「おい博士見えるか、今こんな感じだ」
『……相乗効果って言ってたけど、これ多分、互いに阻害してないかな……』
「見た瞬間にそこまで考察できるのかよ」
『うん。だって、うまくかみ合ってるなら『アンプリファイア』によって戦意を
「確かに、開発国も違うわけだしな。じゃあどうする? 私が突っ込んでこようか?」
『オータムは今回お留守番。多分戦闘中に何かのきっかけがあれば、すぐ始まると思うし』
「…………」
『実際うまくいった際の理論値はかなりイケてると思うんだよねー。なら少し待った方がいいし……って、聞いてる?』
「今、あんた、私の名前呼んだよな」
『…………』
「…………へへ」
『なしでーす! 今のなしでーす! ノーカン……ッ! ノーカン……ッ!』
「おっ、そうだな」
(付け目はある! 細い勝ち筋だけど、絶対に勝てない相手じゃない!)
一夏は正眼に剣を構え、深く息を吸った。
(攻撃が分かる――どういうタイミングで俺が攻撃を食らうのか、相手にとってのベストな攻撃の組み立てが読み取れる……! 感謝します、我が師!)
はっきりと自覚した。
戦意を新たに再び戦場に舞い戻ったこの瞬間、今までの修練が収束している。
蓄積され続けた密度の濃い訓練が、身体を動かしてくれている。
正確に言えば織斑一夏はもとより本番に強いタイプである。
絶対に発揮しなければならない場面で、ここぞとばかりに普段の成果を叩きつける。
血肉となって巡る師の教えに感謝し、彼は笑みを浮かべた。
しかし。
「貴様だけはぁぁぁぁぁっ!」
ラウラが乱雑に右腕を振り払う。
それだけでアリーナ全体を粉砕するような衝撃波が生まれ、思わず一夏は面食らった。
「何――だと――!?」
銀髪の少女を起点として、四方八方へと強烈なソニックブームがばらかまかれる。
一夏は砂煙と地面の亀裂から指向性を読み取り、左右へ揺れるようにして回避機動を取った。
セシリアたちも同様にその場から飛び退き、衝撃波を掻い潜る。
「カタログスペックにはない攻撃じゃない、何よこれ!」
「これほどの広範囲攻撃――基本装備でしたら条約違反でしてよ!?」
鈴とセシリアの悲鳴。
代表候補生だからこそ、広範囲攻撃の脅威は知っている。範囲を広げるというのにはそれだけの出力が必要だ。そして範囲が広くなっても、元の出力が下がるわけではない。
つまり――広範囲殲滅兵装とは、それだけの火力を保持しているという証明である。
「――僕の後ろにッ!!」
シャルルの絶叫を聞いて、スラスターを駆使して一夏は真後ろへの移動から横へとスライドする。
衝撃波の津波から身をよじって逃れ、実体シールドを展開したシャルルの背後に白い鎧が滑り込んだ。
「……ッ! シャルル、これは!?」
「分かんない! でも僕が見た『シュヴァルツェア・レーゲン』の装備には絶対なかった!」
「だったら何だってんだよ!?」
「大型のジェネレーターもない! 衝撃の収束機構はおろか拡散機構だって見当たらない!
展開された大型シールドが軋みを上げる。
機動力と攻撃力に重きを置くカスタマイズを施された『ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡ』にとって本来優先度の低い装備だが、それを積んできたことにシャルルにはこれ以上ない僥倖を感じた。
「この……ッ!」
元より上空を取っていたセシリアはいち早く高度を上げると、ビットを切り離し多方向からラウラにレーザーを浴びせる。このような攻撃をされては、一夏の心情に肩入れしている場合ではない。
だが。
照射されたレーザーが、ラウラの眼前で奇妙に歪み、拉ぎ、『シュヴァルツェア・レーゲン』を避けるように歪曲してアリーナに突き刺さった。
「な――!?」
「こっちも駄目! どーなってんのよ!」
ほぼセシリアと同時に反撃を始めていた鈴も悲鳴を上げた。
不可視の砲弾がラウラに迫り、しかし着弾寸前でするりと行き先を変えてアリーナの外壁にぶつかったのだ。
「――――ッ、半径二十メートルにわたって何らかの力場が発生しています! 恐らくは、
全体を俯瞰しつつ、セシリアはハイパーセンサーをフル稼働させ、微細な
間違いなく条約違反装備。だが、『アンプリファイア』が何か、機体の能力すら拡張してみせたのだとしたら。
(……いえ、ありえませんわ。『アンプリファイア』単体でこのような現象を起こせるはずがありません。元より装備を隠していたと考えるのが当然。あるいは……
秒単位でばらまかれる広範囲殲滅攻撃を掻い潜りながら、セシリアは必死に思考を回す。
鈴もまた中距離を維持しながら、吹き荒れる砂煙の中を直感任せで飛び回っていた。
その中で。
「あいつを止める! シャルル、数秒――二秒でいい! あいつの意識を逸らしてくれないか!」
「……ッ! 何言ってるの!?」
「
一夏はそう叫んだ。
できる。フランス代表候補生シャルル・デュノアにとって、その程度造作もない。
だが。
「……どうして」
「え?」
うつむいて、歯を食いしばり。
金髪に隠されて両眼は見えないまま、シャルルはうめいた。
「どうして、こんな状態で戦おうと思えるのさ、君は……あんなの、僕らで戦うべき相手じゃない。先生たちの到着を待つのがいいに決まってるじゃないか……」
「違う! 違うんだよシャルル。俺はあいつから絶対に逃げない。逃げちゃ駄目なんだ、だって逃げたら、
衝撃波をまともに受けて、ついにシャルルと一夏は実体シールドごと吹き飛ばされた。
ごろごろと転がるが、一夏は咄嗟に――
「一夏さん! デュノアさん!」
「こんのおおっ!」
二人をカバーするべく、セシリアと鈴が反撃に転じる。だが届かない。砲撃はねじ曲げられ、近づこうにも荒れ狂う力場に放り投げられる。
大地は巨人が踏み荒らしたように砕け散り、観客席からひっきりなしに悲鳴が上がっている。
その中で。
「ぐっ……! まだ、だ……!」
一夏は素早く立ち上がり、痛みに顔をしかめて。
それでもシャルルをかばうようにして、前に出た。
視線を切っ先のようにラウラへ向け、今にも突撃せんと腰を低く落として構える。
「……いち、か……」
「シャルル――お前にだって在るだろ、譲れないもの。俺の譲れないものは今此処にあるんだ……!」
背中越しに投げかけられる、決然とした言葉。
それがますます、シャルルの瞳に蔭を落とした。
「…………ないよ、そんなの……ないよ」
消え入るような声。
まき散らされる衝撃波が嘘のような――冷たく、ほの暗い声色だった。
一夏はラウラから、顔をシャルルに向ける。瞳にもう、迷いはなかった。
だから。
「ないならお前が見つけるしかねえ。でも、それがつらくて苦しいなら――」
言葉を切って、一夏はバッと自分の左手を差し出した。
白い装甲。『白式』の鎧とクローに覆われた、大きく鋭利で、けれど確かに手をつなぐために伸ばされたそれ。
シャルルは息を呑んだ。
「今この瞬間は、俺の手を取るだけでいいッ!」
「――――!」
「お前の力を借りたい! そしていつか、お前に俺が力を貸せる時が来たら存分に貸す! 釣り合いがとれるかは分からねーけど、俺にできること全部する!」
強引に手を伸ばし、一夏はシャルルの手を掴んだ。
「お前言ったよな! 俺はヒーローになれるって!」
至近距離で顔をぐいと寄せる。鼻と鼻がこすれ合うような距離。
戦場の破砕音に負けないよう、一夏は腹の底から叫んだ。
「付け加えさせろッ! 俺は!
「…………ッ!!」
「だから力を貸してくれシャルル! 今俺に必要なのは――俺が求めているヒーローはお前なんだ!」
その、眼。
生まれて初めて見た、自分を必要としているまっすぐな瞳。
自分が映り込んでいる、彼の双眸に。
きっと――シャル■■■・デュノアは、初めて胸を高鳴らせたのだ。
「……一夏の、ばーか」
「悪いけど、それ言われ慣れてる。死んでも治らねえんじゃねえかな」
「ふふっ、なにそれ」
戦場において場違いな、甘い睦言のような距離と声色の会話。
それを経て、一夏と結ばれた手から一気に力を入れて、シャルル・デュノアが立ち上がる。
「分かった。あの子の意識、一瞬だけなら逸らせると思う」
「頼む。――鈴! セシリア!」
名を呼ぶと同時、二人は攻撃を瞬時に中断し、一夏とシャルルのすぐ近くまで距離を詰めた。
滞空するセシリアと、転がるようにして跳び込んできて、一夏のすぐそばについた鈴。
意図せず、いやそれは自然な帰結としての、フォーマンセルチーム。攻撃と防御を同時に行う上で、ベストな人数。
「多分この中で一番馬力があるのは『白式』だ。刀一本に振ってるけど、こういうときは強い」
「ええそうね。で? デュノアの力を借りるんならあたしたちの力はいらないんじゃなーい?」
「……鈴さん、いくらなんでも、大人げなさすぎですわ……」
露骨に拗ねている鈴を見て、セシリアは額に手を当てて嘆息した。
「はは、なんだかいいチームだね。でも時間がないよ」
「分かってる。鈴、俺を押し込め。シャルルは手はず通り。セシリアはシャルルに手を貸してくれ」
「分かりましたわ」
「あとでなんか奢りなさいよ!」
言葉は少なく曖昧だったが、三人は一夏の意志を瞬時にくみ取った。
「シャルル。この借りはいつか返すぜ」
「……それはこっちの台詞だよ」
「え?」
「何でもない! ――ッと!」
会話はそこで途切れた。
四人がそれぞれの方向へと加速した瞬間に、ラウラが両腕を振るった。アリーナの地面が見えない隕石が墜落したように砕け散り、衝撃がメチャクチャにばらまかれる。
その間隙をすり抜けて、四人が構える。
「言っとくけどかなりの無茶になるわ。多分『白式』は……」
「半分スクラップになるだろうな。でもこれしかない――頼らせてもらうぞ、相棒!」
鈴の注意を受け、それでも一夏は止まらない。
応えるように、白い鎧が熱をため込んだ。
「織斑、一夏ァァァ――――!!」
「ラウラ・ボーデヴィッヒ! 俺はやっぱりあんたには同意できない……!」
ラウラの視線が一夏に突き刺さる。
互いの背後で空間が歪む。突撃の前兆。力場の根源であるラウラが動けば、それだけで小規模な災害と化すだろう。
「何もかも切り捨てて! 過去の自分すら切り捨てたら、届かない場所があるんだ! それを今から見せてやる、だから……歯ァ食いしばれェェ――!」
「黙れ黙れ黙れ黙れェェェェェェッ!!」
もはや対話は不可能。
一手早く、ラウラは加速の予備動作として、その空間に身を沈ませて。
「――――ごめんね」
優しい声色と、優しい表情で。
されど絶対零度の両眼で。
シャルルは丁寧にトリガーを引き絞った。
ハイパーセンサーを最大感度に引き上げ、同時に身動きを止めて観察した。見えない力場。ベクトルがねじ曲がり、物体を跳ね飛ばすその局所的タイフーン。
だが根本的に考えれば、AICとは空間に特殊なエネルギー波をぶつけて静止現象を引き起こす装備だ。
その脅威である不可視性と絶対性は、この無秩序な破壊にはない。
セシリアはわざとビットから馬鹿正直にレーザーを降らせた。
当然、すべてがねじ曲げられる。拡散する光がぱっと散り、無意味に地面を穿つ。
だからこそ。
逆算できる。レーザーの軌道から、彼女の身動きから。
今どこにエネルギー波があって。
今どこにエネルギー波がないのか――!
「
精密狙撃モードのアサルトライフルから、大口径の弾丸が放たれた。
縦横無尽に張り巡らされた重力力場の嵐の中。
わずかな間隙を、まるで糸を通すようにして弾丸が通過していき。
こおん、と。
ラウラの眉間に着弾し、甲高い音が響いた。
「…………ッ!?」
「――今だぁぁぁぁっ!」
同時に『白式』が最大出力でスラスターに点火、真後ろの『甲龍』は迷うことなく
白い機体が押し出されるようにして、爆発的に加速した。
たった数秒の隙。
実に二十メートルにわたって展開されていた力場が、緩んだ。
その刹那に、馬力によるゴリ押しで、二機一組となった一夏と鈴が重力の嵐を強引に突っ切る――!
「貴様ァッ……!」
「まだですわ!」
左右からセシリアがビットによる射撃を撃ち込み、集中させない。
先ほどとは比にならないほど弱くなった力場。それでも機体を粉砕せんと、衝撃が一夏に襲いかかる。
あと――わずかに、一歩。
刀を振るえば届く距離で、ぎしりと、『白式』が軋んだ。
「一夏、止められたッ!」
「そこで押し潰されて死ねぇっ!!」
鈴の悲鳴、ラウラの咆哮。一夏は歯を食いしばって、更なる加速を敢行する。
装甲が砕かれ、ISスーツが衝撃に千切れ飛ぶ。構わない。
絶対防御が発動し、シールドエネルギーが大幅に減損する。構わない。
(押し込むしか、ねぇ……ッ!)
ここで退いてはいけない。絶対に退けない。
だというのに。
力場の出力は増大する一方で、じりじりと刀身が押し返され始める。
思わず悪態をつきそうになった。何かが足りない。あと一手が、足りない。
銃撃音が聞こえる。レーザーも弾丸も全て、荒れ狂う重力の嵐に弾かれていた。
背中を押す鈴もスラスターを全開にしている。それでも力負けしていた。
(ちく、しょう……ッ)
明確に見えている。このまま突っ走っても断崖絶壁に放り出される結末しかない。
押し負ける。それを誰もが予感した。
瞬間。
一夏は――絶戦の最中だというのに。
ガバリと振り向いた。真後ろ、ずっとずっと後方。
力場になぶられる鈴のツインテール越しに。
ピットのカタパルトに佇み。
静かな風に黒髪をなびかせて。
まっすぐに己を見つめる――尊敬すべき師が、自分を誰よりも肯定してくれる一人の少女がいた。
音が消えた。
ただ静かに、彼と彼女の視線が結ばれ、それ以外の一切が意識から消し飛んだ。
「――――しの、のめ、さん」
(待って!!!!!!!! おりむーの露出度が過去最高!!!!!!!! キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!! …………いやそうじゃねえよ! やめろ馬鹿全員目を潰せ! 当方ッ! だけにッ! 見せろッ! そういうのはッ!!)
お前もう死ねよ。
(――――――――ッ!!)
見て、くれている。
自分の勝利を信じて、刮目してくれている。
視線に淀みはなく、ただ一心に自分の勝利を願ってくれている。
そう、言葉はなくとも理解できた。
かちりと。
自分の中で何かが嵌まる音が聞こえた。
ラウラに顔を戻す。苦痛に顔を歪め、身体の自由を失っている少女の。
朱と金の瞳を、見た。
その両目に一夏は自分が超克すべき陰を感じた。過去の呪縛。増大された悪意と絶望。
(ああそうだ。彼女のおかげでここまで戦えた。彼女のおかげで立ち上がれた。彼女と出会えたからこそ、今の俺がある!)
だから、
裂帛の気迫が四肢に満ち、両眼から炎となり噴き上がる。
軋む心臓に鞭を打ち、今この瞬間に全てを吐き出せ。
悲鳴を上げる身体を動かし、今のこの瞬間に敵を打ち破れ。
「――――負けるかァァァァッッ!!」
一方的に押し返されていたはずの力場に。
純白の、『雪片弐型』の刃が食い込んでいく。主の願いに呼応するかのように『白式』が過負荷を無視してさらに出力を跳ね上げていく。
「一夏さん――!」
「一夏!」
「い、ち、かァッ……!」
援護するセシリアとシャルル、そして背を押してくれる鈴に、名を呼ばれ。
ついに一夏の炎が最大限に猛る。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」
力場を食い破り、刀身が漆黒の鎧へ殺到する。
あれほど堅牢だった不可視の要塞が一気呵成に打ち破られ。
刃が、ラウラを、とらえ
ISコアは互いに情報交換をするためネットワークを形成している。
その影響から、操縦者同士の波長が合う、
多くの謎を持つISが、自己進化の過程で生み出した機能の一つと言われている――それを一夏は、教科書の片隅に書かれているものとして覚えていた。
「…………これは」
確かに刃が届いた。ラウラの首から腰にかけて一気に切り捨てるような、そんな渾身の斬撃を叩き込んだ。
いや正確に言えば……首筋に『雪片弐型』の刃が接触した瞬間に、意識がスパークして、気づけばこの空間に放り込まれていた。
一切のシミを許さない、一片の穢れも許さない、圧倒的な、白。
そこに一夏は制服姿で佇んでいた。
「……クロッシング・アクセス、だよな」
「ああ、そうだ」
声は背後から聞こえた。
振り向けば、これまた真っ白なワンピースに身を包んだラウラが、どこか超然とした表情でこちらを見ていた。
「……あんた」
「ラウラ・ボーデヴィッヒは……あの時、敗北を受け入れていた。心のどこかでずっと、ラウラ・ボーデヴィッヒはお前に同意してほしかったのだ。過去の否定こそが正解なのだと。だってそうでなければ、今までの積み重ねは何だったのか、と思うだろう」
「……ッ! それは違う、違うよ」
他人事のような言葉。それが深層心理なのだとしたら。
一夏は首を横に振ってから、大股に彼女に歩み寄って、その両肩を掴んだ。
「過去の自分は決して死んだりしない。それは勝手に殺したことにして、胸の奥底に閉じ込めてしまうだけなんだ。だから……今までの積み重ねが君を裏切ったりなんて、しない」
「…………
彼女は優しく――そう、驚くほど優しく微笑み。
そっと、雪原のように白く、触れば折れてしまいそうな細い指で。
「…………ッ?」
思わず目を白黒させた。
ラウラに頬をなでられた瞬間に、何か異物が入り込んできたような、自分の中を丸々覗き込まれたような感覚がした。
一体なんだったのかと首をかしげていた、時。
遠くから、声。
振り向いた。
一切の存在を許さない白、が、途切れている。白い世界の遙か彼方に、真っ黒な、廃棄場のように荒れ果てた空間がある。
そこに。
「――それは私じゃないッ!」
彼女は必死の形相で、そう叫んだ。
え、と。
一夏は呆気にとられ、ぽかんと口を開けた。
彼の眼前で、対話していたはずの、ラウラ・ボーデヴィッヒであるはずの存在が、唇を歪ませる。
やっと気づいた。
ここは無遠慮な白で塗り固められた偽りの空間。
ラウラの精神へアクセスしたのではない。
そう――
「ッ!!」
バッと腕を振り払って、一夏はラウラの顔をした何かから距離を取った。
それは先ほどまで触れ合っていた指をしげしげと眺め、赤い舌を出して指の腹をぺろりと舐め。
「――
白いワンピースが、焼け焦げるかのように、黒ずんでいく。
銀髪が橙色に塗り潰され、背丈が伸長され、ぞっとするような美貌の女に姿が変化する。
言葉を発することなく、彼女は艶やかな髪をかき上げて、悪意に表情を彩らせる。
「…………オー、タム」
その名を、一夏が呼ぶと同時。
《ValkyrieTraceSystem》――――
名を呼ばれ、ガバリと顔を上げた。
すぐそばに来ていた鈴が、一夏を無理矢理に引っ張って動かそうとしている。
どうして、と考えるまでもなかった。
眼前のラウラが、いや、『シュヴァルツェア・レーゲン』が音を立てている。
鋼鉄の鎧が上げるには不自然な、悲鳴に近い有機的な音。
あれはやばい、と耳元で鈴が叫んでいる。
早く下がって、とシャルルが叫んでいる。
何をしている、とセシリアが叫んでいる。
荒い呼吸音。それが自分の発するものだと一夏は遅れて気づいた。両足が震えている。無意識のうちに、一歩引き下がった。
その反応を見て三人は、そして一夏を知る者たちも理解した。
――今、何が誕生しようとしているのかを。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
ラウラの絶叫に呼応するかのように。
漆黒の鎧が、
新鋭兵器の試験運用にふさわしい堅強なものから、実戦を意識した防御性と機動性を両立させたものへ。
各種装備は形を失い、泥のまま透明な膜で覆われたようにして、うねりながらもかろうじて輪郭を形成する。
それは
それは悪夢の再現。
それは禁じられたプログラム同士の相乗効果が弾き出す、
「あのISを……再現……してる……!?」
鈴の言葉が全てを物語っていた。
ドイツ製『シュヴァルツェア・レーゲン』が姿を変えて、アメリカ製『アラクネ』へと変身する。
誰もが理解する。
これは、残酷なまでに、冷酷なまでに。
織斑一夏を完封するための最適解。
【OPEN COMBAT】
愛機のアラートが、どこか遠く、まるで残響のように聞こえた。
それが合図だった。黒い泥が収束し、節足動物を模した装備を再現する。
危機はずっと、息を潜めて待っている。一斉に襲いかかる時を見定めている。
そんな空想が現実味を帯びてしまうような、最悪に最悪を上塗りしてさらに最悪で煮詰めたような、そんな展開。
忌むべき
悪夢の象徴のように、決意と信念をあざ笑うように。
織斑一夏の前に、顕現する。
OPEN COMBAT「正直わかってました」
次回
30.■■■■■■■VS影蜘蛛