優希だけ赤点で追試くらってたのは覚えているんだが
放課後、何か言いたげにしている咲に無理やり牌譜を押し付けて、俺はすぐに帰路に就いた。
別に用事なんて、実はなかった。
そりゃあ未だに手のついていない大量の期末課題は残っているが、もう正直そちらは最初からあきらめていた。
俺の成績なんて、ハンドボールで鍛えた体のおかげで体育だけ5。残りは2か3だ。そこらがオール2になったところで、今更大して変わりはしない。
部活と勉強を両立している(優希除く)皆とは、雲泥の差だ。
『もっと宮永を見習わんか!』
さっき先生に言われたことを頭の中で反芻する。
「俺だって…………」
口から言葉にならない音が零れ落ちそうになるが、押しとどめる。
いつもとは異なりまだ日の沈み切っていない、周りには同じ学校の生徒たちがいるにぎやかな帰路なはずなのに、俺の心は一向に晴れなかった。
二学期が始まってからは、俺はずーっと麻雀部のみんなと一緒にいた。
そりゃあ同じクラスの男子なら一緒に昼食をとることもあったけど、もう特に最近は昼休みは貯まった課題や牌譜の整理などに追われて誰とも話していなかった。
そんな俺が周りで広げられている会話の輪に入れるはずもなく、結局余計にみじめな気分のまま歩を進めていく。
ぽつ…ぽつ…………
「あ」
頬に、空から落ちた水滴が掠ったかと思うと、指数関数的に勢いを増した雨がざーざーと音を立てて振ってきた。
俺は慌てて肩にかけたカバンを開き、中の折り畳み傘を出そうとする。しかし………
「あ、あれ?」
傘が見当たらない。
そういえば、と学校を出た時のことを思い出す。
終業になって、カバンから持ってきた牌譜を咲のところに慌てているふりをして持って行った。
あの時に、机の上に置きっぱなしにしてしまったかもしれない。
「嘘だろ………」
降り注ぐ雨を全身で浴びながら、俺は情けない目で空を見上げる。
「部活サボった罰か………な」
今更学校に戻って傘を回収するよりは全速で帰宅した方が速い。俺はカバンの中身の紙類が濡れないように両腕で抱えて、道を急いだ。
が、雨は容赦なく勢いを増していった。
乾燥した冬とは思えない量の豪雨が降り注ぎ、俺はおろか、抱えていたカバンの中までずぶ濡れになった。
潤った山の空気というのはこういう時裏目になる。
「え、へ……へぇっくし!」
体から熱が急速に奪われていく。
冬場は雪で自転車が使えないことがほとんどだから、通学は徒歩だ。
学校から歩いて30分と、こんなど田舎にしては恵まれた方な距離なのに、その距離がやけに長く感じられる。
水を吸ったマフラーやコートが重くてたまらない。この分じゃあ、家まであと15分はかかるだろう。
そんな時、後ろから車の音がした。バスだ。
俺は一瞬迷ったが、こんな時だし仕方ない。普段は使わないし、たった一駅分だが、家への方向は同じだし乗せてもらおうと、駆け足で数百メートル先にあるバス停へ向かった。
だが豪雨のせいで、視界が悪くて仕方ないし、足元もおぼつかない。
「え、ちょ、ちょっと………!」
あと20メートルというところで、バスは後ろから走ってくる俺には気付かずに行ってしまった。
この豪雨と暗くなった空のせいで、ミラーに映った俺を捉え損ねたのだろうと理解はできた。
だがそれでも、俺は失望を隠せなかった。
誰もいなくなった後の、屋根もない不親切なバス停で、一人呆然と佇む。
「なんだよそれ………」
がっくりとうなだれ、バス停の表示の柱にもたれかかる。
本当ならすぐさま歩き出すなりして、一刻も早く家へと急がねばならなかったのだろう。
ほどなくして、足が震えて止まないほどに体が冷え込み、胸のあたりが痺れるような感覚に襲われる。
歩く気は起らない。
申し訳程度にバス停に置かれた、木製のボロボロのベンチに腰掛ける。
別に次のバスに乗りたいから待つとか、そんな目的があって座っているわけではなかった。
平日とは言え、こんな田舎だ。多分今から歩いて家に着くのと、次のバスが着くのは同じくらいの時間だろう。
その間ずっと雨に打たれていたら……もちろん、瞬く間に死ぬだろう。
「あぁ……………」
なんだかもう、このまま凍死しても良い気がしてきた。
涙も出ない。いや、もしかしたら出ているのかもしれないが、自分でも雨粒と区別もつかない状態だ。
とにかく、何もかもが嫌になってしまっていた。
疲れすぎて、もう止まっていたい。
ザアアアアアアアアアア……………
滝のような雨を浴びて、風呂から出た時よりも身体がずぶ濡れになる。
身じろぎ一つせず、ただその場で座って、俺は心身ともに停止していた。
ここ最近感じてなかった、心の平穏を味わう。
もう何もかもを諦めて、ただこうやってもう目的の類を何一つ持たず、自分のことにすら執着せず身も心も止まる。
苦しかっただけの努力が、どこか遠い場所に去っていく感じがした。
最近の辛い日々が、いきなり遠い昔の出来事のように感じる。
眠気を感じた時のまどろみにも近い、どこか揺蕩うような感覚に、俺は安堵を覚えていた。
「……………?」
尻のあたりに、違和感を感じた。
ベンチの上に、何か置いてあったのだろうか?
いや、俺のポケットの中だ。
ポケットの中を探り、こないだも転んだ時に俺の尻に刺さりかけた墓石の入ったお守りを取り出す。
「……………」
特に何も考えず。中の石を取り出す。
寒さにかじかむ掌の上で数回転がしてみる。
「博打の、神様か…………」
どうやら、この石ころにはひいじいちゃんが期待していたようなご利益はなかったらしい。
もう、どうでもいい。
そんなものはいらないから、もうこのまま、止まって、辛いことから遠い場所に腰かけていたい。
静かで、平穏で、痛苦がなくて…………何も考えないでいい場所に。
何もかもどうでもいい。
もう、辛いことしか待っていない場所に帰るなど、思いつきもしない。
停止することが、今の俺にとって何よりの幸せだった。
本当に心身が疲れた時って停止するよね
そういう時は課題とかから全て目を背けて3時間くらい寝て、お風呂に入ると良いよ。