りびんぐでっど→どぉるず   作:野良野兎

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旅立ちの予感

 

 快晴。

 頭上には雲一つない澄み切った青空が広がり、温かな日射しを受けながら、赤い三角屋根の上で風見鶏がくるくると踊っている。それに見守られる市場は人々の喧騒に包まれ、行き交う大人たちの隙間を子どもたちが笑いながら駆け抜けていった。

 そんな平和な、何の変哲もない平凡な風景の中にあって、ひときわ人目を惹く一人の少女の姿があった。

 長い銀髪を赤いリボンで二つに纏め、黒を基調とした飾り気の少ない、袖口が花弁のように開いたドレスを着たその少女は、眺めていた露店の主から小さな籠を受け取ると木漏れ日のような優しい笑みを浮かべてみせる。

 受け取った籠の中には瑞々しい、色とりどりの野菜が詰め込まれ、それを渡した店主――畑仕事で鍛えられた筋肉が厳めしい大男である――はその白い歯をきらりと輝かせながら、力強く親指を立てた。

 

「いつもありがとうございます。今回も素晴らしい出来栄えですね」

 

「おうともさ。そりゃあお前、お嬢ちゃんみてぇな別嬪さんに貰われるってなりゃあ、うちの野菜どもも気合が入るってもんよ」

 

「ふふ、また来週もお願いしますね」

 

 頬に手を当て、褐色の頬にほんのりと赤みを差しながら少女は一礼し、豪快な笑い声とともに手を振る店主に見送られながら市場を後にする。

 そうして市場を抜け、街の大通りを進みながら少女の背後、市場から彼女の後ろに控えていた大柄な男がこれ見よがしに溜息を吐いた。

 

「随分と、器用なやつだ」

 

 男の言葉(皮肉)に、少女は笑う。

 しかし美しい(かんばせ)に浮かんだそれは先程のような、見る者を魅了し、蕩けさせるようなそれではなく、犬歯をぎらつかせた獣のようなものであった。

 

「世渡り上手と言ってほしいね。俺様は品物を安く手に入れ、相手は俺様のような美しい女の微笑みを見て心を満たす。誰も損をしない、素晴らしい取引だろ?」

 

 少女――レイリアはそう言うと手にした籠をベルガラに投げ渡し、軽やかにステップを踏んだ。

 スカートがふわりと揺れ、その奥に隠された艶めかしい太ももがさらけ出される。

 幸か不幸か、その一瞬を偶然目にしたとある行商人が、魅了され呆けたところを足元にあった石ころに足を取られ、担いだ商品を盛大にぶちまけていた。

 背後から響いたその音にベルガラはまた溜息を吐き、レイリアは愉快痛快とばかりに肩を揺らす。

 彼女は、猫の被り方が天才的に上手かった。

 それはもう、どこで覚えたのか食事の作法や挨拶、細かな身振り手振りに至るまで。もし彼女を知らぬ者が見ればどこかの貴族の御令嬢か、はたまたどこぞの姫君ではないかと勘違いしてしまう程度には、その姿は堂に入っていた。

 事件が起きて早一月。

 その短い時間の中で、余所者であるはずのレイリアがこうもこの街に溶け込んでいるのも、彼女のそういった外面の良さが大いに役立っていると言えるだろう。

 というのも、レイリアを迎え入れた――要求を呑んだ、とも言えるが――辺境伯、東方の獅子グラム・ヴェル・ファルブルムはあろうことか彼女を遠い知人、アルセン諸島連合のとある豪商の一人娘であると街の者たちに知らしめたのである。

 そして同時にレイリアが捕らえ、奴隷として扱っていたベルガラは正式に彼女の召使い兼護衛ということになり、こうして彼女が街をうろつくたびにその後ろを、それらしい態度で引っ付いて回ることを余儀なくされた。

 もっとも、はじめはバルラキア人とは思えぬ二人の肌、髪色のことを鑑みて打たれた一手ではあったのだが、それに際しレイリアが先程見せたような完璧な立ち振る舞いを披露した結果、辺境伯の想定よりも早く人々は二人を受け入れ、蝶よ花よと愛でられることとなった。

 ちなみに初めてその様子を見た辺境伯と愛娘は、彼女のあまりの豹変ぶりに度肝を抜かれることとなったのだが、それを語るのはまた別の機会としよう。

 

「しかし、まさか男だったとはな」

 

 以前よりも少しばかり流暢になったバルラキア語で、ベルガラが唸った。

 それは一月前の夜。レイリアが辺境伯たちに伝説の正体を語り聞かせたあの夜が過ぎた後のことであった。

 レイリアが美しい少女の姿へと変わる、天使へと変異する前、気が遠くなるほど大昔の話ではあるが、なんと彼女は元々男性だったと言うのだ。

 たしかに荒々しい、ともすれば野蛮とも思える普段の言動を見れば、それは女性ではなく男性的だと捉えられるだろう。

 何も知らぬ者からすれば極めて荒唐無稽な、馬鹿馬鹿しい話であるが、それを聞いた者たちは頭を抱え、押し黙る事しかできなかった。

 何故ならば、彼らは知っていたからだ。古代帝国の技術が、ただの人間を悍ましい化け物に変えてしまえることを。そして、当時の強者たちの中でもさらに選りすぐりの本物たちが、天使へという超常の存在へと至ったことを。

 たしかにその技術をもってすれば、大男を天女が如き少女に変える事ぐらい造作もないだろう。

 ちなみにその話を聞いた直後、度重なる衝撃によりリリィは白目をむいて卒倒した。

 

「まあ、この身体になってからもう随分と経つがな。今となってはこっちの方が色々と都合が良いぐらいだ」

 

 それはもう、そうだろう。

 先程の店主とのやり取りを見るに、この少女はこれまでもその見目麗しい容姿を利用してあくどい商売をやっていたようだ。

 普通ならばそこから手痛いしっぺ返しを食らい、ある程度は自重するようになるのだが、この少女に限りそれはない。

 例え悪漢に襲われようと、この少女を組み伏せることができる男など世界中を探してもそういないだろう。それは数を揃えたところで変わらない。

 そしてどれほど徳の高い神父が説法を垂れたところで、この少女の性根を正す事など不可能だろう。

 結局は己が巻き添えを食わないように、嵐が過ぎるまで隅の方で縮こまっているのが一番正しいのだ。この少女に対しては。

 

「さて、ようやく見えてきたか……。おーおー、相も変わらず頑張ってんなあ」

 

 そうしてしばらく歩いたあと、レイリアはその白い手を額にかざしながら意地の悪い笑みを浮かべた。

 見えてきたのは彼女らが暮らす辺境伯の屋敷。

 その姿はもうすっかり事件が起きる前の状態にまで修復され、庭中央に備え付けられた噴水には鮮やかな虹がかかっていた。

 そしてそんな庭の隅、青々と茂る芝の上で汗を流す人物が一人。

 金の髪を華麗に舞い踊らせながら剣を振るう少女、辺境伯の愛娘リリィである。

 突き、切り払い、切り上げ、振り下ろし。軽やかな足さばきでその身を滑らせ、敵の脇腹を撫でるように切り抜ける。

 木偶(人形)さえ置いていない中での鍛錬であったがその動きは実に見事で、それを見たベルガラが、なるほどこれはゼイゼル(三下)が負けるわけだと舌を巻くほど。

 しばらく眺めていたくなるほどの美しい剣舞。

 しかしそれを妨げたのは、手を叩く乾いた音であった。

 

「お見事お見事。随分とそれらしくなったじゃないか」

 

 手を広げ、大仰な仕草で笑ってみせるレイリアの姿にベルガラはひっそりとまた溜息を吐き、リリィはすっと眉間に皺を寄せる。

 そして日の光を受けて輝く、透き通るような細剣を鞘に納めると、その鋭い眼光が真っ直ぐにレイリアを貫いた。

 予想外だったのはそれから。

 彼女は鍛錬用の木靴を鳴らしながらレイリアの傍へとやってくると、腰に手を当てて胸を張ってみせたのだ。

 それはまるで己の力を誇示する清廉な戦士のようでも、姉に負けじとがむしゃらに虚勢を張る可愛らしい妹のようでもあった。

 

「いつまでも貴女に頼りっぱなしでは、ファルブルム家の名折れですから」

 

 これもまた、一つの変化。

 レイリアが語った真実を受けたあと――否、具体的にはその翌日に卒倒したあと、リリィとレイリアの関係は劇的に変化した。

 盲目的に物語を信じ、追い続けた少女は、ようやくその夢から覚めることができたのだ。

 もっとも、己が夢みていた美しい天使像を、正しく火薬で吹き飛ばして踏みにじるような人物(現実)が目の前に現れたのだ。

 たった一月という時間でそれを呑み下し、受け入れられたのはひとえに彼女の気高く、力強い精神性故だろう。

 今の彼女にとってレイリアは(ひざまず)き尊ぶ信仰の対象ではない。

 気が強く、意地悪で下品な、ちょっとばかり万軍に値する戦力を内包しただけのくそ生意気な妹分ぐらいには、その格を落としている。

 敬(けん)な女神教の信者が目にすれば卒倒し、口から泡を吹くであろう事態であるが、レイリア本人としてはむしろこちらの方がやりやすいぐらいだった。

 

「さすがはお嬢様、ご立派だねぇ。なんだったらよお、またちょっと相手してやろうか?」

 

「……本当に、貴女はどこまでも傲慢なのですね」

 

「呵々。俺様からすれば、なんでお前らはそこまで堅苦しく生きてんのか、そっちの方が理解できないがね」

 

 で、やるのか、やらないのか。

 やるに決まっているでしょう。

 そんなやり取りをして、二人はまた庭の隅へと移動を始める。

 それを傍から眺めていたベルガラとしては、また袖にも触れられずに足腰立たなくなるまで振り回されるのだろうな、と頭を抱えずにはいられなかった。

 ちなみにリリィは現在、二十八連敗の記録を更新中である。

 

「さて、今回はどこまで粘るかねえ」

 

 犬歯をぎらつかせながら笑うレイリアの全身が、淡い光を帯び始める。

 纏められていた髪は解け、漆黒のドレスが光に呑まれるようにその姿を変えていく。

 そして光が収まった時、彼女の姿はいつぞやの、踊り子のような煽情的な戦装束を纏ったものへと変貌していた。

 その手には細く美しい、リリィが愛用している物と酷似した細剣が握られている。

 これもまた、レイリアが操る力の一端。

 万物を形作る魔素を操り、あるいは自身が蓄えた魔素を使って万物を生み出し、作り替える超常の力。

 レイリアが細剣を柔らかく握り込み、無造作に振るう。

 笛の音に似た、鋭く甲高い音が鳴った。

 

「どこからでもいいぜ。自由に攻めてきな」

 

 だらりと腕を下げ、脱力したレイリアに向かってリリィが大きく踏み込んだ。地を蹴り、滑るように距離を詰めるとリリィは細く鋭く息を吐く。

 引き絞られた細剣が、まるで矢を射るかの如く三度放たれる。

 遠慮はない。狙いは全て急所だ。

 日の光を反射するそれは稲光にも似て、熟練の戦士であるベルガラをもってしても(かわ)すことは容易ではないと思わせる程の三連突き。

 だが、レイリアはそれすらも呆気なく、小枝を払うかのような気安さで躱してみせる。

 それはまるで風にそよぐ草花のようなしなやかさで、最後の突きに吸いつくようにリリィの懐へと滑り込んだレイリアは手にした細剣の()を、彼女の細い腰を撫でるように振るった。

 だが、それが彼女の肌に触れることはない。

 レイリアの剣を防いだのは、横から割って入るようにして振るわれた銀の短剣であった。

 金属同士が擦れ合う、澄み切った音色が響く。

 耳を撫でるような残響音を感じながら、レイリアは絡めとられ、受け流された己が剣を目に口笛を吹いた。

 

「いいねえ。助言を素直に呑み込めるのは美徳だぞ」

 

 息を吐き、構えるリリィの右手には銀の細剣が、左手には篭手と短剣が合わさったような、独特な形状の武器が握られている。

 

受け流しの短剣(マン・ゴーシュ)、上手く使ってるじゃねえか」

 

 それは幾度目かの手合わせの際、レイリアがリリィに与えたとある助言。

 なぜ右手だけで剣を振るうのに、左手に何も備えていないのか。

 甲冑を着込む騎士の真似をしろとは言わないが、どうせ暇をしているならばその左手には盾を構えるべきではないのか。

 そう問いかけるレイリアに、リリィはこう返した。

 盾など持っていては重心が乱れ、速度も殺されてしまう。何より、貴族たる我らがそんな無粋な物を携帯するわけにはいかない、と。

 無論、レイリアはこの言葉を聞いた直後、リリィを叩きのめした。

 貴族の誇りなど糞くらえだ。戦場で、頭上から矢を射られたらどうするつもりなのか。

 聞けば、東方の獅子と呼ばれ、戦場で活躍した父親のほうはきっちり甲冑やら盾やらで身を固めていたと言うではないか。

 女だからと、まあ剣を振る程度は大目に見ようと、そうして長年甘やかしてきたツケがここにきて押し寄せてきたのだ。

 そこでレイリアが提案したのが、今しがたリリィが披露した短剣を使っての防御である。

 細剣に生じる隙を補う受け流しや払い、あるいは不意打ち。刃の形を変えれば、相手の剣を絡めとって奪ったり、そのままへし折ることも可能になるだろう。

 しかしそれを使いこなすには、それなりの修練が必要となる。

 先程はレイリアがかなり手加減をしていたうえに、同じような細身の剣であったためうまく受け流せたが、もし相手がベルガラのような大男で、力押しで攻めてくるような手合いであればああはならなかっただろう。

 

「ほら、気を抜くな。どんどんいくぞ」

 

 リリィが息を整えたのを見て、今度はレイリアが飛び込んだ。

 鞭のようにしなる切り払い、袈裟斬り、突き、あるいは切り上げ。

 多種多様な斬撃を、リリィは寸でのところで躱し、受け流していく。

 

「双方、それまで」

 

 そうして彼女の息が上がり、細剣を握る手に痺れを覚え始めた頃、もはや何度目かも覚えていないしりもちをつかされたところで、屋敷の方から声がかかった。 

 両手を地につき、大粒の汗を流すリリィと、汗どころか息一つ乱していないレイリア。

 そんな対照的な二人を見下ろすのは、ここしばらく書斎に籠りきりであった辺境伯グラムであった。

 杖を突きながらもゆっくりと階段を下りてくる辺境伯を見やりながら、レイリアが肩をすくめる。

 

「これからだってのに、水を差すなよオッサン」

 

「いやはや、それは申し訳ない。実はレイリア君に頼みたい事があってね」

 

 そう言って取り出したのは、一枚の書状であった。

 押された赤い封蝋の上で、ファルブルム家の紋章である獅子が猛々しく雄たけびをあげている。

 ただの手紙ではないことを察するには、十分すぎる材料であった。

 目を細め、訝しむレイリアをまっすぐに見つめながら、伯は告げる。

 

「王都リアディエルにある聖アウレア学園。君たちには、そこへ行ってもらいたい」

 

「王都、ねえ。そりゃあまた、随分と楽しい旅になりそうだ」

 

 辺境伯の言葉に、レイリアは獣のように獰猛な笑みを浮かべて応えるのだった。

 


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