恩知らずのトゥッティ・フルッティ   作:まみゅう

1 / 12
トゥッティ・フルッティの逡巡

 

 麻薬は人類の文明発祥と同じほど古くから存在し、その一種であるケシ――つまり、アヘンの起源はなんと紀元後三十年、メソポタミア文明の時代にまで遡る。

 それほどまでに麻薬の歴史が人類と密接に結びついているのは、それが快楽や苦痛からの解放をもたらし、宗教や芸術などの分野においてはときに素晴らしい創造性さえ与える代物だからだろう。

 しかし、世の中そう上手い話が転がっているわけがない。可愛いあの子が既に誰かのお手付きであるように、メリットがあればデメリットもあって当然だ。

 そしてこのプラトリアーナ・ベルナルディーニというイタリア女は本人が服用していないにも関わらず、見事なまでに麻薬の害と恩恵を享受していた。

 そう、かつての彼女は麻薬によって母を失い、今現在はその麻薬の産む金によって生活の一端を支えられているのだ――。

 

 

「ポルポさん、頼まれていた件は無事に終わりました。こちらがその報告書になります」

「ブフゥー、ベルか」

 

 一見したところ無人であった牢獄--と呼ぶにはいささか贅沢すぎるが--に向かって声かけると、キングサイズを超える大きさのベッドが荒い息を吐きながら身を起こす。その正体はギャング組織<パッショーネ>の幹部、ポルポであり、ベルの直属の上司でもある男だ。ベルが牢獄脇にあるポストのような窓口から報告書の束を差し入れると、彼はほとんど這うようにしてそれを手に取り、フム、と唸った。

 

「よろしい。ネアポリス港の交易は順調みたいだね」

「はい。拳銃、偽札、偽造クレジットカード、ポルノ雑誌、どれも問題はありません」

 

 確かに交易であることは間違いないが、今挙げたようなものは全て密輸品だ。ポルポはこのネアポリス地区の賭場と密輸を管轄しており、本人が動けないため、賭場の仕切りの方はブローノ・ブチャラティ、密輸関連はベルが代わりに請け負っている。なぜベルのような十七歳の小娘がチームも組まずにそんな大役を任せてもらっているのかというと、それは彼女のスタンド能力にも関わってくるのでおいおい説明するとしよう。

 

 ベルはポルポが資料を置き、クッキーの箱に手を伸ばしたのを見ると、「あのォ……」と躊躇いがちに口を開いた。

 

「なんだね?」

「そのォ、以前よりも街で麻薬中毒者を見ることが多くなりまして……住民からも不安の声が上がってるんですよ」

「……」

「ネアポリスの港はイタリアでも第二の貿易港なのに、密輸品の中に麻薬はない。空路もそうです。組織に麻薬チームができたのは小耳に挟んでますけど、まさか、」

 「ベル、」

 

 ぎろり、と紅い瞳にほとんど真上から見下ろされ、ベルはその先の"うちが製造までしてるんじゃあないか"という言葉を呑み込んだ。険しい顔をしたポルポはいつにも増して迫力があり、そのくせその顔色は叱責を恐れるマンモーニのように青ざめている。彼はその太い指の先をベルに向けると、言い含めるようにゆっくりと話し出した。

 

「いいかね、余計な事は考えるんじゃあない。ボスはわたしにネアポリス地区を任せた。そしてわたしは君に密輸関連の仕事を任せた。それはこの世で最も大切な、『信頼』で成り立っている関係だ」

「……」

「薬のことはわたしたちの管轄外なのさ。それに勝手に首を突っ込もうとするのは、ボスからの『信頼』を『侮辱する』ことではないかね、ええ?」

「……はい、申し訳ありませんでした」

 

 分厚い強化ガラス越しに頭を下げれば、わかればよろしい、との声が返ってくる。その声はどこか安堵したような響きを含んでいて、本当にこの男は麻薬事業については詳しく知らず、関わる気もないのだな、と思った。信頼だのなんだのと御託を並べてはいるものの、結局のところは保身が第一。そういう性格だからこそ、安全な刑務所暮しを選んでいるのだろう。

 

 指先を舐るようにしながらクッキーを食べだしたポルポは、まるでこの気まずい雰囲気をなかったことにするかのように「君も食べるかね?」と柄にもないことを口にした。ここには仕事の都合上何度も通っているが、ベルがポルポに食料の差し入れをしたことはあっても、逆に何かを貰うということはほとんどない。ポルポの口利きと<パッショーネ>のバッチさえ見せればボディチェックなどあってないようなものだが、ベルはたとえ札束だろうが唾液のたっぷりとついた手から何かを貰いたいなどとは思えなかった。

 

「えっ、いや、私は甘いものは苦手なので……」

「おやおや、それは人生の八割以上を損しているというものだよ。では果物は?」

「ええと、じゃあ……はい、頂きます」

 

 ここで「だが断る」と言えたなら、かなりスッキリしただろう。しかし後々の関係性を考えて、ベルは渋々頷いた。保守派なのはこの男に限らず、自分もだというわけらしい。ポルポが隙間から差し出してくれたのが、皮で中身が保護されているバナナだったというのがせめてもの幸いだろうか。まさかこんなものを持って外に出る訳にもいかないので、観念したベルはヘタを折るようにして曲げ、するりと皮を向いていく。

 

 その時、カチリ--と妙な音がした。

 

「……ん?なんだ、今の音は?」

 

 バナナを渡した方も、受け取った方も、揃って首を傾げる。どこかで聞き覚えのある音だと思ったが、それがなんなのかすぐにはピンとこない。一体なんでしょうね、と目だけで語って、ほとんど上の空になりながら儀礼的にバナナに口をつける。唇に触れたそれが金属特有の冷たさを帯びていると悟った時、ベルの指はバナナだったはずの--そこに存在するわけのない、銃の引き金にかかっていたのだった。

 

 (トゥッティ・フルッティッッ!!!)

 

 間一髪で出したスタンド能力の攻撃対象は、拳銃ではなくそれを握る自分自身の手。彼女は触れた物質の組成を『砂糖』--スクロースに変える能力者であり、変化させるのにかかる時間は対象物の組成に依存する。つまり元の組成が砂糖に近い、炭素や水素で構成されているものは一瞬で、窒素なんかも周期表で言えば炭素のお隣なわけだからそう時間はかからない。しかし拳銃なんて金属は、この土壇場で“変換”している余裕はなかった。自身の右手の肉がサラサラと白い粉になって床に散り、支えるものがなくなった拳銃もそれにコンマ数秒遅れる形で落ちて、カツンと大きな音を立てる。

 

 ベルは信じられない、と言わんばかりの表情で、ガラスの向こうのポルポをまじまじと見つめた。

 

「これは……一体……?」

「わ、わたしではないッ!知っているだろう、ブラック・サバスにはそんなことはできないッ!」

「ええ、でも、だとしたら--」

 

 これはポルポを狙った暗殺だと考えるのが妥当だ。しかも明らかにスタンド遣いによる攻撃で、自殺に見せかけた巧妙な手口である。ベルは床に散った砂糖から失った右手を復元すると--風のない室内であったのが幸いだった--「心当たりはありますか?」と冷静に尋ねた。そこには先程までの、保身的でオドオドとした雰囲気の女はもういなかった。

 

「直近で尋ねてきた人間は?」

「今日は朝から注文したピザをコリオラノの奴が届けに来たくらいだ。昨日はそう、新入り……ジョルノとか言ったガキが、ライターを返しに来た」

 

 コリオラノという男は、ベルもよく知っているし仕事で関わりもある。非常に気のいい男で、情報分析チームに属しているくせに、ポルポの使いっ走りをさせられても嫌な顔一つしない。<パッショーネ>に属してもう二桁の年月になろうかという彼が今更ポルポの暗殺を企てるとは思えないし、何より彼はその所属に相応しい、あまり攻撃性能のないスタンド能力だ。少なくとも、拳銃に変えたバナナをこっそり仕込んでおくような、そんな芸当はできない。

 

「では、その新入りはスタンド遣いである可能性が高いと」

「だが、そんな馬鹿な……能力に目覚めたばかりで、わたしと会うのも二回目だというのに」

「ポルポさん個人にではなく、組織そのものへの恨みかもしれません。殺しますか?」

 

 街では義賊めいた扱いだが、これでもギャングの端くれだ。荒事には慣れているし、ベルのスタンド『トゥッティ・フルッティ』は炭素、酸素、水素の三原子でその95%を構成している人間とはすこぶる相性がいい。密輸事業を請け負っているのは能力による物資の隠匿が容易であり、ベル自身の希望もあってのことだが、仮に暗殺チームに配属されていたとしてもそこそこ仕事はできる自信があった。

 

「当然だ、これはれっきとした『侮辱』だよ、ベル。お前の能力で楽に死なせてやるのが、口惜しいくらいだ。砂糖になった後に獣に食わせても、単なるドルチェにしかならないだろう」

「では、他の人間にやらせますか?」

「ブフゥー、いや、君に任せよう。だがまずは動機を聞き出さなくっちゃあならない。この殺意がわたしに対するものなのか、それとも組織に対するものなのか。他にも、志を同じくしている裏切り者がいるのか」

 

 ポルポは話しているうちに落ち着きを取り戻したらしく、そうするとまた腹が減ったのか、性懲りも無くクッキーを数枚つまんで口に放り込む。しかし、甘いはずのそれを味わったポルポの表情はこの上なく苦り切っていた。

 

「その新入りはだね、あのブチャラティの紹介だったのだよ」

「では--」

「あぁ、調べる必要があるね。わたしはあの男を『信頼』していたのだが……」

 

『信頼』を『侮辱』されたのなら、殺人すらも神は許すだろう。それがポルポの口癖であり、理念であり、信条である。ヴァティカーノのカトリック教徒が聞いたら卒倒しそうな話だが、ギャングに救いの手を差し伸べるような奇特な神はそもそもいないので問題あるまい。ポルポは神の名を引き合いに出して、自分の美学を述べているだけだ。

 だが、それでいい。美学を語る男はわかりやすくていい。ベルは人間離れした巨躯を持つ上司を見上げ、その命令を待った。

 

「今までは管轄をきっちり分けていたが、ネアポリス内での連携をとるという名目で君をブチャラティチームに派遣する。期限は一週間。その間に奴らを調べあげて、白でなければ殺せ」

「ヴァ ベーネ(分かりました)」

 

 白でなければ、ということはグレーでも殺せということだろう。しかし、こんな組織に身を置いていて、果たして純白の人間なんて存在するのだろうか。

 

「まあ、全部砂糖に変えれば、純白か……」

 

 刑務所を後にしたベルは、ぽつりとそう呟いて港の方へと向かった。一週間の任務。簡単に言ってくれるが、その間こっちの事情を汲んで船の出入りが止まってくれる訳では無い。こういうとき、チームを組んでいないのは不便だなと思ったが、とにかく誰か仕事を任せられる奴を見つけなくてはいけない。たぶん、いやきっと、コリオラノくらいしか頼める相手はいないのだが……。

 

 はぁ、とこぼされたベルの特大のため息は、ネアポリスの澄み渡る青空に溶けるように消えていったのだった。 

 




スタンド能力【トゥッティ・フルッティ】
破壊力:C スピード:B 射程距離:E 持続力:A 機密動作性:B 成長性:C

手で触れた物質の組成を砂糖(スクロース)に変える。変換にかかる時間は元の物質と砂糖の組成がどれだけ近いかに依存し、例えば炭素を含む紙と拳銃のような金属では後者の方が変換に時間がかかる。
また変換後の砂糖から元の物質に戻すこともできるが、その大部分が風で舞ったり流されたりして失われると復元は不可能。市販の砂糖から別の物質を作ることも出来ない。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。