ずっと気になっていたことがある。
触れてはいけないのかもしれない。皆が口を閉じて語ろうとしなかったこと。おそらくそれは禁忌に値すること。だから皆見えないふりをしていた。そうすることの方がよっぽど幸せだから。考えなくて済むという事はそんなにも楽だというのだから。
だから皆あの悲劇から目を逸らしている。私も逸らしていた。ただ、それはただの現実逃避だった。
だから私はこの真実を求めたかった。触れてはいけないことであっても…
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「かく…瑞鶴。」
「……ど、どうしたの、翔鶴姉。」
「どうしたの、はこっちの言葉。心ここにあらずって感じだったけどどうしたのかしら?」
姉の言葉に彼女はごめんねとだけ言うと席を立った。
「大したことじゃないから、気にしないで。」
「瑞鶴!」
いつになく素っ気ない彼女の様子に思わず翔鶴も不安に思うことになってしまう。とはいえ体調不良でないことは見た目で彼女は分かった。つまるところ腹の中に一物を彼女は抱えていることになる。問いたい気もしたが尋常じゃない気迫に翔鶴は聞く気にはなれなかった。
「…本当に、時々あの子のことが分からなくなるわ…」
…私たちと同じ艦娘…なのよね?と翔鶴は呟いた言葉が彼女へしっかりと届いていた。
「…ごめん、翔鶴姉。」
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「提督さん。」
「おん?んん?…瑞鶴か、どうした。」
廊下。道行く提督に対して瑞鶴はちょいちょいと手招きをして声をかけた。
「提督さん、今ちょっといい?」
「んーと、まあそんな時間とらなければな。」
「大丈夫、すぐ終わるから。…加賀さんは最近どんな様子?」
「加賀か?急にどうしたんだお前がそんなこと聞くなんて。」
言い淀んだが瑞鶴はワケを話す。
「ほら、前に頭をぶつけてたよね?あれから特に変わった様子はないのかなーって明らかに様子があの時はおかしかったし…」
「ああ、そういうことか。だったら異常なしだな。いつも通りクールな加賀だよ。前はちょくちょくおかしなことも言ってたような気もするが今はめっきりないかなぁ…」
「そう…ありがとう、提督さん。あと、電話借りても大丈夫だよね?」
「そんなに長く話すなよー。」
瑞鶴は何かをメモに取ったと思ったらそのままじゃあと言ってダッシュで電話へと向かっていった。提督の投げた言葉に対して 大丈夫ーという返事が来たが足音は聞こえなくなった。忙しないやつだなーという印象を持っていると提督に対して彼女が言ったのを確認した後話しかける存在があった。
「提督。」
「ん、今度は加賀か。どうした。」
「いえ、提督と五航戦が話していたのを見たので。何を話していたのかと。」
「何を、ねぇ。まあ世間話だよ。」
提督は答えをはぐらかした。瑞鶴なりに加賀を心配しているのは分かるが素直ではない性分の彼女をからかうのは酷だろうと変なおせっかいが発動した提督は加賀の問いをごまかした。
「そうですか。」
「そうだよ。…なあ、加賀。変なこと聞くかもしれないが質問してもいいか。」
「なんでしょうか。」
首を傾げる加賀。彼は神妙な面持ちのまま問うた。
「…最近、何か瑞鶴がおかしいとは思わないか?」
「…思います。何か、落ち着きがないといいますか。やたらあちこちを走り回るのを見てます。」
「…やっぱりかぁ…あいつ何してんだろうなぁ…」
「知られたくないことでしょう…触ってやらぬが仏です。」
「まあ、それもそうか。」
一抹の不安を抱きながらも彼女の言葉に納得したのかそれ以上提督は追及することはなかった。そんな彼に対して加賀は真剣半分、冗談半分で問いかけてみた。
「彼女たちの好意に気づかぬ貴方ではないと思いますが、どうするんですか?」
「…答えるわけにはいかないだろ…お前がいるんだからさ。」
「やりました。」
加賀は頬を赤く染めていたという。
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そして瑞鶴は次の日、有休を取得しある場所へと来ていた。とある人物と落ち合うために…そして彼女の口から話を聞くため。…通された応接室は簡易なものだった。だがその部屋は彼女の所属する泊地よりよっぽど立派で流石はあの呉鎮守府だと感嘆の意を持っていた。…暫く待機しているとノックの音が響く。失礼しますという控えめな声の後、扉が開き、一人の女性が入室して来た。その呉鎮守府の秘書艦であり、旗艦を務める艦娘…鳳翔である。
「初めまして、鳳翔です。…瑞鶴さん。」
「…初めまして。」
瑞鶴は椅子から立ちお辞儀をする。目上の人間には礼を尽くすようにと言われていたことを実践するだけだがこんなにも緊張していた、鳳翔が座ったのを見ると彼女も着席する。一瞬沈黙が生まれたが次の瞬間には鳳翔の問いかけで静寂は打ち破れらた。
「あらかじめ聞いてはいますが、今回はどのような用件でこちらに。」
「単刀直入に聞きます。…私は『テイトクの自我の戻し方』を探しています。」
その言葉に鳳翔は顔色一つ変えなかった。それはあらかじめ分かっていたことなのだから。だが彼女はその重く閉ざした口を開くにはまだ弱いらしい。
「…私の先輩に、テイトクだった人がいます。それを知ったのはつい最近ですが。…そしてこの前、あの人は死んでしまいました。…私は彼をよみがえらせる方法を探しています。貴方ならば何かを知っているのではと、この場を訪ねてきました。」
それ以来瑞鶴は閉口した。これ以上語ることはないと、逆に鳳翔は開口した。
「余計な希望を持たせる前に答えだけ言ってしまいます。一言で言うならば『不可能』です。一度消えてしまった自我を呼び戻すことはできません。ただその人はその艦娘になったのでしょう…もう、その人は…加賀さんは戻って来れませんよ。」
予想していたとはいえやはりむごい真実だった。瑞鶴は己の無力さに今この瞬間に歯嚙みした。見透かされていたのは予想していた。あの人もこの目の前の人物と知己だったのだろうから。そして震える声を押さえて続けて聞く。
「…本当に、不可能なんですか?」
藁にも縋る可能性で聞く、が彼女の中での答えは揺らがないものになり確信していた。
「…『人格』を蘇らせることは不可能です。消失してしまった時はこの世界での彼らの死を意味しています。死人が蘇ることはどの世界でも出来ることではないんです。」
分かってはいたことだった。だが、彼女は諦められなかった。
「どうしてそこまで彼女に固執するのですか?」
鳳翔は瑞鶴が加賀に執着す理由が分からなかった聞く分にはテイトクということもつい最近まで知らなかったようだが。何故彼女は加賀に執着するのか。
「…新米だった頃。艦載機の飛ばし方とか…嚮導艦だったのが加賀さんなんです。その時は私と同じ何てのは思いもしなかったんですけれど…短命って呼ばれる艦娘の中で長い間前線に立ち続けてるってことを聞きました。…そして一緒に出撃もしました。強かったですよ。私の目の前が霞むくらいには。それから私は加賀さんに勝手に憧れてました。そんな人が私と同じって言うなら話してみたいとは思うじゃないですか…一度も話せないままなんて、悲しいんですよ。」
気付かなかった私がいけないんですけどね…と自嘲するように瑞鶴は笑った。なるほど、と鳳翔は納得した。一度も話せずに『彼』が死んでしまったわけだ。だからこそ何とかして彼を蘇らせようとしていたいうことになる。鳳翔は彼女に対して告げようか迷っていたことを伝えることにした。
「確かに…人格を蘇らせることは不可能です。消失してしまった時にその人格は死んでしまいます…ただ、例外があるんです。」
鳳翔の言葉に瑞鶴は首をうねらせた。
「例外?」
「はい。これは本人から聞いた話ですが…人格が消失し、自身がテイトクであることを忘れている駆逐艦がいました…ただある要因で彼女がテイトクであったことの記憶は呼び起こすことが出来た…と、聞いています。それがどのような要因かは分かりませんが人格は戻せなくても記憶は呼び起こすことが出来れば…話をすることは出来るのではありませんか?」
その言葉に現実に打ちのめされていた瑞鶴は一抹の希望を覚えた。
「…でも、もう『加賀』さんは帰ってこない…っていうことですよね。」
「そうですね…それはもう、どうやっても不可能な話です。」
人格は、自我は蘇らせることは不可能と断言されたのだ。瑞鶴は寂しさを覚えながらも一抹の希望に託すにした。
「…今日はありがとうございます。あの人は帰ってこなくても…けれども話くらいはしてみたいんです。とても参考になりました。」
「いいえ、この程度ならばお安いものです。…今度の集会には貴方も顔を出してくださいね。」
「…はい。」
瑞鶴は鳳翔に一礼するとその日のうちに呉を発って行った。まるで今この瞬間を忘れないようにと。
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希望が見えた。あの人を蘇らせることは不可能らしいけれども、あの人の記憶を呼び起こすことは出来るかもしれない。…あの人がいないのに目的を達成できるのかと思いはする…けれどもあの人に限りなく近い存在を起こすことは出来る。この際に高望みはしない。
あの人の記憶を何とかして呼び起こしてみる。…それで、加賀さんに質問をするんだ。元の日本の事…どんな人だったか、どんな提督だったか…いっぱい、いっぱい質問をしたい。これは私の個人的な願望…けれども…
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瑞鶴は手元の日記帳に顔を顰めた。
「…何を思って昨日の私はこんなのを書いたんだろ…」
筆跡は自分の字であることは分かる。そもそも自分の机の上にあったのだから自分のだ。それは分かるんだが、内容がさっぱり頭に入ってこない、まるで怪文書だ。
「…本当に昨日の私は何を思ったんだろ…加賀さんの記憶だとか…元の世界とか、さっぱり分からないや…
首をひねらせている瑞鶴に対して部屋の外から呼びかけがあった。
「瑞鶴、ミーティングよ。早くいかないと加賀さんに叱られるわよ。」
「げっ…分かった、すぐ行くよ、翔鶴姉」
そして瑞鶴は手元の日記帳をゴミ箱へと捨てると、大慌てで部屋から飛び出していった。鬼のように厳しい先輩に今日こそは見返してやるのだと、意気揚々と決意しながら…。
そしてその日記帳はその日のうちにゴミ収集場へ廃棄されることになった。