クヌートとダグマイトの交渉は、その後数時間程で終わった。
……数時間も、と表現すべきだと思うのは、俺の気のせいか?
何しろ、クヌートとダグマイトでは、目指す場所が大きく違う。
クヌートとしては、ジャロウデク王国が謝罪も何もなしに友好関係を築こうなどと考えているのは絶対に受け入れられないし、ダグマイトはジャロウデク王国の名誉の為にもテレスターレの襲撃をしたというのを認める訳にはいかない。
結果として、双方共に相手に無理な条件を希望していたのだろう。
もっとも、多分今日の交渉はあくまでも顔合わせであり、相手が何を目的としているのかを調べるという一面が大きい。
だとすると、明日からの交渉が本番なのだろう。
ともあれ、初日の交渉が終わったという事で、今はジャロウデク王国の使節団に対する歓迎パーティが行われていた。
今日急に開かれる事になったパーティなので、料理のランクとかそういうのは若干劣るが、それでも体裁を整える事には成功していた。
そんなパーティではあるが、当然のようにこのパーティの間も、クヌートやダグマイトは色々とやり取りをしている。
とはいえ、俺にはそんな事は関係ないので、普通にパーティを楽しんでいたのだが。
「少しいいかしら?」
と、料理を食べていた俺にそんな声が掛けられる。
ある予感を抱きながら声のした方に視線を向けると、そこにいたのは俺が予想した通りの人物だった。
ダグマイトと一緒にやって来た、ジャロウデク王国の使節団の1人。
紫……いや、青紫の髪をショートカットにした、出来る女といった印象を持つ女だ。
そして、ダグマイトとの会話で俺が疑問を抱いた相手。
今回のジャロウデク王国の中では、ダグマイトが一番上の立場の筈なのだが、そのダグマイトが一瞬だけだったが何故かこの女には丁寧な言葉遣いをした。
また、ダグマイトの護衛としてやって来た騎士達も、ダグマイトよりもこの女の護衛を優先しているように見えた。
その辺りの事情から考えると、恐らくこの女はダグマイトよりも上位の存在なのだろう。
ダグマイトの爵位は、貴族の中でも最上位に位置する公爵。
そんな公爵よりも上の存在として考えられるのは、それこそ王族くらいしかない。
だが……王族が何をしに敵国とまでは言わないが、決して関係が友好的ではないフレメヴィーラ王国にまでやって来たんだ?
「構わない。何か用か?」
ピクリ、と。
女が俺の言葉遣いに、一瞬だけ眉を顰める。
王族――あくまでも俺の予想だが――の自分にそんな口を利くとは思わなかったのだろう。
だが、自分が王族である事を隠してここにいる以上、それを咎めるのは不味いと思ったのか、その件については何も言わない。
「ええ。少し話をしたいと思って」
「護衛の俺とか? また、随分と物好きな。ジャロウデク王国からやって来たんなら、それこそ護衛の俺じゃなくて、他の貴族と話したりした方がいいと思うんだが?」
「ただの護衛とは思えないから、こうして話してるのよ。それで、どう? 少し話してみない?」
「……まぁ、俺は別に構わないけど」
「そう。じゃあ、まず最初に聞くけど……貴方はどこの生まれ?」
まさか、いきなり直球で来るとは思わなかった。
この女にしても、俺がこの世界の……いや、この国の人間ではないというのは、目星をつけた上で話し掛けてきたのだろう。
「さて、どこだろうな。色々な場所を移動してきたからな。それを思えば、どこで生まれたのかは分からないな」
「そう。……なら、ジャロウデク王国に来るつもりはない?」
「まさか、ここでいきなりそんな事を言われるとは思わなかったな。ただ、何だって急にそんな事を言ってきたんだ? 俺とはこれが……正確には、あの交渉の時が初対面だったと思うが」
「そうね。でも、一目見れば貴方が相当の使い手だというのは分かるわ」
その言葉に、少しだけ驚く。
例えば、これが騎士のようにある程度の実力がある者であれば、俺の実力を多少は見抜いてもおかしくはない。
だが、この女は見るからに戦闘に関しては素人だ。
いや、多少の護身術くらいは使えるかもしれないが、結局はそれだけでしかない。
だというのに、俺の実力を見て引き抜こうとするというのは……人を見る目はあると、そう思った方がいいのだろう。
「買って貰って悪いが、今のところはフレメヴィーラ王国から離れるつもりはないな。特に銅牙騎士団には、俺のテレスターレまで奪われそうになったから、ジャロウデク王国に対して思うところは結構あるし」
「……そう。残念ね」
「ん? 否定しないのか? あれがジャロウデク王国の仕業じゃなかったって」
「それを言っても、意味はないのでしょう? 信じてくれるのなら言ってもいいけど」
なるほど。この女も自分達の言葉が信じて貰えるとは思っていないのだろう。
とはいえ、それはあくまでもこの場での話であって、公の場では当然のようにジャロウデク王国の介入を否定はするのだろうが。
その辺は、TPO……いや、ちょっとニュアンスが違うか? ともあれ、そんな感じだろう。
「さて、どうだろうな。……真実を知ってる者がいるかどうかで、その辺は変わってくると思うが」
「そう。……フレメヴィーラ王国は、貴方のような人を手に入れることが出来て、幸せだったわね」
そう言い、女は俺の前から立ち去る。
あ、そう言えばあの女の名前を聞いてなかったな。
もっとも、名前を聞いたところで返ってきたのは多分偽名だろうが。
後でジャロウデク王国の王族にどんな奴がいるのか、調べておいた方がいいかもしれないな。
俺が気が付いてるんだから、クヌートも分かっていてもおかしくはないが。
そんな風に思っていると……
「ふざけるな、この魔獣番如きが!」
と、不意にパーティ会場の中にそんな叫び声が響く。
何だ? と思って視線を向けると、そこではジャロウデク王国の騎士がフレメヴィーラ王国の騎士と睨み合っている。
「ふざけるなというのは、こちらの台詞だ! 私達がここでボキューズ大森海から出て来る魔獣の侵攻を防いでいるから、そちらには魔獣の被害が及んでいないのだ。だというのに、それに感謝をせず……それどころか、自分達では開発出来ない技術を奪おうと襲撃を仕掛けるとは、恥という言葉を知らないのか?」
あー……うん。なるほど。何となく言い争っている理由は分かった。分かったのだが……これは大きな問題だな。
魔獣番という言葉を騎士が口にした瞬間、パーティ会場にいるフレメヴィーラ王国関係者の視線が厳しくなった。
どうやら、魔獣番という言葉はフレメヴィーラ王国の人間にとっては、かなり侮辱的な発言になるらしい。
もっとも、その理由は分かる。
魔獣番というのは、その名の通り魔獣に対する役目だけしか期待されておらず、それこそ国としては認めていないと、そんな風に思われている言い草なのだから。
……取りあえず、友好関係を結びに来た国が口にする言葉じゃないな。
それどころか、敵対する為にやって来たと言われてもおかしくはない。
ジャロウデク王国側も、友好関係を結ぶ為にやって来たのなら、何だってこんな奴を連れて来たのやら。
ともあれ、双方共にかなりヒートアップしており、その会話は周辺にいる者達……どころか、パーティに参加している大勢の耳に聞こえていた。
うーん、これは……ジャロウデク王国がフレメヴィーラ王国との間に友好関係を結ぶなり、そこまでいかなくてもあのチラシの内容は嘘だったといった風に言わせたかったのかもしれないが、かなり難しくなったな。
今の一件で、フレメヴィーラ王国側のただでさえ高くなかったジャロウデク王国への友好度は更に下がっただろうし。
周囲にいる者達も、そんなやり取りを眺めながらざわめく。
これに困った様子を見せたのは、ジャロウデク王国の面々だろう。
パーティに参加していた数人のジャロウデク王国の者達が……ダグマイトや、先程俺に話し掛けてきた女も含めて、慌ててその騎士の下に向かう。
だが、フレメヴィーラ王国の騎士と言い争いをしていた騎士は、とてもではないがそんな周囲の様子に気が付かず、言葉を続ける。
「貴様ら魔獣番如きが新技術だと? そのような物を開発したら、世界の父の正当なる後継者たるジャロウデク王国に献上するのが当然だろう!」
あー……うん。これもまた致命的だな。
フレメヴィーラ王国にとっては許せないらしい魔獣番という言葉を口にし、更には献上という言葉をも口にした。
献上というのは、自分よりも身分が上の者に対して何かを差し出す事だ。
つまり、あの騎士はジャロウデク王国がフレメヴィーラ王国よりも上の存在だと、そう公言しているのだ。
ジャロウデク王国の騎士の言葉に、周囲にいたフレメヴィーラ王国の面々は急速に険悪な表情になっていく。
当然だろう。
元々、ジャロウデク王国に所属する銅牙騎士団によって、フレメヴィーラ王国は大きな被害を受けた。
にも関わらず、図々しくも友好を求めて来たかと思えば、この台詞だ。
ぶっちゃけた話、この一件でフレメヴィーラ王国とジャロウデク王国が友好的な関係を結ぶのは、かなり難しくなっただろう。
元々難易度が高かった状態から、更に難しくなったのだ。
それは実質的に不可能になった……そう表現しても間違いではないだろう。
「馬鹿者が!」
と、不意にパーティ会場に響き渡る怒声。
誰がその声を発したのかと視線を向けると、そこには怒りで顔を真っ赤に染めたダグマイトの姿があった。
うん、まぁ……だろうな。
ダグマイトにしてみれば、この騎士の言動は自分の足を引っ張る以外のなにものでもない。
勿論、ダグマイトもジャロウデク王国の行為を認めるような真似はしていなかったが、魔獣番といった言葉を口にするような迂闊な真似はしなかった。
周辺諸国との戦争は、今は膠着状態とはいえ、それでも交戦状態であるのは間違いない。
そんな中、ただでさえ貴重な飛空船に乗って、遠く離れたフレメヴィーラ王国までやって来たのだ。
勿論、地上を馬車で移動するよりは圧倒的に速いが、それでも飛行船の速度そのものはミロンガ改に比べればどうしても遅い。
そうしてやって来て、交渉が始まったばかりのその日の夜……曲がりなりにも自分達を歓迎する為のパーティの中で、そのホストに向かって侮辱的な言葉を口にしたのだ。
今回の一件で、ただでさえ低かったジャロウデク王国に対する好感度はゼロになったどころか、マイナスになってしまっただろう。
それを思えば、ダグマイトにとって……いや、この交渉の本当の意味で向こうの責任者だろう、あの女にしても、騎士の態度は到底許せるものではない。
「ダグマイト公爵!? ですが……世界の父の正当なる後継者たる我が国が、何故このような者達に媚びへつらう必要があるのですか!」
「黙れ!」
その言葉と共に、ダグマイトは持っていた長剣を振るう。
……それでも長剣が鞘に収まったままで、斬るといった真似をしなかったのは、ここがパーティ会場だからだろう。
もしここがパーティ会場でも何でもない場所だった場合、恐らくは即座に殺されていてもおかしくはなかったと思う。
「皆様、どうやらうちの騎士が酔っ払ってしまい、思ってもないことを口にしてしまったようです。申し訳ありません」
荒い息を吐いているダグマイトに変わって、先程の女が前に出てそう告げる。
この辺、上手いよな。
これでダグマイトのような人物なら、それこそ不満を露わにして攻められてもおかしくはなかったが、その相手が女……それも美人となれば、そう簡単に責めるような真似は出来ない。
とはいえ、これで一段落しても、交渉が難しくなったのは間違いない訳だが……さて、どうするんだろうな。
結局この日のパーティは、この一件の為に終わってしまう。
ジャロウデク王国の面々は、それぞれがこのままでは不味いと判断したのか、色々と言っていたが……さて、どうなるんだろう。
総合的に見て、このパーティは失敗だったと、そう判断してもおかしくはない。
「で、この後はどうなると思う?」
「……そう言われてもな。正直なところ、分かりかねる。ただし、ジャロウデク王国の要求を呑むというのは、こちらとしても難しくなるだろう。その辺は、アクセル殿も分かっているのではないか?」
パーティ終了後、俺はクヌートの部屋で言葉を交わす。
クヌートの方も、どうやら俺と同じ予想をしていたらしい。
……まぁ、公爵という立場で今まで貴族社会を渡り歩いてきたのだから、現状を考えれば予想をするのは難しい話ではないのだろう。
「そうだな。だが……そうなると、これからフレメヴィーラ王国はどう行動した方がいいと、アクセル殿は思う?」
「向こうが謝ってこない以上、友好関係を築くのは無理だ。そうなるとよくて物別れ、最悪の場合は、ジャロウデク王国と戦争になる……といったところだろうな」
俺の言葉に、クヌートは苦い表情で頷くのだった。