聖堂街上層、さらにその先に存在する星輪草の庭を越えると一つの空間が広がっていた。
それほど広くはなく、蜘蛛を模したかのような祭壇がポツリと存在するだけの広間。そこには異形の娘が座していた。顔も、腕も、足も、人間とはかけ離れた姿。翼を生やし声ならざる音を発する彼女は「エーブリエタース」と呼ばれており、同時に
「エーブリエタースさん、また会いに来ました!」
彼女の親友でもあった。
☆
基本的に彼女が会話に参加することはない。出来るのはただ会話に対して相槌のようなものをするだけ。触手を動かし、顔に当たる部分を傾げ、音ならぬ音を響かせる。彼女の表現はもっぱらその程度だった。
それでもその少女は理解を示してくれた。
こちらの意図を察し、意味に気づいた。ここに来て初めて会話をした。何も分からず何も知らず、ただ伏して待つばかりの日々は唐突に終わった。
「それでね。お師匠さんが今度は───」
少女の話は尽きることはない。会う度に違う話をしてくれる。手持ちの話が終わればまた新しい話を持ってきてくれる。今や彼女の時間は少女との時間へと変わっていた。
「でね、その後に……どうしたの?エーブリエタースさん」
ふと、少女が話を中断した。自分に語りかけてきたが何かあったのだろうか。
「エーブリエタースさん、なんだか今日は楽しそうだわ。そんな雰囲気を感じる」
……楽しい。楽しいとは何か。少女の言った言葉は難解な物なのか理解ができなかった。それはどのような色をしているのか、どのような形をしているのか、果たしてそれは何処にあるものなのか。理解できなかった。
「……なんだか分からないって感じだわ。楽しいっていうのは心のこと、自分がどう感じたか。痛い、寂しい、辛い、苦しい、嬉しい、面白い、楽しい、それが感情っていうの。エーブリエタースさんは私とお話をしてるとどう感じるのかしら」
感情、感情とはどう感じるものなのか。会話は楽しいのか。痛いも寂しいも辛いも苦しいも嬉しいも面白いも楽しいも、どう感じるのか、何処で感じるのか。
「生きとし生けるものには心が宿る。たとえ機械でも石ころでも草木でも、生きているならそれを感じる心は生まれるって思うわ。だからエーブリエタースさんにも心はあると思うの」
心、心とは、心は何処にあるのか。それは無くなるものなのか。それは楽しいものなのか。
「……お話終わっちゃたわ。また新しいお話を考えてくるわね。今度は心についてお話ししましょう」
少女はそういい座っていた触手の上から降りる。大袈裟なくらい手を振りながら帰っていく。
「エーブリエタースさん!また今度!今度はもっとお話を持ってくるわ!」
……少女が見えなくなる。また一人の時間になる。これは……心なのか?感情なのか?少女と話しているときは一人の時間とは何か違う。何が違うのか、人数が多いと感情があるのか。あの少女といると感情があるのか。分からない、感情とは難しくて分からない。
果たして今自分の心にはどんな感情があるのか。
それとも何も感じていないのか。
何も分からない。でも、一つ、分かることがあった。分からないことが分かった。少女と話している時間と、自分一人の時間は違う。それがなぜ違うのかは分からないが、違うことが分かった。
ならばなぜ違うのか、何が違うのか、それについては分からない。感情も心も自分にとっては難題だった。故に、少女に聞くことにした。聞く言葉がなくとも少女ならば理解してくれるかもしれなかった。たとえ言葉にならぬ音でも、手も足も無くても、顔がなくても、少女なら理解すると思った。
……今のは、どの感情なのか。
楽しいことなのか。嬉しいことなのか。少女を待つことが楽しいのか、少女と話すことが嬉しい、そもそも感情だったのか。私には分からない。
分からない。
けど、悪くはない、と思った。
それは、それだけは、理解出来た気がした。
───美しい娘よ、笑っているのだろうか?