「あ、アルマリア」
「クトリちゃん? どうかしたの?」
「ん。用事がある訳じゃなかったんだけど、暇だったから声をかけただけだよ」
「奇遇だね。私もなんか暇になっちゃって」
誰もいない休憩室。そこでぼんやりとしていた私に声をかけてきたのはクトリちゃんだった。クトリちゃんも暇を持て余していたようで部屋に入ってきて、私が座っているソファーの隣に座った。
特に振ってみる話題もなくて、私はまだぼんやりとしたままだった。もしかしたら疲れているのかもしれない。肉体的に、というよりは精神的に。体はともかく、中身までは規格外ではないつもりだから。
子供達の世話は楽しい。けれど、だから疲れないという訳でもない。楽しいからこそ気疲れをする事だってあるもの。
「最近、どう?」
「どう、って?」
「私が来てから、皆の反応」
それはちょっと私が気になっていた事だった。私が来てから妖精倉庫の生活は変わりつつあった。
遊びに加えて勉強、今後の戦いに役立つ技術の伝授など目新しい事に乗り気に思える。けれど、それも目新しいからこそ。少し時間が経ってからの反応はどうなのかと。
「皆、不満があるようには感じないかな。ただ、皆が心の底から乗り気って訳じゃないかな。あ、嫌がってるという訳じゃなくて好みか、そうじゃないかってぐらい」
「そっか。それなら良かった」
「ふふ、ヴィレムが来た時だって騒がしかったんだもの。アルマリアが来てから皆、楽しそうよ?」
クトリちゃんがクスクスと笑いながら言う。その姿を思わず目を細めて見てしまう。
気付けばクトリちゃんに手を伸ばして、その蒼色の髪を撫でていた。突然、私に撫でられたクトリちゃんはビックリしながらも身を引いたりはしなかった。
ここにいる彼女はもう壊れる心配はない。そう思えば胸の奥がじんわりと熱を持つ。本当に良かったと、心の底から思えて自然と笑みが零れちゃう。
「……髪の色、元通りになったね」
「うん。アルマリアのお陰」
「体に不調はない?」
「うーん? 特に……むしろ絶好調かな!」
満面の笑みを浮かべてクトリちゃんが言う。その元気いっぱいの様子に表情が緩む。
「あー、でも、ちょっと違和感というか」
「ん?」
「最近、夢を見るんだけど……内容が思い出せない、かな」
「夢?」
「うん……でも、前みたいな侵蝕とも違うから、単純に夢見が悪いのかも」
「そう。不調だと思ったらすぐに言うんだよ?」
「わかってますよー」
ぶぅ、と頬を膨らませるクトリちゃんの様子を注意深く見つめる。彼女達と夢の関係性はどうにも不吉だ。本人が何もないって言うなら信じよう。
それにしても、夢。夢には私も良い印象がない。それは私がまだ、ただのアルマリアであった時からずっと見ていた夢のせいだ。
「アルマリア?」
「ん……?」
「いや、眉間に皺が寄ってたから、どうしたのかなって」
「あぁ、私も夢には良い覚えがなかったな、って」
「へー、そうなの?」
「私、獣との相性が良かったのか、ずっと原風景の夢を見てたの」
「原風景って……今の地上、みたいな?」
「そうそう。どこまでも続く灰色の砂漠、静寂ぐらいしかない、落ち着いて、帰りたくなる……そんな夢」
正体を知ってしまえばなんともないけれど、知らずにあの夢を繰り返して見るのはどうにも落ち着かないし、不安にもなる。
しみじみと私が振り返っているとクトリちゃんが難しい顔をしていた。
「……クトリちゃん?」
「……何でも無い。きっと気のせいだから」
「それなら、良いけど。あ、もう夕食を準備する時間だ」
「あ、今日の担当私だった。行こうか、アルマリア!」
「そうだね」
時間を見ればもうすぐ夕食の時間だ。仕込みを始めなければ間に合わない。そして今日の相方はクトリちゃんだった。
クトリちゃんと一緒に立ち上がってキッチンへと向かう。夢の話は、そのまま何事も無かったかのように流れていった。
ちらり、と伺って見た彼女の様子はいつもと変わらない様子だった。
* * *
さて、そろそろ時期も良いんじゃないかと思って私は以前から考えていた事を実行する事を決めた。
少し驚かせてやろうと思って計画を練る。さぁて、どうやって驚かせてあげようかなぁ。
「……アルマリアさん、なんか怖い」
「あら、ティアットちゃん」
「ぴぃっ」
ビクビクとしながら私を見上げてくるティアットちゃんに手を伸ばして、その両頬を包んでぷにぷにして見る。
訓練からどうにもこの子に苦手意識を持たれたような気がする。今も私の手から逃れようとジタバタと藻掻いている。
嫌われてる訳ではないとは思いたい。多分、訓練での私の失敗のインパクトが大きくて距離感がわからないだけなのだ、きっと。
それはさておき、今はティアットちゃんではなくあの子の事だ。少し悩んでから、ペンを手に取って手紙を書いていく。
「ティアットちゃん、お願いがあるんだけど」
「はい?」
「そう。これをある子に渡して欲しいの」
「はぁ……」
「はい、これお手伝いの報酬のクッキー」
「やったー! じゃあ届けてきますねー!」
チョロい。手紙を届ける相手を確認してティアットちゃんはクッキーを口の中に放り込んで走り去っていった。それを満足げに見送って、今度ミルクをふんだんに使ったおやつでも用意してあげようと思う。
ティアットちゃんが今いる成体妖精の中で一番若い。あの子が新しい世代の先駆けになるのかな、と思うとちょっとこれからの教育が楽しみになる。
「さて、私も準備しますか」
手紙を宛てた相手はクッキーだけで持て成すのには少しばかり心許ない。
キッチンに向かって、あの子が好みそうなお菓子をセレクトして作っていく。一通り、用意が終わってから自分の部屋へと戻ってテーブルにお菓子とジュースを並べる。
一通り並べ終わって、準備が終わった頃にドアをノックする音が聞こえた。時間を見れば頃合いが良い時間だった。待ち人だろう、ドアの向こうのあの子に私は声をかける。
「はーい。入っていいよ」
私が入室を許すと中に入ってきたのは目当てのあの子。
「どーも、技官補佐殿! 内緒の密談に来ましたよー?」
「いらっしゃい、アイセア」
そう、私が呼んだのはアイセアだ。いつものように笑みを浮かべて調子良く挨拶を交わす。
アイセアの為に椅子を引いてあげたけど、アイセアは後ろ手でドアを閉めるだけで部屋の中には入ってこようとはしない。……かちり、と。ドアの鍵が閉められる音がした。鍵をかけたのはドアの傍にいるアイセア。
「……どういうつもりであの手紙を私に渡したんすか?」
笑みはそのままにアイセアは問いかけてくる。けれど、細めた瞳にはこちらを刺してきそうな色と光が見え隠れしている。
そんな険しい雰囲気を纏ったアイセアに私はいつものように声をかける。
「誰か1人ぐらい、貴方を労う人がいても良いでしょう? いいのよ、私の前では仮面を被らなくても。でも、もうそれも貴方自身の個性になってるのかもしれないわね?」
「……知ってたんすね」
「貴方達の大元と友達だから。全部、という訳じゃないけれどね?」
「あの話、本気と書いてマジで読む話なんすねぇ……」
アイセアがげんなりした表情で呟く。アイセアにはエルクの事は既に説明してある。この世界の事や、獣についても、
だから私はアイセアの抱えている秘密を知っている。それをどう思っているかまでは知らないけれど、これから過ごしていく中で見て見ぬ振りは出来ないから。
「座ってよ、“ナサニア”」
「……ッ」
私が呼ぶ名前にアイセアが口元を引き攣らせる。そのまま何も言わずにアイセアは席について私を睨むように見つめる。その表情に最早、笑顔はない。
「ここだけの話にするし、言いふらしたりはしないよ。本当に今日は貴女を労いたかったのと、貴方の今後のお話をする為だね」
「……それで技官にも秘密でお話を?」
「そうだよ。おとーさんにだって話さない。本当にこれは私と貴方との間だけの話。それに今更“そう”呼ばれたって困るだけでしょ? だからここの間だけの話なんだよ、アイセア。私は、君が君でいる時に何もしてあげられなかったから」
ふぅ、と息を吐く。アイセアの様子を伺いながら、私は言葉を続けた。
「……“エルバ”の事も、私もどう言ってあげたら良いのかわからない」
「……参ったっすね。本気で“知ってる”んすね?」
「夢という形で。一部だけだけどね」
アイセアは“前世”の侵蝕を受けて、元いた“アイセア”という人格を塗り潰していた。
そして今までアイセアという“自分”を演じていた、彼女の本当の……いえ、以前の名前。そして以前に辿った人生を、私は一部始終を垣間見ている。
だからこそ、この場を設けたかった。それがどれだけ自己満足なのだとしても。彼女には伝えておきたい事があったから。
「労いたい、って気持ちも本当。これからの話をしたいってのも本当。警戒しないで、と言っても難しいかもしれないけど……」
「あー、良いっすよ。そこは信じるっす。技官補佐殿があたしを欺こうとかそういう人じゃないのはもう分かってるっす。……ただ、そこまで知られていて、こうして場を設けてまで労われるのは、なんか、なんて言って良いんすかね……自分でも、何を言えば良いかわからないんすよ」
困ったようにアイセアが頬を掻いて言う。それは私もそうだと思う。
「うん。今の貴方は“アイセア”だ。だから今までの事については、お疲れ様、大変だったね、って労うだけにする」
「そうして貰えると助かるっす。……あたしも、今更どう返して良いかわからなくなるっすから」
「うん。それじゃあ本題。クトリに施した処置の話、前に話したよね?」
「……獣の因子の話っすか?」
なんでまた、と言うようにアイセアが眉を顰める。私は一息吐いて、アイセアの目を真っ直ぐに見る。
「クトリの次に崩壊が心配なのは君だから」
「……あー、まぁ、そんな気はしてたっす」
「そもそもクトリとは別例でも同じ症状だからね。次の処置者はアイセアだって決めてたの」
「ほーん。……でも、それだけなら秘密にする必要なくないすか?」
アイセアの言う事も最もである。獣の因子を
それでも私が隠したかったのは、次の話をしたかったから。
「成体妖精は、自分の扱う適正のある
「そうっすね。今更確認される事でもないっす」
「これが嘘だとしたら?」
「……は?」
「正確に言えば嘘ではないけれど、真実の全てじゃない、と言う方が正しいかな」
「……アルマリア、何を言ってるんすか? なんでそんな話をあたしに?」
「アイセア。君には私の共犯者になって欲しいの」
この話は、誰にも話せないから。
「……どうしてあたしなんすか?」
「君が一番信用出来て、立場が都合が良い。そして何より、君は無関係じゃないから」
「……共犯って事は悪い事をする、って事っすよね? 何をするつもりなんすか?」
「誰かが1人、犠牲にならないと倒せないかもしれない敵がいる」
……沈黙が私とアイセアの間に落ちた。アイセアは私をじっと見つめてから用意されたお茶を飲み、お菓子を口に含んだ。
「……笑えない話っすね。あんたがいてもダメなんすか?」
「何もしなければ浮遊島が沈むかもしれないぐらいには致命的に」
「それは……とんでもない話っすね。あたし、この美味しいお菓子をお持ち帰りして聞かなかった事にして良いすか?」
「それは出来ないかな。どっちにしろ君達はその運命から逃れられない。何もしなければ全滅の可能性も忘れて帰る?」
「アルマリアは性格が悪いっすね」
「それは悪い
あはは、うふふ。互いに笑ってない笑い声を交わし合って。
「もう一度聞くっすよ? なんであたしなんすか」
「君が一番上手くやれると思ったし、何より無関係じゃないから」
「それは、何故っすか?」
「――“モウルネン”」
だん、と。手を勢いよく机に叩き付ける音が響く。アイセアの表情は信じられない、と言うように目が見開かれていて、次第にその表情に怒りの色が溢れていく。
「なん、で」
「確か、エルバもすごくエルクに近づいたんだっけかな。
「……クトリっすか。クトリが、エルバみたいに囚われる可能性があるって事すか?」
かつてあった、アイセアになった彼女が経験した悲劇。
私はそれを知識という形で知っていた。そしてモウルネンという
――その名、<
かつて
アイセアになる前の彼女と、その親友の悲劇を招いた呪わしき名を持つ<獣>。
「あれがある限り、妖精兵が自らの存在という軛を越えても安寧は訪れない。今は封印されてるからかな、干渉も弱い。けれどあれは“起動し続けている”」
「……つまり、エルバみたいに囚われる奴が生まれかねない、って事?」
「ほぼ間違いなく。だからこそ、妖精兵は自分の剣が1本であるように調整されるようになった。万が一にでもモウルネンに適合してしまわないように……」
落ち着いてきたのか、アイセアがゆっくりと息を吐き出して席に着く。その顔色は良くない。血の気が一切引いてしまった顔だった。
「……つまり、モウルネンをどうにかする為にあたしに共犯者になれって言うんすね」
「えぇ。出来ればモウルネンを取り返したいしね。あれは、これからの貴方達の戦いに有用なものだから」
「……破壊はしない、と?」
「扱いが難しいけれど、それだけの価値があるから。破壊するならここまで悩まないんだけどね。でも、回収するとなると誰かが犠牲になるつもりで行かないとどうしようも出来ない」
それは、<
あれに肉体はない、いわば魂魄体のようなもの。宿主に寄生しなければ、誰かの心に入り込まなければ何も出来ない。だからこそ、倒しきるのが難しい。
それならモウルネンを破壊した方が早い。けれど、モウルネンは取り込まれてしまっていると言っても良い。だからこそ、奪還するとなると少し骨が折れる。
“記憶”にある手段は現時点では実行出来ない。だから、代替え案が必要だった。だから、私はアイセアにだけ話すと決めた。きっと、彼女なら巧くやってくれるから。
「どうにかする方法はある。犠牲だって少なくても1人で済むし、上手くやればその犠牲だって出さないかもしれない」
「……そんなうまい話があるんすか?」
「毒を制するのは毒。獣を制するのは獣にお任せあれ、だよ」
「……それ、どういう意味すか?」
真っ直ぐに視線を向けてくるアイセアに、私は笑みを浮かべる。
ずっと決めていた事だった。いつか、必要になればそうする事に躊躇いはないと。
<
どんな圧倒的な物理的な手段を用いても本体を傷つける事は出来ない。依代となっているモウルネンを破壊すればわからないけれど、それはモウルネンとの引き換えだ。それは非常に惜しい。
本来の歴史を辿れば、ある1人の少年の献身と犠牲によって<
「私ごと<