私が消える。
ただ、そこにある。
夢中になるとは、そんなことなのかもしれないと思うんだ。
今回は、そんなことを考えてみようと思う。
ここ1ヶ月、めだかに夢中なのです。
私の中に、めだかが入り込んできているような。
四六時中、めだかのことが気になっています。
もはや、生活の一部となってしまったような気がします。
好きとか、楽しいとかを超えた感じがします。
誰もが、同じような経験があることでしょう。
何かに夢中になるとは、損得を越えて、めんどくさいを越えて、できる限りの意識の集中なのだと思うのです。
世間の役割り演技としての人格が私なのだとしたら、それすらも侵蝕してしまうほどに、意識から離れない状態なのだと思うのです。
それは、私が制御できない自身ですので、まさに現実を越えて夢のなか(自身の感性の中)に生きているようなものだと思うのです。
そんな状態のときこそ、本来の自身の感性があらわれるのだと思うのです。
意図的な目的もなく、導かれるように生きているようです。
この場合、めだかは夢中になるきっかけであり、なんでもかまわないのです。
夢中になるということに意味があるのだと思います。
今までの世界観からの脱却。
もしくは、今まで感じられなかった、大きな世界観からの視点を感じることのように思います。
そんなときでも、客観的にふかんしている冷静な自身の一部がいるようです。
おそらく、身体と脳機能の伝達網が新しく構築されているのだと思います。
ありとあらゆる感覚機能が、新しくアップグレードしているような感じだろうと思います。
もちろん、社会的な役回りは、今までどおり、そつなくこなすのですが、そこに、迷いはなくなり、機械的な作業となるのだと思います。
何かに夢中になるとは、本来の自身の根源にそった生き方に向かうようなものだと思うのです。
まるで、自然の一部になったかのような感じなのだと思うのです。
だから、そこには、選択すらもないのです。
ただ、自身の流れがあるだけであり、そのような、アップグレードを繰り返して、自分軸に近づいていくのだと思います。
私なりの表現ですと、アートです。
生きること事態が、アートなのです。
経済に飲み込まれていようがいまいが、アートなのです。
だから、富裕層はアートの価値を重んじるのだと思います。
それは、人類の感性の歴史に敬意を感じているからなのだと思います。
それは、自分自身が、人類のひとりとして尊厳を感じているからなのだと思います。
私は、アートとは、全ての人類の上位概念であると思います。
結局、学問も言葉も表現であり、認識することを分類して共有することから文化は始まるのだと思います。
表現とは、アートなのです。
アートの反対は、わかったようなふりをしている行為なのだと思います。
世の中は、何も決定していないのでは?
以上
前のめりに、欲する何かに突き動かされる行為なのかもしれませんね。
現状を打破しようと、無意識が感じているからなのだと思います。
知識と経験以上の感覚なのかな?
精神の不思議といえば簡単ですが、そこに、なにか未知なる仕組みがあるのかも?
スピリチュアル的な発想ですがね。
自然に向かうということなのだと思うのです。
純粋は自然か?
作為は不自然か?
そんなことすらも超越する行為が夢中なのかもね。
だとすると、淡々と記録するこの行為はなんなのか?
無意識の記録なのか?
ぼんやりとした意識と思考の記録なのか?
ありがとう❤️
そんなもんだよ
6月11日、つけたし
無駄をはぶくとか、コスパがいいとか、そんな生き方ができなくなってきた。
もちろん、自分軸で生きているので、自身の縁でしかないのだけどね。
テレビも新聞も観なくなったから、世の中のはやりもしらないよ。
だから、ほしいと思うことすら、あまり感じないからね。
世の中、目標を持って生きなければいけないのか?
コーチング理論でいけば、[現状の外側にゴールを設定しなさい]という。
必ずしも、目標がなくてもいいんじゃないのかな?
だって、戦略的の外側なのだから、自身の流れとは違うということでしょ。
そんな縁は、偶然でしかないと思う。
つまり、[なるようにしかならない]ということでしょ。
人の意思なんて、それくらいでしかないと思う。
最近の私の流れは、めだかなんですよね。
このめだかとのであいという縁を味わいましょう。
めったにない、夢中になれる縁だからね。
いつまで続くとか、そんなことすらもしらないよ。
ただ、やらずにいられないんだよ。
好きとか、やりたいとか、関係ないよ。
最近は、めだかばかりで、めだか日記のようになってきた。
昨日は、育てているめだかの卵の採取をしていた。
どんな子供が産まれるのか見たいんだよ。
ついに、私も、この領域に入ったようだね。
ふやしてどうする?……そんなことすらもしらないよ。
商売としてめだかの繁殖をしている人もいるけどね。
たぶん、めだか愛好家の多くの人たちは、私と同類なのだと思う。
人生の一部となっているのだと思う。
生きるついでに行う行為ってあるのだろうね。
そういうことなんだよね。
それが、なりゆきまかせの怠け者の生き方なんだよね。
6月12日、つけたし
私は、人がこの世に産まれてくることが最大の目標なのだと思う。
だから、人生なんてものは、なりゆきまかせでいいのだと思う。
梅雨に入って、あまり庭に出れないから、少し欲求不満なようです。
いつの間にか、私にとって、小さな庭が楽園になっているのだと思う。
梅雨の6月はアジサイを楽しむこともできるのだけどね。
先週は、アジサイの切花を買ってきて、タライにめだかと一緒に入れてみたり、カットして余った枝で挿し木をしたりしていた。
一昨日は、水トクサと水コケの鉢を買ってきて、ビオトープにしてたね。(もちろん、めだかも入れたよ。)
前回から、紅白の卵30個と紅帝ダルマの卵10個をヤフオクで買って、おんさい広場でホワイトパールの卵45個を買ってきた。どちらも、無事に孵化したよ。
なんだかんだで、現在、15品種のめだかを飼っている。
ずいぶん、ふえたね。(自分でも、めだかバカだと思うけど、上には上がいるもので、ビニールハウスを建てる人もいるからね。)
めだかに夢中になって、見えてくること。
めだかが流行りだして10年もたっていないと思う。
そんな短い間だに、様々な品種が改良されている。
人の執念とは、凄まじいよね。
イメージを、現実にしようとする。
神にでもなりたいのかもね?
ということは、私も、そのひとりなのかも?
人類も品種改良して、超越したいのかな?
だけど、自身が超人になりたいのが現実であって、他人が超人になるのは好まないようだね。
それが、人というものなのだろうね。
ネットが発達して、誰もが外側に表現する時代。
凄い熱量なんだよね。
きっと、そんな人たちは、やらずにいられないんだろうね。
認めてほしい。お金がほしい。…それは、こじつけの動機なんだと思う。
どうせ、ながくは続かないだろうからね。
(人生の転換期になる人もいるけどね。)
ただ、騒ぎたいだけなんだろうね。
(騒ぐことで夢中になれるタイプなんだろうね。)
それが、悪いとも思わないけど、私は、そんなタイプではないようだ。
体験型のコンサートやイベント等の祭りに参加したいと思わないタイプだからね。
出来事を共有すること事態、感覚が薄いのだと思う。
だから、ひとりですることが好きなのだと思う。
私にとって、外側にあるものは、情報でしかないようだね。
めだかから、そんなことも見えてくるね。
それにしても、引き寄せとか、あるがままとか、スピリチュアル界も暑苦しくなってきたよね。(私も通った道だから、わからなくもないけどね。外側に発することで自身にアファメーション(自己せん脳)しているのだからね。そのうち、そんなことすらも、必要なくなるからね。ネットにあげる行為は気になることを検索しやすくなるので、自分軸を持った人にはありがたいけどね。)
孤独なものが、スピリチュアルなのだと思うのだけどね。
振り回されないようにね。
(うまくいかなくて悩んでいる人をみたとき、自身も悲しくなるか、おせっかいにも助けてあげたくなるか…はたまた、アホだからと気にならないか、いろんなタイプがいるからね。これが、心理操作に使われてるんだからイヤになっちゃうよな。)
これじゃ、現実とかわらないんじゃないのかな?
そんなことも、見えてくるね。
夢中になるとは、そういうことなんだよね。
ああ、そうなの?…しらないよ、そんなこと。
そんな感じで生きているようです。
どんどん、振り落とされています。
10月にパートをやめるのだけど、もっと世間から離れるのだろうね。(会社に勤めることは、世間の価値観を共有して、尻を叩かれて生きているようなものだからね。それが、喜びのタイプもいるけどね。)
これが、隠居生活に向かうということかもね。
私は、私の視点でしか見れないのよね。
結局、それぞれの生き方があるのだろうね。
(毎回、こんなことばかり書いているとあうことは、おそらく、無意識にアファメーションしており、今はまだ、隠居に向けて意識の変革期なんだと思う。それすらも、なりゆきまかせでいいのだろうね。その先すらもなるようにしかならないのだからね。)
そんなもんだよ☺️
(この言葉が、私の世界観の全てに繋がっているように思う。)
6月13日、つけたし
昨日は一日中雨だった。
それでも、小雨の合間にめだかと庭の手入れをしていた。
思考に浮かんだことを、このつけたし日記に何回かかきたしたりした。
私が書き足すこと以外にも、様々な思考をしているはずなのに、どうよって文章を選んでいるのか?
自問自答するほど、こんがらがる自我なんだよね。
1日たって、スッキリしたりする。
「そんなもんだよ☺️」という魔法の言葉でスッキリする。
わからなくてもいいんじゃないのかな?
めだかに夢中になって、自身に向けて記録ようにツイッターを再開しだした。
私の中にいる複数の人格に向けてということなのかな?
外側の人たちも、私の複数の人格も、私にとって、同じような感じがする。
そんな感じを味わい眺める感覚がする。
ネットを見ていると、ごくたまに同類のような人にであうけど、それすらも、かってな解釈なんだよね。
どこかに、特別視している、さみしい私がいるのだろうね。
そんなもんだよ☺️
客観的な瞑想
自分自身の表層をおおう人格は、いつも外側の刺激により変化するのだと思う。
どれだけ、自問自答したところで変化しないだろう。
それが、偶然という縁の力であるが、自問自答しないものに、外側の刺激の力はつたわらないとも思う。
6月14日、つけたし
最近の私は、なんでも「そんなもんだよ☺️」でやりすごしているようだ。
なぜだろうか?と考えてみた。
なんだろうね?
過去の時代の価値観への復讐なのかもしれない?
集団生活やスポーツがイヤだったこと。
興味のない勉強に集中できなかったこと。
自分の人生を未来の社会人として他者に価値観を押し付けられたことへのリベンジなのかもしれない?
だから、[怠け者導]という、独自の発想で証明しようとしているのかもね。
だからといって、他者に強制もしたくないし、多数派の価値観になっても困るのだけどね。
世の中のおこぼれでなりたつ生き方でしかないからね。
発達障害の子供を育て、自身の過去を振り返り、思うことは、
「社会に迷惑をかけないのであれば、本人の好きなように生きればいいんじゃない」ということ。
(大人は、社会的役回りをするのがあたりまえというのも、おかしな価値観なんだよね。地域活動もしたい人がすればいいのじゃないのかな。私は、人様のことまで指図したくないし、ほっといてほしい。…これも、時代により抵抗感の差があるから、私より上の世代は辛いよね。かってに抵抗感を感じているだけなのだけれど、ブロックをはずせないのは自身に原因があるのだと思う。私もその最中なんだけどね。)
なるほどね、だから、こんなことばかり書いているのだろうね。
子供のころに言えなかったことを、今になって、言ってるってことだね。
多くの人たちも、無意識にそんな生き方をしているのかも?
みんな、自身の可能性を求めて生きているのかな?
どんなかたちであれ、リベンジのチャンスを求めてね。
それが、自分軸ということなんだろうね。
そんな抵抗感すらなくなったら、暑苦しい自分軸もなくなのだろうね。
私の次は、隠居だね。
とにかく、世間からはなれたいと思う。
なにに対しても動じない、生きてるのか死んでるのかもわからない。
そんな、じじいになりたいと思う。
「そんなもんだよ☺️」
6月15日、つけたし
夢中になるとは、究極のリベンジであり、自己肯定なのかもしれない?
6月17日、つけたし
昨日、ピンク色の睡蓮が咲いた。
ヒメダカと睡蓮のビオトープを先月に、ネットで調べながら、みようみまでで作っていた。(ヒメタニシも数匹入れてある)
ポイントは、苗が成長できる大きめのスペースの赤玉土に植え替えることだった。
実際に咲いているのを見ていると、幸せを感じるような気分になった。
睡蓮も朝に花が咲き、夕方に閉じていた。
自身の、生活空間に、同調しているからなのだろうね。
生命を感じるからなのだろうね。
それにしても、めだかは毎日、10個ほどの卵を産むのだが、凄い仕組みなのだと思う。
ヒメダカは増やす気もしないので、なりゆきまかせにしている。
30リットルほどの桶の小さな世界に生命が循環しているのだが、その世界の外側の影響も感じられるビオトープは、おもしろいですね。
6月18日、つけたし
客観的な瞑想
人類の共通の根源の感覚として、集団に属していないと不安を感じることがある。
その恐怖から逃れようと無意識はする。
成熟した存在は。その恐怖をコントロールするすべを心得ている。
理解していようがいまいが、自身にも他者にも操るすべを心得ている。
自分軸の、次に訪れる感覚だろう?
それは、なるがままだが、満たされた感覚だろう?
そんなことを思う。
他人との共有感が薄いタイプのさみしいという感覚は、わびさびの寂に近いように思う。
だから、熱量が多いものを暑苦しく感じるのかな?
枯れていく感覚って、わかりますか?
6月20日、つけたし
夢中にならなくても、自身が消えてなるがままに満たされた生き方になるということ。
悟りの向こうに、あるのか?
いつも、心地よい気分でいると、ささないなことにも「ありがとう」と感じるようになる。
それは、悟りの狭間に自身が生きているということ。
感情に振り回されているとは、ひとつの人格に支配されているのだと思う。
今回の伝えたいことは、こんなことなのだと思う。
私の向こうからの(根源からの)メーセージなのかもね?
そんなこと、なんども書いてるから、知ってるよ。
そんな単純なことが、とても難しいのよね。
無意識の流れをひもといて、気づくことがありますよね。
あらためて、私は感覚で生きていると思う。
作為よりも、連鎖なのよね。
6月21日、つけたし
暑苦しいのがイヤなのかい?
それじゃ、関わらなければいいだけなんじゃない。
わざわざ、アクセスしてるのは、なぜ?
奥底では、気にしてるからでしょ。
盲点を掘り起こすのはやめましょう。
そのとおりなんですがね。
道なかばということ。
そんなもんだよ☺️
6月23日、つけたし
私の中にいる複数の人格
感情ごとに人格をようしている
心は寄せ集めでしかない
思考では解き明かせないものがあるのだろう
感情とは、根源である真我が感じる偽りの体験であり、解脱に向けての成長の一部なのだと思う。
「言葉は同一化をうながすが、錯覚でしかない」と同じようなものなのだろうね。
私の根源に流れる感覚も、このようなものなのだろうね。
そんなもんだよ☺️
6月25日、つけたし
相談して決めることなんて、どうでもいいことでしょ?
ごまかせないことが、あるんだ!
6月26日、つけたし
なんでも間でも、理由が必要なのかな?
それって、こじつけなだけでしょ。
そんなんで、安心できるほど、やすっぽくないよね。
過去も未来も、むやみに掘り起こしたところで、不安は解消しないでしょ。
不安なんて、あってあたりまえなこと。
[今を生きる]とか、[夢中になる]とか、そんなたいそうなことでもないけどね。
真面目な性格も、人格のひとつだよね。
色々あっていいんじゃないのかな?
こだわるなら、なんとなくでいいんじゃないのかな?
その場その場、適当に生きたって、いいんじゃないのかな?
それでも、やりたいことも、やるべきことも、していると思うよ。
[認める][ゆるす]とかも、いいんじゃないのかな?
まぁ、そこまでいくまでの段階なんだろうね。
私的に言えば、「暑苦しい」ということでしょうね。
私も経験してきたことだしね。
[思考は現実化する]とか、笑えるよね。
だから、まわりに、振り回され過ぎなんだと思う。
話しても、仕方のないことばかりだよね。
皆、知ってるはずなのに、話したがるのが、人なんだろうね。
人は、不安病なんだろうね。
[けつをたたかれて生きる]のは、無理みたいだね。
そんな世界観にきたということなだけだよ。
そんなもんだよ☺️
6月28日、つけたし
今年は、スピリチュアル系Youtubeのメンバー限定への移行が多いのよね。
それだけ、世の中の意識が分断されているということなのかな?
私も、振り落とされ自身の流れに入ってきているので、それ以外の価値観とは共有できなくなっているからね。
5年ほど前に出会ったYoutubeの片方は、ほとんどメンバー限定にしなければならない事情があるということ。
人は、感情で生きているようです。
[どんな人でも、様々な感情を感じとる能力があるのは、それだけ、多くの種類の感情をもっているからだと思う。自身の流れに入るとは、自然に自身の感情を選別して、心地よい気分で生きるということだと思う。反対に、外側の感情に振り回されストレスを感じる生き方を選んでいる人たちもいるということなのだと思う。これからの時代は、このことが前提となるのだろうね。それが、住み分けということなのだと思う。]
そんなもんだよ☺️
6月29日、つけたし
4年ぶりに歯医者にかよいだした。
私のような、真面目だけどめんどくさがりやのタイプにとって、確実に老いていく歯は、うっとうしく感じる。
世の中には、歯をみがかなくても虫歯にならない人たちがいるそうで、虫歯菌が口内にいないそうだ。
私は、虫歯になりやすいようで、どれだけ歯みがきをしても意味がないようで、うらやましく感じる。
かといって、定期的に歯医者へいって、メンテナンスをするきにはならない。
私の子供のころは、おとしよりは総入れ歯の人が多かったように思うが、最近は、なるべく入れ歯にしないようだ。(入れ歯も管理がめんどくさそうだ)
歯がうずきだすと憂鬱になる。(いたみにとらわれるからね)
これも、肉体をもって生きていくことにおいて、どうにもならないことのひとつだろうね。
こんなことを、わざわざ書くということは、それだけ、気になるということなのだと思う。
仕方ないでしょうね。
そんなもんだよ☺️
6月30日、つけたし
因果と縁の世界に生きているようです。
社会性とは、なんだろうか?
同じ目的を持った集団に属することは、個人の拡張なのかな?
なんでもかんでも、他人のせいにしてしまう時期ってありますよね。
自我の暴走なのかもね?
自身を守ろうと、ゆとりがないのかな?
話し合うことで解決するタイプもいれば、その後の行動でしめすタイプもいるのだと思います。(さっするという成長は、相手の立場への想像力かな)
[あやまる]とはなんだろうか?
自身が心地よいのはもちろんだが、まわりも心地よい関係性をきづくことかな?
私は、謙虚に生きたいですが、あまり人と関わらないで、自身の興味の向いたものを探求する生き方が心地よいように感じます。(私なりのバランスの生き方なのだろうね。)
年齢を重ねるごとに、自身の特性にあった社会性が身に付いてくるようです。
本当に人それぞれの感じ方があるのですね。
そんなもんだよ☺️
7月1日、つけたし
自身を観てて思うことは、「無理してまでとりつくろう必要ないのにね」、ということ。
どうしても、人がいると気になる性分なようなのです。
善い人を演じたいわけでもないし、真面目なわけでもないと思うのですが、お人好しなのかもね?
そんなふうに育ったからなのか、根源がそうなのか?わかりませんが、自身では、真逆だと思うのだけどね。
おおざっぱですし、ずぼらですし、他人にどう思われようと関係ないと思っていますし、いいかげんな適当な方だと思うのですがね。
なにが悪いということもないですが、疲れちゃうくらいなことかな?ただでさえ、人よりも疲れやすい体質なのですがね。
こんなふうに育ったのだから仕方ないのでしょうね。
これが、私の業なのだと思うのです。
なんだっていいのですがね。
死ぬまでのことですからね。
これはこれで、おもしろい人生ですしね。
なんだか、隠居しても、人様との関係性はかわらないと思います。
ただ、自身があるだけのことですね。
なるがままに。
ボケ老人を演じていれば、周りの扱いによって、そのような性分になれるのかもね?
社会性をいちだつした存在にね。
それだけ、性根を変えるのは難しいということですね。
それも、めんどくさいですしね。
本当に、どうでもいいことばかり考えてますね。
しゃないわな!
ということを、記録してみました。(私の日常ですね)
今日は、そんな気分なのです。
10年後の私に向けてかな?
「どんなん、なってますか?」
そんなもんだよ☺️
ありがとう❤️
7月2日、つけたし
社会にたいして過剰適応してしまう私がいる。
それを観てて、あきれている私もいる。
疲れたら休みましょうね。
極端に真逆な私たちは、繰り返す。
いつものことだね。
満足感と罪悪感。
しみついた生き方なんだろうね。
ありがとう❤️
7月3日、つけたし
私の場合の感じ方ですが、
自身の根源的な特性が逆転して社会性となって自動的に現れているようです。
過剰に意識しなければ演じきれないからなのだと思います。
生まれた時代の世間の価値観(家庭や会社や国)に適応しなければならないというストレスをさけるためなのだと思います。
教育とは、なんだろうね。
今の子供たちにも言えることなのかと思います。
基本となる人格の形成にあたえる大きな縁なのでしょうね。
年齢を重ねるとは、時代から自身への流れに移ることなのだと思います。
そうじゃない人たちもいますがね。
こだわりとは抵抗であり、執着という思い込みなのだと思います。
ひとつづつ消えていくと、ただ生きていることが幸せに感じるのかもしれませんね。
感情がある創造思考を獲得した生命体だから、このような仕組みとなるのだろうね。
その先にある縁とは、なんだろうね。
だいたい想像がつくような気もしますが、思考では限界があるように思います。
[感情に善いも悪いもないよ。(性格にも言えること)選り好みするほど執着はますよね。ただ、眺めて味わえばいいだけだね。それが、あたりまえになったなら、あなたは満たされるでしょうね。なにに満たされるかって?それは、人それぞれの感じ方だろうね。そのとき、気づくことなのだと思うよ。]
なるがままに
ありがとう❤️
そんなもんだよ☺️
7月6日、つけたし
無住処ニルヴァーナという世界観があるそうだ。
輪廻とニルヴァーナの狭間の世界。
苦楽を越えて
好き嫌いを越えて
生死を越えて
自他を越えて
有る無しを越えて
空を越えて
全ての平等意識。
有るも無いも越えているのに存在感がある感じかな?
生まれてもいない、死んでもいない。
空すらも越えた感じかな?
究極の平等な愛のようなものだろうね。
[頭でっかちにならずに感じてみましょうか。私の中で遠くの方から、そんなもんだよ☺️という感覚がします。しかし、肉体をもって生きているとは執着そのものですので、反発するのも仕方なしですよね。ということで、私の中でも様々な感じがするようです。わかってもわからなくても、時空を越えて、次元を越えて、内在する感覚こそが、小宇宙なのかもね?…難しいことを言いすぎなんだよ☺️]
なぜか、空海が浮かんできました。
ありがとう❤️
7月7日、つけたし
肉体とは現実であり結果であり空なのだと思う。
常にいれかわる器のようなものだろうね。
魂という客観的なものが感じている。
思考は肉体に属する感覚だろうね。
魂は気を発する。
気ばかり、あせって先走らないようにご用心。
[叡智とは、肉体と魂の間を繋ぐものだろうね。叡智を蓄えることで、より良い循環が発動するのだろうね。チャクラの階層とは次元の世界観なのかもね?変化をあじわいましょうね。]
ありがとう❤️
7月8日、つけたし
世の中には流れがあるようで、人生にも流れがあるようだ。
久しぶりに過去の感情を思い出して感じていた。
世代ごとに苦楽は違うようで、産まれた時代により特徴があるようだ。
私は1970年代団塊ジュニア世代であり、人口が多い特徴があるのだが、1980年世代は氷河期世代で、バブルの好景気も知らず就職難で低賃金でこきつかわれて、普通に生きていては報われない世代だそうだ。
私も、その時代を生きてきたのでわからなくもないが、家庭を持てただけ、報われたのかもしれない。(離婚はしましたがね)
所得格差が大きく開いて、勝ち組負け組という価値観が浸透していたように思う。
それだけ、世間を意識して見栄や嫉妬の感情が渦巻いていたように思う。
その下の世代は、不景気も格差もあたりまえで、悟り世代とか、ゼット世代とか言われているようだが、あきらめからはじまるのか、世間とは価値観を共有しないように思う。
なるべくしてなるのかな?
人それぞれなのだから、分類などできないとは思うのだけれど、大きなくくりはあるようにも思う。
それも、思い込みからなのだと思うのだけどね。
現在の私は、人の苦楽は一通り体験して、隠居へ向かっている。
隠居を体験していないのでわからないが、世間と距離をとり静観して、訪れる老いと死をあじわう時期なのかと思う。
そろそろ、杓子定規の普通という価値観は意味のない時代になりそうに感じる。
世代論じたいが無意味であり、洗脳の入り口のように感じる。(自身を勝ってな解釈で固定しないことだね。世代論で未来予測をしても、これからは不安ばかりだからね。変化という流れがあるだけ。)
好きなように生きましょう✨
そんなもんだよ☺️
ありがとう❤️
7月9日、つけたし
一時の感情に振り回されて、自身の欲求のために世間や他人を悪者にしてはいけないだろうね。
誰かを悪者にしたところで、まっているものは罪悪感しかないと思う。
そんな縁に出会っただけのことだと思う。
自身すらも達観した視点で生きることは、とてもつまらないでしょうが、感情の仕組みを学ぶには、自身ほどわかりやすいものはないかと思う。
思わず、笑っちゃうよね。
ただ、流れがあるだけ。
ただ、ふれあっただけ。
ただ、感情が、あらわれただけ。
感情なんてものは、コロコロかわるものなんだよね。
ある種のエネルギーなのかな?
(感情ごとに周波数があるのだろうね。これも、ひとつの次元の世界観だろうね。)
外側に求めるか、内側に求めるか、それだけのことですね。
生きているんだよ。
おもしろいよね。
ありがとう❤️
7月10日、つけたし
私は隠居生活を目指しているのだが、今のご時世、とても贅沢なことなんだろうね。
残りの人生が、10年なのか20年なのか30年なのか、わからないけれどね。
ありがとう❤️