りびんぐでっど→どぉるず   作:野良野兎

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お待たせしました。


口は禍の元

 

 小鳥のさえずり。

 朝日が優しく学舎を照らし、穏やかな日差しが風にそよぐカーテンの隙間から差し込んでいる。

 僅かに開いた窓の隙間から吹き込むそよ風に鼻先をくすぐられ、小さく声を漏らしながらリリィはゆっくりと瞳を開いた。

 硝子のような彼女の肩から白いシーツが滑り落ち、少しばかり寝ぐせのついた金色の髪が胸元へとはらりと落ちる。

 寝ぼけまなこを擦りながら起き上がると、彼女はぐっと伸びをする。窓際でたわむれる小鳥たちを眺め、優しく微笑んだ。

 しかしそれもつかの間、昨日の出来事を思い出したリリィはその口元をきゅっと結んだ。

 あの時突然部屋を飛び出していったレイリアは、(つい)ぞ戻らなかった。

 荷解き自体はリリィとベルガラの二人で何とか片付いた――傭兵という、一か所に留まらない生活が長かったためか、彼は驚くほど手際がよかった――のだが、夕飯の時刻になっても彼女は帰らず、ほんの少しの不安と共にリリィは昨晩眠りについたのだった。

 掴みどころのない、飄々(ひょうひょう)とした人物ではあったが、こんなことは初めてである。

 実家の屋敷に暮らしていた頃にもこういったことはあったが、それでも夕飯の時間にはしっかりと戻ってきていたのだ。

 それはこの時代の食事がとても好みに合っているという、彼女らしい理由によるものではあったが、今回はそれすらもなく、リリィは昔飼っていた猫が突然帰ってこなくなった時のような、言いようのない不安にかられていた。彼女に限り、万が一という事はありえないと思いつつも。

 

「無事でよければいいのですが……?」

 

 その時、リリィはふと自身の身体に違和感を覚えた。

 下半身、太ももの付近に感じる温かな感触。見れば真っ白なシーツのそこだけが不自然に盛り上がり、規則正しく上下しているのがわかる。

 直感。

 半ば確信めいたそれに従いシーツをめくると、リリィは思わず声を上げそうになった。

 何故ならば、そこには傷一つ無い褐色の肌を惜しげもなく晒す少女――レイリアが、一糸纏わぬ生まれたままの姿で穏やかな寝息を立てていたのだから。

 しなやかな肢体を銀の髪が包み込むように流れ落ち、丸くなって眠るその姿は気紛れな猫を思わせる。

 あどけない寝顔を、朝日が照らす。長い睫毛が僅かに身じろぎ、その奥から紅玉のような瞳がゆっくりと顔を出した。

 

「なんだよ、もう少し寝かせろよバカ」

 

 リリィはシーツを引っぺがした。

 

「色々とお聞きしたいことはありますが、とにかく何か服を着て下さい! どうして裸なんですか!?」

 

「朝からキーキー喚くな頭に響く。寝る時に裸なのは当たり前だろうが」

 

 まるで悪びれもなく伸びをして、レイリアはリリィに不機嫌そうな顔を向ける。

 シーツが取り払われ、今は赤い紋様が走るその裸体を完全に晒している状態なのだが、本人はそれを気にかける様子すらない。

 逆に顔を赤くしたのはリリィの方である。

 朝日に照らされ輝く銀髪。それはうなじを流れ落ち、艶やかなラインが浮き上がる鎖骨を通り胸元へ。そこで控えめな膨らみに押し上げられ、よく引き締まった腰から臀部へと降りていく。

 その姿は幼い容姿であるにも関わらずどこか官能的であり、リリィは高鳴る胸の鼓動を誤魔化すように彼女へとシーツを投げ返した。

 

「と、とにかく、服を着て下さい! 淑女たるもの、気安く肌を晒してはいけません!」

 

 背を向け、胸に手を当てるリリィ。

 落ち着け、落ち着けと自身に言い聞かせる彼女の背後でレイリアは受け取ったシーツとリリィを交互に見やり、にやりと意地の悪い悪魔のような笑みを浮かべた。

 リリィにとっては不幸以外のなにものでもない話だが、レイリアは人の感情の機微、とりわけこういった色を含む感情に対しての嗅覚は抜群であった。

 受け取ったシーツで胸元を隠しながら、レイリアは慎重に――無論、悪い方の意味で――言葉を選んでリリィの背に投げかける。 

 

「何だ、俺様の裸に欲情したのか? まあ、お前には随分と世話になっているからな、足を舐めて懇願すれば一度ぐらいなら抱かせてやっても――」

 

 言葉の代わりに返ってきたのは、しっかりと羽毛が詰め込まれた枕。

 それを首を少し傾けることでさらりとやり過ごすと、レイリアはさも楽し気にその細い喉を鳴らした。

 

「あいもかわらず初心だねえ。そんなんじゃあ、初めての時に苦労するぞ」

 

「余計なお世話です!」

 

 そうしてリリィは肩を怒らせ、先程とは違う意味で顔を真っ赤にして制服に着替えると、叩き壊さんばかりの勢いで扉を開けて部屋を出て行ってしまう。

 それと入れ替わるようにして、何事かと部屋を覗き込んだのは隣部屋に控えていたベルガラである。

 彼は一糸纏わぬレイリアの姿と乱れたベッドの様子を見て、なるほどと溜め息を吐いた。

 

「あまり、いじめるな。あの年頃は、色々難しい」

 

呵々(カカ)。そりゃあ無理な相談だ」

 

 ぐっとひと伸びし、レイリアはそっとベッドから降りる。

 ぱちんと指を鳴らせば全身に這う紋様が淡く輝き、まるで身体に巻き付くようにして靴をはじめ、胸元や腰回りなどの局所だけを覆う踊り子めいた衣装が出現した。

 最後に黒い外套が肩から流れ落ちるように出現すると、褐色の柔肌を守るようにすっぽりとその身体を覆ってしまう。

 そうして早々に身支度を整えたレイリアは、身体の具合を確かめるように肩をぐるりと回すと改めてリリィが飛び出していった扉を見やり、呆れたように息を吐いた。

 

「馬鹿が。形だけとはいえ、護衛を置き去りにして飛び出す奴があるかよ、まったく」

 

「自業自得、だ」

 

「うっせ。さっさと追っかけるぞ」

 

 唇を尖らせ、ベルガラの脛を蹴飛ばすとレイリアはカラスの仮面を被りながら、飛び出していった護衛対象(リリィ)の後を追う。

 幸い、彼女が向かった場所の見当はついている。

 早朝に学生が制服を着て向かう場所。

 授業が始まるにはまだかなりの余裕があることを考慮すれば、行きつく先はただ一つ。

 つまりは――

 

食堂(メシ)だ。便所って線もあるが、まあ結局はここに行きつく。任せろ、ここの構造はだいたい覚えた」

 

 たしかに、そう自信満々に語る彼女の歩みに迷いはない。

 真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を右に、階段を降り、中央に立派な噴水が佇む中庭へと差し掛かった辺りで、なんとも香ばしい小麦の香りが二人の鼻孔を刺激し始めた。

 がやがやと、生徒たちの賑やかな声。

 どうやら食べ盛りの若者たちが、我先にと食堂へ集っているようだ。

 しかしそうして思い思いに食卓を囲む生徒たちの、その殆どが何やら祈りを捧げるように胸で手を組み、ぶつぶつと呪文を唱えているのを見てレイリアは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「女神様ありがとうございますってか。やれやれ、飯を食うだけで大げさなこった」

 

 その生徒たちは、敬虔(けいけん)なリアディア教の信者であった。

 彼らからしてみれば毎日の恵みを感謝するのは至極当然の、それこそ自身が生まれた時から続いている習慣であるのだが、その女神を詳しく知るレイリアからしてみれば、知り合いの名を呟きながら祈りを捧げるその光景は奇妙以外の何物でもない。

 その時、思わず零したレイリアのその声に反応する者があった。

 

「レイリア、迂闊な発言は控えて下さいとあれほど言ったではないですか!」

 

「おっと、お転婆お嬢様のお出ましだ」

 

 食堂の奥から慌てた様子で駆け付けたリリィに、レイリアは肩を竦めてみせる。

 どうやら先程のレイリアの声は思いのほか食堂内に響いたらしく、辺りには訝し気な目を向ける者や、なにやら突き刺すような視線を浴びせる者の姿がちらほらと見受けられた。

 国教でもある女神を蔑ろにするような発言を、こともあろうにその教えを伝える総本山で行なってしまったのだ。この結果は、むしろ当然のものと言えるだろう。

 だが、普通ならば委縮してしまうような針の筵であっても、この少女にとっては朝の陽だまりとさほど変わりなく。

 

「やれやれ、これだから温室育ちの馬鹿は嫌いなんだよ。そんなにあの女神(マヌケ)が大事かねえ」

 

「貴女、いい加減になさい!」

 

 怒声が響く。

 リリィのものではない。彼女よりも高圧的なそれは、どこか天空を舞う鷲の声に似ていた。

 靴を鳴らしながら三人の前に表れたのは、渦のように巻かれた金髪が特徴的な蒼い瞳の少女である。脇には護衛とみられる燕尾服を着た初老の男性が控えており、その口元には穏やかな笑みが浮かんでいた。

 体格自体はリリィと殆ど変わらないが、その胸元に実った母性の象徴は同年代の中でも相当立派と言って過言ではなく、それを見たレイリアは何とも言えない表情を浮かべ、口の端を僅かに釣り上げた。

 

「誰だよ、この牛女」

 

「う、うし……っ!?」

 

 ぴしりと人差し指を向けて、あっけらかんと言い放ったレイリアの言葉に金髪の少女が固まる。

 その白い頬が、かあっと朱に染まった。

 

「彼女はローズ・フォン・ヴァレンシュタイン。王国の西方を治める貴族、ヴァレンシュタイン家の長女であり、私の幼馴染でもあります」

 

「ほほぅ。なるほど、西方の鷲って奴の娘か」

 

 アクィラ家というのは、レイリアも聞いた事があった。

 東方の獅子、グラス・ヴェル・ファルブルムと対を成す王国の剣。西方の鷲、ヨーゼフ・フォン・ヴァレンシュタイン。

 王国が誇る英雄が一人。彼が掲げる鷲の旗を見た敵兵たちはみな恐れおののき、指揮する騎兵隊は敵軍を縦横無尽に切り裂いたという。

 

「いかにも! 西方の鷲、ヨーゼフ・フォン・ヴァレンシュタインが一人娘、ローズ・フォン・ヴァレンシュタインとはわたくしのことですわ!」

 

「長ったらしい名前をだらだら並べるな牛乳(うしちち)。食った栄養が全部その乳に行ってるのか、このド阿呆」

 

 空気が凍る、というのは正しくこのようなことを言うのだろう。

 ローズは得意げに胸を張った姿勢で固まり、リリィとベルガラはまたやった、と呆れ顔で額に手を当て、ため息を吐く。

 他の生徒たちも歯に衣着せぬレイリアの物言いに驚愕し、あるいは口元を隠し必死に笑うのを堪えながら、事の成り行きを見守っていた。

 何の反応も見せなかったのは、ローズの隣に立つ初老の男だけである。

 そうこうしているうちに首元から頬、耳の先まで、見る見るうちにローズの顔が真っ赤に染まっていく。

 それを眺めるレイリアは実に満足げで、いつもならリリィに向いているその邪悪な笑みは、今度ばかりは目の前の可哀想な少女に向けられていた。

 

「か、彼女の無礼は謝罪します。彼女は南方の出身なのだけど、こちら(王国)の言葉を覚えたのもつい最近でまだ上手く扱えていないの、だから、その……」

 

 リリィが咄嗟に助け舟を出そうとするも、その言葉は尻すぼみになり、やがて困ったように視線を右往左往させ始める。

 どう考えても手遅れである。

 容赦なく、的確に急所を突き刺された者をどう処置すればいいというのか。

 

「も、もう我慢なりませんわ!」

 

 もはや熟れに熟れたリンゴのようになっていたローズは、怒髪天を突く勢いで怒鳴り散らすと身に着けていた白い手袋を乱暴に剥ぎ取り、レイリアへと投げつけた。

 それが意味することはただ一つ。

 失言に次ぐ失言。最初から最後までレイリアの方に非があることは明白なのだが、これにはリリィも全身から血の気が引く思いであった。

 

「お嬢様、それは短慮が過ぎるのでは――」

 

「お黙りなさい! 女神リアディアのみならず、ヴァレンシュタイン家のわたくしまで侮辱するその傲慢、叩き潰して差し上げますわ!」

 

 老執事の制止も、もはや意味をなさない。

 完全に頭に血を昇らせたローズは射殺さんばかりにレイリアを睨み付け、指を差し言い放った。

 言った。言ってしまった。

 白い手袋を投げつける行為。それは貴族における決闘の申し入れに他ならない。

 にわかにざわめき出す食堂内。

 面白い玩具を手に入れたと悪魔のような笑みを浮かべる少女の姿に、リリィはまたしても頭を抱えるのだった。




学園で金髪ドリルは基本。

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