あとIS十周年おめでとうございます
「知ってる天井だ……」
目を開ければもはや慣れ親しんだ保健室の天井が目に入った。
一夏は身体を起こすと、首を鳴らしてベッドから降りる。窓から差す日の光を見るに、もう夕方だ。午後の授業は終わっているだろう。
「ええと、俺は確かみんなとご飯を食べてて……」
そこから何故保健室に運ばれる必要があるのか。
首を傾げながら記憶を探るも、セシリアのサンドウィッチを食べてからの記憶がない。
「あっ、気が付いたんだね」
その時、保健室の扉を開いて、保健室に一人の少女が入った来た。
艶やかな金髪を背中になびかせる、アメジストの瞳を誇る少女。シャルロット・デュノアである。
彼女はそろそろと室内を見渡して、他に誰もいないことを確認すると──パッと笑顔の花を咲かせて、一夏の傍まで駆け寄ってきた。
「えへへ。二人きりなの、久々だね」
「ああ、確かにな」
シャルロット・デュノア──かつてシャルル・デュノアとして通っていた、れっきとした女子生徒。
正式にIS学園の生徒としてシャルロットが認められたのには、いくつもの事情が重なっていた。
一つ。
女子を男子として入学させた不手際を、学園は明かしたくなかった。
元より一部教員はおろか、代表候補生レベルならば見抜ける程度の男装──しかし政治的配慮があった。学園の訓練機は実に三割をラファールで占められている。学園として、もう一人の男子生徒を迎え入れるにあたってはメリットの方が重かった。
二つ。
情報操作において、デュノア社は本腰を入れてきた。元より二人目の男子生徒の入学自体、
扱いとしてはグレーだ。イグニッション・プランの選定会にもシャルロットはシャルルとして出ていた──が、性別を明かしたわけではない。彼女が男装していたのは、学園で一夏に近づくためのみ。
第二の男性操縦者として大々的に宣伝していれば話も違ったが、彼女が彼であると明言されていたのは、限られた範囲の話である。
三つ。
根本的に──
詐称することによって不当な利益を得ていれば詐欺罪で告発されるかもしれない。だがそれで何かしらの宣伝をしたわけでもなく、むしろ女尊男卑の世界においては不利益を被る機会を自ら増やすような行い。
シャルル・デュノアとして入学した際の公文書偽造が該当するが、そこは一つ目のポイントで無効化される。
男性操縦者としての喧伝も二つ目のポイントで行っていなかったと分かる。
結論──教員らも、学園運営者も、『別にいいんじゃね?』となった。
無論デュノア社を蹴落とさんとする競合他社が大々的に批判すれば話は変わったかもしれない。しかしデュノア社は、フランスにおいて無敵だった。他国の企業も、国家間の協力を鑑みればデュノア社をわざわざ潰して、他の企業が台頭するのを待つ理由はない。むしろこの弱みにつけ込み、デュノア社相手に有利な取引を持ちかけようとする商売魂逞しい連中がそろっていた(もっとも、アルベール・デュノアという屈指の経営者相手にそれが難しいのは明白だが)。
「あのさ……ありがと、ね」
「え?」
シャルロットが女子として通えるようになった経緯を想起していると、ふと眼前の少女がそうこぼした。
やけにしおらしい態度に、一夏は思わず首を傾げる。
「一夏が、いてくれたから、お父さんもお母さんも救われたんだ。そして、僕も救われた……だから、僕はここにいられるんだよ?」
「あー……違うだろ。あの場にいた人間、誰一人として欠けちゃいけなかった。俺のおかげとかじゃないさ」
さらに言えば、結末を見定めた上ではやはり東雲の存在が必要不可欠だった。
自分一人でつかみ取った結果ではない。到底出来なかった。自分だけでは──足りなかった。
「でも、俺はやっぱり、シャルがシャルとして通えるようになったのは……すごく嬉しい。お前、ずっと生き生きしてると思うよ」
「そりゃあね。やっーっとストライプス番外号を購読できるし。あのコルセットつけずに済むし。ガールズトークに参加できるようになったし」
シャルロットの声色は低く、にじむような実感があった。
確かに性別を偽っていたなら、その辺りの気遣いは極めて重荷だっただろう。
そう考えて一夏は彼女の肩を叩いた。
「え?」
「これから先は、そんな心配はしなくて良いだろ。アルベールさんもロゼンダさんもお前の味方なんだ。もう敵なんていない……それに、俺も傍にいる。微力だけど、助けられることがあれば助けるよ」
「い、一夏……」
どうしてこうも欲しい言葉をピンポイントで投げかけてくるのか。
熱くなった頬を手で扇ぎながら、シャルロットはあーとかうーとか唸った。
乙女の様子にはとんと気づくことなく、それはそれとして、と一夏は話題を切り替える。
「今ってもう放課後か?」
「あ、うん。午後の授業の間、ずっと一夏は生死の境を……ゲフンゲフン、意識を失ってたからね」
「ちょっと待ってくれ」
一夏は両手を突き出してストップをかけた。
「何だ? 俺の身に何が起きていたんだ?」
「……何も。何もなかったよ」
「嘘つくなよオイこっちを見ろ! 露骨に目をそらすんじゃない!」
シャルロットはスッと顔を背けた。一夏は愕然とした。明らかな事実の隠蔽である。
保健室を見渡すと、机の上に機械が出しっぱなしになっていた。よく見ればAED──停止した心臓を動かす例のアレだった。
ふう、と息を吐いて、一夏はそれを見なかったことにした。
多分それが、誰もにとって幸せな選択肢だと信じて。
放課後のアリーナ。
愛機『白式』を身に纏う一夏がそこに降りると、既にそろっていた面々がこちらに顔を向けてきた。
「あ……よかった、生きてた……」
「いきなり物騒なことを言わないでくれ」
心の底から安堵したような声色で簪がそう言う。
彼女の後ろでは、箒もホッと胸をなで下ろしていた。
「なんだか大変だったみたいね、一夏クン」
水色の髪をなびかせて、更識楯無が微笑む。
大変で済むような事態ではなかったものの、その指摘はぐっとこらえた。
「ありがとうございます……で、楯無さんはどうしてここに?」
「東雲ちゃんが一夏君と箒ちゃんのペアを指導するって聞いてね……せっかくだし、一緒に訓練させてもらえたらなって思ったのよ」
「当方は問題ない。だが……おりむーと箒ちゃんはいいのか?」
教官の問いに、箒は薄く笑みを浮かべる。
「心配するな。東雲との訓練では徹底的に基礎を学ぶが……他のペアに知られたくない切り札は、そうそう見せないからな」
不敵な表情だった。
対戦相手となり得る更識姉妹は、それを受けて少したじろいだ。
何か──勝利の確信を含んだ言葉。
当然実力差を考えればそうすんなりと勝利宣言できるはずがない。
だが何かしらの
(一夏君は箒ちゃんとのコンビを即座で受け入れたって言うけど、間違いなくウラがあるわね)
楯無は二人が「お前、適当言うなよ。まだすりあわせが必要なんだからな」「む……すまん」と会話しているのを見ながら、そろそろと簪の方へと寄った。
自分にペアを申請したときは本当に驚いたが──『勝ちたい』と言われては、頷かざるを得ない。
(……警戒するべきは、間違いなく『ダリル・ケイシー&フォルテ・サファイア』と『シャルロット・デュノア&ラウラ・ボーデヴィッヒ』の二ペア。いかにして『イージス』を破るか、そしていかにしてAICを突破するか。課題として大きいのはここだけど)
ちらりと、一夏の顔を見る。
(どうして箒ちゃんとのペアを選んだの? 君の実力なら……シャルロットちゃん、あるいはラウラちゃんと組めば間違いなく優勝筆頭を狙えたはず。同時に、
出場するに当たって楯無は箒とのペアを考えていた。
その理由は、
第四世代機──『紅椿』。
シャルロットが復学した直後に突如として箒の元に送り届けられた、篠ノ之博士自ら設計・製造した最新にしてまごうこと無き最強のIS。
カタログスペックを紐解けば、現存のあらゆる第三世代ISが相手にならないほどの超高性能。あらゆる状況にパッケージ装備なしで対応できる万能性。
(どれをとっても、強い)
簪の感想は、それを知った一同に共通するものだった。
セシリアも、鈴も、シャルロットも、ラウラも、楯無も、そして一夏も感じた。
──強い。
抜群の機動性。あらゆる状況でも発揮できる攻撃力。
何よりも、全身を覆う
「……はっきり言って、箒の機動を見るだけで……私たちにとっては、ヒントになる……」
簪の言葉に楯無が頷き──しかし、箒でさえもが首を縦に振っていた。
「ああ。私の『紅椿』は唯一の第四世代機。今のところ、『打鉄』とはまるで別物だな」
言いながら、各部の展開装甲が花開き、スラスターとしての働きを持つ。
一夏が来る前の試運転の段階で、既にエネルギー刃を発生されるブレード機能、それを射出する砲撃機能、防御に転用するシールド機能まで確認されている。
最大のメリットはそれを
屈指のIS乗りである楯無をして、十全に乗りこなせる使い手が乗れば、崩し方が分からなくなるほどの性能だった。
しかし。
「とはいえ
何気ない言葉だった。一見すれば諦観のような、自虐に等しいその台詞。
だが、違うと簪は感じた──それは自分の無力さを嫌と言うほど知る者が出す、飽くなき餓えの声。
これから這い上がろうとする人間特有の、ひりつくような熱。
(……箒)
ぐっと拳を握った。
誰もが心に焔を灯している。このままじゃ嫌だと。もっと強くなりたいと。セシリアも、鈴も、シャルロットも、ラウラも。
そして箒も、自分も──
(……そう、思うようになったのは)
勝ちたいと。ここに自分がいると証明したいと、考えるようになったのは。
簪は静かに一夏へ視線を向けた。
(……君が、悪いんだよ……?)
何度打ちのめされても、何度心を砕かれても、這い上がる。
片翼しかなくても、必死に大空を目指して足掻く、その姿。
心を打たれたのだ。かつて存在した熱が、再びよみがえったのだ。
だから、実姉にペアを申し込んだ。勝利するために。
元より仲が悪かったわけではない。劣等感を抱いてはいた。だが──それよりも大事なものが、胸の中にあった。
「じゃあ、お姉ちゃんと二人で、弱点探させてもらうね……?」
「む……」
簪らしからぬ発言──だがそれが歓迎すべき変化であることは、隣の楯無の表情を見れば分かる。
「フッ、いいだろう。だが、最後に勝つのは、私と一夏だ」
「負けない……勝とう、お姉ちゃん……!」
二人が火花を散らす。
それを受けて、一夏と楯無も視線を重ねた。
「……変わったわよね、あの子」
「そうですね……」
「きっと、君のおかげかな」
「それは違います」
半ばうんざりしたように、一夏は手をひらひらと振った。
「誰も彼も……確かに、俺は騒動の渦中にいがちですけどね。俺一人じゃ何もできていませんよ。みんながいてくれたから俺があるように……みんなの変化も、みんながいたからです」
そして、と彼は楯無の瞳を見つめて。
「貴女も例外じゃない──簪が変わったのは、貴女だって関係あるでしょう?」
「────」
数秒、楯無は呆けたように口を開けっぱなしにしていた。
一夏の理論は夢見がちと言われてもおかしくないものだ。常に誰かと誰かがつながっているわけではない。もしそうであればどんなにいいことか。
だが彼は、その理想論を当然のように言ってみせた。
「……ふふ。そういうところよ、一夏君」
「え? ……え? 何ですか?」
「何でも無いわ──さあ、訓練を始めましょうか」
楯無は青髪をなびかせて告げた。
待機していた東雲も素早く頷く。
「ではおりむー、まず手始めに基本的な制動からやっていく。上空50メートルに滞空後、当方の狙撃を回避しながら地上3センチで止まるように」
「了解!」
元気よく返事をして、一夏はスラスターを噴かして飛び上がった。
眼下ではそれぞれ指示を受けた箒と簪が、近接戦闘の型を互いに確認しながら振るっている。
楯無は──東雲が
「……って、あれ? 東雲さんは俺を狙撃するんじゃ?」
『無論、するとも』
言葉と同時。一夏は直感任せに左へ飛び退く。
飛来した弾丸が空を穿ち、しかし一夏の回避を組み込んだ続けざまの連射が彼の左肩を捉えた。
「──マジ、かよ……ッ!」
レッドアラートが重なる中、地上の東雲を見た。
左手のアサルトライフルで楯無を迎撃しつつ、右手のロングライフルで一夏を狙撃するその姿を。
(こっちを見てる──わけじゃない、二箇所を同時に見ているとしか思えねえ! 何なんだよこれッ!?)
視線の動きは驚くほどに少ない。結果さえ考慮しなければ、棒立ちで適当に銃口を振り回していると言われてもおかしくない。
だが現実はどうだ。学園最強を近寄らせず、唯一の男性操縦者を撃ち抜いている。
「ウォーミングアップだから、二人同時に相手取って効率化してるんだろうけど──片手間にやられて、いい気はしないなァッ!!」
頬をかすめる弾丸に臆することなく、一夏は最小限の動きで射線から逃れつつ下降を狙う。
瞳に焔が宿る。負けず嫌いな彼が、片手間に処理されているという事実を素直に認めるはずもない。
「ウオオオオオオオオオオオッ!」
鋭角な切り返しとともに、地上へのコースががら空きになった。
ここだ、と一気に加速をかけて。
その刹那。
【System Restart】
「は?」
なんか勝手に立ち上がった。
視界を遮るようにして、一夏の眼前に愛機がウィンドウを起こす。
――『白式・
全身の装甲を食い破るようにして焔が噴き上がり、一夏の気合いに応じて猛る。
結果として推力が爆発的に増大。地面へ迫るスピードも爆発的に増大。
あっという間に、地面が目の前に迫っていた。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って下さい! 待って! 助けて! 待って下さい! お願いします! ワアアアアアアアア!!!」
一夏の絶叫は、アリーナとの激突音と華麗なハーモニーを奏でた。
(おっ、気合い入ってるなおりむー)
地面に陥没して直立する下半身を眺め、東雲はロングライフルの銃口を下げた。
周囲では箒たちが動きを止めて、唖然とした表情で一夏の両足を見ている。
(地面から3センチ……確かに身体は地面から3センチのポイントを満たしているな。これは一本取られた!)
本気か? 本気で言ってるのかそれ?
(にしてもこう、マジマジと脚を見ることってなかなかないから……こう……アレだな……すごくイケないことをしてる気分……! 顔が隠されているのもポイント高い! フヒ、なんか新しい扉が開けそう……!!)
世界最強の再来は──ニッチな性癖に対する即応性も秘めていた。
シャルロットの下りは正直自分でもかなり苦しいと思っているのでゆるして
次回
46.東雲式必殺技講座Ⅱ(後編)