現実とは物質
生物も物質
乗り継ぐイメージ
進化?
魂
エーテルとは植物?広がるセンサーで知る?
アストラルとは動物?感情の変化をあじわう?
全てを飲み込む世界
…記憶は夢を観る…
まとわりつく記憶
なんども、なんども
あらわれては消え失せ
私につきまとう
物質化するイメージ
勝手に連鎖して取り残す記憶
思い出とは、なんなのだろう?
あたかも、私の分離であり、ちりぱめられた記憶
ひとりの世界が、そこにある。
自分すらも、説明できない世界が、そこにある。
誰にでもあるだろう?
産まれたときから、知っていたような感覚が。
だからこそ、出会い、物質とかす。
自分を残そうと分離するのかもしれない。
現実であろうが、仮想であろうが、思い出とは、何かに重ねあわせて自我を保つ機能なのかもしれない。
たとえば、
最近、前田日明さんのYoutubeで、小林秀雄さんという哲学者のような思想家の作家を知った。
小林秀雄さんは、昭和を生きた人ですでに失くなっているが、Youtubeに講演があがっているという。
私は、子供のころから、アニメや落語をカセットテープに録音して音声だけで聴く趣味があり、ラジオでのドラマや講演もよく聴いていたので、吉本隆明さんのような感じだろうと思いながらYoutubeを観てみた。
小林秀雄さんの講演を聴いていくうちに、なつかしい感覚を感じた。
私の一部がそこにあるような。そんな感じがした。
更にそのなかで、ベルクソンという哲学者を知った。
ベルクソンは100年ほど前の人であり、小林秀雄さんは[物質と記憶]というベルクソンの本を読みなさいと言うのだ。
さっそく、アマゾンで買って読んでいる。
言わんとすることは、なんとなく解るが、古い文体のせいもあり、とても読みづらい。
それでも、少しずつ読んでいける。
半分ほど読んで思うことは、私が感じてきた世界がそこにあったということだ。
きっと、もって生まれた特性が似ているからなのだろうと思う。
時代をこえて、繋がる世界がある。
特性が似ているものどおし、説明はできないが共有する感覚がある。
今の時代にアップデートした感覚でだ。
そんなことを感じていると、
「だから人には寿命があるのか!」
と感じた。
たしかに、現実には限りがある。
人は記憶にしがみつく。
いとおしい記憶は、自分自身。
時代の変化を受け入れがたい。
停滞する文化。
変わらない社会。
意味があるかないか?
そんなことは、私にはわからない。
ユングやベルクソン…ゴッホ……
文化の交流はとまらない
100年ほど前の時代に、日本人にはあたりまえの精神的なのものが西洋で学問として始まりだしたようだ。
答えは、それぞれのなかに。
そんなことを感じている。
これが私の流れ。
これが世界の有り様
あくまでも、私にとってのだが。
…くだらない妄想ですよ。
あなたは、あなたが信じたとおりに進みなさいな。
どうなっても、あなたの人生。
私のしったこっちゃないよ。
悟りとは、自我の生滅
魂の生滅
私もあなたもなくなるってこと?
ただ、思いを残して
現実なんて、そんなものでしょ
幸運を!