英雄の剣に憧れた私が剣に生きるのは間違っているだろうか 作:美久佐 秋
今まで読み専でしたが妄想が膨らみに膨らみ、さらに肥大化した結果、この作品を投稿することになりました。
更新頻度などは特に決めておりませんので出来次第、または書き溜めしつつ投稿という形でやっていきたいと思います。よろしくね。
まずは「prologue」だけです。
もう既に厨二病入っているかもしれないですが、許してください。
prologue:境界の創世
まだ私が幼く物心がつき始めた頃、両親に誕生日プレゼントとして買ってもらった、子供向けの英雄譚をいくつか綴られた一冊の本。
姫を攫ったドラゴンを一人の剣士が討伐し、後にその姫と結ばれたドラゴンスレイヤーの物語。
巨大な足に潰されかけた一国を、雲を跨ぐ巨人から救った天馬を駆る騎士の物語。
大陸を滅ぼしかけた瘴気をありとあらゆる魔を祓う魔法の杖で治してみせた、大賢者の物語。
世界を滅ぼそうとする邪神を女神から受け取った神剣で神殺しを成し遂げ、世界を救った勇者の物語。
その本に綴られた物語は子供向けのものだけあって、全てハッピーエンドで終わる架空の物語だったけど、確かにその世界には英雄がいて、私はその英雄達と彼らが担う“英雄の剣”に魅せられた。
それが私の原点である。
それから「英雄の剣とは」と、考えないことは一時たりともなかった。
幼い頃の私が思ったのは、英雄の剣を理解するにはまず剣の担い手になる必要がある、と幼いながらもしっかりとした思考から出されたものだった。しかし、その考えが出たのは「カッコイイから」などという、今思い出せば微笑ましく感じるような感情からだった。
そうだ。英雄とは、カッコイイのだ。そしてその英雄が使う“剣”もカッコイイ。
だから、そんな私が剣を執ったのも誕生日プレゼントを受け取った時からの必然だったのだと言えよう。
それからと言うものの、私の人生は剣のためだけに注がれていた。
日々のダンスのレッスンも。人の上に立つための勉強も。民が暮らすために必要な農業も。
全ては剣のため。その一心で私は貪るようにあらゆる知識を蓄え続け、剣を振り、英雄の剣について考え続けた。
今思えば、その頃の私がやることは全て常軌を脱していたのだろう。およそ子供の思考ではない。だが私の精神が成熟していたというわけでもなかった。ただただ私は憧憬を追うために狂っていたのだ。それも理性的に。
だが、それで私はよかった。今の私はその理性的に狂い、狂い続けた研鑽の上に立っていると断言できる。
ただしこれだけは忘れなかった。
全は一、一は全。
全ては剣のために、剣は全てのために。英雄の剣に憧れて剣を執った私の剣は誰かのためにあると思い続けた。
そして私の剣の術理が完成したのは齢18歳の時だった。
剣閃は流水の如く、空を斬り裂き、音を置き去りにし、その理は円環と循環の上に成り立ち、豪と柔を制し、全てを流す。
大気と大地。人と物。あらゆるものが区切られ、森羅万象に同一のものはあり得ない。この世は境界に満ち溢れているのだ。
ならば何かを斬れば、それは世界で初めてその切り口を作ったのは私となり、同時にそれは境界の創世となる。
だから斬殺とは生命という一個体を構成する肉体という名の枠──境界が崩れ、そこに宿る魂が溢れ落ちた結果に過ぎず、斬ると言うことは矛盾しているようでいて、同一であるが故に斬ると言うことは境界の創世に落ち着くのだと、私は思う。
故に、己の得物は己自身だ。
なぜなら己は常に己で在るだけで境界を創世しているのだから。
それが、私の剣であり、私という英雄が使う「英雄の剣」だ。
ただその術理に最も合う、形ある武器は“刀”だったという理由で私は刀を愛用している。
故に、私はこの時点で「英雄の剣とは」という人生の命題に答えは出ている。しかし同時に、私自身が英雄ではないことに気づいた。そして、もう既に手遅れであることにも、だ。私にはなれなかったのだ。
だから私は「英雄の剣」を創る、英雄を導くような精霊として生きよう。
そう、新たなる命題を己に課した私が、この世で剣が最も振るわれる街───迷宮都市オラリオに足を踏み入れ、鍛冶神と名高いヘファイストス・ファミリアに身を置こうとしたのは当然と言えば当然なのだろう。
だから私は毎日鉄を打ち、英雄に相応しい「英雄の剣」を創世する。
それが私───シュヴェルト・エル・ジークハイルの日常だった。
2019.1.27に本文、主人公の少し剣鬼じみた言動の部分に手を加え、鍛冶師になったという事が分かるように修正致しました。