状況は混迷を極めていた。
学生寮1025号室――本来は一夏とシャルルがいるべき部屋で。
「…………」
「…………」
なんかすごい不機嫌な女子とそのツレが、一夏のベッドに腰かけている。
それを見てアメジストの瞳を細めながら曖昧に微笑むシャルルは、自分のベッドに座り。
学習机の上でとぽとぽとお茶を淹れている一夏は、顔中にびっしりと汗を浮かべていた。
(なんだ……!? 東雲さんのお連れさんは何で怒ってるんだ……!? 分からん、さっぱり分からん……!)
最近は影が薄くなりがちだったものの、彼は本来度を越えた唐変木である。
苦手意識と羞恥が混ざっている少女の感情など分かるわけもない。
「ど、どうぞ……」
湯呑を二つ、少女たちに差し出す。さすがに叩き落されたりはせず、両者きちんと受け取ってくれた。
「……どうも。結構なお手前で」
水色の髪の少女は、冷たい言葉でお世辞を言う。
その雰囲気ばかりはまるで身に覚えがなく、むしろ彼女を助けた一夏としては理不尽この上ない。
(シャ、シャルル……!)
助けを求めて視線を送ったルームメイトは、顎に指をあててうーんと考え込んだ。
シャルル視点では、彼女は間違いなく一夏に対して何かしらの感情を向けていて、それが不機嫌さという形で表出しているのだ。
「……あの、えっと、名前を聞いてもいいか?」
「あっ」
とりあえず一夏は、水色の髪の少女に声をかける。
彼女はちょっとぽかんと口を開けて、頬を赤く染めた。そういえば名乗りすらせずに、部屋にまで上がりこんでしまったのだ。
談話室で助けられた際、彼女は何かを一夏に言おうとして、だが言えないという状態だった。
見るに見かねた一夏はとりあえず本を一緒に運び、それでもまだ何か言いたげな様子を見て、女子の部屋よりはと自分の部屋に招いたのだ。
ちなみに布の塊は簪がキレ気味に放置していこうと提案したので放置した。
おそらく待っている間に寝落ちした結果がこれなのだろう。顔も知らないであろう少女に一夏は合掌した。
「……更識、簪」
「更識――ああ、楯無さんのね」
「……ッ」
何気ない言葉だった。
だがシャルルは、それを聞いた簪が少し身をこわばらせたのを見逃さなかった。
(――コンプレックス持ち。多分根が明るい方じゃない。なのにここまで一夏に対してつっけんどんってなると……そのお姉さんに対するコンプレックスに近いレベルで、一夏と何か因縁があるのかな?)
多くの人間観察をこなし、それができなければならなかった立場のシャルルは、僅かな挙動から心理を読み取っていく。
東雲がちらりと簪を見て、何かしらを話そうと口を開いた。
瞬間。
「
一夏の唇から漏れた言葉に――眼鏡型ディスプレイの奥で、簪の目が見開かれた。
「目標が高ければ高いほどきつい。うん。本当……しんどい」
「…………でもあなたは、専用機までもらって……前に、進んでる」
「欲しくてもらったわけじゃない」
「――――ッ!」
その言葉で簪の目つきが変わった。
「貴方は……!」
「だけど――前には、進まなきゃいけない」
「ッ!」
激情に駆られて飛び出した言葉が、それを聞いて止まる。
一夏の瞳は虚空を見つめていた。
いや正確に言えばきっと、それは、ここにはない
「どんな壁があっても、それを理由に諦めたくない。立ち止まることがあっても、後ろを振り向くことがあっても。俺は最後には、前に進みたい」
すっと視線を落として、彼は震える自分の拳を見つめる。
何を見ているのかまでは、三人は読み取れない。けれど何かに耐えているのだけは分かる。
「だから――今は、こいつがあって、助かったと思ってるよ。まあ最近はちょっと困ってるつーか……絶賛立ち止まってるとこで、申し訳ないんだけどさ」
腕につけた白いガントレットをぽんぽんと叩いて、一夏はぎこちなく笑った。
それを聞いて簪は――どこか、毒気を抜かれたようにぽかんとしている。
何か想定外のことが起きたような。
それも想定外に
(――専用機。コンプレックス。それと……制服にいくつも端末を入れてるね。でも整備課じゃない。間違いなく専用機持ち。日本人。これは――彼女の専用機に何らかの問題が発生している。それも恐らく一夏が原因で……?)
場の流れは確かに変わった。人間の感情のレールが切り替わった。
(うん。結構今ので、冷淡な感じがほぐれてる。この場をより良い方向に導くためには、一夏と更識さんの関係を良好にするためのあと一押しをすることがベストかな。そのために必要なキーパーソンまでそろってる。これならちゃんと
シャルルの思考回路はただ一つの目的のために、常人よりも純化されている。
目的を単一化し、ただそれのみに突き進む、それのみに価値を認める。
シャルル・デュノアは曇りなき眼でそれを信じていた。
故に彼は気づかない。
「ねえ、東雲さん。せっかくだからさ、二人が仲良くなれるように、明日にご飯とかどうかな」
「………………………………………………………………」
その女は簪よりはるかにキレているということに――!
そして後日。
「これでいいか(半ギレ)」
そこでは東雲は再び食堂を貸し切って、今度こそ寿司百パーセントのバイキングを開催していた!
「すごい! っていうか、想像以上すぎて逆にびっくりっていうか……!」
「喜んでくれたのならばよかった(半ギレ)」
シャルルは隣のクールビューティがめちゃくちゃキレていることに一向に気づかなかった。
「これは……一体……なんなのだ……?」
トロの握りをこれでもかとトレーに並べつつも、箒は困惑の声を上げる。
食堂は貸し切りで、名目上は『学年別個人トーナメントに向けて学年の親交を深める会』なのだが、これは東雲が完全なやけっぱちで千冬に突き付けたモノだ。
元がそれなのだから形骸化するのも早い。とりあえず暇な一年生がわんさかと集まって、好き放題に騒ぐ空間となっている。
「やー、『世界最強の再来』っていうしあの感じだし、とっつきにくいかと思ったらさー」
「結構いい人みたいだよね! こういうパーティーを開催してくれるなんて!」
仕方ないことだが一般生徒から東雲への好感度はうなぎ上りだった。
今までは人を寄せ付けないような鋭利な空気を身に纏っていた少女が、こういった開けた場を主催したのだ。
一年一組から始まり、八組までの生徒らが食堂に出たり入ったりである。
最も騒いでいるのは言うまでもなく一組生徒だ。
「みんな楽しんでくれているようで何よりである(半ギレ)」
そんな中で、東雲は明確にキレていた。顔にも声にも出ていないが、めちゃくちゃキレている。
まず大親友が自分を裏切って一夏と身体接触した時点で完全に怒り狂ってはいたのだが、あろうことか二人がそこから仲良くなるための手助けをすることになったのだ。
(そりゃね。仲を取り持とうとは思ってたよ。かんちゃんは絶対おりむーが嫌いだから、いがみ合うことがないように、お互いが傷つかないようにしようって思ってたよ。出会い頭にハグしてたんだよ。誰があそこまでくっつけって言ったんだよ。当方ですらしたことがないのに。当方ですらしたことがないのに!)
あれが不可抗力であることは東雲とて理解しているが、やはりそれで感情を制御できるほど成熟した人格ではない。
表に出ていないという意味では感情を制御できていると言えなくもないのだが……
(当方に!!!!! しろよ!!!!! そういうのはさあ!!!!! ていうかフッた女の目の前で別の女とイチャコラするなよ!!!!!!!!)
フッてもいないしイチャコラもしていない。
ついでにお前にしたらカウンターで首が飛びかねない。
東雲は食堂のカウンター席に腰かけ、副主催者であるシャルルと共に会場を眺めていた。
今回の一件で一般生徒の間では東雲とシャルルの関係を勘繰るような噂も流れているのだが、東雲はまず気づいていないしシャルルもそういうのじゃないときっぱり否定している。
元より学年全体を巻き込んだのは、一組に属する生徒と四組に属する生徒を自然に引き合わせるというそれだけのため。
二人きりでは片方が気後れする。だからこそこうして、逆にどんちゃん騒ぎにすることで目立たないようにした。
シャルルは話しかけてくる女子の話を笑顔で聞きつつ、分割思考の一つを食堂隅の会話に割いた。
一つのテーブル。喧騒とは切り離されたような空間。
織斑一夏と更識簪が、そこに座って対面している。
「…………そっか。そういうことが、あったんだな」
「……うん」
倉持技研が『白式』を担当していることは一夏も知っていた。
だがそれゆえに、簪の専用機が人員を奪われ完成から遠のいていたとは知りもしなかった。
「最近は、『みつるぎ』っていう会社がサポートに加わってくれて……巻紙さんっていう人がすごく、丁寧に補佐してくれてるけど……」
「うん、そっか」
二人に挟まれたテーブルには、東雲が勧めた特上の握りが並んでいる。
会話を優先するあまり放置されていたそれらに、あえて一夏はそのタイミングで手を伸ばした。
「
「!」
「『白式』のために働いてくれてる人たちのおかげで、俺は戦える。俺が、『あの人たちは本当は君のために働くべきだった』だなんて勝手に言うことは……俺を支えてくれている人たちへの、冒涜だ」
「……ッ」
一夏はヒラメの握りを口に放り込んで、咀嚼し、飲み込む。
それから真剣なまなざしで、簪を見た。
「だから君には、俺個人を嫌う権利がある」
「……嫌いになんて……なれないよ」
「どうして?」
「……織斑くんは……前に……進んでるから……」
一夏の眉が跳ねた。
しっかりと、言葉にはしてないのに。
言葉の後ろに――『私なんかとは違って』と聞こえた。
「それは違う。俺は……今まさに、立ち止まってるところだよ」
「え?」
「今、すっげえつらくて、すっげえしんどいんだ。だから……這ってでも進むなんて考えは、やめた方がいいのかもなとは思ってる。目指すべき方向を見据えながら、今は少し、立ち止まってもいいのかなって」
彼の瞳に揺れている哀切を、簪は確かに読み取った。
食堂はいまだ喧騒に包まれている。誰もこちらを見ていない。
「……多分、大丈夫」
え、と。
間抜けな声が、一夏の口から転がり出た。
簪はテーブルの上に身を乗り出して、一夏の頭をそっと撫でていた。
「こんなこと、言うの……ヘンだけど。私は、
なんとか笑顔に寄せようとして、彼女は唇をぎこちなく吊り上げる。
まったく笑顔になっていないけれど、自分に気を遣ってくれているのは分かる。だから一夏は笑い飛ばそうとした。似合ってないぞと。
「大丈夫……織斑くんはきっといつか、立ち上がれる」
だけど。
「私、少し、勇気もらっちゃった……織斑くんもそうなんだ……あなたも、立ち止まるしか、できないことがある。だったら私も、いつか、織斑くんみたいに進みだそうと、思えるんじゃないかって…………だから……あなたも、きっとそうなんだよ」
間近で見る真紅の瞳にはこれ以上ない慈愛の色が浮かんでいて。
「だから今は休んでもいいんだよ……目指すべき場所の高さに挫けたって、仕方ないんだから……だって織斑くんは、今までもう、十分に頑張ってるんだから」
その言葉はこれ以上なく心にしみて。
「…………おう」
「……泣いてるの?」
「ば、馬鹿言うな。わさびがききすぎだったんだ」
子供みたいな言い訳に、ふふっと簪は笑みを浮かべた。
それが無性に気恥ずかしいのに、一夏は、それ以上に安らぎを感じていた。
「あーなるほどね。確かに、ああいうのも必要かもねえ」
東雲のすぐそばに来た鈴は、一夏と簪を眺めながらそう言った。
「……ああいう風に優しく寄り添ってやれるのは、私には……できないな」
「何をおっしゃいますか。彼を今まで一番親身に支えてきたのは貴女でしょうに。そこは自信をもってシャキッとしなさい」
自嘲の笑みを浮かべる箒に対し、セシリアは親友の背中をばしんと叩く。
「うん。あれはすごく……思っていたよりも、いい着地かな」
そして。
東雲令は。
それを見ていた。
気になる男子と同世代一番の大親友がなんかすげえ勢いでフラグを立ててるのを見ていた。
東雲は激怒した。必ず、かの天然たらし唐変木の男を締め上げねばならぬと決意した。東雲には恋愛がわからぬ。東雲は、彼氏いない歴=年齢の女である。刀を振るい、他の代表候補生や日本代表と遊んで暮して来た。けれども気になる男子の動向に対しては、人一倍に敏感であった。
(覚えてろよ……ッッッ!!!)
寿司を放り込みすぎてリスみたいになった頬をさらに膨らませて、東雲は捨て台詞を吐いた。
何をだよ。
着実に覚醒ポイントを貯めていく原作主人公の鑑
次回
25.