Fate/stay nightのセイバールート後の一幕。
嫌でも戻ってくる日常に面影が忍び込んだ時、胸を覆う息苦しい何か。
士郎が過ごす新しい春。

自サイトで掲載していた作品ですが、ジオシティーズのサービス終了にともないこちらに移行させて頂きます。

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Fate/stay nightのセイバールートエンド後の一幕。
嫌でも戻ってくる日常に面影が忍び込んだ時、胸を覆う息苦しい何か。
士郎が過ごす新しい春。


庭に寝転がって空をみて、風を受けて君を見た春

 それは夢ではなかった。ただひたすら、一枚の画像が目の前にあるだけなんて、夢とは言えない。

 錆びもせず、欠けもせず、麗しき光沢はどこまでも清らかで、そこにある。そう。そこにある。

 不意に、今理解しているこの世界が現実で、まぶたの外こそが夢じゃないのか、だなんて不覚にも思ってしまった。

 本当に不覚。

 もう起きよう。それこそ嘘だ。

 切なさを押し込めて、まぶたを開けた。

 ああ。寒い。寒さに震える身を抱いて、

「君がいないと、こんなにも寒い」

 もう一度不覚を覚えた。

 

 

 

 石造りの土蔵の朝は、ひやりと冷たい。もうすでに慣れているし、なによりその冷気が目覚めを吹っ飛ばすのに一役買ってくれている。

 格子からの日差し。春の陽気。朝の気配。光と埃が、流れて。

 やがて思い出したように、時間を確かめた。目覚まし時計の針は、もうすぐ直立するあたり。

「えと……あぁよし。六時前だ」

 起き上がった。そのまま静かにタイマーのスイッチを切る。

 昨日は珍しくも寝過ごしてしまったので、念のために目覚ましをセットしたのだけれど、その必要はなかったらしい。騒がしいベルの音から始まる一日というのは、あまり好きじゃないので僥倖といえば僥倖だった。

 土蔵で枕するのはもう大して珍しいことでもない。二週間前とは錬度も疲労度も桁違いだけれど、鍛えること自体は何年も続けてきたのでキツイことはないし、慣れてもきた。立ち上がり、石畳の上に突き刺さったままの剣をガチャガチャと片付けて外へ出た。

 門の外へと出た途端、思わず目を細めた。ちょうど山裾から全部顔を出したばかりの太陽が、まっすぐ光で射抜いてきた。眩しさに手をかざす。

「まぶしいな」

 呟いて、しばし見とれた。光は手の輪郭を縁取るように溢れ、桜の木を逆光の中に翳らせた。

 桜の木は、つぼみをたくさん纏って風に揺れて震えている。日の出はカレンダーを繰っていくほどに早くなる。一週間前なら多分まだあたりは薄暗かったとおもう。三月も頭になれば春ももう間近だ。

 ぐるりと庭を回って縁側から屋敷に入った。まずは汚れたつなぎを着替えて、顔を洗う。しゃこしゃこと歯を磨きながら、頭の中で献立を組み上げていく。

 今朝は気合も入れねばなるまい、と思う。何しろ昨日は見事に桜に出し抜かれたのだから。朝起きてすでに朝食の用意が整っているという状況は、ありがた半分、そして妙な悔しさ半分でなぜか釈然としないのだ。

 ぱっぱと手際よく米を研ぎ、ジャーのスイッチを入れる。衛宮家の台所にはコンロが二つあり、さらにグリルが一つ。一のコンロで味噌汁を作り、二のコンロで里芋と鶏肉を煮ころがしにする。味付けを確かめて、最後にまぶすための柚子もあらかじめこしらえておく。昨日手に入れた旬物の太刀魚を、グリルに乗っける。

 後はそれぞれ出来上がるのを待つだけなのだが、それも何だかつまらないのでもう一品やっつけることにした。 出来上がった味噌汁を脇に寄せて、出し巻き卵にしようか、なんて考える。それもいい、どうせならとっておきの焼き加減で桜をうならせてやろう。

 ちょうどそう思ったとき、やや間の抜けたインターフォンが鳴った。桜はいつもどおり、おはようございます、とあいさつしつつもなぜかクスクスと笑っている。

「なにか面白いか?」

「いーえ? ただ先輩、昨日の朝がそんなに悔しかったんだなーって」

 む。

 昨日とは俺が寝坊をして朝飯をただご馳走になったことに他ならない。

「そんなことないぞ。あれはそのな、ただ不覚を取っただけだ」

 そうですね、とさらりと流しつつ桜は味噌汁の味見をしてから微笑んでいる。最近桜が手ごわくなってきているのは気のせいだろうか。

 桜は味噌汁、里芋、太刀魚の順に味を見ていく。ちょうどご飯も炊き上がる。豆腐オンリーのあっさり味噌汁はいいにおいを立て、煮ころがしの方も柚子の削りを加え爽やかに仕立てあがる。無駄なく無理なく手間取らず、朝餉はまずは香りから出来上がっていく。

「さすがですね先輩。太刀魚の火の通り加減が特にマルだと思います」

「そうだな。桜がそう言うんなら、自己満足じゃないらしい。よし、うるさいのが来る前に準備しちまおう」

 そうしましょう、と桜が言い終わらないうちにガラガラと戸が開く音がした。噂をすれば、なんとやら。

 ドタドタと廊下を踏み鳴らして、吼え声と共に冬木の虎が来臨した。

「グモニーン。今日とて朝からかぐわしい香りでお姉さんとっても感激。あんまりの嬉しさゆえに褒美をつかわします。ありがたく喰らえーいっ!」

 風をも巻き込む強烈な捻転より繰り出されるトルネード投法。それは確かベースボールと言われる球技で使用されるはずなのだが、藤ねえの理解の内ではおはぎを投擲するのにも積極活用されるらしい。

 飛来するぱっとみ泥団子を避けることもかなわずに口元と額に直撃。べちゃり、なんて嫌な音を立ててでろでろと顔面から滑り落ちるおはぎ。うむ、確かにこれは由緒正しき江戸前屋の味也。江戸前屋のおはぎといえば、不況を考慮した若旦那考案の新しい主力商品。今はまだ試供品どまりなので入手はほぼ無理と謳われていたそれを惜しげもなく兵器にするとは。朝の悪戯にも手を抜かないあたりさすがは藤村組の核爆弾。

「なわけあるかっ。おいこら藤ねえ! いつから朝の挨拶におはぎぶつけることが加わった」

「うっさいうっさい。士郎が悪いんだよーだ。昨日の狼藉に対する正当な報復なんだから」

 へっへー、なんて得意気な彼女はれっきとした成人だということを付記。たまに忘れるけど。

 さて昨日昨日。昨日は何があったかな、と思い浮かべてあぁあれかと思いついた。なんてことはない。いつもどおりタイガーコールが教室内で乱れ飛び、貴重な一時間を休息に使ったという、ただそれだけのこと。

「うん。ていうか」

 仕返しはもう済ませたじゃないか。四時限目が終わってさぁ昼休みだ、って時に木刀二刀流で突入してきたのはどこの誰か。恐るべき腕力でありえないと提唱されていたはずの長刀二刀流を軽々とこなし、立ちはだかる何某全てを殴打破壊。衛宮士郎もこれでもかというほどに巨大なタンコブをこしらえたのだが。うん、普通はあれでチャラのはず。むしろおつりがくるほどの大活躍。

 しかしどうやら藤ねえにそこらへんの倫理を期待するのは無駄無理無謀に無茶無意味無価値が付随するらしく、逆ギレてのおはぎ爆弾はむしろまだマシな方なのだろう、悲しいが。

「あの先輩、付いてます」

「おっと。ん、悪い」

 桜が手ぬぐいを持ってきてぐいっと拭いてくれた。塊は口に放り込み、どうにもならない分はぬぐって捨てる。ベトベトはもうどうにもならなかったので顔を洗って、ようやく席に着いた。ちなみに味は誰かさんが好きそうな甘さで文句なしに旨い。

「朝からいい匂い。士郎のこういうマメなところは切嗣さんに似なくてほんと良かったと思うのである」

「ある意味藤ねえのおかげでもあるんだけどな。世には反面教師という言葉がある」

「えーとそれじゃ、準備も整いましたし」

 三つ重なるいただきます。

 里芋を口に入れた桜がむぅと唸った。どうやらかなりお気に召したらしい。あとで詳しく聞かせてもらいます、とのこと。師匠としての面目躍如といったところでかなり気分がいい。

 もう方っぽは、いただきますが済むや否や、ガツガツと食い散らかしはじめた。恥って何語? 食えるの? 冬木市穂群原学園の一人一個大隊自称英語教師。実際に教免があるかどうか昨日のファイトぶりからしてもまっこと疑わしい。

「今日も藤村先生元気ですね」

「桜それは違う。あれは世間一般での元気とは違う。絶対違うぞ」

 なんというかナチュラルターミネーターというか。もうとりあえずそっちの。

 やがて、一定のハイペースで朝ごはんを済ませた藤ねえは最後だけは行儀よく手を合わせて言った。

「ごちそうサマランチ。うん、ほんのわずか味に乱れを感じた九十六点。しっかり及第点だけれどかすかに潜んだマイナス要素、さらに士郎の向上心を刺激する作戦?」

「その疑問形に回答する気はないけど、でも評価は正当だと思うから聞く。ちょっと塩辛かったかな?」

「ていうか迷いを感じたかな。そんなんじゃ至高のメニューには程遠いわよ」

「別にそんなものは目指してない」

「嘘ばーっかり。なんのかんの言いながらお料理大好きなこと藤村先生はちゃんと知ってるんだもーん。と桜ちゃん、今日は大事な合同練習日なんだから遅刻はダメダメよ?」

 ばいちゃ、と言い残してスプリントしていくベンガル。衛宮家に寄生する巨虎は今日も朝から迷惑の塊だ。料理は仕方なしにやっているだけであって、好きでも何でもないと常日頃言っているのに聞きもしない。

 虎の忠告に律儀に、はい、と返事を返した桜は、しかし二度目のおかわりを要求し、美味しそうにもきゅもきゅと口を動かす。いや、ジャーには人数分以上のご飯が炊かれているので、いくらおかわりしようと問題はないのだけれど。

「今日試合だから急ぐんじゃないのか」

「先生は先に会場に入らなきゃいけないそうで。弓道部の集合時間はもう少し先です」

 もきゅもきゅ。桜の食べ方は誰かと違ってさりげなく、しかし着実に大量なので気付けば手遅れなときがたまにある。

「ああでもな、合同練習日ってあれだろ、他校の選手も集まるんだから遅刻はやっぱりダメだ。というわけでそろそろ準備したほうがいいと思うんだが」

「あっ、そうですよね、遅刻はダメですよね……じゃあそろそろ準備します。はい、いつまでも食べてるわけにもいかないし、ちょうどお腹も満腹だから」

 満腹どころか六分目くらいなのは明らかだけど、つっこむのは止めにして、さて。

「遅刻はダメだけど、空腹はつらい、か」

「え、はい……じゃなくて、あの大丈夫ですから」

「いや、すきっ腹で弓を扱うのは危ないと思うぞ。集中力にも影響するから適当に胃は満足してた方がいい。おにぎり作ってやるからちょっと待ってな。三分かからないから、その間に桜は準備整えて靴でもはいてな」

 昨日の晩に聞いておけばもうちょっとしっかりとしたお弁当を作れたのだけれど、いまさらというやつである。ジャーから適度にご飯をよそってパンパンとおにぎりを二つ。中身は梅干と昆布。アルミホイルで包んで適当なビニール袋に突っ込んで渡した。ちなみに近くのスーパーの名前が印刷されているやつ。

 遅刻しちゃうぞ、と忠告した手前急がなくてはならない。玄関まで小走りでいき、靴を履き終えた桜にビニール袋を渡した。

「ごめん。こんな袋しかないから笑われるかもな」

「いいえ。うれしいです。美味しくいただきますね」

 そんなに嬉しそうに笑ってくれるのなら、作った甲斐があるというもの。かばんの中にそっと入れると、桜はいつもよりやや力の入った声で、いってきます、といった。

「いってらっしゃい」

 いい顔をしていたと思う。あれなら、しっかりと的を射抜けるだろう。桜は気持ちさえ落ち着いていれば、技術は確かなので結果は出せる女の子だから。

 

 桜を見送った後、洗い物をジャブジャブと済ませてから洗濯物と、ついでに布団も干すことにした。こんな良い天気、自然の恩恵は最大限に受け取るべきだ。

 庭先。カゴからちょっとはみ出るくらいの洗濯物を、庭の隅の物干し竿に引っかけていく。

 いい天気だった。平和だった。何気なくて、何かがなくて、何もない。あの駆け足で現れては消えた幻想と狂気の日々がまるで夢のような日常だった。

 不覚。こみ上げてくるものがあった。なんとか押さえ込んで、誤魔化しの鼻歌をいわせながら洗濯物を引っかけ続けた。

 シーツ。たなびいて、乾けば畳んで押入れの中へ。

「そうか。このシーツ、もう使わないんだな」

 知らず知らず手にしていたのは、自室の隣で使われたものだった。

 彼女の顔が浮かんで消えた。

 失ったと思うのは傲慢なんだと十分に知ってはいる。彼女は、一番奥の一番大事な、一番の何かを成し遂げたのだ。それは喜ぶべきことであって、間違っても変なことは考えてはいけない。自分だって全てを納得してから決断したのだから、あのときの決意すら覆してしまうのならあの時の自分と彼女に対して嘘をついてしまうことになる。

 ああしかし、それこそ嘘だ、とも思う。その嘘は今の自分に対してつき続けているものだ。自分さえ騙せない嘘、というのは毒にも薬にもならないただの重石だ。

「結局」

 どちらの言い分にも一理あったりするわけで。あちらを立てればこちらが立たずの袋小路な精神は、紙一重なバランスでまだ何とか持っている。いつまで保つか本当、誰か教えて欲しい。

 誰にも聞こえない、自分にすら聞こえない、喉を震わせずに唇だけを動かして、彼女の名前を呟いた。

 ただの一度でもその名を聞いたのなら、もしかしたら自分は馬鹿になるんじゃないか、という馬鹿みたいな考えがうっすらとあった。忘れる恐怖に比べたら、いや、比べ物にすらならないけれど。

「怖いな」

 君の面影はまだそこかしこに残っているけれど、それもいつかは消えてしまうんだろう。俺の隣の部屋からも、道場の竹刀からも、君が使った箸とお茶碗からも。

 炊かなきゃならないお米の量も減ったし、使わなくなった皿の置き場にも困る。もう俺の他は使うことのない風呂場はただっ広い。君が座っていた席はこの先誰も使わない。ようやく馴染んだ真っ白な雰囲気はあの日から欠けてしまった。君の靴がない。君の声が聞こえない。君の足音。匂い。

 日一日、無意識に彼女の名残りを探しては昨日より薄れているのを感じて追い詰められる。複雑だった。この気持ちを例えるには、もう一個新しい言葉を作らなきゃならないと思う。

 未練はなかった。後悔もなかった。この道を選択した、かすかな自負さえあった。

「でも、寂しさだけはどうしようもない」

 今にも君が現れそうで怖くなるときがある。なぜかいつもそこにいるような気がする。呼べば、はい、と返事が返ってきそうな気がするんだ。

 腰を下ろした。暖かさに誘われて草はいっそう伸びている。春だった。柔らかな春だった。何かが足りない春になる。ため息に押されるように、俺はあおむけに倒れこんだ。

「ああ、そうか」

 だから君がいつもそばにいるような気がしたのか。だっていうのに俺は気付かなくて、まるでバカだった。

 いつでもそこにいたのか。俺は間抜けだから、もう永遠に会えないと思ってしまったんだ。

 気付かなかった。こんなに近くに、手を伸ばせばほら、届くじゃないか。

 墜落しそうなくらい底抜けの青空、本当にそっくりだ。笑った。

「この色を見るたびに、俺は君を思い出すんだ」

 天空の色は君の色。多分彼女も、遠い昔の遠いどこかで、紺碧が自分に染み付いてしまくらいあんまりに眺めていたんだろう。なんだかんだ言って、実はこっそりのんき者だったから。

 顔に似合わず欲張りな君が、こんなに美しい青空を見逃すはずがない。大昔。遠い異国。でも、きっと、同じ空を見上げている違いない。

 また一つ、俺の中で日課が増えるんだ、と思った。本当にいつか、首さえ回らなくなる日が来るんじゃないか。

「まぁそれはそれで」

 さて、空を見上げよう。

 自分にも同じ色が染みるように願って、まずは深呼吸からやってみた。吐き出す息には万感が詰まっている。再び吸った空気の中には、新たな万感が詰まっている。 

 春の匂い。シーツ、たなびいて。不意に重なる、君の気配。

 

 いい風が吹いていた。

 

 


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