一月下旬の一番さむい時期だというのに私はなぜかプレハブでできた部室にいる。しかし、私は寒さを感じない。いや、実際には寒いのかもしれないが寒さを感じないのだ。
「先輩、お餅そろそろ焼きあがりますよ」
「おう」
私の先輩は部室に設置されている暗室で写真をプリントしている。友人のサッカー部員を撮った写真をコンテストに出すらしく、私は先輩の作業を手伝っていたのだが、「小腹がすいたからこの餅焼いて」と言われ部室になぜか備え付けてあるホットプレートで餅を焼くことになった。
学校の部室で餅を焼いた経験がある女子高校生は私くらいしかいないのではないだろうか。そう思いつつも香ばしいにおいがする餅をペタペタとひっくり返しているのであった。
「先輩、焦げますよ!」
「今行くって」
水道で手を洗う音が聞こえたと思ったらカーテンとドアが開き、白衣を着た先輩が手をびっしょりと濡らしながら出てきた。
「先輩、またハンカチ忘れましたね」
「なんでわかったんだよ」
「いや、この状態でわからない人はいないと思いますが」
「悪いんだけどハンカチ貸してくれます?」
「仕方ないですね……今回だけですよ」
「ありがとう」
雑に手をふく先輩。人のものを借りているという感覚はないのであろうか。まあ彼のことだからないかもしれない。
「で、先輩。今回の写真の出来はどんな感じなんですか?」
「うーん。今回こそ行けるんじゃないかな」
ホットプレートから餅を皿に移す先輩。それを私に差し出す。
「そのセリフ前にも聞きましたよ」
「そうだっけ?」
先輩はそうやって毎回コンテストの写真を出す準備をしているときは自信満々でいるのだが、一度も入選したことがない。
「はい。2、3回聞きました」
すると先輩は、餅を頬張りながら、
「もうね、過去のことなんてどうだっていいんだよ。今回の作品は絶対いけるって」
「先輩、みかん食べます?」
「おっ、良いの?ありがとう!」
私はこんな先輩と一緒にいるこの時間が好きだ。こんな時間がずっと続けばいいと思っている。
「やっぱり四つ切くらいに引き伸ばすと印象がだいぶ違ってくるね」
「でも写っているものは同じですがね」
「いやでも印象は全然違うって」
今の時代四つ切の印画紙はかなり高価だ。先輩はフィルムで撮影してレンズで引き伸ばしをすることにこだわっているのであるが、問題は作品のほうにある。こだわるところを間違えているとしか言いようがない。
「ほら、この間のプールの写真とかすごくよかったじゃん」
「ええ、構図以外は」
はっきり言ってあの写真は何を写したいのか全く分からないといえるようなものだった。この先輩はほかの人には見えない何かを写していたに違いないだろう。
「どうせ僕は構図がドヘタクソだよ」
ホットプレートにあったはずのお餅はもうそこには影も姿もなかった。よっぽど先輩はお腹が空いていたのであろう。
「先輩、その……」
「どうしたんだ?」
「どうでしたか?」
「何が?」
「いや、何でもないです」
「そうか。よし!お腹もいっぱいになったことだしほかの写真もとっとと仕上げるかぁ」
「私も手伝います」
「ありがとう」
オレンジ色のランプに照らされた暗室。流しっぱなしの水道。引き伸ばし機にセットされたフィルムの影が、印画紙に照らされる。そしてその印画紙を、現像液に浸して攪拌すると像が浮かび上がる。
「現像液に入れる前は全く像が見えないのにこうして浮かび上がってくるのは何か神秘的です」
「ああ。この瞬間はいつ見てもいいね」
「この印画紙に像として浮かび上がることがないものってこの世には存在しないのでしょうか」
部室の玄関には、靴は一足しかなかった。