皆さん、こんにちは!
今年も、ひどい長雨がつづく露の日々となりました。
毎年、毎年、ひどくなっていくように感じるのは私だけでしょうか?
皆さんの地域は大丈夫でしたか?
まぁ、心配しすぎても仕方がないことばかりの世の中ですので、それはそれとしておきましょう。
前回は、子育ての話をしましたので、今回は親孝行について考えてみたいと思います。
それでは、お暇な方はお付き合いください!
☆注意☆
今回の文章は、あくまでも根拠のないつじつまのあわない個人的な妄想のようなものであり、現実の出来事とは関係はなく常識的な考えではありませんので、アホなおっさんの独り言と思って読み流すか、あまりのくだらなさでアホがうつるとお思いのかたは速やかに読むのをやめてくださいね!
…
…[あらがうなかれ]…
皆さんは親を見ていて、イライラしませんか?
「この、おいぽれが!」なんて感情的になりませんか?
なにかにつけて、気になってしまうのが親なのですよね。
とかなんとか言いながも、
「しょうがないな……」なんて仕方なく離れられないのが親なんじゃないのかと思うのです。
なぜなのかしら?
私にも、80歳を過ぎた父がおりまして、年齢を重ねるたびに子供のようにワガママになっていきます。
困ったことに、イヤなところほど目につくようになっていくようでして、生まれ持った特性がそのまま出てきているようなのです。
そんな親を観ておりますと
あらためて、親も人なんだと思うのです。
もちろん、私も歳を重ねるたびに体の衰えを感じておりますので、[ラクに生きよう]と心がけております。
やっと、子育ても終わり、「子供の手がかからなくなってきたのに!」と我ながらあきれてしまいます。
母親を早く亡くした心残りもあるようです。
どうやら、これが私の性分であるようでして、[やるべきことをやるしかないのか]とイヤイヤながら受け入れているようです。
ですが、[なんで、自分ばかり?ずるい!]と思ったりもします。
しかし、[なるようになるさ!]と、楽観的なところもありまして、自然と適当にやってもいるようなのです。
私のストレスは、そこらじゅうにばらまかれていることでしょう。
なんせ、すぐに疲れて体に表れてしまいますから、無理なことは出来ない体質でありますので、[やってられるか!]と素直に思える性格なのです。
他にも、上に4人の兄弟がおりますので、[やってんだから、いいだろ!]てな感じで、正当化できてしまうのです。
[気になるなら、その人がやれば!]というのが、私たち兄弟の価値観のようでして、なんとなくバランスを保っているようです。
責任感の無さにかけてはずば抜けているようでして、飽き性な過集中の特性がバランスをとっているのでしょうか?
まったくもって、都合の良い、
典型的な末っ子気質ですよね。
[これも、運命!あらがうなかれ]
そんな感じで生きております。
[親も親なら、子も子]といったところなのですかね?
世の中、上手く出来ているものですね。
あなたは、どんな特性をお持ちですか?
…[ひどいでしょう?]…
[私のなかでは、父親は死んでおります。]
「うわ、ひどいヤツだな!」と思われるでしょう!
しかし、私にとりましてはそう考えたほうが、気楽に父親との関係性を保てれるようなのです。
私にとりましては、父親との関係性がそうなった理由があります。
私の父親は、良くも悪くも[真っ直ぐな人]でして、子育てよりもお金を稼ぐことが好きな性分でしたから、小4の頃に母親を亡くしてから、私は祖父と祖母が親のような感じでした。
父親も、自分で「俺はお金の面倒しかできない!」と言うほどの反面教師でしたから、自分の特性を自覚していたのでしょう。
私の家は商売をしておりましたので、私もそれが当たり前と感じて育ちました。
私は次男でしたので、明治生まれの祖父からは「お前は分家となって、自分のやりたいことで生きなさい」と育てられました。
祖父は底抜けに前向きな明るい人柄でした。
祖母は礼儀正しい肝っ魂の座った人柄でした。
私も[いずれはこの家を出て、自立しなければいけない]と祖父と祖母に応援されながら生きてきました。
私は、自分の縁を信じて25歳で妻と出会い、生まれ育った家を出て2人の息子を授かりました。
そんな大好きだった祖父と祖母も、11年前に続けて亡くなりました。
どうやら、私は、[生よりも死に関心]があるようでして、死ぬことから生きることを実感しているようなのです。
それから、あれこれありまして、18年連れ添った嫁と別れ、5年前に2人の息子を連れて生まれ育った実家にもどり父親の世話をさせていただいております。
この5年の月日は、私と父親にとっては大切な時間でありました。
私の想いと現実の父親、いやおうなく月日は流れておりました。
私は、実家に戻ったことにより、新たな価値観で幼少期からの思い出を振り返りました。
私の中で、置き忘れていた感覚を取り戻したようで、父親と兄弟との関係性が変わったようでした。
私は、父親のことを死んでいると思うことで、ワガママで身勝手な父親のことを心配しすぎないようにしているようです。
早くに嫁を亡くした父親からしてみれば、自分の親もいなくなりやりたいほうだいなのも分かる気がします。
本来なら、親や母のかわりにたしなめなければいけません。
父親を観ておりますと、老いとともに自由に動かなくなる体とは反対に、自分の欲求が強くなることを止められずもがいているようで、生き苦しさを感じます。
本来ならば、そうなる前に隠居の道があったと本人もわかっているはずなのです。
しかし、今さら、[やりたいことを我慢するくらいなら、死ぬも本望!]
子供の言うことなど気にするはずもございません。
私は、父親の親孝行をすることで、できなかった母親や祖父母の分まで合わせて親孝行をしたいようなのです。
それぞれの家には、それぞれのバランスの取り方がありますので、外部の者がとやかく言うのは野暮なのです。
まったくもって、おかしな感覚ではありますが、わたし自身、おかしな変態ですので、これで良いかと思うのです。
ただ、父親に思うことは、[生きていてくれてありがとう!]ということだけであります。
[孝行したいときに親はなし]となりませんように。
良き親であれ悪き親であれ、生きている間に想いの精算をおすすめします。
…[改革しちゃいましょうか?]…
人には、それぞれの生まれ持った特性があります。
私の父親は、どうやら支配型の特性を持っているようで、自分の思うように人を動かすのが自然なようでして、そう考えることに抵抗がないようなのです。
元々は相手によって、効率的な人間関係の思考をする親でありましたが、歳をとるにつれ、自身の感情のほうが優先されるようになってきました。
肉体的にも精神的にも、世の中の時代の変化に対応できなくなってきているようで、今までのように商売が上手くいかなくなり、読みがはずれて価値観が合わなくなってきたようです。
イライラすればするほどに悪くなる商売をそのままに、自分がおいていかれたのを認めることにあらがっております。
ある意味、とてもたくましいのではありますが、思い通りにならない苦しみは増えております。
父親にとりましては、商売だけが生きがいのようであり人生と言っても過言ではありません。
そんな父親に、私は一度だけ「悪あがき」と価値観の批判をして、商売には関わらない宣言をしました。
お互いに、そんなことは言わなくてもわかっているはずなのですが、私の特性上、言わざるおえないほど私も追い込まれていました。
私も、そんな父親に付き合いきれず、今では、私の人生とは違う父親の商売の価値観には口出しをしないことにしております。
父は父なりの最後のケジメに向けてもがいているようです。
幸いなことに、私も子育ての経験がありますので、損得に関係なく、精神的に子供に戻っていく父親を冷静に観ております。
そのなかで、「歳をとるとはどういうことか?」ということが、父親からの無言のメッセージなのだと思うのです。
毎年のように入退院を繰り返す、死に損ないであります。
それでも、[なまけると動けなくなる]とがんばっております。
これが父親なりの終活なのでしょうか?
[好きなように生きなさい!]
誰もが自分の人生を生きております。
私も、自我が強い頑固者ですので、だんだん父親に似てきております。
どうしてなのか、イヤだな~と思っていたところばかり似てくるのですよね。
ありがたく、父親の生き方を反面教師とさせていただいております。
私は人生の節目ごとに生きる目的は変わるかと思います。
あなたにとって、家族とは何か?
なん世代にかけて、繋がる願いとは?
もう一度、考えてみませんか?
あなたの生きるヒントがあるかもしれませんよ。
私は、はじめての他人が家族なのだと思うのです。
[永遠にわからない想像する母親とは?]
[わかりあえるという甘え]
[なすべきときに、なすべきことをする!]
そして、
[親しき仲にも礼儀あり]
なのではないのでしょうか?
すべてに感謝いたします。
それでも、なお
あらためて、自分の人生を生きようと思います。
…[遺言]…
あと30年もすれば、死ねるのか?
死を夢見る私
子供ごころとおいぽれた体
くたびれた姿がいとおしい
誰もが通るさだめ
私に重なる家族の面影
勝手に好きになっておいて
勝手に別れ、さ迷いあらがう
永遠の一部となりえし想い
お前は何者ぞ?
空なる世界に投げ出す想い
分裂するがごとく虚空に染み込む志吹
何者にも染まらず
何物でも成りうる
それが、人の生
どうか、哀しむなかれ!
どこにでも………
念じてごらん!
きっと、答えがみつかるはずさ、
すでてはひとつ
ひとつはすべて
…終わり…
…
え~、という感じであります。
私の体験を通した、お見苦しい話となりましたことをお詫びいたします。
親孝行や子育てを考えることは、自分の人生を考えることなのではないのでしょうか?
親孝行の極意とは、お互いに心配しすぎないで適度な距離感をもって過ごすということでしょう。
長生きが当たり前の時代となりますので、不安をさがしても意味はありません、先のことはほどほどに考えることにしましょうね。
あなた様にはあなた様の人生があります。
どなた様にも、より良い人生を願っております。
親からみますと、どんな子供であれ産まれて来てくれた時点で、子供の親孝行は終わっているかと思います。
子供がいるから親になれるのです。
どうか無理をなさらず、お気楽に自然に過ごしましょう。
このシリーズも、ひとまず此処までとしたいと思います。
どうも、いろいろ、ありがとうございました。
それでは、又、会いましょう!
皆さん、お元気で!