皆さま、お久しぶりです。
半年ほど、軽い鬱だったようです。
世の中は騒がしく、私の心をかきみだしていたようです。
その間に感じたことをまとめてみたいと思います。
今回は、そんな感じの文章なのです。
…
「時代が変われど、本質は変わらない」
うわさばなしがふきあれる。
週刊誌のゴシップからネットによるSNSにメディアが移っただけなのかな?
一部の人々だった噂話が拡散される時代。
洗脳という、情報戦の時代。
誰も気づかないうちに操られる無意識の時代。
顕在意識と潜在意識は摩擦をおこす。
疲れはてた意識は思考能力を失くしていく。
世間様にしたがうようにね。
いったい、誰がしかけているのだろうか?
どこのどいつなのだろうか?
みえないやつら!
いつの時代もかわらないのだと思うのよね。
だから、私のようなタイプはとじこもり、軽い鬱になってしまうのだと思う。
「しらねえよ!そんなこと!」と思えるタイプになれたらいいのになっと感じる私なのです。(そんなことさえも気にならないほどに、どんどん、近づいているようなのですがね。)
[生き方の習慣を変えただけでは、慣れしたしんだ思考癖は変えられない?]
あれこれ書いても伝わらないと思う。
とにかく、生き方の習慣を変えることで思考は変わるが、その人が生きてきた歳月がながいほどに、思考癖がかわるまでに時間がかかるということ。(これが洗脳ということだと思うのですが、洗脳という洗脳という何十にも重ねられた思考癖があるように思う。)
そんなことを感じたのですよね。
…思考癖とは、生まれた時代に適応することなので悪いことではないかと思うのですが、時代の変化や役割の前提の変わる節目にその人があたったならば、とてつもない意識の葛藤が起きるのではないかと思うのです。…
[なりゆきまかせほど難しい?]
現代人にとって、計画をしないで生きることほど難しいことはないのではないのか?
私の生き方が、「なりゆきまかせ」に近づくほどに感じてしまうのですよね。
忙しく生きたい他人様にとっては、「大きなお世話」と言われればそれまでなのだが、誰もが計画的に生きているように思う。
私が、「何十年も同じ会社で勤めることほど難しいことはない」(どこかに所属することを嫌う私だからか?)と感じるように、「なりゆきまかせに生きることほど難しいことはない」(目的に向かって計画して生きることに意味をもつからか?)と感じる人が多い時代なのかもしれない。
歳をとるにつれ「なりゆきまかせの適当ないいかげん人間」になっていく私がいる、
計画的に生きなければ、この時代は生き残れないのか?
毎日が忙しく、やることが山積みでなければ生き残れないのか?
私には、わからないままなのだ。
私にも、長年生きてきたので、常識としてなら、「そうだよな」と思えるのだが、私の心の声(本質としての感性)は今だにわからないままなのだ。
この年齢になる以前の若い頃は、なりすまして生きることを無意識に心がけていたように思う。
めんどくさい争いが嫌いな私だからか?
それとも、私なりの生存方法なのか?
世界様の常識の範囲の中で、最低限の関わりを演じてきたように思う。
今になって思うのだが、つくづく、生まれもった感性というものは変わらないのかもしれない。
どんどん、ありのままの感性に抵抗しなくなっていく私がそこにいるのだ。
たいがいの役割をおえて、無責任でも生きれる年齢になったからかもしれない。
あれほどに、周りを気にしていた私だったのに、世間知らずでかまわないと、心の底から感じている私がいるのだ。
これが、「歳をとる」ということなのか?
それでも、今までにさんざん、やりすごす生き方をしてきたせいか(あたりさわりのない人間関係をしてきたおかげなのか?)、自然と世の中に適応しているようなのだ。
世間様という、計画された情報空間があるだけなのだと思う。
内と外が同等な価値をもつ。(中庸思想)
私なりのつきあいかたではあるけれどね。
こんな生き方は、例外であり、少数派であろう。
これが、私なりの「なれのはて」なのだ。
連続する瞬間が生きることなんじゃないのか?
はたして、今、思考しているのは、私なのか?
人生になんて、意味はないよ…生きて死ぬことに意味があるんじゃないのかな?
自由なんて、追い求めるものじゃないよ。
自分なんて探すものじゃないよ。
そぎおとされた、なれのはての存在。
それは、善も悪もないよ。
それは、幸せも不幸もないよ。
それは、好きも嫌いもないよ。
ただ、なんとなく、流れる世界。
太陽がまわる世界。
忙しくても有り。
気ままでも有り。
おもしろいよね。
違った世界。
それぞれの世界。
なんだか、別の次元に私の本質がいるように感じてしまうのよね。
そんなことを感じて生きています。
おかげさま。
ありがとう。
…
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
内容のない無意味な文章ですよね。
[おっさんのたわごと]というヤツです。
だけれど、本来は、そんなものほど真実を投影しているのかもしれません。(その人にとっての真実ですがね)
皆さま、ほどほどに生きましょうね。
それでは、また会う日まで、さようなら。