艦隊の脅威を排除しなければ我が軍が勝利を収めることはできない。そこで、我が戦隊からも特攻要員を出すことになった。志願者は前に出て欲しい。ここには機材がないため、ひとまず輸送機でフォルモサ島に送る。フォルモサ島で機材を受領した後、比島に再度進出することになるだろう……』 ああ、フォルモサ島というのは、今で言うところの台湾です」

 

「私は、来るべきものが来たと感じました。思わず拳を握りしめたのを覚えています」

 

「御存じでしょうが、我が軍の航空特攻は比島決戦末期から始まりました。最初は航空機に二百五十キロ爆弾を搭載してそのまま体当たりをするだけの単純な戦法でしたが、そのうち二つの専用の機材が開発され、莫大な戦果が挙げられるようになりました。その二つとは、操縦者の生命エネルギーを増幅させ魔力障壁を張る『魔術式自動防御装置』と、同じく生命エネルギーを用いて飛行機そのものを巨大な爆弾とする『特号魔力起爆装置』です。それらは遠くゲルマニアの魔術帝国からもたらされた、魔法技術を転用した兵器ということでした」

 

「一機で敵の二万トン級の大型空母を沈めることができる。一人で数千人の敵兵を殺すことができるのです。それは私の願いに叶っていました。特攻要員になる。それは究極の自己犠牲です。出撃すれば、今度こそ私の家が裏切り者呼ばわりされることはなくなるはずです。私は早速志願しました。私が足を前に進めると、驚いたことに他の操縦者たちも全員前に出ました。W軍曹もです。戦隊長は厳しい顔をしていましたが、やがてただ一言だけ言いました。『ありがとう』と。その後、作戦参謀が細かなことを色々と説明しましたが、詳細については覚えていません」

 

「解散した後、私はW軍曹に言いました。なぜ志願したのか、と。すると軍曹は涼しげな顔をして言ったのです。『とりあえずこの地獄から逃れられるなら何にでも志願しますよ。フォルモサ島でたっぷり休んでから死ねるのならば惜しくはありません』 彼からは自己犠牲の精神だとか、国のために尽くすだとか、そういう気迫は感じられませんでした。いつものように飄々としていて、まったく気負っていません。私は少しばかり毒気を抜かれました」

 

「彼は続けて言いました。『少尉殿、何度も言うようですが、死に急いではいけませんよ。生きている限り勝ち目はあります。一人で多くの敵を道連れにするというのは一見合理的に見えますが、それは敗北を先延ばしにしているだけです。まあ、ここは一緒にフォルモサ島へ行きましょう。その頃までには参謀たちも特攻について考え直しているかもしれません。馬鹿げていますからね』 私は形だけ、彼の言葉に頷きました。彼の心遣いは痛いほど私の心に沁みましたが、私の決心は固まっていたのです」

 

「その日以来、私たちは輸送機の到着を待ちました。しかし輸送機はなかなか来ず、一方で敵機の跳梁は激しさを増すばかりです。ある夜、待望の輸送機が一機やって来ましたが、それは飛行場上空に差し掛かったところで突然火を噴いて墜落しました。エーテル液が燃える赤紫色の鮮やかさが今でも目に焼き付いています。それは、敵の夜間戦闘機の仕業でした。敵は夜の世界までも手中に収めつつあったのです。その事件以降、輸送機に乗りたがる者は少なくなりました。それまではいつ輸送機が来ても良いように、飛行場の傍に蛸壺を掘り、荷物を持ち込んで待っている者が多くいたのですが……」

 

「それでも私は輸送機に乗るつもりでいました。ここに居続ければ、いずれ侵攻してきた敵の地上軍との戦いになり、つまらない死を遂げることは明白です。それに対して、輸送機に乗れば撃墜されるかもしれませんが、それでも座して死を待つよりは遥かに良い。私はなんとしてでも特攻に出て、英雄として死ぬ必要があったのです。W軍曹もまた私と同じく、熱心に輸送機を待っていました。『自分は少尉殿の僚機ですからね』と、こともなげに彼は言うのです」

 

「ある夜、ついに輸送機が飛んできました。それは旧式爆撃機を改造した、双発の輸送機でした。幸いなことに、敵の夜間戦闘機は輸送機を捕捉し損ねました。その晩は戦隊長が直々に残り少ない戦闘機に乗って上空警戒をしていたので、敵の夜間戦闘機は早々に戦意を失って去っていったのです。輸送機は適切な着陸速度からややオーバーしている速度で接地すると、二、三回バウンドして、飛行場の真ん中に停止しました。私は荷物を持って駆け出しました。隣のW軍曹も蛸壺から飛び出て、走り出していました」

 

「あらかじめ決められていた手筈では、輸送機はエンジンを止めることなく着陸後もそのまま待機し、搭乗者を収容した後は速やかに離陸することになっていました。ですが、私は機体に近寄った時に異様な臭いを嗅ぎ取りました。それは強烈な甘い臭いでした。そう、混合濃縮エーテル液の臭いです。左翼を見ると、翼内の燃料タンクに穴が開き、ざあざあと雨垂れのような音を立ててエーテル液が漏れ出ていました。唖然としてそれを眺める私たちに、操縦室から出てきた機長が怒鳴りました。『途中で地上からゲリラに撃たれてタンクを損傷した。修理して再補給しないとフォルモサ島まで飛べん!』と言うのです」

 

「それから私たちは大慌てになって滑走路の真ん中から輸送機を動かし始めました。車はないので人力です。早く動かさなければ敵の夜間空襲の標的になりますし、それにそろそろ上空警戒の戦隊長が降りてくる頃でした。息せき切って機体を滑走路の端へ押した後、整備兵たちが群がり寄ってタンクを修理し始めました。私たち操縦者は地面の下に隠しておいたドラム缶を掘り出して、燃料補給の準備をします。すべて照明のない、真っ暗闇の中で行われたのですから、作業はなかなか進捗しませんでした。夜間空襲を防ぐため、照明は点けられなかったのです」

 

「ようやくすべての準備が終了した時には、夜明けまで二時間を切っていました。朝になれば空に敵機が充満し始めます。飛んだところで無事に敵の勢力圏内から脱してフォルモサ島へ行けるか、五分五分といったところでした。輸送機に乗ったのは、私とW軍曹の他、十名の操縦者でした。輸送機は飛行場を限界まで滑走した後、重々しいエンジン音を立てて飛び上がりました。懸念していた敵の夜戦ですが、結局現れませんでした。私たちはほっと胸を撫でおろしました。第一関門は突破です」

 

「ですが、敵は私たちを見逃したわけではなかったのです。飛行を始めて二時間が経ち、東の空と海の境界線上に真っ赤な太陽が姿を現した時は、まだ平穏でした。それからさらに一時間が経過し、あと一時間半もすればフォルモサ島に到着という段階になって、後方の銃座にいた者が絶叫しました。『七時方向、敵P‐38二機!』と」

 

「その敵機は、長距離を飛ぶために設計された双発戦闘機でした。機動力は大したことがありませんが、武装と速力に優れ、なにより航続距離に秀でていました。私たちの輸送機を撃墜するために、比島のどこかの飛行場から離陸して追ってきたのに違いありません。敵は左右に分かれると、しばらく様子を窺うように並行して飛んでいましたが、やがて意を決したように機首を巡らすと、二機同時に襲い掛かってきました」

 

「こちらには自衛用の機関銃が三挺のみ、速度は遅く、機動力はありません。機長は即座に機体を急降下させました。海面スレスレを飛ぶことで、敵の攻撃を避けるためです。私たち便乗者たちは必死になって座席にしがみつきました。銃座の兵士は追ってくる敵機に盛んに射撃を浴びせていますが、敵機はなんら痛痒を覚える風もなく、機関砲を撃ちまくってきます。ブスブスという嫌な音を立てて、敵弾が機体を貫通しました」

 

「機長は優秀でした。彼は敵機が軸線を合わせる瞬間を見計らって機体を横滑りさせ、射弾を回避する高等技術を持っていたのです。敵の弾はことごとく狙いを逸れました。とにかくエンジンと翼内タンク、それから操縦席に被弾さえしなければ、飛行機は飛び続けることができるのですから。しかし狙いが逸れた敵弾は、機体のどこか別の部分に当たります。その別の部分とは、私たちのいる胴体でした」

 

「私は生きた心地もなく、座席に座っていました。目をじっと瞑って、こんなところで死ぬのは嫌だ、死ぬのなら敵と刺し違えて死にたいと、そんなことばかりを考えていました。すると、突然銃座から音がしなくなったことに気づきました。目を開けると、そこは血の海になっていました。血の海の中にピンク色の肉片と、真っ白な骨片が浮かんでいます。私の目の前に座っていたG曹長は首が無くなっており、断面からは血が迸り出ていました。O伍長は左腕が粉砕されて骨が露出しており、A少尉は内臓が腹から飛び出しています。銃座の兵は三人とも死んでいました。念入りに狙われたのでしょう、三人ともほぼ原型を留めていませんでした」

 

「私は反射的に銃座へ移動すると、機関銃を撃ち始めました。弾はまったく当たりませんでしたが、撃っている間は死の恐怖を忘れることができました。私の後ろに位置する銃座も射撃を再開しました。それはW軍曹でした」

 

「敵機はなおも勝ち誇ったように、いえ、いたぶるように私たちの輸送機を撃ち続けました。しかしそのうち焦れてきたのでしょう。一機が甘い動きを見せました。私はそれを見計らって、最後の弾倉から一連射を食らわせました。なんと運が良いことか、私の撃った弾は命中し、敵機は左エンジンから黒煙を吐き始めました。敵機はそれ以上の攻撃を諦めました。おそらく、彼らの燃料もそろそろ限界だったのでしょう。私たちは粘り勝ちをしたのです」

 

「いえ、私たちの状況は、勝ったというにはあまりにも絶望的でした。敵機が後方へと遁走していくのを見届けた後、背後へ振り返った私の目に飛び込んできたのは、血だまりの中で悶えているW軍曹でした」

 

「私が抱き起こそうとすると、W軍曹は苦しそうに首を左右に振って言いました。『腹部にまともに食らいました。もう助かりません。抱き起こさないでください。このままじっとしていれば少しは生きられますから』と」

 

「どのように応急処置をしたものか悩んでいると、副操縦員が操縦室から出てきて言いました。『重量物を捨てろ! 右エンジンが損傷して、片肺飛行になっている! このままだとフォルモサ島の手前で落ちるぞ!』 満足に動けるのは私の他には二名、K伍長とF少尉がいるだけでしたから、私たち三人は手分けをして様々なものを銃座の窓から投げ捨てました。機関銃に、弾薬箱に、空薬莢に、無線機に……」

 

「それでも高度は上がりません。それどこか徐々に下がっていきます。副操縦員がまたもや怒鳴りました。『死体を捨てろ!』と。死体! それは確かに重量物ですが、しかし私たちの戦友の亡骸でもあります。可能ならばこのままフォルモサ島まで一緒に行って、そこで荼毘(だび)に付したい。私たちはしばし躊躇しましたが、結局死体を捨てることにしました。そうしなければ墜落してしまうのを理解していたからです」

 

「一人につきおおよそ七十キロ。それを十名近く捨てたのですから、輸送機は七百キロほど軽くなったはずです。その甲斐あってか、高度の下がり方はやや緩やかになりました。それでも海面まではもう五十メートルもありません。墜落は免れないものと思われました」

 

「なす術なしかと諦めかけた、その時でした。重傷を負っていたはずのW軍曹が、スッと立ち上がったのです。そして私に蒼白となった顔面を向けて、彼は静かに言いました。『少尉殿、お世話になりました。何度も言うようですが、死に急いではなりませんよ』と。耳を聾するばかりのエンジン音が鳴り響いているのに、彼の言葉は異様なまでに私の耳に残りました。彼の意図を察して、やめろと言って肩に手をやろうとしたその瞬間には、W軍曹は既に銃座から機外へと身を躍らせていました……」

 

「その後、輸送機は満身創痍の体でフォルモサ島南部の飛行場に着陸しました。私は司令部に赴き、自分が特攻要員であることと、機材を受領するためにここに来たことを申告しましたが、司令部からの命令は『しばし待機せよ』とのことでした。既に上級司令部は比島での戦いに見切りをつけ、次なる戦いの地となると思われる琉球・奄美での作戦計画立案にかかっているようでした。私は比島に戻されることなく、次なる戦いのために温存されることになったのです」

 

「数週間、なすこともなく私はフォルモサ島で日々を過ごしました」

 

「その間に考えたことは、W軍曹の最期でした。彼は最後まで眩しい存在でした。死に様まで完璧でした。彼は究極的な自己犠牲の精神を発揮して、私たちを救ったのです。私は、果たして特攻によって敵艦を沈めて死ぬのと、仲間を助けるために自ら身を投げたW軍曹の死と、どちらがより望ましい死であるか、考えざるを得ませんでした」

 

「その時から、私の特攻への情熱が冷めて行ったのです。もはや家名のことなど私は考えてはいませんでした。いえ、考えられませんでした。それほどまでにW軍曹の死は私にとって衝撃的でした。私は、私が特攻してどれだけ大きな艦船を撃沈しても、おそらくW軍曹ほどには美しい死を遂げることはできないだろうと思いました……」

 

「内地に戻ってから、私は教官として操縦者を育てる立場になりました。私の実戦経験などほんのわずかだったのですが、当時はその程度の操縦者ですら貴重な教育要員だったのです。いえ、私が教官となったのは、やはり不可解なことでした。私の同期生たちはみんな特攻要員となっていたのですから……」

 

「私が育てた操縦者たちは十七歳から十八歳の少年たちで、彼らも全員が特攻隊員でした。私は、しばしばW軍曹の最期について語りました。『立派な帝国軍人は、仲間のために命を投げうつものだ』と。少年たちは、目を輝かせて美談に聞き入っていました。私は、後進の者たちにW軍曹の最期について語ることが、何よりもW軍曹の霊を慰めるものであると信じていたのです」

 

「彼らは自らが巨大な爆弾となって、琉球の海に散りました。連合国の艦隊は大損害を被りましたが、結局我が軍は敵を撃滅することができませんでした。琉球での戦いの後、私は、別の意味で特攻を志願するようになりました。おめおめと生き恥を晒し、その上、少年たちを死なせてしまった。その贖罪がしたかったのです。W軍曹からは『死に急いではならない』と言われましたが、いよいよ次の戦いは本土決戦です。死ぬにはちょうど良い頃合いと感じました。私は司令部に掛け合って、ついに特攻要員として選抜されました」

 

「その次の日だったのです、戦争が終わったのは……私は数日間放心したままでした」

 

 

☆☆☆

 

 

「戦後、我が家はまたしても世間から白い目で見られることになりました。今度は兄のせいではなく、私のせいです。私が自分から志願して特攻隊員になったという事実は地元に広まっていました。進駐軍の指示を受けた警察が密かに私のことを危険分子と見なして監視していることも、地元の人間は知っていました。道を歩いていると、子どもたちから『狂信者!』だとか『軍国主義者!』と言われて石を投げられることもしばしばでした。子どもたちはその言葉の意味を理解していたわけではなく、ただ親の口ぶりを真似しただけでしょうが……」

 

「ですが、以前父が言ったように、世間は次第に私たちのことを忘れ去っていきました。生活が落ち着いてくると、私の中にある一つの願望が芽生えました。W軍曹の家を訪問して、彼の最期について両親に報告したい。彼の最後がどれだけ立派なものだったのか、しっかりと伝えておきたい。そう思い始めたのです」

 

「W軍曹の家の住所については知っていましたから、私はすぐに訪ねることができました。彼の両親は年老いていました。小さな家の居間に案内されて、出されたお茶を飲むこともなく、私はあの輸送機での出来事と、W軍曹の最期について包み隠さず話しました」

 

「さあ、ここからです。私が話を始める前に延々と語った、『誰にも侵されることがないはずの自分の経験が、実はまったく不確かで当てにならないものであること』というのは……」

 

「W軍曹の父親は静かに話を聞いた後、私を静かな目つきで見つめつつ、おもむろに口を開きました。『息子の戦死の状況を伝えて下さり、ありがとうございます。わたくし共もなんだか胸のつかえが下りたような気がいたします。というのは、実はあなたがこちらに来る前に、同じ輸送機に乗っていたK伍長がこちらにいらっしゃって、彼も息子の死について教えてくれたのです』」

 

「父親はなおも語りました。『それによると、息子は敵機の最初の射撃を受けて即死したのだということで……痛みはまったくなかっただろうと……その口ぶりはどこか真実を隠しているようでしたから、私たちはありがたくその話を聞きながらも、どこか疑問を持っていたのです。今日あなたが話してくれた内容には、疑いを抱く点はありません。息子があなたたちを救って死んでいったことを、私は大変嬉しく思います……』」

 

「私は驚きました。K伍長はW軍曹と仲が良く、いつも食卓を並べて食事をとっていたほどでした。そんな彼がなぜ、わざわざW軍曹の最期を偽って話したのか。それも、即死という、ごくあっけない最期という風に。そこには何らかの意図があるはずです。私は苦労してK伍長の居場所を探し出しました。彼は遠く千島道(ちしまどう)にいましたので、私は長文の手紙を送ることにしました。なぜW軍曹の最期を捏造し、両親に嘘をついたのかと……」

 

「ほどなくして返信が来ました。そこには驚くべきことが書かれていました。K伍長は、私の方こそ嘘をついていると言うのです。『W軍曹が敵機の最初の一連射で即死したのは自分自身の目で見た紛れもない事実であり、疑義を差し挟む余地はない。それに、W軍曹の死体を機外に投げ捨てる時、あなたは私に直接手を貸してくれたではないか。あなたのほうこそ、ありもしない戦死の状況をでっち上げてW軍曹の両親の心を惑わせるとは言語道断だ。あなたを軽蔑する。今後一切手紙を送ってこないでください』と……」

 

「私は、K伍長が嘘をついているとは思えませんでした。彼の手紙からは、彼の純粋な、激しい怒りが感じ取れました。それでも私は、私自身が見たW軍曹の死について、疑いを抱いていませんでした。私とK伍長、どちらが正しいのか? それとも二人とも間違っているのか?」

 

「それを確かめる方法はありました。それは、もう一人の輸送機の生き残りである、F少尉に訊くことです。私は彼に手紙を送り、W軍曹の最期について訊きました」

 

「するとF少尉が手紙で答えるには、『W軍曹は倒れた銃手に代わって銃座に付き、しばらく射撃を続けた後、敵機の射撃を受けて下半身が粉砕され、そのまま機外へ落下して戦死した』とのことでした。F少尉は、自分はW軍曹の傍らにいて弾倉を手渡していたから、彼が落下した時の瞬間もはっきり見たと言います」

 

「……そうです。私たち三人それぞれが、W軍曹の最期について、まったく違った記憶を持っているのです」

 

「あれだけみんなから愛されたW軍曹、あれだけ私が嫉妬の念を覚え、眩しさに息苦しささえ覚えていたW軍曹の最期を、誰一人として正確に記憶していなかったのです。それは忘却とは違う形の抹殺でした。W軍曹の最期は抹殺されてしまったのです」

 

「私は正真正銘、自分の目でW軍曹が立ち上がった姿を見、W軍曹の最期の言葉を聞き、W軍曹が身を投げるところを見ました。見たはずなのです。その厳然たる過去が、こうまでも曖昧だとは……曖昧というのは少し違うかもしれません。私ははっきりと彼の最期を覚えているのです。今でもあの血にまみれた輸送機の中で立っている彼の姿を思い出すことができます。それと同時に、私はそれが彼の過去そのものではなく、また彼の真実の最期ではないとも思っているのです。思い出すことができるのに、それは真実ではない」

 

「いえ、もしかすると、三人のうちの誰かは正しい記憶を持っているのかもしれません。私の記憶が正しい可能性も、もちろんあります。ですが、私にはどうしてもそのように思われないのですよ」

 

「というのは、私たち三人がそれぞれ、W軍曹の最期について何らかの自分の願望を織り交ぜているような気がするからです」

 

「私を例にすれば、私はW軍曹を自分の理想だと見ていた。ゆえに、W軍曹の最期も自分の理想となるような最期でなければならない。輸送機の仲間を救うために、自ら身を投げる……崇高な自己犠牲の精神の発露、それがW軍曹の最期の命の輝きだった……」

 

「おまけに、私は少年飛行兵たちに何度も語ることで、それを強化していきました。私は自分自身で、自分の気づかぬうちに、嘘を積み上げていったのです。そして真実は、永久に消え去ってしまいました」

 

「他の二人も、私と同じく何らかの願望があったのかもしれません。二人とも、W軍曹とは仲が良かったのですから。W軍曹はみんなから愛されていたのですから」

 

「連合国の捕虜収容所から帰ってきた兄にこのことを話しました。すると兄はしみじみとした口調で言いました。『俺も一緒に特殊潜航艇に乗っていた部下の最期について、実はあまり覚えていないんだ。戦闘時の興奮というのかな。俺より後からハッチから出たのは間違いないんだが、その後どうなったのか記憶していない。遺族には、彼は最後まで拳銃一丁で敵と撃ち合いをし、私を守って死にましたと伝えておいた……無論、それは一種の方便なんだが、最近ではともすると自分自身でこの話を信じ込みそうになっているんだ……』」

 

「続けて兄は言いました。『礼次郎、この際、真実であるか、それとも嘘であるかは問題の外におこうじゃないか。真実が人を傷つけることもあれば、嘘が人を救うこともある。そして遺族たちはみんな、救いを求めているものだ。ならば俺たちがあえて真実を掘り返す必要もないではないか……』」

 

「ですが、やはり私は兄のように割り切ることができません。私は、私の語りが有する嘘について、どうしても整理をつけられないでいるのです」

 

「どうすれば良いのでしょうか? 死ぬまで私は、W軍曹の最期について『美談』という偽りの記憶を抱えたまま生きていかねばならないのでしょうか?」

 

「……たぶん、答えは出ないのでしょう。それがきっと、生き残ってしまった者が負うべき(ばつ)なのです」

 

「あなたも今後、元兵士たちの話を聞く時はよくよく用心してください。私たちは知らず知らずの内に嘘を生み出し、その嘘によって救われることで、生き辛い今日の世界を何とか生き延びているのですから」




※以下、作品メモとなりますので、ご興味をお持ちでない方は、お手数ですが非表示設定にするか、ここで読み終えて下されば幸いです。

・ほいれんで・くー「フォルモサ島への飛行」

 2021年1月24日公開。今作も「レイチェルが嗅いだ戦争」と同様、『ラインの娘』のために書き下ろしたものです。いずれエブリスタのコンテストで……と言いたいところですが、今回はやや趣味に走りすぎましたね。エブリスタでは難しいかもしれません。

 チャブリス、シモンズ『錯覚の科学』(文春文庫)を読んで以来、私の中には「人間とは知らず知らずのうちに『嘘』を生み出す存在であり、その嘘によって生活を楽なものにしている」という観念があります。今回はそれに少し踏み込んだ内容にしてみました。

 テーマを自分で決めて良い分気楽ではありますが、今度は逆にテーマ性を自分で深めないといけないので大変です。それこそが創作の醍醐味なのでしょうね。

 次回もどうぞお楽しみに!

※加筆修正しました。(2023/07/15/土)
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