【完結】ハリー・ポッターは邪悪に嗤う   作:冬月之雪猫

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第十九話『偉大なる叡智』

 長い夢を見ていた気がする。とても嬉しくて、とても楽しくて、とても腹が立って、とても悲しい夢だった。

 その夢が唐突に終わりを迎える。急に光が視界を満たした。

 気がつくと、ホグワーツの医務室のベッドに横たわっていた。

 

「あら、起きたのね」

 

 起き抜けには聞きたくない声がした。

 

「……グレンジャー」

 

 僕にとっての不倶戴天の敵。穢れた血の癖に、ハリーと並ぶほどの知性を持つ傑物だ。

 あまり認めたくはないけれど、僕は心の何処かで彼女に敬意を抱いている。

 それなのに、夢の中で、僕は彼女に酷い事を言ってしまった気がする。

 

「おはよう、ドラコ」

「……ああ、おはよう」

 

 夢の中の出来事だったのに、僕は後ろめたさを感じている。実にバカバカしい。

 

「あらあら、隨分と素直ね。寝起きだからかしら?」

「……うるさい」

 

 普段と変わらない彼女に、少し安堵した。やっぱり、あれは夢だったのだろう。

 

「僕はどうして医務室に? ハリーはいないのかい?」

「覚えていないの?」

 

 僕の質問に対して、グレンジャーは質問を返してきた。

 

「どういう意味だ?」

「……今はイースター休暇の真っ最中よ」

「イースター……? 待て! 4月なのか!?」

 

 僕は飛び起きた。夢と現実の記憶が曖昧だ。けれど、前に眠った時は12月だった気がする。

 それから4ヶ月も経過している事に気が狂いそうな程驚いた。

 

「どうなっているんだ!? 僕は、なんで!?」

「落ち着いて、ドラコ。説明するわ。あなたの身に何が起きたのか……」

 

 それは、とても長い話だった。そして、それは僕が知っている話だった。

 夢と現実に記憶が徐々に結びついていく。

 クリスマス休暇で自宅に帰った僕を待ち構えていたのは、ヴォルデモートの分霊だった。

 アイツは父上と母上の魂を貪り、魂でありながら実体化していた。そして、僕の魂も食い荒らした。

 それからはアイツが僕になった。

 ホグワーツに戻ってくると、アイツはハリーに執着した。友達になろうとしていた。

 忌々しい事に、アイツの感情が僕の感情として刻まれている。

 ハリーと闇の魔術を研究する時間をアイツは楽しんでいた。喜んでいた。

 寂しかった心が満たされていく感覚は、例えようもない程に素晴らしいものだった。

 

 けれど、どんなに楽しい時間も、やがては終わる。

 ハリーは初めからアイツの正体に気付いていた。

 気付いていながら、アイツを倒す為に刃を研いでいた。

 最後の瞬間は、実にあっけないものだった。哀れにすら思うほど……。

 

「……そっか」

 

 グレンジャーがすべてを語り終えると、僕はベッドから降りた。

 

「ハリーはどこに?」

「たぶん、まだ大広間ね。一緒にお見舞いに行かないか誘ったけど、資格がないって断られたわ。思いつめた表情で」

「資格?」

 

 意味がわからない。

 

「彼の言葉、そのまま伝えてあげる。《ボクにはドラコを見舞う資格などない。……ドラコを殺そうとした。賭けには勝ったが、その事実は変わらない。その為の覚悟だ。殺しても、殺さなくても、ボクは大切な友を失う事になる。……だから、こんなに時間が掛かったんだろうな。本当は、もっと早くに実行出来た筈なんだ》ですって」

「……なるほど」

 

 確かに、あの時のハリーは殺意を抱いていた。

 アイツが僕の体を捨てなければ、そのまま僕ごと殺していた筈だ。

 彼の覚悟は、友を殺す覚悟であり、友を失う覚悟であり、その罪を背負う覚悟だった。

 

 彼は僕を殺す覚悟を決められる男だ。

 それは、とても恐ろしくて、とても悲しい。けれど、それがハリー・ポッターという男なんだ。

 

「やれやれ……」

 

 僕は医務室の扉に向かっていく。

 殺されかけた事に恐怖がないわけではない。

 けれど、僕はドラコ・マルフォイだ。誇りある純血の一族、マルフォイ家の長男だ。

 覚悟なら、僕にだってある。

 

「いってらっしゃい、ドラコ」

 

 穏やかに微笑むグレンジャー。

 僕は深く息を吐くと、彼女を見つめた。

 

「……ああ、いってくる。ハーマイオニー」

 

 彼女も僕を救う為に動いてくれた。その事に対する感謝の気持ちを篭めて、僕は初めて、彼女の名前を呼んだ。

 目を見開く彼女から目を背けて、僕は医務室を飛び出した。

 

 大広間に向かっていく僕をすれ違う生徒達が驚きの表情で見つめてくる。

 ハーマイオニーによれば、あの時の出来事は既に知れ渡っているらしい。分霊の死後、僕が目覚めるまでの一週間、ホグワーツは大騒ぎだったそうだ。

 何が起きていたのか、正確に識る者は限られていた。ダンブルドアですら、殆どの事を認識していなかった。

 日刊預言者新聞には、校内で悪霊の火を発動させたハリーに対するバッシングの記事も掲載されたらしい。

 その事に、ハリーは一切の反論をしなかったそうだ。だから、ハーマイオニーが代わりに動き回った。事情を教師に説明して、新聞にも投書した。

 父上と母上が運び込まれた《聖マンゴ魔法疾患傷害病院》にも足を運び、証言を手に入れたという。

 穢れた血に対して、父上と母上が礼儀正しく対応したと聞き、僕は驚いた。

 彼女の精力的な動きの結果、事態は少しずつ収束し始めている。ダンブルドアやニュートが彼女に全面的に協力したおかげもあるだろう。

 

 大広間に辿り着く。僕は思いっきり力を篭めて扉を押し開いた。

 大きな音を立てて開く扉に、食事中の生徒や教員達の注目が集まる。

 僕はすぐにハリーを見つける事が出来た。

 彼の周りには人がいない。誰もが恐れている。誰も彼もがハリーと関わる覚悟を持てずにいる。

 

「……ハリー・ポッター!!!」

 

 僕は大きく息を吸って、全力で彼の名を叫んだ。

 目を丸くしながら振り返るハリーに、僕はずんずんと近づいていく。

 

「覚悟はいいか? 僕は出来ている!!」

「ドラ、コ……?」

 

 僕はハリーの横っ面をぶん殴った。

 鈍い音を立てて吹っ飛ぶハリー。近くにいた女生徒が悲鳴を上げた。

 マクゴナガルが慌てて立ち上がろうとしたけれど、隣にいたニュートが止めた。

 

「立ち上がれ!! かかってこい!! 覚悟を示せ!! ハリー・ポッター!!」

「……ドラコ」

 

 ハリーはゆっくりと立ち上がり、僕を見た。

 僕もハリーを見つめた。

 世界から、僕と彼以外のすべてが消えていく。

 

「ああ、覚悟なら出来ている!!」

 

 ハリーは笑った。そして、拳を握りしめた。

 僕も拳を握る。

 

「よくも殺そうとしやがったな、このクソ野郎がぁ!!」

「ヴォルデモート如きに操られるんじゃぁないぜ!! このウスノロがぁ!!」

 

 僕は力の限りハリーを殴った。

 ハリーも力の限り僕を殴った。

 蹴って、突き飛ばして、殴って、また蹴って、大広間を転がりながら、あちこち傷だらけになりながら、僕達は喧嘩した。

 誰も止めに入らない。生徒達も、大半の教師達も怖がっている。マクゴナガルやニュート、ハグリッド、ダンブルドアはジッと見守っている。

 やがて、僕達は立っていられなくなった。

 

「……ハリー。僕だって、覚悟があるんだ」

「ああ、そうだな。お前の覚悟……、効いたぜ」

 

 そして、僕達は意識を手放した。

 

 第十九話『偉大なる叡智』

 

 青白い光に満たされた奇妙な空間に女はいた。虚空に浮かぶ映像を見つめている。映像は誰かの視点のようで、揺れ動いている。

 

「素晴らしい! あの歳で悪霊の火を使いこなすとは、精神を完璧に支配している証拠です!」

 

 彼女は悦びに打ち震えた。漸く、待ち望んでいた存在が現れた事に歓喜している。

 悪霊の火の完全なる支配は選ばれた者にのみ許される。

 己の精神を完璧に支配した者。そして、彼女の求める水準の素質を持つ者。清濁併せ呑む器を持つ者。

 

「嬉しそうだね」

 

 影から一人の青年が姿を現した。背が高く、髪の色は黒い。

 

「ええ、最高の気分です。漸く見つけました」

 

 うっとりとした表情を浮かべる彼女は絵画のように美しかった。

 そんな彼女に、彼は不貞腐れたような表情を浮かべる。

 

「ボクでは役者不足だと?」

「ええ、その通りです。あなたは自らの心を支配する事が出来なかった」

 

 彼は悔しそうに表情を歪めた。

 

「それに、あなたは浅慮が過ぎます。よもや、既に分霊箱となっている物を己の分霊の器に使うとは……」

 

 彼女は呆れたように言った。

 

「し、仕方がないじゃないか! 予想出来る筈がない!」

「いいえ、出来た筈です。あなたはサラザールのロケットを分霊箱に変えた時、それが周囲に与える影響を学んだ筈ですよ。あなたの抱く怒りや憎しみが周囲の者に伝播していく様を洞窟に隠す前に見た筈です。なればこそ、《レイブンクローの髪飾り(ダイアデム)》に《身に着けた者の知恵が増す》という逸話が存在する事に疑念を抱くべきでした。分霊箱は常に周囲の魂を取り込もうとしている。そして、取り込んだ分だけ、相手に注ぎ込もうとする。あなたの分霊箱が悪意を注ぐように、わたくしは知恵を注いだ。その程度の事も思いつかないとは、実に嘆かわしい」

「ぐっ……!」

 

 彼は悔しそうに俯いた。

 

「まあ、浅慮なのはあなただけではありません。わたくしの娘も愚かでした。わたくしの血を継ぐ者ならばあるいはと思い、産んでみましたが……、実に期待外れでした。おまけにわたくしの分霊箱を盗み出した。だから、最後くらいは役に立たせようと、あの男を差し向けた。魔法と感情は密接に絡み合っている。とりわけ、《殺意》と《愛》は強力な術を生み出す。その両方をあの男は示してくれた。愛故に娘を殺し、自らも死を選ぶ。わたくしの思い描く通りの行動を取ってくれました。おかげさまで、ゴーストを生み出す方法とその副産物から様々な魔法を生み出す事が出来た」

「……あなたはグリフィンドールとスリザリンの争いに心を痛め、娘の愚行に苦悩し、その死を嘆いて死んだと聞きましたが?」

「わたくしの肉体の死は単純に分霊箱に魂の殆どを注ぎ込んだ結果に過ぎません。その時の衰弱振りが周囲にはそう映っただけの事でしょう」

 

 彼女の言葉に彼は青白い光が降り注ぐ天を仰いだ。

 

「あなたは悪魔だ」

「あら、闇の帝王と呼ばれたのはあなたの方でしょう?」

 

 彼女は虚空に浮かぶ映像を見つめる。そこには、まるで親友に向けるかのような微笑みを浮かべるハリー・ポッターの姿がある。

 この映像は彼女の分霊を忍び込ませた器の見ている光景だ。

 必要の部屋で、分霊箱を拾い上げられた時に気付かれないように注ぎ込んだ魂の一部がこの空間に映像を送っている。

 

「《頂点に立つ者はただ一人。このハリー・ポッターだ》……。ええ、立たせて上げましょう。《偉大なる王》にしてあげましょう。《完璧なる魔法使い》に仕立ててあげましょう」

 

 彼女は穏やかに、美しく、微笑みながら言った。

 

「このロウェナ・レイブンクローが」


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