ラインの娘   作:ほいれんで・くー

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「学校で古典語の活用形を暗記したり、友達とテニスやバレーボールをしたり、休日に男の子と川辺を散策したりするのは、たしかに青春そのものでしょう。でも、私たちの青春は、少なくともそういった一般的なものではありませんでした。今となっては懐かしい、苦い思い出です……」


07. そしてタハティが産まれた

マーリア・オウティネン

 

 降誕暦一九三三年生まれ。シュスマ出身。元陸軍少尉、魔導飛行士、戦闘襲撃騎搭乗員。女学校卒業後、首都の薬剤店で見習いとして勤務していたが、女性飛行士募集の案内を見て空の世界を志す。一九五〇年に勃発した祖国防衛戦争では百回余りの出撃を重ね、単独撃墜四十一、共同撃墜二十八の戦果を挙げる。戦功抜群により、共和国で初めてスオメン白薔薇勲章を女性として受勲。除隊後、小学校教師となる。現在はパイエンネ湖の観光ガイドを務めている。

 

――あの戦争から二十年余りが経ちました。マーリア・オウティネン、貴女の伝説的な戦いぶりは当時から広く知られています。ですが、今回私がお聞きしたいことは、貴女の参加された戦闘についてではありません。伝説と謳われる貴女が、どのような少女時代を送り、そしてどのようにして飛行士になったか、そのことについてお聞きしたいのです。どんな些細なことでも構いません、何か印象的だった出来事、思い出深い事件、そのようなものがございましたら、どうか教えてください。

 

「手紙を受け取った時は驚きました。私が敵をどれだけ撃ち落としたか、空中戦はどうだったかということを聞きたがる人ばかりなのに、あなたは私がどんな女の子だったのかを知りたいと言うのですから。ちょっと話し(づら)いこともありますし、記憶違いや思い込みもありますから、上手く話せるか分かりませんが、どうか辛抱強く聞いてください。私たちが特別でもなんでもないただの女の子であったことを、そして、『あの子』たちがどのようにして産まれたのかということを世間の人々に知ってもらうのに、私の拙い語りが少しでも役立つだろうと信じるからです」

 

 

☆☆☆

 

 

――入隊までについてお聞きします。

 

「一九四七年、私が十四歳になった夏でした。母が病気で亡くなったのです。父はすでに故人で、兄は外国に行って船乗りになっていましたから、家に居るのは私と母の二人だけでした。医者が言うには破傷風だと。数日前には元気いっぱいだった母が、見る見るうちに衰弱していくのです」

 

「母は病床で私の手を握って、『マーリア、貴女は温かいわ。ぬくもりがいっぱいで、お日様みたいね』と言いました。今でもその時の母の手の感触を覚えています。その日の晩に母は息を引き取りました」

 

「お葬式の後、村長は私を引き取ろうかと言ってくれたんですけど、私は首都に行くことにしました。母のお墓を置いて故郷を出ることに抵抗はありましたけど、それ以上に母が普段言っていた、『これからは女性の時代よ。貴女も女学校を出たら首都に出て、自分の可能性を試しなさい』という言葉に従いたい気持ちがありました」

 

「村長がヘルシングフォシュの魔法薬剤店の店長へ紹介状を書いてくれました。ひとまずはそこで働いて、身を落ち着けなさいと。初めての一人旅で、初めての首都行きでしたから、ちょっと前まで母恋しさに泣いていた私は、今度は汽車の座席でわくわくしていて、それ以上にそわそわとしていました」

 

「薬剤店の店長は無口でぶっきらぼうでしたが、でもとても良い人でした。私は見習い調合士として働き始めました。よし、首都で一番の薬剤師になるんだと意気込んだのですが、ほどなくして一つ問題があることが判りました。繊細な魔法薬を扱うには、私の手はあたたか過ぎたのです。貴重なマンドラゴラの粉末がすぐに駄目になって……店長は『生まれ持った体質は変えられない。お前の手はぬくもりがありすぎる』って言って……本当に、ガッカリしました。それからは掃除にお茶くみに帳簿の管理など……そういう雑用をしていました」

 

「転機になったのは、店長が持ってきたある案内でした。それには『共和国初の女性飛行士募集!』と書いてあるんです! 店長は、『飛行兵なら手が温かくても問題なかろう。それに、お前はこういうのが好きだろう?』と。確かに、自分の可能性に賭けるという点で、共和国で初めての女性飛行士になるのは非常に魅力的でした。さっそくその日のうちに願書を提出しました」

 

 

☆☆☆

 

 

――試験について教えてください。

 

「試験会場は聖カタリーナ高等女学校でした。軍がそこを借りたんです。大教室に集まったのは二百人ぐらい。物凄い数の女の子たちで、係員たちは声を枯らして誘導をしていました。私は『こんなに多かったら合格するのは難しいかも』と尻込みしてしまいましたが、試験官たちの雑談をちらっと聞いてさらに落ち込みました。というのは、どうやら受験者の総数は二千人を超えているらしくて、これを十組に分けて試験するんだそうです。それで、合格は二十人そこそこしかしないと。もうそれだけで気落ちしました」

 

「それでも気を取り直して、私は試験に臨みました。一日目と二日目は学力検査。一般教養と作文でした。作文の題は『先の大戦における女性の社会貢献について』だったと思います。十四歳かそこらの女の子に対して、ちょっと難しすぎる出題ですね。三日目は身体測定。肺病がないかずいぶんと調べられました。印象的だったのは、指がちゃんと曲がるか調べられたこと。それは鉄砲の引き金がしっかりと引けるかに関わるからです。その時、ああ、私は軍隊に入ろうとしてるんだなって思いました」

 

「四日目は面接でした。面接官は三人いました。後に私の教官となる人が真ん中に座っていて、とても鋭い眼光を放ってました。私は、誰に似たのか負けず嫌いなところがあって、その眼光で睨まれた時に、一生懸命見つめ返したんです。そしたらニヤッと笑い返されて。面接の内容ですか? あまり覚えてません。志望動機とか、家族構成とか、趣味とか……あと魔法生物は好きかと訊かれました」

 

「自信はなかったんですけど、まあどうとでもなれという気分で、合格発表までの一か月を過ごしました。店長は『神様の御心のままに、だ』なんて慰めともつかないことを言ってましたが、合格通知が来た時は一緒に喜んでくれました。せっかく引き取ったのに小間使いみたいなことしかさせてないのを気に病んでいたんでしょうね……本当に温かな人でした」

 

 

☆☆☆

 

 

――入隊後の生活についてお聞きします。女の子が軍隊生活を送るのですから、さぞ苦労が多かったのではないでしょうか?

 

「驚くこと、悲しいこと、滑稽なことばかりでしたよ! 入隊早々、私たちは髪の毛を切れと宣告されて悲鳴を上げました。私は父譲りの長い金髪が自慢で、三つ編みにしていたんですけど、それを隣の女の子……そう、あれはヘルガだわ、ヘルガに切ってもらって……私もヘルガの髪を切りました。もうみんなしくしくと泣いて……体に合わないごわごわしたカーキ色の軍服も、大きすぎる兵隊靴も気に入りませんでした。サイズが合わないから替えたいと言っても、『それしかないから体の方を服に合わせろ』と言われて」

 

「司令官からの訓示をよく覚えています。航空兵団長のカタヤイネンが女の子たちを前にして、『諸君らはこれより淑女ではなく、兵士となる。兵士として共和国の空の守りの、まさに一翼を担うことになる。これから長い軍隊生活を送るにあたり、まず女であることを捨てよ! さもなければ東方の共産主義者たちに笑われよう、「スオメンの男どもは女を戦場に送るのか」と!』 戦争なんて始まっていないのに、戦時下のようなことを言うんです。それだけの危機感があったのでしょうけど……」

 

「最初の三か月間は、歩兵と同じような初年兵教育を受けました。朝五時に起床して、点呼があって、それから走らされるんです。二十五人の女の子たちが一丸となって営庭を何周もして、へとへとになったところで朝食です。それからはまた走って、走って、教練があって……座学も射撃訓練もありました。寝るのは夜の二十一時です。あまりの(つら)さにみんな泣いていました。気の強いライラは『自分で好んで志願したんだから泣かないの!』と言って私たちを励ますんですが、そのライラ自身も泣いていて。でも、慣れてくると泣かなくなりましたね。三か月の終わり頃にはみんな一人前の兵士の顔になりました。腕も足も太くなって、肩幅も広くなって」

 

(つら)い訓練で、泣いてばかりいましたけど、でも、みんなには希望がありました。何しろ飛行士になるのですから! 夜の温習の時間にはみんなで大空への憧れを語り合いました。どんな飛行機に乗るんだろう、どんな魔竜に騎乗することになるんだろうって。一番早く単独飛行を成し遂げた子には、みんなでペンダントをプレゼントしようってことになりました」

 

 

☆☆☆

 

 

――最初の大戦、つまり一九二四年から一九二八年の大戦で、人類は航空戦力を史上初めて導入しました。その際各国で、飛行機械を用いるか、それとも魔法生物を用いるか、どちらがより有効であるかについて議論があり、大戦終結までにその結論はついに出ませんでしたが、結局貴女が一九五〇年の戦場で証明したように、最終的には魔竜が大空の覇者たる能力を示しました。現在は超大型魔竜が戦略兵器を抱いて大空を遊弋しているわけですが……あなたと魔竜との出会いについて、どうか教えてください。

 

「三ヶ月の基礎訓練期間の終わりごろでした。その頃の私たちの関心事は、もっぱら『飛行機に乗るのか、それとも魔竜に乗るのか』ということでした。先の大戦ではサクサ軍が高性能な飛行機と一流の腕前の飛行士たちで有名でしたし、ランスカとブリタンニアの両軍は魔竜と航空騎兵を駆使して戦争に勝ちました。独立間もない我が国では、当然航空隊も誕生したばかりで運用について知識も経験も少なく、ある部隊では飛行機を使ったり、他では魔竜を使ったりと、試行錯誤を繰り返していました」

 

「公にされている記録では、私たちの部隊は最初からランスカ=ブリタンニア原生種のハイブリッド魔竜を使ったと書いてありますね。実は、これには秘話があるんです」

 

「いいですか、これからお話しすることは、本当に奇妙で、あり得ないことと思われるかもしれませんが、事実です。よく聞いてください」

 

「基礎訓練が終わりとなり、いよいよその日から飛行訓練が開始されることになっていました。飛行服とウサギの皮の飛行帽と純白のマフラーを身に着けた私たちは、『ついに大空への一歩を踏み出すんだ!』と、そう意気込んで飛行場のエプロンに集合しました。ですが、壇上に立つ部隊長からの言葉は意外なものでした」

 

「部隊長は、『今日から飛行訓練の開始と言っていたな。だが、あれは嘘だ……というわけではない。軍人に二言はないからな。ただ予定が変わった。諸君らにはこれから特別な任務についてもらう』なんて言うんです。兵営に戻り、飛行服を脱いで平服になり、荷物をまとめて集合しろ、と私たちは命令されました」

 

「ライラが抗議の声を上げました。『私たちは飛行士になるために志願しました! 飛行機も魔竜も与えられずに、戻って荷物をまとめろとは、私たちはお役御免なのですか!』と彼女は叫んだんです。そんな反抗的な態度を取ったら、普段だったら徹底的にしごかれたものですが、この時ばかりは教官たちも私たちに同情的だったのか、まったくお咎めなしでした」

 

「部隊長も怒りませんでした。なんとなく申し訳なさそうな顔をして、『お役御免ではない。非常に重要な任務だ。諸君らが飛行士になるのと同じくらい、共和国に貢献することだと思え』と諭すように言うんです。私たちは駆け足で戻りました」

 

 

☆☆☆

 

 

――それはまた奇妙な命令ですね。それからどうしたのですか?

 

「私たちは平服になって、兵隊カバンを持って、営門の前に集合しました。すると白いバスがやって来ました。教官はそれに乗れと。一体何がどうなっているのか、見当もつかないままに私たちはバスに乗り、二時間ほど揺られて、ある建物に着きました。そこはどうやら以前は病院だったようで、私たちはロビーに整列しました」

 

「そしたら、白衣を着た人たちが何人もやってきました。顔つきからして、軍人ではなさそうです。年配の女性が私たちに、『昼食の後、貴女たちには簡単な検査を受けてもらいます』と言いました。久しぶりに『諸君』ではなく『貴女たち』なんて呼ばれたので、ちょっとドキッとしたのを覚えています」

 

「この検査というものが、ねえ……本当は話したくないんですけど……」

 

――気が進まないのでしたら、お話ししてくださらなくても良いのですが……

 

「いえ、やっぱり話しましょう。紛れもない事実ですし、私が話さなければ絶対に明らかにならないことですから」

 

「昼食の後、私たちは別々に個室へ呼ばれました。個室には女性の医者がいました。簡単な問診を受けて、既往歴について質問されました。それで、ああ、単なる健康診断かしら?なんて思っていると……」

 

「女医が言うんです。『マーリア、貴女は十五歳ね? こんなことを訊くのは本当に失礼なことだと思うし、私も嫌なんだけど……あなたは男の子と付き合ったことがある?』 私は、『いいえ、ないです』と答えました。そしたら続けて、『じゃあ、性行為、つまりセックスね、したことある? 恋人同士じゃなくても、セックスはしたことがあるっていう子もいるから』と言うんです。顔が真っ赤になるのが自分でも分かりました。私は、『断じてありません!』って大声で叫びましたよ。当時の世間は今ほど自由な風潮ではなかったので、未婚でかつ若い女性が性行為をするなんてとても恥ずかしいことだとされていました」

 

「女医は気の毒そうな顔をしました。『ごめんなさいね。でも、どうしても確かめないといけないことだったの。貴女の言うことは本当だと思うけど、一応調べさせてもらうわね』と言って、彼女は私の右腕にパッチを貼りました。五分ほどしてパッチは青く変色しましたが、女医は『これで確認できました、ありがとう』って」

 

「夕食の席で、みんな口々に『とんでもない質問だった』と憤慨しました。でも、こんな質問は序の口だったんです」

 

 

☆☆☆

 

 

「次の日、私たちはまた別々の個室に案内されました。かなり広いその個室は、不思議なことに窓がすべて鉄板で覆われていて、外からの光が一切入らないようになっていました。ドアも二重扉になっていて、調度品はベッドと、内線用の電話が乗った机と、椅子だけでした」

 

「一緒に部屋に入った三人の女性の係員たちは、私に言いました。『服を全部脱いで、裸になってベッドに横になってください。これは命令です』と。命令! たぶん古今東西の軍隊史上、最も変な命令だったのではないでしょうか。兵士ですから命令には絶対服従です。私は下着まで脱いで全裸になると、ベッドに横になってシーツを被りました」

 

「次に私は、ある物を渡されました。金属製の箱に厳重にしまわれていたそれは、アルミ合金のような材質で表面を覆われていて、ちょうどラグビーボールを一回り大きくしたような形をしていました。ずっしりと重いものでした。おまけにそれは、氷のように冷たいんです。渡された時、私はその冷たさに悲鳴を上げました」

 

「そして、こう言われました。『貴女にはその「ボール」を、これから毎日、食事と用便の時間以外、ずっと素肌で温めてもらいます。いいですか、絶対に離してはなりませんよ! 素肌で、貴女の「ぬくもり」で温めてもらいます。一日に三回、私たちは様子を見に来ますが、もし「ボール」を温めていないことが判ったら、貴女は命令不服従と任務放棄で軍法会議にかけられますからね!』 そんなことを言われたその時の私の気持ちが分かりますか?」

 

「どれくらいの期間かと私はききましたが、だいたい一ヶ月との答えが返ってきました。一ヶ月も、この冷たいものを抱いていないといけない! 気が遠くなりましたよ」

 

「そんなわけで、私の奇妙な任務が始まったのです」

 

 

☆☆☆

 

 

「彼女たちが出ていって、外から鍵が掛けられました。一人になると、私は部屋を見渡しました。ベッドは上等のマットレスと真っ白な絹のシーツで、一流ホテル『レヴォントゥレット』でもこんなに立派ではないだろうと思いました。でも、二重扉に蓋をされた窓と、部屋の作りはまるで監獄そのもので、そのちぐはぐさに私は戸惑いました」

 

「抱いている『ボール』は両腕を使って抱え込まないといけないほどで、しかも冷たい。だんだんお腹の皮膚の感覚がなくなってきます。母が『女の子は体を冷やしたらいけないよ』と言っていたのを思い出しました。訓練のおかげで体力と筋肉がついていたから良いものの、そうでなければ何か病気になっていたでしょう」

 

「何時間経ったのか、意識がぼんやりとして半ば眠っているような状態になっていた時、ドアが開きました。食事の時間だと言うのです。私は服を着て食堂に行きました。入ってきた人たちは検査器具のようなものを持っていました。きっと私が食事をしている間、『ボール』をチェックするのでしょう」

 

「食堂には仲間が集まっていました。みんな蒼い顔しています。みんな『ボール』を抱いていたのです。私語を禁じられていませんでしたから、この奇妙な命令について話し合いました。色んな見解が出ましたよ。ある子は、命令に従順かどうか私たちをテストしているのだと言いました。魔法学校出身のエリサベトは、魔法学の知識があったので、あのボールからは特殊な周波数の魔力波が出ていて、それを浴び続けることで人工的に魔力を増強させようとしているのだと言いました。魔法兵ではなく飛行士になろうとしている私たちに、そんな必要はまったくないはずですが」

 

 

☆☆☆

 

 

「食事をし、部屋に戻って裸になり、『ボール』を抱く。慣れというのは恐ろしいもので、最初の三日間は地獄のような苦しみでしたが、一週間もするとどうということもなくなってきました。退屈だから本が読みたいと言うと、『ボール』を抱き続けるのならばという条件付きでしたが、何冊も差し入れてくれました」

 

「それに、なんだかだんだん『ボール』に愛着が湧き始めたんです。最初は単なる金属の塊だと思っていましたが、素肌で抱いているうちに、これは自分にとってとても愛おしいもので、欠くことのできない存在だと思い込むようになっていました。私だけに特有の心情ではありません。みんなも次第に『ボール』のことを『うちの子』と言い始めました。変だと思うでしょう? でも、あなたも私たちと同じ状況に置かれたら、絶対に同じ気持ちになると思いますよ」

 

「私は読んでいる本を音読し始めました。『うちの子』に読み聞かせをしてあげるんだと……そのことを仲間たちに話したら、みんな真似をし始めました。ただの鉄の塊に読み聞かせをするんです。異常な環境に長い間置かれたせいで、少し気が変になっていたのかもしれません」

 

「三週間が経った、ある日のことでした。食事から帰ってきて、『うちの子』に触れた時、私は初めて『ぬくもり』を感じたんです。氷のように冷たかったボールが、いつの間にか熱を持つようになっていたんです。何か異変があった時は内線を使って係員を呼び出せと言われていたので、私はボールを抱いたまま受話器を取りました。返答は、『問題なし。任務を継続せよ』でした」

 

「それから数日後、深夜のことでした。私は聞いたことのない音に眠りから覚まされました。コンコンとか、カリカリとかいう、叩くような引っかくような金属音がするんです。それは『うちの子』の中からしていました」

 

「その時、私の脳裏にある考えが閃きました。これは、金属の塊ではなく、何かの卵なのではないかと。仲間たちも、『うちの子』が音を立て始めたと言うんです。ただ、さっき言ったあのエリサベトは、『金属の殻をした卵を産む魔法生物はいない』と言います。でも、私にはどうしても、この『ボール』が何らかの生命を宿しているような気がしてなりませんでした。それからは読み聞かせだけではなく、話しかけるようにもなりました。『早く生まれて来てね』って。何が生まれてくるのか見当もつきませんでしたが、これだけ苦労したんですから、生まれてくるものが邪悪な存在なわけはないという、一種の願望を抱いていました」

 

 

☆☆☆

 

 

――それで、どうなったのですか?

 

「運命の瞬間は、『うちの子』を抱き始めてちょうど一ヶ月と二週間が経った深夜でした。夢の中で、私は真っ赤に熱された大岩を抱いているんです。熱くて熱くて、火傷の痕が残ったらどうしようと思っていると、目が覚めました」

 

「すると、なんと抱きかかえている『うちの子』が、夢で見た大岩のように熱くなっているんです。あまりの熱さに、私はその時初めて『うちの子』を手放してしまいました。しゅうしゅうと音を立てて、『うちの子』は膨大な熱を発散しています。明らかに異常事態ですが、内線を掛けることも忘れて、私は魅入られたようにそれを見ていました」

 

「何分経ったのか、それとも数秒だったのか、『うちの子』の表面にひびが入りました。割れ目から白く鋭い爪が見えています。中から何かが生まれ出ようとしてるんです」

 

「私は思わず、『頑張れ!』と叫びました。声に応えたのか、ひびはどんどん大きくなります」

 

「そして、ついに、『うちの子』が完全に割れました。中から出て来たのは、粘液にまみれた、魔竜の雛でした。図鑑で見たのとそっくり同じでした。魔竜の雛は黒くて、柔らかそうな鱗を纏っていて、緑色の大きな瞳をクリクリと動かしているんです」

 

「雛は、私をじっと見つめています。私は、手を伸ばしました。すると雛は、シーツの上をズルズルと一生懸命這いずって、私に向かってきました。私は、ごく自然に、そうするのが当たり前のように、そっとその子を抱き上げました」

 

「私に抱かれた雛は、満足気に鳴き声を上げました。それが産声でした。ちょっと金属質で耳障りで、部屋の外にも聞こえるくらいの声量でしたけど」

 

「私は、その子を抱っこしたまま内線を掛けました。ただ一言、『無事に産まれました』と私は告げました……」

 

 

☆☆☆

 

 

――それはなんとも、奇妙な体験でしたね。つまり、貴女たちは魔竜の卵をずっと抱卵していたということなんですね?

 

「その通りです。私たちが命じられたのは、自分たちが将来乗りこなすことになる魔竜を、自分自身で孵化させることだったのです」

 

「数日後、雛を抱いて私たちは集合しました。部隊長は笑って『おめでとう、お母さんたち!』と言いました。それで、ようやく詳しい事情が説明されました。本来ならば、私たちがこのような任務につく予定はなかったのです。雛たちはランスカで開発された人造魔竜で、金属製のカプセルに受精卵と魔法薬を注入することで『生産』される品種でした。専用の孵卵器も我が国は輸入していたのですが、なんと海路での輸送中に事故があって、卵はすでに届いているのに孵卵器は届かないという事態になっていたんです」

 

「調達計画に遅れを生じさせるわけにはいきません。なにせ巨費を投じているのですから。でも、代わりの孵卵器が届くのには一年かかる。それでは間に合わない。そこで考案されたのが、昔ながらの方法の応用でした」

 

「ランスカやブリタンニアでは古くから、魔竜の卵は火山の熱か、清らかな処女の素肌の『ぬくもり』によって孵ると言われていました。そのことは先の大戦中、学術的にも立証されていたそうで、『それならうちの「女の子」たちを使おう!』という話になったようです」

 

「軍事機密だったとはいえ、私たちになんらの説明もなくあのような大変な任務を命じたのは、今でもあんまりと言えばあんまりだったと思っています。私たちの将来のパートナーになり、また我が子のように可愛がる存在を、私たち自身のぬくもりで孵すのだと事前に告げられていたなら、私たちだってどんなにか任務に精励したことでしょう」

 

「雛はよく懐きました。どんどん大きくなってしまって、抱っこできたのは産まれてから二週間まででしたけど……私はその子にタハティと名付けました」

 

「本当に、タハティは良い子でした。私の自慢の息子でした。最期の時も一緒だったんです。停戦の前日に赤軍の高射砲がタハティに直撃して……心臓を貫かれたんです。それでもタハティは私のために、ゆっくりと空から地上に降りました。私を傷つけまいとしたんです。最後の最後まで、タハティは私のぬくもりを欲していました。本当に甘えん坊な子だったんです……」




※以下、作品メモとなりますので、興味のない方はここで読むのを終えられるか、もしくはお手数ですが後書きを非表示に設定してください。

らいん・とほたー「そしてタハティが産まれた」作品メモ

 2019年1月12日公開。

 前から試してみようと思っていたインタビュー形式に挑戦。いかがだったでしょうか? 9500字を、募集要項の上限8000字に縮約するのは大変でした。

 賢明な読者諸氏にはもうお分かりでしょうが、この作品の舞台のモデルはフィンランドです。最初はポーランドを想定していましたが、「なんか前にも書いたな……」という理由で変更しました。

 タハティとはフィンランド語で「星」を意味するそうです。フィンランド語の教科書買おうかなぁ……

 次回もお楽しみに。

※加筆修正しました。(2023/06/27/火)

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