…皆さま、お元気ですか?
……最近の私の日常を描いておこうかと思いました。
…特別、何もないことに気づきました。
…みごとに、ふるい落とされました。
…それでは、興味があるかたは読んでください。
…
世の中は、相変わらす大変そうに見えます。
私ときたら、そんな世の中から随分ずれてしまったようでして、毎日、ぼんやりとしています。
いっけん鬱のような感じもしますが、そうではないようなのです。
なんとなく思うことは、本質の私は[怠け者]なのでは?ということに気づいたのです。
今までの私は、無理やり世の中のことを考えてきたようでして、自分でもよくわからない[立派な大人]というイメージに振り回されて生きてきたようなのです。
こだわりがなくなっていく私はダメなのか?
ダラダラするのはダメなのか?
世の中のことを考えないのはダメなのか?
嫌なことを我慢できずに逃げるのはダメなのか?
やりたいことがないのはダメなのか?
こんなことを考えてしまい、[なんとか楽に生きたい]そんなことを何度も思う私でした。
なんだか、そんなことすら[もう、いいんじゃない]と感じたのです。
不思議なものですよね。
根本的なものがなくなってしまうと、あれほど気になって思考に上がってきたものがなくなってしまうのです。
それでも、平気な私が残っていました。
ということで、[怠け者]の称号となるのです。
これはですね、鬱なようで鬱ではないのです。
それでも、世の中の必要な情報は入ってきますし、なんとなくですが生きています。
むしろ、以前よりも余分なことに振り回されなくなったことで、充実感を感じています。
ダラダラしているのに充実しているのです。
[思いつくまま、気がむくままに]どんどん近づいているのです。
今までに、何度も思考迷宮を堂々巡りをしてきたことが下地になっているのかもしれません?
なんとなくの中に、私なりの切り替えのリズムがあるようで、その私のリズムとあう、世の中のリズムを引き寄せて生きているようなのです。
私と世の中は、鏡のよなものであり、うつろいゆくものなんだよね。
いちいち、分析しなくてもわかるよね。
あえて、否科学的なものにだまされることで、生きやすくなることもあるよね。
なぜ?
私にも、わかりません。
さんざん、荒かったからかもしれません。
[もう、いいんじゃない]と、心の奥底から感じたからかもしれません。
幸せを追いかけるのを諦めたからかもしれません。
いろいろ、ぼんやりと考えてみましたが、[なんとなくの中]にあるのだろうと思うのです。
おそらく、その[なんとなくの中]というものが私の本質なのだと思うのです。
[言葉にあらわせない、限定できないもの。]
幸せと似ているような気がします。
私にとっては、幸せとは、そのようなものなのです。
あぁ、特別、何もないことって、素敵!
私の人生は私のもの。
いったい、今まで何を背負ってきたのだろう?
そろそろ、おろしてもいいんじゃない。
おかげさまで、そんな日々を過ごしております。
誰もが、生きていいんだよ。
誰もが、死んでいいんだよ。
そうなんだよな。
今、生きているということは、なにがの犠牲の上に成り立っているんだよな。
誰かの取り分を奪って存在しているだよな。
だからといって、人一倍に頑張らなくたっていいと思う。
生きることに必要なことって、そんなにいらないと思う。
あのさ、[自身をいかすって]どういうこと?
あたりまえのことだと思う。
みんな、じゅうぶん頑張っていると思う。
[ありがとう❤️]
[ありがとう☺️]
そういうこと。
…
読んでいただき、ありがとうございます。
又、同じようなことを、描いてしまうということは、これが私なのでしょうね。
けっして、真似しないでくださいね。
(今回の私の話しに共感できる人は少ないと思いますが。)
これは、あくまでも、私の幸せですから。
人によって、幸せは、いろいろ、
あなたの幸せがあなたにおとずれますように。
それでは、又