つまるところ、俺がじゃんけんが弱すぎるということが問題なのだ。
●
誰もいない廊下を一人行く。
放課後、いつものように部室に向かうために。
そうやって辿り着いた先の、扉にデカデカと貼られた部員募集のポスター。今のところは役に立った記憶が一つもない。
先輩と俺と馬鹿一人。三人だけで廻る、名ばかりミステリー研究会。
「やあやあ、やっと来たね」
扉を開けた先には先輩――部長がこちらに笑顔を向けた。
いつも通りのことだ。去年の春、一番初めにこの部室に来た時からいつも変わらず、彼女は此処にいる。
「今日はあいつは来てないんですか?」
「まぁ、ね。まあすぐに彼女も来るだろうさ」
その言葉を聞きながら先輩の対面の席に着く。何気なく先輩の読んでる本の表紙を読み取れば『犯罪文学傑作選』という大仰な文字が踊っていた。
「それ、面白いですか?」
「そこそこ、いろんな作家の短編が集められてるんだけどね。読むかい?」
「じゃあ読み終わったらお願いします」
「了解したよ」
それっきり会話は途絶え、先輩と同じく自分も本を取り出した。栞を挟んだ読みさしの本。ページをめくる音と微かな呼吸音、そして時計が進む音だけが部室に響く。
けれども10ページも読み進めないうちに再び本を閉じた。
だんだんとこちらに近づいてくる音がした。
目的地が此処ではなく、ちゃんと通り過ぎてくれればいいのに、それは叶わないことだとわかっていた。
ここは校舎の一番端にある教室だからだというのもあるし、いつも聞き慣れた足音だというのもあったから。
曇りガラスの向こう側に人影が映ったかと思えば、壁に叩きつける勢いで扉が開かれた。
何度聞いても慣れない音に身を竦ませる。
ここまで全力疾走してきたのだろう。その荒い息を整える間も無く、大きな声で彼女は言った。
「遅れました!!」
「ドアは優しく開けようね」
先輩のその注意が役に立ったことを、自分は一度も見たことがない。そしてこれから先も聞き入れられることはないのだろう。俺には扉がこわれないように祈ることしかできないから。
そんな自分の思考をよそに彼女――俺の幼馴染は自分の隣の席に陣取った。
しかしながらそこで落ち着くことはなく、ガタリと音を立てながら立ち上がった。先手必勝、彼女が口を開く前に俺は言った。
「初めに言っとくが俺は何もやらないからな」
「なんでよ、なにもいってないじゃん!」
むきーっと肩を掴んでガクガクと頭を揺らされようとも言葉を撤回する気は無い。
その頃先輩はというと本を読んでいた。いや遅まきながら区切りがいいところまで読みきったのか、ようやく本を閉じた。
「さて、今日は何をするんだい?」
ただそれは幼馴染を止めようとするためではなく、むしろその先を促すためだ。
タチの悪いことに先輩もまたこの喜劇を楽しむタチだから、そうなるとこの場に自分の味方はいない。
「じゃんけんをしよう!」
「……おい馬鹿、俺がめちゃくちゃじゃんけんが弱いってことわかってんだろうな」
「当然わかってるに決まってるじゃん」
そう言ってニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「私は勝つのが好きだから、だから勝算がない勝負をするわけないでしょ」
「負ける身を考えてからその言葉を吐いてくれ」
自分には1つだけ特性がある。
死ぬほどじゃんけんが弱いという、メリットほぼ皆無の能力だ。
グー、チョキ、パー。
出す手は3つであろうとも、最終的には勝ちか負けの2通りしかない。ならば普通に勝負をしたのなら二分の一の確率で勝てるはずだと誰しもが考えるだろう。
そんな至極当然の理論は嘘である、少なくとも俺に限ってはそうではないと言えてしまう。
負け、負け、負け。
生涯のじゃんけん勝率は多分1割を切っている。何かイカサマをしてるんじゃないかと思うぐらいに、自分はじゃんけんが弱いのだ。
それを先輩も知ってる。自己紹介の時に話をして実演済みだ。自虐ネタとしては一級品のものではあるが、それ以外に役に立たないのが難点。
ちなみにじゃんけん以外の運は普通であり、特に日常生活で不便なことはない。
「でもただじゃんけんをするだけじゃつまらないし、絵面が映えないと思わないかい?」
珍しく先輩から助け船、もっと面白いものが見たいだけなのかもしれないが。
「うーん……じゃあ先輩になんかいいアイデアないですか?」
「ふむ、例えばなんかを賭けるなんてどうだろう?」
「おっと段々と風向きがおかしくなってきたな」
未だ肩を捕まれてるから、抗議の意思を視線に乗せるも笑顔で受け流された。
「なあ、俺が100%損をする勝負は良くないと思わないか?」
「私もカツアゲみたいな真似は気がひけるなぁ……」
ピクリと頰がひきつる。
この馬鹿、もう勝つのが当然と思っている。
だが勝率が低いのは確か、挑発に乗らずぐっと我慢。
「でも君がローリスクハイリターンになるような勝負にならばいいんだろう?」
「……そんな都合のいいものありますかね」
「脱衣じゃんけんさ」
耳を疑う言葉、真っ先に何か言葉を聞き間違えたのか考える。幼馴染も驚いたのか、ピタリと動きを止めていた。
カチカチと時計の動く音だけが部室に響く。
「脱衣じゃんけんさ」
「二回攻撃やめてください」
ぱちーんとウィンクを飛ばしてくるから、それが冗談なのか判別が出来ない。
「冷静に考えてくださいよ。いくら馬鹿だろうとも曲がりなりにもこいつは女子なんです。自分から勝負にのるはずないじゃないですか、なあお前もそう思うだろ?」
「脱衣じゃんけんをしよう!」
「……お前もしかして女の子じゃ無かったのか?」
パチンと頰を打つ音、手首のスナップの効いたいいビンタ。揺れる視界のまま素直に頭を下げた。
「ごめんなさい」
「素直でよろしい」
「それで彼女は了承したけど君はやるのか、それともやらないのかい?」
ほぼほぼ敗北が確定した勝負だ、だからこそこの馬鹿も勝負に乗ったのだろう。
つまり頷いた時点で俺が脱衣する未来が待っている。
それでも俺は、迷い無く頷いた。
「……やってやろうじゃないか」
彼女の慢心が見えたから、ならばそれを完膚なきまでに叩き潰してやりたかった。
そして自分が男ならば、ならば俺はここから逃げちゃいけないと思ったから。
興味深そうに目を細くする先輩と、幼馴染が腕まくりをするのを片目に俺はちらりとズボンの中を覗き込んだ。
「そう言いながら自分のパンツをチェックするのめちゃくちゃダサいよ」
「私もそれはちょっとダサいと思うな」
ビンタされた痛みが遅れて伝わったのか、黙って目元を拭った。
●
「じゃあルールの確認をしようか」
先輩は段ボールを漁りながらそう言った。
「進行役は私が勤めさせてもらうよ、とりあえずグーチョキパーの三種類以外出したら負けだ」
「うおおおおおおおお!」
「ちゃんと先輩の話を聞けよな……」
幼馴染はものすごい勢いで一人じゃんけんをしていた。こんな様でも圧倒的に俺より強いのだから、なんたる理不尽か。
「ゆ、指がつった……」
「あーもう言わんこっちゃない」
「
「やれます、やらしてください!」
なにやら少年漫画のテンプレらしくなってきたな、この流れで行くと負けるのは俺なのだけれども。
「私がルールブックだから、それ以外の細かなことは私のジャッジで決めさせてもらうよ」
「それより先輩、さっきからなに探してるんですか?」
「いや、ね。ゲームの開始を告げる道具を探そうとしてるだ――おっ、あった」
そう言って段ボールから取り出したのは
「……木魚とりんがなんであるんですか?」
「私の二代前の先輩が神社の家の子でさ」
「普通木魚といったら寺だと思うんですけど」
「ああ、間違った。自称神社の家の子でね」
「一気に胡散臭くなりましたね」
「で、彼女は木魚に手を噛まれたパントマイムが得意だったんだよ」
「へえー、確かに手入れる隙間有りますね」
木魚って継ぎ目がないんだなーと言いながら躊躇なく手を突っ込む幼馴染を横目に、どんな先輩だよと突っ込みたかったものの、先輩はいたって真面目な様子。どうやら本当のことらしかった。
「それで彼女も卒業していったわけなんだけど、後輩たちにそのパントマイムを受け継いでもらおうとこの木魚を残したってわけさ」
「先輩もそのパントマイム出来るんですか?」
「私がやるわけないだろう」
酷く苦い顔、多分先輩もやらされたことあるんだろう。
そんな思考の合間にチンチンチンとりんを鳴らす音が響き続けている。
目を向けると指がつったのは何処へやら、幼馴染が一心不乱に叩いていた。
「うるさいからやめろ!」
「もうちょっともうちょっとだけ、あっ」
声をかけられて集中を乱したのか、手からすっぽ抜けたりん棒が机の下へと転がっていった。
指図されるまでもなくそれを拾い上げようとかがみ込む。幸いすぐに見つかって立ち上がろうとしたところ、何か物が落ちる音がした。
音がした方向は先輩が立ってる方向、なるべく足を見ないようにそちらに目を向けると、何か箱のような物が落ちている。
「先輩、何か落としましたよ」
なんだろう、あれは。
目を凝らしてそれが何か判別しようとし、それより先に手が掻っ攫っていった。
そんなに大事なものだったのだろうか?
取るものも取ったし上に戻ろうとしたけれども、先輩もまた下に潜り込んできた。
なにやら冷たい目線。しかしそれを気にするより、自分の意識は先輩のスカートに向かっていた。
ぎりぎりの所で見えそうで、見えない。
俺の視線を無視して、先輩が尋ねて来る。
「何を落としたか、見えたかい?」
「……見えなかったです」
「なら大丈夫、か」
結局なにも見えないまま先輩は戻っていき、多少失望しながら俺もまた上に戻った。
りんとりん棒を先輩に渡し、幼馴染と向かい合う。
「ふふふ、婿に行けない身体にしてやろう!」
「その煽り文句は色々と問題があると思うんだ」
「でもちゃんと責任持って引き取ってあげるから感謝してよね!」
「そんなやる前から絶対勝てると思ってると足元掬われるぜ」
少なくとも服を脱ぎ切るまでに一勝はできる筈だ、多分。
「準備はいいかい?」
「いいですよ」「オッケー!」
「それじゃ、いくよー」
りん棒が振り下ろされ、凛と綺麗な音が響き渡った。
それをきっかけに声が綺麗に合わさる。
「「じゃんけん、ぽん!」」
パーとチョキ
こちらがパーで、あいつがチョキだ。
「いやったあああああ!」
「たかが一勝ごときで調子に乗るなッ!」
「いやそれにしても相も変わらず、君はじゃんけんが弱いねー」
ルールに従いブレザーを脱ぎ、幼馴染が差し出した手にそれを渡した。すぐに机の上に置いてくれると思いきや、何やら物欲しげな目で服を見つめている。
「俺の服に何もするなよ」
「わ、わかってるよ!」
動揺、こいつは一体何をしようとしていたのか。
まあいい、一つため息をついてアドバイスを求めることにした。
「先輩、俺なんかじゃんけんするときに癖とかあるように見えます?」
「いや私から見てもそんなものがあるようには思えないね」
「ですよね、なんでこんなにじゃんけんが弱いんだか」
「……まあ一つ予想はついてるんだけどね」
何かが聞こえた気がしてまた先輩の方を向くも、ただクールな笑みを浮かべるだけで、それを答えようとはしなかった。
「やあやあ、じゃんけんクソザコナメクジ君」
「どんなあだ名だ、名前が長すぎるだろ」
「一つアドバイスをしてあげようと思ったんだけど、いらないか」
「お願いします」
手のひらがくるりと回る。溺れるものは藁を掴む、それがたとえ勝負の相手から流されたものだとしても。
もったいぶりながら、彼女は自分の考えを語った。
「私ロブスターのことすごいと思うんだ。だってチョキしか出せないのに、それでも心の底から勝てると信じてるから」
「いやザリガニは身体の都合上チョキしか出せないだけだと思うんだが」
「お前ッ、ロブスターのことをザリガニって呼ぶな!」
「えぇ……」
「ロブスターは海水、ザリガニは淡水って覚えておくといいよ」
そんな無駄な知識を先輩が呟く中、俺はそのアドバイスがどういう意味なのか思考を巡らせていた。
「つまりお前はロブスターの如くチョキを出せばいいって言いたいのか?」
「ロックな生き方をしろってことだよ、チェリーボーイ」
「だれが童貞じゃ、こら」
「チョキだったりグーだったり、もうめちゃくちゃじゃないか」
先輩はコロコロと鈴を転がすように笑いながら、りんの淵を指でなぞっていた。
でもまあ、何が言いたいかは分かった。
要するに自分が勝てると心の底から信じられれば良いのだ、もしかしたらあいつはそういう意味で言ってないのかもしれないけれど、多分そういうことだろう。
「それじゃあ、次いこうか」
「はい」「よろしくお願いします!」
りんと音が響き渡り、それに合わせて手が動く。
結果はチョキとグー。
俺がチョキであいつがグーだ。
「え、本当にチョキを出すの……?」
「たまたまだ、たまたま!」
無意識に前の話につられた可能性はあるかもしれないが、決して俺はロブスターを信仰しているわけではない、ないったら無い。
「フッ……だがまだ二敗め、勝負はこれからだ」
ネクタイを解き、机の上に置いた。
「ネクタイ一個しかとらないなんてずるい!」
「でも先輩は特になにもいってないからセーフだぞ」
「私から見てもほんのちょっとだけずるいと思うけど……まあ、ありだろうね」
「そんなぁ」
ガックリと肩を下ろす幼馴染を見て、俺は高笑いをあげた。
「これが学校制定の2000円ぐらいのネクタイの価値だよ、ハハハ!」
「でも次負けた時ベルトだけを外すとかなしだよ」
「なぜ俺が考えていることがばれた……?」
「君は同じことを二度三度と繰り返しがちだからね」
幼馴染が何かゴミを見るような視線を向けてくるが、知ったことでは無い。最終的に勝てば官軍なのだ。
「おいおい文句あ――」
三度目、俺の言葉を遮るようにりんという音が響く。
いきなり予告なしは酷すぎる。そう抗議しようとしたものの、準備万端だった幼馴染が動き始めてるのを見て、慌てて手を動かした。
人差し指とグー。
俺は呆然と何者にもなれなかった右手を見つめていた。
爆笑している幼馴染を無視して、先輩に視線を向ける。
自分でもことの元凶であることをわかってるのだろう。笑いを必死に抑えつつ、目を合わせようとしない。
「うん、まあ……君の負けだ」
「そうだと思ったよちくしょう!」
「フッ、ねえねえ何を出そうとしたの、何を出そうとしたの」
自分の前でうろちょろと反復するのを無視してワイシャツを脱ぐ。残るは肌着とズボンだけ。
綺麗に五敗で全部脱ぐことになるわけか。
一度も勝つことなく、それでいて三枚抜きされるのはやっぱり自分が異常に弱いからだろう。
だがそれも計算通り、むしろこの方が好都合。
机を周り反対側へいた先輩へと近付く、怪訝な目で見られているがそんなことどうだっていい。
「先輩、ちょっと耳を貸してもらっていいですか?」
「ん、なんだい?」
初めから考えていた案を先輩に囁いた。
「それはちょっと、不平等じゃないか?」
「わかってますよ、だから一つ条件をつけます」
難色を示すのは分かっていた、だからそれを通すためにもう一つ。
「……ん、それならいいよ。だけど私から一つ条件を加えさせてもらうけど」
「大筋が守られればいいんで、あとはお任せします」
また幼馴染の対面に立ちはだかる。
勝つための条件はこれで揃った。
「ルールを追加するよ。四回以上連続であいこになった場合、次のじゃんけんで負けたものが全部脱ぐ、だ」
「「はあ!?」」
俺も彼女も両者まとめて驚きの声をあげた。
加えられた条件が明らかに厳しすぎる。提案したことは次の勝負で服を全部賭けること、それに見合う縛りを提案したはずだが、先輩にとってあまりに不足していたようだった。
そしてまたもう一つ、ルールが付け足された。
「そしてもうすでに三敗してる君は、次負けた場合全部脱ぐ、いいね?」
「……わかりました」
これも自分が提案した条件ではない。
だが二敗が一敗に変わるだけ、それならあんまり苦にならないだろう。
「先輩、もし私が負けたとして、それが四回未満のあいこだったらどうなるんですか!」
「その時は普通に脱ぐ、いつもと変わりはないさ」
「わかりました!!」
ぶんぶんと勢いよく首を振って、俺の方へ向き直る。
もしかしたら一発で全部脱ぐことになるかもしれないのに、確固たる自信は揺るがないようだ。
「全部脱ぐ、つまりパンツも脱ぐってことだよね」
「お前……正気か?」
前言撤回、幼馴染も冷静さを欠いているようだ。
先輩に答えを伺うと黙って頷いた。
本当に脱がなきゃいけないのか、これは――負けられない。
意識を集中させる。
四回連続あいこ、つまり三分の一を四回通す必要がある。
81分の一、そして今日一度もあいこになってないことを考えればもっと確率は低くなるだろう。
その上で勝つ必要がある。
だがここから一敗未満で衣服を全部剥ぎ取る確率より、可能性が高いのは事実だ。
そして、凛と音が鳴る。
「「じゃんけん、ぽん!」」
グーとグー。
今日初めてのあいこ。
頰を汗が一筋伝った。
「……まずは一つ」
「まだまだぁ!」
凛と再び音がする。
「「あいこで、しょ!」」
チョキとチョキ。
二回連続あいこ。
やれる、そんな予感がした。
「二回目」
「ぐっ……」
ここで今日初めて幼馴染が苦しそうな顔をした。
まだまだ余裕はあるはずなのに、圧倒的優位に立つのは自分のはずなのに、次第に追い込まれてるのを自覚したのだろうか?
三度、凛と音がする。
「「あいこで、しょ!」」
刹那、嫌な予感がした。
パーを出そうとしてとっさに拳を握りしめる。
「三回目」
「な、なんで……?」
内心は冷や汗ダラダラだった、
それじゃあ、ダメだ。
まだ二回しか積み上げられてない。
「あと一回だな」
「ひっ……」
俺の気迫に押されて、数歩後退りする。
あと一回、三分の一を通す。
だが、絶対にあいこになると言う予感があった。
その予感を彼女もまた感じたのだろう。
今日何度も聞いた音が再び鳴る。
「「あいこで、しょ!」」
パーとパー。
四連続あいこ、これで81分の1をようやく通すことに成功した。一つ深く息をつく、これでようやくスタートラインだ。
「……ふふっ」
「どうした?」
追い込まれた幼馴染から笑い声が聞こえた。
下げていた顔を上げた。手強い、先ほどの追い込まれた表情とは打って変わって余裕のある表情。
「
「……チッ」
「次で勝てば良い。次は、絶対に勝つ」
流石にそう容易く勝たせてくれはしないか。
あと一勝が遠い壁なのだ。あいこ四連続に成功しても、まだ0勝と言うのは変わらない。
「これが最後の勝負だよ」
「望むところだ」
次で勝負が決まる、二人の間でその考えが一致した。
凛と最後の音が鳴らされた。
世界が一瞬だけ限りなく引き伸ばされ、時間がスローモーションに見える。
これならば――。
「「あいこで、しょ!」」
そして決着が、ついた。
握りしめた拳を無言で天へと突き上げる。
グーとチョキ。
俺がグーで、あいつがチョキだ。
「俺の……勝ちだッ!!」
「私が……負けた……?」
幼馴染は虚ろな目で地面にへたり込んだ。
「ふふ……負けは、負けね。ルールの追加があったとしても、その難しい条件をクリアしたのも事実。一回勝ちさえすればよかったのに、それすら出来なかった私が悪い、か」
そう言いながら、おもむろに服に手をかけた。
慌てて先輩に声をかける。
「先輩、
「はいはい、了解」
「え?」
予想もしない方向から声がした。自分の背後、慌てて振り向こうとして、首筋に強い衝撃が走る。
え、なんで?
そんな疑問さえ暗闇へと飲み込まれていった。
ゆっくりと微睡む意識が引き上げられる。
ほんの少しの肌寒さ、数度瞬きをしてすぐさま体を起こす。
「お、やっと起きたのかい。もう少し寝てるようなら起こさなきゃと思ってたところだよ」
「ここは……?」
「部室だよ、脱衣じゃんけんから1時間ぐらい経ったところさ。とりあえず早く服をきたまえよ」
言葉も言い終わらないうちに、頭上から次々と俺が脱いだものが降ってくる。
夕日が差し込む茜色の部室。
いつもの騒がしい幼馴染の声はかけらも聞こえず、静かな部室だった。
「あいつ、もう帰っちゃいましたか?」
「全く起きる気配がなかったからね、私が残るといったらさっさと帰っていったさ」
「そうですか、っと」
靴下を履き、ワイシャツに袖を通した所で何か足りないことに気づく。ネクタイ、そうネクタイが見当たらない。
「先輩、俺のネクタイ知りませんか?」
「机の上に置いてあるよ」
「おっ、あったあった」
未だ床から立ち上がっていなかったから、それに気づかないのは当然のことだった。
それを手に取り、手慣れた手つきで結ぶ。
あとはブレザーさえ羽織ればいつも通りの格好だ。
「調子はどう?
「大丈夫ですよ。ただまあ、俺が攻撃されるとは思いませんでしたけど」
それが最後に服を全部賭けにするための条件であり、俺のお願いだった。
勝つことによるリターンがかなり少なくなるが、その条件がなければ俺が勝つことは不可能だとわかっていたからこそ。
『私がルールブックだよ』
その言葉を聞いた時点で先輩を味方に引きずり込む構図を描いていた。先輩の行動原理は愉悦である、要するに楽しければいいのだ。
そしてある程度の公平性を持っている。
例えばお金をあげるからじゃんけんの勝敗を無理やり捻じ曲げてくれとかは乗らないだろう。
あくまで条件を付ける、そこらへんが限界だろうと見極めた。
「ま、それは許してくれよ。彼女脱ぐことを止めようとしたら逆に無理やりでも脱ごうとしただろうからさ」
「否定しきれないのが怖い所ですね……」
だからこそ対戦してる俺ではなく、審判を務める先輩に仲介して欲しかったのだけれども、まあどちらにしろ結果オーライならそれでいい。
もうすっかり帰り支度を終わらせてカバンを持ってるのを見て、俺も慌ててブレザーを羽織り鞄を手に取った。
「先輩、今日は楽しめましたか?」
「うん、今日も楽しかったよ」
「それは」
その先の言葉は帰宅時刻を告げる放送が無粋にも遮られてしまった。仕方がなく放送が止むまで口を噤み、ふと一つ思い付く。
「先輩、一度だけじゃんけんしましょうよ」
「べつにいいけど君はものすごく弱いだろ?」
「今の俺はひと味違いますよ」
なんとなく壁を乗り越えられた気がした。
それを忘れないうちにもう一度だけ。
苦笑しつつも、腕を捲って先輩は答えてくれた。
「しょうがないな、一回だけだよ?」
「いいですよそれで、それじゃあいきますよ」
「「じゃんけん、ぽん!」」
二つの手が導き出した結果を見て、俺は一つ笑みを零した。
●桃色メランコリック
予想もしない終わり方をした脱衣じゃんけん。
幼馴染の起死回生の一勝により、私の完敗になる筈だった。
「はじめに決めた通り、続行不能になったから君の勝ちだ。もう脱がなくていいよ」
「えっ……えっ?」
そうぬけぬけと言い放つのは、この場面を作り上げた元凶の先輩である。ブレザーに手をかけたまま私が状況を飲み込めないのをさておいて、彼女は本を読む日課に戻っていた。
何か相談しようにも、幼馴染はノックダウンされているし部長は特になにも話す気も無さそうで。
聞きたいことは幾らでもあるけれど、あまりにも多すぎてほんの少しだけ時間が欲しくて。
一つわかるのは、脱がずに終わったのは良かったという気持ちと、なんとも形容しがたい奇妙な敗北感だけ残っていた。
「……なんだろうこれ」
先輩も私も別に彼をどうこうしようともせず、従って彼はまだ地面に崩れ落ちたままだ。
よいしょっと彼の近くに屈み込む。綺麗な顔、微かに頰に赤い跡が残ってるのはビンタのアレだろう。
ほんの少しの好奇心に後を押され、幼馴染の頰を突っつくと程よい弾力が返ってきた。されどそれ以上の反応はなく、寝たふりではなく完全に落とされてるのだろう。
ひとしきり頰の感触を堪能したところで、うんと一伸びしてため息をついた。
机の上に置かれたブレザーやその他諸々を隣にずらし、幼馴染の席に今度は私が座る。先輩の位置の対面、話すには絶好の位置。
「先輩、なんであいつに攻撃したんですか?」
「それは勝負の前に彼に頼まれてたからだよ。もしあの馬鹿が服を全部脱ごうとしたのなら、それを止めてくださいってね」
「……たぶん自分自身が攻撃されるとは思ってなかったと思うんですけど」
「だろうね。でも君は止めると意固地になって無理やり脱ごうとするだろうから、ならこれが一番手っ取り早いだろう?」
まったく意味がわからない、ならじゃんけんをする意味がないじゃない。
そして私がほんの少しムカついたのは、私が服を脱ごうと興味がないという意思表示に見えたからだ。
「私、そんなに魅力ないですかね」
「私から見れば君も
ほんの少しムッとする。
普通じゃダメなのだ、少なくともこの人の前では。
「でも、あいつは見ようとしなかったじゃないですか。それって私が脱いだって価値がないってことじゃないですか?」
「ああ、君はそう思ってるんだね」
本をパタリと閉じて先輩は綺麗な笑みを浮かべた。女の私でもどきっとするような、そして嫉妬すら抱くようなそんな笑み。
「彼は今を大事にしてるからこそ、君が脱ごうとするのを止めたんだよ」
「今?」
「そう、今。もっと具体的にいうのならこの三人だけの部活生活と言うべきかな。君が脱いだらそれが崩れてしまうと思ったから、だから止めた」
「私が脱いだらダメだと思ってるのに、自分は脱ぐんですね」
「そりゃ私も君も、彼が脱いだところで気に留めやしないだろう?」
さも当然のように同意を促してくる。いや私は少しは気にするんだけども、そう言うのには少々小恥ずかしかった。
「私が言うのもなんだけどこの部活、この時間、私も結構気に入ってるんだ。たぶん彼もそうなんだろうね。そして、君もそうだろう?」
先輩ははにかみながらもそう言った。
それを聞いて私は首を深く縦に振る。
私にも同じ気持ちはあるから、ただそうなると一つだけ疑問が浮かぶ。
「ならば脱衣じゃんけんをしなければいいんじゃないですか?」
「……それは私じゃなくて、彼に聞いてくれ」
流石に先輩でもその疑問に対する答えは持ってなかったのか、ふらりと先輩は立ち上がって、ゆらゆらと部室の外へと出て行った。
特に声をかけることなく、黙って見送る。たぶんトイレにでも行ったのだろう。
二人のように本を読むでもなく暇を持て余す。未だ起きる気配はなく、とにかく一人で何かできることをだ。
何か時間を潰そうと周りを見渡せば、真っ先に目に入ってきたのは幼馴染のブレザー。
なにげなく手に取り、前に掲げてみる。サイズは私が着てるものより明らかに大きく見えた。
そんな思考を割いてむらりと、よろしくない考えが鎌首をもたげた。
周りの視線がない今は絶好のチャンスなのではないか?
だってバレなければ罪じゃないのだから。思考のストッパーは完全に外れていた。
迷いなく顔をブレザーを埋めて、肺いっぱいに空気を吸い込む。
ああ、なんたる至福の時だろう。
えへへとよだれが出るのを必死に抑える。ブレザーを汚したら面倒なことになる。ただ鏡を見なくとも私が気持ち悪い笑みを浮かべてることだけはわかった。
本人が見てたらドン引きされる光景だ、すぐさま止めにかかるだろう。ただ、彼はまだ意識が戻らないのだ。
しかし、その行いを咎めようとするものが一人。
一人の馬鹿が幸福の絶頂にいる最中、カメラで撮影する音が響いた。
すぐさまドアの方を振り向く。そんなまさか、速すぎる。
嘘だと祈っても現実は非情であり、それが覆ることはなかった。
視線の先に悪魔のような笑みを浮かべる先輩が居た。
◯元凶の話
彼と二人で途中まで帰宅の道を一緒にし、私も家に着いた。
自分の部屋のドアを後ろ手に締め、ようやく安堵の息を吐く。
全部自分の狙い通りに行った。
興奮を隠せず震える手で時間がかかりながらも、ポケットに仕舞われた
一つそれに口づけをして、机の上に置く。
「まさか、ここまでうまくいくとはね……」
2000円弱の出費はあったものの、それ以上のリターンは得られた。
ほとんど計画通りに。
脱衣じゃんけんの提案も、入れ替える用のネクタイも、彼が絶対にネクタイを外すだろうことも。
唯一の予想外は彼が最終的に勝利したことだった。
もし俺が勝ったのならばあいつが脱ぐことを止めさせる手伝いをしてくださいなんて、絶対に起こらないことだと思っていた。
まあ、だからこそ、私は彼が好きなのだ。
入れ替えてもバレにくいと思っていたけれど、やっぱり彼が気付くかどうか内心ヒヤヒヤだった。
そしてネクタイを手に入れたから、また欲が出てくる。
次はブレザーを、ただネクタイと違ってバレる恐れが格段に高い。
まあ一人協力者ができたことでやれることも増えたし、無理を通す為に策を考えるのだ。
ゆっくりと、次の計画を私は一人考える。
「絶対に、君のこと逃がさないから」
TSした友人と脱衣じゃんけんする短編ですか?
できらぁ!
いつかやるやる法隆寺