「おん?」
何でもない祝日。しかし色の姉である彩にはアイドルとしてレッスンがあり、朝から出かけていった後。
姉を見送ったあと、二度寝していた色が起きてきてリビングに訪れたところ、テーブルの上に何かあることに気づく。
なんだろう、と疑問に思って近づく色。そこにあったのは、本来であれば姉が持っていっていなければならない手さげ袋。
もしかして、と中身を確認すれば、案の定入っているトレーニングウェア。
「まったくあの残姉は……」
そう言いながら色は手さげ袋を持ち上げる。
色はそれをどうすべきか、少しだけ考えた。
届けるか、届けないでおくか。
たまには痛い目を見るべきでは、とそんな思考が色の頭を過ぎる。
毎回色がフォローするから、問題なく済んでしまうためにうっかり癖が治らないのではないか。
いつもいつも姉のために頑張るのも疲れるのだ、と色は今回は放置することを決める。
そう判断した色は、手さげ袋をテーブルの端に寄せて、台所へと向かう。
今朝は姉を見送っただけで、色は朝食はまだだった。
現在の時刻は十時。あまり昼食に影響を出すわけにもいかない、と色は皿に少量のシリアルを入れる。
姉がいる時はしっかりと料理を作る色であったが、自分一人になると雑になる程度にはズボラであった。
「……ん?」
シリアルに牛乳をかけ終えた頃。ふと色は何かの音が聞こえてくることに気づく。
その音に聞き覚えがあった色は、一旦シリアルの入った皿をテーブルの上へと置いて自室へと向かう。
近づくにつれはっきりと聞こえるようになる音に、色はやっぱりかと思いながら歩調を強める。
そして自室へと入った色は、音源であった発光もして自己主張をするスマートフォンをその手に取った。
「電話……姉さん?」
着信の相手が姉であることを確認した色は、思わず顔を顰める。姉の要件がだいたい読めたからだ。
これ、出ない方が平和だよなぁ、と色は思うも。あの姉からの電話を無視するなどできないために一つ溜息を吐いてから、通話を繋げた。
『トレーニングウェア忘れちゃったよぉ~!!色くん助けて~!!』
「おっしゃ任せろ」
手のひら、くるり。
今日も色の手のひらはよく回る。
色があの姉に涙声で頼まれて動かないわけがなかった。
そのまま姉からいつものレッスン場にいることを聞き出した色は、急いでリビングへと戻り、先ほど用意したシリアルを流し込むようにして完食する。
姉に必ず朝食は食べておけ、などと言っておいて自分がやらないというのは筋が通らない。
故に色は急いでいながらもしっかりと朝食を食べた上で外出の準備に入る。
これから色が行くのは姉の仕事場になる。無論、しっかりと身だしなみを整えておかないと、姉である丸山彩の評価まで落ちてしまうかもしれない。
急いでいても、手抜きをすることは許されない。故に色は手早く、かつ丁寧に身だしなみを整えていく。
整髪料で髪型を整え、ちょっとだけ伸びていたひげを剃る。ここら辺は日頃からやっていることであるため、さしたる苦労もなく終わる。
服装はいくつか用意してあるテンプレートから選び取るだけゆえ、そこまで悩むこともない。
「……あ、差し入れ」
そうやって準備を終えた色は、家から出ようとしてふと気づく。
姉が世話になっているところに行くのだ、何も持っていかないというのも問題だろう。こういう小さな積み重ねが、少しずつ心証をを良くするのだ。
色はキッチンの冷蔵庫を開ける。基本的にそこそこの頻度で姉がポカをやらかすために、差し入れ用の菓子類に関してはストックがある。今回はわざわざ買う必要性はないため、冷蔵庫から適当な菓子を選び取るだけでいい。
それから菓子以外にも、個人宛の差し入れを用意して。
あとはいくつか確認したいことと伝えなければならないこともあるので知り合いに連絡を入れて――そうして色は家を出る。
あらかじめマネージャーの方へと話を通してあったために。また頻度的に顔見知りということもあり、色はあっさりと受付を済ませて姉がいるはずのレッスン場へと向かう。
この時、ある理由から色は気を抜くことができない。周囲を警戒しながら、しかし素早く歩を進めていく。
色にはどうしても見つかりたくない相手が、ここにはいるはずだった。
そんな風にして建物内を歩く色であったが、何とか目的地であるレッスン場へと辿り着く。
既にこの中には厄介な人物はいないことは確認済みなので、軽くノック。中から入っていいと許可する声が聞こえてきてから入室する。
レッスン場は鏡で作られた壁が一辺だけあるだけであり、基本的には何もない、シンプルな部屋になる。
現在は姉を始めとした、姉と同じアイドルグループの面々の荷物が置いてある程度で、実に殺風景な部屋だ。
とはいえ、ダンスレッスンが行われることを考慮すれば当然と言えば当然なのだが。
「失礼します、丸山色です。姉に忘れ物を届けに来ました」
「し、色くん助けて……!」
色が挨拶を告げると同時。姉である彩が駆け寄ってきて、情けない声で色の背中へと隠れる。
その段階で色は何が起きているのかを大まかに察し、申し訳なさげな目線をとある少女へと向けた。
「……いつもいつもうちの残姉がすみません、千聖さん」
「気にしないで、色くんのせいではないのだし」
そう言って色の目の前で苦笑する美少女は、白鷺千聖。
クリーム色の柔らかな色合いを持つ髪と、落ち着いた雰囲気。色にとっては姉の面倒も見てくれる頼れる年上のお姉さんになる。
「……それで、色くん。後ろにいるあなたのお姉さんを渡してもらえるかしら?」
「し、色くん?もちろんお姉ちゃんを売ったりなんて――」
「あ、どうぞ、煮るなり焼くなりお好きなように」
「色くぅん!?」
ズルズルと。姉が千聖に引きずられていくのを色は手を振って見送る。千聖に関して言うのであれば、姉を悪いようにはしないとある程度の信頼があった。
しかしこれではトレーニングウェアと、折角持ってきた菓子を渡すことができない。
そのため、色は先ほどのやり取りを少し離れたところで見ていた他のメンバーの元へ行くことにする。
「麻弥さん、イヴさん」
「お疲れ様です、色さん」
「こんにちはシキさん!」
色が軽く手を上げながら声をかければ、メガネの少女からは苦笑しながら。銀髪の少女からは元気いっぱいに返事が返ってくる。
メガネにミディアムヘアの少女が大和麻弥。比較的常識人であり、色にとっても関わりやすい先輩。
銀髪のモデル体型の少女が若宮イヴ。フィンランド人と日本人のハーフで、典型的な間違った日本のイメージを信じているタイプ。とは言っても、まだ色にとっては付き合いやすい相手になる。
「すいません、麻弥さん。いつもうちの残姉がご迷惑をおかけします」
「いえいえ、大丈夫ですよ。むしろ彩さんには助けられることも多いですから」
「そう言ってもらえると、姉も喜ぶと思います。……そうだ、これ今回のお菓子です」
「わ、いつもいつもありがとうございます。あとで皆さんと一緒にいただきますね」
紙袋に入れてあったお菓子を、色は麻弥へと渡す。今回は冷蔵ものなので後で食べるなら保存に気を付けるように伝えつつ、色はもう一つの紙袋をイヴの方へと渡す。
「イヴさん、これBLEACHの続き。突然だったし今貸してる分を返すのは今度でいいよ」
「っ! ありがとうございます!!」
イヴと色は同い年であるために、比較的に気軽にやり取りを交わす。
瞳をキラキラと輝かせたイヴに、色は思わず苦笑しつつも、その喜びように貸したかいがあるとほっこりする。
「……あ、そうだった。麻弥さん、これ姉のトレーニングウェアです。今お説教中で渡せないので……」
「あはは……」
色は麻弥と二人、千聖に説教を受ける姉を苦笑しながら見つめる。
とはいえそれは、ちゃんと面倒を見てくれる人が仲間にいるという証左であり。自身が見ていないところでの姉が心配な色としては、実にありがたい事実であった。
「そうだ、色さん。よろしければこれ、一緒に食べませんか?彩さんたちはまだ時間がかかりそうですし」
「あー……そうですね、そういうことでしたら是非とも――」
そんな麻弥からの、先ほど渡したお菓子の袋を軽く揺らしての提案を承諾しようとして。突如背筋に走った悪寒に、思わず色はレッスン場の入り口を振り返る。
何の変哲もないただの扉。しかし色には分かった。もうすぐここにヤツが来ると。
「……すみません、麻弥さん。やっぱりすぐにでも帰らせてもらうことにします」
手の平が、かつてないほどの速度で翻る。
マズい、ヤツだけはダメだと色の脳内で警鐘が鳴る。
即座に左の手のひらに右拳を打ち付け、気合を入れる。
軽く腰を落とし、重心は中心部に余裕を持って。少しだけ脱力し、あらゆる状況に瞬間的に対応できるようにしておく。
そうして――その瞬間が訪れた。
「――ここにいるね、色くん!!」
「うっせぇ!! 来んな!! 帰れ!!」
扉を開けて飛び込んできた薄浅葱の髪を持つ少女の動きを、色は咄嗟に見切る。
飛び込んできた少女が通るルートをざっと割り出し、そこから更に腕が届く範囲を人体の可動域から割り出す。
加えて。この少女なら予測を超えて対応してくるだろう、という範囲を直感的に掴み取り、回避行動に反映する。
左へステップ。同時に身を捻り、少女に対して肉体の側面を向け、相手が触れられる範囲を絞り込む。
それに対し、少女は空中で前方へと流れるエネルギーを流すように身を捻り、着地。そして流したエネルギーの指向を調整することで再接近に利用してくる。
再度ステップによる回避――愚策。先ほどの焼き直しになると判断。
正面から受けて、払う。そうして離脱のタイミングを伺う。色はそんな流れを頭の中で組み立て、迫りくる少女の右手を下からすくい上げるようにして左手の手首で逸らす。
続いて伸びてくる少女の左手を今度は逸らすのではなく、少しだけしゃがみ込むことで空ぶらせ回避する。ついでにしゃがんだことで、先ほど逸らした少女の右手が色を抱き込むようにして戻ってきていたのを回避した。
このままだと終わりがない。そう判断した色は、少女の両手が空振ったことで生まれた次の行動までの空白を利用し、色は少女の目の前で両手のひらを打ち合わせる。
猫だまし――古典的でありながらも、意表を突けばほぼほぼ確実に相手を怯ませることができるアクション。
これにより生み出された少女の意識の間隙。そこへ滑り込むようにして潜り込み、その一瞬をもって色は部屋外への脱出を済ませる。
逃げられた。そう理解した少女が、怯みを振り切り色を追って廊下へと飛び出す。
右、左。どちらに行ったか。迷うような仕草を少女が見せる。
「……と見せかけて上っ!!」
そう言って突如天井を見上げる少女。しかしそこに色の姿は欠片もない。
「あれー……? 色くんならそこにいそうな気がしたんだけどなー?」
そう呟いた少女は、どこ行った、と言いながらそのまま扉の傍から離れ廊下の曲がり角へと消えていく。
……それからしばらく。少女が戻ってくる様子がないのを確認してから、開かれたレッスン場の扉と壁の間に隠れていた色がその姿を現した。
「いや、マジで何なんだあの人……。何で僕が最初隠れようとしたところバレてるの……」
色は最初、部屋から飛び出した段階で天井に張り付こうと思っていたのだ。
捕まえたい相手が逃げた、そう慌てている状態でまさか天井にいるだろうなんて発想は普通は出てこないだろう、と思っていたのだが。
「直感がヤバいって言ったのを信じてよかった……。やっぱあの人の思考回路は読み切れん」
割とそもそも自分の天井に張り付こうという発想もおかしいという事実を認識しながらも、色はそれを棚に上げて先ほどの少女の読めなさに恐怖する。
氷川日菜。色の姉が所属するアイドルグループ、Pastel*Palettesに所属するアイドルの一人。……ではあるのだが。
言動が些かエキセントリックというか。何やらるんとくる……色なりに解釈するなら面白そう、興味深いと言われて以降、どうにもやけに色のことを振り回してくるために、色は彼女のことを関わると疲れる相手と認識していた。
「悪い人、ではないんだけどなぁ……」
マイペースというか、自由人というか。悪意によるものではないために色は彼女を嫌えず、また彼女とのやり取りに楽しさも感じているため強く文句を言うこともできず。
そしてそれを日菜が見抜き、本気で嫌がられていないならと絡むのをやめないために、こうして毎回出会う度に小競り合いが発生するのだった。
「ま、今日は僕の勝ちってことで」
左手を軽く宙で振るいながら、色は溜息を吐く。
捕まれば日菜の勝ち、次の互いに暇な日に色が日菜の要望に付き合う。捕まらなければ色の勝ち、次の互いに暇な日にカフェやどちらかの自宅などで二人でゆったりと過ごす。
そんな決まりが、暗黙の了解として二人の間には存在していた。
なんやかんやで色と日菜は、仲良しなのだった。
まさかバンドリ原作で戦闘描写擬きを書くことになるとは……。