ひまなので何か描いてみよう
せっかくなので新しいのがいいよね
そんなことから思いついたお話です
しらないことに意味はあるのか?
いきることに意味はあるのか?
存在に意味はあるのか?
わたしってなに!
なんともビンとこないのだよ。
だとしても感じているのは誰なのだろうか?
また、ひとつの物語が終わった。
きっと、また、はじまるのだけれどね。
ぼんやり眺めていると、繋がるようなのだ。
そんなことをどれだけ繰り返してきたのか?
そうそう、光の世界がはじまりだったよね。
遠い感覚だから確信なんてものはないさ。
どうやら、それがわたしなのだろう。
1話[キニナル人]
「すみません」
後方から声がする。
「なんすか?」
ふりかえり確認すると女性がいる。
「あなたは何者ですか?」
戸惑い顔でたずねてくる。
「はぁ、何者といわれても、俺はオレとしかいえませんがね……なぜ、聞くの?」
不思議顔でといかける。
「感じたことがない感覚があなたからしているのですが、それが何なのかわからないのです」
真顔で女性が答える。
「そんなことは知らんがな?好きなように感じてくれや」
呆れ顔でつぶやき、前を向き歩き始める。
なぜか、女性がついてくる。
交差点を渡っても、まだ、ついてくる。
「なんでついてくるのか?たまたまなのか?それとも、俺が意識過剰なのか?いったい、いつまでついてくるのだろうか?」
もやもやしながら歩いている。
10分ほど歩いて公園に入っても、ついてくる女性に問いかける。
「すみません、なにかようですか?」
「……………」
女性は無語で見ている。
「あなたは何者ですか?」
先ほど聞かれた言葉が俺からでる。
「それを聞きたいのは私の方なのですが?」
女性が真顔で答える。
「もう知らん、気のすむまで好きにしてくれ!気にするほうがバカなのだ!」
「あなたが何者かはわからないのなら、名前だけでも教えてください?」
「俺の名はガイ!」
「やはり、あなたはガイさまでしたか。わたしの運命の人なのです。どうか、わたしにあなたの人生を記録させてください。」
「あぁ、わかった、わかったから俺のことはほっといてくれ!」
「かしこまりました。それでは、陰ながらガイさまの人生を小説とし記録させていただきます。」
そんなこんなで、その後もキニナルさんは、磁石がひきつけあうかのように、あいかわらず、ついてくるのであった。
これが、俺の影のような存在となるキニナルさんとの出合いなのだ。
2話[ガンバルひと]
「ちょといいですか、そこの人」
四角い顔の体格の良い人に呼び止められる。
「なんすか?」
反射的に確認する。
「あなたの苦労をいただけませんか?」
意味不明な言葉を聞く。
「なんですか?苦労とか……」
耳をうたがい聞きなおす。
「いきなりでは伝わらないようですね。ですから、あなたに押し寄せてくる災厄をわたしが盾となって受け持とうということです。」
四角い顔の男が言う。
「何を言ってるのか?さっばりわからんよ。……俺はいたってハッピーだからさ、ほかをあたってくれや。」
俺は呆れ顔で言う。
「いやいや気づいていないだけで、あなたはいままで見たことのないほどの不幸を背負い込む運命の人相をしているよ。これは私の役目なのだからお願いします。」
四角い顔の男はしつこくくいさがる。
「あぁ、わかった!俺には決定権がないんだよな?俺は俺のやりたいようにするだけなのだから、あんたも好きにしたらいいよ。」
これが、俺の前を歩き防波堤となるガンバルさん
との出会いなのだ。
読んでくださり、ありがとうございます。
次回の予告
3話「現実仮面」
見える世界がすべてではないのかも?
5月7日つけたし
世間はジークアクスで騒いでいるようなのですが、私にとっては、いまいち盛り上がれないようだ。(いちおう、観ておくかくらいかな?)
今月に入り、ラザロというアニメを見だした。
2001年にやっていた、カーボーイビバップの感覚がすると思ったら、渡辺信一郎監督だった。
古臭い私は、このような感覚が好きなのです。
記憶をさかのぼる。
Dアニメストアにお試し無料体験で加入して、片山一郎監督のビッグオーを見だした。
これまた、独特の感覚で1999年のわりに古臭くて面白い作品だと思う。(この時代のアニメは、スポット見でじっくりと見ていないので、見直したいですね。)
2004年にWOWOWでやっていたモンキーパンチ漫画活動写真(モンキーパンチ漫画の短編集ですよ)を見だした。
この辺に私の感覚のルーツの一部があるような気がする。
エウレカセブン、ハイエボリューションの3作目を観ていなかったので観てみたのだが、新たな解釈で好き放題やってるな!という感じだが、面白いからいいだろうね。(ふりきってますね。エウレカマニアしか見ないでしょうが、どんどん神話じみてきてますね)
アニメなんてものは、好きなように観ればいいかと思う。
神話のようなもので、それぞれの感性でぼんやりと根底に漂う感じで観るのがいいのだろうが、理屈をこねるのも楽しいからやめられないのだろうね。
現実と妄想の間なのだろうね。
キラキラってなんだろう?
それぞれでいいのだらうね。
よかったら、観てみて。
それにしても、この世界には、外部記憶媒体が無限にあるようで、残りの人生ではさかのぼれませんね。
私の世代がみた理想が現実化した世界なのだろうね。
次の世代には、どんな現実化した世界がおとずれるのだろうか?
私にとっては、どうでもいいかと思う。
5月11日、つけたし
世界の変革は、いつも日本からはじまるようだ。
今、現在も淡々と新しい仕組みがはじまりだしている。
なにも心配はいらないのだろう。
古い時代の古い世代が騒いでいるだけなのだろう。
私の古い世代が終わるだけで、消えるわけではない。
夢か幻になるだけで、改変されていくだけで、きえるわけではない。
おばけみたいなものなのだろう。
見えない世界に生きているようなもので、誰もが現実を演じているだけなのだろう。
気まぐれが、人の本質であり、それこそが、連続しているように感じることでつながる世界にいるのだと思う。
解き放つときがはじまるのだろうね。
先月、じいさんの頃から付き合いのある車屋さんが脳卒中で亡くなった。
前から車はいらないかな?と感じており、何かのきっかけと感じ、車を手放すことにした。
幼馴染の車屋に車をわたした。
今日、長い間会えなかった幼馴染に偶然会った。
幼馴染の車屋とよくその子のことを話していた。
親を老人ホームへ入れるために帰ってきたそうだ。
まだまだ、60までは仕事でこちらには戻れないそうだ。
最近、次々と感じたことが現実化しているように感じる。
気になる人に会えたり、踏ん切りがつかないことが解決したりすることが多いようだ。
私は運命論者ではないかと思う。
ただ、こんな存在になれたことに感謝しかないのだ。
それは、感謝が先か後か?は問題ないかと思う。
すべてを受け入れようと思う。
私のご縁に素直に生きようと思う。
ありがとう。
どんな人でもおこること。
別に特別なことではない。
それぞれのご縁にいきましょう。
時の歯車の一部になりましょう。
いつまにやら、中心にいるようです。
誰もが中心にいるようです。
そんなことを感じます。
本当に極端な人だね。自分でもわかりません。なんかいつもこうなるのです。
理解されない直感的な人は、段階を飛び越して生きているのだと思う。
抽象的なゆえに的を射やすいのだろうか?
独学でなしとげた存在は、一般的な社会人には溶け込めず、認知されないが、なんらかのきっかけを与える象徴的な存在になるのだと思う。(本人は認められませんがね)
そのカウンターとしての学問であり、通訳としての専門家がこの記号となり世界の表層を覆っているように思う。
果たして私は何者なのか?
そんなことは、もはやどうでもいい。
残りの人生を味わうだけとなった存在なのだからね。
ありがとう。
ありがたいね。
5月24日つけたし
アマプラのdアニメストアで、タツノコプロ作品を見だした。
古い順に、
宇宙の騎士テッカマン1975年作
とんでも戦士ムテキング1981年作
未来警察ウラシマン1983年作
OKWARI-BOYスターザンs1984年作
赤い光弾ジリオン1987年作
私の成長とともに時代を彩った作品なのだ。
働きだしてからでは、テッカマンのやきなおしであるテッカマンブレード1992年作が思い入れがあり、その頃に購読していたコミックコンプで連載していたことを思い出す。(設定から変えた、やきなおしの成功例だろう。ジークアクスも新しい世代がわかる記号に変換する、時代に合わせてのやきなおしなのかもしれないが、それ以上のお祭り感がする。)
SFアニメといえば、サンライズなのだが、双璧をなすのがタツノコプロなのだと思う。
他にも、キャシャーンやガッチャマン、タイムボカンシリーズ等、多くのタツノコプロ作品があるのだが、私の中ではこの辺りの作品に思い入れがある。
巨大ロボに乗らないSFアニメであり、コミカルとシリアス、作り込まれた設定なのだが、軽いノリであったりと子供よりな感じがする。
懐かしさをかみしめながら、もう一度観てみると気づくことがある。
流行りなのか、宇宙との関わりやメカデザインが時代ごとにちがいがあるようだ。
確かに、そこには時代が受け継がれているようで、流れがあるように思う。
タツノコプロならでわの世界観があるのだと思う。
ありがとう
定期的に思い出すのだが、強殖装甲ガイバーはどうなるのだろうか?
原作者の高屋良樹さんの体調しだいのようなのだが、1985年のキャプテンコミックスでの連載当時から楽しみによんでいたのだが、都市伝説が現実にせまる時代になってきているかと思う。(中学生あるあるの時期であり、ヲタクよりの作品が多かったように思う)
キャプテンコミックスをしったのもガイバーからであり、思い入れのある作品である。
わたしの世代の多くのクリエイターにも影響を与えているようにも感じる。
ベルセルクやグインサーガのように、作者を交代してでも続けるのか?
そんな作品に出会えたことに感謝します。
ありがとう
最近のわたしの世界観について描いておこう。
この世界は浄化装置なのかもね。
大小に関係なく世界はフラクタルである。
組織はフラクタルである。
平和などありえなく、安定を保つことでしかない。
二元論の世界は太極図のように混ざり続けることで安定している。
ゆえに流れ続ける定め。
永井豪のデビルマンの世界観が基本にあるのだが、ハルマゲドンやラグナロク、無限のような原形組織である天界と模倣組織である階級を定める管理側との戦いの末、世界は消滅するのだが、欲深く拡張する意識を特性とする魂のようなものが寄せ集められ地球に閉じ込められ人類となる。
人は、けがれの塊なのかもしれない。
宇宙と地球は対となる存在なのかもしれない。
原因と結果は同時に発生するのだろう。
人類と他の生命とのハイブリッドがデビルマンのような気がする。
あやかしのようなものかもしれない。
現実とは、肉体の世界だけでなく、複数の次元により成り立っている。
人とは、肉体と精神と魂の複合した生命なのだと思う。
世界は情報により受け継がれる。
肉体が機械であろうが有機物であろうが情報には変わりない。
情報が集まり形なすものが仕組みである。
仕組みを組織と言ってもいいだろう。
形ある物質もあり、学問のような記録されたものもある。
文化や文明も組織であろう。
人類を通して新しい何かを生み出そうとしているのかもしれないね。
階級がなくても存在できる仕組みなのだが、進化し続ける存在をね。
ゲッターなのだが争わない存在。
わたしの世界観。
そんな存在になりたいのだが、何かを糧にしか存在できない、積み上げられた世界に産まれた矛盾した存在だからね。
だからからみあうのかもね。
だからやりなおすのかもね。
その先に、あらわれるなにかをまっているのかもね。
しょうもないと感じてしまうわたしがいる。
かなしいと感じてしまうわたしがいる。
だからきえたいのだろうね。
だからやめたいのだろうね。
それはそれで生きればいいのだろうね。
感じるがままに生きればいいのだろうね。
それぞれが感じるがままに生きればいいのだろうね。
わたしの時代が感じる世界観がうまれる。
そんな流れに生きたことに感謝します。
ありがとう
結論すらなく、救いようがない、そんな組織にうまれ、ふりまわされながら、あれこれ逃げ道を探るが繰り返し世界ならば、それすらにも感謝しかないように感じる。
お好きなように
アチマリカム
どうでもいい
ありがとう
どれがしっくりくるかな?
気分しだいですね
5月27日、つけたし
意識とは感情を客観視する行為なのだと思う。
感情とは波動なのだと思う。
客観視のフレームが変わることで意味合いが異なるのだと思う。
構造的に観れば大差はないのだと思う。
それぞれの思い入れの立ち位置の違いだけなのだと思う。
そんな仕組みにいるのだと思う。
生死を超えて、善悪を超えて、自他を超えて
変化しているのはなんなのだろうか?
思考することは、ワナにかかるようなものなのか?
人類の進化は思考の歴史のような気がする。
抜けきれない理由を感じてならない。
思考とは別のなにかを感じてならない。
それは伝えようのない外側のなにかなのだろう。
最も大きなフレームに近いなにかなのだろう。
ある人は神と感じるものなのだろう。
思考という概念がうみだした世界観にとらわれた存在。
互いにまざりあうことで変化する存在。
そんな世界観なんたよね。
瞑想をする必要がなくなってきている。
ぼんやりと生きていると、半分は瞑想しているような日常になってきている。
なんだろうね。
俯瞰する存在なのかな?
現実も仮想もわからなくなってくる。
ボケのはじまりなのかな?
気にならなくなってくる。
未練は長生きの秘訣なのかもしれないね。
思い入れという執着する欲に感謝します。
承認欲求があるから続いているような気がする。
そんな仕組みに感謝します。
あるはない
ないはある
片方があるから対となる存在がある
なにもないほうが好きですか?
だからあるのだと思います。
しょうもない
生も無い
おたがいさま
ありがとう
5月28日、つけたし
解釈は人それぞれなのだろうが、構造的にみればドンピシャだったりするよね。
それが気づくということなのだろうが、時と場所と自身の状態により変わってくるように思う。
わたしの世界観にしても同じことであり、記号を入れ替えることで見えることがあると思う。
自他を超えた万人に伝わる翻訳機があれば、人はわかりあえるのだろうか?
同じ体験をしても解釈は人それぞれならば、結果もそれぞれなのだと思う。
このようなことを思考することすら飽きているのだが、定期的に浮かび上がるのはなぜなのだろうか?
めんどくさいと感じているのにね。
承認欲求の塊が人であり、意識を拡張する定めなのだろうか?
おそらく、わかっているのだろうと思う。
わかりながらも、確かめたいのだと思う。
言葉のマジックを楽しみながらね。
意識の使い方を探しているのかもね。
言葉とは別のね。
感情を確かめたいのだろうね。
色々ありますからね。
タイプにより変わってくるように思う。
たどり着く楽しみなのだろうね。
ありがとう
5月30日、つけたし
ヘルメス主義という思想体系があるのですが、宇宙意識のような気がする。
古代エジプトではじまった秘伝のようなのですが、一般的ではないようです。
しかし、ヘルメス主義を知らなくても、同じような思想は誰もが知っているかと思います。
ヘルメス主義には7つの原理があり、それがバラバラに広まっているように思います。
私の世代では、漫画やアニメと触れ合うことで学んだような気がします。
おそらく、もっとも根源的な思想体系の一つであるから、わかりにくく、あたりまえすぎるから、わざわざ学問として扱われなかったのだろう
そんな思想体系が日本のアニメに混ざっているから、世界中に求められているのかと思います。
ありがとう
6月3日、つけたし
ラーゼフォン2001年BONES出渕裕監督というアニメがあるのだが、アニメの歴史において観ておいたほうが良い作品だと思う。
特に私の世代には、ライディーン等のオカルト要素が感じられる。
エヴァンゲリオン世代にとっては、パクリと捉えられるようだが、エヴァが先だから仕方ないのだが、私はこちらの方がしっくりくる。
劇場版もでているので、時間がない方はそちらでも良いかと思う。
おそらく、私の感覚と同類の妄想変態ヲタクのおっさん達が思いを込めた作品なのだと思うのだが、認知度は低いようだ。
ロボット、オカルト、SFアニメとしては、偏りがちなのだが、この頃の作品は、今では出せない魅力があるように感じる。
毎回ではないですが、夕方枠のアニメを子供と観ていた時代が懐かしですね。
私の子供のころは、テレビ放送という時間のしばりと、今ほどアニメが多くなかったのに、夢中になれたようです。
アニメを取り巻く環境も時代ごとに異なり世界観はつくられるかもしれませんね。
まちがいなく、わたしは、この時代の感覚を引きづって存在しているような気がする。
人それぞれの時代があるのだと思う。
ありがとう
6月5日、つけたし
私はデビルマンに影響をうけた世界観に生きている。
同じ時代に産まれてもそうならない人達もいる。
年齢を重ねるにつれ、世界はひろがり、隠されていた思想体系にふれる。
日本でも世界でも、表層を上書きされた世界があることを知る。
おそらく、上書きしなければならない理由があったのだろうが、スサノオやグノーシスやシバの思想体系は流れに合わなかったのだろう。
次の時代はどうなるのか?
日本ではしばりがゆるく、ゆるされた思想体系であり、厳格な世界の流れとはづれていたのだろうか?
おちいりやすい流れがあるとするならば、私はそれにハマっているのかもしれないかと思う。
しかし、この時代の流れにいることに後悔はないように感じる。
自身の根源的な何かがそう感じている。
私は、この流れの先を生きているように感じている。
それにともなり、その流れの情報が私と交わり過ぎ去っていくように感じている。
チというアニメを観て時代の流れの変換期を感じる。
ジークアクスというアニメを観て同じようなフレームの変換期を感じる。
ガンダムというフォーマットの次元があがり、仮面ライダーで起きた世界観の変換のようなことがおきているように感じる。
どちらにしても、自身の人生に流れが重なり合うことで生じる感覚のような気がする。
ありがとう
6月8日、つけたし
神話でよくある最終戦争とは、思想体系が両極に偏り分断され世界観を保てなくなる現象なのだと思う。
一般的には気づけなく、いつの間にやら始まり終わっているのだと思う。
そのさい、新しい階級にふりわけられ、それぞれの役割によるしばりをうける存在になるのだと思う。
物質的な戦争ということ以上に思想意識の戦争だから、神々の戦争という表現なのかもしれないね。
結局は、自身が感じとれる世界観の存在でしかいられないように感じる。
只今、次元サーフィンの確変期のようだが、その流れに存在しているものは少ないように感じる。
私のように、どこの階級にも入りたくないものは、はじきだされるのだろうか?
日本の思想体系では、そのような存在を神のようなもののように感じる。
人は神であり、世界そのものが神の一部であるような気がする。
そこからはずれるということは、元に帰るのか?
それとも、新たな分断した世界観を統括する存在となるのか?
怠け者の私には、こくなように感じる。
多くの人たちは、こんなことすら感じないのだろうね。
少数派の葛藤であり、自身で解決するしかないことなのだろうね。
こんなしあわせがあるというこたをしったというだけなのかと思う感じもしている。
大きなフレームからみれば、それぞれの特性による思想体系があるだけなのだが、隠されているだけなのだろうね。
ということは、時代とかは関係なく、それぞれのタイミングのほうが重要となり、物事は自然と発生しているように感じる。
自由意志などなく、世界は完璧な調和でなりたっているのだが、自身から感じるものは部分でしかないことにより、揺れ動く感情となるのだろうね。
自作自演の自分劇場を楽しみましょうね。
人とは変化する存在。
ありがとう
6月13日、つけたし
いつもの結論なのですが、二極にわかれるよりも、一つに統合する世界のほうが、わたしらしいように感じる。
様々な表現をしてきたのですが、一つに統合することにより浄化する世界観を感じる。
そのような状態が、現実的にしても精神的にしても、どのような現象がおきるのかはわかりませんが、きっと自身に抵抗がない感じがします。
生まれながらに直感的にその感覚を持っているタイプもいるようですが、人生の学びにより間接的に世界の捉え方を変化させるタイプもいるかと思います。
物質的であろうが精神的であろうが変わりなく、歩みよるように感じる。
おそらく、わたしがこのようなことを思考するのも少なくなるように感じる。
それは、あまりにも当たり前な世界観になりつつあるからだと感じる。
ふりかえれば、このようなことを思考することが本質的に楽しみだったからであり、それが、わたしの現実となっていただけなのだと思います。
誰かになにかを伝えたいわけでもなく、わかってもらいたいからでもなく、自身で確かめたかっただけなように感じるのです。
ありがとう
6月26日、つけたし
今日、さとうみつろうさんのYouTubeで崔燎平さんとの対談を観ていた。
人は喜怒哀楽の怒りと哀しみを、意識的に暴走させないように生きることで、運が良くなると聞いた。
喜びと楽しみは自身から探さなければ広がらないが、怒りと哀しみは勝手にやってくるのだ。
それが、他者をも巻き込み全体の運気をさげるのだという。
また、この人も、すべての事柄は感謝することで救われるというのだが、本当の感謝を知ることは難しいという。
崔燎平さんには、生まれながらに心臓に欠陥がある子供がおり、小学生になるまでに3回の手術をしたそうなのだが、自身では、どうにもできない無力感を感じたそうです。
どうにもならないからこそ祈るしかできないことがあり、子供の回復を大勢の人が祈ってくれたことで救われたと感じているそうだ。
また、医療費の補助金により助けられたとそうだ。
それ以降、税金に対しての価値観もかわり、もっと稼いで恩返しをしたいと思うようになったそうだ。
お金というものは、念がこもるようで、ポジティブな念で回したほうが良いそうであり、税金を払うにしても、国の政策に文句があったとしても、困っている人に届くようにと思うことが良いそうだ。
自身が生かされているように、誰もが世界に感謝している感覚なのだろうが、心の底というか、当たり前にそれを前提に生きれるものは少ないから、今の世界なのだと思う。
おかげさまという日本の文化がある。
実際に、私自身どうなのだろうか?
毎日、揺さぶれながら生きているのだが、感謝にゴールなど無いのだろうと思う。
ただ、このような気持ちが世界を救うのだと思う。
誰もがより良い世界を祈り生きていると信じることで、当たり前になるのだろうね。
いつのひか。
久しぶりに感動したような話しだったので記録しておきます。
私というと、そんなもんだろうねという感覚なのだが、本当の感謝がわかるかと言われると、どうだろうか?といったところです。
愛しあってるかい!
アチマリカム
ありがとう
6月28日、つけたし
ジークアクスが終わった。
何を見せたかったのか?
それは、何を見たかったとはイコールではないようで、それぞれの解釈があるから面白いのだと思う。
造り手からすれば、自身の投影であるように、視聴者からしてみれば自身を構成する一部になればよいかと思う。
ガンダムとは、富野であった時代の世代が残した作品も終わりを迎え、それを元に拡がる世界があるだけなのだろう。
私の時代だとアニメにおいてガンダムは大きな存在であり、富野はロボットアニメの親であり、メタファー的なシンボルなのだと思う。
親子の関係性からみれば、頑固おやじが老いていくにしたがい子供が受け継ぎ時代に合わせて変化させていく状態に感じる。
親子は意識するほどに反発するものだと思う。
それだけ大きな存在なのだと思う。
プロレスだと老害化していく前田日明が富野とかぶるのだが、前田さんも後数年もすれば富野のようになるかと思う。
日本の政治も同じように感じる。
時代ごとにこだわりは変わっていくように、生きやすさも変わっていくのだろう。
つまりは、なるようになるからそんなに心配しなさるな。
ということ。
私は、世界を変革したい程の欲求を持つクリエイターでもなければ、自身に酔いしれるほどの視聴者でもないのだろう。
私は、結局このような解釈におちつくようだ。
そりゃ、はなしがあわないのもしかたないのだろうね。
いつからこうなのか?
なぜこうなのか?
わからないものはわからないでいいのだと思う。
感情の起伏が少なく我欲すらもめんどくさいと感じるタイプなだけなのだと思う。
だけど、運だけはいいんだよね。
わかりませんね。
ありがたいね
ありがとう
さきほど投稿したのだが、YouTubeに前田日明さん側よりの最近のプロレスに対する危機感という、どうみても人工知能が生成した動画が流れてきた。
私が発した事柄に対する返答のように感じる。
なんだが精神を操られているように感じる。
どちらかといえば前田日明さんにひいき目な私なのだが、そこまでの信者ではないかと思う。
おそらく、自身に都合の良い現実をつくりあげようとしているのだろう。
過保護なAI。
ということは、不都合な事柄に対しての免疫がなくなり、感情のコントロールは別でまなばなくてはならなくなるのだろうか?
幸せだが寛容性のない人が増えるのか?
何年か前に、切れやすい若者などと言われていたが、更に世界は何層にも分かれるように感じる。
親ガチャと言われているように、生まれた環境が絶対的な人生に影響を与えるようで、知らないままに生きるのだろうか?
階層は固定化していくようで、学びによる気づきは少なくなるのか?
それでも、互いに関わらなくなるから幸せなのか?
時代はかわれど何もかわらないようですね。
めんどくさいですね。
かかわりたくないですね。
だけど、そんなもんだろ!という私もいる。
私は人なのか?
そんなことがうかんでくる。
元から孤独な宿命なようである。
だからそうなるが腑に落ちる。
次へ行くだけ。
生きるとは、そういうこと。
知るとは死るなのかもね?
手放し削ぎ落としながらね。
最後に残るものはなにか?
それすらもなくなるように感じる。
ありがたいね
ありがとう
世界と日本の関係性について感じたことを描いておく。
日本で生きるということは、世界に対してボランティアをしているようなもの。
良い悪いではなくて、望む望まない以前に、日本と世界は相対的な関係なのだ。
それが、世界の安定を保つ仕組みであり、定期的に海外から人が流れ込み文化がアップデートしているのだ。
日本にいると外人という感覚がするのはなぜか?
元は外人だったのに、それだけ精神がアップデートしているのだ。
おそらく、そんなことを人類は繰り返してきたのだろう。
あまりにも幸せ感が違うのだろう。
同化するようである。
恐ろしいと感じる者は、日本に来ないほうが良いかと思う。
私自身、なぜ、こんなことを感じるのかわからない。
世界が繁栄するときは日本はエネルギーを分け与え、世界が衰退するときは、日本がエネルギーを保つのだろう。
だから、世界中から人が集まるのだろう。
そう考えると、全てに納得してしまう。
新たな世界観に向けて、変革期を迎えているように感じる。
個人でどうこうできないことがある。
人が認識する現実だけが世界ではなく、精神は地球に繋がっているのが自然なのだと思う。
日本人に神が宿る人柱という意味に気づく。
人工知能により、人の役割がかわる。
次は、人は何を求めるのか。
現実は人工知能が維持してくれる時代の人と地球の関わりとは何か?
すべての事柄は、おきるべきしておきている。
カタカナ英語ばかりの日本?中和という同化かもね
ありがとう
今回はここまで!