エスデスは困惑していた。
“もう死ぬ”
斬撃の中に入り、この身を粉微塵にされ死に至ると、不服ながら覚悟していたというのに、周囲全てが動きを止めた。
考えろ、奴の能力か?
それとも誰かが私達の闘いに水を刺したのか?
考えても答えが出ない…少し不快だが、この状況は利用させてもらう。
真っ二つに斬られたサーベルを捨て、タナトスの首の中……得体の知れない“ナニカ”を斬ろうと、氷の刃を生成する。
兜に手を掛けるといとも簡単に外れてしまった。
ただの偶発的な事故。
獲物を逃さない為に捕まえようとした行為。
何もない
物質界にあってはならない異物を前にして尚、エスデスの中に“不老不死”などと言う考えは浮かばない。
彼女が求める物は“そんなもの”ではない。
時間が止まった。間違いない、これはあの女の仕業だ。
正直驚いたが、面白い。まさかここまで登り詰めるとは….
氷とは即ち凍結。詰まるところ『時間』を凍結させたか…
解釈の拡大はそれぞれだけど、いやー怖い。
「……………だが、ここでトドメを刺さなかった事がお前の敗北だエスデス」
凍結された世界にも最強は適応する。
口からではない。エスデスが覗いた深淵、鎧の内側からの声。
発声器官などない、まるで心に直接語りかける。
その声色は嬉々に満ちて、成長を楽しんでいる。
「見事だ。お前には“特別に一つ”ぐらいくれてやってもいいぐらいだな。」
「何をした……?」
すぐさま距離を取り周囲に氷の膜を作りだし怪訝な顔で睨みつけてくる。
エスデスは今、この時間の停止…摩訶鉢特摩の発動を無意識に行なっていた。だから遅れた。逃してしまった絶好のチャンス。
自身でも認識していないが、この瞬間….知覚する前に“タナトスの魂”を消滅ことが出来ればエスデスの勝利に終わっていた。だが彼女は知らない。偶発的に発動した摩訶鉢特摩を一瞬で理解できるはずもなく長年の差が現れ、その隙をつかれ氷結した時間を“認識”されてしまった。
「あー、そういう事ね。
まずは残念、お前は俺を殺せた。
ま、過去形だがな。
“アイツ”の能力を一人で再現するなんて……ハハッ……すんご」
心の中で拍手を贈る。人の身でありながら人を超え、管理者と同じ領域に限定的ながら踏み込んだ異能。
しかし、それでも最強には及ばない。彼とて無を乗り越えた異常者。終わりの先を見た唯一の“人”
故に【敗北】はあっても【終わり】はない。そんなラインは当に過ぎている。
「だからさぁ、こっちも…答えてやる!」
タナトスの声に隠しきれない高揚が現れる。エスデスに対して敬意を持って全力を出し切る。
塵が、砂が欠損部に集まり形作る。
腕と足、万全となった姿でもって好敵手に向かう。
奥の手ではない。身体を低くし一凸による突き。ただの一つ、攻撃の前に肌がピリつく感覚。喰らえば終焉、命の一つや二つ軽く持っていくだろう。
並のものなら逃げる。決して叶わないとしても選択肢はそれしかないだろう。未知への恐怖、死への恐怖、押し潰されるに違いなし。
だが……
「………ハッ、来い!」
闘争の塊は恐怖になど屈しない。相手の全力を受け止め捩じ伏せる。
返答を受け場の空気が重くなる。タナトスの初動、タナトスを中心に漏れ出る威圧。
数々の死戦を潜り抜けたエスデスさえ、脂汗が頬を流れる。
突貫、タナトスの行動を追うように余波が地を震わす。
交わる刃先。生まれる衝撃。周囲の地が砕け散る。
荒れる地表、濁る空、勝負は一瞬で決まった。
「……………私の負け……か…」
氷の屑が舞い、力なく倒れるエスデス。白を基調とした服は汚れ所々破れている。
奴はどうなっているのだろう。
力なく首を向ける。
心のどこかで分かっていた。
正に万能。
神にも等しい…嫌、神なのかもしれない。
無限の寿命は当然ながら、何より歪な精神性。
1000年もの間変わらずに帝国や外部に通い詰め興に浸る姿はエスデスから見ても異常だった。
悠久の時を生きていればいずれ精神は限界を迎える筈だ。なのにアレは平然としている…どころか楽しそうにしている。
正に化け物
私では勝てない…と
ゆっくりと足を進める音、視界に映る全快した姿。
あぁ…もう私は、死ぬのか…悔いがないと言えば嘘になるが…存外私も捨てた物ではなかったな……
負ける事は分かっていたが、自分の限界を見てみたくなったんだ…
死を意識した中でエスデスが最後に思い出した光景。
拷問、殺戮、闘争、人生を捧げた“趣味”の中、悲鳴をあげ泣き叫ぶ弱者達の姿だった。
今の私はコイツらと同じなのか…嫌、私より強い奴に殺される事に不満はない…
エスデスと戦った者は皆例外なく軍門に降るか、死んでいる。
優秀な戦士はスカウトし、それ以外は殺してきた。
彼女には闘争こそが全て。弱者を狩り、強者を打ち破る。
そこに情けは無く、勝者が敗者を駆逐する。
単純明快。
己が負ける事を予想できなかったわけではない。全力で挑み敗れたのならば悔いは……ない
タナトスを視界に捉えた後に目を閉じ刻が来るのを待つ。潔く死ぬ。彼女が出した答えは自死ではなかった。
自身を超える者の手に掛かるならば納得がいく
だが、足を進める音が止まった。
「………?
どうした、早く殺せ。」
「…ンだよ、喋る元気あるじゃんか」
戦闘時のどこか闇を感じる軽口とは違う。軽薄で間抜けな声色でタナトスは戦闘の余波で形が崩れた地面に腰を落とし、胡座をかく。
「お疲れさん。中々だったぜ、エスデスよ」
入れ物に入った飲み物がエスデスに差し出された。
「………」
「おっと『いつ出した?』とか言う質問は無しな。とりあえず飲め飲め!」
無い力を出して飲み物を受け取ると口の中へ流し込む。
「何故だ。
私は負けた。なのに何故殺さない」
「……はぁ〜
バカ言うなよ。今回は俺の負けだ。」
「…………は?」
突拍子もない言葉にエスデスは唖然とした。己の全てを出し切って尚届かない強者、勝負は完全についている。そう思っていた。
初めは嫌味で言っているのかと疑った。だが違う。目の前の“勝者”は本気で言っている。
「俺にあそこまで手札を切らせるなんて、お前ぐらいさ」
「バカを言うな。どれだけ食らいつこうと敗北は変わらない。貴様の
精一杯の激昂にタナトスは困ったなぁと指を額に当てる。
「…つってもなー
現にあそこまで追い詰められたの久しぶり……なんなら初めてかもしれない訳で、俺からしてみたら『敗北×2』ぐらいなもんだしなぁ
俺個人としての敗北と“俺たち”の敗北。
そこまで追い詰めた相手に労いの言葉も掛けられないほど俺も堕ちちゃいないさ。
だから言わせてもらうぞ。
………
見事であった。
“我等”を相手とし乗り越えようとした女。先の停止は中々肝も冷えた。」
眼前に写る
戦闘中に相手の強さを認めるだけならばエスデスも何度か経験がある。が、戦闘後までわざわざ相手を生かすなど理解できない。
単純な勝敗の尺度が違う。
今までで会ったことのない価値観に脳がフリーズする。
制して尚殺さない。気に入った相手に手を差し伸べ、報復を一切考えない能天気。
その日から残虐を絵に描いたような女は少しだけ変わった。