藤丸立香の時計塔生活 作:佑々
2015年の時計塔をモデルにした話です。
あたたかい春の朝日に目を細めながら街を歩く。
寒さが消え、夏の暑さへと変わる少しの心地よい気温を楽しんだ。ついこの間まで暑い地域にいたため、寒さに弱くなっているんじゃないかと用意していた上着は必要なかったみたいだ。
「ここからロクスロートっと……やっぱり、最弱の考古学科っぽいわね。街並みに嫌味がない」
レンガと石造りのストリート。
十二世紀の街並みが残る現代と近代が入り交じった街。
40を超える学生寮と100を超える学術棟と、そこに住む人々をうるおす商業で成り立つ街。敬意と畏れを込めて時計塔と呼ばれるこの街に私は訪れていた。
きっかけはひとつの手紙だ。
どうやって私に届けたのかは知らないけど、興味深い内容の手紙が送られてきたのだ。
『養子を取りました』
要約するとこういう内容の手紙だ。魔術師が養子を取ること自体はよくある事だが、問題はその送り主だ。
ミスター・フラウロス。
私が知る中でもトップレベルで養子を取ることが似合わない人だ。
弟子も取らず、子供も作らず。深く関わっている人は彼の秘書であるノーリッジぐらい。最近、ロード・エルメロイII世とも仲がいいとも聞くがそれぐらいだった。
「おっと、ここだここだ。ミスター・フラウロスの研究棟。相変わらず手入れが行き届いたいい庭ね」
目的地に到着し、鉄柵の向こう、豊かな庭園にそびえ立つ建物を観察する。彼が取った養子は確か元々一般人の日本人だったはずだ。これだけ大きい建物で暮らすとなると落ち着かないだろう。少し同情してしまう。
ふと、ある変化に気づいた。
いつも門にかけられている"来客は月末までお断り"の立て札がない。
「ふーん」
あのミスター・フラウロスをここまで変えるとはどんな子なのかしらと気になってしまうが、まあ、縁があれば会うこともあるでしょうと思い直し、私は咳払いとともに眼鏡をかけ直して、レディらしく優雅に呼び鈴のベルを鳴らした。
──────
正午も近くなってきた研究室。
山のような計測器具と山のような研究資料の中で、レフ・ラヴァルは今日も過去を紐解いていた。
まるで何千ヘクタールもの白紙のパズルをするような研究の中でカチャリと何かがハマった事を確信し、背もたれに寄りかかった。
最近、どうにも調子がいい。この調子ならボクの研究は数年、いや、数十年短縮できるだろうという確信があった。
魔術のおかげで未だ熱いコーヒーを1口飲むと、研究資料とは別口においてあった紙に手を伸ばした。
「まったく、フラウロスのやつもたまにはいい事するじゃないか」
最近の好調の理由はわかっていた。藤丸立香、最近養子となった少年だ。
彼が来てからどうにも調子がいい。彼が知っている知識はあまりレフ・ラヴァルの研究にはあまり役に立たないが、彼との関わりの中で、気づくためにもう少しかかると計算していた箇所がわかるようになっていた。
その紙に書かれているのは、工房の設計図だ。本当は人に見せるものではないが、彼のものは見ても問題ない。彼の工房はただひたすらに縁を強調するものという普通の魔術師では思いつきもしないほどに異質なもの。その実態は強化の魔術の応用で少し勉強すれば誰でも作り出せる簡単なものだ。だが、彼の場合は違う。彼は英霊たちにとって愛すべき人であり、守るべき民であり、共に立つ勇士であり、語り合う友なのだ。故に彼の縁は人類史を結ぶ。1度足を踏み入れたがあそこは別だ。工房──とは言えないだろうが、あそこほど安全で危険な場所などあるまい。
どこで知り合ったのか根源とすら縁を結ぶ彼は、ある意味で1番魔法使いに近いのかもしれない。だが、彼はそれを望まないだろう。望めば変われるがそれを望まない、それによって自分が変わってもあの輝きに届かないと知っているが故に。
『お忙しいところ失礼します館長。今、よろしいでしょうか』
「いい、実にタイミングがいいよノーリッジ君!ちょうど5分の休憩に入っていたところなのだ。残り132秒で語りたまえ」
『はあ、館長が休憩ですか。では、館長によくわからないお客様がいらっしゃってまして、いつも通り追い返す感じでよろしいでしょうか?』
「うーむ、アポなしで来るなんて無礼な知り合いなんていないはずだが、一応聞いておこう。名前は?」
『ミス・アオザキと名乗っていますが、聞いたこともありませんしどこぞの馬の骨でしょう。いつも通り、さっそくたたき出します』
「───よし待ってくれ、すぐ行く!ロビー、いや、館長室に通してあげて!直ぐに着替えて駆けつけるから!」
『いえ、もう立香様の部屋へとふらふらと行ってしまいました。そちらに向かってください』
レフは慌ただしく隣室に駆け込むと何故か数日前に使ったスーツを羽織り、ボサボサの頭をブラシで軽く整えると、大きく深呼吸をして少し遠い藤丸立香の工房へと駆け出した。
やはり、彼が来てからどうにも運がいい。わたしの唯一の理解者である彼女とまた会えるとは、封印指定されてからもう会えないものと残念に思っていたがと、喜びの思いが溢れ出していた。
「失礼!数年ぶりだなミス・アオザキ!腕は鈍ってないかい?いや、君ほどの存在が腕を鈍らせるはずもないか!」
と、ノックもそぞろに藤丸立香の工房の扉を開けた。
縁によって変化した部屋の中には、テーブルに座り本を読んでいる女が1人、レフが来たことを確認するとにこりと笑いかけた。
「こんにちは、お久しぶりね背高さん。今更だけど館長就任おめでとう。それといきなりだけど路銀がつきたんでお金貸してくれないかしら」
「ああ、いいとも!何千万かそうか!?」
─────
「そこまですぐ了承されるとは思ってもいなかったわ」
そう言ってミス・アオザキは読んでいた本を閉じた。緋色の研究、その初版。シャーロック・ホームズファンからは15万ドルという高値で取引されるだろう貴重な本だ。
「それにしてもあなたのお子さん。なかなかにセンスがあるわね。これ、緋色の研究の初版よ。私でも手に入らないのに。こういうものを持っているなんて、本物のシャーロック・ホームズか、アーサー・コナン・ドイルと会ったのかしら」
「ああ、多分会ったんだろうさ。あいつは縁だけは凄いからな。魔術師としては未熟者だが、縁が強すぎて一回の人生じゃ死にきれないほどなんだ」
「あら、転生者なの。珍しいわね。ああ、なるほど、あなたが養子を取るなんてと疑問に思っていたけど……あなたも彼の前世と深く関わっていたのね」
レフ・ラヴァルは押し殺すように笑い、いたずらっ子の笑みを浮かべて言った。
「ああ、あいつはボクを殺したんだ。面白いだろう?この世界のボクではないとはいえ、自分を殺した相手を養子にするなんていかにも魔術師的だとは思わないか?」
何故そんなことを知っているのか、何故殺された相手を養子にするのか、本来なら驚き、信じられないようなことだがミス・アオザキは気にしなかったようだ。
「確かに魔術師らしいわね。でも意外だわ。あなたが魔術師らしさとか気にするなんて」
「確かに以前のボクは魔術師らしさなんて考えてもいなかった。それは、ボクがあまりにも魔術師らしい精神をしていたからだ。海に淡水を入れたって何か変わる訳でもないだろう?だが、あいつと出会ってボクは変わった。普通の魔術師と同じくらい人らしい感情を得ることができたんだ。それがボクに足りなかったもの、ボクの研究を進めるための最後のピースなのさ」
へぇと微笑んでいたミス・アオザキの顔にレフ・ラヴァルはドキリとする。その感情を考察しようとして───それは中断されることになった。
ミス・アオザキが立ち上がる。時計をちらりと見た様子からもうそろそろ仕事の約束があるのがわかった。それ故にレフ・ラヴァルは止めることをせずただ彼女を見送ることにした。
「さて、そろそろ帰るわ。ああ、路銀がつきたっていうのは嘘、今日はちょっと仕事でね、偶然近くを通ったから顔を出しただけなの。だからお金も必要ないわ。まあ、あなたと話すことができて良かったよ。いい時間だったわ」
「ボクも有意義な時間を過ごせたよ。ああ、そういえば、確か君はかつてボクに、この研究を後に託さないのは子孫が信頼できないからじゃなくて、単にそれが楽しくて、独り占めしたいからだと言ったよね。今のボクならその意味がわかる。後を託す人を作ったとしてもボクはこの研究を1人で終わらせる気持ちに変わりはない。ボクは自分勝手な魔術師で、それでいいと思えるんだ」
「あら、それは違うわ。今、あなたがそれを1人で終わらせたいのはそれが楽しいからだけじゃなくて、彼にとってあなたの研究が負担になるとわかっているから。ふふふ、親の鏡ね」
そう言って、その視界の片隅に映ったどこかで見たことのある高級和菓子店の箱に思い出を想起させながらミス・アオザキは立ち去っていった。
─────
淡い正午の日差しを感じながら街を歩く。
案外肌寒い、つい最近まで北国に居たため暑さになれてないかしらと持ってきた半袖を着てこなくてよかった。長袖のシャツはしっかりと寒さを防いでいてくれた。
「んー!落ち着いてここらを歩くのも久しぶりね」
この街に来るのはいつぶりだろうか。確かこの前、封印指定執行部を半壊させた以来のはずだ。
ロクスロートの街は好きだ。雰囲気がいいし、何より誰かに襲われる心配がない。時計塔に在籍した時間がない私にとって、時計塔の縄張り争いに巻き込まれることなど時間の無駄でしかないので、そういう心配がないのはなかなか好印象だ。とはいえ、ここは魑魅魍魎が集まる時計塔の一角に変わりはなく、用がなければ来ることなどない。
きっかけはひとつの手紙だ。
隠れていた場所のポストにいつの間にか入っていたそれは、私をここに呼び寄せるのに十分な力があった。魔術的な意味ではない。私の興味を引くのに十分な内容だったというだけだ。
『養子を取りました』
要約するとそういう内容の手紙だ。最初読んだ時は大笑いしたものだ。時計塔の魔術師なら養子を取ることなんて珍しくもない。だが、その手紙の送り主は私が知っている魔術師の中でトップレベルに養子、いや、実子でさえも似合わない男だった。
「おっとここだここだ。ミスター・フラウロスの研究棟。あらま、予想より大きい。よっぽど羽振りの良いパトロンを捕まえたのね彼」
高い鉄柵の奥にあるのは敷地にして二百坪ほどもある大きな屋敷だ。日本の、それも庶民の出である私にとってはちょっとした城のようなものだ。
「ほーんと、こんな屋敷で暮らせるなんて羨ましいんだから。まっ、それで自由を失ったら意味ないけど」
養子となった子が少し羨ましい。確か、藤丸立香だったか。日本中を旅してきた中でそういった魔術師の家系は聞いたことがない。
「まっ、会ってみればわかるか」
軽い動きで鉄柵を乗り越える。確か彼には秘書がいたはずだ。その子に聞いて藤丸くんの部屋に行くとしよう。
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ライノール・グシオンは今日も今日とて自分の思うがままに時間を消費し、勝利の口笛を吹きながら帰ってきた。
最近どうにも運がいい。今日の獲物も予想以上に未来の役に立ちそうなものだった。いや、もしかしたら自分が変わったのかもしれないと笑う。かつて価値を見いだせなかったところに今では価値を見いだすことができる、ただそれだけのことなのかもしれない。だが、その真相に興味はなかった。幸福感が増えただけだ。
今後の予定と必要な魔術礼装はもうノーリッジに伝えてある。これで心置きなく眠ることができた。
───最近、ライノール・グシオンは自分の研究が進んでいると感じるようになった。そろそろ自分では手詰まりだと思っていたので少し意外だった。ただ、理由はわかっている。藤丸立香。最近、養子になった男であった。魔術に関しては平凡以下で、武術は少し様子がおかしいが、まあ、天才と呼ばれるような人々には勝てないものだ。それでも彼との会話は有意義であった。彼の知識は何かライノール・グシオンの役に立つものではないが、友人の話はなかなかに興味深かった。
突然バタンとドアが開けられてライノール・グシオンは目が覚めた。
「睡眠中のところ失礼します。屋敷に侵入者が現れました」
寝ぼけ眼で、機嫌悪そうに続けてとだけ彼は呟いた。
促されるままにノーリッジが続ける。いきなり赤い長髪の女が侵入してきたこと。自分から無理やり立香様の部屋を聞き出したこと。未だその部屋にいること。館長を呼ぶように言ってきたこと。そしてミス・アオザキと名乗ったこと。
ノーリッジの話を聞くごとに眠気が覚め、頭に血が回り、少しの興奮と淡い期待から頬が赤くなるように感じる。
夢か、と未だ信じることができずに1度頬を叩く。鈍い痛みがたしかにここが現実だと教えてくれた。ここまで嬉しくなるとは俺はもしかしてあいつに恋しているのかもしれないという冗談まで浮かんできた。
「ノーリッジ!あいつにお前の地獄のように甘いパイを馳走してやれ!俺はすぐ立香の部屋に向かう!」
「天国のように甘いパイですね。わかりました」
髪だけ整え、部屋を出る。着替えている時間などない。なにしろ蝶のようにフワフワして自由な女だ。行くまでの間に消えていたとしても不思議ではない──!
身分のある男だとは思えないほど大きな音を立てながら階段を駆け下りる。
やはり運がよくなっている。話も合い、身体も良くて美人な女が向こうから会いに来てくれる……つまりそれはそういうことだよなと期待しながら───
「よう!数年ぶりだ、相変わらずロックでいるかミス・アオザキ!いや、見なくてもわかる、前より一段とロックになっていると決まっている!ともあれようこそロクスロートへ!俺に会いに来たということはこれはチャンスだと自惚れていいのかい!?」
ライノールはノックもせずに扉を開けた。
不思議と居心地のいい藤丸立香の工房では、特徴的な赤い髪をした女がどこか傷ついた2つの人形を肘置きにして、ベットに寝転んで本を読んでいる。
ドアの開く音に気がついた女は布団から立ちあがりながらライノールに笑いかけた。
「ハイ、お邪魔しているわ館長サン。いきなりだけど路銀がつきたんでお金貸してくれない?」
「いいぜ!何千万貸そうか!」
─────
「あー、さっきの路銀の話なんだけどやっぱり要らないわ。あなたに借りを作ったらなんか色々まずそうだし」
他愛ない話の後、ノーリッジが持ってきた甘いパイを食べ終えたミス・アオザキはそう言った。それを聞いたライノール・グシオンは露骨に残念そうな顔をする。
「ちぇっ、なんだ借金の肩代わりに的なことを期待していたんだが。まあ、いいか。それでお前を落としたところでなんとなく嫌な気持ちが残るからな」
やっぱりそういう下心があったのねとミス・アオザキは苦笑する。彼女にとって予想していた下品なものではあったが、本人が目の前にいるのにそういう話を口に出すことはなんとなく好ましかった。
「それにしてもいい部屋じゃない。防衛機能もなかなかいいし、貴重なものが色々あるわ。さっき面白い本を読めたわ」
「へえ、なんの本だ?」
「邪悪教典。姉貴への嫌がらせに使えそうなことがたくさん載ってたわ」
邪悪教典。
犯罪界のナポレオンと呼ばれるジェームズ・モリアーティが書いた合法、非合法問わず全ての犯罪の方法とその対処法が載った本である。本来なら見ただけで人に悪の心を芽生えさせそうなものだが、ミス・アオザキは自らの姉への嫌がらせにしか使う気はないようであった。
「さてと、そろそろ貴方のお子さんも帰ってきそうだし帰るわ。偶然ならともかくこういうふうに会うのはなんかちょっと違う気がするからね」
そう言ってミス・アオザキは立ち上がった。いい大人にも関わらずライノール・グシオンが子犬のような目で別れを惜しむが、まだラストチャンスじゃないんだからいいじゃないと笑う彼女を見て、しょうがないかと納得したようだ。
「ああ、そうだ。ミス・アオザキ、君はかつてオレにオレが過去を嫌うのは事実を知ることで変わってしまうものがあると知っているからと言ったな。確かにそうだ。だが最近は変わってもいいと思えるようになってきたんだ。事実を知ることによる変化は何も悪い方向だけじゃないそう知ったんだ」
「───そう。ふふ、その影響かしら。貴方、昔より何倍も魅力的になった気がするわ」
そう言って、いつか会うだろうこの男を変えた少年に期待しながらミス・アオザキは立ち去っていった。
次回も番外編でエレちゃんENDです。