【完結】強キャラ東雲さん   作:佐遊樹

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26.ヒーローの条件

「失礼。連絡通りに連れてきた」

「うわわっ!?」

 

 ドアを開けた直後、シャルルが飛び上がって驚愕するのもやむなし。

 部屋に戻った一夏は濡れていない箇所のない状態だった。

 猫なら間違いなく毛が張り付いてシュッとしている。犬ならブンブンと首を振って水滴をまき散らしている。

 

「シャルル・デュノア。タオルは」

「その言い方だと僕の名前がシャルル・デュノア・タオルみたいになっちゃうね……今持ってくるよ」

 

 さすがにベッドを濡らすわけにもいかず、シャルルがタオルを持ってきてくれるのを入口にぼけっと突っ立って待つ。

 PICの応用と傘を組み合わせることで東雲は雨の一粒も受けていないが、一夏は見つけた段階で濡れ鼠だった。寮の廊下をびしゃびしゃにしてしまったが、他の生徒の濡れた足跡もあったのでセーフだろう。

 

 白くてふわふわのタオルを、シャルルが一夏の頭にかける。

 まんじりともしない彼の様子に、シャルルは困ったように微笑みながら、タオルで髪をわしゃわしゃと拭いた。

 

「……織斑一夏」

 

 東雲はここまで腕を引いてきた一夏の顔を、下からのぞき込んだ。

 彼の瞳には何も映っていない。

 

「とりあえず、シャワーを浴びた方がいいんじゃないかな」

「同意。身体を温めることが必要であると当方は考える」

 

 二人に促され、何かを言おうとして、だが声は発せないまま。

 口をつぐみ、ゆるゆると一夏はシャワールームに入っていく。緩慢とした動作だった。

 

「……何があったの?」

「当方も詳細は把握していない」

 

 東雲は一夏の脱衣音に耳を澄ませながら、生真面目に答える。

 

「恐らく何か、精神的な負担になるようなことがあったのだろうと推測できる。だが支えるためにどうすればいいのか、当方や篠ノ之箒たちにもわからない」

「なるほどね。なら、僕が何か力になれるかも。二人だけの男子だし」

 

 誰かの力になる。

 それはシャルル・デュノアを形成する唯一の意思であり、()()()()()()()()()()()()()()()()、彼のレゾンデートルであった。

 

 だが。

 その言葉に、東雲は首をかしげ。

 

 

 

「? シャルル・デュノアは男子ではないだろう?」

 

 

 

 時が、停止した。

 人当たりのいい微笑みのまま、シャルルは硬直する。

 

「其方が織斑一夏へ()()()()()のは分かっている。殺意も悪意もない。何かしらの目的があって近づいてきた、しかしその目的が織斑一夏を害することはないだろう。故に深くは問わない。だが――」

 

 ぴたりと。

 シャルルの喉に、紅が突きつけられた。

 呼び出し(コール)された一振りの太刀。皮一枚を斬るかどうか。

 ドッと冷や汗が噴き出す。

 

「――忘れるな。当方は、見ているぞ

「…………ッ」

 

 まるで夢であったかのように、太刀はかき消える。

 視線の交錯は刹那のみ。

 深紅の瞳に射すくめられ動けないのを一瞥し、黒髪を翻し、東雲はシャルルに背を向けた。

 

(――――くび、おちて、ないよね)

 

 シャルルは慌てて自分の首筋を恐る恐る触った。

 斬られた、という実感すらあったのに、傷一つついていない。

 すべてが幻だったような――そうであればどれほどよかったことか。

 

(最初から、ばれてた? 泳がされている? 目的まで把握された? いやそこまでじゃないはず)

 

 背中を見た。恐らく不意打ちで襲いかかれば、今度こそ現実に自分の首が落とされると理解した。

 シャルルはガチガチと歯を鳴らしながら、自分の身体を抱きしめる。

 

(大丈夫、大丈夫……いったん報告して。それからまた、練り直せばいい。まだ取り返しはつく。大丈夫、大丈夫なはずだ……)

 

 振り向くことなく部屋から出て、東雲はドアを閉める。

 そこでやっと、シャルルは膝から床に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 シャワーを浴びたところで、諦観まで洗い流されるわけじゃない。

 一夏はゆるゆると、濡れそぼった黒髪のまま、部屋着に着替えて部屋に戻った。

 分からない。自分がどうするべきなのか。

 分からない。果たしてどうするべきなのか。

 

「一夏? 大丈夫?」

 

 湯気を上げるマグカップを、シャルルが差し出している。彼がいることを、声をかけられてから思い出すような有様だった。

 

「あ、ああ……ありがと」

「ううん、気にしないで」

 

 恩を売りつつも、慎重に、距離を再計算するような振る舞い。

 それに気づかないまま、一夏は受け取ったホットココアを一口飲んだ。

 

 身体全体に染み渡るような温度。

 深く、息を吐く。

 

「…………」

「…………」

 

 静けさは緊張感を含まない、心地のよいものだった。

 ゆっくりと、張り詰めていた精神が解きほぐれるような気すらした。

 シャルルが最新型の精神安定剤を少量ココアに混ぜていたという事実に、一夏は気づかない。

 

 だから不自然な述懐を、自然に切り出した。

 

「どうしたら、ヒーローになれる?」

「――――!」

 

 それが根源。

 それこそが織斑一夏の翼であり、同時に、枷。

 

 織斑千冬のような。

 東雲令のような。

 常人ならば両者に憧れるのは必然であり当然。

 

 だが。

 織斑一夏は違ったのだと、ここでやっとシャルルは気づいた。

 

 織斑千冬()()()()

 東雲令()()()()

 

 逆説。

 ――彼が本当に見据えていたものは、()()()()()()()()()()()()()

 

「ヒーローは……間に合う存在だ。でも俺は、最初から間に合うことなんてないって諦めてた。間に合うわけがないって。それじゃあ、俺は。俺が本当に助けたかったものに、手を差し伸べることなんてできない」

「多分、違うよ」

 

 シャルルは静かに口を開いた。

 思考回路はこの上ない速度で回転し、一夏の意思を、彼の存在に根ざす意識を読み解く。

 導かれる回答を、ゆっくりと言葉にして吐き出す。

 

「間に合うか、間に合わないかなんて些細な問題なんじゃないかな」

「だけど、間に合わなかったら意味がないだろ」

「ううん。間に合わなくても意味はある。そこに来たっていうだけで救われるものがある。だから、きっと……誰かに求められたら、もうそれはヒーローなんじゃないかな」

「…………」

 

 シャルルの声色は、普段よりも低かった。

 

「だったら俺も、お前も……なれるのか、ヒーローってやつに」

「一夏はきっと。僕はちょっと難しいかな」

 

 誰かに必要とされるなんて、と、シャルルは最後の言葉を口の中に転がすに止める。

 それから気を取り直すようにして、一夏の目を見た。

 

「きっと一夏は……求められたら、戦える。誰かのために。何かのためにって、立ち向かえる。僕はそう感じるよ」

「だから、それは、ヒーローだって?」

「もう、最後まで言わせてよ」

 

 ふくれっ面になるシャルルを見て、一夏は肩の力を抜いた。

 何か、今まで感じていなかった疲労感が押し寄せて。

 麻痺していた感覚が復旧して。

 

 もっとシンプルな理屈の方が、性に合っているような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恐怖心を拭うというのは難しいもので、やはり思い出すだけでも手足は震える。

 刻まれた感情は簡単には色あせない。

 だからこそ、恐怖や絶望、憧憬や熱意が併存し、心を分裂させる。

 

 なら、片方が消滅すればいいのだろうかと、一夏は思った。

 

「俺の頭じゃ、どうにもうまく整理はできないと思った」

「そうか」

 

 授業を終え、放課後の剣道場。

 木刀を振り上げて、振り下ろす。その繰り返しをする箒を眺めながら、一夏は幼馴染にそう告げた。

 

「あの日……何もできなかった日に、いやって言うほど分かった。俺は何もできなかった。それを否定したくて、過去の俺を否定したくて。だってそれが最短経路だと思ったから」

「今は違うと?」

「……正直、分からない。こうしてここに来たのも。俺が誰かに甘えたいってことなんだろうな、と思うよ」

 

 軟弱者だよな、と一夏は自嘲の笑みを浮かべる。

 箒は木刀を静止させ、それから木刀を腰元に帯刀する。

 

「言わないさ」

「……昔なら言われたと思うが」

「いいや。私は確かに、優しく寄り添ってやることは、できない。だがお前の努力を見てきたつもりだ。故に――私にできることは、多分、お前を見ていること、なんだと思う」

 

 見ていること。

 それが箒が出した結論だった。

 そして言葉通りに、彼女は一夏の目をまっすぐ見据えた。

 

「手を引くことも、背中を押すこともできない。だけど私は、信じている。私の幼馴染は――立ち上がると」

「……!」

 

 心臓が高鳴り、思わず拳を堅く握る。

 何か温かいものが身体に流し込まれたような、感覚。

 

「…………俺は、立ち上がれるかな」

「きっと、立ち上がれる。何度諦めても、最後に意志が残っていれば、必ず」

「……そっか」

 

 箒の言葉に嘘偽りはなく。

 一夏は、それがひたすらに嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナの使用許可を取って、セシリアと鈴はこれから模擬戦に臨もうとしていた。

 互いに見据えているのは『学年別トーナメント』の優勝。

 できれば相手に手札を見せたくはないが、逆に相手のことも知っておかなくてはならない。

 

 セシリアは鈴用のパターン構築のため。

 鈴はセシリアの挙動を身体に覚え込ませるため。

 

「……それで、見学ですか? 今度はスポーツドリンクでは足りませんわよ」 

「手厳しいな」

 

 ピットで『ブルー・ティアーズ』を身にまとい、複数のウィンドウに指を走らせているセシリアの言葉は鋭かった。

 一夏とて物見遊山で来たわけではない。何か刺激になるものがあればと、藁にも縋る思いがあった。

 

「ここ数日は見ていられない有様でしたが、ようやく立ち直ってきたところでしょうか」

「少しだけ。でも、まだ、やっぱり足りないって感じる」

「当然ですわね。起動して一ヶ月程度のルーキーがどれほど思い詰めたところで、たかがしれています」

 

 幾度の試練を乗り越え、地位をつかみ取った才女。

 だからセシリアは、顔見知りの中で最も容赦ない言葉選びをぶつけてくる。

 

「無様な敗北もいいでしょう。陰惨な挫折もいいでしょう。このセシリア・オルコット、それを一通り経験してきたつもりです」

「だろうな」

「ですから、ここから貴方がどうするのかは貴方次第です」

 

 分かっていた。

 心の中に巣くっている恐怖心、それを払いのけられるのは、どこまでいっても自分だけなのだ。

 

「最後にモノをいうのは――()()でしてよ」

 

 セシリアはその青い手甲に覆われたマニピュレータを差し伸べて、一夏の胸をたたく。

 彼女の手が戻っていった後、我知らず、彼は自分の左胸に拳を当てていた。

 

「……そっか」

「ええ。ですからどうか見失わないでください。どれほど闇に閉ざされていても、貴方自身が見いだした炎の明かりは、決してかき消えてなどいないのですから」

 

 では調整飛行に行って参ります、とセシリアはウィンドウをはたくようにして消す。

 

「鈴さん」

「ごっめーんこっちはあと少しかかるー」

「分かりました。あまりレディを待たせないようにしてくださいな」

「レディ? こないだアンタ、ビットを棍棒代わりにして東雲に殴りかかってたわよね。ゴリラ戦闘する女ってレディなの?」

「あれは自分でも反省しております! わたくし別にバナナで懐柔されたりしませんわ!」

 

 ムキーッと歯をむいて鈴を威嚇して、それから一夏がぽかんとした表情をしていることに気づき、セシリアは慌てて真面目な表情を取り繕う。

 

「な、何か?」

「ゴリラって感じじゃねえけどバナナ懐柔は効きそうだなって……あっごめん笑顔で銃口向けないで!」

 

 どちらかといえば猿やチンパンジーの威嚇行為に近いなと一夏は思った。

 一通り一夏をどつき回してから、セシリアはスラスターを噴かしてアリーナへと飛び立っていく。

 

「…………」

「一夏ごめん、そこのスパナ取ってー」

「あ、ああ」

 

 残された少女の声に、慌てて一夏は動き出す。

 鈴は直立する『甲龍』の前にしゃがみ込んで、あれこれとウィンドウを立ち上げては消している。そういう姿を見ると、彼女もまた代表候補生というエリートだったな、と再確認してしまう。一夏一人では目的のウィンドウにたどり着くまでの時間が長いのだ。

 

(いつかは自分一人で最低限の調整はできるようになりてえなあ)

 

 そんなことを考えながら。

 床に無造作に置かれていたスパナを拾い上げて、幼馴染である少女に手渡して。

 

「はいよ」

「ん」

 

 

 ぐいと。

 スパナではなく腕をつかまれ、引っ張られ、鼻と鼻がこすり合うような距離に顔を引き寄せられ。

 

 

 

「……あたしは、アンタが何もかも捨てて逃げ出したいー、ってなるんなら、ついて行くから」

 

 

 

 そう、言われた。

 

「…………え?」

「アンタは、あたしを見捨てなかった。救ってくれた。だから……もしそうなったら、それはあたしがアンタを救う番ってことじゃん?」

 

 スパナがからんころんと床に落ちる。

 鈴はそれだけ言って素早く身を引くと、そのまま軽い挙動で『甲龍』の人間一人分の空洞(パイロットシート)に身体を滑り込ませた。

 

「だから、先の心配はあんましなくていーってこと。二人で中退したら、そうねえ。まずは中国でISレース大会があるから、そこの選手になってー」

「ちょ、ちょっと待てって。お前、それは無理だろ」

「無理なわけないでしょ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 あっけなく言い放たれて、思わず一夏は目を見開いた。

 立ち上がるウィンドウを一瞥のみで確認して、鈴は愛機を起動させる。

 

「だから――うん。いつも通りね。アンタはアンタの思うままに生きなさいよ。あたしだってそーする。多分、東雲とか、千冬さんもそーしてる。そんぐらいがちょうどいいの」

 

 赤銅の両足がカタパルトレールに設置された。

 

「じゃ、ちょっくら勝ってくるから。あ、晩ご飯どーする?」

「…………」

「ま、とりあえずバトル終わったら連絡しとくわね」

 

 どこまでも気安く、重さなど感じさせず。

 されど彼女の言葉はこれ以上なく、一夏の思考回路に衝撃を与えて。

 

 ISが空気を切り裂きアリーナに飛翔したというのに。

 射出の反動に前髪をなぶられながらも、一夏はずっと、何も口を開けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 休んでもいいと言われた。

 

 休む暇などないと言われた。

 

 

 

 ヒーローになれると言われた。

 

 信じていると言われた。

 

 自分次第だと言われた。

 

 あるがままでいいと言われた。

 

 

 

 他人の信念が、感情が、自分の中で響き合っている。

 それは一種のエネルギーであるとすら思えるほど、熱く、指先までを満たしている。

 

 アリーナ外の遊歩道のベンチ。

 そこに腰掛けて、一夏は自分の手を見た。

 

『――――久しぶりだな、織斑一夏。あの時もこんな感じだっけか?』 

 

 その顔を思い出すだけで呼吸が乱れる。

 その言葉の残響が、頭蓋骨を揺さぶる。

 

 開いた手を、そのまま顔に押しつけた。

 自分の中で沸騰するエネルギーと、恐怖心が、せめぎ合っている。

 互いを押し潰そうとしている。きっとその勝敗が、自分のこれからを左右するのだろう。

 そう、他人事のように思った。

 

「……」

 

 何も言ってくれない『白式(あいぼう)』を見た。

 汚れを知らない純白のガントレットは、ただ何かを待っているんじゃないかとも思った。

 それこそ、一夏の言葉を。

 

「…………」

 

 アリーナから轟音や爆音が響き始めた。

 恐らく試合が始まった。

 専用機と専用機の練習試合、多くの生徒が見学に向かっているのだろう。

 制服姿の女子たちが、早足にアリーナへと吸い込まれていく。

 

 

 その流れを断ち切るように。

 

 

 一人の少女がまっすぐ、一夏に向かっていた。

 

 

 それに気づいて彼は顔を向けた。

 視線の先。

 ――東雲令が、歩いてくる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(――めっちゃ眠いし昨晩のお礼としておりむーの膝枕でねよう)

 

 そういう空気じゃねえから今。

 

 

 

 

 








(そいつはもう当方のものだから手を出さないよう)当方は見ているぞ
スパイを恋敵と誤認する護衛がいるらしい

メインヒロインは最後にパートが回ってくるってはっきりわかんだね


次回
27.もう一度、ここから――


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