恩知らずのトゥッティ・フルッティ   作:まみゅう

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天高きオルゴーリョ

 

 天高く、真っすぐに伸びる糸杉の林は、ヨーロッパの墓地や教会周辺では実によくある景色である。“お墓の木”とも呼ばれるそれは人々にとって死や喪の象徴であり、一説ではあのキリストが磔にされた十字架は糸杉の木によって作られたとか。

 そういう、信仰に関連すること以外でも腐敗しにくい糸杉は建築材や彫刻に幅広く利用され、ここイタリアではこの木を利用した寄木細工が有名でもある。あの画家のヴィンセント・ヴァン・ゴッホも好んで絵画の題材に使ったというのだから、ヨーロッパにおける糸杉の身近さは言うまでもないことだった。

 

「で、いつまでこうしてるつもり?」

 

 しかしいくら糸杉が慣れ親しんだ植物であり、それらが真っすぐに伸びるとしても、密集したそれらに囲まれると閉塞感がこみ上げる。加えてもう日も落ちかけてきているから、長い影に入ってしまうと遠目にはベル達がどこにいるのかまったくわからないだろう。なるべく人から離れて身を隠す、という意味では申し分ない場所だったが、目的は隠れることではない。ベルとしては完全に夜になって敵を探しにくくなる前にカタをつけたかったのだが、堂々と木の根元に腰を下ろしたジョルノはすっかりくつろいだ風であった。

 

「まぁそう焦らないで。あなたも腰を下ろしたらどうです?」

「あなたも私も近距離型でしょう。まずは敵の本体を見つけるだけでも悩ましいのに、こんなのんびりしていていいわけ? いつまたどんな“不運”がくるかわかったもんじゃあないのに」

 

 空港の正面にある、このポッジョレアーレ墓地の公園に来るだけでも一体何度事故に巻き込まれそうになったことか。普通の人間ならばきっと生きた心地がしないだろうに、ジョルノは嫌味なくらい落ち着いている。ブチャラティにもそういう度胸の据わったところがあるが、確かにジョルノはその彼が期待するだけの大物だわ……と密かに認めざるを得なかった。

 

「あの男の動機は恨みですからね。だったらぼくの苦しむところをみたいはずだ。たとえ遠隔タイプでも、待っていれば向こうから絶対にやって来る。空港ではこちらが散々お待たせしたようですし、少しくらいこっちも待ってあげてもいいと思ったんですよ」

「それにしたって、こんな無防備な……そうね、あなたの能力で植物のシェルターでも作ればよかったじゃない」

 

 彼の能力には攻撃を跳ね返す力があるのだから、待ち構えるとしてももうちょっとやりようがあると思う。

 と言いつつ、ベルも自分ばかりが気を張っているのがだんだん馬鹿らしくなってきて、ジョルノに勧められるまま、彼の隣に腰を下ろした。

 

「敵の“不運”には制限があると思いませんか?」

「制限? それって範囲ってこと? 確か、“不運”になり始めたのは敵の一キロ圏内に入った辺りだったわね」

「ええ。それもそうですが、思い出してください。最初の“不運”だって、いきなり車に爆発物が仕掛けられているわけじゃあなく、タイヤのバーストだった。自転車のブレーキの効きが悪くなるのも、そうありえないことじゃあない。観光客の多い通りではジェラートを持った人間がうろうろしているのも普通だし、火事が起こったのは宝石店ではなくキッチンのあるリストランテだ。空港で不審物の誤発見が起こるのも、本物のテロリストが来るよりは確率が高い。ぼくにターゲットが絞られた後もそうです。突っ込んできたのは空港によくあるタクシーで、十トントラックやましてや隕石なんてものでもない」

「つまり……ギリギリあり得る程度の“不運”ってことかしら……?」

 

 ベルが答えにたどり着くと、ジョルノはゆっくりと頷いた。しかし、いくらありえる程度だからと言っても、本当にありえてしまっては危険なものも多い。「では、今の場合だとどんな“不運”がありえると思います?」思わず辺りを見回すが、人はいない。ここは墓地の中の公園の外れで、車で乗り入れるのも難しい。隕石が降ってこないのなら土葬の死者が蘇って襲ってくることもないだろうし、あとあるとすれば……。

 

「この木が燃えるとか、倒れるとか」

 

 ベルは糸杉の幹に背中を持たれかけさせつつ、頭上を仰いだ。幸いにも見上げた空には雨雲の陰りは見られない。

 

「そうですね。特にイタリアじゃあ煙草のポイ捨てなんてそう珍しくありませんから。墓参りに来た誰かが公園で休憩してその吸い殻から、ね。自然発火や落雷による火災よりは十分あり得る。植物のシェルターなんか作って引きこもったら、蒸し焼きにされてしまいますよ」

「シェルターじゃなくっても、今この状況で火災は困るわよ」

「ですから、もし火が出たらあなたが燃え始めの草木を砂糖に変えてください。砂糖は焦げたり溶けたりはするけれど、燃焼性が低いし空気中の酸素程度では単独で燃え続けたりしないから」

「もーッ! じゃあこんなぼさっと座ってないで、今のうちに煙草の吸殻集めておきゃあいいじゃないのッ!」

「どうせ燃えるときは“見落とし”があるものです。それに“不運”が始まったら敵が近くに来た証拠じゃあないですか」

 

 ぴしゃり、と涼しい顔で反論され、ベルはぐぬぬ、と唸ることしかできない。こんなギャングに入りたての、年下の少年にここまで言い負かされるなんて。

 別にこの場合は勝ち負けも何もないのだが、ベルはついムキになって身を乗り出した。「ねぇ、聞きたいんだけど」どうせポルポの件に関して尋問はするつもりだったのである。二人きりの今は都合がいいし、もしも黒ならここで始末してしまってもいい。

 

 始末――そう、そもそもベルはジョルノを消すつもりでブチャラティチームへとやってきたのだ。まだ接触して初日であることと、予想外に年若い少年だったためについ様子見をしていたが、今ならジョルノを消してしまっても引き続きブチャラティの調査に当たることができる。

 じゃれるふりをして彼の肩を突き、体重をかけて押し倒したベルは、そのままジョルノの両手首を掴んで捻り上げた。この世界にいて長いのだから、これでも一通りの体術くらいは身についている。

 

「……随分と積極的なひとですね」

「吸い殻での火災より、年上のお姉さんに襲われるっていう“不運”のほうが確率が高かっただけじゃない?」

「それで、聞きたいこととはなんでしょう?」

 

 見下ろしたジョルノの表情は、相変わらず涼し気だった。この状況に動揺することも、年頃の少年らしく高揚することもない。ろくな抵抗もなくされるがままで、それがベルの癪に障った。アバッキオがこの少年に大人げなくイラついてしまうのもなんだか少しわかる気がする。

 

「あなたがルカを殺したのって、さっき蔦を砂糖に変えようとした私みたいに自滅だったってこと?」

「……今、その確認をするのは無駄じゃあないですか? 自滅だとしても敵が矛を収めてくれるとは思えませんし」

「敵はそうでしょうね。でもあなた、私がポルポのとこから来たってわかってる? だったらこの“殺意の確認”は無駄じゃあないと思うけど」

「……」

「質問を変えましょうか、ジョルノ・ジョバァーナ? バナナって植物?」

 

 そこまで言ってようやく、ジョルノの片眉がぴくりと動いた。

 やはり、わざとだったのか。いや、わざとじゃなく拳銃をバナナに変えるなどあり得ないのだが、それでもベルは小さく息を呑む。それはこんな少年が暗殺を、という事実の他に、下から見上げてくる彼が穏やかに微笑んでいたからかもしれない。恐ろしいことに通常、浮かぶはずの罪悪感や失態を恥じる色が、彼の表情には全くなかったのである!

 

「……もし、故意だとしたらあなたはぼくを殺しますか?」

「ええ。でも、その前に理由が知りたいわ」

「ぼくはあの男が言ってた通りにしただけのことですよ。“侮辱する”という行為に対しては、殺人も許されるんだって」

 

 それは確かにポルポがよく言う言葉だった。では、この少年は何かポルポに侮辱されるようなことがあってその報復に暗殺しようとしたというのだろうか。スタンド能力を身に着けてすぐに? なんて末恐ろしい……。

 体勢は相変わらずベルが上だったが、いつの間にか圧倒されてしまっているのを感じる。つうっ、と米神に汗が伝った。

 

「……じゃあ、私がその報復でさらにあなたを殺しても許されるってわけね?」

「やれるものならどうぞ」

「はあっ!?」

「あなたがぼくの両手を砂糖に変えてしまったら、ぼくはもうスタンドを使えない。この状況で殺すのはそう難しくないと思いますが」

 

 挑発か。いや、そうではない。彼はベルの能力をわかっているのだし、こんな状況で挑発する意味がない。第一、ジョルノの瞳には嘲りの色はなかった。ただ底知れぬ覚悟の光だけが、薄暗くなってきた視界の中で爛々と輝いている。

 

「頭おかしいんじゃあないの、殺すって言ってんのよッ!?」

「だからどうぞと言っています。何度も言わせないでください、ぼくは無駄が嫌いなんだ」

「ッ……!」

 

 殺れる、確実に。別に人を殺すのだって初めてじゃあない。こいつは生かしておくと危険だ。チンピラ崩れでやむなくこちらに足を踏み入れたのではなく、もっと何か大きな野望を持った――そう、この男は組織の為にならない、理屈抜きにそんな気がする。

 

「トゥッティ・フルッティッ!」

 

 だが、ベルが能力を発動したとき、その手はジョルノの手首からは離れていた。対象は二メートル先の、木蔦の下生え。細長く白い煙が立ち上り始めていたそこから、先ほどひと際大きな火の手が上がったばかりだったのである。

 

「敵さんのおでましよ」

 

 ベルは精一杯虚勢を張ってそう言うと、ジョルノの上から退いた。自分が精神的に彼に押し負けてしまったことは明白だ。それはもはやスタンドバトル以前の問題である。動揺したまま、ひとまず周囲に視線を走らせあのウサギ男の姿を探すが見当たらない。

 

 不意に目の前を、黒い物体がいくつも降り注いだ。

 

「ッーー!? 鳥、ですって!?」

 

 ぼとぼとと狙いをすましたかのように墜落してくるのは、濡れ羽色と呼ぶのが相応しいほど真っ黒な鳥たちだった。だがそれらはカラスではなく、大きく発達した胸骨の形から元々は鳩なのだろう。黒く染められた鳩たちは地に落ちた後も羽をばたつかせ、その身を染める染料を二人の足元にまき散らしていく。

 

「これがあり得るレベルの“不運”だって言うのッ!?」

「いいえ。これは……敵は二人いるようですね……」

 

 付着した黒い染料はコールタールのようにどろりとしていた。それだけでなく、まるで意思を持った生き物のようにじわじわと身体を這いあがってくる。逃げようと思っても足が自由に動かせなかった。ジョルノも同様、両足の足首から下は完全に黒く染め上げられている。

 

「よぉよぉよぉ、クソ生意気なガキよォ~。まだ無事に生きてっかぁ~ッ?」

 

 ウサギの男が現れたのは、二人が膝から下の自由を失った頃合いであった。

 

「そういやぁ、自己紹介がまだだったなァ~。 オレの名はマルチェロで、あんた達の足を捕まえてるもう一人の仲間はアルゲーロってんだ。二人ともよぅくルカさんには世話になったんだ……まぁ、奴はシャイなもんでよ、顔出しは勘弁してやってくれな?」

 

 男はゆっくりとこちらに近づいてくるものの、決して十メートル以内には入ってこようとしない。ベルの能力はまだ見られていないはずだが、空港で反撃しなかったことからして近距離型だと見抜かれているのだろう。お互いあからさまな様子見だったが、やはり動けないという点で不利なのはこちらだった。

 

「……オイ、ガキッ!! こっちが名乗ったんだから、そっちも名乗るのが礼儀ってモンじゃあねぇのかーーッ? ああーーッ?」

「ジョルノ・ジョバァーナだ」

「そうかい、ジョルノ君ね、ジョルノ君……。そうだなァ。ジョルノ君はどういう死に方が望みだ? ルカさんは頭にスコップ叩きこまれてたみたいだけどよォ~、はぁ~ッ、痛かっただろうなァ~ッ?」

 

 男は妙な猫撫で声を出したり、かと思うと急に大声を上げて怒鳴りつけたり、じわじわとジョルノをいたぶっているつもりのようだが、ちらりと横目で盗み見た彼の顔は至って真顔である。むしろ男の方が次第に苛立ちを隠せなくなってきており、先ほどの自分もこんな感じであったのかと、ベルは内心物凄く落ち込んだ。

 

「あの人はよう、ほんとにほんとに優しい人だったんだ……お前みたいなやつに殺されちまうなんて絶対あっちゃあいけねぇんだ」

「……」

「このクソガキーーッ!! 聞いてんのかコラッ!! 何黙ってやがるッ!」

「……優しい人が子供に麻薬を売りつけますか?」

 

 ジョルノの静かな問いは、糸杉の林に沁み入るようだった。

 そりゃあルカが薬を扱っていた噂を確かめるにはこの男に聞くのが確実だろうが、今この状況で質問できる精神がどうかしている。男も流石に虚を突かれたようで、はぁ? と一瞬、間抜けな顔を晒した。

 

「……テメェ、何か勘違いしてねぇか? オレ達はギャングなんだぜ? おい、アルゲーロ、こいつにわからせてやれッ!」

 

 マルチェロがそう声を張りあげると、ベルの身体が勝手に動き始める。そしてそのまま鋭く尖ったヒールの先で、ジョルノの足の甲を思い切り踏み抜いた。「ッ……!」これは流石に痛かったようで、ジョルノの顔が初めて苦痛に歪む。しかしそれでも、瞳はまだ恐ろしいまでの落ち着きをたたえていた。

 

「なるほど……このタールのようなスタンドで人を使って薬を運ばせ、あなたの“幸運”で取引現場は絶対に見つかることはない。そういうことですか?」

「だったらなんだってんだよッ!」

「なんでもありませんよ、ただ、それはぼくの目指すギャングとは違う……」

 

「なにワケのわかんねーこと言ってやがるッ! アルゲーロ、やれッ!」

 

 マルチェロの号令にベルはハッとしたが、依然として身体の自由は奪われている。今やタールは腰元まで侵食してきており、容赦のない蹴りがジョルノの胴に叩きこまれた。

 

「ぐッ」

「ジョルノッ!」

 

 一体どうすればいい。上半身はかろうじて自由だが、マルチェロはスタンドの射程距離の外だし、ジョルノを砂糖に変えたところでどうしようもない。繰り返される猛蹴にとうとう膝をついたジョルノは地面に倒れ伏し、ベルはというと彼を()()()()()()()()()()焦っていた。

 

「ハハハハハッ、情けねぇなァーーッ! 今ので肋骨、何本いった? 女の蹴りで骨を折るなんてよォ、情けなくって涙が出るぜーッ! でもな、打ち所が悪けりゃそういうこともあるさ、今のお前はとびきり運が悪いんだから仕方ねぇよ……な?」

 

 そして地べたに這いつくばったジョルノの頭に、ゆっくりとベルの踵が乗せられる。

 

「女のヒールってのはよう、お洒落だかなんだか知らねーが、なんでこんな危ねぇんだろうなァ? なぁジョルノ、今その女が思いっ切り踏んだらよォ、ヒールが脳天までぶっ刺さっちまうんじゃあねぇかァ?」

 

 その言葉に顔色をなくしたのは、ジョルノではなくベルの方だ。これはやむを得ない。まだ自由に動く手を身体にそわせるようにしてそっと下ろし、自らの右足を()()覚悟を決める。いくら砂糖から再び戻せると言っても、この後の勝ち筋が見えない以上はやりたくなかった。それに砂糖なら何でもよいというわけではなく、変化させた分の砂糖が散ってしまえばもう元には戻せない。

 それでも――。

 

「使わなくていいんですッ、ベル! ぼくはこの位置がいいッ!」

「えっ!?」

 

 見れば倒れたときについたジョルノの拳が、地面を割っている。

 ぼこりぼこりと地下を脈打つそれはまっすぐにマルチェロの元へ向かい、彼の顎目掛けて勢いよく息吹いた――。

 


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