「――うそぉぉ!?」
朝から自宅に響く叫び声をBGMに、少年――
片方はミルクと砂糖を多めにするのを忘れずに。もう一つのカップは、起きてくる時間ではない一人のため、まだ空のままにしておく。
注ぎ終えた香ばしい匂いを上げるカップをテーブルへと置けば、丁度その頃にドタドタと大きな音を立てながら二階から一人の少女が降りてくる。
「もー!! なんで色くん起こしてくれないの!?」
「僕は何回も声をかけたよ。それでも起きなかった姉さんが悪い」
慌てた様子の色の姉――丸山
我ながら完璧な時間計算――内心で熱い自画自賛をしながら、色はトーストを一口齧る。
「叩き起してくれればいいじゃん!」
「以前それをやったら乙女の部屋に勝手に入るなって怒ったのはどこの誰でしたっけね」
「うっ……だ、誰だっけなぁそんなこと言ったの!」
「自分が言ったことも覚えてないのか、これだから残姉は……」
「あー! また残姉って言った!!」
怒りながら洗面所の方へ飛び込んでいく姉を、色は冷めた目で見送る。
朝食はもうちょっと遅い完成の方が姉のためにはちょうどいい時間だったか。この程度も読み切れない無能め。
心の中で、手のひらくるり。
「ど、どうしよう……また千聖ちゃんに怒られちゃう!」
「はいはい、だからって朝食抜きは許さないからね」
「え、で、でも時間が!?」
「アイドルは身体が資本。ちゃんと朝食べてエネルギー補給しないと後が大変だよ」
そう言いつつ、色はざっと手を洗う。それからリビングにあらかじめ用意しておいた櫛を持って、姉を朝食の用意された席へと座らせる。
「僕が髪は整えてあげるから。姉さんは朝食を食べてて」
「うぅ……ごめん、ありがとう……」
大人しく朝食を食べ始めた姉の髪を、色は手つきは優しく、顔は真剣そのものですいていく。
――何だこの髪、綺麗過ぎんだろ。本当に僕と同じ人類?
なお内心はこんなものであったが。
しかしそんな内心を表には一切出すことなく、色は洗面所へと一度移動し、寝ぐせ直しを持ち出してくる。
姉の朝食にかからないよう、ちゃんと角度を考えて、しっかりと髪の根元を湿らせて、丁寧に寝ぐせを抑えていく。
姉のこの寝ぐせ、というかそれが付いてしまう原因の寝相の悪さをどうにかできないか、と思いつつ湿らした姉の髪を乾かすのも忘れない。
これで姉のかわいさが更に際立った、さすが僕。
再び、手のひらをくるり。
心の手のひらの回転率を跳ね上げつつ、色は次の準備に入る。
色の姉はいわゆるアイドル、というやつだ。だから本当はその正体を隠さなければならない。
しかし姉は自己顕示欲が強いのか、見つけて欲しいと変装し切れていない格好でいつも外に出てしまう。それが姉の愛らしいところではあるのだが、それでは事務所の人に迷惑がかかる。
故に、色の仕事は姉が納得して、かついい感じに街行く人々が『あれ……丸山、彩?んん……?』となるラインを突く変装を用意することだった。
「まぁ、今日はこのあたりか?」
大きめの黒縁メガネに、ニット帽。髪型は先ほど、いつもよりしっかりとすくことでふんわり感を消して見事なストレートにした。
人間、街中ですれ違った相手をはっきりと認識したりなどしない。ぱっと見の印象を変えてしまえば、疑問に思うことはあっても確信を得られることは少ないだろう。
故に色は、毎朝こうして姉のシルエットが変わるように服や髪を整えていた。
はい変装、と姉に用意したものを渡せばありがとうと受け取られる。どうやら無事、姉の合格ラインにも達したらしい。
「どう、似合ってる?」
「ま、僕が選んだんだから当然の結果だね」
「もー、素直に褒めてよー……」
かわいいかよ、やはりうちの姉が至高。むしろこの最ッ高にかわいい姉に、自分のような愚弟がいるのが間違いなのでは? よっしゃ、死のうぜクソ野郎の僕。
心の手のひらが、唸る。
「忘れ物はない? 特にハンカチとティッシュ、こないだも忘れてたでしょ」
「大丈夫、大丈夫。昨日ちゃんと用意して……して……」
玄関までやってきて、ポケットとポーチ。両方を漁った姉の声がしぼんでいく。その段階で、ああこれは忘れたな、と色は察し、用意してあったハンカチとティッシュを差し出す。
「忘れないよう、枕元に用意して、そのままおいてきちゃった……」
「そんなことだろうと思ったよ。はい、用意しといたよ」
「うぅ……なにからなにまでありがとう……」
まぁ実際は、毎日用意しているのだが。いくら姉とはいえ、うっかりやらかす日までは流石に読み切れない。
そのため、いつうっかりがあってもいいように用意しておくのは、弟としての嗜みだった。
「お弁当、持ったね?」
「大丈夫、せっかく色くんが用意してくれたんだもん。ちゃんと持ったよ」
姉のちゃんと持ったは信頼ならないのだが、と思いつつも色は大丈夫だろうと判断する。先ほど確認した限り、弁当を用意していた場所にはもう何も無かったし、うっかりを疑い続けていてはキリがない。
時間もないことだし、大人しく送り出すことにして、靴を履く姉を見守る。気を付けておかないと、この姉は靴を履いて立ち上がる瞬間にすら転びそうになるのだった。
「時間押してるからって、無茶しないように。……それじゃ、いってらっしゃい」
「――いってきます!」
アイドルらしい、輝く笑顔でそう言って姉が玄関から出ていく。
……出ていってから、しばらく。姉が忘れ物などで帰ってこないことを確認してから。
「んああああー!! 彩ぢゃんがわいいよぉ!!」
「兄貴、朝からうっさい」
「あ、マイシスター。ちょっと待っててね、すぐに朝ごはん用意するから」
これが、丸山色の朝の一幕。
妹の朝食も作って、テレビに映る姉を見て悶えて。洗面所で身だしなみを整えて、テレビに映る姉を見て死んで。
時間が押してきたので慌てて登校の準備を済ませていたら、妹に姉の映るテレビを消されてブチギレた。
そんな風にして、ギリギリ時間で教室へと辿り着く。
「皆、おはよう」
「おっはよー!」
「うぃーっす、色ー」
挨拶を返してくれた級友たちに、意識的に爽やかな笑みを浮かべつつ軽く手を振って応じる。
色がアイドルの弟であることを、学校の人々は知っていた。己の評価がアイドル丸山彩の評価に関わる場合があるのを、色は知っていた。
だから色は、模範的な高校生を演じるようにしていた。
「色くん、毎日朝ギリギリだよねー」
「まぁ姉と妹の朝ごはんと、お弁当を作ってるから余裕がなくてね」
「わ、凄い。私なんかお母さん任せだよー」
幸い、姉に似て色は顔はいい。だからそれを最大限利用して、それ相応の性格を演じていれば、男子女子共にウケはよかった。
まぁ実際はテレビに映る姉の見過ぎで遅刻ギリギリなおバカなのだが。
それでも家族にアイドルがいて、またその伝手から演技の上手い人間と知り合えたために、そこら辺を誤魔化す技術が色には十分ある。
「おっす、おはよ
「おー、おはようさん、色」
窓際、一番後ろの席に座る少年――
色は相の一つ前の席に座りながら、演技ではない心からの笑みを浮かべる。学校において、唯一色が自然体でいられる相手が、相だった。
「それで? 今日のギリギリだった理由は?」
「テレビに映る姉さん見てた」
「いつも通りだねぇ。っと、先生が来たか。本当は俺も、朝話したいことは多いんだ。できるだけ早く来てくれよ?」
そう言ってウインクする相に、気持ちわりぃ、と色は端的に返して教壇の方を向く。
だがまぁ、気色悪いが悪い気はしない、と色は苦笑した。
「――さて、以上で
そう言って、HRを終えた担任が教室から出ていく。
あの先生はオンオフこそが大事だと言い、オフならばある程度のおふざけは見逃してくれる先生だ。
だから、HRが終われば即座に騒がしくなる。そんな喧騒の中、一限の授業の準備をしていれば、ふと肩を軽くつつかれる。
「あの……色くん」
「ん? どうしたの?」
「あれなんだけど……」
クラスメイトの、そこそこ関わりのある女子が指さす先を色が見る。
ついでに、相もそちらを見た。
「しょーじき、パスパレって微妙じゃない?」
「まー、最初が最初だったしなぁ……」
「彩って人も、トークは上手くないしな」
そこには、雑誌に載っていたらしいパスパレ――Pastel*Palettes、姉の所属するアイドルグループに対して、所感を言い合っているクラスメイト達がいた。
クラスメイトである色がその彩の弟だと知ってか知らずか。知っているなら結構いい根性してんなこいつら、と思いつつ色は溜息を吐く。
「……放っておいていいよ」
「え、でも……」
困ったように、チラチラとパスパレについて話し続けるクラスメイト達へ視線を向ける少女を見て、色は無駄にいい子だなこの子、と内心呟く。
「何かを見て、そこにどんな感想を抱くかはその人の自由だ。だから僕は特に何か言うつもりはないよ。それに、最初のライブでやらかしたのは事実だしね」
「だからって、色くんがいる場で……」
「まぁそれを意識的にやっているなら、僕も思うところがないわけではないけれど」
トントン、と教科書とノートの端を机の上で揃えながら、色は笑みを浮かべて、言い切る。
「僕の姉は凄いからね。いつか必ず、彼らの評価も覆してくれると信じてる。だから何も問題はないさ」
――そしてその日の昼休み。
「Fuck!! それはそれとしてムカつくもんはムカつくんだよ!!」
またまた手のひらくるり、屋上にて色が叫ぶ。隣で静かに弁当をつつく相が苦笑していた。
「難儀だねぇ、優等生を演じなきゃいけないっていうのは」
「ホントだよ。僕が優等生じゃなかったら、あの場で胸倉掴んでぶっ飛ばしてたわ」
「おや、姉を信じてる、という言葉は彼女を丸め込むための方便かい?」
「本心だよ……。納得してるのと、感情は別って話」
色が自作の玉子焼きを口へと放り込む。その荒っぽさに、色の本心を見て相はクツクツと笑っていた。
「まったく。君は本当にお姉さんが好きなんだね、シスコンさん」
「別に僕はシスコンじゃない。姉さんが彼氏を連れてきても、よっぽど酷くない限り歓迎する気概だぞ」
「気概はあっても、実際にそうなった時どうなるかは分からないと俺は思うけれどね」
そう言われると、色としては何も言い返せない。実際、その場になればどうなるか色自身予想つかないところもあった。
そうやって色と相、二人が周囲に人がいないために素で喋っていると、ふと色のスマートフォンが震える。
見れば、チャットアプリに新着があるようだった。
「姉さん? ……げぇ」
アプリを開いてみれば、姉からの連絡で『お弁当忘れた~』の文字と、泣き顔の絵文字がセットで送られてきていた。
……確か、今日の姉の予定は一日学校を休んで撮影やインタビューだったか。
そう色は姉の予定を思い出して、時間を計算する。
「……はぁ。ちょっと残姉のところに弁当届けてくる。言い訳任せた」
「ん、任された。後で俺に何か奢ってくれよ」
「放課後にでもな」
頼れる友人がいるのはありがたい、と思いながら色は頭を掻く。
一旦家まで帰って、そこから自転車で撮影現場まで行って――
「……うしっ!!」
左の手のひらに、右の拳を打ち付ける。気合十分、残姉のため、色はまず自宅へ向かって走り出した。
違うんだ……倉崎はあるちゅ〜ってやつが書けって言うから仕方なく……!!