妄想注意報警戒中!
どなたさまも、おきを確かに、いつのまにか、しのびよってきますので。
現実という、外世界。
あなたの存在がなければ、それは無いも同じ?
あなたにとっての現実が妄想かもね。
いつもながら、結論のない、しょうもない文章ですので、気になさらないでください。
単なる、私の心の記録であります。
やはり、私は描くしかないのです。
私のアート。
…名越さんに依存しております。
前回、あまりの衝撃によりおろたえてしまいました。
少々、世の中の流れが影響したのかもしれません。
政治も経済も、引きずられる意識。
無意識にたまるイライラによるストレス。
またか? という嫌気。
そして、そんな私を見抜く言葉。
勝手に錯覚するイメージ。
いくつもの重なりあうネガティブ。
いつもなら、気にしないことまで
押し付けがましい、オススメ動画。
「あなたは、どうせ、これが気になるのでしょ?」
と言わんばかりに、画面上に流れてきます。
圧迫感とは、これか?
だから、動揺なのです。
それでも、なんとなく、名越さんのTwitterとぱっさんのTwitterを翌日からチラ見する私。
またしても、見抜かれたような感触。
名越さんのTwitterが、こちらです。
人の意見に何かを付け加える時ほど、自分の馬脚を露にしてしまう瞬間はない。細心の注意が必要だ。
私のことでは?と思いました。ですが、前日よりは冷静でいられます。
翌日のTwitter、
敵なんて滅多にいないよ。敵は賢いからこそ敵なんだから。浅はかであったり、にげたかったりするだけなんだ。見せかけの勇気とか正義とか怒りにだまされず。自分のやるべき価値を探してしぶとく楽しくやり続ける。
それが一番難しく、一番充実する。
はっ、そうなんだよな、と思いました。でもね?
さらに、翌日のTwitter、
明るさとは視野が広がること。スマホを見ると必然的に視野が狭まるので、外の景色を見てバランスを取る。
こんなしょうもないことで、一日がかわるんだから、ほんまに人生はやばい。イメージよりやばい。
うぉ、そのとおりでしょ、と思いました。
そんな、当たり前のことを、知っていることを、さんざん描いてきたことを、なのです。
それで、こりずに、Youtubeの動画を見ます。
そして、その動画の中で宣伝していた名越さんの本[ひとりぼっちこそが、最強の生存戦略である]をアマゾンで購入。ついでに、気になったヴィドゲンシュタインという哲学者の[論理哲学論考]なる無料本をポチる。
名越さんの本は何冊か読んでいたので、それほど真新しい情報はないが、(動画でのお話とかぶる内容)とても分かりやすくまとまっており、自身の精神のバランスをとりたいときに読むのに丁度良いと思った。まだまだな私には、特に最後の章が響いた。(名越さんに依存中なことも差し引いて、私のようなタイプならなお良い)
そして、昨日1月最終日。
数少ない話しができる仲間の絵描きのI君に会いに行く。
彼も暗中模索の中で、楽しみながらVRでの絵描きの可能性に挑戦していた。NFTという未知なるものに。
「アートとは?未知なるもの、決して完成などしない。自身ですらも捉えきれず、道半ばの、言葉にできなくて説明しにくい感覚のもの。」
これが、私のアート感。
「僕の手から、お客様の物になった瞬間から、僕のアートではなく、世の中の物だ。好きなようにしてくれて良いが、僕の絵を買って良かったと思っていただくために、僕は努力して世間に認識してもらわなければ
ならない。」
というのが、彼のアート感。
だから、私は、アートは誰のものでもない、世界の一部であり、全てだと思います。
全ての上位概念かもしれません?
私のこの文章も、アートならば、世の中に出た瞬間にあらゆる人々の世界のものとなり、私の手から離れるのだと思います。
私のアートは、私が生きているかぎりアップデートされていきます。
ですから、前回の最後にあのような言葉を残したのです。
私が消えるか、このサイトが消えるか、なのです。
あなたの表現も、すべてアートだと思います。
それが、私のアート感です。
ぱっさんのTwitterで、
政治のことはわからなくていい
経済のこともわからなくていい
でも
わからないということは参加していないということ
そして残念ながら今の日本は
参加できない人のために政治と経済を整えようとしている
学んできた人々を放っておいてだ
という言葉が素敵だと思いました。
その他にも、ぱっさんらしい、角度の発言が多くて刺激をうけております。
吉濱さんのYoutubeにも、いつも助けられています。
私を通して、勝手に妄想はふくらむばかりで、楽しくてしかたありません。
いつもいつも、勝手に引用させていただき申し訳ありません。
そして、お忙しいなか、ありがとうございます。
私にとりましては、皆様は明るい光りであります。
これからも、一方的に、陰ながら応援させていただきます。
私が、作品の中で紹介してきた方々は、とても素晴らしい方々ばかりで、私などお恥ずかしいばかりです。
ですが、ひとりでも多くの皆様になんらかのきっかけをと思っています。
そんな気持ちで描いています。
押し付けがましくて、すみません。
なにかを知ったからといって、自身が変わるわけではないことは重々知っていますが、好奇心はとめられそうにありません。
この作品を三年続けて思ったことは、そんなちっぽけな私なのだということなのです。
人間って、本当にどうしようもない。
ですが、どうしようもなく素晴らしくもあるということです。
こんなバカな男の価値観ですが、皆様に伝わるとすくわれるのかな?
まだまだ、今は、休みたいと思います。
もう少し落ち着いたら、次の回で、完全復活際をしたいと思います。
…私は、2009年頃は、養老孟司さん、森毅さん、茂木健一郎さんの本をこのんで読んでいました。
テレビは、ホンマでっかTVやそこまでいって委員会が好きでした。
そのころに、思想家というものがあることを知り、それになりたいと思いました。
政治や経済の本もいろいろ読んでいましたが、今は、読む気がしません。(意識過剰にならないように、自然に入ってくる情報で判断しております)
哲学は、[ソフィーの世界]という本を読だのがきっかけだったと思います。
仏教思想は、もの心ついたときには感じていました。
心理学は、子育ての悩みの知識として興味をもちました。
自分にあったものとあわなかったもの、どちらも出会いというきっかけがあったからです。
皆様も、気になることは、わからないなりに追い続けてみるとよいと思います。
何かに繋がるかと思います。
世界というものは、内側にいたら、あくまでも想像でしか外側は知りようがないのかもね。外側にでて、現実として知覚する方法はないのかな?(幽体離脱とか精神的ではなくてね)
全てを認識することができれば、なにかが変わるのかもしれません。
だから、祈り、信じるのかもしれませんね。
今の私の疑問です。
誠に勝手ながら、動画の中で名越さんの言葉に引かれました。
「名越さん、マイ・ブラザー」と呼ばせてください。
とても親近感を感じる兄貴に感じてしまいました。
ほんの小さな、心の拠り所なのかもね。
わかっています、くらべるまでもないですよね。
錯覚ですよ、いつものことです。
それでは、又
3月4日、追加…
いやいや、案の定なのか?
現実が襲いかかっています。
私の葛藤の後を追いかけてきているような錯覚。
争いはよしましょう。
人、それぞれに私という宇宙がある。
私という葛藤。
私をととのえられないのに、外側の宇宙をととのえられないのではないか?
外側を観ることで、私を知るという気づき。
ずっと、感じていた思い。
やりたいことをやりなさい。
すきなようにいきなさい。
どちらもおなじこと。
内と外の世界。
今、あなたが(私が)ここに存在して生きていることがすべてだと思います。
ありがとう☺️
未来が今になり、今は過去になることを感じられれば、何かが変わるのかもしれません。
あなたの求める何かが。
あなたをつくりあげる何かが。
最近、そんなことを考えています。
わたしにとって、
…自然なのかな?
今だ、わからないままですがね。
わからなくても生きていられる現実に感謝します。
そんな、当たり前の今に感謝します。
そんな、ことを思考できる私に感謝します。
わたしという小さな宇宙と、世界という大きな宇宙に感謝します。
…それで、どうするの?
…明日が今日になり、今日が昨日になる世界に生きているんだね。
…感じるまま、思考しながら選択する世界。
…生きているとは、変化すること!
おバカなちっぽけな私が伝えたいのはこの程度のことです。(自身にもね)
前にも、こんなこと描いてたな?
それでは、又
3月10日.追加…
最近、何もせずにボーとしていることが多くなりました。
ここ2年ほど、テレビを見なくなったからか?
世の中に興味がなくなったわけではないのですが…
どんどん、浮世離れしていくのです。
ふと思うのですが、日向ぼっこをしている老人の気持ちとは?……こんなことなのかな?と思うのです。
何かを感じているのです。
言葉にならない、何かを。
わたしは、人間なのでしょうか?
妖怪もどきなようなものなのでしょうか?
ひたすら、我がみちを生きていると、このような現象がおきるのかもしれませんね?
ちかくにあって、とおくにあるもの。
わかっているようで、わからないままなもの。
世の中の、こぽれおちた、何かを感じて生きているのかもしれませんね。
…改めて、今までの文章を読み返してみますと、描きたいことはだいたい描いているようです。
今後は、このような、自分自身が感じたことを描いていこうと思います。
たわいもないことですけどね。
それでは、又
3月21日、追加…
養老孟司さんの動画で、生命体とは思考の前に身体感覚が先にあるようなことを言っていた。
(生命体の感覚と思考の進化であり、脳の進化の仕組みの脳科学も知っていたほうがわかりやすいかな?…感情による身体反応と思考の変化や他者との関係性による心理学や社会学も知っていたほうがいいかもね。)
身体感覚とは、無意識が感じとり外世界と反応することであり、自然と生存の為の最適化をしている状態のことだろう。
私という生命体は、思考にあがらない意識化されないでいる多くの事柄のほうの情報で生きているようだ。
(身体感覚は言語化できない多くの情報を感じているのだろう?)
何もせずにボーとしていると、そんな意識化されないでこぽれおちた事柄(共通認識である常識から外れた言語化できない不必要な世界の情報)を感じているのかもしれない?
まるで、自我がとけて外世界と混じり会うような感じかな?
感情と論理的思考の中間のような?
私という自我を見つめる、高次元のわたしとは、このような感覚なのだろうと思う。
(身体感覚で感じている個人差による微妙な違いを最適化しているのか?…各自の誤差を抽象度を上げた言語による共通認識する思考をえた人類ゆえになのか?…人類とは、思考による想像で世界を創造する能力を手に入れた…まるで世界を認識する観測者のように…それすらも人類の存在の為の行為なのかも?…学問というアーカイブが世界なのか?…各自の言語化できないこぼれおちた情報を表現することがアートなのかも?)
たぶん、養老さんは、このようなことを伝えたいのだと思う。
名越さんの、自我(矛盾)と向き合う勇気が世界(内と外)を変えるような発言も、このようなことなのだと思う。(自然体になれば、それほど難しいことでもないのかも?)
結局は、自身の感覚で感じとり思考しなければ何も腑に落ちないということなのだろう?
(それぞれの知識と経験が大切であり、変化を繰り返して、それぞれの現在という現実という自我をつくりあげるようだ?)
わかったようでわからないままなものですかね?
だから、生きていられるのでしょうね。
あいまいで生きましょう………
気になることに向かってね☺️
内と外…互いに何重にも重なりあい変化する(スライムのような?アメーバのような多重世界?カオス世界を自我というわたしが繋ぐのか?)
それぞれの世界が共鳴しているのかな?
考えるな感じろ❗️
曼陀羅みたいにね…高次元のわたしをこえた神の視点なのか?
生きているって、本当に面白いよね。
4月2日、追加…
Youtubeで、MBTIという人を16タイプに分ける診断方法を知り試してみた。
私は、INFPという[内向、直感、感情、認知]タイプとなった。
他のタイプを調べてみると、INFJという[内向、直感、感情、判断]タイプのような気もする。
最後のPとJは一問違いだったので、どちらでもありうるのかもしれない?
そもそも、占いを信じられないのが私であり、世間の常識すらまともに信じていない。(とりあえずは、したがっていますがね)
とても偏屈で、自分自身の経験から感じたことを、心の奥底では一番信じている頑固者なのだ。
全ての情報は一例にすぎないと思う。
私を通してしか世界を観れないようだ。
いろいろな人がいますからね。
世界は、今だ理不尽だと思う。
だけど、そんなあいまいで不安定なこの世界が私には丁度良いかとも思う。
皆様にとって、より良い世界を望むならば、何事も未来永劫、決定などできないと思う。
ただ、(どんな人でも、自分にとって生きやすい世界を目指し行動できる世界)とは、そんな曖昧な世界なのだろうね。(ルールなどはとりあえずでしかない)
やはり、この世界はカオスなのでしょうか?
それぞれの可能性を求めるカオス。
決まっている未来なんてどこにもない。
若い頃は、焦りのせいか、答えを求めて白黒ハッキリとつけたかったけれど、歳を重ねるほどに余白という曖昧さは大切に感じるのです。
頭でっかちにならないようにね。
自分で牢獄をつくらないようにね。
自分も他人も縛りつけないためにね。
それが、(生きやすさ)につながるのかと思います。
暇な人は、MBTIタイプ診断でもしてみては?
くれぐれも、あまり、信じすぎないようにね。
たんなる一例ですからね。
4月10日、追加…
私は、Youtubeで[都市伝説の裏の裏]というチャンネルを登録しており観ている。
2年ほどになるが、最初は表ひろあきさんの系統の人だと思っていたのだが、今回の隠岐ツアーの動画の中で、竹内宿禰の75代めだと知った。
先代の73世の竹内睦泰さんは亡くなっており、どうしたものか?と思っていたのだが、ここにたどりつくとわ?と不思議に思うのだ。
私の小説にも影響を与えており、日本の古伝の竹内文書や九鬼文書、古事記や日本書紀等の神話から、ホツマツタヱのバーカーというキャラクターが産まれており、隠岐へ行き着く[神々の黄昏]という話しができたのだ。
私は、もとからスピ系でありオカルトが好きなのですが、こうして年齢を重ねてボンヤリと生きていると、なんだか奇妙な縁を感じてならい。
若い頃は、あれこれと振り回されて当然だが、ある程度の年齢になると何をしてきたかがその人をあらわすようになるのではないか?
たいして努力をしているつもりもないが、向こうから情報がやってくるようだ。
まるで、私の中にひそむ何かがざわめきつながりあうかのような、懐かしい感覚がする。
毎月、[ムー]を読んでいるからか?
Youtubeというネットで繋がる時代だからか?
ただ、思うことは、あまり自分の国の思想や価値観をアピールしないほうが良いかと思う。
それぞれの信じるものがあるからだ。
自身が自分の国に意味付けをして誇りをもつことは良いことであるが、それぞれの国の人が「我が国の歴史感はこうだ」主張しすぎれば争いがはじまることだろう。
相手の国の文化や歴史に興味をもち、学んでくれる人に伝えればよいだけだと思うのだ。
言葉にならない思想こそが、もっとも大切であり、私にとっての根元なのかもしれない。
それは、言葉ではなくて生き様に宿るのかもしれない。
私は、全ては主観でしかないと思う。
それぞれの世界感を求める世界。
そんな時代がはじまりそうだ。
4月12日、追加…
私なりに考えてみた。
とても言葉で表現するのは難しいことなのだが。
[自分の求める世界へ向かって生きる]
誰もが自分の欲求にしたがって、感じるままに行動する。
そこに主観はあるが、主体はあるのだろうか?
私がしたことの責任はあるのだろうか?
自覚なき正義。
漂う自我。
それでも、人は善意であると思う。
(善も悪も愛ゆえに、なのだと思うのよね…幸せも不幸もね)
善意ゆえに、過ちを起こすのだと思う。
それぞれの信じる世界の可能性に向かって生きる。
歳をとって思うことは、責任なんてものはとれないということ。
とらなければならないとは思うのだが、取り返しのつかないことばかりだということ。
それが、過去というものだと思う。
若い頃は、世間知らずの恥知らすで可能性を探すものなのだと思う。
歳をとると、そうともいえず、哀れみのような感覚を感じてならない。
[はかなさ]とでも言えばよいのか?
ですから、個人なんてものはないのだと思う。
反対に全体なんてものもないとも思う。
それが、生き様に現れるのだと思う。
それぞれの生き様にね。
[人に歴史あり]とは、そのようなことなのだと思う。
(何を言ってるのか?、私にも限界があるのよね。うまく説明できなくてすみません)
とにかく、
みなさん、すきなようにいきなさい。
しょせん、大衆ですからね。
神になりそこねたとは、そのようなことなのだと思う。
身の程を知るとは、とても難しい。
しかし、
知ってしまえば、これほど、当たり前のこともないよ!
(実際は知るというよりも感じるものかな?それぞれの捉え方でね。…私にとっては、感覚の経験による抽象度を上げた客観的な認知を直感することかな?)
気というエネルギー世界がある。
思想意識という情報世界がある。
現実という行動世界がある。
その上にも下にも連なる世界がある。
みなさん、
長生きしましょうね。
(生にしがみつく必要もないとも思うのだが、自ら死を願うこともどうかなとも思う。なるがままに…)
私という存在があるという世界をあじわいましょうね。
4月15日、追加…
「そのときにならなければわからないだろう?」
最近の私はこの言葉がよくよぎる。
争いを恥ずかしいと感じる私がいる。
争ってまでしたいことがない私がいる。
ただ、避けてぶつからないようにする私がいる。
今までの生き方をふりかえれば、そんな私がいる。
この先に何が待っていようとも、生き方は変わらないのだと思う。
やはり、そのときにならなければわからないだろう?
いつも、すき間を探して生きてきたように思う。
努力も我慢も競争も、私には不向きなのだと思う。
生命体としては、できそこないなのだろう?
そんな私なのだから、いざというときには、真っ先に死んでしまうかもしれない?
もしくは、そんな私だから、生き残るのかもしれない?
考えてもしかたがないことを考えている私がいる。
無意識に、まるで、当たり前のように考えている。
ボンヤリとした静寂の中で、他の人は何を感じるのだろうか?
だからといって、他人のことまで深刻になれないのが私なのだろう。
つくづく、自分の世界を生きているようだ。
これが私の個性なのだと思う。
私は、このままでよいと感じている。
そして、又、ボンヤリしだす私がいる。
自然という言葉は、自と然でできている。
自由という言葉は、自と由でできている。
自然と自由。
どちらも自がついている。
根元なるものなのか?
それぞれの言葉の意味を調べてみると、「なるほどな…」と感じる私がいる。
言葉とは、呪文なのだと思う。
人は、そんな言葉で思考する。
勝手に関連つけて、組み合わせたり比較したりする。
思考とは、呪文なのだと思う。
言葉ひとつで、人類の時の流れを感じてならない。
またまた、おかしなことを思考している私がいる。
言葉には霊が宿るという。
言霊とは、よく言ったものだ!
[カタカムナ]がひそかなブームのように感じる。
これも、時の流れなのか?
ふと思うのですが、後書きに付け足していく、このスタイルはなんなのか?
いまさらながら、誰も気づかず読まないであろう。
いったい、私は、何に向かって描いているのか?
それは、独り言なのか?
いや、未来のAIに向かって描いているのかかもしれない?
生きたあかしとしてか?
「まぁ、なんだって、いいんじゃない。」
私にとって、良い時なのだからね。
4月18日、追加…
私は、毎月千円を払って、Kindleunlimiteに入っている。
ある程度の本が無料で読めるのがありがたい。
ネットと連動しているようで、私が興味をもった事柄に関連する本が無料で読めるような気がする。
(全てではないが、何日か後におすすめにあがる)
今日、[カタカムナが解き明かす宇宙の神秘、天野成美]という本をダウンロードして読み始めた。
カタカムナとは、何年か前にムーで知って以来、たびたび目につき気になってはいた。
であいは5年ほど前か、江戸時代に発見された神代文字で書かれた古代の日本の俳句のような世界感が魅力的な文書なのがカタカムナであるが、偽物か本物か?はわからない。
亡くなった竹内宿禰のむっちゃんは、偽物だろうと言っていた。
縄文より伝えられた世界最古の文字であり、48ある音ひとつひとつに意味があり音の響きにエネルギーが宿るようなことは知っている。
おそらく、私の今の知識でだいたいのことは知っているだろう。(さまざまな本やYouTubeで学んだこととかぶると思うが、この作品に影響を与えた知識を見つめ直すためか?)
ようやくカタカムナも、世間に認知され始めたのか?
だけれど、今このタイミングでこの本に出会うことに意味があるように思う。
これも私の流れの一部なのだろうと思う。
ネットで繋がる世界は個人の流れを加速させるようだ。
はたして、それは自然なのか?
それとも、新たな洗脳なのか?
疑り深いのが私なのだが、
「まぁ、いいんじゃない。」
とも思う私がいるのも確かなようだ。
流れに身を任せてボンヤリ生きている。
先のことなどわからない、が、何かがざわめきだす。
あらたな、感覚を目指しているのかも?
そんな幸せも、いいんじゃない。
ときには、未知なる世界に飛び込むのも、いいんじゃない。
そんな感じがする。
「予定調和から連鎖調和へ」という、保江邦夫さんの言葉を思い出す。
4月19日、追加…
カタカムナの本を読んでいる。
やはり、このタイミングのような気がする。
おさらいをしているようだ。
三年前のこの作品をかく前では上っ面の言葉でしか感じられなかったと思うから。
気になる方は読んでみてわ?
ただし、人により受け取り方は違うかと思う。
それが感じる世界であり、私にとっての調和なのだと思う。
あなたにとっての調和の世界を感じられるかもしれないよ?
人によっては、ゴールかもしれないし、あらたな世界感のはじまりかもしれない?
今の私では、このような表現でしか伝えられなくてすみません。
まだまだ、残りのページを読み続けますが、感じ方がかわるかもしれないし、きっと、読み終えても世界が広がり続けるような気がする。
おそらく、私はこのような感覚を求めていたように思えてしかたないのです。
あくまでも、私にとってですからね。
自分とは、自と分という言葉でできている。
なにも分けなくてもいいんじゃない?
それでも我は存在できることが自なんじゃない?
そんなことを感じる、今日なのです。
4月25日、追加…
最近、プライムビデオで、スタートレックのピカード2シーズンを観ている。
子供の頃からスタートレックは好きなのですが、歳を重ねるほどに好きになっていくようだ。
(子供の頃はスターウォーズの方が好きだったのですが、わかりやすいスターウォーズと違い、古典的SFの世界感をベースに、さまざまなキャラクターの関係性と心理描写が魅力的だと思う)
我ながら「こんな複雑なストーリーの表現をよく観れるな」とも思う、
(妄想オタクにとっては複雑こそが楽しみなのかもしれない。)
永い歴史があるほど、世界は広がり情報は蓄積される。
現実であろうが作り物であろうが、情報としては変わらない。
今の私にとって、現実も作り物もたいしてかわりはないようだ。
そこには、私の感情を刺激する流れがある。
それしても、スタートレックは良くできていると思う。
さまざまなキャラクターを通して私の感覚を刺激する。
(ときとり私の記憶と重なりあう場面に出会う)
人間、バルカン人、ロミュラン人、クリンゴン人、ポーグ、ヒューマノイド……さまざまなタイプのキャラクター。
まるで、シンボルとかすキャラクター。
日本でいえば、ガンダムであろうか?
月々500円という、わずかな金額で(私にとって)さまざまなコンテンツを楽しめるアマゾンはすごい。
(ビデオ録画の編集作業とDVD収集作業からの解放であるが、そんな作業も知識の広がりがあり楽しかったけどね。…空いた時間で、今はこのような感覚の記録に移り変わってきているようです。…オタクな私の日常。)
(大企業によるコンテンツの争奪戦をしているようで、スターウォーズはディズニープラスに版権が渡ったが、スターゲイトはアマゾンが版権を獲得したようで、そのうちにオリジナルドラマが観れるかもしれない?)
アマゾンには、このまま庶民に優しい世界中を繋ぐ巨大企業の役割を願う。
(まだまだネガティブなことも多いが、オタクにとっては)
とても良い時代になったと、私は思う。
(私のような、人と直接接するよりも作品を通しての方が気づきやすいタイプにはありがたい。)
そのように思える私にありがとう☺️と思う。
(まるで奇跡のような)
良い世界にありがとう☺️と思う。
4月26日、追加…
いまさらながら、「ありがとう」に幸せを感じる。
私と他者を繋ぐゲイトが開くような気がする。
私が[ありがとう☺️]と感じるとき、世界は繋がるのではないか?
それは、生物である必要はなくてなんであってもよいだろう。
そんなことを感じる私にすら、[ありがとう☺️]と感じる私がいる。
世界はつながりあうかのようにできているのではないか?とすら感じてならない。
引き寄せやら、導きやら、覚醒やら、なんだっていいよね。
そういうことなの?と思う私がいれば、それで良いでしょう。
[ありがとう☺️]でなんとかなるということなのだと思うのです。
今朝、目が覚めてボンヤリと感じたことがありがとう☺️ということでした。
夢でもみたのかな?
せっかくですので、忘れるまえに描いときます。
4月27日、追加…
[ありがとうで世界が繋がる]について考えてみた。
私と何かが共鳴するということだろうか?
ありがとうとは、境界を開ける隙間により、分離している事柄を繋ぐことなのだろう。
おそらく、この説明では理解できる人は少ないだろう。
私が、この小説の世界感の設定を考えたときに、現実という器に種がやどり自分という世界をつくりあげるという、空の中の有という発想をしたことを思い出す。
私という種は現実と想像に関係なく、あらゆる事柄から自分という世界を広げていく。
それは、次元(パラレル)を越えて無秩序に繋がり取り込み、私を通しての世界観というストーリーをきづいていく。
大きな枠組みであろうが小さな枠組みであろうが、しがらみ(因果法則)を越えて解き放たれた有は、互いに影響しあって繋がりあうことにより変化していく。
これが、この小説の世界感であり、いくつもの可能性を生み出していく物語を描こうと思っていたのです。
今になって、そのきっかけを与えるものが[ありがとう]なのだと思う。
この回のタイトルである、[はっと我にかえる瞬間、自分さえもきえる瞬間]ともいえる。
そのとき、私は自分と自我を越えて何か大きな関係の世界の中に漂っている(神の視点かも?)のだと思うのてす。
やはり、伝わらないよね☺️
言葉の限界。
未知なる世界は説明できず、体験するしかないということなのかな?
私は、どんな人でも、有というそれぞれの理想(夢)をもって生まれてきていると思うのです。
[ありがとう☺️]
で繋がる世界
すきなようにいきましょう。
4月29日、追加…
最近の私は「すきなようにいきましょう。」とよくかいている。
それは、やりたいことをやることが生きることだと思うからです。
それこそが自分探しに繋がるのだと思います。
(まずは、さまざまな体験を通して自立に向けて。)
私は私を生きることしかないと思います。
(探しても意味は無くて元から根源としての存在かあるのだと思う。)
私は、なにも好き勝手にやりたいほうだいしなさいと言っているわけではないですよ。
忘れてならないのは、自分が行った行為は自身にかえってくるということなのだということ。
後悔したところで責任はとれず、そんな自身を背負って前に進むしかないのが人生だと思います。
それが良いか悪いかは、そのとき、感じるしかないこと。
私は、自身にとって良くても悪くても、そんなことを感じられる体験にであえことに「ありがとう☺️」と思えるようになれたら幸せだと思うのです。
次元を越えて、時空を越えて、自他を越えて、今この瞬間に「ありがとう☺️」なのです。
だからこそ、根源からの直感なのです。
あらたな、感覚かもしれませんね。
知っている人は、あたりまえなのでしょうが?
私は、そんな繋がる世界を生きたいようです。
そろそろ、まわりくどい自身にいやけを感じているようです。
(それが私なのですが、認めたうえでの生き様があるかも?と思う。)
臨機応変に適当に当たり障り無く生きたいようです。
4月30日、追加…
最近、なんだか日記のようになってきました。
私の日常の記録であり、内面の記憶なのです。
今日、プライムビデオで[アンダン~時を超える者~シーズン2]というアニメを観ました。
おそらく、映像で伝えたいのか、実写をアニメに合成したような表現で、好き嫌いがわかれるかと思います。
アメリカを舞台にネイティブアメリカンの精神文化を受け継ぐ女性が、特殊能力(量子もつれによる心霊現象?)をつかい、この世の真実を求めて、時空を超えて繋がりあいながら自分探しをするような物語だったと思う。
シーズン1を観たとき、なんだか引き付けられたことを思い出す。
私の感覚に近いからか?
オカルトなのかSFなのか?どことなく縄文思想にも似ているような?
このような感覚の表現を日本ではなくて海外の人がすることが面白いのかもしれない。
私が思うに、自分とは我とその他のものがおりなす関係性なのではないのか?おそらく、裏テーマはそんなとこだろう。
そんなことを感じながら1話を観た。
アマゾンには、「よくも、まぁ、こんな一般的には需要のないドラマをつくってくれるな」といつも思うのだ。
そんなドラマを楽しめる私もどうかなとも思う。
どちらにしても、「ありがとう☺️」なのです。
他にも、[思うままの世界]という発達障害者のドラマも面白いです。
そんなマイナーなアマゾンのオリジナルドラマが好きな私なのです。
あくまでも、私の感じる感想ですので、解釈は人それぞれですよ。
5月1日、追加…
いつも思うのですが、私は[もったいない]にとらわれている。
育った家庭環境ともって生まれた根源のためか?
それほど困るほど貧困でもないし、働かなくてもなんとか生きていけるようにもなったのだが、いまだに贅沢をすると満足感よりも罪悪感を感じてならない。
[ありがとう☺️]という感覚が、それを打ち消してくれるようになってきたのだが、それでも、なにかに夢中になるほど覚めてしまう私がいる。(客観的に自身を分析しているからか?)
私は、どこにいるのだろうか?と思う。
脳では他者のように私を感じてならないが、肉体の感覚を感じるときに、たしかに私はここに存在しているのだ!と感じる私がいるのも事実なのだ。
脳も肉体の一部であることをと思い出す瞬間であろう。
しかし、長年、こんな自身とつきあっていると、これはこれで面白いと思うようになってきた。
一番の道楽であり、相棒の肉体に[ありがとう☺️]
頭、おかしいよね。
そんな、私にも[ありがとう☺️]
そんな、私がいる世界にも[ありがとう☺️]
ふりかえると、楽に笑っている私がいる。
それで良いと思える私がいる。
おそらく、これが幸せというやつなのでしょうね。
この回を描いた時から3ヶ月ほどがたち、後書きに日記のように思いついたことをかいてきましが、だいぶ自身のペースを取り戻してきたようです。
我を忘れるほどの衝撃を繰り返して少しずつ変化していくようです。
ためこんだ知識が溶け込み自身と融合しているかのような感じがします。
私の前提の意識が私の存在の根源と繋がり一体となるような感覚がします。
まるで次元と時空を超えて、私の連続体が最適化しているような気がします。
あらやる時期の私に、[生きてくれてありがとう☺️]
そんな感じなのです。
5月2日、追加…
過去の人類からみれば現在の世の中は奇跡の連続だろう。
「こんなに魔法のような世の中なのになんで?」
と思うことばかりかもしれない。
一部の人にしか魔法の仕組みがわからないようになるかもしれない。
才能が格差をうむのか?
知識が格差をうむのか?
世界を統一して管理しなければこの世の中は維持できないのか?
もしくは
それぞれの理想を求めて多様な世の中をきづくのか?
私にとって、「なるようになるんじゃない!…どちらでもかまわないな。」
(他人のことまで支配できないからね)
私は私の生きたいようにいきるだけなのだから。
(そのくらいしかできないのが現実であり、自身の生き様でしか伝えられないのだろう)
私の存在を生み出してくれたすべてに
[ありがとう☺️]
そんなことを感じる私がいる。
5月3日、追加…
前田日明さんのYoutube20万人記念動画を観た。
[やっぱり、この人はカリスマなんだな]と思う。
ひとつの時代を象徴する人は、創世記にその世界観の中心にいたのだろう。
なにかの運命に導かれたのか?
そこに集まるものたちのエネルギー源なのか?
私はそこに並ぶことすらできず、ハジッコすらもかじられなかったが、
そんな時代を眺められて[ありがとう☺️]
そういえば、昨日は忌野清志郎さんの命日だったな。
素敵な時代に生きれて[ありがとう☺️]
どんな人でも、そのように感じられる世界だといいよね。
未来に向けて[ありがとう☺️]
私が思うに種とは根源なのではないのか?
それぞれ、少しずつ違う根源をもってね。
時空を超えて引きつけあうのは、そのためなのではないのか?
過去と未来をボンヤリと感じて今を生きていると、そんなことを感じてしまう。
なんだか、しっくりしている私がいる。
もしも、ひとつの空からあらゆる世界が生まれたとするなら、私はその広がるエネルギーの残像なのかもしれない?
種は選択により物語を繋ぐ。
そして、変化をしていく。
パラレルであり、可能性の一例の残像。
生有る限りのね。
また、おかしなことを思う私がいる。
5月5日、追加…
人とのであいは不思議だ。
妙な運命を感じてならない。
私は人が生まれ変わるという、前世を信じられない。
それが前世からの繋がりであろうがなかろうが、無用な詮索をすてて、相手を受け入れる隙間をつくることが重要なのではないのか?
おそらく、種どおしが無意識に感じているのだと思う。
もしも、生まれ変わりかあるとするなら、前世だけでなく後世との因果関係もあるはずなのだが?(前世は確定しても後世は未確定だとでもいうのか?前世の話題ばかりなのはなぜか?)
なんらかの認識をして、気にするといことは、好き嫌いをとわず種どおしが意識しているからなのだろう。(相性があわなくても相反するものからの学びほど気づきは大きいよね。)
変化のせんたくのときなのだと思う。
心理学を観ていると、自身の連続体が今この瞬間を生きていると感じてならない。
だから、すべて繋がりあって成り立つのだと思う。
すべてに[ありがとう☺️]はいちぶに[ありがとう☺️]につうじることなのだと私は思う。
とにかく[ありがとう☺️]
5月6日、追加…
毎日、日記を書いている。
[ありがとう☺️]日記
思いもよらず、繋がる世界を感じている。
私のうちなる声は、どこから来るのか?
場所をとわず、気になりだすとどこでもうちなる世界に没入してしまう私がいる。(車の運転にはむかない、なんでも思考で追及したくなるタイプなのか?外向型は行動による反応で追及するのかな?)
外世界からの刺激を、私のうち世界が感じている。
気づきという認識で打ち消している。
(気づいてしまうと、そんなもんでしょと理屈を超えて納得してしまう)
私の世界のなかにあらた感覚と感情が繋がり一体となる。
内向型の世界は、利己か利他か?
どちらでもないように思う。
どちらの世界が根源にあるかの違いなだけだと思う。
このようなことばかり感じる、私の軸足は内向型なのだろう。
内向型といっても、調子が良ければ外側に世界を求めて移動していると思う。
外向型よりは行動力は、とても少ないけれどどちらの世界も大切だと思う。
いったりきたりすることが大切だと思う。
今日は窓から外を眺めている感じの私がいる。
[精神エネルギーの世界]とでもいえるかな。
息吹の流動する世界に[ありがとう☺️]
力をぬいて、ここちよいせかいを感じていると、まるで
未来から過去に向けて今が眺めて生きているようだ。
自然に[ありがとう☺️]
5月7日、追加…
日記というものは、何か意味のあることを書かなければいけないのか?
「今日は特別、書くこともない」とかいてみよう。
そんな日に[ありがとう☺️]
そうそう、小学生のあの頃、毎日の日記は書くこともなくて苦痛だったが、「今日は特別、書くこともない」とかける日記であったなら楽しかっただろうと思う。
(個人の認知力と言語表現力の学習なのであろうがね。毎日、赤ペンチェックする先生もたいへんだったろうね。)
そんな小学生の私と先生に[ありがとう☺️]
5月8日、追加…
この世が現実か虚像か?
そんなことはもはや、どちらでもかまわない。
テレビのニュースが洗脳だとしても、.あらゆる出来事がコントロールされていたとしても、どちらでもかまわない。
私の世界は広がり続ける。
生きているかぎり。
そんなもんでしょ!
過去をふりかえると、八方塞がりのどん詰まりの頃もあったけど。
今、幸せなのだと思う。
欲望を探して追いかけて、何が何やらわからないまま悩んでいたあの頃に[ありがとう☺️]
いきがりたくてもがんばれなくなっていくようです。
もう、もどりたくてももどれない日々。
わざわざ、幸せを願うこともない日々。
肩の力をぬいて、やりすごす日々。
欲望じたいが変わってしまうのです。
幸せは追い求めるものではなく、感じるものだと思います。
みのまわりにある、あたりまえのね。
おっさんのたわごとですよ。
とにかく、生きていましょうね。
思うがままに、[ありがとう☺️]
5月9日、追加…
ある程度の年齢になると、人生経験からか、鈍感になっていくと思う。
新鮮度は薄れるが、直感がさえてくるような感じがする。
おそらく、自身の流れに抵抗しなくなるからだろう。
私が言う、いわるる[おっさんのたわごと]というやつだろうか?
それぞれのたわごとがあってよいと思う。
その人の未来からひっぱられているようなたわごと。
世の中の流れと、たとえずれていたとしてもね。
取り残された世界だとしてもね。
高齢者社会に向けて、そんなことを思う。
いろいろな問題は、そりゃ、あるけれど、
すてきな日本に[ありがとう☺️]
5月10日、追加…
趣味というものは非効率だと思う。
社会にとっては興味がなければ意味のない世界が趣味なのか?
(企業は利益がなければ価値などない世界とは反対)
趣味という生きがいとは非効率なものなのか?
私は長年、熱帯魚を飼育するのが趣味だ。
(子供の頃に家に池があったり、金魚が好きだったり、排水路のような町の小川でザリガニ等をとったりと、なぜだか、水や魚に縁があるのだ。)
ペットと美術品の中間のような世界を眺めている時間が好きだ。(育てる楽しみと観賞する楽しみ)
子供の頃から自然が好きで、田んぼのある田舎に憧れていた。
結婚して18年間あこがれの田舎で生活をした。
町のようになんでもギュト集まっていないため不便であり、人数が少ない分役割も多いが、解放感はあったと思う。(効率と機能性を求める人には不向きかな?)
そんな田舎でカエルや魚をガサガサして捕まえたり、季節ごとの行事に参加しながら子育てをした。
今の私は、町に住んでいるので、比べてみると、「町のほうがきらくかな?」と思ったりもする。(あこがれをあじわって満足したからか?)
どこに住んでいても、熱帯魚の趣味だけはやめられず、規模の大小の差はあるが続けてきた。
熱帯魚の趣味を始めた頃は、今のようにネットでの成魚の動画なんかなくて、あこがれの魚は自分で育てなければ本当の姿を味わえなかった。長い時間をかけ、手間暇をかけて結果を知ることになった。(相手は生き物なので必ず育つとは限らないし、それなりの経験によるノウハウは必要であり、生活の一部とかした。…ここが重要なのかな?)
今は検索すれば、お手軽に結果を知ることができるが、その分、自分なりに味わう楽しみは半減しているのかもしれない。
(別に便利なことが悪いわけではないよ。皆さんが同じようなことを言ってるよね。)
どんな趣味にもあてはまることのように思う。
時代はかわれど、なんだかわかないけれど、子供の頃から興味があることを大切にしましょうね。
それぞれの想いで興味の世界を育てようね。
そんな時代に[ありがとう☺️]
そして、あらたな時代に[ありがとう☺️]
5月11日、追加…
私が子供の頃、ボクサーという犬が家にいた。
2年くらいで死んでしまった。
私はずっと犬と暮らしたいと思っていたことを思い出した。
私は人間に近い動物を飼うのを避けてきた。
(時間をとられるのがめんどくさいし、自分のせいで死んだら嫌だし、飼う自信がないからだ)
去年、息子がアメリカンコッカースパニエルという犬をつれて帰ってきた。
あれから1年間。
最初はイヤイヤ世話をしていたが、散歩に爪切りにブラッシングにシャンプーにトリミングにと、毎日この犬と関わる時間が増えてきた。
犬とふれあっていると、共感力があがる気がする。
犬は最高のエンパスであり、相手の波動を返してくるように感じる。
犬は最高のメンタルトレーナーなのだろう。
(ある程度の心理学の知識は必要だと思う。)
おもいもよらない形で犬との暮らしをあじわうことができた。
最近、このように子供の頃に思っていたことが現実になることが多い。
「幸せは忘れた頃にやってくる。」と言われているが、
自身ではあまり気にもならなくなって、考えもしない頃になって幸せがやってくるようだ。
(なにも幸せ自慢をしたいわけではないのですが、こんなことがあることを伝えたいのです。)
息子と犬に[ありがとう☺️]
5月12日、追加…
心理学を学びたい人には、自身にたいして自信がなくて不安(自己肯定感が低い)があるのだと思う。(もちろん、誰かを助けたいという人もいるだろう)
わざわざ、心理学を学んだとしても、カウンセラーに向いていない人も多いと思う。
私は発達障害の子供を育てる助けとして学びだしたが、世界になじめない変わり者である自分自身のことがしりたかったのだろう。
私は心理学に興味があるが、カウンセラーには向いていないと思う。
他人に関心がもてず、自身の心情を通してしか世界を捉えられないからだ。
優しさとはなんだろうか?
アドバイスを求められたとしても、適当にごまさすか、確信を言ってしまい気まずくなるくらいだ。
相手は自身を見失い戸惑っているのだから、安心感が大切であり、さりげなく、生きる希望と勇気で導かなければいけないのだろう。
自閉症あるあるではあるのだが、そんな私だから心理学や脳科学やスピリチュアルに興味があるのだと思う。
人に何かを教える先生という人たちをみると、いつも思うのだが、どうしてそんなことができるのだろう?と感じる。(なんの目的でどんな満足があるのか?)
人間には、向き不向きがあるのだろう。
とにかく、愛の光りとは反対の自己中心の世界を生きているのだと思う。
ただ、そんな私でも、相性によっては、誰かの助けになっているようなのだ。
このような私も、やりかたが違うだけで、私なりの愛と光りにより世界と接しているのかもしれない。
比べても仕方なく、あるがまま生きることがよいのだろう。
私なりの世界を広げるのがよいのだと思う。
お互いに、足りない何かをささえあって世界は保たれているのだろうね。
こんな私でも、生きていられる世界に[ありがとう☺️]
5月13日、追加…
夜中に目が覚めて、ボンヤリと思う。
私の存在する世界には、私とその他の物事(認識する全て)が有る。
私の中の世界には、私の根源である種(魂のようなもの)と種が投影(私が認識し想い描く)する物事が有る。
全てを包み込む世界と私と私以外の存在と私の種との関係性でこの世はなりたつのだと想う。
私の投影が変化することで、この世の流れが変わる(私にとっての次元移動であるパラレル)のは、そのためなのだろう。
それを、魂の成長と言うのかはわからないが、種の認識する幅が広がったからなのだと思う。
善悪も好き嫌いも含めて、感情により視点が変わることで直感的に世界を感じるシステムだからなのか?
(今、書いている文章も私が感じる投影の一部だろう)
そこに、あらたに疑似世界である電脳空間がくわわるだけでしかない。(あらたな認識という投影)
現実の認識の問題なのか?
自然の保全のためなのか?
私たち人間の欲求の保全のためなのか?
どちらにしても、自然淘汰という、ふるいおとしはさけられないと思う。
自然淘汰のまえには自由なんてかりそめなのか?
なぜか、私の投影にゲッター線というキーワードが写る。
そんな自然に(ありがとう☺️)
5月14日、追加…
眠りと眠りのつかの間にボンヤリ
私の奥底に潜むもの
私は私を信用できない
どこかで、いつも、うたがっている私がいる
デビルマンか、ジギルとハイドか、カフカの変身か
又、そのような夢をみた
根源に常識のない私は、追い込まれたときに何をしでかすか?
すべてを捨てて衝動にまかせたい欲求
破壊神とでもいえるのか?
自身の探求の成れの果て
そちらの私は何を生み出すのか?
15才くらいから、そんな不安を時折に感じている
世の中にあわせ、一般的な共感という幸せを求める私
世の中になじめない私
私の中のもうひとつのなじめない私
これは、一般的かどうか?誰にでもおこることなのか?
私、特有なのか?
どちらにしても、ひさしぶりに感じている
年齢を重ねて、自身の安定を感じていたのだが、いまだにいるようだ
私にとって、結婚して子供をさずかったことはよかったと思う
あるいっせんを越えないで生きていられるからだ
人の親としてという強い想いがあるようだ
私の中の境界線をふみとどませる存在
親でも兄弟でもない
私の子供に[ありがとう☺️]
5月15日、追加…
若い頃にはわからなかったことがある。
知識と経験がなせる技なのか?
精神と肉体が変化したからか?
私の中のいくつもの感情を統合する存在。
次元をこえて選択の数だけ無数に散らばる私がいる。
今、ここに存在する私は、生きているだけで感謝しかないということ。
あらゆる選択が間違っていないという証明だということ。
自然淘汰とは、そういうことなのだと思う。
頭の中で妄想する、可能性の数だけ無数に散らばる平行世界。
求めるものも違えば、到達点すらも違う私がいることだろう。
いくつものカルマを背負い、浄化しながら、進む世界。
まるで、すべてをあじわおうとするかのように、貪欲な世界。
欲求は悪いわけじゃないと思う。
ひとつづつ、世界をあじわいましょうね。
別の世界で違う物語を生きる私に[ありがとう☺️]
そんなメッセージなんだと思う。
私は私の世界を生きるだけ。
それを、どうとらえるかは、私しだい。
生きていましょうね。
5月16日、追加…
人の記憶は、時とともに風化する。
デジタルの記録は、積み重なり分厚くなる。
過去の価値あるものは永遠なのか?
アートの世界は現代か過去か?
それとも、未来か?
死なない世界は変わらない。
生物は変化することに価値があるのだと思う。
人類が表現するものとは?
私は、認められた価値よりも、まだみぬ世界に価値を感じる。
私が感じている、知らない世界にね。
未来の私を信じているのだろうと思う。
そんな未来の私に[ありがとう☺️]
(過去よりも未来の自身を信じているのだろうとすると、現在の自身は慎重になるのだろう。
それくらいがちょうどよいのだと思う。
だから、私は自身を信用しておらず、よりよい未来の私になろうとするのだと思う。
おそらく、思考と直感のあいだを瞬間的に選択することで多次元とつながりあっているのではないか?と思う。…そんなことを真顔で感じている私もアホだよね。そんな私に[ありがとう☺️])
5月17日、追加…
私は自身の空間に他者を認識すると、とても気をつかう。
精神的な束縛が苦手なのだろうか?
(特に意味のわからない、感情的な他者が苦手な私なのですよね。)
種としての生物的な興味はあるようなのですが、個人の感情(生き方)に関心はないようです。
根源では他者のことなどに関心がないにも関わらず、おかしなものだと思う。
(この私の現実を納得するまでに、ずいぶんかかったのですがね)
育った環境による、生存戦略なのだと思う。
(何事もなくやりすごしたいという思いなのか?。無意識では、回り回ってお互いにかかわりあっていることを知っているからだと思う。)
できれば認識しない距離感で共存したいと感じているが、この現実では難しいことだろう。
実によくできた世界だと思う。
私の根源の反対をあじわなければ生存できない現実。
それにより、あらたな発見をして広がる世界。
そんなことを思うと、なんでも平等に交換できるお金という仕組みも、勝手にわずらわしい管理をしてくれる階級制度も、反対側からみれば、身勝手な私にとっては生きやすい仕組みだと思う。
(現在の現実世界を改革したところで同じことだと思う。まずは、自身の捉え方を生きやすいように調えることで、個人の問題はある程度は解決可能な世界だと知ることだと思う。それぞれに、要領よく生きることは大切だよね。いつの間にか、自身の生き方が現実の仕組みの中に取り込まれているにもかかわらず、誰かもわからず、あたりまえのように共有されている状態が理想的だと思う。)
自己中心的にあたりまえのように生きていられるお子様思考の私にとってはだけどね。
認識できない皆さんのおかげで私は楽に笑えるのです。
認識できない皆さんに[ありがとう☺️]
5月18日、追加…
最近、私たちのような肉体をもった意識生命体のほうが、実は例外的なのでわないのか?と思っている。
この地球という3次元に生存しているから、他を不思議に感じているが、逆だったりして?
私たちは、すべての次元に生存する私たちの分身である意識とひもづいているのではないか?
太陽と月と地球と銀河との関係性は曼陀羅ではないのか?
太陽の光りが浮かびあがらす投影なのではないのか?
太陽こそが次元のゲートであり、私たちは地球にとじこめられた新たな世界の神の根源なのではないのか?
地球は銀河の特異点であり、雛形なのか?
肉体にとじこめられた意識。
私たちは創造性をもつ生命体だからなのか?
もしも、私たち一人一人が大いなる意識(大日如来)の欠片の一部であったなら?
物質とは、ふれあい変化する。
地球とは?………未知なるカオス
地球は、ゲッター線の貯蔵庫なのか?
光り輝く夜空の星ぼしは、時空間を越えた私たちが想像した別世界の投影であり、それぞれのデータベースなのではないのか?
物質は光りを照り返して浮かびあがる。
なぜ、ここにきて、マルチユニバースが話題にあがるのだろうか?
人類のあらたな感覚とでも言うのか?
時空間をこえて、ならびたつ世界。
おかしなことを感じる私に[ありがとう☺️]
(もっと、分かりやすく伝えたいのですが、言葉をならべるほど遠ざかる感じなのです。私も、なんとなくそんな気がする程度のあやふやな感じなのです。結局、「好きなように生きればいいんじゃない」ってこと。)
5月19日、追加…
私は子供の頃から物語に入り込むのが好きだ。
仮想空間にかわりわない。
シュミレーションゲームやロールプレイングゲームに夢中になったり、本を読みまくったり、アニメを観まくったりしたものだ。
そのなかでも、映画は一番の娯楽だと思うが、もっとおもしろいことがあるようだ。
今は、自身の人生そのものに入り込んでいる。
生きているだけで、誰もがあじわえる物語。
好きなように生きましょうね。
私を楽しませてくれた、
さまざまな物語に[ありがとう☺️]
そして、これからも、よろしくお願いします。
5月20日、追加…
私は子供の頃からずっとプロレスを観ている。
なぜか、気になり観ている。
格闘技も好きだが、やはりプロレスの一部でしかないと思う。
自身の限界に立ち向かうところが好きなのかもしれない。
もしくは、さまざまな生きざまを観れるところが好きなのかもしれない。
さすがに、ガチとも信じていないが、ファンタジーとガチのはざまを感じられるところが好きなのかも?
夢中になったり、嫌気がさしたりしながらも、それでも、観てしまうプロレスに[ありがとう☺️]
スポーツを楽しめないのに、プロレスは楽しめる。そんな私はなんなのか?
ガチよりもファンタジーに魅力を感じるのはなぜか?
そこに、何かがあるのかもね。
5月21日、追加…
夜中に目が覚めてボンヤリとしている。
私たちの生きる世界。(陰陽)
無限に広がる大きな宇宙という空間(器)。(プログラミング銀河。)
私という意味づけをする肉体と感情をもつ意識生命体は可能性の進化の方向をうながす。(カオス地球。)
浮かびあがる、相対する光りと影、善悪、好き嫌い、仮想と現実、有と無、生と死。(光りをはなつ太陽。)
記録し調整する。(観測する月。)
なるほどね。十二支縁起みたい?
大きな世界は無意識(無意味)に広がり、無数に増える小さな存在が価値づけをして意味を与えることで調和を保つ。
相対する世界(価値)があるからこそ、互いになりたつのだと気づく。
現実も仮想も同じようにね。
仕組みがあるから私(私たち)が存在し、私(私たち)が存在するから仕組みがある。
大きさは問題ではない。(空の原理)
繋がりに意味がある。
「好きなように生きましょう。」
ハッとする瞬間に[ありがとう☺️]
5月22日、追加…
毎日、ありがとう日記を書いてきたが、後書きの文字制限により今回で終わりになります。
なんだか自分自身とボンヤリ向き合っていると瞑想しているように感じます。
小さな変化を見つめて感じてすごした時間。
過ぎる過去を私の未来が呼び寄せ、より良い人生を導く今を感じています。(無意識の中で、あたりまえのように選んでいるようです)
あらたな気づきとであいに[ありがとう☺️]
最後に[好きなように生きましょう✨]