「決闘ですわ!」
セシリア・オルコットは白く華奢な指を一夏に突きつけ、叫んだ。
教室はしんと静まりかえり、全員固唾を呑んで様子を見守っている。
その渦中で。
織斑一夏は――うんざりとした表情で呻いた。
「お前、決闘が趣味なのか?」
「はい、割と」
「割と!?」
さすがにそれはないだろ、と思っていた矢先のこの返答である。
一夏は渋面を作り、入学以来のライバルから視線を背けた。
「なあ箒」
「一夏、すまない。私はフルーツグラノーラのレシピ開発に余念がないんだ」
「嘘ついてんじゃねーよ! 急に眼鏡かけてレシピっぽい紙を取り出すな!」
箒はしれっと幼馴染の面倒ごとに気づかなかったことにしようとしていた。
ちょっとキレ気味に一夏は席から立ち上がり、箒に近寄って両肩を揺さぶる。
「幼馴染が突然決闘を申し込まれてるんだぜ? 見て見ぬ振りはないだろ」
「勘違いするな。私は入学初日にも無視をした実績がある」
「何胸張ってんだテメー!」
胸を張ったせいで箒の制服はパツパツになっていた。
箒の机の隣に立って雑談をしていたラウラは、その絶大な胸部装甲を見て完全に真顔になっていた。感情の抜け落ちた表情だった。
「あらあら、決闘から逃げ出すおつもりですか?」
その時――優雅に、可憐に、少女の声が響いた。
教室中の空気を、自分色に染め上げてしまうような凜とした声。
「あ゛……?」
残念なことに一夏はめっぽう沸点が低かった。
額に青筋を浮かべて、誰が見ても分かる程度には憤怒のオーラをまき散らしつつ、一夏は箒の肩から手を離してセシリアを睨んだ。
その時にちょっと箒が残念そうに自分の両肩を見ていたことに、セシリアは気づいたが――彼女は優しいので見なかったことにした。
閑話休題。
「先日ルームメイトの如月さんからお借りした雑誌に、このような記述がありましてよ」
「ってちょっとセッシー私の私物何持ってきてんの!?」
セシリアが机に叩きつけたのは、一冊の雑誌だった。
あちこちに付箋がつけられたそれは、ティーン女子御用達と名高い『インフィニット・ストライプス 番外号』である。
各地のデートスポットや男子をオトすテクニックが満載、全国籍女子必携! とは上級生が語るところだ。下級生も多くが番外号を購読し、架空の彼氏相手に実践の方法をシミュレートしている。
というわけで大抵の女子は読んでいるその冊子だが――意外というのは失礼だが、一夏の周囲にいる女子はあまり読んでいない。
箒は興味こそあるもののなかなか自発的に買うことができていない。なんとなく自分のキャラに合ってない気がするのだ。
鈴はハナからそういうマニュアル類が苦手で読んでいない。
シャルルは男子なので持つに持てない。
ラウラは興味がない。
そしてセシリアもなんて低俗な雑誌でしょうと見下していたが……たまたま如月が机に出しっぱなしだったそれを見て、試しに読みふけり、無事徹夜した。
「この記事をご覧ください」
「――『遊園地で差をつけろ』、だと?」
彼女が一夏に突き出したのは、いわゆる遊園地デートのモデルプランであった。
他の気になる女子を蹴落とすためのワンランク上なデートをしようぜ、という話なのだが。
「わたくしと貴方は雌雄を決する運命にあります。それは何事においても適用される――お分かりですね」
「なるほど遊園地決戦か……面白ェ……!」
二人の会話を聞いて、シャルルが頬を引きつらせた。
「いやいやいや差をつけるってそういう意味じゃないと思うよ? コーナーでつける方じゃないはずだけど?」
「諦めろ、シャルル。あの二人は勝負事に関しては頭が弱いんだ」
箒は嘆息した。
そして、得てしてこうなれば乗っかってくる連中ばかりが、一夏の周囲にはいる。
「遊園地か。興味はある。私も同行して良いだろうか」
「ラウラ……お前が行くなら、私も行くべきか……」
「あはは……どうしよ、僕も日本のアミューズメントパークには興味があるんだよね」
箒、シャルル、ラウラは純粋に遊園地へ行きたいという欲求が発生し。
それに呼応するかの如く、がらりと一組教室のドアが開けられた。
「やっぱり遊園地か……いつ出発する? あたしも同行するわ」
「
ラウラが名を呼ぶと同時、セカンド幼馴染はニヒルな笑みを浮かべる。
「話は聞かせてもらったわ。あたしがあんたたちの勝負、ジャッジさせてもらおーじゃない」
流れは一夏とセシリアの勝負から、だんだんみんなで和気藹々と遊園地で遊ぶ方向に向かっている。
無論、渦中の二名は真剣だ。
そして。
「やはり遊園地か……いつ出発する? 当方も同行する」
「東雲令」
一夏の隣の席から立ち上がり、世界最強の再来は悠然と告げた。
彼女がここに乗っかってくるのは、ラウラにとっては意外だった。
「いいじゃないか。令も込みで……そうだな、ラウラとシャルルに遊園地を紹介しつつ、一夏たちの戦いも審判すれば良い。一石二鳥だな」
箒のまとめに、東雲は深く頷いた。
「本日放課後の訓練を中止し、アフターファイブパスで向かうことを提案する。該当記事にもそのプランが載っているはず」
「あんた詳しいわね。行ったことあんの?」
「ない」
力強い断言だった。
では一体どうして、東雲は遊園地についてここまで的確な提案ができたのか。
(今回の番外号はメチャクチャ当たりだったもんね! 当方も舐めるように読んで一字一句違わず暗記したよ! にしてもセッシー、当方とおりむーの遊園地デートを提案してくれるなんて、もしかして……当方の気持ち、気づかれちゃってる系!?)
この女、ストライプス番外号の愛読者である。
「一夏さん、次はあちらですわよ」
「分かってる、引っ張るなって」
放課後。
私服に着替えた一夏とセシリアは、学園から一度の乗り換えで向かえる遊園地に来ていた。
シャツにジャケットにジーンズとシンプルな服装の一夏に対し、セシリアはハイブランドにオーダーしたフリルデザインのワンピースを着ている。
「第一段階、服装に関してはセッシーの勝利である」
二人がジェットコースターの列に並ぶのを眺めながら、東雲はホットドックを両手に持って断言した。
「なるほど、服選びの時点で勝負は始まっていた……ということか」
「令、ラウラに悪影響があるから、真面目に審判するのやめてもらってもいいかな……?」
銀髪少女が結構人からの影響を受けやすいことを知り、シャルルは冷や汗を浮かべる。
だが東雲は、どうやらこの遊園地に一夏とセシリアが来たのを本気で勝負と捉えているらしい。
いや当人らもその認識なのだが、端から見ればどうなのか。
「……ねえ、箒」
「……なんだ、鈴」
「…………これデートじゃない?」
「…………………………」
核心を突いた指摘だった。
列に並んで、セシリアと一夏はパンフレットを広げジェットコースターの次に何に乗るかを話し合っている。
どこからどう見てもデート中だった。
加えて――この二人、普段はいがみ合っているのに。
「相性が……相性が、いい……ッ!」
箒は思わず呻き声を上げた。
監視対象の二人は、真剣になるべき時には誰よりも素早く真剣に対処し、だがリラックスするべき時はきちんとリラックスするタイプの人間だ。
こうして遊園地に来て、意識のレベルが噛み合っている。楽しめるだけ楽しもうと両者は合意し、気後れも遠慮もない。乗りたいものは途切れることがなく、エンジョイに対する姿勢が共有されている。
「……なんというか。ああして二人が楽しんでいるのを見ると、何故か胸が痛いな」
ラウラの言葉に、箒、鈴、あとなんかシャルルも深く頷いていた。
「……? 相性がいいというのは良きことではないだろうか。戦場においても、あの二人が組めば多大な威力を発揮するだろう」
「そうだな。令は今のままでいてくれ」
親友の言葉に箒は冷たく返した。
一夏とセシリアは意識を共有できているが、東雲は一同と問題意識をまったく共有できていなかった。
「くっ……じれったいわね、あたしちょっと最悪の雰囲気にして来る!!」
「それはやめときなよ……」
突撃して全部ぶち壊しにしようとした鈴を、シャルルがいさめる。
そうこうしている間にも二人はジェットコースターに乗り込んで、ベンチで休む箒たちに手を振ってきた。
「見てよラウラ。あいつら手を振ってきてるわよ。こっちの気も知らずにさあ」
「……私と同じように、胸が痛いのか?」
思わず鈴は隣の少女を見た。ラウラは眼帯に覆われていない深紅の瞳を揺らし、胸元をぎゅっと押さえている。
「苦しいんだ。でも、どうしてなのかが分からない……お前は、知っているのか?」
「それは………」
苦い表情で鈴はうつむく。正直教えて良いのかどうかが分からない。
恋敵が増える懸念もあるが――それ以上に。
自分の軽はずみな発言で、この少女の人生に多大な影響を与えてしまうかもしれない。それが鈴にとっては恐ろしかった。
「早く病院に行った方がいいのでは……」
「令、少し黙っていてくれ」
箒は真顔で親友を黙らせてから、ラウラの正面に回り込む。
「ラウラ。その痛みはな、自分がしたいことをできていない、ああしたい、ああなりたい、という願望の痛みだ」
「願望……それは」
「ああそうだな。今まで、お前がずっと付き合ってきたものに似ている……とても似ている。恋は、戦いなんだからな」
言葉は重かった。
恋、とラウラはその単語を反芻する。
「これが、こんなにも苦しくて、痛いものが、恋なのか?」
「だけど、同じぐらい温かくて、嬉しくなる、それが恋だ」
しゃがみこみ、視線を突き合わせて。
箒は優しく微笑んだ。
「私も分かるつもりだ。ああしたい、と。
セシリアと一夏を乗せたジェットコースターが、急加速して落ちていく。
一同の卓越した動体視力は、自分たちの知る二人が実に楽しそうに笑顔を浮かべているのを判別した。
「……あれに、乗ってみたい」
ラウラの呟きは素朴すぎた。だから、そこに込められた感情も十二分に伝わった。
「令。そろそろ私たちも、交ぜてもらおうじゃないか」
「……勝負事に割って入るのは推奨できないが」
「なーに堅いこと言ってんのよ! どうせあんただってジェットコースター乗りたいでしょ!?」
「メチャクチャ乗りたい」
完全に想定外の答えが返ってきて、鈴は一瞬フリーズした。
だが好都合でもある。
「うん。見てるだけっていうのも飽きたし……そろそろ僕らもいこうか」
シャルルが笑顔でまとめて、一同は頷いた。
そうして一夏とセシリアだけでなく、全員で遊園地を回り。
ラウラが特にアレは何だコレは何だとしきりに尋ね。
苦笑しながら回答する一夏とセシリアが他の客から夫婦に間違われたり。
ラウラの口元についたソフトクリームを一夏が指で取ったり。
おいこの男新規開拓への熱意が高いな。
わいわいと遊園地を楽しみ、閉園時間を迎え、一同は入場ゲートの正面に集まっていた。
「結論。セシリア・オルコットの勝利である」
東雲は粛然と告げた。
他のメンバーも頷いている。終始ペースを握り、遊園地そのものに対する熱意を見せたセシリアの勝利は揺るぎないものだ。
「ま、こんなものですわね」
軽く流すように勝者は微笑んだ。
しかしその右腕は渾身のガッツポーズを決めている。
「畜生ォォォォォッ!」
一方、敗者は膝から崩れ落ち、両の拳を地面に叩きつけて慟哭した。
何が彼をここまで駆り立てているんだろうかとシャルルはあきれ果てた。勝負事に関して、本当に頭が弱すぎる。
「我が師……! 我が師……! 俺は……ッ! おれは!!! 弱いっ!!! 」
「あんたもうちょっと真面目なシーンでその台詞使えなかった?」
全身でやるかたない憤懣を表現する一夏に対して、鈴は肩をすくめる。
自分の知っていた幼馴染ではないが、入学して以来の彼としては自然な反応だ。とにかくこの男、負けず嫌いになっている。
「結構私たちは楽しめたから、来て良かったよ。そうだろう、ラウラ」
「ああ。箒には感謝している」
箒は基本的にこのメンバーにおける潤滑剤の役割を果たしていた。
戦える力がない。絶死の修羅場においては無力極まりない。
だからこそ――彼が平時身を置く平穏こそ、自分が守らなくてはならない。
強い信念が、今の彼女の立ち位置を編み出していた。
まあそれはそれとして、グループ内には潤滑剤気取りの女もいるのだが。
「それはそうとして、おりむー」
「あ、はい」
うなだれていた弟子に、自称潤滑剤が声をかけた。
「週末は空いているか」
「まあ、空いてるよ。つっても訓練再開して初めての休日だし、もっと打ち込もうと思ってたけど……ああ、東雲さんには何か用事があるのか?」
「肯定」
一夏の推測は的を射ていた。
眼前の師匠はよく面倒を見てくれているが、肩書きは日本代表候補生最強である。公的機関や政府とのつながりもある。多忙なのは間違いない。
では訓練は個人でやるべきか、いやこの場にいる人間で暇な人がいれば――と、一夏が思考したところで。
「ああ……週末。もしかして東雲さん、フランスに来るの?」
シャルルの言葉。一夏は目を見開いた。
「フランスって……シャルルの国、だよな。何かあるのか?」
「『イグニッション・プラン』の第3次期主力機、その
セシリアが発したのは、欧州連合の統合防衛計画の名称である。
それは夕暮れの遊園地にはあまりにも不釣りあいなものだった。
「日本代表候補生として、特別視察の指令が下された。今回はイギリスのティアーズ型、イタリアのテンペスタ型、ドイツのレーゲン型……そして滑り込みで、
思わず、一夏は自分を取り囲む少女たちを見渡した。
二人――その目に戦意を滾らせている。
「ええ。正直に告白しますと……それに向けて、今日は息抜きをしたかったのですわ。これからは最後の追い込みとなるでしょう」
「良い刺激を受けさせてもらった。私とて、今回はレーゲンのフルスペック状態での初参加になる。後れを取るわけにはいかない」
セシリアとラウラが、空中で火花を散らせていた。
(これが……代表候補生か……!)
気迫が炎となって立ち上り、空間を拉がせていた。
気圧されそうになり、一夏は頭を振る。
いずれは打倒せねばならない相手ばかりだ。技術もセンスも劣っているなら、せめて気持ちだけは、しっかりと持っていなければならない。
「――ということは、シャルルも参加するのか」
「意外ね。本人の前で言うのもアレだけどさ、ラファール……デュノア社って、第三世代機の開発が難航してたみたいだけど」
箒と鈴の言葉。
それを受けて、
「なんとか形にはなってね。データも本国で取ってて、僕は明後日には戻って調整に参加するんだ。授業はその間公休ってことになるみたい」
「へぇ」
他の面々が相づちを打つ中で。
同じ部屋でずっと付き合いのある一夏だけが、ぎょっとした。
なんだその凍り付いた笑みは。
なんだ、その何もかもを諦めたような笑みは。
シャルル・デュノアという人間にはふさわしくない、と断言してしまえるほどに、その笑顔は終わっていた。
「そこでだ」
狼狽する一夏に対して、東雲はいつもの態度を崩すことなく。
「おりむーは、私の視察についてきてもらう」
時が止まった。
一夏はシャルルへの懸念を一度保留にして、聞かされた言葉をよく吟味する。
代表候補生代表として、東雲は欧州連合の競技会へ視察に向かう。
そこに、助手として自分がついて行くという。
意味分からん。
「…………はあああああああああああああああ!?」
絶叫は、日が没していく茜空に、むなしく響いた。
(フランス。週末。視察は昼のみ。これが、ハネムーン…………!!!)
全然違うぞ。
――――圧倒的な静謐だけがあった。
何もない。物体もない。人間もない。そして空気すらない。だから音は伝わらない。
静かというより、その空間は死んでいた。
【
突然だった。
静けさを突き破るようにして、起動音が厳かに奏でられた。
衛星軌道上――人類が宇宙へ進出するための足がかりとして、そこは常に開発されてきた。
スペースデブリを退け、危険のない空間として成立させ、定住する場所を設けて――今や衛星軌道に定住することは絵空事ではなくなっていた。
そうして人類が多く打ち上げた人工衛星の数々、の、一つ。
地表を見守っているはずのそれが、怪しく蠢動した。
「あれが目標だな」
「確認した。行くぞ」
原因は宙域に接近する不自然な機影。
亡国機業から放たれた、
それを認識して、人工衛星に擬態した巨大兵器が身じろぎした。
【
……
【
剣は、抜き放たれた。
エクスカリバー周りとかイグニッション・プラン周りとかデュノア社周りとか色々独自設定入れてるのでご注意ください
次回
35.デュノア社の一番長い日