月に寄りそう乙女の作法2~二人の小倉朝日~   作:ヘソカン

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お待たせしました。長かった五月終了です。
次回からは六月になります。此処まで応援してくれた方々に感謝いたします。

三角関数様、秋ウサギ様、dist様、エーテルはりねずみ様、笹ノ葉様、百面相様、烏瑠様、獅子満月様、誤字報告ありがとうございました!


五月下旬(遊星side)31(終)

side遊星

 

「クワルツ賞に参加するのならば、最優秀賞以外の結果は認めん。もしも最優秀賞を取れなかった場合は、即座に学院を辞めさせる」

 

 チィィーンっと、僕の脳内で小さな鐘の音が鳴り響いた気がした。

 はて? 今、お父様はなんと言ったのだろうか? クワルツ賞で最優秀賞を取れ? あのクワルツ賞で僕が最優秀賞を? えっ? 聞き間違いだよね?

 思わず横に立っているりそなに目を向けるが、口を大きく開けて固まっていた。

 うん。つまり、今のは僕の聞き間違いじゃないという事だよね。でも、一応。

 

「あ、あの、お、お父様……今なんと仰られたのでしょうか?」

 

「クククッ、この俺に同じ言葉を言わせるつもりか?」

 

 ……僕の聞き間違いではないという事ですね。

 遠退きかける意識を何とか保ちながら、こうなった経緯を思い出す。

 先月と同じようにお父様はりそなと共に部屋にやって来た。すぐに僕はアトリエに案内し、今月の課題を見せた。

 精神を削りに削って書いた現在の流行物の服に関するレポート(写真はりそなか、カリンさんがお父様に送ってくれている)と、一週間という短い期間で仕上げたドレスシャツ。レポートの方は、今回の課題に隠されていたと思うお父様の意図も含めて書いたから、問題は無いと思っていた。問題があるとしたらドレスシャツの方だ。

 此方の方はりそなに渡す予定の服を優先した為に、製作期間が一週間しかなかった。睡眠時間もギリギリまで削って製作したけれど、それを理由に評価を甘くしてくれるような人ではない事は良く分かっている。何よりもお父様は僕がりそなの服を制作している事は知らないから。

 内心で先月と同じように戦々恐々としながら、お父様の答えを待った。

 結果は……合格。

 たった二文字の言葉なのに、お父様の口から発せられるだけで足から力が抜けて膝を床に突いてしまうほどの嬉しさを感じた。

 レポートの方も不備はないと言われ、心配だったドレスシャツの方も『短い(・・)制作時間で制作した割には良い出来だ』と言われた。

 ……改めてお父様の服飾に関する目には敬服させられた。やっぱりお父様はジャンと同じように、僕が尊敬の念を抱く人だ。この人の子として恥じないようにしなければならない。

 ……でも、今は娘としてなんだよね。僕は男なのに。

 

「ジャスティーヌ・アメリ・ラグランジェ。パリでその実力の噂は聞こえていたが、よもやこれほどの実力を秘めているとは思ってもみなかった。このデザインは確かに応募期間を過ぎていても、認められるに相応しい価値あるものだ」

 

 お父様は僕が渡したジャスティーヌさんがクワルツ賞に応募したデザイン画を、興味深そうに手に持って眺めながら呟いた。

 こんなに誰かに親しみを込めたお父様の声を聞くのは、僕が知る限りルナ様がクワルツ賞の一次審査を通過した時に、わざわざ衣遠兄様がルナ様を訪ねに来た時以来だ。つまり、ジャスティーヌさんのデザインの評価はお父様の中ではルナ様に匹敵するほどのもののようだ。

 実際、僕もデザインを見せられた時は、これならば応募期間を過ぎていても認められると思ったからお父様の意見には同意だ。

 

「クククッ。妹よ。わざわざパリから特待生として招いただけの価値はあったな」

 

「授業態度にはかなり問題がありますけどね」

 

 あれ?

 

「ジャスティーヌさんって、りそながフィリア学院に呼んだの?」

 

「ええ、そうですよ。まあ、彼女の伯母から頼まれた事でもありますが」

 

「ククッ。随分と仲良くなったものだ。あのラグランジェ家の女と」

 

「……どの口が言うんですか? 学生時代に私と彼女が対立した原因には、少なからず貴方も関わっているじゃないですか、上の兄」

 

「ククッ、そうだったな」

 

 懐かしむように微かな笑い声をお父様は漏らした。

 ……何となく疎外感を感じてしまう。仕方がない事だと分かってはいるんだけど……僕もりそなとお兄様が仲良くなれる出来事に立ち会いたかった。

 ……それが無理だとは分かってはいるけど……話を変えよう。

 

「あ、あのそれでお父様。参加するなら最優秀賞を取れという事は分かりましたが……もしかしてそれが……」

 

「来月の課題だ。無論、参加せずに辞退をするというのなら別の課題を与えるが、お前がこの話を受けないのならこのデザインの衣装が世に出ることは二度とないだろう」

 

 酷い。そう言われてしまったら、僕にはもう辞退するという選択肢が無くなってしまう。

 僕もジャスティーヌさんのデザインは素晴らしいものだと思っているからだ。一度応募して出されたデザインは別の賞に応募する事は出来ない。このジャスティーヌさんが描いた素晴らしいデザインが世に衣装として出るか出ないかの命運は、今僕が握っている。

 以前の時は、ルナ様の判断に従った。だけど今回の事は僕に判断が委ねられている。

 ……なら、やらせて貰おう。これが桜小路遊星様を超える第一歩になるのなら。

 

「その課題。お受けさせて頂きます、お父様」

 

「いやいや、下の兄。ちょっと待って下さい。妹も勧めた側でしたけど、最優秀賞ですよ? そのデザインが良いのは妹も認めます。でも、元々はあの甘ったれをモデルとして使う事が前提にされたデザインです。あの甘ったれがモデルを辞退した以上、他のモデルを探さないと行けません。言ってはなんですが、ルナちょむやあの甘ったれと同じ白い髪で緋色の目の相手なんてそう簡単には見つかりませんよ。しかも、制作期間を考えたら新しいモデルを探す時間は2、3日以内しかないでしょう。そんな時間にルナちょむとあの甘ったれと同じ特徴を持っていて、更に甘ったれに近い身長の相手を探すのは不可能ですよ。大蔵家の力を使ったとしても」

 

 分かっている。だから。

 

「衣装を作る時に、手を加えて僕が選んだモデルの人に合うようにするよ。プロになれば、今回みたいな事はあると思うんだ。依頼していたモデルの人が、急に出来なくなったとか。りそなはそういう経験はない?」

 

「うっ……確かに不注意で怪我をしたり、風邪を引いてしまい、モデルが出来なくなったとかは何度かありましたね」

 

 やっぱり、そうなんだ。

 

「だったら、尚更に今回の件を辞退したくない。クワルツ賞で最優秀賞を取るなんて、僕からすれば夢みたいな出来事だからね。モデルとして才華様には立って貰う事は出来ない。なら、このデザインを駄目にするかはパタンナーとして頼まれた僕次第だよ」

 

「クククッ、分かっているではないか、遊星。お前の言う通り、既にそのデザインはその素晴らしさを示している。ならば、後は制作に携わる者の力量次第だ。お前の才能をこの俺に示せ」

 

「はい。お父様」

 

 全力で挑ませて貰います。

 

「……はぁ~、仕方ありませんね。妹も伝手を使って、最高の生地と糸を手配する準備をしておきます。依頼する時は貴方からですが。これぐらいなら問題は無いでしょう。日本での保護者ですし」

 

「文句を言って来る者がいたのならば、この俺に伝えろ。すぐに黙らせてくれる」

 

「ありがとう、りそな、それにお父様も」

 

 心が温かくなった。この二人の家族でいられる事が、こんなにも嬉しい。

 

「ただ、一応聞きますが、モデルの当てはあるんですか?」

 

 うっ……今日の放課後、アイドル科に行ってみたけど、これだと思えるような人はいなかった。

 明日は昼休みに芸能科を、放課後に演劇科を見に行く予定だ。

 一応、今のところ候補として考えられるのは一人だけなんだけど……駄目もとで言ってみようかな?

 

「ひ、一人だけ候補がいるにはいるんだけど」

 

「誰ですか、それは?」

 

「……ル、ルミネさん」

 

 りそなは固まり、お父様は真顔で椅子から立ち上がってアトリエの中を一周した。

 動揺するお父様なんて初めて見た。僕がモデルの候補に挙げた人物は、それほど予想外だったという事だ。

 

「何故叔母殿が候補に挙がった。お前の事だろうから、爺の横槍を期待してなどという事はあるまいが」

 

「勿論です。ルミネさんを候補に挙げたのは、ちゃんと理由があります」

 

「それは何だ?」

 

 威圧感さえ感じるほどの視線を向けられた。

 下らない理由だったら、赦しはしないと言われなくても伝わって来た。

 

「僕がルミネさんをモデルの候補に挙げたのは、女装した才華様のスタイルと、ルミネさんのスタイルが一致しているからです。僕の場合は自分の身体に合ったサイズにしましたが」

 

「いやいや、ちょっと待って下さい。なんで下の兄がルミネさんのスタイルのサイズを知っているんですか?」

 

「服の上から見て分かったんだけど」

 

「……ああ、そうでしたね。貴方って相手のサイズを見るだけで分かる女性からすれば、天敵のような目を持っていたんでしたっけね」

 

「天敵って。分かるのは大体のサイズだよ。正確なサイズはやっぱり採寸しないといけないし」

 

「それでも充分に女性からすれば天敵ですよ」

 

 と言われても、分かってしまうんだから仕方がない。

 それに分かるようになったのも、お兄様が開いていたショーとかで雑用をやらされていたからだ。正確に測らなかったら、お兄様に怒られると思ったから必死で頑張った。

 ……結局認めて貰えなかったけれど……。

 

「今更ながら、当時の俺はお前やアメリカの我が弟を見捨てるのは早すぎたかもしれんな。デザイナーが駄目ならば、他の面でも確かめさせるべきだった。尤も桜小路と出会う前にその才能を俺に示していたら、お前が『小倉朝日』となる事は無かっただろうが」

 

 ……複雑だ。お父様の言う通り、もしも才能が無くて見捨てられずにいたら、ルナ様や皆と出会う事はなかった。

 僕にとって桜屋敷の日々は、辛くて苦い思い出であっても、やっぱり同じぐらい幸せな日々だったから。

 

「話は分かった。確かに元々デザインに込められたイメージを少しでも反映させるのならば、身長や体格が近しい者が良い。その点で言えば、確かにルミネ殿は身長も才華と同じだ。女装の時の身体のサイズも、元々ルミネ殿のものを参考にしたと才華は言っていた」

 

 やっぱり。

 

「平然と自分のサイズをルミネさんは、あの甘ったれに教えた訳ですか……男として全く見られていない証拠じゃないですか」

 

「ははっ、そ、そうだね」

 

 言われて気がついたが、女性は基本的に自分の身体のサイズを男性に教えたりはしない。

 それなのにルミネさんが才華様にサイズを教えたという事は、今のところ才華様の事は男性としては見てないという事なのだろう。個人的には少し安堵した。

 

「元々のイメージを一番反映させられるのは、今のところの最有力候補がルミネさんなんだよ。勿論明日芸能科や演劇科にも行ってみて、モデルになってくれる人がいないか探してみるつもりだけど」

 

「……ルミネ殿がラグランジェ家の娘のデザインから制作された衣装を着るか……確かにそれも一つの手段ではあるな」

 

「ええ、マジですか、上の兄。あのラグランジェ家ですよ。未だにあの頃の事を根に持っているんですよ、あの家は」

 

「だからこそという事もある。クワルツ賞という日本で有名なコンクールに、大蔵家の娘である、ルミネ殿がモデルとして出る。ラグランジェ家の方はともかく、フランスの政財界の者たちの印象は多少は変わるかも知れん。それに我が娘が関わっていると爺が知れば、少なからず心証も良くなるだろう」

 

「あ、あの……」

 

「なんだ遊星?」

 

「質問なのですが、お父様。以前りそなからジャスティーヌさんの実家のラグランジェ家と大蔵家の仲は悪いと聞きました。それは何故なのでしょうか?」

 

「そう言えば、お前は知らない事だったな。もう十数年以上前の話になるが、嘗てこの俺と、りそなと付き合いのあるラグランジェ家の娘の間には、婚約の話が上がっていた。だが、とある事情によって、その縁談の話は大蔵家側から一方的に破棄された」

 

「それは……」

 

 嫌われても仕方がないような気がする。それにラグランジェ家は国粋主義者だから、下に見ていた日本人風情がと思っただろうし。

 

「だが、この話には続きがある。幾ら大蔵家とは言え、フランスの名家のラグランジェ家との間に交わされていた婚約を全て無かった事にする訳には行かなかった。其処で爺と母はお前に白羽の矢を立てた」

 

「はっ……?」

 

 今、お父様は何と言ったのだろうか?

 僕にお爺様と奥様が白羽の矢を立てた? それってもしかして……。

 

「この俺の代わりに、遊星。お前をラグランジェ家の娘の婚約者にしようとしたわけだ。爺と母はな」

 

「え、えええええっ!?」

 

 そんな話、聞いた事がない!?

 

「とは言っても、この話も当然破談になった。何せ当時のお前は、大蔵を名乗っていても、一族の者としては認められていなかった。相手側から破談を申し込むように、お前は知らない所で利用されていた訳だ」

 

 湊の時といい、僕の存在は自分の知らない所で、案外便利に使われたりしていたようだ。

 ただ何故ラグランジェ家と大蔵家の仲が悪かったのかは良く分かっ……。

 

「それで終わっていたら良かったんですけどね」

 

 ……まだ続きがあるの? お父様の話以上の続きが?

 

「これは貴方がというか、アメリカの下の兄がフィリア学院に通っていた頃の話なんですが。一度破談になったラグランジェ家の縁談を、お爺様は改めて行おうとしたんですよ。貴方と私の知り合いのラグランジェ家との娘との間に」

 

「えっ? ちょっと待って。その話って、桜小路遊星様がフィリア学院に通っている頃の話だよね? その頃だったら、もう桜小路遊星様はルナ様と……」

 

「ええ、妹的に複雑でしたが付き合っていましたよ」

 

「だったら、婚約話なんて持ち上がるはずが」

 

「爺が勝手に進めていた話だ。俺もりそなも、そんな事を爺が企んでいたとは知らなかった。当然アメリカの我が弟も知らなかった事だ。大方一族として認めやすくする為に、当時は経営が思わしくなかったラグランジェ家に婚約の話を再度持ち掛けたというところだろうな」

 

「で、ですけど、桜小路遊星様にはルナ様という素晴らしいお方が」

 

「桜小路には当時から確かに素晴らしい資質。『王者の資質』はあった。だが、あの爺は先ず相手の家柄から判断する。この俺からすれば下らん判断材料としか思えんが、爺からすれば何よりも重要な判断材料だ。そして花乃宮家やジャンメール家と比べれば、桜小路家は家柄という点で考えれば劣る」

 

「下の兄は覚えていますか? 私がルナちょむの事を薦めた時に、下の兄も桜小路家と聞いて首を傾げましたよね」

 

 そう言えば、そうだった。

 ルナ様の素晴らしさと凄さをりそなから教えられる前は、僕も桜小路家と聞いて『ん?』と思ってしまった。何せ僕が桜屋敷に行く前の情報だと、桜小路本家は事業を広げようとして失敗。相当な痛手を被っていたからだ。

 その痛手を解決したのもルナ様だったと、瑞穂様やユルシュール様から教えて貰った。同時に……ルナ様と桜小路本家との確執も知ったが、今はそれは置いておこう。重要なのはお父様が言ったように、家柄としては桜小路家は低いという事だろうから。

 

「アメリカの我が弟と桜小路との縁談は、俺が主導で進めていた事だ。爺からすれば勝手に進めているように思っていたのだろう。尤も、どちらの方が勝手に進めていたのかは言うまでもない事だが」

 

 桜小路遊星様とルナ様の恋仲を考えれば、お爺様の方が確かに勝手だ。

 でも、お父様がまさかお爺様と敵対してまで桜小路遊星様とルナ様の仲を進めようとするなんて。大蔵家当主の座を得ようとしていたお兄様を知っているだけに、ちょっと信じられない気持ちもあった。

 

「それでは、当時桜小路遊星様が、『小倉朝日』になってパリに留学していたのは?」

 

「爺の目から逃すためだ。無論、一人で留学する事になったりそなを支える為でもあったがな」

 

 なるほど。

 

「話は戻すが、そのような事があった為に我が大蔵家とラグランジェ家との仲は、一部を除いて最悪のままだ」

 

「それは……無理もありませんね」

 

 どう考えても、婚約話に関しては大蔵家側に非がある。ただでさえラグランジェ家は国粋主義者だ。

 其処まで行ったら、確かに関係は最悪だとしか言えないよね。以前エストさんから電話があった時に、りそなの言う通り僕も大使館に行くなんて言わなくてよかった。

 もしもエストさんと一緒に行っていたら、門前払いされていたに違いない。

 という事は、僕にパタンナーを勧めたジャスティーヌさんは、ラグランジェ家からすればりそなの知り合いだという人と同じように例外という事なのだろう。

 

「もしもルミネ殿がラグランジェ家の娘のデザインから制作した衣装を着て、最優秀賞という華々しい結果を出せば、ほんの僅かだがラグランジェ家との関係修復に貢献したという実績にはなるか……遊星」

 

「は、はい!」

 

「俺は今日から3日ほど日本に滞在する予定だ。例の『ぱるぱるしるばー』というブランドとの正式なスポンサー契約を行なうためだ。その間にルミネ殿以上にモデルとして適した者がいなければ、連絡を寄越せ」

 

「それはつまり」

 

「ルミネ殿にモデルになって貰う交渉に協力してやろう」

 

「あ、ありがとうございます! お父様!」

 

 まさか、お父様も協力してくれるなんて! 凄く嬉しい!

 

「だが、ルミネ殿をモデルにするならば、尚更に最優秀賞の結果を出さなければならん。あの爺はルミネ殿の人生は、輝かしいものにしかならないと考えている。入賞や準優秀賞などという結果を認めまい」

 

 クワルツ賞で入賞や準優秀賞という結果も、僕からすれば充分に凄い結果だ。

 だけど、お爺様もお父様も最優秀賞以外は認めてくれない。いっそ逃げたくなるような難関になってしまったが、目標の為にも逃げるつもりは僕にはなかった。

 

「分かりました。ルミネさんにモデルをして貰う時は、どうかお願いします」

 

「妹としては出来ればルミネさん以外にモデルが見つかって欲しいですね。まあ、もしもルミネさんがモデルをやる時は、お爺様に手を出させないようにしますから、下の兄は思うままに衣装を作って下さい」

 

「ありがとう、りそな」

 

 本当に心からの嬉しさを感じた。お父様とりそな。この二人の家族になれたことに、心から感謝したい。

 

「さて、これで一通りの話は終わりだ。夕食にするとしよう」

 

「はい! 今日は私が全力で腕を振るいますから、楽しみにしていてください、お父様!」

 

「期待させて貰うとしよう」

 

 

 

 

 夕食が終わり、お父様は日本にある自分のマンションに帰宅された。泊まって行ってくれても良かったのだが、まだ仕事がある、と言って出て行ってしまわれた。

 残念だという気持ちもあるが、お父様の仕事の忙しさを考えれば仕方がない事だという事も分かる。本来なら一ヵ月に一度でも、日本に戻ってくるのもお父様の仕事の忙しさを考えれば大変なのだ。

 なのに、僕の課題の為に必ず一度は帰国してくれている。勿論、僕の為だけじゃなくて、才華様やアトレさんの事も心配しての事だろうけれど。

 

「それにしても明日正式なスポンサー契約の話ですか。部下に任せずに、自分で直接という事は、上の兄も銀条でしたか? その娘の事は認めているようですね」

 

「うん。デザインや型紙を見せた僕も期待していたけど、お父様自身で交渉するなんて思ってもみなかったよ」

 

 それだけパル子さんの才能は、凄いという事だ。

 

「とりあえず、妹も一安心です。上の兄と繋がりがある人物が、一般クラスにいるだけで、学院内での対立の牽制にはなりますから。総学院長辺りは不機嫌になりそうですが、スタンレーが来る前に問題も起こしたくはないでしょうし、文句は言ってこないでしょう」

 

「僕もそう思うよ。ラフォーレさんは、本当にジャンがフィリア・クリスマス・コレクションに来るのを楽しみにしているから」

 

 ただ、やっぱり油断が出来ない人だというのも感じていた。

 会話する言葉から、お父様の言う通り、ジャンに匹敵する才能を求めているのを感じるから。

 

「本当に気を付けて下さいよ。貴方がクワルツ賞にパタンナーとして参加する事は、学院に来月やって来たらすぐに知るでしょうから。ますます貴方にも目をつけるでしょう」

 

「うん。分かってる」

 

 才華様だけじゃなくて、僕も気を付けないといけない。

 でも……ラフォーレさんがするジャンの話は本当に面白いから、また聞きたいという気持ちもある。

 ……っといけない。今は、それよりも……。

 僕は椅子から立ち上がり、自分の部屋に戻って用意していた袋を持ってくる。今日まで待たせてしまった。

 喜んでくれるかなと、期待と不安を感じながらリビングに戻った。

 リビングで待っていてくれていたりそなも、ソワソワしている。僕が持ってくる物が分かっているからだ。

 完成してから今日まで待たせてしまった事に、申し訳なさと罪悪感を感じながら、僕はりそなに差し出した。

 

「受け取ってりそな。僕がこっちに来てから初めて作った服。勿論、見せて貰ったりそなのデザインから選んだものだよ」

 

「あ、ありがとうございます、下の兄!」

 

 心から嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。

 ああ、この気持ちを感じるのは本当に久しぶりかも知れない。自分の作ったもので誰かに喜んで貰える喜び。

 ハンカチのような小物じゃなくて、精魂込めて作り上げた僕が制作した服。

 やっぱり僕は……この道が、服飾が好きなんだと改めて実感した。

 

「そ、それじゃあちょっと着てきますね」

 

「うん。待ってるよ」

 

 渡した袋を持って、りそなはリビングから出て行った。

 僕は椅子に座って、りそなが戻ってくるのを待つ。少なからず緊張を感じた。

 服飾に戻って、本当に初めて制作した服だ。完成した時は、服飾を捨てる前、お兄様のおかげで服飾を学び始めた頃に制作した小さなシャツを完成させた時の感動を思い出して涙が零れてしまった。

 そのシャツは何度か着たけど、残念ながら兄には認めて貰えず、表情を変えることなく、次の作品に取り掛かるように命じられた。りそなだったら、そんな事はないと分かってはいるんだけど……。

 

「下の兄」

 

「ぁ……」

 

 声が聞こえて振り向いた僕は、手渡した服を着たりそなの姿に言葉を失った。

 似合っていないからじゃない。寧ろ逆だ。

 りそなは年齢の事で似合うかどうか心配していたが、そんな事は関係ないぐらい僕は言葉を失うほどの感動を感じた。

 僕の知っているりそなは、黒いゴスロリを好んで着ていたから、それを思い出してデザインの中から選んだ。用意した黒いふんわりとした帽子も似合っている。

 一瞬、目の前にいる相手がりそなだという事を忘れてしまうほどに……綺麗だった。

 

「あ、あの……や、やっぱり、似合いませんか?」

 

「ううん! そんな事ないよ! ……そ、その綺麗だったから、思わず見惚れちゃった」

 

「うっ!」

 

 言われたりそなは帽子を深く被り直して、赤くなった顔を隠した。

 

「し、下の兄は、ほ、本当に……て、天然の女たらしですね……そ、そんな嬉しいことを……この歳になって聞けるなんて……思ってませんでしたよ」

 

「お、女たらしって……酷いよ、りそな」

 

「じ、事実なんだから仕方がないじゃないですか……下の兄」

 

「何、りそな?」

 

「……この服。ありがとうございました。何だか今なら、良いデザインを描けると思えるぐらいに、気分が高揚しています」

 

「……最高の誉め言葉だよ、りそな」

 

 改めて思った。やっぱり、僕の妹は天使だと。

 この妹のパタンナーだと胸を張れるようになれるように、来月も頑張ろう。




因みにりそなが着ている服のイメージは、『乙女理論とその後の周辺』でエッテアフターでヒロインのエッテが着ていた服です。
後、お父様は朝日が退学になった場合は、即座にりそなのブランドに就職させて本格的に学ばせるつもりです。既に戦力になるのは、判明しているので。

『その日の深夜のチャット会話4』

蜘蛛『彼女が賞に参加ね。個人的には興味深いとは思うけど、そのモデル候補がルミネさんだとすると、前当主殿の横槍に関する注意は必要だな』

蛇『奴が述べた理由は、真っ当なものだった。ならば、それに応える準備はしてやろう』

蝶『まあ、それは良いんですけどね、ムフフッ』

蜘蛛『蝶はやけにご機嫌だね、何か嬉しいことでもあったのかい?』

蛇『なに、我が娘が制作した服を貰って喜んでいるに過ぎん』

蜘蛛『其方も興味深いね。是非ともその話は詳しく聞きたい』

蝶『嫌です。この感動は私だけのものなんですか……ああ、ところで蛇に聞きたいことがあったんですけど……今回の追加の課題だったドレスシャツの意味は何だったんですか? てっきり追及が来るんじゃないかと二人で身構えていたんですけどね』

蛇『あのドレスシャツは、今の奴の此処の在り様を見る為だ。今の奴はアメリカの我が弟を超えるという目的を持って、服飾を行なっている。そうしなければ、服飾に戻らなかったという事は分かっているが、本来の奴の在り方と違い、攻撃的な在り方になっている』

蜘蛛『それの何が悪いんだ?』

蛇『悪いとは言ってはいない。だが、攻撃的な在り方というのは奴の本質とは一致しない。その影響が出来た作品に出ていないか確かめる為に、奴にドレスシャツの製作を指示した』

蝶『……それで結果はどうだったんですか?』

蛇『何も問題は無かった。奴の作ったドレスシャツには荒々しい気配はなかった。寧ろ着る者への配慮が行き届いていた。目指す目標は変わったとしても、奴の本質は何も変わっていない』

蜘蛛『それは嬉しい報告だね。なら、俺達は俺達で彼女に出来るだけの支援をすべきか』

蛇『差し当たっては、ルミネ殿への交渉だが、何問題は無い。昔あった爺の不始末を話せば良いだけだ。とはいえ、やはり警戒は必要だ。今後も頼むぞ』

難儀『お任せ下さい』

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