その者、かつての導かれし者の一人 作:アリ
「うーん……朝か……」
シーツと毛布の温もりがもう一度睡眠へと魅力的に誘うが、眠い目を擦り自分に掛かっているそれらを払いのけて身体を起こし、大きく伸びをする。
大きく口を開けて欠伸をして漸く意識を覚醒させてベッドから立ち上がり身支度を整える。
「しかし、『はじゃのつるぎ』で工房の親方と丁稚の子供があんなに騒ぐとは思わなかったな。幸い他に客は居なくて俺が売ったことは隠して貰えるみたいだが」
普段の簡素な服へ袖を通しながらボヤくが、考えればこの世界は魔法が数回使えればいい方なのに、あの剣の効果を考えれば無理もないと思い、自身の過失だと思い至る。
「しかし、高いといえどあの剣は市販されてるんだがなぁ。まあ、当面のこの宿の滞在費を確保出来たからヨシとするか」
言葉は通じる。文字も同じ。されど幾つも違うこの世界の理や文化に早く慣れなければと感じつつ、身支度を終えると、部屋を出る。
宿泊施設はギルドの二階にあり、吹き抜けの廊下から下を見ると階下は人々で賑わっていた。
昨日は手続きや工房でのやりとりに疲れてしまい部屋を取ると直ぐに眠ってしまったが、壁や床越しに夜は夕方の倍以上は人々で賑わって居たのは知っていた。
しかし、賑わい方に違いはある。夜は宴のようにとにかく騒ぐといった風ではあったが、今はやる気や希望に満ちた活気が溢れるといった風である。
「確か仕事の依頼は掲示板に貼られてるって言ってたけど……まだ随分人が居るな」
少々遅く起床したのだが、依頼書が貼り出されてから時間があまり経過していないのか、掲示板の前では多くの種族や職業の人が入り乱れている。
しばらくその様子を見ていると、何人もの人々が依頼書を片手にカウンターの方へと移動して今度はそちらの方に長い列が出来ていた。
掲示板の方の人が疎らになったのを確認すると、男は階段を降りて掲示板に貼られてる依頼書に目をやる。
乱雑に取られた紙の切れ端を残したそこには十数枚程度の依頼書しか残っていなかった。
更に今の自分、
「ゴブリン退治、か」
ポツリと呟いてその依頼書に手を伸ばすが、自分がこの仕事をこなしても良いのかと考える。
新人冒険者に推奨される依頼ではあるが、ゴブリンスレイヤーの仕事を横取りしてしまうのではないかと一瞬頭によぎる。
しかし、ゴブリン退治の依頼が無くなることは稀との話も聞いたのでとりあえず二枚の依頼書を持って、金髪の受付嬢の列に並ぶ。
その頃には人も少なく、ほんの少し待つだけで自分の番がやって来る。
「はい次の方どうぞ。ああ、おはようございます。昨日はよく眠れましたか?」
「おかげさまで、すっかり体力も回復出来ましたよ。
さて、依頼を受けたいんですが……コレ、俺でも受けられますか?
まだ掲示板には三件ほど残ってはいましたがもし、俺が受けたことで彼に不利益が生じるならば受けるつもりはありませんが」
受付嬢に依頼書を渡す。
そこに書かれた内容に受付嬢の表情は曇る。
「お一人で、ゴブリン退治……ですか……」
彼女が言い渋るのも無理はない。
何人もの冒険者がこの依頼を持ってきて、彼女はそれを受理して送り出す。
だが最弱の祈らぬ者討伐に向かい、帰ってこなかった冒険者が何人もいることを知っているからだ。
目の前の男が多くの術を使えるとしても、それが必ず帰ってこれる保証にはなっていない。どんな仕事にも危険は付き物だが、一人となればその危険は大きくなる。
しかし冒険者の決断はどこまでいっても自己責任。受付嬢である彼女に止める権利は無いが、言い淀み苦い顔をするのは彼女の優しさからなのだろう。
「やっぱり問題が?」
「いえ、そう言う訳ではないのですが……やはり最初は他の冒険者さんと一緒に行かれた方が良いかと思いまして……それに貴方斥候の経験は無いと言ってましたし、巣に入るのは危険かと……」
「大丈夫じゃない?
旅人くん術をいっぱい使えるし、本人もそれを望んでるんだから。
まあ、報酬は減るけど二人で行った方が私も良いと思うよ」
昨日手続きを担当した茶髪の女性が話に割り込んで来る。
なにやら監督官なるものと兼任しているらしく、今日はそちらの仕事があるなんて言っていたが受付をしているあたり、そちらの仕事は昼過ぎからのようだ。
そして彼女とカウンターを挟んだ先では一人の青年がこちらを見ていた。
動きを損なわない程度に軽量な鎧に身を包み、首の後ろに兜を掛けて腰には剣を一振り差している事から戦士職である事が伺える。
「という訳で、君も今日は一人でしょ。新人の面倒でも見てあげたら?」
監督官が手をヒラヒラと振ると、その自由な様子に溜息をついて戦士風の青年が歩み寄って来る。
「よう、新入りなんだってな。
見たところ俺と同じくらいの歳で単独みたいだが、今日はまあ俺も同じだな。
ゴブリン退治に行くんだってな、良かったら一緒にどうだ?
俺は斥候の経験も多少はあるしな」
「それは助かるよ。腕には自信があるが、来たばかりでこの辺の土地勘が全く無い。
是非ともお願いするよ。
一応魔法戦士でギルドに登録してるけど、回復の魔法とかも使える」
「はあっ!?新入りなのに上級職かよ、頼もしい奴だな……ところでさっき言われてた旅人って言うのは?」
「ああ、ここに来る前に旅をしていたから旅人ってあだ名を彼女に付けられたんだ。好きに呼んでくれて構わないさ。
まあ、よろしく頼む」
旅人、そう呼ばれた男は青年戦士に向かって右手を差し出す。
青年戦士もこちらこそ、と返して二人は固い握手を結んだ。
「さて、二人になって一人はゴブリン退治の経験者。これなら行っても大丈夫ですよね?」
手を離して旅人は承諾を得ようと受付嬢に顔を向ける。
受付嬢はどこか安心したように穏やかな笑みを浮かべた。
「そうですね。それではこちらの二件の依頼を受理させていただきます」
続けて受付嬢は依頼内容の確認と報酬の説明と意思の確認を二人へと促したので二つ返事で答えると、今度は承認の手続きが行われた。
「これで正式に依頼は受理されました。どうぞお気をつけて」
「ありがとうございます。よし、行こうぜ!」
青年戦士は旅人の肩を叩き、踵を返して先に歩を進める。
それに続くように旅人は受付嬢に一礼、隣で手を小さく振っていた監督官に小さく手を挙げて応えて青年戦士の後を追った。
二人の男は1件目の依頼を手早く終えて草原を歩いていた。2件目の依頼であるゴブリンの巣を潰すためである。
「さっきの仕事ははぐれゴブリン退治だったから楽だったな」
「はぐれゴブリン?逃げはしたがすばしっこくも硬くも無かったぞ?」
「なにいってんだ?
巣穴を失ったゴブリンの事だ。もしかしたら寝ぐらを転々として経験を積んでる渡りってやつかもしれなかったかもしれないけどな」
「随分と詳しいな。まるでゴブリンスレイヤーみたいだな」
「アイツを知ってるのか?
実は俺、アイツと同じ日に冒険者になったんだ。偶々一年くらい前に一緒にゴブリン退治になってな、その時に色々と教えて貰ったんだ」
二人は談笑しながら進む。
旅人が昨日ゴブリンスレイヤーに助けられた事、旅人のふくろがとても便利そうだと言う事、そして冒険とはなかなか思い通りに行かないと言う事などを話しているうちに、目的の場所へと辿り着く。
「アレが巣穴か、何かの遺跡みたいだな」
「俺には墓にも見えるな、まあ何でもいいだろう。女性が拐われたという情報もある。急ごう」
先程までの、談笑していた時の雰囲気と打って変わり旅人から気の抜けた笑顔や油断が一切消える。
青年戦士は先のはぐれゴブリンを退治した際、獲物は三匹で指示こそ自分が出したが、旅人は命令を発した直後にはゴブリンを屠っていた。
自身がどのように動けば良いのかを理解していた事やその時の身のこなしから、等級こそ自分の方が上だが戦闘の経験、腕、思考は彼の方が遥か上である事を肌で感じていた。更にはこのように常時との意識の切り替えも眼を見張るものがあり敬意こそ覚える。
「見張りは一匹か、とは言っても俺は戦士、遠距離の攻撃手段を持たない。お前は何かあるか?」
朽ちた石造りの建物、天井には穴が空き、入り口の扉が片方無いのが重ねた年数を物語る。
入り口の両脇に立つ大きな石柱がかつては立派な玄関であった事が伺えるが、今となってはゴブリンのねぐらである。
人間が築いた物に興味などない、槍を持つ一匹のゴブリンが入り口の前で退屈そうに欠伸をして醜悪な顔を晒していた。
「あるぞ、『クロスボウ』」
ふくろから旅人の手に機械式の弓矢が現れる。
青年戦士は同じ仕組みの物を見た事があったが、自身が知る物よりも随分と大きいものであった。
「からくり弓か、良いもの持ってるな。使えるのか?」
「ああ。それより、あのゴブリンを殺した後はどうする?」
旅人は弓に矢を掛けてゴブリンに向けて構えるが、目にかかる緑色の髪が邪魔なのか手で後ろの方に払いながら青年戦士に聞く。
「中に入り、ゴブリンが眠っていたりして動かなかったら個別に潰していこう。
広範囲の攻撃ができるって言ったな?起きていた場合は俺が盾になって詠唱の時間を稼ぐからゴブリンを魔法で攻撃してくれ」
「詠唱に時間はかからない、でも余りにも多かったら討ち漏らす可能性もある。その時は近づくゴブリンを頼めるか?」
「ああ、任せろよ」
青年戦士のその言葉を合図に、旅人は機械式弓の引き金を引いてゴブリンに向かって矢を射出する。
人が引く弓よりも強い力で引かれた弦から放たれた矢は風向きなど意にも介さんと言わんばかりに風を切り、ゴブリンの頭に直撃して絶命させる。
「『やいばのよろい』『はがねのつるぎ』『てつのたて』『てんくうのかぶと』」
袋から光が発せられて旅人の身に纏われると、多くの鋭い突起がある鎧、鋼で出来た剣、鉄で出来た盾が装備される。しかし光こそ纏ったが頭部のみは元々身につけていたサークレットから変化は無かった。
本来なら特異な出来事の筈だが青年戦士がそれを見るのは今日2回目の事で、慣れないことに驚きはしたが、あまり大きな反応もしない。
「本当、後衛の人間の装備じゃねぇな。準備できたみたいだな、行こうぜ」
ボヤくように呟いて青年戦士が先に進む。
周囲に気を配ってゆっくり進み、頭に矢が刺さって死んでいるゴブリンを一瞥して、石の扉の陰から中の様子を伺う。
大きな物音はせず、下卑たイビキと寝息が耳には入ってくる。中を覗くと、大きな広間のような場所に天井から漏れた光が当たる場所にはいないが、影となる場所に転々と10匹程度のゴブリンが眠っていた。
「ゴブリンは寝てるみたいだ、奴等にとって今は夜らしいからな。だが、拐われたって女は見当たらないな……もしかしたら、最悪な事になっているかもしれない」
最悪な事。
それは昨日ゴブリンスレイヤーが旅人に教えてくれたよくある事。
女は慰み者にされて身体を弄ばれ、子を産むための孕み袋にされる。
他にもゴブリンは男女問わずに刃物や鈍器で暴行を加える。そして時には火炙りにし、時には殺害した後に身体を吊るし上げ戯れに欠損させる。また時には単純にその死肉を喰らう。時には捕虜を生き長らえさせて宴の余興のように徐々に惨たらしい目に遭わせて精神を崩壊させて殺す。
自分が知っているのは皆が自分のために死んだ事。もしかしたら故郷の皆が同じような目に遭っていたのかもしれない。
そう考えると、旅人の手には自然と力が入る。
「入るぞ。
……力抜いとけよ。お前が強くても、無駄な力入りすぎてたら動きが鈍るぞ」
青年戦士は肩に手を置こうとしたが、鎧の突起に阻まれて言葉をかけるだけに留めて音を立てずに建物の中へと入る。
旅人は静かに一笑すると、肩を上げ下げする。力が抜け切ることは無いが幾分マシになり、青年戦士に感謝をして彼の後を追う。
ゴブリンに侵入を気付かれることは無かった。
二人は顔を見合わせて頷くと、お互いに離れてゴブリンの腹部や頭に刃を突き立てて回る。
一つ、二つ、三つと回数を重ねて広間のゴブリンを駆逐する。
生き残りはいないだろうと判断して部屋を探索するが、建物の劣化とゴブリンの巣となっていたため至る所が汚かったものの、大きく荒れている訳ではなく、血痕や骨といった人がいた形跡は見当たらない。
おそらく比較的最近この場所がゴブリンの巣になったであろう事が伺える。
「見たところ、連れ去られたって女は痕跡も含めて見当たらないな。この巣にいたゴブリンじゃないのに連れ去られたのか?」
建物の外観からこの広間以外には部屋は存在しないと判断した青年戦士は、現状からそう判断して自身の推理を零す。
しかし、旅人は睨むようにして入り口とは反対の壁の方を睨むように見ていた。
青年戦士は旅人の視線の先を見るが、特に異変は見当たらない。
「なにか、見つけたのか?」
「見つけたわけじゃない。ただ、嫌な匂いというか気配がするんだ」
そう言って旅人は視線の先に歩いて行く。すると大きな石の後ろに回り込むと手を挙げて青年戦士を手招きした。
青年戦士がそちらに向かい確認すると、石の陰になって見辛くなってはいたが、地下へと続く階段がそこに隠されているかのようにあった。
「行こう。この先にいるかもしれない」
旅人の言葉に頷いて、斥候役を務める青年戦士は先に階段を降りる。その後ろにどこからか松明を取り出して火を付けた旅人も続く。
階段を降りるに連れてゴブリンの巣の特有の血肉や淫行の跡などが混じった醜悪な匂いが鼻をつく。
二人が顔を顰めながら階段を降りた先は一つの通路だった。
そして先に進むに連れて臭いの元であるかつては人だったものの肉塊や血、ゴブリンの汚い体液が狭い通路の彼方此方に散らばる。
「……冒険者だったのが多いみたいだな。認識票が沢山ある」
「……帰りに拾おう。せめて認識票だけでも持って帰ってやろう」
足元にある様々な種類の認識票を踏まないように二人は先へと進む。
そしてそう歩かないうちに通路の終わりに近づき、その先は燭台が壁に打ち付けられて蝋燭の炎が灯る上の広間よりは小さいがそれなりに大きな空間になっていた。
「誰か居るみた……っ!?」
目を凝らして奥を見た青年戦士は、大きな一つの影を目にして言葉が詰まる。
一つの影は二つの人が重なり大きく見えていた。片方の者がもう片方の者の首を掴んで締め上げて宙に浮かせて出来た影だった。
締め上げられて居る方はおそらく今回連れ去られたという女性だろう。
そして、締め上げて居る方が問題だ。どこにそんな力があるのかと、黒いローブを身に纏い骸骨の様なこけた頰の顔と細い腕を覗かせる。また全身を怪しい禍々しい暗い靄に包まれていて女性を掴む手には反対に光を放ち、生命力の様なものを吸い取っている様に見える。
青年戦士は即座に悟る、アレは妖術師の類で自分達が出られる幕では無いと。
青年戦士は以前、廃坑の地図を製作する依頼で同じような存在に相対した事がある。その時は四人の仲間と協力して上手いこと妖術師から逃げ切る事が出来た。
だが今回はどうだ、二人しかいない上に前衛職専門の自分と、魔法こそ使えて力量も上だが白磁の男。
分が悪過ぎる、連れ去られた娘は助けられない、撤退するという判断は間違っていないはず。そもそもゴブリン退治であんなのに遭遇するのは
そう何度も自分に言い聞かせる様に心中で繰り返す。
「おい、彼女は気の毒だが撤退」
「『ーー』!」
旅人の方へと振り返り、青年戦士が言葉を発したと同時に聞き取れない程小さく、高速で言葉を旅人は繋ぐ。
鎧が光となって消失すると同時に、旅人自身の姿も青年戦士の視界から消えた。
「ウグッ!?グワアァァ!!!?」
地下に突如響き渡る大きな掠れた様な声の断末魔に思わず顔を顰める青年戦士。その声は先の空間の方から発されていた。
そちらに目を向けると、先程まで後ろにいたはずの旅人が妖術師の手を剣で切断していた。
重力に従って体が地に落ちる娘を旅人が抱えて再び姿が消える。
いや、信じられないが、超高速で自分の元へと走って来たのを青年戦士は辛うじて視界の端に捉える事が出来た。
「すまない、アレを見てられなくて指示を待たずに動いた。衰弱しているけど、この娘は生きている」
「お前、一体……いや、すごいな……」
青年戦士は多くの驚きに言葉が追いつかず、絞り出されたのは心に湧き出た一言に纏められた言葉だった。
旅人の尋常ではない身のこなしも、未知数の妖術師相手に迷わず娘を助けに行った事も、そんな明らかに自分よりも上の体術を持っていても自分を立ててくれる事もその他多くの事も含めてそう思った。
そして同時に