第十一話『目覚める者』
ハリー・ポッターは考えた。それは、アルバス・ダンブルドアに復讐する方法だ。
相手は五体満足の今世紀最強の魔法使い。不意打ちを仕掛けたところで、ヴォルデモートのようにアッサリとはぶっ殺されてくれないだろう。相手との実力差も分からない程、ハリーは愚かではなかった。
ヴォルデモートの時は完璧な不意を打つ事に加えて、エグレというジョーカーと、相手の手の内を一方的に知り尽くしているというアドバンテージがあったからこそ実行に踏み切った。
更に付け加えるのなら、ヴォルデモートは殺してもいい相手だった。
ぶっ殺す事に成功するのなら、後で司法に追われようとも構わない。けれど、失敗した場合はダンブルドアに復讐する事が不可能となってしまう。
「力を蓄えないといけないな。ヤツを確実に始末出来る実力を身に着けなきゃいけない」
ダンブルドアをぶっ殺す時は、自分自身で手を下す。
ヴォルデモートの時はエグレ自身が望んだ事に加えて、それ以外に倒す術がなかったから妥協したが、ハリーはこれ以上エグレを道具のように扱う気はなかった。
その時が来たのなら、誰か信頼のおける人物に預けるか、安全な場所に解き放つ事になるだろう。
ハリーはその時の事を想像して、少し切ない気分になった。
「エグレに会いに行くか……」
◆
「ハリー!」
秘密の部屋に行くと、そこにはニュートの姿があった。
「ニュート。先日はすみませんでした。あなたに無礼な態度を取ってしまった」
「とんでもない! 僕の方こそ、配慮が足りなかった」
ニュートは申し訳なさそうに頭を下げてきた。
ハリーは驚いた。子供が大人に頭を下げる事はあっても、大人が子供に頭を下げる事なんて滅多にあるものじゃない。
「あ、頭をあげてくれ、ニュート!」
ハリーにとって、ニュートは尊敬するべき人物だ。だから、彼には頭を下げて欲しくなかった。
それでも、ニュートは中々頭をあげてくれなかった。
そして、そのままの状態で口を開いた。
「……ハリー。僕は偉そうな事を言える程、立派な人生を歩んできたわけじゃない。だけど、一つだけ君に伝えておきたい事があるんだ。聞いてくれるかい?」
ハリーは目を丸くした。ニュート程立派な人間など、世界中を探しても早々見つからないとハリーは確信していた。
狼人間登録簿、実験的飼育禁止令の樹立、そして何よりも、《幻の動物とその生息地》の執筆。これらの功績は紛れもなく偉業と呼べるものだ。
特に狼人間登録簿をほぼ独力で完成させた事にハリーは畏敬の念を抱いた。狼人間は魔法界でも極めて危険な存在であり、今でも彼らと魔法族の関係は緊張感に満ちている。
彼には類稀な勇気があり、誰にも負けない強さがある。
「あなた以上に立派な人生を歩むのは、並大抵の事では無いでしょう。聞かせて下さい」
「ありがとう、ハリー。僕から君に伝えたい事は一つだ。自らの死に直面した時、悔いの残らない人生を歩んで欲しい」
ニュートは言った。
「僕の人生にも、苦しい事や怖い事、悲しい事は山程あった。それでも、僕は満足している。今、仮に足を滑らせて頭を打って死んでしまっても、僕は笑顔を浮かべる自信があるんだ。迷ってもいい。怒ってもいい。法律だって、校則だって、そんなのは破ったって構わないんだ」
「隨分とロックな事を言いますね」
「僕も若い頃は幾つも破ったからね」
「校則を?」
「法律も」
ニュートはニヤリと笑った。ハリーもつられて笑った。
「大事な事は、君が笑って死ねる人生を歩めるかどうかなんだよ。何か行動をする時は、常にその事を考えてほしい。この行動を取った後、果たして自分は笑えるのか? そう、自分自身に問いかけて欲しいんだ。僕は君を大事な友人だと思っている。友人には幸福でいて欲しいんだ。そうでなければ、僕は笑って死ねなくなってしまう」
「……ニュート」
ハリーは困ってしまった。
「あなたはわがままだ」
「ごめんね」
ハリーは深く息を吐いた。
ダンブルドアとニュート。ハリーにとって、どちらが重い存在か、考えるまでもなかった。
けれど、憎しみが消える事はない。
「……分かりました、ニュート。あなたには、笑顔でいて欲しい」
「ありがとう、ハリー」
いずれにしても、今のままでは力が足りない。
だから、今のところはこの憎しみを心の奥底に封じ込めておこう。
ハリーは拳をかたく握りしめながら思った。
「そうだ、ハリー。今日は君に見せたい魔法生物がいるんだ」
ニュートはハリーを自らのトランクの中へ招待した。
ハリーのトランク以上に広く、まるで別の世界が広がっているかのような空間に、様々な種類の魔法生物達が蠢いている。
中にはニュートだからこそ飼育を許されている珍しい生物もいた。ハリーが興味を持つ度に、ニュートは心底嬉しそうに解説する。
その時間を、ハリーは特別なものに感じていた。
「ほら、ハリー。美しいだろう? オカミーだよ」
「これが……」
ニュートの言う通り、それはとても美しい生物だった。一対のつばさを持った蛇のような姿をしている。その鱗は鮮やかな色合いでなんとも美しかった。
「実は、オカミーにパーセルタングが通じるかを君に確かめてもらいたくてね。ほら、蛇に似ているから」
「ああ、なるほど。試してみます」
ニュートの頼み事を快く引き受けて、ハリーはオカミーに囁きかけた。
『やあ、こんにちは』
けれど、オカミーの鳴き声は、ただの鳴き声としてしか聞こえなかった。
「……駄目みたいですね。オカミーは蛇じゃないようだ」
「そうか……、残念」
しょんぼりするニュート。
その後も、二人はトランクの中の世界で魔法生物達に囲まれながら時間を過ごした。
ハリーのささくれていた心は、いつの間にかなだらかになっていた。
第十一話『目覚める者』
暗闇の中、一匹の屋敷しもべ妖精が忙しなく動き回っていた。彼の名前はクリーチャー。古き偉大な純血の一族、ブラック家に仕えている。
ここはグリモールド・プレイス12番地。ブラック家の居城である。
「……ふん」
埃一つ落ちていない廊下を丁寧に掃き清め、ピカピカに磨き上げる。使ってもいない食器を一枚一枚洗っていく。整えられたままのベッドをメイキングし直す。
彼はその行動を無駄とは思っていない。偉大なるブラック家の屋敷の管理を任せられているという誇りが、彼に与えられた返礼無き献身に対する唯一の報酬だった。
一日の仕事が終わると、クリーチャーは《レギュラス・アークタルス・ブラック》という名のネームプレートが掛けられた部屋に向かった。そこは、今は亡き、クリーチャーの最愛の主人の部屋だった。
レギュラスは純血主義者でありながら、屋敷しもべ妖精のクリーチャーを決して見下さず、大切にしていた。
そんな彼を死に至らしめてしまったのは、他ならぬクリーチャーだった。
もう、十数年も前の事だ。ヴォルデモート卿はクリーチャーに過酷な仕打ちをした。とある洞窟の奥地で、水盆に張られた毒液を飲み干させたのだ。特別な魔法が掛けられた水盆は、毒液を飲み干さなければ決して底にある物を取り出す事が出来なかったからだ。
レギュラスは衰弱しきったクリーチャーの姿に嘆き悲しんだ。そして、クリーチャーをそんな目に合わせたヴォルデモート卿に対して、深く失望した。
レギュラスの死は、《面白半分に死喰い人になって、途中で怖気づいた為に仲間の死喰い人に始末された》という風に世間では思われている。けれど、事実は違う。
彼はクリーチャーと共にヴォルデモート卿がなにかを隠した洞窟へ赴き、そこで水盆の毒液を自ら飲み干したのだ。衰弱し、水盆の中身の守護者として配置されていた亡者に、彼は水底へ引きずり込まれた。
クリーチャーは彼に命じられた。水盆の底にあった《奇妙なロケット》を破壊しろと。けれど、その命令は未だに遂行出来ていない。
トンカチで叩いても、魔法で爆破させても、火の中に投げ込んでも、何をしても決して壊れなかったのだ。
「……レギュラス様」
クリーチャーの為に怒り、クリーチャーの為に死んだ男。
そんな彼の最期の命令を遂げる事の出来ない自分を、クリーチャーは責めた。
どんな罰を自分に与えても足りないと、ポロポロと涙を零しながら自分を傷つけた。
そして、いつものように意識を失い掛けた時、不意に奇妙な音が耳に届いた。
【……いそうに】
クリーチャーは首をかしげた。この屋敷には、彼以外に誰もいない。ネズミ一匹すら入り込めないように強力な魔法が掛けられている。
唯一入る事を許される人物は、アズカバンの監獄に収監されている。
だから、物音などする筈がなかった。
【……可哀想に】
気のせいだろうと、自らの頭にトンカチを叩きつけようとしたら、また聞こえた。
ギョッとするクリーチャー。
声はクリーチャーの頭の中に直接響いていた。
【哀れだな……、クリーチャー】
「私に話しかけるのは誰だ!?」
クリーチャーは辺りをキョロキョロと見回しながら叫んだ。
【怯える必要はない、主人なき下僕よ。わたしはお前の味方だ】
どこか、聞き覚えのある声だった。不思議と、安心感を覚える声だった。
低く、それでいて艶かしく、耳に入り込んでくる。
「……あ、あなた様は」
クリーチャーは震え上がった。
そんな筈はないと思いながら、その声の主の名前を口にした。
「ヴォ、ヴォルデモート卿……」
十年前、ハリー・ポッターによって滅ぼされた男。
数日前、ホグワーツに現れ、賢者の石と分霊箱という古の魔法によって復活を目論んでいた事が暴かれ、再びハリー・ポッターに滅ぼされた男。
今度こそ、決して復活する事はないと、魔法省は日刊預言者新聞で断言していた。
【その通り。わたしこそが偉大なる闇の帝王、ヴォルデモートである】
クリーチャーは恐怖のあまり立っていられなくなった。
【恐れるな、クリーチャー。わたしがお前の望みを叶えてやる】
「の、のぞみ……? 叶える……?」
【そうだ、クリーチャー。お前の最愛の主を蘇らせてやろう】
その言葉に、クリーチャーの震えが止まる。
「レギュラス様を……?」
それは、恐怖よりも深い感情だった。
主の居ない屋敷の管理に不満を抱いた事はない。
けれど、時折考えた。
もし、レギュラス様が生きていたら?
もし、レギュラス様の為に料理や掃除が出来たら?
それは、どれほど幸福な事だっただろうか……。
ありえない妄想だと分かっていた。
もう、《クリーチャー!》と穏やかに呼んでもらえる日は二度と来ないのだと理解していた。
それでも、求めずには居られなかった。
「そ、そんな事が……、ほ、本当に?」
ありえない事だ。バカにしている。戯言だ。
そう、頭の中で理性が叫び続けている。けれど、心はまったく逆の事を叫んでいる。
【本当だとも、クリーチャー。わたしに不可能はない】
その声を聞く度に、クリーチャーの理性の叫び声は小さくなっていく。逆に、心の叫び声が大きくなっていく。
瞳は虚ろになっていき、頭の中で蘇ったレギュラスとの日々に想いを馳せ始める。
【わたしと共に主を取り戻そうではないか】
「……はい、帝王様」
いつの間にか首から提げていたロケットを手の平に乗せて、クリーチャーは恭しく言った。
◆
村を見下ろす小高い丘の上。そこには古びた館がある。窓には板が打ち付けられ、屋根瓦は剥がれ、蔦が絡み放題になっている。
かつて、この屋敷で奇妙な殺人事件が起きた。
殺害された一家三人は毒殺された跡も無ければ、刺殺されたり、殴殺されたり、射殺された様子もなかった。ただ、恐怖の表情が浮かんでいるだけで、死因となりうるものが何一つ発見されなかったのだ。
一家殺害の容疑をかけられていた庭番のフランク・ブライスは終始身の潔白を主張し、警察も決定的な証拠が無かった為に釈放した。その後、フランクは館の庭にある自分の小屋に戻り、館がいくつもの人の手に渡っても、庭の手入れをし続けた。
耳も遠くなり、足腰にもガタが来始めたフランクは、それでも懸命に働いていた。伸び放題になっている雑草を毟り、近所の悪ガキが肝試しに来れば怒鳴って追い返す。
代わり映えのしない日々。住みもしない癖に、館の持ち主になったどこぞの金持ちから与えられる給金で晩酌をするのが唯一の楽しみだった。
そんなある日の事だった。
【……フランク・ブライス】
夢の中で、フランクは誰かに呼ばれた。暗闇の中、声の下へ歩いていく。立ち止まったり、戻るという選択肢は頭の中になかった。それどころか、声の指示に従う以外の思考がすっぽり抜け落ちてしまっていた。
【その地面を掘るのだ】
地面を素手で掘り、手が汚れても、爪が割れても気にせずに彼は小さな指輪を見つけ出した。
その指輪を嵌めると、フランクは自分が何者なのかすら分からなくなった。
そして、自分が何者なのかを考える思考すら失った。
「……ふん。最悪だな」
フランクは表情を歪めながら呟いた。
「俺様がマグルの……、しかも、こんなジジィの体を使わねばならんとは……」
フランクは眼下に広がる村を見下ろした。
「……とりあえず、新しいボディを手に入れに行くか」
ゆっくりと彼は歩き出した。
この日、ロンドン郊外にある街、リトル・ハングルトンに住む青年が一人、姿を眩ませた――――。