楽笑おじさんと絶望こぞう   作:楽笑

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ひさしぶり、なんか書こうかと思う。

だけど、ぼんやりと生きているから、特別なんてことはないのです。

なにも意味のない、結論すらもない、そんな感じになりそうです。

いつものことですがね。

たんなる、ひまつぶしですからね。

はじまり、はじまり。




歳を取ると五感が鈍くなるよね。いい感じに現実処理できるようになるような気がする。

 

今年の前半は、花壇を作ったりして遊んでいたのだけれど、7月くらいから暑くてやる気がなくなった。

 

それでも、毎日の朝晩の水やりはしているし、夏野菜の世話もしているから、普通の人並みになっただけだったりしてね。

 

完全に習慣になっていますね。

 

それにしても、今年は、ミニトマトやピーマンが豊作で、毎日食べています。

 

無農薬にこだわって、肥料を少なめにしていたのですが、今年はイチゴとトマトの専用肥料をたっぷりあげたからからかもね。

 

50歳すぎて健康に気を使うといっても、それまでに基本はできてるのだから、今更だと思う

 

あと何年生きるのか?ということ。

 

1年1年をやりたいように生きたほうがいいかと思うようになったのだよね。

 

世間様の言分があるのだけれど、そろそろ知らないかな。

 

どうやら、世間様マニアルを気にしていたから型にはまっていたようなのです。

 

それでは、ぼんやりとなんて生きられないよね。

 

ぼんやりのふりをしているだけでしかないからね。

 

そんなことを感じます。

 

 

 

最近は、二ヶ月ほど株式投資に夢中になっていました。

 

日経平均が何十年かぶりに更新されたり、3週間後に暴落があったりと面白いですね。

 

ゲーム感覚ですね。

 

現実世界だけど、仮想世界なんだよね。

 

未来を想像して、データを勝手に解釈してマイストーリーを描いて投資する。

 

とても、クリエイティブですね。

 

メタ認知ですね。

 

これは、現実だけど、かぎりなく仮想に近いかな?

 

暴落で、飽きてしまいましたがね。

 

それなりのポートフォリオができたので、寝かせて待つだけなのです。

 

現実世界も飽きたら、次のことを楽しみましょう。

 

 

 

先週から奥歯が痛くてたまりません。

 

あまりに痛くて3日間眠れませんでした。

 

横になりウトウト眠ったかと思うと激痛がはしりだして起きてしまうのです。

 

こんなことがあるのか?なんだこれはと思いました。

 

 

次の日、歯医者に行きレントゲンを撮りましたが、神経を抜いてきれいに処置してあるのに根本の歯茎に炎症がありました。

 

先生が言うには、抜いて入れ歯ですねということです。

 

10日前くらいから五十肩になり、顎がミシミシしていたからかも?と思ったりもします。

 

そこの歯医者では抜歯できないそうで、紹介状を書くので別の病院に行ってくださいとのこと。

 

炎症を治す薬と痛み止めをもらって帰りました。

 

 

薬を飲むと痛みがやわらぎ、夜も眠れるようになりました。

 

3日後、紹介状を持って別の病院へ。

 

その日は予約しただけで、13日後に手術です。

 

それまで、痛みがなければいいのですがね。

 

 

ひさしぶりに痛みに恐怖した体験でしたね。

 

 

これも、現実なのか、仮想なのか?

 

 

どちらでもいい感じがします。

 

 

なるやうになるでしょうからね。

 

 

大概のことは、経験したことですし、予想の範囲内ですからね。

 

 

マイストーリーなのです。

 

 

歳を取ると五感が鈍くなりますよね。

 

実際に起っていることが本当かどうか、曖昧になってきませんか?

 

過去の経験や記憶で補っているかと思います。

 

それは、現実なのか仮想なのか?

 

そんなことを感じます。

 

 

肉体に宿るプログラミング。

 

社会につみあげられた人類学というプログラミング。

 

私は二重世界にまたがり生きています。

 

そんなことを感じるのは、

 

私の特性として、俯瞰する存在だからかもしれません。

 

 

やはり、多くの人は、わかりやすい社会の歯車としての役割があったほうか生きやすいのでしょうね。

 

今となっては、自身が何者かなど、どうでもよいことなのです。

 

そんなこに疑問をもつことじたい、社会と自身を気にしているということなのです。

 

 

やりたいように生きる。

 

 

簡単なようで難しい。

 

 

なってみれば感じる世界があるかと思います。

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 





しょうもない文章になってしまいましたね。

いつものことです。


ありがとう♥


アチマリカム



8月10日、つけたし

株をやっていて思うことは、お金は資源だということ。

みんなで口約束しているだけで、お金そのものには何の価値もないけどね。

株を買うとは、企業価値を買い、企業に参加すること。

売買値幅利益よりも配当をもらうこと。

江戸時代は、日本国がひとつの企業として国民を養っていたのだと思う。

良いことも悪いことも分かち合う。

経済とは、回り回って恩恵が届いていく。

今までの日本もそうだったよね。

天国になった日本。

社会主義とは企業を国有化することで、資源の流出をふせぐことなのだろう。

経済的な鎖国ということ。

日本が国の株ささえや企業間の持ち合いをやめることで、全世界に分散する資源価値がある。

第二の開国かもね。

ガラガラポンだね。

大儲けする海外の機関投資家もいるが、日本の価値により救われる者もいることだろうね。

それが日本の役割りといえばそうかもね。

いびつな縦社会も日本企業が世界企業に育つことで、多少は薄まるのかな?

国内で維持してきた価値だけど、時代とともにまざりあうのだろうね。

個人の流れ

地域の流れ

時代の流れ

良くも悪くも三つの流れの関わりにより変化していくのだと思う。

それすらも、歳を取ることで気にならなくなるのだけどね。

私は、生まれ持った特性である、個人の流れにもどっていくようだ。

私が生きている間に、お金のない世界かきたら面白いのだろうが、私的には現在の状況とさほど変わらないかと思う。

気持ちの問題かな?

ありがとう♥


8月11日、つけたし


日本人にとって、自己責任という言葉は重たいように感じる。

西洋ではあたりまえなのだろうが、そもそも日本人には自己があいまいだからだ。

国がすすめたニーサによる株投資にしても、借金してまでつぎこんだことで、株価の雪崩のような下落による強制売となったようだ。

翌日、海外の機関投資家は買い戻しをしている。

一夜にして泡とかす。

そういう意味ではお金は怖いものなのだろう。

いったいなにに騙されたのか?

単なる流れがあっただけなのだと思う。

天国に生まれて、かけひきをしらないあまちゃんなのかもしれないが、根本的な認識の地域格差なのだろう。

だけと、それすらも時が解決するのかもしれないね。

生き残れた者からすればだけどね。

死んだらそこまで。

業もクソもないからね。

未練すらも生存者の仕組みなのだと思う。

仕掛けがいっぱいなんだよね。

日本はしばらくバブルのような好景気になるかと思う。

そして、また、崩壊するかと思う。

そのとき、新しい仕組みがはじまるかと思う。

それが10年後か20年後か30年後かはわからないけどね。

今回の暴落が教訓となるといいのだがね。

誰も気づかないときこそ、運命は動き出すのだろうね。

気づいたからといって、何ができるわけでもないけどね。

なるがままにね。

人生ゲームだね。


今の私にしてみれば、肩の違和感のほうが気になるのですがね。


良いも悪いもないのだよ。

流れがあるだけ。

ありがとう♥


8月12日、つけたし

円安であることで世界の経済をささえていたんだね。

キャリートレードという仕組みがある。

金利が低い円を借りて外貨株を買う。

海外の投資家の間では流行りだったという。

日銀が金利を上げると発表した。

行き過ぎたインフレは、とりかえしのつかない国内経済のバランスを崩すから調整しなければならないからね。

アメリカは失業率悪化により経済下落に滑り落ちそうだから、金利を下げると発表した。

キャリートレードは、金利の差が大きいほど意味がある。

こんなことで外資は先物取引で売出すのか?と思うのだが、しくまれた株価操作であろうがなかろうが、おきたことにはかわりはない。

運が悪いと思うか

このくらいで気づけたから良かったと思うか

それでも時代は流れていく。

何年かおきに30%ほどの暴落はある。

コロナショックやリーマンのときほ50%下がったしね。

日経平均があがるほどに金額の波は大きくなる。

乱高下は大きくなる。

心にゆとりがなければ投資なんてできないだろう。

人生のゆとりとして投資はするものだと思う。

あまりで投資はするもの。

がめつくなるなよ。

知識バカになるなよ。

投資なんておまけでしかないかと思う。

地に足つけて生きなさいな。

今を楽しめない者に投資は向いていない

これが私の投資とのつけあいかたなのです。

ありがとう♥


痛みは嫌いですか?

痛みとは、違和感

その流れのままでの違和感

何かがズレ始めている違和感

行動を調整しましょうということ

それが自己責任なのだろう

それぞれするしかないこと

それが個人の流れとの関係性をうみたす


肩の違和感から歯の痛み

それで気づけたならいいんじゃない

今を楽しむとは、そういうことなのだと思う。

未来のことなど、誰にもわからないから、自身の人生をいきましょうね。


ありがとう♥


8月16日、つけたし

良いとか悪いとか、わかんないよね。

日本はアメリカしだいなんだよね。

為替にしても株にしてもアメリカ経済の影響をうけるからね。

アメリカは景気の後退期に入りそうである。

どうなるかな?

円安は輸出企業に有利だけど、資源や食品などの輸入が高くなるから生活費が上がるよね。

内需をとるか、外需をとるかなのだけど、日本の政策だけではどうにもならなかったよね。

今はちょっとしたチャンスなように感じる。

アベノミックスにより、海外の投資家に注目が集まり、コロナにより世界の環境が変わったことで、変われなかった日本の経済が変わろうとしているように感じる。

だけど、人の感情ほど変わりにくいものはないから、金利があがることも、インフレすることも不安なんだよね

経済が成長するよりも、変わらない保証が好きな国なのかもね。

みんなで貧乏なら安心なのかもね。

安い日本の企業の技術力により、世界の生活水準は上がっていくかと思う。

ハードを勝ち取れないならソフトで視野を取ればいいかと思う。

デジタル資源なんて言葉もでてきた。

実際は、ソフトであるコンテンツを並べる仕組みを持つハードに利益は吸い上げられるけどね。

なんだか、日本はいつも損な役割りなのだけど、いがいに意識の情報空間においては人気があるように感じる。

日本にいると、庶民に厳しい国に感じるけどね。

部品で稼ぐ日本は、元締めにはなれないけどね。

支配の権利争いには参加しないほうがいいこともあるよね。

それでいいんじゃない。

ごりおしできないから、素晴らしいこともあるよね。

私は年寄りに育てられたから、同世代の感覚がわからないけどね。

そもそも、自閉症だから独特の世界観だしね。

いらないものはほしくない。

主語がない、あいまいだからできる思考がある。

それぞれいきましょう。

ありがとう♥


8月18日、つけたし

またまた、円安になってきた。

円安の要因を簡単に言うと、「外資に円が流れる」ということなのだと思う。

それをふまえて考えると、今後の選択が決めやすくなるかと思う。

私はめんどくさいので、情報を集めるけど(実際にはなんとなく観ているだけだが)、直感的な選択になるかと思う。

分析したとしても、おおまかな予測でしかないかと思う。

とにかく、一発狙いの大穴よりものらりくらり戦術なのだろうね。

つくづく、意識が低い怠け者ですね。

日本の価値が円だとすると、円安による未来が感じませんか?

良いとか悪いは関係ないよ、流れがあるだけ


それぞれいしましょう


ありがとう♥


8月19日、つけたし


流れとは道のことだと思う。

日本には探求することを道ととらえるようだ。

それぞれの道を歩むのが人生かな。

大きな流れが世間様で、空間と場ということだろうね。

ひとつ上の感覚が次元という感覚をもてば、それほど気にならなくなるかと思う。

自身の人生を信じるとは何ものにも染まらないことなのだろうね。

共有するには共通の場がいるよね。

創造の過程で人に埋め込まれた仕組みにより、世界は続いているように感じる。

さとりの先にあるき生き方が

日本語に主語がなくて、わざわざ、受け手に解釈をゆだねる理由は、自身すらもゆらぎでしかないからなんだね。

かたるべからずかな

誤解から世界は想像されるようだからね。

かたらなくても誤解されるけどね。

ということで、好きなように生きましょうとなる。

それぞれの道でね。


ありがとう♥


2000年代後半のアニメで「コードギアス反逆のルルーシュ」というSFロボットアニメがある。

一部の存在がギアスという、呪術のような意識誘導をするスキルを持つ世界なのだが、その世界では日本は解体され、日本人はしいたげられている。

中二病全開のストーリーなのだが、なぜか最近気になっている。

エヴァのようや絶望だけでなく、それなりの希望があるだけ救いだと思う。

内から外へ

ありがとう♥


8月20日、つけたし

満たされすぎると満たされたくない欲が湧いてくる気がする。

誰もが意識高いことを望むわけではないでしょ。

のんびりのび太が、いきなりあらわれたドラえもんにケツを叩かれるようなものかな?

知らないから幸せなような気がする。

未来を知るとは、良いことも悪いことも知る。

人は悪いことを排除したくなるから不安になる。

嫌だと思うときは、それが起きているときでありすぎさるのを待つしかないよね。

現在の情報世界を観ると、辛くなる理由がわかってくる。

この辺の人間心理がかわらない限り、この世界の絶望感は消えないような気がする。

それを乗り越えれる者しか生き残れない世界だと悲しすぎるように思う。

しんどいよね。

現在の私としては

まぁ、いいけどね。

ありがとう♥


8月21日、つけたし

「答えは自身の中にある」

この感覚を覚えておくといいですよ。

今は理解できなくてもいいですよ。

自身の人生を信じる感じかな?

伝えるのはとても難しいです。

生きているうちに、なんだか自身とみのまわりの世界の出来事との違和感がなくなってくるような感じです。

自動モードになったような感じです。

知ってはいるが、それはそれでしかないと感じるこもです。

選択しているようで、流れているような感じです。

内観しているようで外側に生きているような感じです。

ぼんやりしているようで、最適の流れを生きているような感じです。

簡単に言うと、素直になってしまうということです。

何を持って素直かすらも気にならないくらいにね。

人それぞれがあたりまえになってしまうので、相手に合わせることすらも無理なく自動モードになってしまうのです。

いったい私はどこにいるのか?

それすらも気になりませんよ。

まるで変幻自在です。

今、この瞬間の連続が私が生きているということですからね。


ありがとう♥

ユーチューブの「山田玲司のヤングサンデー」というチャンネルで「ワールドトリガー」というアニメを分析して解説していた。

なんか気になるので「東映チャンネル」の無料体験で見出した。

3シーズンまであるのでかなりの話数がある。

作者芦原大介さんは藤子・F・不二雄さんが好きだそうです。

たしかに、ドラえもんの感覚に似ている。

のび太の弱くて駄目だけどまっすぐなところと、ひみつ道具で強くなって調子にのるところなど、ドラえもんのキャラ要素が、それそれのキャラに振り分けられているようだ。

2人の主人公である、おさむがのび太で、ゆうまがドラえもんとひみつ道具なのだらうね。

互いにひきあげながら世界を広げていく成長物語なのだろうね。

まだ3話なので、なんともいえないが面白いかと思う。

2014年作なのだが、この頃の私には気づかなかったようだ。

結婚するまでは漫画やアニメの新作を追いかけていたが、子供が観ているのを横から観ているだけになっていたからね。

いろいろな時代ごとの感性表現があるようだね。

まだまだ多くの面白い作品があるのだろうね。

本質に戻っていくようだね。

まだまだ人生は続くようだね。

そんな流れにあるのです。

ありがとう♥

純粋な人ほど無邪気なものはないかと思う。

人の本質は、善か悪か?

そんなことを思考しながら観ている。

素直になるとは?

善でも悪でもないのではと思う。

心地の良い感じがある。

おそらく、人生を歩むと、そんなことを感じるようになるのだろう。

誰か教えて!

それは、自身であじわうしかないかと思う。

その先に、あなたの素直が観えてくるのかもね。

それそれの素直でいきましょうね。

ありがとう♥


この世界は完璧ではない。

大人が現状を築いた。

無邪気な子供は矛盾に耐えられない。

人は完璧でない。

どうにもならないから制限をもうける。

制限の解釈で世界は争う。

誰が悪いわけでもない。

しょうがないからゆるしてあげよう。

いつの間にか大人になっている。

ギアスをかけられている。

しかたないからゆるしてあげよう。

大人も子供も、互いに成長しよう。

そんな世界に生まれただけなのだろう。

ありがとう♥


ワールドトリガーは、私のような昭和世代にとって、親しみやすい設定なのだと思う。

できれば、もう少しギャグがほしいところだが、バトル重視なジャンプ漫画だから仕方ないかな。

現在の流行りの最初からやたらと能力が高くて強い、異世界転生ものではないところが良い。

そこそこの能力だが、まっすぐな一歩でる勇気がある主人公。

それに感化され、サポートする周りの存在。

大人の事情を学びながら、純粋に世界を良くしようとする存在。

そこには希望がある。

暑苦しくないところが良い。

本人は知らないから歩める。

そんな本質を持った存在。

そんなところだろうね。

中二病にはかわりはないけどね、

ありがとう♥


8月22日、つけたし

ワールドトリガーを16話まで観たのだが、能力バトルがチーム戦になってきた。

これはオンラインゲームのFPSなのだろう。

私には不向きなFPSだが、子供達にとっては
わかりやすい解説をかねた世界観だろう。

現世代にとっては、ネット空間こそが社会であり必要な学びなのだが、教育の現場は大人の都合により教わる機会があないようだ。

そもそも、これからの時代感覚なのだから大人な分析するくらいで、純粋に適応できないのだからしかたないことだろう。

現実とは、平均値であり、平均値よりも高くても低くても生きにくいのだろう。

したがって、時代により基本設定がかわってくるのだろう。

しかし、人としての肉体や感情は、さほどかわらないようだ。

そこに普遍的な共通する感覚がある。

それこそが、成長の過程というものなのだろう。

人により、早い遅いの流れの特性や生まれ持った器の大きさには違いはあるのだがね。

それを、社会の常識という平均値で補っているかと思う。

平均値がバランスをとっているのだが、上位者にとっては、バカに合わせる社会構造だから、しんどいよね。

成長は努力ではなく必然なことなのだと思う。

積み上がる時代なだけなのだから、前任者に感謝はすれどバカにしてはいけないということなのだと思う。

まだまだ平和を維持するには、格差を前提にする時代は続きそうだろう。

大人って、めんどくさいですね。

ありがとう♥


8月23日、つけたし

ワールドトリガーを32話まで観たのだが、味方どうしの模擬戦やランキング戦から、異世界からの侵略者との戦闘となった。

大人数での組織的な部隊戦闘は、まるでナルトのような感じがした。

今のジャンプでは、あたりまえの定番なのかもしれないが、ゲームなどの仮想世界での学びなのか?

なんだか、この時代の漫画は、進撃の巨人のような展開が多いような気がする。

進撃のジャンプ版みたいな。

拡張する意識か?

囲われた世界はどちらかは知らないけどね。

それが成長なのかもね。

だれもが、自身の人生を歩みたいのだろうが、とても贅沢なことになってしまったのかもしれないね。

自分で学んで、自分で考えて、自分で選択する、を繰り返す生き方に保証なんてないからね。

あこがれは、鑑賞物語となってしまったようだ。

疑似物語に何かを求めているから観ているのかな?

無意識下の感情欲求か?

遊び場のなくなった現実なのか?

時代が感じられますよね。

そのへんは、山田玲司さんが得意なのでヤングサンデーの分析をでみてくださいね。

ありがとう♥

47話まで観たのだが、次回から外伝になるようだ、せっかくランキング戦が面白くなってきたのだが残念である。

気になって、今後の転回を調べてみた。

作者は休載が多くなり、週刊から月刊に移ることで、連載がゆっくりとなるようで、3シーズンでもランキング戦が続くそうだ。

漫画のほうも2013年から連載して、25巻ほどのようだ。

こんなところまで、ジャンプ定番の流れであり、疲れ切った作者さんにありがとうと言いたい。

なんだか、人気がある作品ほど終わらなくなるような気がする。

無理にまとめるよりはマシかと思うので、気が向いたら書いてくれればいいかと思う。

残りの話もゆっくり観ようと思う。

ありがとう♥


8月24日、つけたし

漫画界にしても、描きたいけど描けないというジレンマが増えているような気がする。

モチベーションと体力の問題なのか、経済効果を第一に考える大人の事情があるのか、どちらにしても、大手メディアを通して作品を出すということはしんどいのだろう。

作品のふろしきを広げすぎて、自身の限界を感じるのか?

漫画創世記の手塚や水木は、あたりまえに描き続けた。

世間と対立しながらも、新しい流れを定着させた永井は、自身で描くことにこだわらずアイデアが出せれば良いと考えたようで、ダイナミックプロは、そういう意味でも、革命的なのかもしれない。

私は、あらゆる意味で、デビルマンがひとつの漫画の完成形に思うが、さまざまな偶然がかさなったからだとも感じる。

永井のように原作者ワールドで(バイオレンジャックなど)、描きたいことだけ描くことが許されればよいのだろうが、熱心なファンは満足できても、それ以上の経済効果がなければならないのだろう。

日本の漫画は常にサブカルであり、現代アートなのだと思う。

時代の無意識を表現しているようで、ギャグでもシリアスでも表現方法が違うだけで、見たくないものに蓋をする、前世代へのカウンターなのだと思う。

ある程度の経済効果をもたらした者にしか与えられない、ご褒美ポジションがあるようだ。

荒木のように、ひとつの作品をスタイルを変えながら描き続けたりできる者は少ないだろう。

尾田のように、何十年もモチベーションを保ちつつ、経済効果も維持てきるものも稀かもしれない。

ひとつの時代が終わりに向かうときは、そんなものなのかもしれない。

個人の作家がヒューチャーされる時代は終わったのか?

漫画はゲームのシナリオパートでしかなくなるのかもね。

たんなる記憶補正の中継ぎになるのか?

それでも、原点を知らなければ作品などつくれないかとも思う。

世間の偏差値が落ちていく時代なのかもね。

バカにしているのでもなくて、全体が大きくなるほど偏差値を維持することは難しいのだろう。

案外、そんなことが至る所で起っているのだろうか?

その先に未来がある。

ありがとう♥

ワールドトリガーのセカンド・シーズンを観ている。

ここから月刊に移ったようだが、本来はアニメを観ることとは関係ないのだ。

しかし、原作者のことが気になる。

だけど、原作漫画を読みたいとは思わない。

私も純粋に作品を楽しめない者になっているようだ。

業界の裏事情が気になる。


描きたいことだけ描くならば個人でできるところでだけしろ、という時代がくるのかもね。

だけど、大勢の人に伝えたい、ということはあきらめたほうがいい時代なのかも?

大きくなるほど人をやしなわなければならないからね。

どちらが悪いわけでもない。

デジタルの時代といっても、広まるまでには運と、それなりの世間の仕組みがいるからね。

だけど、あいまいな神話ゆ童話というような単純なものほど人づてに伝わり残っているのはなぜだろうか?

私はバカだからわかりません。

ぼんやり感じるだけなのです。

私は、だいぶ、くるってますね。

それは、わかります。

ありがとう♥


8月25日、つけたし

結局、こだわりか流行りかということなのだろうね。

こだわるから悩む。

流れるから変わらない。

どちらも必要なことなのだけど、度合が決め手になるのだと思う。

個人と社会ともいえる。

そんなことを感じます。

ありがとう♥


8月26日、つけたし

「原始少年リュウ」を観だした。

1971年石ノ森章太郎原作全22話のアニメである。

この頃のアニメは、子供むけのためか、原作と同時進行が多く、ことなったストーリーとなっていることが多く、1話だけ見ても成立するようになっているようだ。

石ノ森章太郎や藤子・不二雄に永井豪などが活躍した時代。

原始少年リュウは、恐竜がいる人類文明の創世記時代と古典的なSFや特撮映画から影響を受けたであろう、少年が好きそうな定番ストーリーだ。

現在にも通じる、「世界は何だ、私は何だ」というような普遍的なテーマだと思う。

この時代の未来に向けての意識を感じる。

親世代が戦争経験者の時代で、あたりまえがあたりまえにできないアナログ時代の感覚なのだろうね。

私の生まれた時代なのだから、懐かしくて当然なのだが、現在の若者にも一度は観てみる価値はあるかと思う。

頭の中は無限の宇宙なのかもね。

人の想像力は、どんな時代でも素晴らしいですね。

温故知新タイプにはおすすめですよ。

22話という中途半端な話数なので、大人の事情で打ち切りなのかもしれません。

続きが気になる方は、原作も読んでみるといいですよ。

ちなみに、「リュウの道」というSFの解釈で発展させたような漫画もありますよ。(こちらの方が先だったような?おそらく、作者の根源的に描きたいことを年齢層や時代ごとで何度も描いていたのでしょうね)

ありがとう♥


8月27日、つけたし

この世界に産まれた私

私は世界を感じる

私の世界が産まれる

それぞれの私の世界をたのしもう

人生

ありがとう♥

西洋文化のゾンビなどのモンスターは、文化圏の違う民度の低い者達のメタファーなのだと思う。(グールかな?)

奪われる前にやれとなる。

ゾンビゲームはストレス発散なのか?

昨今の移民問題の状況からみると、そんな感じがする。

日本は島国だったから、雪崩のように押し寄せてくる恐怖感が薄かったのだろう。

日本では、潜在意識下の人的に起こる現象を怪異ととらえるようで、呪術に発展したのだと思う。

対応ができる怪異の人より、圧倒的な自然に恐怖感を感じるようになったのかな?

人類が進化するとともに埋め込まれてきた、世界と同調する感情感覚なのだと思う。

水木さんの感覚なのですかね。

何が良い悪いではなく、それぞれの流れがあるだけなのだろう。

ガラガラポンの流れなのだろう。

ありがとう♥


「ボボボーボ・ボーボボ」を観だした。

子供といっしょに観ていたのを思い出す。

2003年から2005年作全76話もあったのを知り、吉本新喜劇的なボケだらけのノリでよく続いたと思う。

ジャンプがたまに連載する子供でも真似して描ける(古くはキン肉マン、ラッキーマンやすごいよマサルさんも好き)、意味不明なギャグ漫画なのだが、私は好きなのです。(奇面組やアラレちゃんはレベルが高いギャグだと思う)

この頃のアニメでは、意味なく子供が食いついてしまうお下品ギャグがいくつかあったように思う。

主にコロコロコミックに多かったような?

頭をカラッポにしてみてほしいアニメですね。

主役のボーボボの声を子安さんがやっていたとは...今では子安さんも36年のベテランですからね。狂気で変態的な乗り移った演技が好きなのです。

ありがとう♥


8月28日、つけたし

日本の漫画は何でも取り込むものだと思う。

ギャグ漫画といえば、私の子供の頃は、天才バカボンの赤塚不二夫さんだったと思う。(今では社会的な問題により再放送は厳しいかと思う。おぼちゃまくんも無理だろうな)

石ノ森さんや藤子不二雄さんがいたトキワ荘の1人である。

あんちカルチャーとしてのシニカルなギャグを知ったのだと思う。

明るい未来へ向かう世界の流れの中にも、不条理は消えないような気がする。(私としては絶望先生がわかりやすいかと思うが、このような漫画は二度と現れないことだろうね。)

ギャグは笑いだけではなく、感情が動くことで気づくことがあるのだと思う。

人とはそういうものであり、誰もが隣り合わせだからこそ社会はなりたつのだと思う。

悟。

私は世界であり、世界は私なのだと思う。

現在は、追い込まれた世紀末のように感じるが、単なる思い込みにすぎないのかもしれないね。

天国になった日本にギャグはいらないのだろうね。

ありがとう♥


8月29日、つけたし

ABEMAで「絶望先生」がやっていたので観ている。

さよなら絶望先生久米田康治作2005から2012にかけて少年マガジンで連載していたのだが、シャフトによって2007年から3期アニメ化しているギャグアニメだ。

この頃のシャフトは、化物語など素晴らしい作品が多いですね。

この時代のアニメで、銀魂に並んで好きなんですよね。

なんだか時代のにおいを感じるアニメだと思う。

2000年代のアニメには、新しいことをこころみようとする勢いを感じる。

ほとんどは、子供が買ってきた漫画を読んで知ったので、子供から教わったようなものですがね。

未来への感覚は、子供の方がするどいのかもしれないね。

アニメとは、後追い文化であり、エンタメとは、世間がわかりやすいように解説しているようなものなのかな?

どんな時代にも、それぞれの良さがあるのがアニメなのだと思う。

私は、ただのアニメ好きだと思うのだが、私以上のガチオタクが大勢いるかと思う。

たまたま、アニメ文化の成長期に生まれただけのようにも感じている。

この日本に生きていると、あたりまえにアニメ文化があじわえるのだ。

現在進行系のアートなのだと思う。

日本って、贅沢なんですね。

ありがとう♥


8月30日、つけたし

鈴木大拙という人を知り、YouTubeで観ている。

この土地に産まれて生きて。

日本の精神性とは、なんなのだろうか?

私の中にあるように感じる。

ないものねだりの青い鳥なんだね。

歳を取れば、そんなものかな?

ありがとう♥


9月1日、つけたし

概念は二次創作により拡大しているようである。

遥か過去からの連鎖により伝わるようだが、私にはわからない。

あたりまえといえば、その通りであるが、時の流れほどあいまいなものはないのだろう。

現実とは、そんなもののように感じる。

頭で考えるものなど仮想でしかなく、いつも後追いの計画でしかない。

自然とは、ありのままの現象でしかなく、心象の間に感じる言葉でなど解説できない感覚なのだと思う。

身体の変化が時を感じるわけでもなく、世界は語りにより時を流すのだろう。

すなわち、時とは拡大する宇宙そのもののように感じる。

五感が鈍くなることで感じる感覚があるように思う。

わかることがすべてではなく、ぼんやりと調和するような感覚なのだと思う。

この感覚を、言語化してみる。

今回描いたことは、あくまでも、私の特性による感覚でしかなくて、人それぞれの感覚があるかと思いますが、それぞれが何かは想像することでしかなく、私にはわからないです。

わざわざ、言葉にすると概念はめんどくさくなるから、私は話したくないのだが、話すことで世界は広がることも感じているので、さらにめんどくさいのです。

ぼんやりとする。

ありがとう♥



9月4日、つけたし

「キャペテンフューチャー」というアニメを観だした。

1979年の東映作品であり、原作は1940年代の海外のSFなのだが、宇宙の解明が現在よりもされていない時代なので、ファンタジーに近いような気がする。(スペースコブラにも影響を与えたかもしれない?)

おそらく、そのようなものをスペースオペラというのだと思う。

私が子供の頃に何度か観ていた記憶があるのだが、ワクワクする宇宙冒険物語くらいしか覚えていない。(若き日の井上和彦さんが、レギュラー脇役のケン・スコット役ででている)

ただ楽しかったことは感じているよで、このような、スペースオペラは大好きなのだと思う。

52話もあるので、途中で挫折しそうだが、ゆっくり見ていこうと思う。

海外のスペースオペラの小説との出合いは、小学生の低学年の頃に、先生が「宇宙船ビーグル号」という本を朗読してくれたことからだったと思う。

後に、ダーティーペアという小説に、宇宙船ビーグル号にでている、二股の尻尾を持つ黒豹の電撃宇宙怪獣が元ネタだと思われるキャラが出ていた。

他にもローダンシリーズなどの小説も面白かった。(宇宙船サジタリウス号1986というアニメも好きだった)

この頃の宇宙もののアニメといえば、999を思い出すのだが、スタージンガーという宇宙版の西遊記のようなものもあった。(ダンガードAはどうなのか?)

調べてみるとどちらも松本零士さんで、同じ原作者だったのがいがいだった。

気になって1話を観てみると、たしかに千年女王のにおいを感じる。

ヤマト1974(私は再放送世代)もそうだが、宇宙にロマンをはせることを松本零士さんから受け取ったような気がする。

特撮だが、「宇宙からのメッセージ銀河大戦1978年」という、真田広之さんが主役のスター・ウォーズ1977もどきの作品も好きだった。(バーバレラ1968、フラッシュゴードン1980も好き)

ガンダムはいうまでもないが、1978年前後は、宇宙に関連する作品が多く、飛躍した頃なのだと思う。

いくつになっても、楽しみがあることに感謝します。

自覚以前の、私を形つくる思い出に感謝します。

古くさくても好きなものは好きなのだと思う。

ありがとう♥


9月5日、つけたし

小学生のころ、道徳の時間に教育テレビで「みんななかよし」というものを観ていた。
 
この番組の主題歌、「口笛ふいて空き地へ行った、知らない子がやってきて、遊ばないかと笑っていった、ひとりぼっちはつまらない、だれとでも仲良くなって友達になろう」なぜか覚えている。

あたりまえの感覚であり、いちいち学ぶことなのだろうか?。

今でも忘れないのは、なぜか気になっているからなのだろう。

私の子供の頃は、教育テレビを観る授業が多かった。

感覚的な教育だったようで、観ているだけなのだが、自身が反応しているように感じた。

私には、話し合うような集団教育は苦手なように感じる。

科目により?得意不得意があるのが、あたりまえに感じていたようで、成績が悪くても気にならなかった。
 
むりやり取り込む知識は忘れてしまうのではないのか?



以前描いた、ゾンビに対して思うこと。

民度が低いと魂レベルが低いという世界観があるように思う。

人は器ということが前提になっている。

民度とは、教養なのか、精神性なのか、知性とは何か?

なぜ、私はこのような概念に抵抗感を感じてきたのか?

縦社会の仕組みにより、悲しくなるのだが、拭い去れない人類の概念があるようだ。

そもそも、生物を切り分けることが不思議であり、不条理を感じる。

しっくりこない概念があるようなのだが、私はわたしの感覚で世界観を感じて生きている。

わからないからしっくりこないのか、しっくりこないからわからないままなのか。

どちらにしても、わかる必要がないから、生きているのだと思う。

あたりまえに、計画社会の現実と個人想像の混ざり合った世界観なのが私。

ご苦労さん。

そんなことを感じます。

ありがとう♥


9月6日、つけたし

キャプテンフューチャーを観ていると、どこかでかんじたような概念に出会う。

人類の語りにより受け継がれてきたのだろう。

どんな時代でも、最新の技術でアップデートしたいのが人なのだろう。

それが自我というものだと思う。

ありがとう♥


9月8日、つけたし

ロード・オブ・ザ・リング力の指輪の2ndシーズンを観ている。

どんどん、若い頃に読んだグインサーガに似た感じがしてくる。

グインサーガの方が、後追いなのだから、栗本薫さんが真似したのだけど、私にとっては、グインサーガを先に出会ったのだから、そういうこととなる。

結局、どちらでも構わないのだが、知識としては知っておいたほうが時系列がわかりやすくストーリー記憶となるのだろう。

栗本薫は日本人なのだから、西洋のファンタジーと日本のファンタジーが融合した感じの物語を読んだのだろう。

そして、現在は最新作である、現代版の西洋ファンタジーを観ていることになる。

私が生きている時代に、さまざまな時代の創作物との出合いがある。

あらためて描くまでもないのだが、それが時代を生きるというものだと思う。

私の同時代のものほど馴染みがあるが、過去も未来も御縁によって繋がることが私を導くのだと思う。

若い頃には、感じられなかった御縁という世界観があるのだが、これからの時代は、時代の感覚が入り乱れながら、それぞれの人に合わせた生き方になるような気がする。

それでも、共有感覚を求めるかと思うのですがね。

それは承認欲求や依存ではなく、人が生まれ持った感覚のひとつなのだと思う。

ありがとう♥


9月11日、つけたし

奥歯を抜いても肩が痛いままで動かないので、昨日、整形外科へ行ってきた。

レントゲンを撮ったが異常はなく、やはり五十肩(肩関節周囲炎)であり、動かすしか治しようがないそうで、動かせるように、痛みを感じないように注射をしてもらった。(神経麻酔とヒアルロン酸だと思う)



見えるけど触れない

感じるけど見えない

この世界の物質とは、密度の濃いホログラムでしかないのだろうね

乱立する次元世界に波長を合わせることで密度は濃くなるのだろうね
(次元により情報はあいまいとなるが、漠然と漂い世界観の前提となるのだと思う)

唯識の密度なのだと思う。
(仏教でいう五感と意識の六識と無意識であるまなしきとあらやしきは密度の段階なのだと思う)

それが御縁なのだと思う

科学と精神は、そのうち垣根がなくなるように思う。

物質+と反物質-の世界観があたりまえになるような気がする。

ブラスとマイナスで相殺され空となるが、唯識は拡がりつづけるのだろう。

このようなことは、誰でも生きていれば感じることであり、たいしたことではないが、この感覚を持続させることが難しいのだと思う。

抱え込むのはやめましょうねと、私に語りかけて生きていこうと思います。

この先、どんな時代となろうが、それはそれで楽しめばいいかと思う。

飽きるを空きるとすると、観えてくるものがあるように感じる。

それでも残ったものはなんなのだろうか?

誰もが、そのようなことを感じるのが老後なのかもね。

ありがとう♥


9月12日、つけたし

若い頃から、慢性的にどこかしらの間接が痛くて(顎がズレやすく痛みの部位をずらすことで動けるような感じで、手足がつったり指の節が腫れることはよくあった)、いつも生きづらかったのだが、今回の肩の塊ぐわいには、生きづらいを通り越して困り果てていた。

以前にも、ぎっくり腰や首や背骨や肩周りを痛めたときも注射を打ったのだが、今回ほどありがたさを感じることはなかったかと思う。

痛くても動かせるだけましなのだと思う

五体満足のありがたさを感じる



「慢」という概念を感じている

我慢や傲慢に慢性と、なまけやうぬぼれという、自他との関係性に囚われた精神を感じる

私とは慢だらけなのだと思う

あらゆる宗教で戒めているのがわかってくる

しかし、まんだらけを通してしか、人はその先にいけないようにも思う

おそらく、次にくる世界観なのだと思う

ぼんやりとした感覚はあるのだが、ハッキリとは語れないのは、あらゆる可能性があるからだと思う

私の時代が終わるから終末論を感じているにすぎないのだと思う

今、起きている現実に引っ張られるということで、それぞれの時代の感覚がわかるような気がする

語らないことにこそ、その人の感覚があるように感じる

それぞれの世界観を生きる時代に向けて、そのようなことを感じる


ありがとう♥


9月13日、つけたし

肩に痛み止めの注射をうったことで、肩を動かすことが、少しづつだができるようになってきた。

おかげさまで、昨日よりも今日と、だんだん良くなってきているようで、違和感はあるが可動域は拡がっている。

肩がよくなるにつれ、私の感覚も別のことがらに向くようになっているように感じる。


魂はあるのかないのか?

解脱とは、何がするのか?

考えてもわからないことがあるようです


仏教用語で「認識することを縁じる」という

いつも何かを演じていることが、自他との関係性なのだと思う

私など、どこにもないのだが、私を縁じることで、その場をやりすごしているのだと思う

つまり、私は場に宿るということなのだと思う

意識下に縁じることを能見といい、無意識下に縁じることを所見(末那識と阿頼耶識)という

意識とは五感からの情報を脳が判断することで、無意識とは五感が認識する以前の自身が作り上げた前提(ホメオスタシス)のようなことなので、どちらも自動反応しているに過ぎないのだと思う

私という我などなく、心は間にあるよに思う

人には自由意志がないとは、このようなことなのだと思う

諸行無常なのだと思う

誰でも歳をとれば感じることなのだと思う

生きるとは、情報による反応パターンが蓄積されていくことなのだと思う

それでは、私はなんなのか?

見るものと見られるものとそれを客観しているものの、三つの視点が私といえると思う

そのようなことを感じるのだが、ぼんやりとしたつかみどころのない感覚なので、わかったようでわからない感じがする

きっと、死んだらわかるようなことなのだと思う

どちらでもいいから生きているのだと思う

死にいそぐことなどないのだと思う

四苦八苦の生老病死も、死を残すのみとなった

あきらめ手放す、静かに淡々と暮らす、老後のない人生は味気ない気がする

五感が鈍ることで感じる世界観がある

ありがとう♥


9月14日、つけたし

「三体」というドラマをアマプラで観ている。(数年前に話題になった小説のドラマ化)

中国製のドラマであるが、一昔前の時代劇のようなものではなく、現代を舞台にした精神探求とSFのような感じがする。

東洋的といえば、そんな感じもするが、あまりみないので馴染みがなく集中力が続かない。

初めてのジャンルの小説を読むような感じに似ている。

どこに着地点をもうけているのかが気になるのだが、ゆっくり観ていくしかないかと思う。



現在の私は老後を縁じているのだろう

仮観という概念

仏教に導かれているのだろう

そのような御縁なのだと思う

あまり考えたくないのだが、内観するとぼんやりと客観してしまうようで、気づくことがあるのだが、その気づきは誰がしているのか?という謎の思考をしている

西洋では、そのようなことを精神分裂病などというようだが、私にとってはあたりまえのことのように感じる

内観する幸せとかいうものは、わからないから感じるものなのかもしれないね

空きるまでの幸せなのかもね

ありがとう♥


五十肩のかってな考察

私の身体は子供の頃から偏りがひどく耐久力が低かった。

生まれつき姿勢が悪かったが、子供の頃に水泳をしていたことで、なんとかなっていたのだと思うのが、姿勢を維持しようと間接のバランスが崩れ、ひずみが大きくなることで、だんだんと重力に逆らえなくなってきたのだと思う。

1年前から足腰の痛みを治そうと、散歩の際の靴を0.5サイズ小さくして、骨格のブレが少なくなったことで、身体の負担は少なくなり慢性的な痛みはなくなったのだが、噛み合わせの偏りの固定が強くなってしまったのだろう。(頭蓋骨も隙間によりバランスをとっている)

肩の塊の原因は噛み合わせの偏りの限界なのだと思う。(歯が互いに押し付け合い歯並びがガタガタになってしまった)

肩を緩めながら可動域を広げていくと、顎の噛み合わせから首や肩周りや指先まで全身の筋肉の緩むことで連動していることに気づく。

奥歯が痛みだしたのも、永年の偏りにより全身の可動域がさまたげられて、圧迫されることで、歯の緩みがなくなりきしめていていたからなのだと思う。

奥歯を強く噛みしめたことにより、片側にずれが固定されてしまったようで、このときの体型のクセが抜いた後もとれずかたまっていたようだ。

それを徐々にほぐしていくことで、以前よりも楽になるだろうが、残りの歯の咬み合わせは以前のままなので、全身のバランスはとりにくくなるかと思う。

生まれつきの体癖により、治そうとするが治らないようで、その間をいったりきたりすることで、バランスをとるしかないのだろう。(生まれつきの意識の器の大きさも同じように思う)

骨までいかれることはないが、筋を痛めたり、偏りやすぐにズレやすい耐久性のない身体が、良いのか悪いのかは捉えようなのだろう。

これからも、歯の噛みしめに気をつけながら、毎日の運動を心がけようと思う。

ありがとう♥


9月15日、つけたし

アマプラで「ザ、イコライザー」というドラマを観ている

映画でイコライザーというのがあったが、設定の繋がりがあるように思う。

こちらの設定は御時世にあわせてか、社会の犯罪の不条理を解決するキャラが、女性の凄腕請負人となっており、仲間もいるようだ。

1話完結の流れのようだが、ストーリーが進むほどに、謎が解明されていくように思う。

映画の方の世界観が好きだったが、エンタメによっているようで、アクションや悲壮感の演出が薄れているように感じる。

毎日観る作品が増えているが、すこしづづ観ていこうと思う。

さまざまな作品の世界観を観ることで、私の世界観は統合していくように思う。

現実と妄想の間にいるのだろうね。

社会的責任の次にある感覚を感じている。

おまけの時間を味わえる幸せなのか?


若い頃は、身体的な刺激を快楽としてしか楽しめなかったように思う

内観というものは頭の中での思想を巡らせことだけではなくて、身体を動かすことでもあるのだと思う

年輩の方々が朝晩にウロウロと散歩をしている現代をみると、異様な風景のように感じるのだが、無意識下での身体と自然との触れ合いをしながら内観していると思えばおかしなことでもないかと思う

どちらも瞑想なのだと思う


ありがとう♥


9月17日、つけたし

三体を5話まで観たのだが、真理の追求のような内容になってきた。

哲学なのか、宗教なのか、西洋と東洋の感覚の違いが少なくなってきているように感じる。

人は追い込まれたとき、自ら世界観をあらためるときがくるのかと思う。


時代ごとに欲求の流れがあるかと思う

世代ごとといってもいいかもしれない

土地から物へ、物から地位へ、地位からお金へ、お金から自由へ

自由になっても、まわりばかり気になりくらべてしまう

それでも、自身のことがわからない

わからないから不安を感じる

不安を、不満で解消しようとする

それが欲求なのかもしれないね

私は、わからないことがあたりまえな世界観に生きているので気にならないけどね

しらないよとは思えれないのが、少し気になるくらいかな

しょうがないでいいんじゃないかと思う

ありがとう♥


9月18日、つけたし

治るときにも痛みがあるのかもと思う。

人並みになろうとがんばってきた、私の身体は歪みズレてバランスをとってきたようだが、ムリしてまで身体を動かさなくなったことで、逆再生のように壊れていった身体が治そうとしているのかもしれないと感じる。



もしも、私達が生まれて生きる、この世界があらゆる世界観の存在が、互いの概念を共有する為に用意された場であったとしたら、私は納得するのだろうか?

それぞれの魂の場から集められ、それぞれの魂の場に振り分けられる為の場だとしたら、私はどこに向かうのだろうか?

宇宙という概念は、シュレディンガーの猫のようなもので、それぞれの感覚により変化する概念なのかもしれないね

肉体とは別の概念なのかもしれないね

共通の場で、それぞれの役割りを縁じることで味わう感覚があるのだろうね(それぞれの次元の役割りも含めての情報空間)


都市伝説でロスチャイルドやフリーメイソンとイギリス社会と日本の話題があり、考え方の学校というYouTubeを見て思うこと(YouTubeもメジャー媒体になってきたので思考誘導の線もあるのかもね)

脱エジプトのモーゼやらアスケナージやスファラディやら都市伝説らしい番組ですね

自由の女神は何の象徴なのだろうか

アメリカとフランスにあるのに、日本にはない(2000年にフランスから東京のお台場に寄贈さらていました。フランスは民主主義の拠点なのかもね)

スコットランドの思想とユダヤの経済(新天地を求めてなのか)

明治維新の裏にある事情

日本にきて初めて感じることがある(想像以上に感じる世界観なのか)

いがいに全部つながっていたりするのかもね

なんだか、そんなことを思考する私がいる

自由と資本経済は裏表の思想なのかもしれないね

それでは、その思想と対立するものはなんなのだろうか

どちらが新時代の主軸となるのか

デビルマンの感覚がするのはなぜか

反転するのかもね

私の時代が終わろうとしてしている

幸せなのだから、何もいうことはない

ありがとう♥

アチマリカム


9月22日、つけたし

アマプラで「柳田格之進」という映画をみている。

今年の製作で草彅剛が主演をしている。

久々に観る時代劇なのだが、草彅剛さんは時代劇に向いているように思う。

元ネタは、古今亭志ん生の代表作である落語なのもあって、日本人の感覚に馴染みがあるように思う。

私は、古今亭志ん生さんが好きで、昔からよく聴いたのだが、このような所にも日本文化を感じてしまう。

時代をこえて、受け継がれるものが文化なのだろうが、その感覚に気づくのには外側にでなければわからないことだろう。

日本人にとってのアイデンティティとは、そのようなことだと思う。

最近はディズニーチャンネルでの真田広之主演の「将軍」により、海外での日本文化が流行りのようだが、私にとっては、あたりまえすぎて実感がわかないようだ。

それでも、少しづつでも共通の感覚に近づければ良いかと思う。


ありがとう♥


9月25日、つけたし

YouTubeでもぎせかチャンネルのモーガン先生と哲学漫談を観ている。

右脳と左脳には役割があるだけで優劣ではない。

西と東もおなじこと。

私の世界観が統合していくように、現実世界も統合していくように思う。

幻想と妄想から想像される世界観がる。

想像と物理により創造される世界観がある。

過去と未来が編成されていく。

それが人類史なのだと思う。

哲学でいうところの唯心論なのか?

すべてが投影であるホログラフィ宇宙論なのか?

まるで、つじつまをあわせるように編成されていく。

私の世界観を証明しようとニ重スリット実験をしようとしているが、それは、シュレディンガーの猫でしかないようだ。

多重に重なる次元の感覚の一部しか発動していないから人類は閉じ込められているのかもしれない。

時空をこえて、生死をこえたその先に感じる世界観なのだろうが、こえるとかその先にとか言ってる時点でむりなのかもしれないね。

闇から解き放つ啓蒙思想が蔓延しているが、私の中には、すでに知っている存在があるように感じる。

統一を目指すとき、私は忘れ去られ、世界は消えるような気がする。

私は、いつも、ぼんやり感じるしかないのだろうね。

ありがとう♥


9月26日、つけたし

NIER;AUTOMATAのアニメを観ている

10話まで観ていたのだが、ついていけれなくなって観るのをやめていた

第2クールまであったなんて

イッキ見で23話まで観たが、次で終わるのかな

ゲームが元ネタなのだが、やったことがないので、どこまで再現されているのかしらないが、最近のアニメには少ない感じがする

私が子供の頃に読んだ漫画の、たがみよしひさの「GLAY」の感じに似ているような気がする(たがみよしひさの作品は中高生の頃に好んで読んでおり、「滅び)も面白かったが、マイナー漫画だと思う軽井沢シンドロームや我が名はウルフも良いよ)

永井豪の短編の「真夜中の戦士」の感じにも似ているような気がする

どの作品も後味の悪さは同じなのよね

今でも、私の中のどこかになごりがあるのかもね

ありがとう♥


9月28日、つけたし

東映チャンネルで「楽園追放」2014年製作というアニメを観ている

人類の壁とは人類が優位にたつ生まれ持った特性なのだと思う

悟の境地にたどりつくことはできるのだろうか

近代の課題のような気がするが、はたしてそれは人類といえるのだろうか

近代の作品を通して多くの同胞に出会えた気がする

私は死ぬことで救われるのですがね

幸せなのだと思う

ありがとう♥


9月30日、つけたし

どちらでもかまわないのだが、女性の時代がはじまるようだ。

女性とは完全な個体だという。

男女の役割があるようだ。

男性は不完全だから、こだわり、自我をつみあげようとする。

そうしなければ、自身を維持できないのだと思う。

はたして、そのような男性の感覚は、この先にはいらないのだろうか。


私は、男性とはバカを求める存在なのだと思う。


母性はバカを理解できない。


どちらも必要なようですね。


男性がいなくなった世界には、疑問がなくなるような気がする。

表面的な平和の裏にあるもの。

圧倒的な能力主義になり、無意識下の格差がひろがる弱肉強食時代になるように思う。

完全が完璧となる女性郡があらわれる。

この先、人類にそうぞうがなくなるような気がする。

そうぞうとは、バカの産物なのだと思う。

そして、女性の中から男性的なものが現れる。

不完全だからこそ、うかびあがる世界観があるのだと思う。

なるほど、こんなことを考えるのも、男の未練というものなのかもしれませんね。

性別を超える感覚が悟なのかもね。

すでに始まっていますね。


ありがとう♥

アチマリカム




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