風太郎と二乃が恋人となり、少し経って……といったIF設定での物語です。

※pixivにも投稿済み

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風太郎と二乃が恋人となり、少し経って……といったIF設定での物語です。

※pixivにも投稿済み


message ―風太郎と付き合うのが二乃の場合―

1.

 

「なんでパーマンも知らないのよ」

「……知らなくて困るようなもんでもないだろ」

「おかげで可愛い恋人が呆れてるわ」

「呆れられても別に困らんぞ」

 

 なによその言い草、と睨みつけるが、風太郎は平然としている。

 まあ、こういう男だというのはもう分かっているので。彼女はすかさず言葉を続けた。

 

「可愛い恋人、てとこは訂正しなくていいんだ?」

「……不覚にも、付き合ってるのは事実だからな」

 

 今度こそ少し困ったように―――照れたように?―――視線をそらして前髪をいじる風太郎。こんな時のクセなのだと、これもとっくに承知の所作だ。

 期待通りの反応を引き出して満足し、二乃はにやりと笑った。「不覚にも」の部分は見逃してあげるわと胸中で呟く。

 二人が今いるのは公共の教育センターで、勉強用の机が並ぶ無料スペースだ。つい先日、図書館より穴場かも知れんと風太郎が得意気に見つけてきた。けれどこうして実際に利用してみると、すぐ隣に幼児用の遊び場があってそこそこ賑やかなため勉強に集中しづらい。使ってみて初めて分かることがあるものだ。

 もっとも、代わりに自分達も気づかいなく会話できて、二乃にしてみればこちらのほうが都合良くはあったが。

 

(なーにが『図書館デート』よ)

 

 どこの誰がいらぬ入れ知恵したのか。風太郎は近頃、図書館デートだといってデート(二週に一回はデートするよう二乃が決定した)を誤魔化しがちになっている。

 今回の施設名は図書館と違うけれど内容は変わらない。行ってすることと言えば、ガチでマジで手加減なしに勉強それのみ。「ついでに教えられるし、成績向上につながって一石二鳥だろ」とは彼の弁だが、デートの雰囲気を抜き取った図書館行きには鳥が一羽しか飛んでいないじゃないと言ってやりたかった。というか即言ったが流された。

 まあそれも―――分かっていた事ではある。相手は勉強オバケなのだ。彼の妹も同じ呼称を口にしていたらしい。肉まんオバケに勉強オバケ。私の周りってオバケばっかりねと二乃はため息をつく。

 もちろん、実体験して初めて分かることがあるのは人間関係も一緒で、上杉風太郎と恋人になってから知れたことも少なくは無い。例えばさっきのパーマンの話。二人がノートを広げている机の横を駆けていった子供が身につけていたシャツにプリントされたそのキャラクターを、風太郎は存在すら覚えがないという。二乃だってパーマンなんて古いマンガやアニメを鑑賞したことは無いけれど、キャラクターとしてはそれなりに有名だろうと認識していた。

 こういったことは何度もあった。勉強オバケの風太郎は、勉強の内容以外になると思いのほか世間知らずなのだ。

 ヘンな男である。そのヘンな男に惚れて追いかけまわして、ちょっと強引かなと自覚しつつも落として付き合っている私ってなんなのと思わなくもない。彼の世間知らずに呆れながら、かえって可愛げがあって良いなどとも感じるあたり、だいぶ脳がやられてる気がする。風太郎の顔が近い気がする。

 

「そこ間違ってるぞ」

 

 ……気のせいではなかった。こちらの手元を覗き込むようにして、風太郎がミスを指摘してきた。

 

「どこよ」

「そこのスペル。bが頭だと『曲げる』になっちまう。『売る』はvから始まってvend」

「ん……」

「"vending machine"で自動販売機になるから、一緒に覚えておくといいぞ」

「また今度ね」

「それと"mean the world"はその訳じゃダメだ。”サインの意味は私の息子の世界”だとわけわからないだろ。”The autograph of the baseball player means the world to my son”で、”その野球選手のサインは私の息子の宝物です”」

「はいはい」

「世界を意味する、つまりtoに続いて書かれた人物にとってこの上なく大切ってことだ」

「ふぅん。いいわね大切にされてて。有名人のサインは」

「二乃さん……なんか怒ってる……?」

「あら、フータローにしては察しがいいじゃない」

「なんだよ」

「嘘。怒ってるわけじゃないわ」

 

 二乃はペンを放るようにしてノートに転がした。背を反らして身をほぐし、それから頬杖をついて。

 

「好きって言ってみて」

 

 唐突にそんなことを求めてみる。

 案の定、風太郎は怪訝そうに、

 

「勉強中だぞ」

「デート中でしょ。だいたい、何中だって言わないじゃない」

「……前に一度言ったじゃねーか」

 

 そう。確かに一回だけは聞いたことがあるのだ。風太郎からのその言葉。でも、まだその一回だけしかない。

 

「私は何回も言ってるわ」

「お前が言いすぎなだけだろ」

「いいじゃない好きなんだから。あんたもたまには気前よく安売りしなさいよ」

「あいにく当店は在庫を切らしておりまして」

「ケチ。裸の付き合いはしてるくせに」

 

 口にしてから外だったことを思い出し、二乃は慌てて背後を見やった。

 幸い、遊び場の子供達もその保護者もこちらに注意を払ってなどいないし、二乃の声が届いた様子は無い。

 安堵の息をついた途端、失言に頬が熱くなる。ついでに、自分の羞恥に気を取られて風太郎の反応を確認できなかった。照れる彼を見るのが楽しみなのに。

 生意気でド鈍感で朴念仁で、以前はよく女に興味無いのかと疑いたくなるような行動を取っていたくせに、反面ひどくウブでもあるのが風太郎なのだ。

 それも、恋人になれて知ったことの一つ。

 

 

2.

 

 恋人との時間が大切なように、家でごろごろする時間も大切だ。というわけで二乃はごろごろしていた。

 リビングで自作のクッキーをつまみ、逆の手でスマホを操る。次にクッキーを作る機会にはキャラメルヌガーを混ぜようかな、となんとなく思いつく。

 友達から送られてくる画像にはとりとめがなく、さして意味も無かったが、こんな時に眺めるにはうってつけだった。近所の猫。オレンジに艶めく雲。自撮り。塾で知り合った他校のイケメン。期間限定で30%引きの特大パフェ―――。

 

(五月が喜びそうね)

 

 パフェの画像に店舗の情報を添え、可愛い妹へ送信しておく。

 友達は3人がかりで挑んだようだが、五月なら1人で平らげるだろう。

 

(肉まんオバケだから)

 

 オバケつながりで連想する。もう一人のオバケの件。

 甘味の無さすぎるデートを多少なりともマシなものにしたい……というのが二乃にとって目下最大の思案ごとだった。もっと言えば、マシにしたいと彼のほうで考えてくれないことこそが問題なのだ。パフェほどは甘く無くてもガマンするし、お金なんてかけなくていい。ただ二週に一度、半日程度のこと、私の為にバカになってくれてもいいじゃないと二乃は考える。パートナーなのだから。

 あの無頓着さに助けられている面も実はあって、相手が風太郎でなければ、強い言葉をぶつけがちな二乃との間でもっと頻繁にケンカが起きているに違いなかった。でもそれだってひょっとして、関心の薄さの証明でしかないのかも知れない。

 

 ―――私のこと、本当に好き?

 

 そんな愚かな問いが湧き上がってくる。バカバカしい。風太郎は、好きでもない女子の恋人におさまるほど飢えても無いし意志薄弱でもない。多分きっと、まさか、絶対に。

 二乃はスマホをかざしてみた。

 どの角度から眺めたところで、風太郎からの着信履歴なんてほとんど無いのに。

 

「はい、大丈夫です!」

 

 と、声を連れて現れたのは四葉だ。スマホ片手に誰かと通話しながら通りすぎ、冷蔵庫の扉を開けている。

 丁寧語でしゃべっているから相手は姉妹ではないのだろう。ならクラスメートとか。あるいは。

 

「じゃあハッキリしたら今度は私から連絡しますね。上杉さん」

(ちょっと……!)

 

 イヤなほうの想像が当たった。焦り混じりに立ち上がる二乃。近づく勢いに、四葉がややたじろぐのが見えた。

 親しいという点では五つ子全員が彼とは大変親しいのだから、その誰と電話してたからといって何も不思議はないし不義理でもないのだが。

 ただ、タイミングが悪い。

 

(私にはろくに掛けてこないくせに)

 

 胸中で毒づきながら四葉のスマホを取り上げ、

 

「私にはろくに掛けてこないくせにッ」

 

 そのままを言ってやる。

 

「な、なんだいきなり。二乃か?」

「他に誰がいるのよ。まさかまだ区別つかないなんて言わないわよね?」

「判断材料が電話越しの声だけだぞ……突然四葉に怒鳴られた気分だ」

 

 そこで彼は一拍置いて。受話器の向こうで気を取り直したというように、続けた。

 

「で、なにか用か?」

「用って―――」

「用件のことだが」

「それは分かってるわよ」

 

 分かっているけれど。

 なんとなく虚を突かれたような思いで二乃は動きを止めた。なによ、用事がないと電話もしちゃいけないの? してこないの? そもそもなんで四葉に用があって私にないわけ? そもそも、そもそも……ゆっくりと渦巻きながら足元から昇って来る、嫉妬じみた、幼子のような感情。なんだか情けなくもあり、そのままを風太郎に投げるのはさすがに躊躇われた。

 でも、この男には一体なんと言ったら伝わるのだろう。とりあえず音を発しないと。いつまでも黙ってはいられないのだし。

 

「宿題よ!」

 

 勢いで出てきたのはそんな言葉だった。

 口にした途端、自分が何を言おうとしているのか二乃自身にも理解できた。急に視界が開けた感覚。

 

「はぁ?」

「はぁじゃないわよ。あんたに宿題出してあげるって言ってるの。次のデートは手抜き禁止、図書館も学習センターも、とにかく勉強禁止!」

「……じゃあどこ行って何すんだよ」

「それをしっかり考えてくるのが宿題なんだから考えなさい。素敵なデートにすること、いいわね!?」

「待て。良くな」

「あ」

 

 最後の「あ」は四葉だ。

 それで、そういえば四葉が通話中だったのだと思い出す。風太郎の反論を封殺するために勝手に切ってしまった。

 「悪かったわね。横から」と謝って、二乃は妹にスマホを返した。四葉は気にした様子もなく、

 

「いーなー二乃、楽しそうで」

「楽しくないわよ……」

 

 疲れを感じてテーブルに突っ伏しながら、それでも、再来週の週末は楽しくなればいいなと二乃は思った。

 

 

3.

 

 街はガラスで溢れていて、通り過ぎる人々全てを映している。反射する自分の姿を横目にチラリと、時々は首をひねって確かめながら、二乃は歩を進めた。大丈夫。どの角度で見たってちゃんと可愛い―――と心で頷く。

 元々容姿には自信のあるほうだ。殊に、一花が女優となって出演作を増やすたびに自信が確信へと変わっていった。美少女として紹介されていたり、美少女の役を当てられていたり、ネットで探した感想にもそうした声が見られたり。こういう時に五つ子は便利で気分がいい。造りについてだけ言うならば、一花かわいい=私かわいいが成り立つ。

 待ち合わせの場所に到着。彼はまだいないが、当然だ。そうなるように随分と早く出発したのだから。

 今のうちにともう一度、二乃はショーウィンドウに映る自分を眺めた。ブラックウォッチ柄のサーキュラースカートは最近買ったばかりで、丈は短め。上品で重すぎない色合いが気に入っている。

 風太郎に頑張って欲しくてついエスコートを丸投げしてしまっているが、本当なら、二乃が先導して彼を引っ張り回したっていいのだ。今それをしない代わりに、私も彼女として手抜きはしないようにしなくちゃ。というのが二乃なりのバランスの取り方だった。それが風太郎に通じているかというと少々心許ないけれど。

 それにしても駅前は人出が多い。路肩に停車中の車に女性が乗り込んで、迎えに来た彼氏らしき相手となにやら笑いあっている。

 いつかは私達も車で出かける日が来るんだろうか? そういえば、初めての告白はバイクの上でだったっけ……。

 

「よ。随分早いな」

「!?」

 

 予想外の声掛けに意識を引き戻される。気づかぬうち、すぐ横に風太郎が立っていた。

 二乃は時計を確認した。随分早いのはお互い様だ。

 

「いるんなら移動しちまうか。予約時間前でも席空いてれば座れるらしいし」

「予約……? なに、どこ行くのよ」

「うさぎカフェ」

「!??」

 

 さらなる予想外に、二乃の顎がカパと落ちる。そのままたっぷり7歩分も立ち尽くしてから、慌てて彼の後を追った。

 

「――――――驚きすぎだろ。さっきから何回それ言ってんだ」

「だって……まさかあんたに、図書館と学習センターと、あと遊園地と映画館以外のレパートリーがあるなんて……」

「お前が考えろって言ったんじゃねーか。電話で」

「だから、せいぜい遊園地と映画館の二択からどっちにするか考えるんだろうなって思ってたわ」

「俺への期待値低すぎない?」

 

 喫茶スペースの長椅子に腰をおろし、甘く見るなよと不敵な笑みを作ってみせる風太郎。ならもっと普段から実力発揮しなさいよ、と二乃も笑った。ただしこの後は変わり映えなく映画だと聞かされ、それもなんだかおかしくて笑う。

 予約した店舗があったのは駅から徒歩10分程度。その位置以前に、うさぎカフェなるカフェを二乃は知らなかった。ましてや風太郎が知っていたはずがないと決めつけて聞き出したところその通りで、タウン誌を漁って見つけたのだという。「うさぎ好きなんだろ」と風太郎に言われた時は、腰から宙へと浮き上がりかけた。

 我ながらお手軽すぎるわと二乃の中の冷静な二乃がツッコミを入れてくる。彼女の好み把握してそれをデートに活かすくらい、ただのフツーで当たり前でしょ?

 けれど今は、そんな自分の手を取って一緒にステップを踏みたいくらいに嬉しい。風太郎に限り、当たり前は当たり前じゃないのだ。

 

「お待たせいたしました」

 

 予定時刻ちょうど。汚れぬようエプロンをかけ、うさぎ達の待つ部屋へ。中にはケージが積み重なっており、この時間担当の5匹だけそこから放たれて部屋をうろついていた。

 基本料金に含まれているオヤツを手に座っていると、それ来たと二乃へ駆け寄ってきたのが3匹。1匹は他のうさぎが入っているケージにちょっかいを出すのに夢中で、残る1匹は眠たいのか、端の方で転がったまま。

 

「見てフータロー! この子膝に乗ってきたわ!」

「額から鼻のあたりを優しく撫でてあげると喜びますよ」

「なぜ俺には1匹も寄ってこない」

「無理に抱っこしようとすると、嫌がって暴れたりするので気をつけてくださいね」

「どーすりゃいいんだ……」

「人相が悪いのがいけないんじゃない?」

 

 特に1匹が二乃に懐き、もっと撫でてと身をすりよせてくる。可愛いという言葉をこれほど連呼したことはないというくらい、彼女の口からそればかり発せられた。

 既定時間は60分。ハシャいで過ごせばあっという間だ。すっかり情の芽生えたその子を連れて帰りたいと駄々をこねてみるが、ペットショップを兼ねてない店なのでもちろんそうはいかない。その代わりにと記念撮影はたっぷりしておく。

 さらに、店を出たところで風太郎からプレゼントまで渡された。手洗いにと席を立ったついでに店内で買ったらしい。二乃の頭上でラッパが鳴り響く。パンパカパーン、おめでとう。

 

(お菓子、もう渡しちゃおうかしら)

 

 映画館までの道すがら、浮かれてそんなことに悩む二乃。

 バッグに忍ばせてある手作りのマフィンは、デートの最後に渡そうと考えていたお土産だ。風太郎が少しでも準備してきてくれていたら、ご苦労様と差し出す予定でいた。いや、実際のところ、どうであれ渡すつもりではいたのだけれど。風太郎はきっと喜んでくれるだろう。なぜって彼の妹ちゃんが喜ぶから。

 でもやっぱり最後にしよう。荷物になるだけだし―――と結論づけるのと映画館に着くのとはほとんど同時だった。

 そうして、楽しい時間が続いたのも、ここまでのことだった。

 

 

4.

 

「勉強してた」

「……ふーん」

「このところ予定より遅れがちだったんでつい……スマン、油断した」

 

 教師が聞けばきっと大喜びするだろう。油断すると勉強してしまう生徒がここにいる。

 二乃は「あと一日くらい我慢できなかったの?」と詰め寄ろうとして、やめた。学生が机に向かうことに対しての台詞では無いし―――そういうのじゃないのだ。言いたいことは。

 映画が始まってすぐ。本当に開始直後、ガクンとスイッチが切れたように寝てしまった風太郎。唖然とする二乃の隣でそのまま、エンドロールが終わり揺り起こされるまで目を開くことはなかった。

 映画館を出たところで改めて、寝不足でと説明するので、なぜ寝不足なのかと踏み込んだら答えは案の定で。

 

「私だって別に、勉強の邪魔したいわけじゃないわ」

「分かってる」

 

 それに怒っているわけでもない。少なくともそのつもりだった。こんな程度で今日一日を台無しにしたくなかったし、風太郎は良くしてくれていたのだから。

 でもここまでが完璧だったからこそ悔しくもあり、それが滲み出てしまうことまでは抑えられず。事情だけ確かめておきたくて質問を重ねる。

 

「なんで遅れてたわけ?」

「それは……」

 

 風太郎が視線を外した。切り出しづらそうに、いつものクセで前髪を弄りながら。

 

「パーマン……がな」

「?」

 

 何のこと?

 単純に意味が分からず、二乃は反応できなかった。

 

「だから。パーマン観てたんだよ。四葉の友達にDVD借りて、小型のプレーヤーも借りてきて。長すぎだろあれ」

「…………待ってフータロー。待って」

「待つが」

「あんた、なんでそんなの観たのよ……!? まさか」

「あ? それくらい知らないのかって、お前が―――」

 

 勘違いを正そうと、距離を詰めて風太郎の話を遮る。自然にトーンが一段高くなった。

 

「知らないのって、どんなのか全然知らないのかってだけよ! わざわざ観ろなんて……私もそんなアニメ観たこと一回もないんだからっ」

「げ、マジか……!?」

 

 大袈裟にショックを受けのけぞる風太郎。じゃあ話の内容なんて……?と尋ねてくるので、ひとつも知らないと返してやる。

 二乃は深く深く息を吐いた。空気が足りなくなったので吸って、もう一度長く吐く。

 

「もう……なんであんたってそうズレてるわけ……?」

「ぐ……っ。悪かったな」

 

 今度は風太郎がため息をつく番で。

 

「なら、ズレの無い男探して付き合えよ」

「―――!!」

 

 それが決定的な一言だった。二乃はビクリと身を震わせ、伏せていた顔を上げた。彼は手を口に当て、分かりやすく「しまった」という気配を伝えてくる。

 「今のは無しだ、失言だった」。そう訂正されるが手遅れだ。もちろん、これはちょっとしたケンカに過ぎなくて、別れ話なんて類のものじゃない。それでも決定的だった。今日のデートが結局、大失敗に終わってしまったという意味で。

 

 

5.

 

 帰り道は二人ともほとんど無言で歩いた。最後まで送ろうとする風太郎を断り、逃げるように家へ向かう。こんなことで涙ぐんでしまう自分が情けなく、悔しい。泣くほどでは無かったとしても。

 玄関が視認できるあたりまで帰り着くと、安心が増してようやく多少落ち着きと強気が戻ってきた。そうなると湧き上がる欲求―――誰かにぶちまけたい。だから荷物をリビングのテーブルにぶちまけて陣取った。

 他に四葉しか姿が見えなかったが。ドスを効かせてこぼす。

 

「最悪だったわ」

 

 口を開こうとした四葉を手振りで一旦制し、繰り返した。

 

「最悪だった」

「ど、どうしたの? 二乃」

「色々よ!」

 

 言葉と共に、手近なクッションを意味もなく放り投げる二乃。四葉からすれば説明不足もいいところだろうが、それでもデートでなにやら揉めたのだとは察したのだろう。まあ他に勘違いのしようもない。

 荒ぶる姉をなだめるべく、四葉は懸命のフォローをしてきた。

 

「なんだかよく分からないけど……でもあの。上杉さんにあんまり期待したら可哀想だよ。だって上杉さんなんだし」

 

 ……フォローのつもりらしい。上杉さんは頭いいけどおバカだって一花も言ってたよ?とまで付け足してくる。そうもバッサリ切られてしまうと、なんだか急に、二乃のほうが彼を庇いたくなってしまうくらいだ。

 そんな戸惑いの隙、四葉がテーブル上の包みを指さして、

 

「ねえ、それ何?」

「……あいつが買って寄越したのよ」

「プレゼント? なんだ、仲良しじゃん」

「これ買った頃までは仲良しだっただけ」

 

 赤い包装のその内側を、実は二乃もまだ確かめていなかった。タイミングが無かったせいで。四葉がせがむので、今そんな気分じゃないけど仕方ないわねという体を取り、包みを開くことにする。取り出された平らな箱の蓋を取ると、手作りと分かるうさぎの顔が出てきた。

 円形の顔の上に長い耳。その耳の先を支点に二枚重ねの上一枚がズレて、下の円に鏡がはめ込まれている。手鏡だ。

 「かわいいー」と四葉が二乃の気持ちを代弁してくれた。どうという品でもないけれど、悪くない。少しだけ機嫌が上向き、二乃の頬から力が抜ける。ただし続きがあった。

 

(……? なにこれ)

 

 箱の底面と包み紙に挟まれていたらしい薄茶色の丸。まだすぐに思い出せる、あの店で使われていたコースターだ。

 なんでこんなところに。まさか間違いで紛れるようなものでも無いだろうし。そう不思議に思い指につまむと、手書きの―――風太郎の字があって。

 プレゼントにメッセージまでと、ほんの一瞬、心音が高鳴るのだけど。

 thisから始まるその英文は、訳してもとても彼女へのメッセージには読めない代物で。もっと言えば、先日教わった熟語を使った例文に違いなくて。ご親切に「今回で覚えろ」と日本語で忠告まで書かれている。

 二乃はコースターをテーブルに叩きつけた。パシッと音だけは小気味よい。勢い余って立ち上がりかける。

 

「なん……なの!? なんなのよもうッ!」

 

 今度こそ怒りを持って、怨嗟のような呻きを漏らした。「浮気してやる」。されてからあいつが後悔すればいい。しないのだったら本当にお終いだ。お菓子を持ち帰ってしまったけど、あんなやつに渡さなくて正解だったのだ。

 よくないよと諭す四葉を無視してバッグからスマホを漁り出した。確か友達から、イケメンと知り合ったとかで送られてきた画像があったはず。

 それを開くが。改めて、そのつもりで見てみると。

 

「なによ……っ、これならフータローの方がかっこいいじゃない……」

「えー……」

 

 こんな程度の男では全然ダメだ。わざわざ浮気するのなら、相手は彼氏よりかっこ良くないと意味がないと二乃は思う。そこは厳正に査定して妥協しないつもりだったが、問題は、二乃が審査員である限り合格者がどこを探しても見つかりそうにないことだった。

 あんな奇妙奇天烈な男につかまって、浮気もできないなんて。これを悲劇と言わずなんと言おう。

 二乃が我が身の不幸を嘆いていると、奥から長女がのそのそ現れた。

 

「おふぁよぉ」

 

 毎度のごとく昼寝でもしていたのだろう。まだ瞼に力の入りきらない頼りなさを漂わせたまま、四葉の隣に座る一花。

 先ほどから度々大声が響いていたから、それで起きたのかも知れない。

 

「なに騒いでるの? 二人して」

「なんだろ……愚痴られてるような……のろけられてるような」

「怒ってんの!」

 

 そういえば四葉にも詳しい話はしていなかった。

 ここぞとばかり、二乃は日頃から蓄積した風太郎への不満を披露した。手振りも交えてあれこれと訴え、それに連ねて本日のデートで起きたあらましを語り聞かせる。

 今回だけはしっかりしてと事前に伝えていたこと。うさぎカフェを出るまでは楽しめたこと。映画で風太郎が寝てしまったこと。その原因。勉強、それからパーマン。

 

「なんでどうしてパーマン!? 私、観て欲しいなんてこれっぽっちも頼んでないわ!」

「まぁ、そこはほら。フータロー君なりに、少しでも話を合わせられるように頑張ったんじゃないかな」

「だからって……! どっかおかしいのよっあいつ」

「んー。あのフータロー君が、二乃のために子供向けアニメをレンタルしたんだって考えたら、可愛いと思うけどなあ」

「……ッ」

 

 あ、でもデリカシー無しは相変わらずみたいだから、二乃が怒るのも分かるよと続ける一花。

 二乃はうつむき、奥歯を少し強く噛んだ。家族がいまいち味方をしてくれないから、ではなく(多少それも引っかかったけど)。実を言えばとっくに気づいていることを、ふと言葉にされてしまったから。誰より彼女自身が感じていること―――きっと、本当にダメなのは自分の方に違いないのだ。

 勉強オバケの風太郎なのに、二乃が我儘をぶつければそれに応えようと、いつも必死にやってくれている。アニメだって観る。カフェだって調べる。ズレてたって、やってくれているのだ。それなのに何故満足できないんだろう? どれだけ撫でてももっともっとといつまでも甘えてきた、あの子うさぎと変わらない。

 

 ―――だってあいつは、ただ先生役だった頃からみんなに尽くしてくれてたから。

 

 やっぱり行き着くところはそこになってしまう。彼の献身が、愛情なのか友情なのかすら分からないから。バカでも愚かでも、いつでも問いかけたくなる。「本当に好き?」。よろけた時に掴まって支えになる、確かな何かが欲しかった。

 

「そっか。だから鏡なんだ」

 

 ぽつりと、四葉。

 

「ねえ二乃。プレゼントって、上杉さんが選んだんだよね?」

「……そうよ。私に相談もしないで勝手に」

「ほらやっぱりだよ! 上杉さん、人にあげるものを自分で選びたくないって言ってたもん!」

 

 いつそんな話をしたのか。唐突に、自信満々にひとり盛り上がっている。

 二乃は不審げに四葉を見やった。

 

「あれだよっ。パー子ちゃんが鏡渡すお話の」

「なに……? 急に。こっちは知らないんだからちゃんと説明しなさいよ」

「え。二乃、パーマン観てないの?」

「私も観たこと無いけど」

「観なくて困るものでもないでしょ」

 

 どこかで聞いたようなセリフだと思いながら、二乃は腕を組んで続きを促した。

 四葉がなぜか得意気に胸をそらせる。わざとらしく、えへんと咳払いまでしてみせると、釣られてリボンが揺れた。

 

「アニメのパーマンのね、最後のお話。パーマン3号のパー子ちゃんが、1号に『私の宝物を見せてあげる』って伝えて箱を渡すの。中に鏡が入ってて、でも1号はそれを割っちゃうんだ。それで、パー子ちゃんにバレたら怒られると思って逃げ回って、結局逃げられなくなって謝るんだけど」

 

 そこで間を作って。一花と二乃を見渡して。

 

「そしたらパー子ちゃんが1号に教えてくれるんだよ。『宝物は鏡じゃなくて、そこに映るものよ』。『何が映ってた?』って」

「へえ……ってそれ、つまり」

 

 言いかけてやめ、一花が二乃の様子を窺う。

 四葉からの説明はもう終わりらしいが、どこか理解が追いつかず、二乃は呆けたように身動きを止めていた。

 正面の四女は満面の笑みだ。

 いったいこの子は何を言ってるのだろう、と二乃は彼女をどこかぼんやり見返した。

 アニメにそんなエピソードがあったとしても、あいつがたまたま鏡を贈っただけの偶然と結びつけるなんて。こじつけでしかないし偶然に決まってるのだ。期待しちゃダメよ、私。

 だって、あの、上杉風太郎が?

 投げたコースターに慎重に指を伸ばし、二乃はもう一度裏に書かれた英文を読んだ。今回で覚えろと添えてあるそれを。

 

 ”This means the world to me.”

 

 何度も何度も、何度も何度も読む。

 

「っと……”これの意味は私の世界”?」

 

 横から覗き込んできて、一花。「違うわよ」と二乃は小さく呟いた。小さすぎて掠れ、誰の耳にも届かなかったが。そんな二乃の身の内に、風太郎の教えが彼の声ごと再生されて。

 それから鏡を手に取った。何が映ってる? もちろん、そこには彼女自身が。二つの黒いリボンで髪を飾った少女がいる。

 確か、toに続いて書かれた者にとって。

 世界を意味するほどに。

 この上なく大切な――――――

 

「…………バッ……カじゃないの。思いっきり真似だし、分かりづらいし……」

「二乃、顔真っ赤」

 

 妹の指摘に構わず、二乃は放り出していたマフィンの袋を掴もうと―――して、先に鏡の箱を引き寄せた。慌てる手つきで、けれど丁寧に包装もコースターも元に戻してバッグの奥にしまい込む。

 道行く皆を映す街のガラスとは違う、この特別な鏡に、中野二乃以外の誰かが決して映ることのないように。

 

「どこ行くの?」

 

 次にお菓子も掴み。勢いよく立ち上がり身をひるがえす二乃に、長女が尋ねた。

 

「直接あいつに文句言ってくるわ!!」

 

 それだけ言い置いて駆けて行く。でき得る限りの全力で。

 残された二人があっけに取られていると、入れ違いに三玖と五月が帰ってきた。「二乃、どうかしたのですか?」と五月。

 四葉が困ったように、

 

「えーっとね。上杉さんとケンカしたから文句言ってくるって。多分」

「でも、笑顔でしたけど……」

「イヤらしい感じだった」

 

 半眼で、怪訝そうに三玖も続く。

 

「じゃあ、キスでもしてくるんじゃない?」

 

 一花は肩をすくめた。

 

 

 

 

 end.




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