楽笑おじさんと絶望こぞう   作:楽笑

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混沌なる世界のようです。


私は誰?

生まれたから生きてるのか、生きてるから生まれたのか?

ここはどこ?

ここって何かな?

なんだか、わからないことばかりだよね。


そんな話しですけど、読んでくれます?




ここはどこ?

 

私は目を覚ます。

 

カーテンがないから眩しいのだ。

 

窓越しに、明かりがさしているから、夜ではないようだ。

 

この部屋に住んで1年だが、カーテンを買いそびれて、そのままなのだ。

 

1年もたつのだから、今さら買う気にもならないのだ。

 

起きるのもめんどくさい。

 

私は、壁側に寝がえり二度寝することにした。

 

現実と夢の違いはなんなのだろうか?

 

ぼんやりとした、まどらみの中で疑問が浮かぶ。

 

どちらも意識し感じることにかわりはないのだがね。

 

私の記憶が世界を形つくるのか、世界が私の記憶となるのか?

 

人は自身の視点でしか世界をかんじられないからね。

 

視点の範囲が広いか狭いかの違いはあるが、たいした違いはないことだろう。

 

この世界は様々な世界観が混ざりあう混沌とした世界のようだ。

 

私という個人が無限に並び立ち混在する世界。

 

他人なんて、そんなものだろう。

 

他人も、私のことをその様に感じているのだろう。

 

価値観の違うものたちが共存する共有世界なのだから、摩擦はあたりまえなこと。

 

意識の摩擦は現実だろうね。

 

それでは、夢の中での摩擦はなんなのだろうか?

 

私が感じる複数の人格による摩擦はなんなのだろうか?

 

今、感じている、この私はなんなのだろうか?

 

ここはどこ?

 

 

 

 

私は、目を覚ます。

 

真っ暗なのだから、夜だろう。

 

二度寝してから、どれくらいたったのだろうか?

 

電気をつけるのもめんどくさいので、そのまま起きることにする。

 

真っ暗でも、かってしったる部屋である。

 

腹 もへったので、エネルギー補給に外出しよと玄関を開ける。

 

月あかりが世界を照らす。

 

今宵は満月だから、生き物の気配がさわがしく感じる。

 

そこらじゅうで、さかりのついた奴らがうろついているようだ。

 

いつものように、物音ひとつたてずに忍より首すじに牙をたてる。

 

快楽が流れ込み空腹を満たす。

 

他人とは、なんだろうか?

 

獲物でしかないのか?

 

私は同類と出会ったことがないのだ。

 

私以外とその他大勢のものでしかない。

 

この世界を包み込む外側の世界観があるのだろうか?

 

そんな視点からの世界観ならば、個人の価値観など、どうでもいい遊びでしかないのだろうか?

 

役割演技をする、ままごとのような遊びなのだろうね。

 

そのまた上の世界観から見れば、同じように感じることなのだろうか?

 

やはり、現実も夢もかわらないのだろうね。

 

それぞれの存在が感じるだけの世界を内包しているだけなのだろうね。

 

広いか狭いかの違いだけ。

 

もうひとつ上の次元からの世界観は、[そうぞう]でしかないからね。

 

ということは、すべての世界観は[そうぞう]でしかないのかもしれないね。

 

遊びは[そうぞう]でしかないからね。

 

 

私は誰で、ここがどこだろうが、どうでもいいことでしょ?

 

 

なるようになるのだからね。

 

 

 

 

 

 






読んでくださり、ありがとうございます。

よくわからない、意味のない話しですね。

混沌になるほど、遊び心が大切なのかもね?

自閉症的とかはどうでもよくて、それぞれの存在に意味があるから生きているのだろうね。

あなたはあなたの生きたいように生きればいいと思います。

そのように感じることは、とてもよいことだと思うよ。


これが小説かどうか?

私にもわかりませんが、私の文章のひとつの表現なのだろうね。

それでは、また!


7月28日、つけたし

今回も、少しだけつけたしします。

意識の階層ってありますよね。

顕在意識と潜在意識とかいうあれですよ。

あなたの記憶なんてものは、あてにならないものだよね。

意識にあがる記憶なんてものは、思い出せない記憶の意識に比べれば、とてもわずかなものでしかないからね。

私の人格なんてものは、感情の変化により変化する不安定なものなんだよね。

潜在意識に隠された記憶による人格なんだと思う。

自身すらも認識できないことなんだよね。

それが、自己防衛本能ということなんだと思う。

環境に適応する能力なんだと思う。


自閉的なタイプで、ひとりが平気なタイプだと、感情にとぼしいのだろうか?

共感能力がとぼしいことを、経験によるパターン分析により、客観視でおぎなっているのだろうか?

そんなことを子供の頃から繰り返して育つと、無意識に他人の心理を想像して読みとる感覚が身に付いてしまうのだろうか?

だから、自身のことも客観的に感じるのだろうか?

自身の感情ごとの人格すらも客観視してしまうのだろうね。

生きるだいごみはあるのかどうか?

そんなことすらも、どうでもいいことでしょうね。

だから、自閉的なのだからね。

比べなければ生きられないタイプでもないのに、自身のことだけで満足できるタイプなのに、社会を押し付けられたことで、よくわからない能力に目覚めたのかな?

これも、縁ということなんだと思う。

結局は、なるようになるのだからね。

喉元過ぎればなんとやらだね。

現実の十人十色の人格も、夢の自身に内在する複数の人格も、それぞれの感じかたがあり、好き嫌いなどの感情の優先順位が異なる認識の捉えかたをしているからね。

強く意識して、掘り下げるほどに、自己崩壊をまねき、調和を保てなくなり不自然ないびつなものになるのだろうね。

だからこそ、意識の階層があるからなんだろうね。

だけども、その意識の階層が盲目にもするのだとも思う。


本来は、何も言うことなんてないのだよね。


言ったところで伝わるはずもないのだよね。

すべては、流れにまかせて、なるがままに。


それでも、こうして記録しているということは、そのような感情があるからなんだろうね。

好き嫌いや喜怒哀楽や嫉妬や執着をこえた感情の感覚があるのだろうか?


やりたいようにやればいいんだよ。


なるようになるのだからね。



ありがとう☺️


なんだか、感情ごとに神格化されたシンボルが神話の魅力なんだと思う。

そんな視点からの世界観の次元があるのだと思う。

それは無意識の夢の次元なんだろうね。

現実のほうが虚像に感じないように制限が多いのだろうね。

そんなことを感じるのですよね。

夢とは霊的次元の入り口のように感じるのですよね。

あくまでも、自閉的なタイプの発想ですけどね。

今回の小説を、このつけたしを読んだあとで、もう一度読み返してみると、違う意味合いを感じるかと思います。無意識に感じていた隠された感情が表現されているのかもね。

最近の創作もので、異世界ものや召喚もので、神話ネタとか心理学や人類哲学的なものが多い理由も、混沌なる世界の感覚が広まっていることが原因なのかもね?

なにかを否定するということは、自身を否定することではないのか。

元から、この世界は混沌なるものなんだよね。

あなたは、それでも、普通にこだわりますか?

混沌なる普通にね。

私は直感的にシンプルに生きたいようです。

なるがままにね。

ありがとう☺️


いかん、いかん、又、後書きのほうが長くなってしまうぞ。と思いながら自己完結してしまう自閉的な世界観で生きているようです。

ありがとう☺️


8月14日、つけたし


最近、感じること


感情による人格ごとに住み分けされた世界観があるようだ

それが、次元の階層となり、パラレルとなるようだ

物質世界である3次元と情報世界である意識の次元は念の力(気)により場や物や生命体に紐づいているのだろう

私の認識による世界観でしかないのですがね

おそらく、この感覚が生まれ持った特性ということなのだろう

霊感というものなのだろうか?

独学で感じた世界観なので、わからないが、私を中心とした世界観であるがゆえに、うたがいようもない私に都合のよい現実となるのだろうね(我流でしか生きられないという特性の長短を理解したからか?)

おそらく、これが自分軸というものなのだろうね

最近の私の感覚は、更にその上の次元に向かっているようだ

私を超えた次元なのか?

執着も価値つけも意味あいすらも無い、なりゆきまかせの流れの次元のようだ

涅槃とも悟りとも言える世界観なのか?

今を感じる、眺める世界観なのだろう

何かを学ぶという欲求ほど役割という仮面というごまかしはないだろう

しかし、そのごまかしにより意識は拡大していくのだろうね

こんなことを感じたりもする

意識の波により感情は変化するようで、波がおこる前に、きっかけとなる意識を見つめることで、波はおこらず、(スイッチを消すような感覚)自身の認識による世界観を制御することが瞑想の入口なのだと思う

この状態には、概念だけの学びではならないだろう

自身で体感するしかないのだから、その時がくるのを待つしかないのだろう


誰にでも、悟りに向う小さな火種はあると思うが、特性により道のりは違うだろう


まとまりのない文章になってしまったが、このような文章のほうが、きっかけとなるのかもしれない

今の私の記録として残しておきたいと思う

いずれ、私がきえて解脱するならば、このような記録が情報となり残るのだろう

情報という抜け殻に依存するのが、3次元の意識なのかもね

それが、執着や価値つけや意味あいという概念を生み出し、分離という個人があらわれ、比べる世界観が出来上がることで役割があたえられるなだろう

さっさと、解脱できるものはしたほうがよいのだろうね(解脱は自殺ではありませんよ)

やりなおすしかないものは、まつしかないのだろうね

私自身、どうなるかもわからないのですが、そのときが来ればわかることでしょうね。


そんなことを感じたりしています



8月16日、つけたし

吉濱ツトムさんの[アセンションを導く]という本を読み始めた。(数ベージを読んだところ)

吉濱さんの本は何冊か読んでいるので、重なる内容が多くあるかと思うが、今回は星人ごとによるタイブ論のように感じる。

今後の現実の世界観も、宇宙人実在説などが浸透しはじめていくようであり、人類の認識も変わってくるように思う。

意識の拡張といえばそれまでなのだが、何者かによる意図を感じてならない。

現実とは科学で解き明かすこととするならば、星の動きによる法則があるのだと思う。

それぞれの星による特性があるのかもしれない。

古くは星占いや神話に始まり、様々な創作物に影響を与えてきた宇宙が身近になることで人類は革新するのかもしれないが、あまりにも広大な世界観を認識するには、まだまだ早いような気もする。

身近な現実と広大な情報を同じように認識して処理できるほどの器用なことができるのだろうか?(身体と思考の二つの感覚を理解することなのだと思うのだが、時間軸も仕組みも違うようである)

ただでさえ、感情に振りまわされて心身を消耗し混乱するものが多いように思うからだ。

そのためにも、吉濱さんのような人達が情報を発信しているのだが、メタ認知による客観視はなかなかひろまらないようだ。

私は、彼らの発信する情報に触れることで、元からあったのかはしらないが、DNAの記憶なのかアカシックレコードなのか集合意識なのか、思い出したように感じる。

単なる、都合のよい思い込みだとしても、私の世界観は確実に変化しているように感じる。

そんな、それぞれの思い込みによる世界観こそが、これからの必要な視点なのかもしれないね。

自由意志という選択さえも運命つけられていると思うように感じる。

すべては、なるようになるさだめなのだと思う。

因果と縁がおりなす世界観に、自我は思い込みでしかないのなら、私は自身を生きればいいだけなのだと思う。

今の私の感覚だと、すべては、遊びなのだと思う。

それでは、読み始めますか。

楽しみましょうね。


ありがとう


8月19日、つけたし

吉濱ツトムさんの本を読んで思うこと。

彼との出会いは発達障害の息子の心理学からの知識をネットで検索していたときだったと思う。

5年ほど前のことだと思う。

なるべくしてなったように思う。

本によると、彼はプレアデス系であり、キリストの意識の1人だという。

人類の意識進化の歴史において、古くからかかわる意識の存在があったのだろうね。

陰陽道にも通じているのか、占星術にも長けているように思う。(聖徳太子も北斗七星の剣を持っていたようであり、陰陽道とキリスト意識は繋がりがあるのだろうね)

私も子供の頃からスピリチュアルやオカルトに興味があった。

彼がスターシードと発達障害を繋げる意識を広めたようであり、現在では、スピリチュアル界において当たり前の意識であると思う。

私には、ブッタによる、[誰もが救われないことで救われる]という自身でも分かり難い意識が混ざっているように思う。(無情による解脱なのか?)

確かに、感情の調和の時代により、野生的な動物本能は制御されやすくなるのだろうが、行き詰まる人達も取り残されていくことだろう。

世代ごとに変化する意識で世界観は変化していくことで新しいパラレルが引き寄せられるのだろう。

キリスト意識は、集合意識のシナリオなのかもしれない。(より良いパラレルに向けて)

デビルマンを根底に抱えた私の意識は引っかかりがあるように思う。(地球は地球人の進化する場であり、スターシードは手助けのために参加しただけなのでは?と思う)

特別な意味はないが、ふと、そんなことを感じる。

彼らの情報のおかげで、注意制御機能は強化され課題無関係思考が減り、メタ認知による客観視能力が強化されたと思う。(過去のネガティブな記憶を思い出すたびに不安な感情に包まれる、反すう状態を現在の現実の感情ではないと認識できれば反すうはなくなり、冷静な心理状態となり、より良い判断がてきるようになる。わざわざ思い出す必要もないのですが、意識に浮かぶことを、きわめて小さな段階で流すことで消すことですかね。瞑想に近いかな。今を生きることに繋がるよね。)

我流ですが、私の特性にあっていたからなのだろう。(教わったからといって、知識が身につくとは限りませんが、特性しだいでは、触れるだけで身につくこともあるのかな?)

たまたまでしかないが、そんな流れがあったのだろう。

皆様も生きていれば、いつかは、自身の流れに入ることになると思う。(望んだことであろうがなかろうがね)

これは、救いなのか?

ただ、流れに生きる。

救われるとか、どちらでもかまわなくなっていく。

おそらく、[誰もが救われないことで救われる]とは、そんなことであり、その先に役回りからの解脱があるのだろう。(個人意識の無い無秩序だがまとまりがある世界観)

唯意識論からの世界観なのか?
(私の世界観は小説を読んでくださいね)

どこまでいっても、ゲームに参加しない傍観者的な者が、なぜ、生まれてきたのだろうか?
(ちょっと、のぞき見的な感覚なのか?)

そんなことを、思う。

きっと、おかしな感想なのだろうね。


とても良い本ですので、興味のある方は、ご自身で読んで体感してくださいね。(そこまでの予備知識は必要だと思うけどね)

それぞれの世界観がパラレルを引き寄せるのだと思う。

ちなみに、私はプレアデスとシリウスとエササニに当てはまりました。

発達障害や精神病のカテゴリーが増えてきているのと、これからの宇宙的な意識の世界観とは関係があるように思う。

どんな人でも、何らかの特性はあるのだから、それぞれの自身を知りましょうね。

意識の時代のタイプ論なのだろうね。
(それが当たり前の時代に優劣の悩みなんてバカらしくない?)

この本には、2040年から2060年年の世界観が書いてあるが、世界はより良い方向に向かっていくようである。

しかし、実際には、悪意にみちた意識もあり、生き残れればといったところだと思う。

私は、生きていようが死のうが、どちらでもかまわないという感覚なので、私の流れに乗るだけだと思う。

私の祖父のように、戦争で殺し合いをして生き残った世代でもないので、死んでいった者のためにも生きようとも思わないのだろう。

私の父の世代のように、生に執着もないので、死んだら、[そうなのか]と思うくらいだと思う。

なんだか、死んでるのか生きてるのか、なんとなくすぎて仕方のないヤツなのだと思う。

私のような人に向けて、このようなことを記録しているのかもね。

安心して流れてください。

アセンションゲートは、いつも開いていますよ!

あなたのパラレルに向けて

なるようになるさ!

小説風に言えば、

「私の流れと世界の流れが、たもとをわかつその日まで」


ありがとう


8月27日、つけたし

感じるままに、思うがままに書いてみよう。

なんだかんだで、吉濱ツトムさんの思想が、私にとっては中道のように感じる。

スピリチュアルにいきやすいものほど、現実的に認識することは大切なのだと思う。

知識は時代により変化していくことで、世界は広がり、私の流れに影響を与える。

それすらも、自然なのだと漠然と感じる。

瞑想が不安を増幅させるタイプの方は、自身をみつめる前に、自身を感じる生き方をしたほうが良いかと思う。

自身を信じることは教えようがない。

感性は身につくもので教わることではないからね。

とことんまで、自身を感じて生きていくしかないように思う。

私と違うタイプの方には、吉濱ツトムさんの思想を勧めるが、私とは違う捉え方を自身で感じるしかないのだと思う。

依存しすぎてもいけないけどね。

何が正解なんてことではないのだよ。

絶対的な存在なんていないのだよ。

自身の内なるものと対話して感じることがあるんだよ。

まるで、はじめから知っていたような感じかな。

過去も未来も同一となり、私が消えて一体となったような感じかな。

ある人は、それが自信だと言う。

私は、ただ生きているだけなのだと思う。

悩もうが不安だろうがね。

はじめから、そんなものなのだと思う。

それぞれの流れがあるのだからね。

今、現在の自身のことも他人事に感じる。

わかる必要なんてないよ。

言葉は記号でしかないのだから。

ふりまわされているだけで、根っこは同じようなものなのだから。

世界観を広げていくと、そんな感じがするようになるかと思う。

生きているということ。

だから、あれこれ思考するということ。

あまり、分類しないほうがいいかもね。

なるようになるのよね。

感情も現状も流れるままにね。

伝わるはずもないし、なんだってかまわない。

だんだん、話すことに意味をかんじなくなるよね。

歳を重ねると、話したがる人と話さなくなる人に別れるのは、そんなことがあるのだと思う。

だから、記録するしかないのかもね。

このような誰かの記録が世界の流れなのかもね。

それぞれの流れの記録を束ねる大きな流れがあるのかもね。

AIがあろうがなかろうが、集合意識の潜在意識の流れがあるように感じる。

それが、私の言うところの、[私の連続体]なんだろうね。

それぞれの次元からの私の視点が同時に感じられる感覚で、思考を超えた感覚かな。


そのうち、私は記録すらもしなくなりそうに感じる。


これが、隠居の流れの先にあるように思う。

静かに個人を生きる。


まだまだ、先のことだろうがね。


なにごとも、急には変わらないだろうね。


焦らず急がず。


どうにもならないけど、どうにかなるから生きているのだよね。

全ては完璧なタイミングで帳尻を合わせるようにおきているのだろうね。

これ以上の言葉はないのだろうね。


無情

解脱


ありがとう


8月28日、つけたし

今日、成瀬雅春さんの[ゆっくり吐くこと]という本が届いた。

瞑想の呼吸法の解説が書いてあるようだ。

瞑想については、以前から、目についた動画や本を読みあさって、独自の瞑想の仕方をしてきたが、日本のヨーガの最高峰の方[世界でもね]の本を読んで参考にしてみようと思う。

それでも、きっと、我流なのかもしれませんがね。(自己完結型ですからね)

本来は、しっかりと指導者について習ったほうが正しいのでしょうが、私はそのような生き方ではないようです。

たまたまのなりゆきまかせの生き方ですが、やるべきことを選ぶ才能(それ以外はやりたくないということかな)には自信があるようです。

はたから見れば、どうかはしりませんが、自身では、満足した生き方だと思います。

さて、この本は、私にどんな影響をおよぼすのか?

ありがとう


8月30日、つけたし

ヨーガを通して思うこと。

どうやったら、自身を信じて流れにまかせて生きられるようになるのか?

私は、[じゅうぶんがんばった]と思えるかどうかなのだと思う。

望みが叶うことではないよ。

あからさまの努力でもないよ。

自身の思いと向き合って、振り回されながらもなんとか生き延びてこれたという思いがあるかなのだと思う。

きっと、うまくいったことも、いかなかったことも、あなたの一部になっているのだと思う。

生きてきた自身に満足する感じなのだと思う。

あとは運が決めることであり、流れが選択肢を呼び寄せるのだと思う。

自身を信じて生きるとは、そのような流れの選択肢を、その時の自身が選ぶことに任せることなのだと思う。


まずは、自身の精神と肉体の感覚を体感することから始めてはどうか。

逆でもいいかな?内向的か外向的などのタイプによるかもね。それぞれの特性の逆を感じることだろうね。

私とその他の関係性は、おのずとみえてくるかと思う。

内なる世界と外世界は、同じようなものなのだと思う。

信じることは、言葉で説明できるような根拠とは別の感じがする。

どのようなタイプであっても、最後はそこに行き着くように感じる。

あなたの根源に出会って納得する私がいることに気づく。



ありがとう


9月1日、つけたし

今日は水槽の水換えにはじまり、魚の思い出を感じる1日だった。

息子が産まれてから熱帯魚生活が始まり、早いもので26年になる。

なにごとも長く続けていると、それなりの感覚を得るようで、わかってくることがある。

その感覚が他のことにも影響しているかと思う。

私を通して感じることが生きることなのだと思う。

知識が先か感覚が先か?

どちらでもなくて、混じり合うことでわかるようである。

私がわかれば世界がわかるし、世界がわかれば私がわかるのだと思う。

最近、このような感覚によく出会う。

なにかわかったようなのだが説明できないのがもどかしい。

これが私の限界なのだろう。

あきらめを知ることで選択肢があらわれ、あらたな流れがうまれる。

生きるとは、うまれることの連続による流れなのかもね?

そんな感覚が前提となることで、次の次元への道が広がるのかもね?

あきらめが広げる世界観があるのかもしれないね。

なんのことやら?

わかったようだが、あいまいすぎて言葉にならないようだ。

言葉とは限定だからね。

だから、感覚なのだろうね。

肉体感覚は精神に紐づく。

精神とは、あるようでなく、ないようであるもの。

心や魂なんていったりもする。

私的に言えば、自身の根源であり、自信である存在。

あなたなら、どう言う?

それが、あなたの根源であり、自信なのかも?

ありがとう



9月4日、つけたし

クロ丸ミステリーさんの5次元視点による世界を外側から観測する概念の解説動画を見て思うこと。

私達、意識生命体や地球などの星星という存在には、重力がある。

重力とは、鏡であり、認識するということ。

認識とは、それぞれの存在の特性による流れにより、違った世界観を生み出すということ。

大きさは関係ない。

それぞれの流れがあるから、新しい可能性が産まれている。

意識とは自我なのだろう。

自我は、観測者であり、ソウゾウ者である。

ドーナツ型の自我。

表面に写り込む景色を固有の感性という世界観で認識する。

ドーナツの穴は全てが繋がるゼロに流れていく。

ゼロとは、アカシックレコードであり、神であり、空なのだろう。

全てははじめから想定されており、パラレルとなり分岐を繰り返して広がる。

固有の自我が自由意志を認識できないのは、新しい流れを生み出すと同時にゼロにも記録され、パラレルとして想定されるからだろう。

当事者には、残像という記録に意味などないが、その他には価値となるのだろう。

もっとも近くて遠い両極。

ゼロとその他の関係性なのだと思う。

これは何次元の視点なのか?

ここ数年の流れによる、私の感覚である。

妄想が世界を広げるのかもね。

そう感じるのなら、試してみればいいんじゃないのかな?

自己責任ですがね。

なるようになるのだから。

流れとは、私の連続体。

あろうがなかろうがね。

じゅうぶん生きた意識ならば、それを勧めます。

わかっていようがいまいが、感じているのならば、なおさら、自分軸を勧めます。

自分軸とは、全てからの開放であり、限定というあきらめからはじまる。

あなたの観たい景色しか見えないのだからね。

選択とは、どの方向を観るかということ。

それが、やるということ。

それが、自身の流れを生み出す自分軸ということ。

流れとは、記録を綴ったものであり、物語となった瞬間、他人事になる。

つきぬけろ!人生。

こんなことを感じました。


ありがとう。



9月10日、つけたし

なぜ、私はこの時代のこの関係性に産まれたのか?

偶然であり、必然なのだろうね。

だからこそ、生きるしかないのだと思う。

運命という宿命を背負いながらね。

人生に向き合って生きる私もいれば、あらがう私もいる。

さまざまな可能性からひとつの物語がきざまれる。

私と違うタイプには話さないほうがよいだろう
ね。

知らないから生きれるタイプがいるということなのです。

そんな、不安にふり回されやすいタイプの方のことはわからないが、間違いなくいるということです。

私は、客観視によるメタ認知という可能性を知りながら人生を生きるほうが楽しいようです。

不安よりも、静かに生きたいようです。

感情のふり幅が少ないタイプのようです。

歳をとるほどに感じることがあるかと思います。

子供のころの不安は、あたりまえであるが、大人になれば、自身に気づくことがあるよね。

それすらも、辛いのであれば、そういうことなのだろうね。

自身の流れを生きるだけなのだろうね。

この時代のこの関係性に産まれて思うことなのです。


私の可能性

世界の可能性

いくつもの未来

それだけのことであり、それ以上でもそれ以下でもない

知ることでわかることなんて、その程度のことだけど、最後は死ぬだけのこと

死んだらどうなるかに比べたら、わからないなんて、どうでもいいんだよね。

だから、意識の世界観を生み出したのだと思う。

それが、現実の人生にも大きな影響を与えるのだよね。

世界観は、わからない死を元に生があるのかもね。

納得しないかい?

不安感も生の一部なんだね。

これは、私のタイプだから感じることだということを知りましょうね。

それぞれの、なりゆきまかせの人生を肯定するなら、話さないほうがいいことがあるよね。

生きることって、おもしろいよね。


ありがとう


意識において、気になるとは執着なのだろうが、[そうなんだね]と流すことで、そんな私に気づき悟るようだ。

手放すとは、そういうことなのだろうね。

だけど、体感しなければあきらめきれずに悟れないタイプもいる。

そんなタイプになにかを感じてしまうのだが、それすらも流すことが、私の悟りなのだろう。

悟りとは、瞬間の気まぐれのようなものだと思う。

なぜ、この身体で産まれたのか?

自身を知ることでわかることがあるが、それを絶望と感じるタイプもいるのだからね。

わかるとは、ごまかしだと思う。

それぞれの流れがあるのだから、しつこい関係性は互いに淀みというダメージを共有するよだろうね。

それが、喜びと感じるタイプもいるようだ。

どちらにしても、生きているから感じることがあるのだよね。

ありがとう



9月11日、つけたし

赤ん坊の法則ってあると思う。

ちょっと、感じてみて。

なにもできない私。

なにも知らない私。

自身の限界を知ることで、その次元の世界観をうろつく。
 
肉体は五感とともに成長する。

あきらめから自身と向き合い探求することで、その次元を突ら抜く一筋の感性を導く。

ひとつ上の次元に点というきっかけが生まれることで、あらたな視点を獲得する。

初めは狭い視界であるが、手探りでうろつくことで感性はひろがる。

繰り返しの法則。

自身と世界との関係性の法則。

肉体の殻をやぶり、自我の殻をやぶり、時空の殻をやぶり、有無の殻をやぶり、その先へつづく。

次元ごとに解釈のことなる自身がいるようだ。

抽象度の視点の法則。

精神にも、五感のように、いくつかの感覚があるのだと思うが、意識の領域であるため、掴みどころがないので、わかりがたい。


そんなことを思う。


9月12日、つけたし

くろ丸ミステリーさんの世界は脳の幻想?という動画を観て思うこと。

ジルボルトテイラーさん(脳の専門家である彼女が自身の左脳の機能を失い、実感した体験をつづった本)の著書からの引用であるが、脳には4つの人格があるそうだ。

左脳には、記憶による時間軸と自身と世界との関わりをつかさどるようで、自我を感じる論理的思考をすることで、孤独と不安感を生み出しているようだ。言語と時系列による流れを感じる基幹のようだ。

右脳には、自他を感じない世界との一体感により、反応をする今の瞬間を感じるようで、あるがままの現実を感じているようだ。

更に、左脳と右脳には、ポジティブとネガティブのそれぞれ二つの人格があるという。(私の解釈ですがね)

私のようなタイプだから納得できることなのだろうが、駆け引きの左脳と愛の右脳があることで、バランスをとり生き抜いてこれたから、現在の私が存在しているのだからね。

結局、タイプ論は、脳のバランスの割合の違いなのだろうね。(身体的特性による五感への影響も大きいだろうし、内蔵は第二の脳とも言うしね。それが、脳のバランスの特性に影響しているかもね。そのうち、心理学や脳機能学が宇宙論とまじわって、意識の解明をするのかもしれないね。)

誰もが4つの人格の種を持って生まれてきたが、持って生まれた脳の特性によりタイプがきまるようで、人生を生きることでキャラゲームのように経験値を稼ぎ、ステータスの振り分けにより変化していくのであろうね。

私が今まで書いてきたことの一部が、この動画にも表現されているので、こちらを観てもらったほうが伝わるかと思う。お勧めします。

前回、紹介した動画といい、この方も、私の興味と共有することが多く、私と同じタイプなのかもしれないね。

それにしても、私の子供のころと違い、意識や宇宙の探求を、オカルトやスピリチュアルで論理的に説明できる時代になったと、つくづく思う。私の時代は心霊や簡単な宇宙人やUFOが多かったような気がするし、奇妙な変人あつかいだったからね。私の視点が変わったから、目に付きやすくなったこともふまえてね。


私のタイプにとっては、良い時代になったものだね。

私にとっては、意識とは、クリエイティブなアートなのだよ。


ありがとう。



9月14日、つけたし


私が生きることで未来が生まれる。

私が記録と触れることで今がある。

記録とは、過去の記憶。

私以前の情報が私を生み出し、私は世界の一部となる。

生きるとは、そんなことなんだろうね。

意識で繋がる精神世界とDNAで繋がる物質世界は互いに影響している。

私を通して、あれこれと影響をうけたなら、融合し変換することで、私の世界が生まれ、可能性のひとつとなるのだろうね。

抱え込む必要なんてないよ。

流れにまかせて、生きればいい。

感じるままに、夢を求めながらね。

それが、自然なのだろうね。

そのままで、全てが完璧な世界。


ありがとう。



9月15日、つけたし


今日も[元から世界はひとつなんだよ]という夢をみた。

最近の私は、起きているときも寝ているときも、このような自他のない世界観を感じている。

これは、私が満たされているからなのか、満たされたいのか?

どちらにしても、いつのまにか、私が望んできた生き方に入っていたようなのです。


世界は反転するようで、まさに、

[人生、楽ありゃ苦もあるさ]

なりゆきまかせの生き方


ありがとう


世界中の神話が物語として流れを記録しているのは、隠された記憶を、それぞれが読み解くためなのだと思う。

それだけ、駆け引きが多く、世界は交わりながら何度も上書きされているということなのかもしれない。

私とは、ひとつの集約化された点であり、内と外をつなぐ穴なのだと感じる。

人生も、後半に入ると、このようなことを感じるようである。

それは、おもしろくもあり、はかななくもあるように感じる。

まさに、夢と現実が交わる世界なのだろうね。




9月16日、つけたし


自身の感じるままに流れて生きるといっても、自身だけではなりたたないから楽しいのだろうね。

眼の前に現れる、気になることに意識が向かうことには、選択よりも自由な自身の気まぐれがあるのかもね。

そんなことを俯瞰している私は誰?

おもしろいね。

ありがとう。


9月18日、つけたし

最近の私の流れをみてみよう。

原始仏教に興味をもち、ヨーガの真似事をしている。

どうやら、私の根源は古代インド思想にあるように感じる。

インド思想では、人生の晩年を自身の探求にあてるという。

一般の価値観から離れて、自身が感じるままに生きる、修行僧のような文化があるという。

私の感覚だと、それが、隠居に近いのだと思う。

私とは、外側の世界観と自身を比べることからはじまるのだと思う。

自他がなければ、どちらもなりたたず、存在すらないのだと思う。

しかし、比べるといっても、二種類あるかと思う。

劣等感からくるネガティブな比べ方は、ねたみと恨みにより攻撃的な感情を生み出し、原動力はあるが、満足感はおとずれないと思う。(他人の価値観を気にしているからだろう)

興味関心からくる自身の特性を知るための比べ方は、私が云っている自分軸を生きる原動力となり、満ち足りた感覚となるように思う。

他人からみれば、どう想われているかなど、気にならないということなのだと思う。(強がりすらない自然な感情)


ありがとう

私は、自分軸とは自我を超越した感覚だと思うが、何が違うかは説明できないようである。

それは、悟りといつわりの悟りとが見分けられず、感覚で違和感を感じるしかないことに似ている。

それが生きるだいごみなのかもしれないね。


9月22日、つけたし

見えても見えなくても、同じような気がする。


どうして、そうなるんだ?

生きていて、どうにもならないことってあるよね。

現実におこること。

やれることをやるだけしかないこと。

後は、待つしかないこと。

どうなろうがね。

結果が、おとずれるだけなんだよね。

感情なんて、個人的な感覚でしかない。

ただ、気持ちが入れかわるだけでしかない。

それが、自由とか愛とかいうものなのか?

だけどね、捉え方しだいで、世界はかわるのだよね。
 
それもこれも、あいてがあってこそなんだよね。

流れがある。

生きているというね。

今、あなたは、なにを感じる?




ありがとう


そういうことだね。


ありがとう


9月24日、つけたし


人間の感覚なんてものは、最終的に似たような所にたどりつくのだと思う。

あらゆる物語が向う所へね。


久しぶりに、軽い鬱のようだ。

精神の高低の波を繰り返して、たどり着く所があるのだと思う。

生きていることじたい、瞑想なのだと思う。

ひとつの物語を瞑想している。

わからなくても、思い込みでもいいんじゃないのかな?

違いを感じることに特化した存在が人間なんだね。

それが、ひとつの物語という瞑想なのだからね。

なるべくしてなるだけなのだと思う。

全てに

ありがとう



9月26日、つけたし

今日、息子が連れてきた犬が亡くなった。

2年半ほどの時間を共有した。

今月に入ってから、日に日に弱っていく犬と私の精神が同調していたのかもしれない。

それでも、楽しいときをすごせて幸せを感じた。

ありがとうね。


鬱の状態のときは、意識を鬱に向けて深入りしないほうがいいようだ。

私は、鬱とは潜在意識と顕在意識との、かみ合わせが悪くなって行き詰まっているようなものだと思う。

どちらかが先走って要るような感じかな?

そんなときに、何をやってもうまくいかないから、よけいに追い込むことになるだろうね。

ただなんとなく、鬱の状態を抜け出すのを待つしかないのだと思う。

精神と肉体とのずれともいえるだろう。

人生のタイミングがずれているのだろうから、流れにまかせられないということなのだろう。

そのうち、もとに戻るからね。

ゆっくり、休むことも人生なんだと思う。

思考癖のある人ほど注意してね。

自然にまかせることで、流れに戻れるかと思う。

とかいいながら、ちゃっかりと、戻るときに、何か気づきがあったりもすることが多いように思う。

感じなかったことが感じられるようになったり、視点がひろがったりね。

同じことを繰り返しているようでいて、螺旋に世界観があがっていくような感じかな?

人生の変化のきっかけなのかもね。


ありがとう。


10月2日、つけたし

今日、不思議な夢をみた。

私の部屋に女があらわれた。

彼女は、私と生きるといい、どこから連れてきたのか、いろいろな人が部屋にくることになる。

私は、初めはとまどうが、彼女を受け入れることにする。

私の感情が消えていく。

部屋に人がくるたびに、私の部屋の仕切りはなくなり、部屋の空間が広がっていく。

ただ、流れにまかせる私。

私は、誰がきても気にすることなく、特別に相手をするわけでもないのだが、訪問者は満足して帰っていく。

彼女は、相変わらずマイペースで、私の部屋に居たり居なかったりしている。

私は、部屋から出ないのだが、部屋が広がるほどに世界観が広がるように感じる。

しだいに、部屋の中に町が造られていく。

多くの住人が、私の世界観に住み始める。

私は、ただ生きているだけ。

私の世界観と大勢の訪問者が融合していく。

私のプライベートは消え失せる。

自他の境界線が消え失せる。

互いに響鳴する感じ。

ひとつの光りのような感じ。



いろいろな読み解き方ができるね。

そのまま、私の成長ともいえる。

訪問者は情報ともいえる。

私も根源という世界観の情報だね。

私は場所なのかもしれないね。

彼女はきっかけかな?

きっかけという場所が世界を生み出すのかな?

私が消えても場所は残るのかもね。

記録という場所。

現実と夢の融合。

自我という分離からひとつの統合へ。

感覚の世界だろうね。


ありがとう


10月11日、つけたし

懐かしいYouTube動画があがっていた。

(地球に生まれた宇宙人へ)さんの(恋愛ゲーム)という動画だ。名前変わったような?

6年ほど前に聴いていたのだが、今も活動していたようなのだ。

(スピリチャルNORI)さんからの紹介で知ったのだと思う。どっちが先だったか?

この人も、ひとり語りで、文字が画面上に流れるスタイルの動画なのだが、おそらく、私と同じように、独りが好きだが人に関心はあるタイプだと思う。

他人は観察対象てをあり、他人を通して自身を分析しているのだろう。自身も観察対象なんだよね。

しいては、世界観を構築してふにおとしていくのだろう。みんな、いい加減なんだけど、自分は正しいと思い込みたいのだろうね。結局はごまかしだと気づくのだと思う。

そのようなタイプのスピ系の人にはお勧めします。

行き着くところは、だいたい同じようにも思うよ。

気楽に寝ながらでも聴くといいよ。


ありがとう。


10月12日、つけたし

なんでもかんでも自分で決めて生きたいと願うならば、そんなたいへんな人生はないことだろう。

かたくなな思考は凝り固まった執着でしかないのだから、そんなゴールなんて偽物でしかなく、満足感は一時の癒しでしかないのだと思う。

私なんてものは、全体からの反応でしかないのだと思う。

流れるままに、なりゆきにまかせて、そんな生き方をしていると、気づくことがあるよね。

それでも、左脳よりの思考にひきづられながらも、直感的にシンプルに生きることを志している。

感覚でいきることが、こんなに気楽であることに気づく。

真逆のタイプの人も、真逆の気づくことがあるのだろうね。

思いもよらないアイデア(幸せ)に出会うこと

それが、全体から気づくことなのだと思う。

そんな世界観があるのだと思う。

私なりの


ゼロポイントフィールドという世界観なのだと思う。


ありがとう☺️


10月20日、つけたし

3の法則と7の法則で世界は成り立つなんていう話しがある。(哲理学作家さとうみつろうさんのYouTubeをみてね)

ネットを見ていると、またまた2025年問題の話題が多くなってきている。

私が気になりだしたのは、8年ほど前だったと思う。

あれから、さまざまな気づきを重ねてきたのだが、私は何もかわってないようにも感じる。(スピ系だと、アセッションゲート問題やら、都市伝説的なことやら、あれこれと描いてきたからね)

時代の変革期だというスピ系もそうだが(世界滅亡説や日本人救世主説等)、グレートリセットで経済等の世の中の仕組みも2025年を堺に変わるように計画されている話題が多いのだが、何があるというのだろうか?(なりゆきまかせの私にはどうでもいいように感じるけどね)

ノストラダムスのときもそうだったが、この手の現象は、過ぎてしまえば、「そんなこともあったな」というものだと思う。(過去は前提でしかなくあたりまえという認識となり疑わない洗脳のようなものだからか?世界線の確定なのだろうね)

私は、私なりのイメージで生きているようで、それなりの現実的なイメージを共有しているようである。(別次元からのメッセージによりメッセンジャーとしての役割りの人が増えてきているようだが、怠け者である私の活動はこのような現実なのだろうね)

もっとも、現実とはなんだろうか?

必要以上の怯えや期待はいらないと思う。

いつも、私は私なりで生きている。(やりたいように生けている)

今の私なりの気持ちを大事に生きていれば、おのずと生きやすくなるかと思う。(世界は補い合ってなりたっているかと思う)

私の存在とは、用意された場でなにを感じ行なうかなのだと思う。(なんだっていいんだよ)

御先祖様の用意してくれた御下がりをありがたく生きればいいのだと思う。(過去や未来の学びは大切ですが、自身を大切にすることで幸せは広がるように思う)

大きなククリでとらえれば、国であり、人類であり、地球であり、宇宙である。(自然に感謝があふれることで愛が連鎖するかと思う)

足り無いよりも、私の周りには有るに包まれて存在しているということに気づくことでしょうね。


ありがとう


10月24日、つけたし

現在の世の中は情報戦だという。

はるか昔から知っているものは知っている。

現実はそれぞれであり、知っていようがいまいが、求める情報を信じて生きるようだね。

広めるのも自由ならば、学ぶのも自由。

それでいいんじゃない!

私は思う。

何かになりきり、演じていることさえも、気づかないのならばね。

それが、わるいことでもなければ、それ以外が特別てもないのだろうね。

それなりに平和な日本で生きている日本人として、私は、そう思う。

世界が何を求めようが、そんな私が有ることがすべてなのだと思う。

ありがとう


何を求めようが、何をしようが、なるようにしかならないならば、好きなように生きればいいのだと思う。

なりゆきまかせの生き方とは、私が決めて生きているようで、世界がなるべくしてなるように整えていることなのだと思う。

私が有ると無いは同じことに気づかないかい?

生きるとは、そういうことなのだと思う。

だから、

好きなようにいきましょう!


ありがとう


10月29日、つけたし

今日、パートを辞めてきた。

予定通りなのだが、隠居生活へと向う。

いつの時代も人間とは、我が道を行くものなのだと思う。

もちろん、一般的に仲間に囲まれる道もあることだろう。

私の流れは、独り静かに生きることからはじまるようだ。

その先に何が待つのかは、わからないがね。

なるべく、世間からはなれて暮らすことが夢だったような気がしている。

若い頃から、そんなことばかりに興味関心があったのだからね。

やっと、そんな生き方が試せると思うと、ワクワクしてくる。

今は、夢と現実は同じように感じる。

誰に伝えたいわけでもないのだが、自身の奥の方からせり上がる感じがする。

静かなワクワクってあるのだよね。

これが、私のやりたかったことなのかどうかはわからないけれど、やらずにはいられないからね。

私のために生きる生き方に向うということなんだよね。

年齢は関係ないけど、私の場合はこのタイミングの流れなだけでね。

それぞれの流れがあるから、人生はおもしろいのだと思う。

あらたな現実に向けて


ありがとう



これを読んで影響をうけたあなたに、ちょっと、一言アドバイスとして、私の場合は、51歳までかかったのだが、それが早いか遅いかはわからない。

世の中がどうとか気になるうちは、隠居へ向かわないほうがよいかと思う。

無理してまで自身の都合だけで生きようとしたところで、現実的に生活費や気持ちの面からも、自身の意識は世間様の常識という価値観に縛り付けられるだけでしかないかと思う。

いきなりではなく、自身の特性を知るためにも、少しづつ確かめるように試してみるといいと思う。

隠居にも、それぞれのスタイルがあるかと思う。

夢や理想だけでは精神の安定は保てないかと思う。

意識と思考と感情に振りまわされることにならないように、あせらないでくださいね。

隠居は、自身からの逃亡でもひきこもりでもなくて、なるべくしてなることだからね。



このあとの流れを、これからもここに記録するかどうかは、その時の私の都合にまかせるだけである。

ただ、しばらくはか書かないような気がしている。

それでは、縁があれば又あいましょう。


ありがとう


10月31日、つけたし

現在の私の世界観を記録しておく。

私たち人間(あらゆるもの)はそれぞれ凸凹であり全体で補い合ってなりたっているのだが、逆にとらえると、そのひとつの単体は全体の一部でありあらゆる可能性の根源であり、完璧な存在でもある。

誰もが発達障害だということ。

自然とは、あるがままのその単体(ジ)が全体(ゼン)のなかでなるがままに変化する流れである。

この物質世界は、物質という形を生み出すことで認識されるように、人類の誕生以来、意識想念により、別次元に精神情報が構築されてもいる。

形ある物質と精神情報の積み重ねが文化となる。(神話も死後の世界もゲームの世界もSFもファンタジーもクリエイティブなものは精神情報の世界感の一部であり物質として表現されたりする)

どちらも表裏一体であり、その抽象度の視点により、次元のククリがあるのだが、それすらも全体の一部でしかない。

私達はどこからきてどこへむかうのか?

そんなことはわからない。

その、わからないということが、もっともの根源なのだと思う。

だから、生きているのだとも思う。

あらゆる次元の視点を超えた全体の感覚は、言葉で伝えたくてもあらわせないのなら、感じるしかないかと思う。

それぞれが感じることでそれぞれの解釈がうまれるように、世界は広がっていくのだろう。

頭でっかちは、そうでなければならないと否定ばかりする。

そんなものは、そもそもないのであり、ないということは、あるということでもあることに気づくことだろう。

有無すらも気まぐれであるのが本来の世界観であり、それこそが、お互いの成り立つ原動力となり原動力が循環して全体がなりたつ。(形あるとは、ひとつの答えではあるが、あらたな疑問にもなりうることにより有無という存在となる)

つまりは、生きていることをあじわえということ。

選り好みせずに、自身の流れを感じろということ。

不安定と安定の狭間をゆらぐことが遊びであり気づきをうむ。(その境地が悟りの入口なのだろうが、ほとんどの人は瞬間を感じることしかできないようである。)

そのような生き方が自身の自信となるということ。

思い上がりすらも単体では成り立たず、全体による気づきにより変化する。

だから、好きなようにいきましょう。


それが自然の仕組み。


感謝しかない。


ありがとう。


11月15日、つけたし

今月からパートをやめて隠居生活をしている。

そのとき感じたことをする、気持ちの流れに向き合う生き方をしていて、感じたことがある。

空とは、大気の流れなのだろう。

私を囲む大気とは、世界中を流動し、あらゆるモノと混ざりあっている。

私は、そこにいながらにして、そのモノと触れ合い呼吸している。

それが、気の世界観なのだろうね。

私と外世界が循環する。

見えないモノを感じる世界観があるのだね。

エネルギーの交流。

情報の変換。

抜け殻の情報エネルギーが大気と混ざり循環する世界に私は存在しており、私はその一部という役割なんだね。

気の世界観に触れると、あらゆるモノが深みをまして感じるのかもしれないね。

一見、無気力な鬱のように見えますが、無駄なことをしないようになるということは、活力が低下することではなくて、静かに生命力が満ちている状態なのかもね。

現在の、これが私のあれな世界観なのです。

時空を超えたような錯覚

好きなようにいきましょう

ありがとう


11月18日、つけたし

隠居したら書くこともなくなるかと思いきや、いまだに書いている。

日々の日常をつづった日記なのだと思う。

私にとって、これは自然なのかもね。


久しぶりに、物質本をアマゾンで6冊買ってみた。

どちらも情報ではあるが、物質本のほうが電子書籍よりもリアリティーがあり、情報を体感することは私と一体になることだと思う。

人類史上最大の波動上昇が訪れた!吉濱ツトム
いい習慣が脳を変える健康仕事お金IQすべて手に入る!苫米地英人
この2冊は電子書籍でも持っていたが、あらためて買った。

戦争論苫米地英人
自分を支える心の技法名越康文
ニホンという病養老孟司×名越康文
意識ヨーガ:ポーズを使わない最終極意!成瀬雅春
この4冊は、なんか気になったから買った。

なぜ、わざわざ、物質本を読むのか?

より現実に近くて、染み込みやすいからなのだと思う。

ゆっくりと体感しながら味わうように、その時のペースで、読みたいところを読む。

それは、偶然という感覚なのだろうね。

より、なりゆきまかせの読書なのだと思う。


最近は、YouTubeのお勧めも変わり、ヒカルさんや宮迫博之さんなどのエンタメ的な動画はみなくなったようだ。

もっぱら、スピリチャルや熱帯魚や株投資やプロレスや格闘技の達人系などの動画を観ている。

後は、アマゾンプライムビデオで十分なようです。

集中して観ているというよりも、なんとなく、流しているようで感じているといったほうが正しいかもしれない。

朝晩の散歩、サイクリングをかねた買い物、庭いじり、熱帯魚の世話、ヨーガをしている。

朝は3時に起きて夕方の6時には寝るような生活をしていると、一般的な世間様が遠のくような気がするが、自然な状態になってくるようにも感じる。

これが、私の本質なのだと思う。

自身に合う本質を見極めることは、ここちの良い生き方をすることなのだと思う。

なんとなくしたいと感じることをする。

なんとなくイヤだと感じることから、はなれる。

そんな、なんとなくを感じることから始めるといいかもね?

イヤイヤしなければ、という感覚をはずしてね。

皆様にも、そんなときがくるとよいかと思う。


ありがとう
















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