りびんぐでっど→どぉるず   作:野良野兎

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グロテスクな表現があります。ご注意下さい。


東方の獅子

 

 辺境の街ファティア。

 ガルジダ王国との国境にほど近い場所にある街であり、北にそびえるジェリア山脈を源流とするキイル川が北から南へと流れ、その清流を活かしたぶどう酒造りが盛んなのどかな街である。

 そんな穏やかな街を守るのは、周囲をぐるりと囲む巨大な二枚の防壁。〝ファティアの双盾〟と呼ばれる、隣国バルラキア王国からの侵攻を幾度と無く跳ね退けたこの街の誇りであった。

 この街が別名〝不落都市〟とも呼ばれる由縁の一つである。

 そんな街から少しばかり離れた場所に、この地を治める辺境伯、グラス・ヴェル・ファルブルムの屋敷は建てられていた。煉瓦造りの屋敷の周りを石で組まれた高い塀が、さらにその外側には水を張った堀がぐるりと囲んでいる。

 屋敷へと続く橋の先には鉄製の門が嵌め込まれ、それを抜けた先には手入れの行き届いた庭園が広がっていた。

 そして夜風に揺られながら草花たちが眠るさらに奥。室内の蝋燭がぼんやりと照らす格子窓の向こうで、この屋敷の主である辺境伯、グラス・ヴェル・ファルブルムは目を覚ました。

 今宵何度目かになる目覚め。椅子に縛られた両手足には未だ鈍い痛みが残り、腫れ上がった瞼のせいでいつも以上に室内が薄暗く見える。

 歯が折れ、血だらけになった口内から彼はゆっくりと息を吐いた。

 脳裏を過るのは、自身が身を呈して守った最愛の娘の姿。彼女は無事に、あの場所へと辿り着けただろうか。

 幼い頃から伝説の天使たちに憧れ、花を愛でるより剣を振っている事の方が多いお転婆娘ではあったが、女神リアディアのご加護か大病を患う事もなく無事に先日十五の誕生日を迎えた、妻の面影を色濃く残す我が娘。

 あの深い森の中に逃げ込むことが出来れば、土地勘のある娘ならば追手を振り切る事も出来るだろう。遺跡に入ってしまえば、それこそ〝扉が開いているところを〟追手に見られない限り、追跡は困難だ。

 しかし、自身も彼女を逃がすために刃を交えたからこそわかる。自身たちを襲った賊たちは、決してただのならず者たちではないと。

 辺境伯は(ほぞ)を噛む思いで身を捩る。手足に食い込む荒縄が更なる痛みを与えるが、今も賊に追われている娘を想えばこの程度の痛みなど何するものぞと、彼は手足を捨てる覚悟で縄を切らんと、その手足に更なる力を籠めた。

 

「いけませんよ旦那様(・・・)、もっとご自愛くださらなくては」

 

 暗闇から声が響き、辺境伯の背後からぬっと伸びた手が彼の肩にそっと置かれた。

 蛇の様な、人の心を絡めとるような男の声。辺境伯が顔を歪め、自身の背後を睨み付ける。

 現れたのは汚れ一つ無い白い綿の服の上に黒の上着を羽織り、白い手袋を付けた優男であった。白金の髪を後ろに流し、銀縁の丸い眼鏡をその整った鼻先に引っ掛けている。

 彼はかつかつと革靴を鳴らしながら辺境伯の前に回り込むと、その痣だらけになった顔を見下ろしながら不敵な笑みを浮かべた。蝋燭の火に照らされて、眼鏡の奥にある青い瞳がぎらぎらと妖しい光を放つ。

 

「ギルバート、何故だ、何故お前が!」

 

 口から赤い泡を飛ばしながら、辺境伯が噛みつかんばかりの勢いで叫んだ。

 それもそのはず。現れた優男は、十年以上辺境伯に仕え続けた、彼の右腕と呼ぶべき人物であったのだ。

 誠実で頭も良く、その人柄に娘のリリィもよく懐いていたというのに。何故。

 辺境伯は歯を食いしばる。彼に(・・)殴りつけられた時の傷が、じくりと鈍い痛みを発した。

 そう、辺境伯の目の前で冷ややかな視線を浴びせるこの男こそが、今回の襲撃を手引きした黒幕であったのだ。

 

「しかし幾たびも隣国、ガルジダ王国の侵攻を退けたかの〝東方の獅子〟も、こうなってしまえば随分と情けないものですねえ」

 

 ガルジダ王国とはこの街より東、荒涼とした荒野を抜けた先に広がる、その国土の殆どを砂漠地帯が占める大国である。彼らは肥沃な土地を求めて過去何度もこのバルラキア王国を侵略せんと兵を差し向けたが、その度にこの辺境の街ファティアを攻略することができず撤退を余儀なくされた。

 その要因こそが街をぐるりと囲む二枚の防壁と、〝東方の獅子〟と褒め称えられた名将グラス・ヴェル・ファルブルムの存在である。

 だが全盛期には倍近い戦力差を覆す知略、一騎当千に値する剣の冴えを誇ったかの猛将であっても所詮は人の子。老いによる身体の衰えからは逃れようがない。

 しかし、衰えたとはいえ獅子は獅子。

 驚く事に彼は最愛の娘を屋敷の隠し通路から逃がした後、それを追おうとした傭兵三十人を相手取り半数以上に致命傷を与え戦闘不能にするという、獅子の二つ名に恥じぬ大立ち回りを演じたのである。

 戦場ではその剣の一振りで十の首を飛ばしたと語られるその剣技と、齢五十近い男とは思えぬ圧倒的な気迫に傭兵たちは恐れおののき、ギルバートが侍女の一人を人質に投降を迫るまで、誰もが凍り付いたかのようにその場から動く事が出来ない程であった。

 

「目的は何だ。私の財産が目当てならば、諦める事だ」

 

 辺境伯は、貴族にしては珍しく節制を旨とする人物である。

 宝石や貴金属、骨董品の類を蒐集する事も無く、自身の得た財はその殆どを街の整備や土地開発などの費用に充てていた。この地を治める人間として、上位者としての威厳を保つ為に領民と比べると多少は贅沢な暮らしを送っていたが、その蓄えは他の貴族と比べると随分と少ない。わざわざ数十人の傭兵を雇ってまで狙うほどの物ではない筈だ。

 しかし彼の言葉にギルバートは心底呆れたように肩を竦め、薄ら笑いを浮かべながら眼鏡の縁を中指で押し上げた。

 

「これはまたご冗談を。聡明な貴方の事だ、もう察しがついているのでしょう? |我々≪・・≫が何を求めているのか」

 

 ゆっくりと辺境伯に近づくと、突然ギルバートは身動きの取れない彼を椅子ごと蹴り倒した。大きな音を立てながら倒れた辺境伯がぐっと呻き声をあげ、苦悶の表情を浮かべる。白い手袋がおもむろに彼の髪を掴み上げ、ぞっとするほど冷徹な瞳が、丸眼鏡の奥から彼の瞳を覗き込んでいた。

 

「さあ、教えて頂きましょうか。貴方が、いや、貴方たちファルブルム家が|千年前≪・・・≫から隠し続けてきた古代帝国の遺跡と、そこに眠る天使について」

 

 どこでその事を――

 思わず口をついて出そうになったその言葉を、辺境伯は寸でのところで飲み込んだ。

 脳裏に過ぎるは森に隠された遺跡と、その奥で眠り続けているという天使の言い伝え。そして、今は亡き父から教えられた伝説の正体。

 ギルバートは先程、|我々≪・・≫と言った。つまり、今回の騒動は彼が単独で計画した物ではない。額に冷ややかな汗を流しながら、辺境伯は思考を巡らせる。

 ファルブルム家が隠匿する遺跡や天使の秘密は門外不出。彼の代に至るまで、家督を継ぐ長男長女以外には決して明かしてはならぬという鉄の掟が遵守されてきた。そしてそれは彼の娘であるリリィにも徹底させており、一族の何者かから漏れ出た可能性は極めて低い。

 では何故、自身の頭を掴み上げ、不敵に笑うこの男は遺跡や天使に関しての情報を知り得ているのか。辺境伯は、それがただただ不気味であった。

 何者かが。辺境伯である自分でさえも見通すことが出来ない何者かが、彼の背後に潜んでいる。

 そしてその何者かは、少なくとも千年前の、あの聖魔大戦の真実を知っている。悪魔とは、天使とは何か。その正体を掴んでいる。

 

「……いったい何の話だ。まさか、伝説の天使が実在するなどと世迷言を――」

 

 辺境伯の言葉は最後まで続かなかった。ギルバートが薄ら笑いを浮かべたまま、掴み上げた彼の頭を床へと強かに打ち据えたのだ。

 鈍い音が室内に響き、裂けた額から鮮血が滴り落ちた。

 

「言い方を変えましょうか。かつて古代帝国により生み出され、しかしその力の強大さ故に封印された|古代兵器≪・・・・≫が眠る場所を、貴方は知っている筈だ」

 

「……そんなものは知らん」

 

 床を打つ音が響く。

 ギルバートは溜息を吐き辺境伯の頭を掴んでいた手を離すと、懐から何かを取り出して辺境伯の目の前で揺らす。それは二枚の鉄片を三つの螺子で繋いだ、掌に収まるほどの小さな器具であった。内側には三角錐状の突起が並び、中心を支える螺子の頭は指で抓んで回せるように平たく加工されている。

 

「ふふ、私も出来る事ならこんな血生臭い物は使いたくはないのですが、貴方がどうしても教えたくないと仰るのであれば仕方ありませんね」

 

 それは〝指潰し機〟と呼ばれる拷問器具であった。

 二枚の鉄片の間に手や足の指を挟み込み、中心の螺子でゆっくりと締め上げるという簡単な仕組みではあるが相手に与える苦痛は凄まじく、その小ささから持ち運ぶ事も容易であるので罪を犯した者への罰や、捕虜への尋問を行う際によく使用された。

 ギルバートは不気味な笑みを浮かべながら後ろ手に縛られた辺境伯の手を取り、その右手の親指を〝指潰し機〟に挟み込んだ。僅かに中心の螺子が絞められ、内側の突起が親指の肉に喰らいつく。

 

「この状況で顔色一つ変えないその精神力には感嘆いたしますが、残念ながら人の指は二十本あるのですよ。潔く〝天使〟について喋って頂いた方が賢明だと思いますが」

 

 辺境伯はこの問いかけに対し、ただただ黙する事で応える。

 未だ強い意志を宿したその瞳にギルバートは再び溜息を吐き、力いっぱい〝指潰し機〟の螺子を回した。

 そこからは、正しく地獄の様な光景であった。

 まずは爪が割れ、突起が肉を抉った。室内には辺境伯のくぐもった声と血の滴り落ちる音だけが響き、口を割らない事に苛立ったギルバートが時折彼の腹を蹴り上げ、頬を殴る。

 やがて右手の親指の骨が砕け、潰れ、左手の親指もほどなく同じ結末を迎えた。

 辺境伯の額には大粒の汗が流れ、しかし彼はこの責め苦を受けながら一度たりとも悲鳴をあげたり、助けを乞う事はしなかった。驚異的な精神力である。

 しかし、だからこそギルバートは苛立ちを隠せないでいた。時間ならまだ余裕はある。月はまだ天高く輝き、傾き始めた様子は無い。屋敷を固める警備の人間には金を掴ませ、こちら側へと引き込んだ。街の人間が異常に気が付いたとしても、それは日が昇ってからだ。

 苦痛を与える方法ならば幾つも思いつくが、これまでの様子を見る限り、肉体的な痛みで辺境伯が口を割るとは考え難い。金銭で靡く低俗な人間でもないだろうし、どうしたものか。

 そうギルバートが頭を抱えていたそんな時、部屋の扉を乱暴に叩くものがあった。

 何者かと尋ねてみれば、どうやらギルバートが雇った傭兵の一人のようだ。扉の向こうから、くぐもった低い男の声が届く。

 

「女、捕まえた。領主の、娘」

 

 どこか訛りのある言葉ではあったが、その知らせを聞いたギルバートは思わず手を叩きたくなった。交渉の鍵でもあった辺境伯の娘、リリィ・ヴェル・ファルブルムがついに自身の手に落ちたのだ。それは、彼が勝利を確信した瞬間でもあった。

 腹の底から響くような笑い声が漏れる。その整った顔に裂けるような笑みを張り付けて、ギルバートは顔を真っ青にした辺境伯を見下ろした。

 

「馬鹿な、リリィまで……そんな、そんな!」

 

「くく、ははは、残念でしたねえ、伯。ここまで随分と手こずらせてくれましたが、これで貴方だけに拘る必要もなくなった。まずは貴方の目の前で、ゆっくりとお嬢様からお話を伺うとしましょうか」

 

「待て、娘には手を出すな!」

 

 辺境伯の悲痛な叫びに心を昂らせながら、ギルバートはゆっくりと立ち上がる。如何に屈強な精神を持つ人間であろうとも、目の前で肉親が辱められる屈辱に心が折れない筈はない。娘の手足を縛り付け、適当な傭兵共に襲わせればあの固い口も少しは柔らかくなるだろう。

 そんな事を考えながら、ギルバートは大手柄をあげた傭兵を招き入れる為に扉へと手をかける。

 閃光。

 視界が白く染まる。

 浮遊感。

 全身を暴風が襲い、落雷を受けたような衝撃が頭からつま先までを刹那の間に走り抜けた。

 何が起こったのか。ギルバートは明滅を繰り返す視界の中で考える。

 それは、俄かには信じがたいものであった。

 扉が爆発したのだ。彼が手をかけ、今まさに開かんとしたその瞬間に。

 打ち破られた際の轟音は屋敷全体を揺らす程で、木っ端微塵に粉砕された扉の破片はまるで石礫のようにギルバートの全身を打ち据え、その余波だけで彼の身体は部屋の反対側まで吹き飛ばされてしまった。

 

「よう、野郎二人でシコシコお楽しみ中に悪いんだが、これも仕事でな」

 

 じゃらり、と鎖の音。

 凛とした声と共に暗闇から現れたソレに、二人は言葉を失う。

 華奢な身体。褐色の肌に銀色の髪。血のような瞳で二人を|睨≪ね≫め付けるソレは、絵画の如き美しさを誇る一人の少女であった。

 そしてソレは自身の身の丈以上はあるだろう巨大な銀色の戦斧を担ぎ、裂けるような笑みを浮かべる。

 

「断罪の時間だ。まあ、せいぜい楽に死ねることを祈るんだな」

 

 白銀が走った。


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