「……どう、してよ」
最初に声を上げたのは鈴だった。
「なんで、なんでよ、なんでなのよっ! こんなことしてっ! そこまでして一夏を追い詰めて何がしたいっていうのよぉっ!!」
悲鳴と共に、両肩の衝撃砲を撃ち込む。
影から這い出て、そのまま表皮に黒を貼り付けたようなその機体――『アラクネ・シャドウ』は、野生動物のように跳ね飛んでそれを回避した。
「来んな! 来んなぁっ! 一夏の前から消えなさいよこんのぉっ!!」
「ちょっ……落ち着いて! 下がってッ!」
マシンガンのように衝撃砲を乱射する鈴を、シャルルが肩を掴んで後ろに引きずる。
これほどの出力での連射は、衝撃砲『龍咆』の設計上は想定されていない。
故に鈴が砲撃を放つたび、機体全体が悲鳴を上げていた。
「デュノアさんそのままでいいです! 一夏さんの方を回収してくださいッ!」
「……ッ!?」
そこでやっとシャルルは、鈴のすぐそばに立つ一夏の顔を見た。
青ざめ、生者の気配を感じさせない顔色。呼吸は乱れ、視線が定まっていない。
(――PTSDッ!? まさか、最初に言われてたISを起動できないって……IS恐怖症のことだったの!?)
断片的な情報を組み合わせることで、シャルルの思考は瞬時に加速する。
と、同時、現状のまずさにも気づいた。
(もう四人で動けない! 三人で対応できるならいいんだけど――)
セシリアが鈴の援護に、半ば銃口が焼き付いているビットで再三にわたり集中砲火を浴びせる。
だが『アラクネ・シャドウ』は中にラウラが入っているとは思えない、野性的かつ大道芸のような軌道で跳びはねて砲火を掻い潜る。
(考えれば考えるほど状況が最悪だ! あの動き、パイロットが長くは保たない! 短期決戦で――だけど、一夏は動けなくて……!)
限界まで思考を回すが、やはり、今動ける三人で最善の結果にたどり着ける未来が見えない。
せめて一夏が動ければ。
「はぁっ、はぁっ、ぅ、ぁ」
先ほどまでの奮闘が嘘のように、シャルルの隣に立つ一夏は、今まさに膝から崩れ落ちた。
呻き声と共につばを呑み、必死に自分を落ち着けようとしている。だが見ているだけでも痛々しいそれは、間違っても戦場にいてはならない姿だった。
「……ッ」
どうしようもない。どうにもできない。
シャルルは自分にできることをリストアップし、まず一夏を退避させ、それからセシリアと鈴の援護に向かうことを選択しようとした。回り道な上に、三人がかりであれを止められるかも怪しい。だがこれしかない。
そうだ、こうするしかない。
シャルル・デュノアだけでなく、鈴も、セシリアも、そう考えていた。
その限界をあっさりと飛び越えてしまうからこその――『世界最強の再来』!
「――――鈴さんどいてッ!!」
最初にセシリア、次にシャルルが気づいた。
インファイトを挑み、しかし不規則な動きを捉えきれていなかった鈴は射手の言葉に瞬時に反応して飛び退く。
そこに間髪容れず突撃するは
超高速機動は影すら置き去りにして、機体そのものが弾丸であるかのように疾走する。
「――打ち堕とすッ!!」
東雲が裂帛の叫びと共に、バインダーから引き抜いた太刀を『アラクネ・シャドウ』の回避先に置く。
精確に頭部に切っ先を突き込まれ、空中で影蜘蛛はもんどりうって転がり、そのまま地面に墜落した。
(テメェッ! 性懲りもなくおりむーの前に現れやがって! つーかなんでおっぱいまで再現してんだよ当てつけかコラァ!!)
一本目の太刀を放り投げて、流れるように二本目を背部バインダーから引き抜く。
憤懣を刀身に注ぎ込み、東雲は追撃しようとして。
ぎしりと、動きを止めた。
「…………?」
立ち上がる『アラクネ・シャドウ』が、その動きを少し変えた。
動物的なものから、よりIS乗りの感覚的なものへ。
「――こいつ!
追いすがる東雲の加速タイミング、角度、身体捌き。
それを見て影蜘蛛は、着実に。
加速度的に、動きの精度を上げていく。
(これって……『VTシステム』!? なら、まさか『アンプリファイア』の効果で、模倣・再現の能力を底上げされてるのか……!)
シャルルが結論づけている間にも、爆発的な成長は続く。
影蜘蛛に内蔵された『VTシステム』の本質は、対象のコピー。
故に相対する東雲から技術を盗み、模倣し続け、加速度的に動きが洗練されていくのは自明の理。
「東雲さん――!」
セシリアの叫びは真に迫ったものだった。
何せこの敵は、今急激に成長している。ほかならぬ東雲の戦闘を学習している。
しかし。
「
深紅の太刀が空間を断ち、『アラクネ・シャドウ』を吹き飛ばした。
ごろごろと転がるその姿を見て、彼女は鼻を鳴らす。言葉は、これ以上なく冷酷だった。
模倣? 学習? 片腹痛い。本気で、そんなチャチな宴会芸で、東雲令に追いつけると思っているのか。
「成長速度の底は知れた。当方にはまるで及ばない、遅すぎる。既に魔剣は完了している。あと――四段階ほどギアを上げる。そこで当方がさらに速度を引き上げる。対応できず其方は死ぬ。それが結末だ」
絶対の未来視が明確なゴールを言い当てた。
当然『アラクネ・シャドウ』はそんな言葉の意味など解さない。ただ愚直に、東雲の行動パターンをインプットし、学習し、経験値として蓄積する。
あまりにも、遅すぎる。
だからこれで終わりだと。
誰かが手出しすることなどないと。
見ているだけの観客はそう確信していた。
世界最強の再来がこの事態を収拾すると確信していた。
(わたくしは)
(ぼくは)
(あたしは)
その中でセシリアたち三人は。
アリーナ中央で壮絶な剣戟を続ける影蜘蛛と東雲を、まるで観客であるかのように見ている。
余波で巻き上げられる砂煙が、周囲にばらまかれ、一夏たちに降りかかる。
上空から俯瞰するセシリアは割って入る隙のなさに歯噛みし。
刃の嵐に阻まれる鈴は自分の非力さに拳を握り。
趨勢を見極めようとしているシャルルは思わず顔を伏せそうになり。
"――――損傷回避"
言葉を発しながら、ぐらりと、『アラクネ・シャドウ』が傾いた。
東雲の攻撃を掻い潜るための無理な回避。端から見れば絶好の間隙。
それを見て。
同時に、三人の瞳がカッと見開かれた。
舞台から弾かれた者たちが。
観客に成り下がっていた者たちが。
意地と決意を、その両眼から炎として噴き上げる。
動け。
動け。
今動かなくては意味がない。積み上げてきたものを裏切るな。自分の決意と信念を無為にするな。
だから――動け!
「――ッ!」
最初に動いたのはセシリアだった。
射手の構えたライフルから閃光が迸る。この場における最大速度を誇る攻撃が、精確に影蜘蛛の右肩を撃ち抜いた。
「セシリア・オルコット!?」
思わぬ横やりに東雲が驚愕の声を上げた。
しかし、これだけでは終わらない。
「――ツツァァッ!」
たたらを踏んだ『アラクネ・シャドウ』に対して、右からシャルルが連装型ショットガンを至近距離で叩き込んだ。面制圧に長けた特性は、この距離では絶大な破壊力に転換される。
咄嗟に影蜘蛛は八本脚のうち三本を連結、即席のシールドとして展開。
弾丸を受け止めるも、絶大な破壊力は脚の連結部を粉砕しそのまま機体をぐらりと傾がせた。
「だッらぁぁああぁあぁぁぁぁぁっ!!」
そしてシールドを解除した時には。
既に鈴が、その懐に潜り込んでいる。
かつて一夏が無人機相手に見せた、『双天牙月』を引きずるようにして突っ込み、真上にかち上げる動き。
それを自分なりにアレンジし、腕の振りをよりコンパクトに、小さな身体がより効率よくインパクトをぶつけられるように改良した一撃。
"――予測損傷大、緊急回避"
脅威判定は迅速に行われ、しかし間に合わない。
鈴が渾身の力で青竜刀を振るい、身をよじった影蜘蛛はインパクトから逃れきれない。
真正面からの一撃を受けて、火花と轟音を散らしながら『アラクネ・シャドウ』が跳ね飛ばされ何度もバウンドしながら転がっていく。
「誰が相手であろうとも! このわたくしが大人しく引き下がることなど――ありえませんわ!」
「もうなんにもできないなんて嫌なのよ! あいつのピンチは! あたしが救うッ!」
「必要と、されたんだ……! だから僕は、絶対に裏切らない!」
三者三様に叫んだ。
心の底から――世界中に響かせるような宣言だった。
「……何故だ」
三人の猛攻を見て、咄嗟に東雲は動けない一夏をカバーするため彼のすぐそばに来ていた。
震えている彼を守るような位置取りで。
東雲は意味が分からないと、明確に鉄面皮を崩し、いぶかしげに眉根を寄せる。
だって効率が悪いではないか。だって、適材適所ではないではないか。
最短経路でないルートを何故選ぶ。ここではないどこかで必ず彼女たちに役割はある。
だというのに。
どうして、今、ここで。
「当方に任せるべきである。此れは当方が処理すべき案件だ。だというのに何故」
『決まっているだろうッッ!!』
答えは思わぬ方向から飛んできた。
思わず、東雲でさえもが勢いよく振り向いた。
屋外アリーナの館内放送。スピーカーが破裂したのではないかと思ってしまうような、耳に甲高い残響がすり込まれるほどの大声量。
アリーナからでも視認できる、本来誰もが避難して無人であるはずの中継室に。
制服姿で、荒い息を吐く篠ノ之箒がいた。
「な――箒さん!?」
「危険だ! 篠ノ之箒、すぐに退避しろッ!」
親友であるセシリアだけでなく、東雲さえもが声を荒らげて避難を指示する。攻撃がいつ飛んでくるかも分からない。
今までの外敵のほとんどは防護シールドを平気で無力化していた。今回はそうではない、という保証はない。箒のいる場所は間違いなく戦場の内部なのだ。
けれど。
『
入学以来最も親交の深い二人の親友の言葉を、箒は切って捨てた。
彼女は最初から彼しか見ていない。
箒には、一夏しか見えていない。
『一夏、顔を上げろ。それはお前を脅かす悪意だ。それはお前を踏み潰すための憎悪だ。……けれど!
「――――ッ!!」
『何度でも伝えてやる! 何度でも叫んでやるとも! 私は、篠ノ之箒はお前を見ているッ! ――お前は立ち上がれると、信じているッ!!』
それは今にも泣き出しそうな悲痛な声色で。
それは今にも生命の危機に怯えて崩れ落ちそうな少女の絶叫で。
『お前が、私の信じる幼馴染なら……織斑一夏なら、そのくらいの敵に勝てなくてなんとするっ!!』
それは――彼女が今できる最大限のエールで。
織斑一夏は荒い呼吸のまま、ゆっくりと顔を上げた。
あの時と同じだった。
出し切った。もう力の一片たりとも残ってない。自分の全てを振り絞って、使い切って、出し尽くした。
もう感覚はおぼろげだった。指を動かすことさえできない。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ」
逃げろいやだ死にたくない助けて誰か助けて怖い誰か助けて誰か誰か誰か誰か――
そう泣き叫んでいる自分が、自分の中にいる。
それを再度自覚するだけで、ドッと疲労感が増す。限界を迎えている身体は、既に感覚が朧気になっていた。
「ハァッ……ふぅ、ふぅーっ……」
息を深く吸う。
怖い。逃げ出したい。ここから逃げ出したい。手足が震えている。愛刀を取りこぼしそうになる。
だけど。
それでも。
(今、俺は、なんて言われたんだよ。今だけじゃない……俺はみんなから、たくさん大切なものをもらったはずだ……)
思い出そうとしなくても、温かい言葉たちが、勝手に胸の奥から湧き上がってくる。
『だけど私は、信じている。私の幼馴染は――立ち上がると』
『最後にモノをいうのは――ここでしてよ』
『アンタはアンタの思うままに生きなさいよ』
『きっと一夏は……求められたら、戦える。誰かのために。何かのためにって、立ち向かえる』
『大丈夫……織斑くんはきっといつか、立ち上がれる』
一つ一つが、抱きしめたくなるほど愛おしい。
一つ一つが、冷え切っている心に優しく入り込んでくる。
(……信じて、もらって)
最初に両足に力を込めた。軋んでいる関節を無理に稼働させ、膝を地面から引き上げる。太ももにたまっていた砂利がぱらぱらと落ちていく。
(……委ねて、もらって)
上体を起こして、胸を影蜘蛛に向けた。視界に入るだけで全身が震える。けれど、震えとは別の熱が、しっかり身体を動かしてくれる。
(……愛して、もらって)
踏ん張って、立ち上がる。ウィングスラスターや両肩に積もっていた砂利も地面に滑り落ちていった。まるでそれは、全身を覆うさびが剥がれていくような感覚だった。
(だったら今、俺は……立ち上がれるかな?)
その問いの答えは、もう貰っていた。
まさに今、自分の目の前にいる、黒髪赤目の少女から、もう貰っていた。
『それが、其方の意志なら』
「……織斑、一夏」
「……東雲さん。俺は……!」
投げかけられた、自分の名前。
その声が。その温度が。その存在が、彼を奮い立たせる。
「俺は! もう――逃げないッ!」
両の足で立ち。
男は決然と口を開く。
「怖い。怖いよ、今も逃げ出したい……だけど、俺は決めたんだ! ここから始めるって――ゼロから、もう一度スタートするって!」
瞳に炎が充填されていく。
あの日失った意志。あの日へし折られた戦意。それが、つぎはぎだらけだけど、確かに再構築されていく。
「今の俺自身に価値がないとしても。
つぎはぎだらけ。様々な少女たちの言葉があってこそ。
今ここで、織斑一夏は立ち上がれる。
「あの時……あの光を見て、君を見て、俺は前に進むって決めたんだ。だから戦う。俺には戦う意思がある。それは責務でも義務でもないんだ!」
しっかりと自分の足で踏み出し。
一夏は東雲の真横に立ち、『アラクネ・シャドウ』を見据えた。
もう震えはない。恐怖心はあるけれど、それを上回る意志がある。
「俺が! 俺の望む俺であるために! 俺は、戦う!!」
独善的とも捉えられかねない宣言。
けれどそれを裏打ちするのは、この場に集う、彼と何かのつながりを持った人々の言葉。
(ああそうだ、この瞬間、俺の身体の中でたくさんの言葉が響きあって、俺にチカラをくれている。それだけじゃない――過去の俺がチカラをくれて、今がある)
身体中に温かいエナジーが流れ出す。それを感じている。
その新生に――主を愛する鎧が、応えないはずがない。
カシャン、とウィンドウが立ち上がった。
【System Restart】
変化は劇的だった。
全身の装甲と装甲の隙間から茜色の光が漏れ出し、ヴェールのように一瞬揺蕩い……それが、炎に転じた。
各部から噴き上がる焔は指向性を持ち、何かを焼き尽くすためでなく、砕けた装甲を補填するように、そして各所に増設されたブースターのように形成されている。
「これ……は……!?」
見知らぬ現象に、熟練の代表候補生たる東雲すら驚愕の声を上げた。
理解不能の奮起に、理解不能の展開が重ねられ、今までになく東雲は動揺し、その鉄面皮を崩していた。
同時、一対の翼が裂け、孔雀の羽のように花開き、それぞれが火焔を纏う。莫大な熱量と光量に目が焼かれそうになる。眩く、けれど温かい、深紅の炎。
(これはほかでもない、俺の願いッ!)
火焔は白い翼を起点にして大きく広がり、さらに巨大な翼をかたどった。
それは――今を、
稼働時間と戦闘経験の蓄積に連動する、ISコアと機体の同調率上昇、に非ず。
今起きているのは、精神の新生にISコアが共鳴して起きた――
カシャン、と。
純白の鎧はそのウィンドウを立ち上げる。
貴方だけではなく、私も生まれ変わると。
信じていて、応えてくれたから、私も貴方の信頼に応えると。
それは
――『白式・
姿が変わった。心も変わった。
故にここにいるは先刻までの織斑一夏ではない。
さっきまではできなかったことも。
一秒前には限界なんていうつまらない言葉に絡め取られていたことも。
できる。
「東雲さん、見ていてくれ」
「…………!」
必勝理論を構築しろ。必ず通る攻撃を放つことに注力しろ。
この瞬間に持てるもの、全部を吐き出せ。
「今から、この瞬間から、ずっと見逃さないでくれ」
情熱的に、理論的に。
滾る焔を冷たい刃に込めて。
――理論構築。
この剣は
荒ぶる炎に隠された冷徹な思考。そこには剣に狂った、人の姿をかたどった何かの論理が組み込まれている。
故に。
その名が選ばれるのは必然だった。
「――
背部ウィングスラスターから、火の粉が散る。
IS乗りの精神性を反映した焔が猛り狂う。晴天の下、己を導いてくれた少女の瞳の色の炎が燃えさかっている。
その、炎翼を背負って。
「――あんたは五手で詰む……!」
不屈のヒーローは、そう高らかに叫んだ。
30.不屈のヒーローVS影蜘蛛
次回
31.鬼剣/Re; Start