楽笑おじさんと絶望こぞう   作:楽笑

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…今回は、わたしの妄想的な価値観であり、あなたにとりまして、不快な内容かもしれません?

…修羅と争いを好む方には不向きかもしれません

…そんなことは、読みたくない!と感じられた方は、申し訳ございませんが読むのはお止めください。

…どうか、自己崩壊しませんようにお気をつけください。




自我と記憶

記憶とは?……過去の情報である。

 

生物にとっては、現在が全てである。

 

今、この瞬間を生きることに全力をそそぎ命を繋ぐために、習性としての反応があればよいはずだからだ。

 

それでは、なぜ、人には記憶があるのか?

 

それは、人間が思考する生物だからだ。

 

人間には、習性とは別に[私はわたし]という自我がある。

 

その自我をたもつために記憶があるのだ。

 

 

 

一方、人間には自我とともに世間がある。

 

世間とは、社会的な過去の情報である。

 

人類は社会という外部記憶媒体をもったことにより飛躍的な進化をとげたといっても過言ではないだろう。

 

言い方をかえれば、社会構造というヒエラルキーを維持するための秩序と言ってもよいだろう。

 

私たちが学問を学ぶのも、溜め込まれた膨大な情報からより良い自我を選択するためであろう。

 

哲学で言えば、ソクラテスの知を認識する無知の知からはじまり、プラトンのこの世の現象は全て本質から写し出された影であり実体はつかめないというイデア論や、デカルトの我思うゆえに我ありという存在論、ニーチェの神は死んだという個人の開放的な超人論、ハイデッカーの存在は変化する時間の上に成り立つという存在と時間論をこえて、サルトルの自由を求める自由に捕らわれる自我からの逃亡のためには行動し続けるのみという実在論、と思考は進化していく。

 

自閉的な社会不適合者であるわたし的には、世間と自我とのつじつまを合わせる思考でしかないのではあるのだが、社会的な生物である人間としてはしかたないのであろう。

 

 

心理学で言えば、フロイトの過去の見たくない記憶のトラウマを閉じ込めた無意識という原因論や、アドラーの未来の目的のための現在と無意識をとらえた目的論、ユングの無意識と意識は共同作業ができると人をタイプ別にわけたタイプ論にはじまり、現在では自己啓発や自己暗示やマーケティングなどの無意識を操るメンタリズムが論理的に思考している。

 

 

こちらは、生物としての肉体的欲求と自由意思である精神的欲求との矛盾の葛藤のつじつま合わせなのか?

 

 

全ては、人知れず過去から受け継がれてきた宗教や思想の秘伝の新たな解釈でしかないのであるのだが、学問的にとらえることにより情報は大衆化するのであろう。

 

資本主義は、格差というヒエラルキーを生み出したが、人類全体を引き上げ文明の豊かさという底上げに貢献したのも事実であり、私たちの社会は、飢餓や疫病から解放され現実情報の世界での生物としては進化のピークに到達したのではないのか?

 

しかし、自由意思を手に入れた人類は労働からも解放されようとしており、あまりにも自由度の高い精神情報の世界をもてあましてもいるようである。

 

肉体を持つ生物としての、弱肉強食の生存本能ゆえの嵯峨なのか?

 

精神的な情報世界までも優劣を定め争わなければ気がすまないのか?

 

これからの未来において新たな思考が必用になることであろう。

 

日本においては、過去一番の平和と豊かさを維持している。

 

これほどまでに豊かになったにもかかわらず、集団教育をうけた自身を疑わない日本人は個人を理解できないでいるようでいる。

 

大きな流れにのみこまれた大衆は自身すらも認識できず目的も定まらないままにさまよっている。

 

ただ、捉え方によっては、信頼しあえる単一の集団であるならば、精神の安定にかんしては、いちからの自我の構築よりも、与えられた自我を受け入れたほうが幸せかもしれない?(民族間での敵対視する思考はいらないが現時点においてはしかたないのであろう。)

 

たとえ、それが、世間からみれば異常な思想の宗教や都市伝説的な歴史観であったとしても、それを信じている人にとっては、それに救われ現実化しているのだから。

 

それこそ、信じるものは救われるであり、被害者でもないのであればほっておけばよいのではないのか。

 

私から観れば宗教や都市伝説などの思想は異世界の文化であり、テーマパークのように楽しめばよいだけなのだ。

 

世界的にみても、少なくなっていくネガティブな情報を必死になって集めて報道しているのが事実であるのだが、豊かさにかんしては、80億の人類が生存できる地球は実現しており上昇している。

 

テクノロジーにより生活環境は制御され、肉体的なストレスは少なくなっているにもかかわらず、ネガティブ思考により、人類はありもしない精神的なストレスを生みだし悩み苦しんでいる。

 

たしかに、ネガティブな思考のほうが取り込みやすいのは事実であり、操りやすい。

 

(食べ物までも操られ、肉体的にも操作されているのか?)

 

(物質的な快楽を刺激され、購買意欲を操作されているのか?)

 

実体を持つ、現実があってこその世界である。

 

なぜ、格差を意識させたがるのか?

 

なぜ、そこまでして不安をあおるのであろうか?

 

幸せとは、人それぞれなのではないのか?

 

まだまだ、ピラミッド構造で争えということなのか?

 

 

いやいや、こんなことを考えている時点でわたしの思考はネガティブに引っ張られているのではないのか?

 

…他人は他人であるというのに…

 

 

 

 

 

話しを自我と記憶にもどそう。

 

記憶とは、現在の自我を肯定するために都合よく集められ構築された情報である。

 

あなたの知っている記憶とは別に、思いだそうとすれば思い出せる前意識という記憶をふくめて顕在意識と言う。

 

しかし、あなたの行動の選択を決めている情報は、顕在意識よりも忘れられた無意識にためられた情報である潜在意識によりうながされているのだ。

 

あなたが意識しなくても、あなたの潜在意識は生存のための行動をとり、肉体的にも精神的にも、いつもバランスを保っている。

 

その潜在意識に潜り込み自身との対話以外の意識を分断し思考をとぎすましたのが瞑想である。

 

瞑想とは、思考を止めることではなく、自身の内部情報である記憶にアクセスすることであり、変性意識状態に入り無意識を意識して、自我を整える行為である。

 

 

いつの間にか影響を受けている無意識とは、社会という外部記憶媒体にただよう人類の叡智といってもよいかもしれない。

 

頼りない意識が私ならば、こうでなければならないという圧力をかける世間は超意識なのである。

 

世間という超意識と生存本能である無意識の間を頼りない自我という意識がさまよっている。

 

 

あなたの頼りない自我に自然体を取り込むことで、悟りという繋がるエネルギーにより自分軸に成長させることは可能であろうか?

 

 

 

自由意思という個人ではあるが、誰もが他者がいなければ成り立たず、世の中は繋がりあっていることを無意識は知っている。

 

あなたが、そこにいるだけで世界の役にたっている。

 

どんな人であろうが、人でなかろうが。

 

死してなお、情報として残るものもいる。

 

 

 

世間とは、人間関係である。

 

 

あなたが関わる人によりあなたの世界はつくられている。

 

 

あなたが認識する人があなたの周りに集まっているにすぎない。

 

 

つまり記憶と同じようにあなたの無意識のあらわれが人間関係にあらわれ現実化しているのだ。

 

あなたが現状の人間関係に不満をいだいていたとしても、そんな自身に満足しているからにすぎない。

 

本当にイヤならばたえられないであろう。

 

もしくは、現代の日本の社会構造により情報が遮断されてきたからなのだろう。

 

わたしがあげた哲学者と心理学者を調べてみればわかるかと思う。

 

あとは、あなたが何を望むか?

 

それは、あなたが選ぶしかないのだ。

 

これすらも、ある人にとってはプレッシャーとなりストレスとなる時代なのか?

 

 

人間とは、物質文明が進化するほどに精神は退化しているのかもしれない?

 

 

周りに気をとられ、自身を見失い可能性を狭めていないか?

 

 

心にゆとりをもてば、どんなことにも楽しみをもてるだろう。

 

 

人間はラベリングされた抽象化した言葉の記憶により思考する。

 

それを、言語感覚とするならば、もうひとつの思考感覚である、数式により未来を予測する感覚を手に入れたのだ。

 

 

更に、言語と数式により未来の自身の目的のための現在を選ぶ未来思考をもっているのではないのか?

 

 

少々、どがすぎてはいるが、さまざまな宗教や神話による、あの世や輪廻の思考すらも生きている現在の自我と社会秩序を肯定するための価値観なのかもしれない。

 

全ての思考は、生命活動を営む自我のためなのか?

 

それならば、もっと多様な価値観があっても良いかと思う。

 

多様性とは、あなたが他者を認めることから始まる。

 

他者を認めるとは、自身も立場が違っていたらそうなっていたかも?という発想であろう。

 

思考情報空間において

 

…わたしはあなた、あなたはわたし…

 

つまり、自身を通して世界中と繋がるということだ。

 

 

自閉的な私だから、こんなことを考えるのかもしれないのだが、もしも、輪廻があるとするのであれば、人間には生まれたくないと思う。

 

潮の満ち干きの波と凪のような感情の揺らぎは私にはにぎやかすぎるようである。

 

それほどまでに、自分の中に自然と沸き上がるガヤガヤとした思考に「もう、いいや!」という感じなのだ。

 

それでも、死がおとずれるまでは生きていようとも思う。

 

これも生物としての嵯峨なのだろうか?

 

わたしとしては、はげしい大海よりも小川のせせらぎのほうがあっているのであろう。

 

そんなわたしだから[自分軸]を目指すのかもしれない?

 

 

皆様も、悪あがきと思って[自分軸]で生きてみませんか?

 

 

 

 

なにかが変わるかもよ!

 

 

 

 

 

現時点でのわたしにおいて、確実に言えるのは、記憶は感情感覚とリンクしており、それぞれの思考を元にして構築された世界をきづくということであり、それは、時空をこえた領域に存在する。

 

 

…自由意思や自分軸といわれる自身の半身でもある高次元の私というものたのだろう。

 

 

 

…はたまた、宇宙意識ともいわれる絶対無限のひとつの世界なのかもしれない。

 

 

 

…あなたの世界にさわやかな安らぎがおとずれますように…

 

 

 

 

 

 

 




…有る意味、…

…否定も肯定もしない…

…自分も他人もない…

…絶望も希望もない…

…ただあるのは…

…可能性だけ…

…生まれては消える…

…泡のような…










PS……[Reゼロ]という小説があるのですか、死に戻りという輪廻のような能力をつかって人間の七つの大罪、(煩悩、メー、?)強欲、怠惰、色欲、憤怒、暴食、傲慢、嫉妬、を認識しながら世界を(もしくは自身?)を救っていく、かなりのハードでエグイ内容なのですが、ラノベ特有のライトな表現で読みやすいかと思いますので、おすすめします。
…あなたのなかの何かに引っ掛かるかと思いますよ。

…わたしのような、客観的で内向的な個人主義の法則型でなければ、今回の題材は理解不能かも?
…いまさらながら、そんなことを思ったのであります。
…まあ、こんなことを考えているおかしなヤツがいると笑い飛ばしてくださいな。

…それでは、縁がございましたら、また会いましょう!







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