足の裏が奇妙な振動を捉えた瞬間、響き渡る三発の銃声。
マルチェロは自分が何にどこから攻撃されたのかはちっともわからなかったが、同時にそれらが全て自分に当たらないことを確信していた。仮にここで目を瞑ったとしても、優雅にお茶の時間を過ごしたとしても結果は同じだろう。
はたして彼の顎を強かに打つはずだった糸杉の若木は、通常ではありえない弾道を描いて飛来した鉛玉によって木っ端みじんに砕け散る。
「な、なにィィーーッ!?」
今、マルチェロは憎きジョルノと十メートルほどの距離を開けて正対している。別の男の困惑する声が聞こえたのはマルチェロの真後ろで、普通ならばマルチェロの正面に伸びた糸杉に当たることはない。
だが、マルチェロのスタンドがあればこの結果はギリギリあり得てしまうのだ。なぜならブチャラティチームのガンマンが扱う銃は自由な軌道を描くことができる。そして彼のスタンドは既にペイント・イット・ブラックに汚染されている。この二点の事実をマルチェロはつゆほども知らないが、それでも
「ミ、ミスタッ!」
ジョルノと女の視線は、マルチェロの後方にくぎ付けになる。ゆっくりともったいつけるように振り返ってやれば、ミスタと呼ばれたガンマンは左肩に二つ、右わき腹に一つ風穴を開けていた。
「……オイオイ、一体どうなってやがんだよォ、これもテメェのラッキーだって言うのか? 当たらねぇならともかくも、
ただの強がりではなく、流血しながらも不敵に笑うミスタからはどこか自身と似たものを感じる。きっとこの状況でも絶対になんとかなると思っているのだ。実際、この男も大概運がよく、弾は全て急所を外れている。
「ス、スマネーッ! カラダガ勝手二ッ……!」
「デ、デモ、当タッタノハ木ダゾッ!?」
「ミスターッ、ミスタハ自由二動ケルカ―ッ?」
「馬鹿野郎ッ、おめーら、
ミスタは自分のスタンド達を一喝すると、無事な利き手で懲りずに銃を構えたままじわじわと近づいてくる。スタンドが汚染済みならこの男の自由も奪えそうなものだが、ばらばらの動きをする群体型だから一体一体を動かすだけでアルゲーロ的に定員オーバーなのかもしれない。確固たる意思を持ち、それぞれ別々のことを話すスタンドをマルチェロは初めて見た。
――この男のスタンドは銃……? いや、弾だけか?
二インチ程度の
この距離と遮蔽の物の少なさなら、わざわざスタンドを使わなくても普通の拳銃で十分だと判断しての接近か。
だがいくら鈍く光る銃口がこちらを向いていても、マルチェロは少しも恐怖を感じなかった。
「しっかし、攻撃を跳ね返したのはオレでも、そのちびっこいスタンド達でもねぇぜ? 感謝しなくちゃあなァ~~? どんな気分だ、ジョルノ? テメェのせいでお友達が傷つくってぇのはよォ?」
「……」
「お前のスタンドなんだろ? 上半身は自由なんだからよ、もっと使ってくれて構わないんだぜ?」
声をかけてやっても相変わらず憎らしいほど生意気な目をしているが、流石に仲間が自分のせいで負傷したのは心苦しいらしい。いい気味だ。
やはり、友情というものは誰にとっても大事なもの。それを踏みにじるのも、踏みにじられるのも苦しいだろう。初めて歪んだジョルノの表情を見て、とあることを思いついたマルチェロはにやりと笑う。
「なぁおい、ミスタだっけか? アンタのそれ、改造してるがコルト・ディテクティブスペシャルだろ? やっぱ男ならリボルバーに限るよなァ~~。オレもよォ、
そう言ってマルチェロも懐から自身の銃――コルト・コブラを取り出す。一応弾は装填されているが観賞用だと告白した通り、実際に撃った経験は数えるほどしかなかった。というのも、“幸運”を駆使すれば下手くそでも問題なさそうなのだが、そこは“運”の要素があるからターゲットに必中必殺とは限らない。絶体絶命のピンチ、相手を殺すつもりで撃った弾が外れてスプリンクラーに大当たり……逃走の機会を得られる、というのも十分に
しかし、今の状況ならどうだろうか。ミスタのスタンドは事実上こちらの手中にあり、射撃の精度は保証されている。対してミスタがいくら凄腕だろうが、彼の放つ弾は
「まぁまぁ安心しろって、オレは撃たねぇよ。ちょっとした余興に使うだけさ。おい、そこの女ッ! お前これ貸してやるから、撃ってみろよ」
だが構えるかと思わせて、無造作にぽいっと投げられたそれ。
目を瞠った女が視線で問いかけるのに対し、マルチェロは遠目に見てもよくわかるように頷いた。拾わせるにもアルゲーロが動かさなければ女の足はジョルノの頭にのせられたままだからだ。
「お前らさっき、いい雰囲気だったろ? 外でおっ始めようとするアンタらにこっちも焦っちまったくらいなんだからよォ~~」
「ち、違ッ! あれは――」
「いいから拾えよ、敵に銃を貸してもらえるなんて、お前ありえねぇくらいラッキーだぞ。わかってんのか?」
そこまで言うと意を汲んだアルゲーロにより、女は銃の元にたどり着く。当然彼女は一度こちらに向かって銃口を向けたが、それがいかに無意味な行動かはよくわかっているだろう。
撃って当たるなら、ミスタがさっさとやっている。
「さてジョルノ、これからあの女にお前を撃たせるわけだが……お前の能力、跳ね返せるんだよなァーーッ? 使ってもいいんだぜ? 誰しも自分の身が大事だもんなァーーッ?」
マルチェロとしてはどちらに転ぼうともまったく問題はなかった。素直にジョルノが撃たれてもいいし、ジョルノが女を裏切ってもいい。まぁここでジョルノが永らえたとしても所詮は一時的なものでしかないのだが、仲間内で殺し合いをさせることが肝心なのだ。これはれっきとした復讐なのだから、単にジョルノを殺して終わりというのではいくらなんでも味気なさすぎるだろう。
「さぁ、撃てよ。まだ腕は自由だろ? お前の手でジョルノを撃つんだ」
「……」
「撃たねぇってんなら、今度こそヒールで脳天貫かせるぜ? 銃であっさり死なせてやるほうがまだ優しいってモンだろッ? ええッ?」
それはおそらく殺す側にとってもそうだろう。生で殺しの感触を味わうより、引き金を引くだけのほうが手軽で心理的負担が少ない。文明は効率的かつ残酷に発展しているのだから当然だ。
「さぁ、やれよッ!」
怒声に背中を押されるようにして、女は観念したように銃を握りなおす。
「おいッ! ベルッ、やめろッ! どうせなら時間稼げ――」
その瞬間、パンッ、と勢いよく放たれた銃弾は、ジョルノではなくマルチェロの後方に飛んでいく。決して
「は……?」
思わず間抜けな声が漏れてしまうが、振り返って見たミスタもまさか自分が撃たれるとは思わなかったらしく黒い瞳を丸くしている。だが、女の射撃の腕もイマイチなようで、ミスタには当たらなかったみたいだった。
「時間稼げって言うならあと五発。あなたの方に撃ってもいいかしら?」
「……あぁいいぜ、当てられるモンならな。あと四発だったら断るところだが……五発だったらオレに向かって撃つのを許可するぜ」
「て、てめえら、何勝手なこと言ってやがるッ!」
ナイティナイン・プロブレムズは今、ジョルノ一人に“不運”のターゲットを絞っている。だからミスタに弾が当たるかどうかは純粋に女の腕次第で、そこに気づいたことは褒めてやってもいい。だがこちらにはもう一人、スタンド使いの相棒がいるのだ。
「忘れてんじゃあねぇだろうなッ!? さっきは不意のことだったが、次はそうもいかねぇ。てめえがミスタに向かって弾を無駄遣いしようが、こっちは弾道を操ってジョルノに当てることもできるんだぞッ!」
「……やっぱり、今のあなたの
「あぁッ? 喧嘩売ってんのか?」
「別に」
生意気にも鼻で笑った女はおもむろにシリンダーを開くと、手のひらの上にばらばらと残りの弾を出して見せる。ただそれだけなのに女が得意げにしているのが、かえって滑稽で笑えるほどだ。
「ハッ、何をするかと思ったら。弾を撃たずに捨てれば操れないとでも? さっきも言ったろ、銃が嫌なら蹴り殺させるだけだ」
「違うわ、一発だけ入れるのよ。リボルバーなんだし、あなたの能力だけでジョルノを殺せるって示してみなさいよ」
――ロシアンルーレット。
女は宣言通り弾丸を一つ摘まむと、こちらに良く見えるように装填する。間違いない。弾は確実に込められている。トリガーが少し引かれ、自由になったシリンダーの回るチャリリッという音が小気味よい。
マルチェロはどうして自分がそれを思いつかなかったのかと考えてしまうほど、興奮していた。別の言い方をすれば、頭に血が上って冷静さを欠いていた。
「面白れぇッ! ただし、こめかみでやれよッ?! 一回だ、一回で絶対にキメてやるッ! オレの能力で絶対に殺してやるッ!」
「ベル……てめーがジョルノを殺るっつうならオレも容赦しねぇぞ。お前は外したが、オレならスタンドなしでもここからお前に当てられる」
「おいッ、アルゲーロ! ミスタに邪魔させるな、全力で拘束しろッ! ついでにジョルノも首から下全部覆っちまえ、攻撃を跳ね返させるな、オレの“運”で確実に仕留めてやるんだッ!」
こめかみに直接銃口を当てるなら、ミスタのスタンドを細かく操る必要はない。女は自らの意思で引き金を引く。ジョルノの身体も拘束しているだけで別に動かしたいわけじゃあない。臨機応変に対応するため余力を残させていたが、アルゲーロが全力をだせば相手が群体型のスタンド使いでも拘束くらいはできるだろう。
クソッ! と焦りを含んだミスタの声が後ろから聞こえてくる。
「ベル……」
「ジョルノ、あなたさっき、私が殺すって言ったときも“どうぞ”って言ったわよね?」
かがみこんだ女の銃が、拘束されたジョルノのこめかみを捉える。もう少しくらい怯えた表情を見たかったが、まぁいい。ジョルノを殺すのが自分のスタンド能力だと思うと、マルチェロは嬉しくてたまらなかった。
「ええ。もう一度言ったほうがいいですか?」
「……結構よ。“無駄”だもの」
引き金が引かれる――ナイティナイン・プロブレムズがたった六分の一を外すなどありえないッ!
期待した通り紛うことなき銃声が、いや、
「ぎゃあああああッ!!」
「なッ!? なんだ、何が起こったッ!?」
女は確かに引き金を引いた。だが音がしたのは目の前のリボルバーからではない。
だったら銃声はどこから? 悲鳴は?
答えはマルチェロの視界の中にある。ジョルノの身体を覆っていたタールが、すうっと消えていく。死んだジョルノの身体ごと消えるのではなく、
「まさか、まさかァーーッ!!」
マルチェロの絶叫は、糸杉の林の中に木霊した。
呆然としている間に、カチャリと後頭部に固いものが当てられる。ミスタの低い声がすぐ近くで鼓膜を震わせたが、マルチェロの頭の中は大事な相棒のことでいっぱいだった。
「ったく、あいつら遅ぇよ……。にしても、奇跡的なタイミングだな。一瞬、マジでベルが撃ったのかと思ったぜ」
「……私もよ。ミスタが時間稼ぎしろって言うから何か策があるのかと思って……そのついでに“幸運男”の鼻っ柱を折ってやろうと思っただけなのに」
マルチェロがうつろな目で何度見つめようとも、ジョルノの頭に穴は開いていなかった。それどころかゆっくりと立ち上がり、服についた土を悠々と払っている。馬鹿な。ありえない。どうしてアルゲーロがやられて、自分は今銃を突きつけられているのだろう。そんなはずは……ナイティナイン・プロブレムズは絶対に
「それで、だ。ひとつ聞きてぇんだが、てめぇのラッキーはこの状態でも通用すんのか? オレの弾はあと三発。三回とも不発な可能性はかなり低いと思うが」
「……」
「どうしたよ、ありえるはずのないことが起こって、自分がラッキーだとは思えなくなっちまったか? でもよォ~自分で自分はラッキーな人間だと思っていなくちゃあ、ラッキーってのは舞い込んでこないと思うぜ」
まったくもって、その通りだ。マルチェロは今、かつてないほど打ちのめされている。スタンドパワーはすなわち精神力であり、特にマルチェロのそれは強く心持ちに依存していた。
が、ここで完全に心が折れてしまうほど、復讐心は――ルカへの想いは弱いものではない。
もしアルゲーロがやられたのだとしたら、尚更自分が仇を討ってやらねばどうすると、それだけがぐるぐると胸の内をのたくった。
「……やってみろよ、オレは“幸運”なんだ。タネはわからねぇが、その女も能力者だったってだけだろッ! 三発だろうと全部不発を引いてやるッ!」
マルチェロのスタンドはそれ自体に攻撃力はない。本人もそれがわかっているから、普段はヒットアンドアウェイの戦法を取っていたし、ここで彼が選択すべきは腹を括ることではなく、ナイティナイン・プロブレムズを最大限利用してこの場を“逃げきる”ことだった。彼の能力は射程が長いのだから、この場をしのげばいつかは絶対にジョルノを
そう、彼の覚悟は“仇を討つ”ための覚悟ではなく、仲間を失った男のただの悲しいヤケクソだったのである。
「待たせたな。ミスタ」
そうこうしているうちに、続々とブチャラティの仲間たちがこの場に集まってくる。マルチェロはもう一人だというのに、ジョルノには、ブチャラティにはたくさんの仲間がいる。それがどうしても許せずに、一層マルチェロの心を頑ななものにした。
「時間稼ぎ、それから“タール男”の傀儡役ご苦労様でした。随分と用心深い男で苦労しましたが、ベルもミスタもいい感じに男の注意を引いてくれたので助かりましたよ」
「オレのエアロスミス、かっこよかったんだぜーッ! あー、お前らにも見せてやりたかったッ!」
「ちっ、ジョルノの野郎はまだ生きてたらしいな」
「おかげさまで。助かりました」
「……クソガキが」
その時、うわああん、と恥も外聞も捨てた泣き声が響く。感動の再会というわけか。別に男に泣くなとは言わないが、泣きたいのはマルチェロのほうである。
が、この声には聞き覚えがあった。小心者で、泣き虫で、使い勝手のいいスタンドを持っているくせにいつまでたっても人の後ろをついて歩くのが好きな、放っておけない相棒――。
「ア、アルゲーロッ? お前まだ、生きてッ……!?」
背後には依然としてミスタが銃を構えている。慌てて視線だけで相棒の姿を探すが、目の前にいるのはブチャラティチームの者ばかりだ。「探し物はこいつか?」ぶん、と投げられた
「ッ!」
「ごめんよごめんよマルチェロォ~! オレのせいだ、オレが敵に気づかなかったせいでッ……!」
なぜ首だけで生きているのか、喋ることができるのかは不明だが、アルゲーロは顔面をしわくちゃにして泣きじゃくっている。そんな状態の相棒を見てマルチェロの胸に去来したのは、不思議と怒りではなく泣きたくなるような安堵だった。何一つ事態は好転していないのに、ただアルゲーロがこうして目の前にいることで胸がいっぱいになる。
「バカやろう……お前のせいじゃあねぇ。たとえどっちのミスだろうがオレたちはお互いを“恨んだりはしない”」
「うっうっ、そうだよなァ。オレたち友達だもんなァ……だからさ、オレも“恨まねぇ”し逃げてくれマルチェロッ……お前だけなら、
そこでようやく、“逃亡”という選択肢があることをマルチェロは思い出した。確かにナイティナイン・プロブレムズは守備に特化している。この人数相手でも逃げるだけなら不可能ではないかもしれない。ただ、それにはアルゲーロを置いていく必要がある。
「マルチェロ、オレのことはいいッ! オレはいいから、お前だけでも逃げてくれようッ!」
だが……そうやってアルゲーロを見捨てて自分一人で助かって、その後にジョルノを上手く殺せたとして、その時のマルチェロは“幸せ”と言えるのだろうか。復讐の動機は面子のためというより純粋な憎しみだった。マルチェロはただ、ルカとアルゲーロがいればそれでよかったのに、彼らを失って生き延びることが果たして
「……ミスタ、頼む。オレはジョルノにだけは殺されたくねぇ……」
マルチェロはその答えを自身のスタンドに委ねることにした。ナイティナイン・プロブレムズは必ずマルチェロに
「なぁ、アルゲーロ、ルカさんの“三つのU”覚えてるか?」
「もちろんだよッ、“嘘をつかない”、“恨まない”、相手を“敬う”だッ!」
「いや……オレ、最後にすごいこと発見しちまったんだ。Uは
後ろで、銃が握りなおされる気配がする。マルチェロは相棒をぎゅっと胸元に抱きかかえるようにして衝撃に備えたが、それでもその口角は不敵に吊り上がっていた。
「オレは友達を“裏切らない”ッ! 死ぬときも一緒だッ!」
間髪入れずに響いた二発の銃声が、男達に確かな
ミスタは倒れ込んだ二人を見下ろして、この男にしては珍しく苦々し気な表情を浮かべた。
「お前、敵だったけど嫌いじゃあなかったぜ。でもな、来世は覚えとけよ。“四”ってのは縁起が悪いんだ……」