皆さん、元気にしていますか?
最近は、いろいろなことが起こりますので、お疲れではありませんか?
ということで、今回は、休憩の極意という話をしてみたいと思います。
☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!
…
…[適当に生きましょう]…
わたしとは、何か?
哲学を問答しようとしているわけではありません。
わたしと私にとって、これは、遊びなのです。
そう、瞑想ゲームのようなものです。
思い返せば、子供の頃から、そんなことばかり考えていたような気がするのです。
あくまでも、気がするというだけなのです。
記憶は改ざんされるから、ハッキリとは言い切れないのですよね。
わたしが私を思うとき、そこにはわたしの願望による歪みが交わっていることでしょう。
本来の私というものは、どこにも存在しないのかもしれないのでしょうか?
まるで、統合失調症のように、自分を疑い、認識できないのだろうか?
そんな、危ない思考をくぐり抜けて、私というものを形作っているのかもしれないのです。
曖昧を許せる特性であったことに感謝してしまうのです。
わたしは、なんとなく自然に生きていることができますので、想像するしかありません。
ヒトというものは、心、知識、体、の三つがそろって人になり、その人の集まりから生まれる縁があってそ人間となるのだと思います。
人というものは、自分ができてしまうことは、誰にでもできて当たりまえと思いがちであります。
なぜ、できないのか?という発想すら思わないくらいであり、そこに気づくまでに時間がかかります。
なんせ、常に現実を突きつけられる、現在の社会において、適当に生きるということは、とても難しいように感じるのです。
考えてしまうと、自分がとらえられなくなり、底無し沼にはまってしまうようであり、できない人にとっては辛いことでしょう。
わたしは、適当に、なんとなく、生きれることに喜びを感じながら、今も私は、ここにいるのですよね!
それにしても、考え始めると、おかしなことばかりな世の中なのです。
はたして、おかしいのは、どちらなのか?
わたしか、私か、世の中か?
まさしく、バカと天才は紙一重なのでしょうね!
わたしと私の息抜きが瞑想なのかな?
皆さんも、あまり考えすぎないで、わたしの私を大切にしましょうね!
…[気にしたらダメですよ!]…
誰かに、何かを言われると、それ以上の解釈をして悩みはじめるほうですか?
それとも、言葉とおりに受けとり、判断するだけですか?
言葉を言った側の人も、なにげない言葉かもしれませんし、深く考えたうえでの言葉かもしれません。
それは、無意識であっても意識的であっても、瞬間の凝縮から発生した、人となりを表すものですからね。
あいさつにしてみても、相手によりますからね。
更にいいますと、感情の変化により機嫌が変わるのが人というものです。
どちらの側にしましても、気にしないことをおすすめします。
言葉は単なるコミュニケーションです。
言う側よりも、言われる側に解釈の選択権があるかと思うのです。
何でも間でも理解できるとは思わない方が善いかと思います。
ただでさえ、無意識では反応しているのですから、わざわざ、意識に上げることはないでしょう。
本当に必要なことであれば、無意識でも受け止めます。
人は、自然に情報を分けています。
たんなる、他者とのふれあいのながれでしかありません。
やりすごしても良いかと思います。
ようは、気にしたらダメなのです!
気にするということは、それだけ、自分のなかに溜め込み歪みを生じます。
休憩中ぐらいは、余分なことを考えないで、ひとりで静かにしていたいですよね!
…[常識を利用しましょう!]…
気にしたらダメですよ!といわれても、ついつい考えてしまいますよね。
そこで、常識を利用することをおすすめします。
以前お伝えした[ペルソナ]という考えかたが当てはまりますので、[その②]を読んでいただきますと分かりやすいかと思います。
常識とは、常に一定ではなくて、時と場所により変わります。
家庭であったり、学校であったり、地域であったり、会社であったり、所属するコミニティにより変化するのが常識というものです。
自分とは違う、大勢の人が集まる場所だからこそ、無駄な争いを避けるためにいつの間にか生まれたのが、常識であり、分からないなりに成り済ますということだと思います。
大人のマナーともいえます。
最初は、人まねでもいいので、ふりをするだけでもよいかと思います。
その、大人のマナーを身につけるためには、最低限の自立した人格が必要となります。(あせらず、じっくり体験を通して学びましょう)
そこに、「おかしい?」というような感情は必要は無いかと思います。
たとえ時代おくれの常識だったとしても、そんなコミニティは時代とともに消え失せるだけでありますので、わざわざ、指摘するほどのことではないと思います。
表向きは、とことん、「そんなものでしょ」でよく、それぞれが、自己責任のうえで行動すればよいかと思います。
ですから、誰もが「とりあえず………」で生きているのだと思います。
隠しきれないところが、あなたの個性ということだと思います。
ギクシャクするのはイヤですから、多少の違いは許し会うことが大切てす。
まぁ、「そんな器用な生き方はできないよ」という人も多いでしょう?
なんにせよ、コツがあるものです。
まずは、自分なりのルールを作ることです。
経験を通して、自分の物語を作っていけば良いかと思います。
けっして、争う必要はありませんよ!
どこまでも適当に、「まぁ、いいか?」が合言葉です。
バロメーターは、「まぁ、いいか?」と思えるかどうかです。
歳をとればとるほど、必要なことだと思います。
最終的にイヤなら、そこから離れるしかないのですからね。
わたしが作り上げる、自分の物語が、私ということなのです。
…[私をととのえましょう!]…
そこで必要になるのが、私のととのえかたですよね。
それが、瞑想です。
仏教の悟りを開くための修行のひとつが瞑想です。
私は、仏教とは、宗教ではなくてより良い生き方のための思考のしかたと生活様式を学ぶことだと思っています。
わたしは、子供のころから仏教に関心がある変り者でしたので、仏教の悟りとは何か?ということを先に学んでいると分かりやすいかと思います。
ちなみに、Youtubeにあります[苫米地英人、仏教]というものを観ていただくと分かりやすいでしょう。(少々、長めの動画ですが、自分のなかに取り込めるとよいかと思います)
更に、関心がある方は、神道の思想体系のひとつである四身四魂を理解するとよいでしょう。[人の四身四魂CGS家村和幸鬪戦経第19回]という動画をご覧ください。(古代の日本思想に興味がある方は、時間はかかりますが、全ての鬪戦経を観てみても面白いかと思います。)
日本の仏教は、名ばかりでありまして、日本思想にそまった神仏融合思想ですからね。
瞑想といいましても、[マインドフルネス]という脳の反応をなくす瞑想や、[ビヴァッサナー瞑想]という内面に意識を向ける瞑想など、さまざまな方法があります。(ただただ、お経を唱える行為も瞑想だと思いますので、心が穏やかになるような歌を聴いたり、映像を見ることでもよいかと思いますし、もっと簡単なことですと、山や川などの自然に触れる行為でも良いでしょう。)
わたしは、独自の方法で瞑想をしておりますが、それぞれにあった特性でしてみればよいかと思います。
ようは、情報量を少なくすることで、脳を休められればよくて、リラックスしながら活性化している状態のことだと思います。
今では、脳波を測定するアイテムも販売されているそうで、「脳が休むってどういうこと?」というかたには、そういった機械を使ってみてもよいかと思います。
わたしは、いつの間にかできてしまいましたので、あくまでも、独自のやりかたでの瞑想でありますからうまく説明できませんが、しいて言うなら、[起きながら夢のなかに入りながめている]ような感覚であり、客観的に自身を観ているペルソナがない人には難しいかと思います。
客観的に自身を観るというのは、世の中という世間から外れた感覚の自分を作り、ただただ、自身の感情をふくめ、全体の流れを観まもるということです。
Youtubeでも、いろいろな瞑想の動画があがっておりますので、興味のあるかたは検索してみてはいかがでしょうか?
手始めに、[イケハヤ大学の、これなら続く!マインドフルネス瞑想の始め方。]がよいかと思います。
そのうち、あなたなりの瞑想の仕方がみつかると思います。
誰にでも、より良い休憩が訪れますように!
…[まぁ、いいか?]…
それが、どうした?
まぁ、いいか?
だから、なんなの?
まぁ、いいか?
本当ってなんなの?
まぁ、いいか?
私なんて、そんなもの
わたしと私の
まぁ、いいか?
ついでに、あなたも
まぁ、いいか?
…終わり…
…
皆さん、しっかり休憩をとってくださいね!
たまには、頭を空っぽにして自然に身をまかせるのも良いものですよ。
さぁ、今日もぽ~~~としましょうか。
それでは、また、会いましょう。