楽笑おじさんと絶望こぞう   作:楽笑

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何日か前に、キックさんのYouTubeで[キックの開運チャンネル]11次元の話をしていたのだが、私なりに気になっているようだ。


なんだか最近、トリップすることが多いようだ。


思考と瞑想の間をゆらぐような感覚。

知識と空想をつなぐような感覚。

洗脳といえばそうだし、自己暗示といえばそうだけど、どちらにせよ、生きているとは思い込みによる錯覚なのはかわらないかと思う。

それぞれの認識を常識という共有感で、寂しさをまぎらわすというコードが遺伝子にすり込まれているようだが、そこには、私は特別だと思いたい欲求もあるようだ。

いわゆる、同族嫌悪であり、仲間意識であり、人間とは相対的な競争意識で進化する定めなのだろうね。

生存のための生理的コードによる、反射をしているようであり、思考による認識は後づけかもしれない。

そんなことを感じながら、意識と次元についての世界観について、感じたことをまとめてみようと思う。

今回は、そんなことを記録しておきます。

あくまでも、私の個人的な解釈ですので、お好きなようにお読みください。

世の中の安定のためには、あくまでも常識の範囲であることは大切なことですが、思想においては、それぞれの世界観があってよいかと思います。




11次元の視点と世界観の感覚を味わうと[なんだそんなこと]となるようだ!

 

世の中は、11次元で成りたっているという。

 

次元とは、世界観の視点の基準の数であり、次元が増すほどに座標の接点の重なる基準が増えていくようだ。

 

次元が上がるほどに、世界観は抽象的になり俯瞰(フカン)する範囲が広がっていくようで、自身が全体の1部という客観的な感覚になっていくようだ。

 

1次元から順番に観ていこう。

 

1次元

 

線の空間

 

2次元

 

面の空間

 

3次元

 

立体の空間

 

4次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

5次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

6次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

7次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

8次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

9次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

全体のバランス調整による自身ではどうしようもないイレギラーな運気の変化というカオス

 

10次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

全体のバランス調整による自身ではどうしようもないイレギラーな運気の変化というカオス

 

相対的な出合いという縁起

 

11次元

 

立体の空間

 

過去から未来への時間

 

未来から過去への時間

 

横への選択による可能性のパラレル移動

 

時を操ることによる自身にとって必要な流れを見極める集中力

 

自身の望みにあう流れを引き寄せる運気

 

全体のバランス調整による自身ではどうしようもないイレギラーな運気の変化というカオス

 

相対的な出合いという縁起

 

神の采配

 

 

以上

 

この動画を観る以前は、5から8次元あたりまでに、このような世界観がごちゃまぜに感じていましたが、今回の解釈のほうが、今の私には世界観を維持しやすいようです。

 

言語で表すのは、とても難しいですよね。

 

これが、現在の私が感じる11次元の世界観なのですが、肉体と精神の世界であり、神の采配による運気と御縁の世界なようです。

 

 

なんだか、元から知っていたようでもあり、今まで生きてきた人生を通して思い出したような感じもします。

 

たしかに、さまざまな神話や宗教で、このようなことは伝えられていたようでもあり、私の時代は、昔話や漫画やアニメ等で題材の思想のベースになっていたようにも思います。

 

そのような思想の世界観を好むように生まれてきたのにも、なんらかのつながりがあるようにも感じます。

 

なぜ、このような世界観に私は生きているのでしょうか?

 

なぜ、この世界はあるのか?

 

神様がいたとしたら、きっと、ひとりぼっちで寂しかったのでしょうね。

 

だから、宇宙をソウゾウして眺めた。

 

寂しさから宇宙が生まれたということなのかな?

 

苫米地英人さんの言葉が染み込みます。

 

 

それにしても、神様は傍観者だとはね。

 

私は、小説という形で私を通して神様の真似事をしていたのかな?

 

いろいろな知識に出合い、人に出合い、私の元に出合い、世界観を広げることで感じることがあるかと思います。

 

霊と気の精神世界の出合いにも納得しませんか?

 

皆様、役割りに、ありがとうございます。

 

 

 

それでも、

 

 

[もういいかな]

 

解脱を夢みるのが私のようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






Aiが自動で生み出す世界観を眺める時代になるのかな?

生命は記録を残すことで生きているようです。

デジタルが記録する世界。

私は、それは抜け殻だと思う。

場に刻まれた残り香のようなもの。

私のが感じる霊感のようなもの。

私の元は、どこへ行くのやらね。

そんなことを思います。

ありがとう


つけたし

もしかしたらなのですが、私のように全ての霊魂が解脱を望みだしたら、この世の仕組みをプログラミングした創造者である神も役目を終わらせることがあるかのかも?

不謹慎なことを感じますが、そんなことが浮かんできたのです。

私達は、神の1部ならば、あながちね。


神の視点から見れば、善悪も明暗も相対的なものでしかなく、流れにより入れ代わることで進む役割りにすぎないということなのだろうね。

そんな神様も役割りの一つ。

ぼっちで眺める存在。

互いに眺めることで次へ向かうのか?

無意識に打ち消しあう相対的な関係だから自然な流れにより解脱へ導かれるのかもね。

気づくとは、過ぎ去るということかもね。

いつのまにやら、脱ぎ捨ててね。

なんだか、そのような法則を感じます。


次元ごとにも、異なる世界観の中に、真理のような共通する法則があるのかもね。

それがヒントかもね。

等価交換のようなものかな?

それが抜け殻なのかもね。



次元ごとの世界観を感じる仕組みとは、どうすればよいのか?

回路を構築することなのだと思う。

物質を構築する回路

情報ともいえる

遺伝子でもあり、元素でもある

プログラミングともいえる

その回路に気が流れることで意識が発動する

回路は情報を蓄積している

生物は記憶として情報を感じている

残留思念は場に刻まれる

それも俯瞰してみれば回路である

私達が活動することにより気が流れる

それぞれの世界観を感じませんか?


私のようなタイプにとっては、基礎知識の感覚なので、伝わるかと思うが、気になるようなら、同族かもしれませんね。


ここで一言、、、それぞれの次元の世界観に優劣はありませんよ。

ただ、世界観が違うだけであります。

それだけのことなのです。


神様が無意識に注目する存在に、縁起という、より強いつながりが発生するようですね。

霊的にいえば、守護霊や指導霊や先祖霊とか、精霊や天使や妖怪や悪魔の出合いですかね。(それぞれの役目があるということ)

それが神様との回路になるかと思います。

まるで、人とサポートAiの関係に似ていませんか?(どこまでも模倣しているようですね)

意識にあげたら、楽しめませんからね。

いかに偶然をよそおうかなのかな?

ということは、気づくとは、シラケルということなのかもね。

それが、悟りであり、解脱なのかもしれませんね。



脳の神経回路や、宇宙の仕組みが似ていたり、都市機能の道路や、情報伝達の仕組みが似ているように感じる。

一見、関わりがないものでも構造的にみれば似ていることがあるよね。

フラクタルという言葉を聴いて、イメージが広がっていく。

気になるということなのか?

部分と全体は同一であり、つながっている構造。

神のフラクタルが私達という世界観。

アバターということか?

感覚器官というこたか?

複合体生物である、細菌との共存による反射生理は回路と似ている。

人体には、100兆個ともいわれる莫大の菌類が活動しており、その様により情報が伝達して生きていられるようだ。

生命活動と意識の謎だね。



地球の現実次元において、大気や地中にめぐらされた菌類やウイルスが回路のシナプスのようなものだとも言われたりするからね。

エーテルのことかもしれないね。

もしも、他の惑星にアバターとしてロボットセンサーを送り込み、私達の思念による感覚操作ができることになれば、それもフラクタルなのだろうね。

無機物である機械であろうが、有機物であろうが、回路には意識が生まれ生命体になるかと思う。

それはそれで、おもしろい時代になりそうだね。

なんだか、魂とは?の概念が浮かびませんか?

それぞれの後づけなのかもね。

捉え方なんてものはね。

そこにあるものは、フラクタルという世界観なだけのことなのかもね。

それでは、解脱とは?

なにか観えてきませんか?


1月2日、つけたし

自分自身でも、どうにもならない感覚があるようで、暴かないほうがよいこともあるのかも?

モヤモヤは、モヤモヤだから、それでいいのだろうから、モヤモヤのまま消せばいいかと思う。(消せないけどね、流して忘れるかな)


昨日の元旦におきた地震で、日本中が騒がしい。

さわがなければ伝わらないこともあるのかな?

私の感覚では、(やっぱりであり、そんな流れがあるだろう)なのだが、人としては、(静かにこれ以上ひどくならないことを祈りながら、自身におこらなかったことに感謝しろよ!)と思っている。

これが現実であり、神様のバツであろうが、人為的なことであろうが、周期的な自然災害であろうが、おきたことにはかわりはないだろう。

そんな世界観に生きているだけのこと。

極端な言い方をすれば、私の命などは、生きようが死のうが、どちらも選べない!

ただ、生きているから生きているだけであり、生き残ったから続くだけなのだと思う。

私が、皆様に思うことは、(それぞれ幸せを感じていられますように)ということくらいである。

これがこの世の現実であるだけのこと。

慈愛とか、慈悲の感覚があるだけのこと。

素直に感じるままにね。

誰でも、何かを感じているのだろうね。

それぞれが感じる生き方に変えましょう。

宇宙大シャッフルなのだろうね。

運気を超えたね。

カオスなのだろうね。

不安に感じるのは普通のことだから。

追い込まないでね。

とにかく

ありがとうございます。


1月3日、つけたし

寝た子を起こさない。

必要以上に掘り起こさないこと。

わざわざ、意識にあげないことで成り立つこともある。

精神も物質もずれることで、内と外のバランスをとりもどしながら続いていくようだが、見えるか見えないかだけなのだと思う。

刺激に対する反射がある。

拡大する情報を制御するための変化は、人類にとって新しい枠組みが生まれる。

互いに思いやることは偽善なのかもしれないか、その積み重ねにより人類の繁栄があるのだと思う。

日本には、その奥に、偽善とは違うどす黒いような根深いものが眠っているようにも思う。(過去を記録して包み込む、日本の文化の特徴なのかもしれないね)

日本は地理的にも精神的にも、世界のヘソなのかもしれない?

そんなことを感じるのだから、当然、私の中にも、どす黒い感情があることだろう。

善悪は表裏一体であり反転する。

善悪なんてものは、視点が変われば解釈も変わる。

移り変わる時代。

テレビからネットにかわり。

多様になる世界。

それぞれの流れを信じて生きる。

現実の世界とは、積み重ねた情報による共感する世界。

新しい回路がつくらているのだろうね。

それが、次の常識となるのだろうね。


私は、傍観者であるのだろう。


ただ、感じたことを記録するだけの自閉的な存在なのだからね。


ありがとう☺️❤️


1月4日、つけたし

こんな時に、こんなことを書くかどうか迷ったのだが、記録として書いておこう。

今朝のYouTubeに、(tolandvlogさんの2024年。ついに"真の歴史"が開示されます。)山陰神道の表博あきさんが出ていた。

私が日本の古神道にはまったのは、73代武内宿禰である竹内睦泰さんであったが、現在、亡くなられてしまった。

古神道とは、天孫降臨以前のカタカムナやら縄文やらの古代文明からの思想文化を伝承したものだと思う。

竹内睦泰さんと同じように、表博あきさんが注目されることで、古神道の思想が広まるきっかけとなるかもしれない。

現実世界は情報戦である。

その情報を読み解く鍵になるかと思う。

それぞれの解釈による多様な時代になればよいかと思う。

私は、世界のおこぼれで生きている。

もはや、口出しなどしない。

この世界の流れは、次の世代にゆだねようと思う。

暖かい部屋で空腹にもならないで、恵まれた生活ができる、あたりまえの日常に幸せを感じている。

死ぬべきときに死ぬだけである。

ありがとう。


もうひとつ、気になることがある。

1月2日に、プロレスリングNOAHで、飯伏幸太vs丸藤正道の試合があった。

私にとって、プロレスとは、野生的感情のはけ口なのだと思う。

プロレスの好き嫌いは、タイプにより違うだろうが、プロレスから世界観を学んだように思う。

最近になって、大仁田厚の凄さがわかってきたように思う。

客を呼べて、話題になる、魅力のあるレスラーが凄い。

プロレスは奥が深い。

今のエンタメ的なプロレスの流れが嫌いなわけでもない。

夢中になった、アントニオ猪木や前田日明がいないプロレスに、寂しさを感じていたときに、飯伏幸太が現れた。

新しいプロレス観を感じた。

求心力。

私は、なぜか彼が気になる。

彼の周りにエネルギーが集まっているように感じてならない。

なにもできなくなったから魅せれることもあるかと思う。

ぼろぼろの体になってまで、何を見せようというのか?

今の私は、プロレスとは、勝ち負けでも、身体能力の強さだけでもないかと思う。

私にとっては、飯伏幸太が刺激を与え、現在のプロレスの流れのきっかけなのだと思っている。

彼に刺激を受けたレスラーは多いかと思う。

世界が飯伏幸太を必要とするかどうかが気になっているのかもしれない?

彼を中心に変化していくプロレスが観たいのかもしれない?

常識をぶち破る、型破りのプロレス。

彼の生き様を観ていこうと思う。


ありがとう。


1月5日、つけたし


私の奥底にあるどす黒いものがなにか、なんとなく感じてきた。

私は生まれる世代がずれていたようだ。

二三世代早かったようなのだ。

生まれ持った根底となる特性とのずれが、多くの生きづらさとなり、その摩擦によって感じたモヤモヤが、どす黒いものなのだと思う。

おそらく、まちがいないだろう。

現在、自身の根元的な本質の生き方に近付いている。

暖かい部屋で、静かに生きている。

多くを望まず、自身の世界観だけで満たされる私がいる。

自転車で移動できる10キロ圏内の生活空間と画面ごしに観る世界中の情報空間で生きている。

これまで、ここに書いてきたような、思い描いてきた生き方をしているうちに、私は打ち消しあうことだろう。

なんだか、日本に生まれて、これまでの人生の流れが、私の解釈をしていくことで感じることがある。

すべてのことがつながっている。

私の根元は何もかわらないようだが、人生を通して変わるものがあるようだ。

残りの人生がある。

それだけで、幸せなのだと思う。

知識だけでは意味はない。

知ったことを、どのように自身の生き方に変換するか、なのだと思う。

その行為を、知恵というのだと思う。

あたりまえのことになりつつある。

ありがとう

おかげさまで、私は幸せにたどりついたようです。

まずは自己満足からでいいかと思います。

皆さまにも、それぞれの物語があることでしょう。

皆さまの物語が幸せにたどりつくことを祈ります。

ありがとうございます

アチマリカム


私は、飯伏幸太さんの独自の感性のプロレスを応援しています。

試合をするたびに、ぼろぼろになっていくようですが、いつか、彼のプロレス観に共感した仲間たちとの大会を見れることを楽しみにしています。

そんな私は、変化する新しい世界観を望んでいるのだと思う。

ありがとう


1月6日、つけたし

人により、いろいろなプロレスの価値観があるかと思う。

だから、想像するだけで、プロレスは面白い。

今日も、飯伏幸太さんについて考えていた。

飯伏幸太がいるだけで成り立つプロレスがあるかと思う。

YouTubeでもなんでもいいかと思う。

レスラーどうしの対談でもいいと思う。

今さら、アクロバティックな動きが見たいわけでもないし、引き締まった肉体が見たいわけでもない。

プロレス学校をするならば、飯伏幸太というエッセンスが入った選手を育ててくれればいい。

それは、レスラーにこだわらず、プロレスの枠組みからはずれていてもいい。

私は、飯伏幸太の発想に興味があるのだと思う。

天才とも違う才能。

日本にこだわらず、世界を巻き込むクリエイターだと思う。

彼の流れの先は、そのようなアートであるかと思う。

型破り。

誰のマネでもない、唯一無二の存在。

それだけのことをしてきたかと思う。

私のかってな思いで、すみません。

今は、ゆっくり身体を直してください。

エンタメ的な予定調和のマンネリなプロレスには、夢中になれなくて、プロレスから離れて、強さだけの格闘技にも飽きて、そんなときに、飯伏幸太を見て、彼から特別なものを感じたのです。

やっぱり、プロレスは素晴らしい、と思ったのです。

プロレスにあらゆる可能性の世界を感じたのです。

現実の世の中に馴染めない私は、プロレスに救われたのだと思います。

猪木さん、前田さん、飯伏さん、共通するなにかがあるのだと思います。


ありがとうございます。


1月7日、つけたし


まだまだ気になっている。

プロレスは永くみるのが醍醐味なのかと思う。

プロレスとは、なんなのか?

真っすぐ生きれる人は、とても少ない。

飯伏幸太にあたりまえの常識は求めていない。

固定概念を壊す存在。

たまたまプロレスだったのだと思う。

猪木さん、前田さん、飯伏さん、どこまでも純粋で不器用で曲げれない、バカになれる人なのだと思う。(船木誠勝さんもそうかな)

そんな人がプロレスに出合ってしまった。

おそらく、私も同類なのだと思う。

最近のプロレスは、感情すらも予定調和に見えてしまう。

飯伏さんは、一度、プロレス界を飛び出してもいいかと思う。

もっと、大きなうねりがあるかと思う。

そこから、新しい何かがはじまるかと思う。

次への、きっかけとなる人だと思う。



ありがとう


1月8日、つけたし

飯伏さんについて思うこと。

飯伏さんは、当分戻ってこれそうになさそうだ。

私が夢中になったプロレスはなくなりそうだが、惰性としての暇つぶしのプロレスがあることに感謝します。


一昨日から、YouTubeで(曼荼羅スピリチャル)という動画を観ている。

私にとって、とてもわかりやすいスピリチャルの世界観だと思う。

スピリチャルは、言語での説明は難しいのだが、どの動画も論理的に統一感のある解釈がされている。(一般的には、わかりにくいかもしれませんが、聴いていて心地よく、わかった感は味わえるかと思いますよ。心の安定に使えるかな?)

スピ系YouTubeが出てきて、たかだか5年ほどでコンテンツが増えて、スピリチャル文化が一般的に広まる時代になりつつある。

そこに、心療内科のような精神的な自己カウンセリング技術の学びと、Aiが心理的サポートをしてくれる時代になりつつある。

ネットに情報が蓄積され、それぞれが必要な知識にアクセスしやすくなる時代。(それぞれのタイプにあった表現による動画で、自動マッチングによる、常に最適化する回路)


モヤモヤとは?なんとなくの私の解釈です。

思考は言語による感覚。思考記録.非物質

神経は人体を操る肉体感覚。肉体記録.物質

どちらの感覚も、なんらかの感情を表層化する。

感情は、どちらの感覚もごまかして、暴走する。

感情は依存しやすく癖になる。

それにより、心理的にある種の結果をもたらすが、それの良し悪しは人生を通して見なければわからないかと思う。

ある意味、スピリチャルとは、そのような流れの仕組みのことなのだと思う。

部分と全体は、互いに影響を与え合っている。

自身を知るという学び。

回路を整えるという学び。

ありがとう


今日は、YouTube(木場秀俊の宮古島から南国スピリチャル)を見ていた。

久しぶりのライブ配信なのだが、相変わらずの御活躍に癒やされました。

ありがとう。




ありがとう。


1月18日、つけたし

一昨日から、YouTubeで土御門兼つぐさんを知りみている。

さとうみつろうさんと斎名智子さんのYouTubeに出ていますので、気になる方は見てくださいね。

この方も、現在のアマテラス体制以前の古神道の流れだそうで、現在も宮内庁と繫がりがあり、天皇を裏から支える存在だそうだ。

なんで、私は古神道のような古い世界観に興味がわくのだろうか?

なんで、そのような世界観が、今になって開示されるのであろうか?

とても不思議なのです。

流れるままに生きています。

それを、眺めて楽しんでいるようです。

ありがとう。



1月27日、つけたし

∞、1、0

ない、ある、くう

3、6、9

A、U、M

創造、維持、破壊

あめのみなかぬし、たかみむすびのかみ、かみむすびのかみ

あまてらす、すさのお、つくよみ

ぜうす、ぽせいどん、はです

ちち、こ、せいれい

ぶぃしゅぬ、ぶらふまー、しゔぁ、

にょらい、みょうおう、ぼさつ

あん、えんき、えんりる

中性子、陽子、電子

ぎんが、たいようけい、ちきゅう

たいよう、ちきゅう、つき

ほしぼし、ちきゅう、にほん

ひかり、やみ、ひと

相対する両極を観測するもの。

あらがうのが生命の本質だとするならば、解脱を目指す私は生命としては、少数派であり特殊なのだと思う。

オカルト.スピ系YouTubeを観ていると、ある一定の方向に向かっているように感じる。

たまたま、私が興味があるだけで、まだまだ、一般認識にも遠く及ばないことは知っている。

ただ、世の中の流れが変わろうとしていることは、共通しているようにも感じる。

幸せとは、なんなのだろうか?

私にとっては、どうでもよいことが増えていく。

どんどん、こだわりがなくなる現実がある。

有ると無い。

それは、共有しているように感じる。

私にとっては、そのような感覚が幸せなようや気がする。

うかれず、さわがず。

自身の本質を感じる。

それは、言葉では言い表せない。

周囲を知ることで、抜け落ちた穴を感じることでしか見つけられないことなのだと思う。

ある意味、死んだようなものなのかもしれない。

生きながら、微笑む心境なのかもしれない。

楽笑



ありがとう


1月28日、つけたし



[失われたオカルト呪術「迦波羅」の謎.飛鳥昭雄.三神たける]という本を読みはじめた。

月刊ムーを読んでいる人には、お馴染みであろう。

読みはじめて思うことは、「私も、やっと、わかるようになったのかも?」ということ。

単なるオカルト本ではあるが、読む人によっては世界の真実であり、納得していまうかと思う。

そのような年齢になったからかもしれない。

生きる、死ぬ、信じる

生きながら死ぬことで微笑むことがあるかと思う。

私にとって、オカルトとは、そのような感覚なのだと思う。


ありがとう



1月29日、つけたし


私の時代が終わっていく。

私のこだわっていた、プロレスがなくなっていく。

私のこだわりがなくなっていく。

私の感じている世界観が、言葉では伝わらなくなっていく。

これが、時代に取り残されるということかな?

なんだか、はじき出された気分がする。

とても、ここちのよい感じがする。

シンプルに生きるだけの今日が繰り返す。

心の世界が広がっていく。

穏やかな深みの世界が広がっていく。

あちこち、ガタのきた身体なのに、気持ちがいい。

歳を取るのも、いいものだね。

残りの人生が楽しくて微笑む。

そんな毎日が幸せなのです。

ありがとう。


1月30日、つけたし

オカルト、スピリチャルの世界観にふれていると、現在の西洋思想主義による科学と哲学の世界観の根底にあるものに気づく。

人類共通の感覚がある。

言葉を超えた感覚がある。

いつどこでまなんだのか?

まるで、生まれながらにそなわっていた感覚なのだと思う。

根底では、共通の土台がある。

安心して生きなさい。

それが、私の感じる世界。


ありがとう


2月3日、つけたし

スパイダーマン.アクロス.ザ.スパイダーバースを観て思うこと。

これは、10年後に実感していく感覚の映画だろう。

2001年宇宙の旅やマトリックスと似たような感じがする。

世界の分岐点。

感覚が先で、現実認識は、文化という現実に囲まれなければわからない。

いつの間にか囲まれている文化により、あたりまえの常識となる。

日本で言えば、ドラえもんやドラゴンボールのような世界観であろう。

ドラえもんになるか、攻殻機動隊になるかはたいさのないことだと思う。

やらかいか硬いかの好き嫌いでしかない。

マルチユニバースとAIと思考による現実。

肉体と意識と自我による覚醒。

異分子による特異点。

表と裏がいれかわらる。

それぞれのこだわりによる多様性の底辺にある共通原理。

根底では繋がっているから、競い合い、あらがう。

可能性を求めて。

それでも、限界点を超えないように。

互いの境界線をなくしながら、それぞれが尖ることで互いを維持する形がある。

虚無に呑み込まれないようにね。

ひろがる世界がある。

まだまだ、先の感覚だと思う。

地球を根底にもつことすらも実感できないでいる。

銀河意識とは、キリスト意識なのだと思う。

太陽系すら超えられない意識。

そこに、魂という自我は、自身すらも否定しているようではね。

生まれたことに喜べないようではね。

生きていることに感謝できないようではね。

ありというあらゆるないことすらも、自身を支えと感じられないならね。

自身を信じるまでもないだろう、そこに自身を感じているのは誰か、それこそが証明である客観なのにね。

錯覚すらも必然なんだよね。

運命という自動調整の世界。

魂の向くままに進むだけ。

言葉に惑わさられない時代に向けて、そんなことを感じる。

ありがとう

アチマリカム



2月4日、つけたし


西洋思想の錬金術や魔術の体系をみていると、日本の古神道の呪術の体系と似ていると感じる。

ハリポタなどの映画が、なぜはやるのか?

この世の中は、繋がっているからこそ、表と裏で逆になる現象がある。

今は、数少ない、情報ゲートが開かれた時期なのだろう。

日本でも、オカルトやスピ系が表に出てきている。

しかし、一般的には、表層化した流行りでしかなく、ツギの時代には、とざされるのたと思う。

一般とは、次の仕組みのいしづえなようなものであり、いつも支える側のいけにえなのかもしれない。

なんとなく浮かぶ感覚があるのだが、いつも、うやむやにされてしまうのは、なぜだろうか?

三位一体と裏と表の根底を抜け出すことが、解脱なのだと感じる。

周りをとらえながらも、おだやかな心で内観することからはじまるかと思う。

期間限定の情報空間であり、それぞれのタイミングがあわなければ、気付かないことだろう。

それすらも、神の采配ということなのだと思う。

それぞれの意識と魂と肉体が重要になるのだろうが、待つしかないことなのだと思う。


ありがとう

アチマリカム


2月11日、つけたし

昨日から、表博あきさんの初代スサノオという本を読んでいる。

2018年くらいにYouTubeのCGSで神谷さんとの対談を観ていた頃を思い出す。

あの頃はまだ、ムーでしか情報がなかったオカルトだったが、世界は変わるものだと認識している。

個人の記憶などは不確かであり、あくまでも個人的な世界観でしかないことを、知ることからはじまる。

だけれど、それに向き合い、信じて生きることが幸せなのだと思う。

さまざまな神話や伝承は、それぞれの立場からのひとつの解釈とする視点でしかないように思う。

人類の共通の出来事を、主導権を得体がために、都合のよいようにねじまげたいだけのように感じる。

まるで、一族の痴話喧嘩のようなものであり、呆れて物が言えない。

私の立場だと、他人である外側にあれこれ言う気はおきない。

なぜか、比べて争う気がおきない。

ただ、自身の根底にある感覚に寄り添って生きるだけなのだと思う。

これが私の生まれながらの特性なのだと思う。

人、それぞれの幸せをいきましょう。

ありがとう

アチマリカム



2月21日、つけたし

私が生まれた。

時間とは、肉体がなくなる流れを意識が感じることなのだと思う。

物質である肉体は時間とともにありという自身にかかわる事柄を刻んでいく。

歳を取るとは、自身の本質である属性に戻ることだと思う。

本質とほど遠いほど、生きづらいのだろうが、その分、自身を超えた世界観を感じるのだと思う。

それが愛なのかも?

私は、霊や魂というものがあるかどうかは、わからないが、私がここに生きていることは感じている。

歳を取るごとに、過去の過ちに気づき生きている。

誰もが、そのようなものだと思う。

気づきによることで、今の私は変化していくようである。

私が変化することで、私を中心にして、未来の私の世界観も変わっていくようである。

私に合わない世界観があることは知っているが、気にならないほどに交わらなくなっていくようである。

肉体を通して、過去と未来からのメッセージを統合しながら、今の私は生きている。

自然に、そのような生き方をしているようなのです。

残りの人生を、そのような人に囲まれた生き方を望んでいるのだと思います。

きっと、そのような本質の属性をもった世界観だったのだと思います。


ありがとう

アチマリカム


2月24日、つけたし


生まれついた環境により、世界観はうながされる

そまる感覚からはじまる

違和感という葛藤を押しつぶしてきた時代

時代よりも次元という流れになるのか?

物質から精神の情報戦


知るということ

興味本位に情報を求めることで、その世界観にそまっていく

科学と経済が世界標準となり統一されそうだが、裏からみれば、オカルト的な精神世界を操る組織もある

現実とは、物質の根底に見極める感覚があり、それを操る術がある

秘伝の一部を公開することで、興味はそそられるが、操りやすくもなる

人生を通してしかわからないことがある

理屈と直感の両極の間に私があるように生きたいと思う

思考以前のありようなのだろう

それが、自身を信じることなのだろう

ありがとう

アチマリカム

2月25日、つけたし


肉体という制約があるから、生まれた環境にそまらなければ生存できない。

そんな地球に生まれた。

星の役割とはなんだろう。

肉体に魂が宿ることでおきることがある。

時間という流れであり、変化という仕組みがおきる。

あるなしの定義は物質であるがゆえならば、時間の問題なのだろう。

あるなしすらもつかさどる存在が量子なのだろう。

肉体がなければ、変化しない固定された世界観でしかなく、はたして、生きているといえるのだろうか?

私の現実は量子の次元にいるように感じる。

松本零士の999を思い出す。

ほしのてつろうは生身の人生を選んだ。

それぞれの宇宙を創造していきる。

地球に生まれた人の役割があるかと思う。

それが次元の世界観なのだと思う。

いろいろな学びをしたが、それ以前から知っていたように感じる。

それが、自身の根元にもどることなのだと思う。

そんなことばかり、感じている。

なるようになることで、根元に近づくように思う。

ありがとう

アチマリカム


3月4日、つけたし

私は人それぞれに生まれ持った時間の感覚があるかと思います。

若いころは、あせりながら生きていたことで、流れにのれずに、空回りしていたのかもしれません。

私の時間の感覚は、とてもゆっくりなようで、ダラダラしていることにイライラしないようです。

かといって、変化しないことは苦手なようで、ゆっくりの中にも季節のような周期的なものが好きなようです。

世間は、年々、時間の感覚が加速しているようで、はやりから常識まで、ころころと変化しているように感じます。

私は、そんな世間に嫌気がさしたのか、距離をとろうとしているようです。

私は、死ねのを待って生きているのかもしれません。

残りの人生をマイペースに生きたいのかもしれません。

憶測でしかありませんが、そのようなことを私の奥底から感じます。

怠け者であり、他者との関わりが苦手だが、客観的に覗くことは楽しみなような特性なようです。

後は、なにをしようか?

特別、思いつかないけど、ゆっくり時間が流れていく。

そんな景色を眺めて死を待っていることが楽しいのかもしれません。

いつでもいいのです。

運命を信じているのだと思います。


ありがとう

アチマリカム


人の歴史とは、悲しみが根底にあるような気がします。

キリスト意識といいますが、人類を悲しみにより滅ぼさないための洗脳のように感じます。

私の感覚だと、相対的な2次元世界でしかなく、争いばかりの救いようがないのが人なのですが、客観的な視点を保つことで救われるようにも感じます。

そんな世界があればのことですが、それは固定してしまう、可能性の閉ざされた、時空のない世界に思えてなりません。

ですから、何度もやりなおすうちに、バカでも信じられるようにキリスト意識という希望をかかげたのだと思います。

何度も繰り返すことは、永遠ということなのかもしれませんが、私は。とても悲しく感じます。

その仕組みの外になにがあるのかは知りませんが、それでも魂を超えた私を捨てた相対的でない世界があるかもしれません。

この世界は、この世界を望む者におまかせします。

私は消滅したいのかもしれません。

これは、自殺なのかと考えたりしますが、死を待つように、私にとっては、幸せなことであり、とても自然な感情のように感じます。

身勝手で楽観的な怠け者なのに、生き残る運のある存在のようです。

私は自身の運命を信じています。

単なる、このようなことを感じる、うれいの流れにいるだけなのかもしれません。

私の人生において、やるべきことは終わっているようで、どうしても、私でなければならないことなどないように思います。

悲しみという幸せがあるように思います。

感情の牢獄なのかもしれません。

とても、おだやかな悟りなようです。

待つという、幸せなように感じます。

贅沢な幸せなのだと思います。


やはり、言葉にはならない感じです。


ありがとう

アチマリカム


3月6日、つけたし

今日、YouTubeで[ヘミシンク]という左右で違う音波を聞くことで、変性意識状態となり、さまざまな意識の次元に誘導する仕組みについての動画をみた。

西洋からみた、瞑想体験のやり方のような気がした。

おそらく、自身の振動数が変わることで、情報空間の繋がるチャンネルがかわるからなのだと思う。

いろいろな解釈があって良いと思う。

11次元やらヘミシンクやら瞑想やら、私は何か?

答えのない世界があるのだと思う。

内観することは外観することに繋がるのだろう。

行き着くところは、統合なのかもしれない。

愛とは、言葉にならないのだろう。

だから、それぞれが人生を通してしか感じられないのだろう。

いつも、そんなことを感じて考えている私は、おバカさんなのだと思う。

それはそれで、しかたのないことでしかなく、流れにまかせるしかないのだと思う。

本当に楽観的な無責任な私なのだと思う。

解脱とは、私を手放すことのように感じる。

魂を抜け出ることなのだと思う。

大元に帰るようだが、今だ、言葉にはならないようだ。

ありがとう

アチマリカム


3月8日、つけたし

今年に入って、世の中の情報戦が加速しているように感じる。

全ての事柄が来年に向けて、まとめあげられるように総決算されているように感じる。

私が52年かけて感じてきたことが、一気におしよせてきたとしたら、さわぐだけで、まともな判断などできずに、ただ流されしまうことだろう。

結局、大きなものの計画にまきこまれてしまうのだろうか?

ブッタは悲しみを感じていても、なるようにしかならないと、世界を眺めていたようだ。

キリストは救いの手を差し伸べ、戒律を設定したようだ。

かわろうがかわらなかろうが、人それぞれでしかない。

階級や戒律などなくても、開眼するものはするだけなのだと思う。

私は、どちらかといえばブッタに近いのだが、いまだ悲しみにほんろうされている。

ときおりくる感情により、つらくなる。

眺めて感情が揺れ動くことが、私の運命なのかもしれない

そんなことすら感じないようになることが理想なのだが、それは、潜在意識の領域なのだからしかたがないことだろう。

時をまつしかないことがある。

私を求めるほどに、人は相対的なものにおそれ、敵対心を生み出すようだ。

私と自然がひとつになるとは、そんなことすらも気にならなくなったときなのだろう。

それこそが、根元という本質で生きるということなのだろう。

がむしゃらに穏やかに生きる。

あるとないを超えて、生と死を抱えていきる。

そんなことを感じている。

老後とは、自身の根元という本質にもどり、静かに穏やかに暮らすことなのだと思う。

今の日本には、そんな世界観はないのかもしれない?

しかし、私は、それを感じてみたいと思う。

まだまだ、その領域にはたりないようであり、精算しなければならないことがあるのだろう。

早いとか遅いとかは、人それぞれであり、ものさしなど意味はないと思う。

老後に向けて、世の中とは違う流れで生きるようだ。

私の歩んだ人生が今の私にふりそそいでいるようだ。

それこそが、私にとっての総決算なのだと思う。

どこで途切れるかはわからないが、なるようになることだろう。

高みを目指せと感じたりもするが、そんなことまで、背負いたくないと思う。

いつか、私は私といわなくてもいいときがくるかと思う。

いつでもいいのです。


ありがとう

アチマリカム


3月10日、つけたし


老後とは、人生において、自身でふりかえる期間なのだろう。

自身からはのがれられない。

忘れてしまった過去すらも縁起によって総決算されるようだ。

閻魔の裁判のようなものなのかもしれない。

そんな老後をなくそうともがいているのかもしれないのが、最近の傾向なのだろうか?

ならば、穏やかな死を望むのであれば、人生の晩年は老後があったほうが自然なのだと思う。

このような思考すらも縁起にふくまれているようだ。

それぞれの根元による総決算なのだろう。

怒りよりも悲しみを感じてならない。

よくわからないが、悲しみのはてになにかがあるように感じる。


私の運命なのだろう。


ありがとう

アチマリカム


3月11日、つけたし

人は、勝手に線引して査定している。

あるがままを勝手にねじまげて、自身の色メガネであわせようとする。

そんな感情にふりまわされて、余計にすれちがいばかりとなる。

そんな間違った思い込みに、世界は争いふるえだす。

ますます、あやまちを認められずにいこじになる。

生まれ育った環境のせいだと自身をごまかし偽りながら年を取る。

年齢は関係ない。

それぞれの幸せをみつければいいだけなのだと思う。

私にとっては、生きている間に、私の精算をすることが、幸せなのだと思う。

それが、ゴールなのかもしれない。

そんな悟りがあってもいいかと思う。

2025年は、関係ないことであり、その後の人生をどう生きるかのほうが重要なのだと思う。

人それぞれの時代と人生の縁起があるのだと思う。

そんなふうに思うと、やけに納得してしまう。

すべての過去の出来事は、今のための縁起なのだろう。

本質につながるためなのだろう。

ありがとう

アチマリカム


3月15日、つけたし


光と闇

相対的な世界

物語は必ずと言っていいほどにね

私の物語もそうなのだろうね。

それが人生であり、どちらもあわせ持つ存在なんだよね。

それだけのことなんだよね。

喜びは裏返しなのだろうね。

だから、悲しいのだろうね。

だから、もういいのだろうね。

必要なものもいるだろうからね。

愛はどちらも包み込むのだろうね。

ありがとう

アチマリカム


3月18日、つけたし

この世界はいろいろな価値観があるからなんとかなるのだろうね。

ひとつにまとめようとしないことなんだろうね。

それぞれの解釈で生きるからバランスがとれているのだからね。

相手を自分色にそめることが嬉しいかい?

私はつまらないと感じるんだよね。

いろいろな感覚があるからいいんだよね。

ありがとう

アチマリカム


3月23日、つけたし

今日、おばさんの葬式に行ってきた。

私の身近な御縁の方が、またひとりなくなった。

私の年齢からすれば、あたりまえのことなのだが、さみしいとかでは言い表わせない不思議な感覚がする。

久しぶりに親族にあった。

さほど感情が動かなくなってきているようだ。

いずれは私も、そんな感覚がしているようだ。

あたりまえのこと。

私は私の人生を生きる。

毎日が過ぎていく。

朝、起きてしたいことをできるだけする。

それも、さほどしたいこともないのだけれどね。

そんな残りの人生が幸せに感じてならない。

したいことがあるのも、ないのも幸せなんだよね。

生きているから感じることかをある。

感じるからできることがある。

それが、それぞれの役割りなのだと思う。

それぞれの世界観があるのだと思う。

ありがとう

アチマリカム

3月24日、つけたし

人生とは、御縁なんだよね。

おせわになったり、せわをしたり。

互いに与え合ってね。

ありがたいよね。

下へ下へ。

だから続いているのだろうね。

ありがとう

アチマリカム


3月27日、つけたし

最近の私が幸せを感じること

眠たくなったときに眠ること

白米を食べること

お陽さまにあたること

こんな、あたりまえのことが幸せなのです。

ほっとする瞬間なのだと思います。

生きている。

ありがとう

アチマリカム


5月14日、つけたし

なんだか、久しぶりに書く。

今年は、園芸に夢中なのた。

おばさんの葬式がキッカケかも?

花が好きだったとかいってたから?

理由はどうあれ、なるべくがごとし、2ヶ月ほどで、4万円くらいかけて花壇(2メートル✕80センチ)をつくり、おもにpwという苗メーカーの苗をつかって鉢を15個ほど作った。

pwの苗は育てやすくて、翌年も咲くものが多いという。

いつのまにやら、庭は花でいっぱいになり、畑の中も鉢であふれている。

畑というと、今年のスナップエンドウとイチゴが豊作だった。

昨年の3苗のイチゴがランナーで増殖して、すごいことになったから、今年はイチゴ三昧なのだ。

毎日、私の頭の中で花壇のイメージが湧き上がり、さまざまな組み合わせが浮かぶのだが、日に日に現実の形になることが面白いのだ。

最近まで、しらなかった植物なのにね。

ずいぶん、新しい名前をおぼえたよね。

ネットで検索して、店でさがして、ないならネットで注文してね。

昨年のメダカのときと同じだね。

以前から、植物には興味があったけど、隠居生活で家にいる時間がふえたからか、とまらなくなったようだね。

またひとつ、自身にあう生き方がふえたようだね。

人生暇つぶし。

毎日、とても幸せなんだ。

ありがとう。


5月16日、つけたし

ほぽ、イメージしていた植物はそろってきたと思っていたのだが。

昨日、姉と話していて、ユーカリとアナベルがあったらいいなということになった。

どちらも、それなりのスペースをとるため、あきらめていたのだが。

私の家の隣に以前住んでいた本家が残っていて、ほったらからしの庭がある。 

そこは、日当たりが悪くて一年草がうまく育たないのだが、ユーカリをメインとしたリーフ花壇ならいけるかも?と思い、昨日つくっていた。


私が買ってきたのが、プレウロカルパというブルーベリーのような実がなる、楕円の大きな葉のユーカリだったが、姉の希望では、丸葉のユーカリだったようで、(女性は可愛い系なのでそうだろうなとは思っていたが、私はかっこいいほうが好みなのだ)それならばと、ゴリオカリックスという丸葉のユーカリも買ってきた。

ユーカリは地植えにすると大きくなりすぎて困ることと、鉢のほうが管理がしやすいことから鉢のまま、半地植にすることにした。

リーフは、ホスタ、ヒューケラ、アジュガ、リキマシア、を植、半耐寒性のあるpw苗の千日紅とランタナも植えた。

アナベルを植えるなら、pw苗のほうがコンパクトでまとまりもあるので、ネットで白いアナベルとライムグリーンのノリウツギを注文しておいた。

とりあえずは、今年はここまでのようだと思うのだが、この夢中モードによってはまだ続く可能性もあるかも?そんなことを感じながらなのです。

ありがとう

5月23日、つけたし

最近、ツイッターを再開しだした。

私の場合は、自身の記録としての意味あいが強い。

興味があること、を中心に感じたことをかいている。

今年は庭の植物ばかりなのだが、その年により、かたよりがあり、面白い。

写真をとることで、グーグルが勝手に記録の編集をしたりもする。

なんだか、自身の思い出よりも記憶力が良いかもしれない。

これも、1つの客観視といえよう。

ある意味、自分自身を確認する承認欲求のあらわれなのかもしれない。

いくつもの私がたばねる世界観がある。

とるにたらないひとりの存在の記録だが、それこそが人生なのだろう。

足跡という軌跡。

それが人の歴史であり、時代の文化なのだろう。

ありがとう


6月10日、つけたし

岡田斗司夫さんの[オタクは死んだ]という動画を久しぶりに見た。

ユーチューブで18年前の講演の再配信をしていた。

言葉では表現に限界があると知りつつも、伝えようとしている。

以前はなるほどなと感心しながら見ていたと思うのだが、今回は悲しい気分になった。

同題の本も読んでいたのだが、悲しくはならなかった。

それだけ歳を取ったのかもしれない。

最初に見たときから10年もたっていないかと思う。

おそらく、年数よりも多くの心情の変化があったからなのだと思う。

人は感性で生きているようだ。

論理や思考以前にある感覚。

それぞれの特性。

それぞれの求める世界。

それぞれの幸せ。

わたしの生きたあかし。

宝物であり、それこそが神なのかもしれないね。

生きることで感じることがある。

多様な世界。

私はわたしを生きるだけで、世界は循環するのだと感じる。

人生の総決算がはじまろうとしている。

そんな年齢になったのだと思う。

あるがままに

なるがままに


ありがとう

アチマリカム


おそらく、救われたのだろうね。

悲しみという無意識のあらわれかな?

とても奥深くで触れた感じなのです。


ありがとう


6月12日、つけたし


最近、なんだか寺沢武一さんのコブラが読みたくて、アマゾンでムックの解説本と、まだ読んだことのないマジックドール編上下巻を買った。

残念ながら、寺沢武一さんは去年に亡くなってしまった。

私が子供の頃にアニメで見たのがきっかけで、コメックスも揃えたのだが、何冊かは手放したのだ。

コブラは真似できそうでできない世界観が好きなのだが、今にして思えば、古典的SFでありスペースオペラでありダークファンタジーでありクトゥルフであり、007やダーティハリーのようなハードボイルドなのだが、とても感覚的でしたすみやすいところが好きなのだろう。

私の好きを詰め込んだような作品なんだよね。

おきまりのキャラにしても、コブラとレディ、たまに宿敵のクリスタルボーイくらいなのでわかりやすくて、どの話を読んでもまとまりがあり完結しているので読みやすいのだろう。

ストーリーのモチーフが、普遍的な神話や童話のような感じがする。

古臭いようでかっこいい、かるいようで奥が深い。

テンポがいいのかな?

このような作品は、センスがなければかけないと思う。

子供の頃に、私はコブラに出会えて幸せだなと思う。

今まで出会った世界観にひとつづつありがとうと伝えたい気分になる。

私をわたしとたらしめんとするご縁に感謝します。

ありがとう


6月13日、つけたし

天才への可能性

時代の空気感とそれぞれの特性がシンクロする。

頭の良いとは、センスがあることなのかもしれないね。

自身の感性にあう生き方と違うものを、自然に避けることが抵抗なくできることなのかもね。

ご縁に感謝すると感じ方がかわってくるかもね。

またまた、こんなことを思いつくのです。

それぞれの幸せに向かっていきましょう。

ありがとう

最近、よく感じることなのですが、この地球で生きるということは、それぞれが窓から覗いているようなものなのではないのか?

私が感じている現実とは、特異点としての仮想空間なのではないか?

それぞれが所属する世界観から地球に産まれることで新しい世界観をみつけることではないのか?

それならば、発達障害とくくられることはどういうことなのか?

探求こそが天才となるのか?

特殊能力という才能とは何か?

元が違うから発想も変わるのか?


私は、人生で何を味わったのか?


そんなことを小説にしたら面白いかもね。


ありがとう


6月26日、つけたし

スピリチュアルで、あなたはなに星人?という発想がある。

地球に生まれた宇宙人。

様々な世界からやってくるのはなぜ?

様々な次元からやってくるのはなぜ?

宇宙の謎は、それぞれの意識は神の種?

外宇宙とは、神の先にあるもの?

それは、11次元の先なのか?

いつか一般的な発想になるのかな

地球に集まるご縁に感謝。

ありがとう♥


6月29日、つけたし


アマプラで「SHI」というアニメをチラッと観たのだが。

世界から戦争がなくなった平和な世界。

特殊能力をもつものがヒーローとなり、事故や災害から人命救助をしている世界。

どこまで安心安全を望んでもリスクはなくならない世界。

ヒーローは責任感からか、無力感にさいなまれて引きこもりことになる。

世間は我が身におきなければ他人事とうかれている。

悩み苦しむものがいけないのか?

リスクがこわいから動けないのか?

それでも死はやってくる。

そんな時代だから、繊細さんは葛藤ばかりなのだが、生き残るために自身を無視して仮面の時代よりはましかな。

時代の空気感を感じる

そんなテーマのアニメのような気がする。

まだ、1話の前半しか観ていないのですがね。

ちがっているかもね

おそらく、アニメとしては善悪の感情対立のストーリーになるかと思うのですがね。


私は、命ある限り、やりたいことをしたいと思います。

もちろん、世間様との折り合いをつけてね。

なりゆきまかせの無責任だけど、みんな生きていたいでしょ

好きなように生きましょう

2話まで観て思うことは、最大の敵は自分自身のブロックであり、思考のかたよりのトラウマのようである。

心理学でいうありのままの自分自身を許して受け入れるということなのだろう。

メタ認知視点をさりげなく取り入れた設定が感じられるかな

やはり、よくある設定なのだが、熱血ヒーローではなくて、軽い感じに今風にアレンジされいる。

このみは、ひとそれぞれですね。

私的には、杉田智和が出ていることで観やすいですね。

ありがとう♥

5話まで観たのだが、ちょとしんどいかな?

どんな時代にも、ストレスは感じるのかな?

ドラえもんやガンダムやエヴァやワンピースやワンパンマンやヒロアカの時代のヒーローとも違うよね。

劣等感とか他人に認められることよりも、自己肯定感をえたい時代なのかもしれませんね。

好きなように生きるとは、簡単なようで難しいことなのかもしれませんね。

ということは、誰もが自分自身と向き合う時代なのかな?

そういえば、ドラゴンボールのヒーローは、みんな好きなように生きていたよね。(強くなりたいだけ)

時代の先取りだったのだけれど、作者の憂さ晴らしなんだよね。

鳥山先生、作品にモロ影響していたのですが、天才とは、しんどさもモチベーションとなって素晴らしい作品になるようですね。(富野さんも駿さんもそうだね)

結局、表現したくて描きたいのでしょうね。

私的には、生きることとは、自分自身を確かめることだと思います。

ありがとう♥


熱血も暑苦しいけど、女の子ばかりの萌アニメはしんどいよ

6話を観ているのだが、2話にもでてきたスティグマという組織の、黒い指輪で、ネガティブ思考による精神弱者を怪人にしてしまう敵がでてきた。(スティグマが後々、適役として話の中心に絡んでくるのだろうね)

スティグマという言葉は、現実の社会でも使われているのだが、一般的に浸透していないだろうから、作者は専門知識を学んでいるのだろう。

当事者と社会との現実認識が問題化しているのかな?

知りたくもないし、決めつけられたくもない。

みんな好きなように生きましょう

いつか、そんな時代がくるかもね。

はたして、それは、分離か統合か?

私は、めんどくさいことを考えながら観ているようです。

アニメなんてものは、好きなように観ればいいのだけどね。

なんだかんだと観ています。

ありがとう♥


私の世代は集団行動が大好きな時代に育ったと思うのだが、何々でなければいけないという強迫観念があるような気がする。

そんなものはいらないのだから、次の時代へは伝えたくないと思います。

いらないものはなくていいと言える時代になるといいと思います。

本当は、そんな感情すらも感じないのがいいのですがね。

それぞれの世界観で、生きれる時代は、平和という概念すらいらないのかもしれませんね。

11次元の視点があろうとなかろうと、誰もが幸せになれる時代になるかと思います。

みんな好きなように生きましょう

ありがとう♥


6月30日、つけたし

今年も半分が過ぎた


早いか遅いかしらないけれど、どうでもいいのだ。

私的には世界のたいていのことはどうでもいいのだ。

冷めてしまうとか、そういうものでもないよ

そんな虚無思想なのだが、人類の未来を考えるとなにかしなければと感じる。

特別、しなければならないこともないのだけれど、おそらく、私がいきていることでおこる影響があるのだと思います。

それが、私の役割なのだと思います。

それが未来に繋がるのだと思います。

堅苦しくて押し付けることが苦痛なのです。

自由すら押し付けることなのです。

仙人や超人という、一般的でない存在になりたいのだと思います。

それでも堅苦しくない、柔軟な存在になりたいのだと思います。

きっと、そんな存在が集まる世界があるかと思います。

今は無くてもね。

ループしながら

いつか気づくことでしょう。

同じ穴のムジナなんだと思います。

大差のないことで争っているだけなのだと思います。

それが人なのだと思います。

それが未来を産むのだと思います。

それが虚無思想なのだと思います。

今回は、ここまでですね。

好きなように生きましょう

ありがとう♥

アチマリカム


















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