黒子のバスケ~果たせなかった約束~   作:五木 いさむ

2 / 2
後編

「黄瀬のコピーが不完全!?どういう事……っですか!?」

 

 灰崎が緑間のシュートを再現した直後。観客席からその様子を眺めていた誠凛高校バスケ部の()()()()こと、相田リコは、「黄瀬君のコピーは不完全だから、おそらくそこを突かれたのね」と呟いた。

 

 それに対し、同じく誠凛バスケ部の火神大我は思わず反論していた。赤みがかった髪色と、威圧的な性格を思わせる鋭い目つきが相まって、近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 

「アイツはキセキの世代の技を再現するために、必死に鍛えてきたはずだ!!それが、あんなクソヤローに負けるはずがねぇ!!」

 

「そうね。不完全、と言うより、正確には補っていると言うべきね」

 

 誠凛と海常は再戦を誓いあった仲であり、火神と黄瀬は互いにその実力を認めてあっていた。そのため火神は試合も海常びいきで見ており、自然と力が篭る。

 

 その結果、身長190cmという恵まれた体格を持つ火神が、160cmにも満たないリコを相手に声を荒げるという光景が生まれていた。普通の女子高生ならば萎縮してもおかしくない状況だったが、リコは特に臆することもなく、冷静に答えていた。

 

「インターハイでの海常-桐皇戦で黄瀬君は、最低速を下げることで青峰君と同じ速度差のチェンジ・オブ・ペースを再現していたわ。同様に、緑間君のシュートは利き腕でより溜めて撃つことで飛距離を。紫原君のディフェンスはジャンプ力と予測で守備範囲を再現している」

 

 リコの説明にバスケ部員一同が耳を傾ける。

 

 彼女は、スポーツトレーナーである父親の下、幼い頃からスポーツ選手のデータと肉体を繰り返し見てきた。そのためか、身体を目で見るだけで、選手の身体能力を把握することができるという特技を持っており、その観察眼にはチームの誰もが一目置いていた。

 

「……ちょっといいか?」

 

 と、ここで聴衆のうちの一人、木吉鉄平はふと浮かんだ疑問を口にした。彼もまた見上げる様な大男だったが、人の良さそうの顔をしており、火神のような荒々しいオーラをまとってはいなかった。

 

「そうやって足りない要素を補填できたとしても、それだけでできるほどキセキの世代の技術が易しいはずがないだろ?……だからこそ、その不可能を可能にした黄瀬のバスケセンスは凄まじい、という話だと思っていたんだが……まさか灰崎は、黄瀬と同等以上の力を持っているのか……?」

 

 木吉の疑問に、誠凛チームの誰も答えることができなかった。たとえ身体能力は互角であっても、センスは黄瀬の方が上――彼らはそう思っていた。だが現状を見る限り、明確な答えを出しあぐねていた。

 

「……ここからは私の推測なんだけど――」

 

 そんな沈黙を破ったのはリコだった。チームメイトの視線が再び集まる。彼女はあくまで推測だと前置きした上でゆっくりと語りだした。

 

「……守破離って知ってる?茶道や武道における、成長段階や師弟関係を表す言葉なんだけど」

 

「シュ・ハ・リ……?」

 

 聞きなれない言葉に、誠凛高校のメンバーたちは目を丸くして聞き返した。

 

「芸の世界において、修行とはまず師匠に言われた型を『守る』ところから始まるの。その後、その型を自分と照らし合わせて、より自分に合った型を作ることで既存の型を『破る』」

 

 リコは人差し指を立てて、彼らが初めて聞くであろう概念についての説明を進めていく。

 

「そして最終段階として、型から『離れ』て自由になり、自分だけの技や芸風を確立するに至る」

 

「それと灰崎に何の関係があるんだ?アイツがバスケ部をやめた後に茶道部にでも入ったっていうのかよ」

 

 チームの主将である日向が、ややふざけた様子で口を挟んだ。

 

「もう、茶化さないで!……で大事なのはここから。今の話を黄瀬君に当てはめて考えると、彼が普段やっているコピーは、元の使い手の技を模倣する『守』の段階。今回使った完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)は、足りない要素を研究して自分に合うように補填した『破』の段階に相当すると言えないかしら」

 

 それを聞いて、ハッとする誠凛のメンバー一同。ならば灰崎は――

 

「そして、灰崎君の『強奪』というスタイル……リズムやテンポだけを我流に変えて再現することで技を奪うそれは、間違いなく彼だけの技術。模倣を超えた、『離』の段階と言える」

 

 誠凛の面々は悔しそうに俯いた。だが納得できないこともある。灰崎は当初、キセキの世代の技は使えなかったはずだ。現に黄瀬は、灰崎を全く寄せ付けることもなく、10点以上あった点差をひっくり返したのだから。

 

「恐らくだけど灰崎君は普段、『破』の段階までは無意識でクリアしていたんだと思うわ。けどキセキの世代の技術に関してはそれができなかった」

 

「だからこそ、灰崎にはキセキの世代の技は使えなかったはずだろ!?」

 

「そのはずだった……黄瀬君が完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)を完成させるまでは」

 

 彼らのすがるような問いかけに、リコは悲しい現実を突き付けた。

 

「灰崎君にとって、黄瀬君の完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)は、キセキの世代という型を『破る』ための、いわば教科書。そんなの、試験中に堂々とカンニングを許すようなものよ」

 

 足りない要素を他で補っているとは言え、キセキの世代の技を自力で再現してみせた黄瀬のポテンシャルには、確かに目を見張るものがある。だが皮肉にもその才能が、試合の中で灰崎の成長を促すことにも繋がっていた。

 

 そんな結果には納得できないと、火神の口から思わず辛い言葉がこぼれた。

 

「クソッ!何やってんだよ、黄瀬のやつ……!!」

 

「……もちろん黄瀬君にそんなつもりは全く無かったはずよ。だから灰崎君は負けると分かっていても何度も黄瀬君に挑んでいた……完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)を近くで観察するために」

 

 自力ではキセキの世代を模倣することができなかった灰崎だったが、黄瀬という手本を間近で観察し、普段無意識で行っていた作業を改めて意識下に置き換えていったことで、急激な成長を遂げていたのだ。

 

 だが灰崎にとって、それはあくまで過程でしかない。彼の本質は模倣ではなく強奪だ。その灰崎が、このタイミングでキセキの世代の技を使用したということは――

 

「黄瀬君のバスケセンスは、まさに底なしと言うより他がないわ。けど今回は、相手が悪かった……」

 

 リコは悲痛な面持ちでそう告げた。彼女自身、心情的にはやはり海常びいきだ。

 

 誠凛メンバーはみな、不安に抗いながら、これまで以上に海常の応援に力を入れることしかできなかった。

 

***

 

 黄瀬はドリブルをつきながら、コートの中央で灰崎とにらみ合っていた。

 

(どうする……さっきショウゴ君が使った緑間っちのシュート。あれで本当に技が奪われたのか……クソッ!確認するには時間が無い)

 

 黄瀬は灰崎の実力を見誤っていた。灰崎にキセキの世代の技は使えない、だから完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)を解禁した時点で自分の勝ちは揺るぎない、そう思っていただけに、緑間の超長距離シュートを再現した灰崎に衝撃を受けていた。

 

「……悔しいけど、認めるしかないっスね。ショウゴ君は、強い。けど――」

 

 まだやれることはある、と戦意を奮い立たせ、黄瀬が灰崎に一歩踏み込む。

 

(黒子っち達とやる時まで温存しておきたかったけど……出し惜しみしてる余裕は無いっスね)

 

「抜かせるかよ!!」

 

「勝つのはオレだ!!」

 

 対する灰崎も、黄瀬の踏み込みに間断なく反応する。がしかし、その動きを予期したかのように黄瀬がボールを瞬時に切り返すと、

 

「……っ!テメェ!オレが反応した瞬間に、切り返して……っ!!」

 

 灰崎は崩れ落ちるようにその場に倒れ始めた。

 

 アンクルブレイク――相手の軸足に重心が乗った瞬間に切り返すことで、相手の足を崩し転ばせる超高等テクニック。通常、偶発的にしか起こり得ないそれを、黄瀬は明らかに狙って引き起こしていた。

 

(直に体験したことはねえが、話には聞いたことがある)

 

 それは灰崎が帝光中学のバスケ部を辞めた後から聞こえてきた噂だ。曰く――

 

 その眼の前では、あらゆる技は封殺され、どんな守りも立っていることすら許されない。

 

 ――キセキの世代キャプテン 赤司征十郎には、相手の動きの未来が視える。

 

「赤司の……天帝の眼(エンペラーアイ)……ッ!まさかコピーしたっていうのか!?」

 

「オレの視ているこの視界(未来)だけはオレのものだ!これだけは、お前にも奪えない!!」

 

(クソがっ……赤司が言ってたのはこういうことだったのかよ……?)

 

 倒れ行く中、灰崎は中学時代の赤司のことを思い出していた。

 

 当時の赤司は普段、冷静かつ温厚、実力もあり人望も厚いという、まさに理想的な人格者を体現する振る舞いをしていた。だが時々、別人のように冷たい眼になる時があった。

 

 そしてあの日、灰崎に強制退部を言い渡した時も、赤司は凍えるような眼をしていた。

 

「お前は黄瀬には勝てない」「バスケ部を辞めろ。これは命令だ」

 

 赤司は一方的に突き放すような言い方で退部を言い渡して来た。当時からプライドの高かった灰崎が、このような物言いをされて素直に頷くはずがなかった。

 

 反射的に赤司の胸倉を掴み、恫喝しようとしたのだが、逆に赤司の底冷えする視線に射貫かれ、灰崎は一歩も動くことができなかった。

 

 まるでナイフを首筋に突きつけられているかのような感覚。初めから灰崎に選択権など与えられていなかった。

 

(あの時の赤司の眼は、マジだった。逆らう者は誰であれ■■■と、本気で言っているような……)

 

「いけぇー!黄瀬ー!!」

 

 響き渡る海常チームの声援に、灰崎の意識が現実に引き戻される。ふと黄瀬の方を見る。その眼は、仲間達の期待に応えようと、まっすぐに前だけを向いていた。

 

(あぁ……赤司。確かにオレはお前には敵わなかっただろうさ。だがな、リョータに負けるっつったのはだけは、取り消してもらうぜ!!)

 

 崩れ落ちてゆく灰崎には目もくれず、黄瀬は一気に勝負をつけようと走り出す。

 

「……アイツの眼はな、仲間との絆だとか未来への希望だとか……そんな曖昧なもん視ちゃいねーよ」

 

 だがその時、ギリギリのところで体勢を立て直した灰崎が再び立ちふさがった。

 

 チームメイトから見た赤司は、厳しくもあるがカリスマを持つ絶対的なリーダーとして映るだろう。付き従うことは大きな安心感を得ることに繋がる。だが一方で、ひとたび敵対した相手には一切の容赦をしないという側面もあった。その扱いはまさに非情の一言。

 

「赤司に敵意を向けられたことがないテメェじゃ分かんねーだろうが……アイツの眼はな、そんなにヌルくねぇんだよ!!」

 

 チームのために戦う。認め合った好敵手との約束を守るために戦う。それらはスポーツ選手として、そして青春を謳歌する一人の高校生として、とても素晴らしい在り方だろう。

 

 だがそれを灰崎は生温いと一蹴する。希望という名の熱を帯びた天帝の眼(エンペラーアイ)にはもはや、対峙した者の心を凍らせるほどの非情さは宿っていなかった。

 

「そんな!今のを堪えた……どうやって!?」

 

 一瞬、黄瀬の動きが止まった。天帝の眼(エンペラーアイ)が通用しなかったことから来る焦りと困惑を、とっさに処理できずにいた。

 

 ……実際のところ、赤司の持つ天帝の眼(エンペラーアイ)自体が灰崎に破られたわけではない。確かに黄瀬の()ではオリジナルに比べて僅かに精度が劣ってはいるのだが、それは些細な問題でしかない。それよりも、灰崎が潜在的に感じていた赤司へ恐怖感との比較に依るところが大きかった。

 

 だがその答えを知らない黄瀬は、迷いで判断を鈍らせていた。

 

「ボケっとしてんじゃねえ」

 

「しまっ――」

 

 灰崎はその僅かな隙を見逃さず、黄瀬の手からボールを奪い取る。そしてそのままスピードに乗り、海常ゴール目指して走りだした。

 

「来いよリョータ!」

 

「クソッ……言われなくても!!」 

 

 灰崎の安っぽい挑発に、黄瀬はあえて乗ることにした。どっちにしても放っておくことはできないのだ。だったら調子に乗らせたところを逆に叩く。

 

 黄瀬は頭を切り替え、灰崎とゴールとの間に割って入った。

 

「いくぜリョータ」

 

 そう言うと灰崎は、ドリブルを続けつつ黄瀬の前で速度を落とした。それを見た黄瀬は、ボールを取り返すべく、腰を落として構える。

 

「さっきのお返しだ!」

 

 だが黄瀬が深く構えるのを狙いすましたかのように、灰崎は再び急加速しフルドライブを仕掛けて来た。瞬時に最低速度と最高速度を切り替えることで相手をかく乱するその動きは、キセキの世代のエース 青峰大輝が得意とするプレースタイルであった。

 

「青峰っちの動きまで!?…………けど、それならコッチも!!」

 

 またしてもキセキの世代の技を使用した灰崎を見て黄瀬は歯噛みする。だが同時にチャンスであるとも感じていた。青峰という存在は、黄瀬がバスケを始めるきっかけでもあり、彼の動きは完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)の中で黄瀬が最も得意とするスタイルだった。

 

 いくら青峰のスタイルを再現したと言っても、灰崎の特性上、我流に仕上げてくるはずだ。どちらがより『青峰』として完成度が高いかと問われれば、間違いなく自分だ。そう判断した黄瀬は、自らも青峰のコピーを発動させることで灰崎の変則的な動きに対応する。

 

「へぇ……」

 

「オレに勝てるのはオレだけだ、とはよく言ったもんっスね……勝負だ!ショウゴ君!!」

 

 『青峰』(黄瀬)『青峰』(灰崎)の第二ラウンドの火ぶたが切られた。

 

 灰崎は前後左右に大きく身体を振りながら、黄瀬に揺さぶりをかける。常人であればその変化に到底ついていけないであろう不規則なドリブル。だが黄瀬は慌てることなく、その都度ペースを灰崎に合わせることで、灰崎の侵攻を防いでいた。

 

 そればかりか黄瀬は、灰崎のギアが切り替わる瞬間を狙って、自らスティールを仕掛けてきた。

 

「あっぶねぇ!」

 

 黄瀬の狙いに気づいた灰崎は、すんでのところでボールを切り返し、辛うじて黄瀬の手を躱した。

 

(惜しいっ……!けど大丈夫。技は奪われていない。キレはオレの方が上だ。次で止める!!)

 

 スティールは成功しなかったものの、今の攻防から、改めて黄瀬は自身の有利を確信した。その様子を見た石田は、充実する黄瀬の気迫を感じ取り、司令塔として灰崎に指示を飛ばす。

 

「ダメだ灰崎。今はまだ攻めきれない……いったん戻せ!」

 

「何寝ボケたこと言ってんだ!いいから黙って見てろ!!」

 

 だが灰崎は指示には従わず、再度黄瀬に一対一(ワンオンワン)を仕掛ける。

 

青峰っち(オレ)だったらどうする……右か、左か……?) 

 

 対する黄瀬は、灰崎の動きを先読みすべく、自分と青峰とをより深く重ね合わせる。

 

 直後、灰崎は黄瀬の右側へ大きく踏み込んだ。と同時に黄瀬も灰崎に貼り付くようにようにして同じ方向に動く。それを見た灰崎はすぐさまクロスオーバーし、黄瀬の左側へと重心を移動させた。

 

(やっぱり!左フェイクからの右!!この場面で青峰っちが一番使いそうな形だ)

 

 灰崎の攻撃は、黄瀬からすると最もオーソドックスな選択であった。だからこそ裏をかく、という駆け引きもあったのだが、灰崎はあえてシンプルな方法を選んだ。

 

 黄瀬は自分の予想通りに動いた灰崎に、思わず笑みを浮かべ、自身も灰崎の移動先に合わせて切り返し始める。

 

「そんなひねりの無い技じゃ、オレには勝てないっスよ!」

 

「違えーよバァカ。今のお前相手に、小細工なんか必要ねえってだけだ」

 

 そう言って、フルドライブの体勢に入ろうとする灰崎。だがそれは黄瀬の予想通りの動きだ。切り返し後の僅かな硬直という絶好のタイミングを狙い、黄瀬はボールに手を伸ばそうとして――イメージと実際の動きとの間に、違和感を抱いた。

 

(えっ……!?追いつけな……い?)

 

 両者ともほぼ同じタイミングで切り返し始めたにも関わらず、どういうわけか黄瀬は重心が右側に残っており、灰崎の動きに一歩追いつくことができなかった。

 

「もらってくぜ!リョータ!!」

 

 灰崎は戸惑う黄瀬を置き去りにし、ゴールに向かって走りだした。明確に流れが切り替わった瞬間。この場にいる誰もがそれを実感したが、それでも諦めるわけにはいかない。

 

 海常チームのメンバーはすぐにヘルプについたが、黄瀬を下した今の灰崎を止めるには、残念ながら力不足であった。

 

「オラァ!!」

 

 叩きつけるような轟音と共に、灰崎のダンクが炸裂する。黄瀬はその様子を呆然と眺めながら、灰崎に抜かれた時のことを振り返っていた。

 

(イメージと噛み合わなかった。自分の中のリズムを崩されるあの感じ……まさか、奪われたのか……!?)

 

 それは、灰崎が緑間と同じ長距離3Pシュートを決めた時には先送りにしていた問題――完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)が奪われた。

 

 その事実に黄瀬は、初めて灰崎に戦慄を覚えた。

 

「ひっでぇツラだな、リョータぁ。せっかくのモデル顔が台無しだぜ」

 

「……ショウゴ君……さっきのは……」

 

 とそこへダンクを決めた灰崎が戻ってきた。軽口を叩く灰崎に対し、黄瀬はただ力なく視線を向ける。

 

 先ほどの青峰のコピー対決、途中までは黄瀬の方が明らかにキレは上だった。だが灰崎は、繰り返される攻防の中でも黄瀬の観察を深め、次第に強奪の精度を修正していった。

 

 その結果、黄瀬自身も最後まで気付けないほどの小さな変調を、少しずつ積み重ねてしまったのだった。

 

「あぁ?悪いけど、ありゃもうお前のもんじゃねえよ」

 

 灰崎はさも当然のことのように言い放ったが、黄瀬は納得できなかった。自分と遜色ない身体能力に、帝光でスタメンを務めていたという実績、それに、見た技を一瞬で自分のものにできるという共通点。

 

 確かに黄瀬に出来ることは灰崎に出来てもおかしくないのかもしれない。それでも黄瀬には、どうしても灰崎に聞かなければならないことがあった。

 

「けどっ……!キセキの世代(あの人)たちに憧れる気持ちとかは無いんっスか!?オレがそれを克服するのに、どれだけ苦労したと思って――」

 

 黄瀬の口から悲痛な声が漏れる。だがその言葉は最後まで紡がれることはなく、灰崎の笑い声に遮られた。

 

「おいおい、笑せんじゃねえよ……憧れだァ?そんなこと言ってるから、テメェはヌルいんだよ」

 

 灰崎は吐き捨てるように言うと、それ以上は何も語ることなく黄瀬の横を通り過ぎていった。

 

 その様子を見送った黄瀬は、拳を握り締めながらスコアボードを確認する。73対77……点差は4点差。残り時間は1分も無く、ここから逆転するためには3Pは必須だった。だが頼みの綱である緑間の高弾道・長距離3Pシュートは、灰崎に使用されたことで奪われている可能性が高かった。

 

(それでも……もう迷っている時間は無い。ここで動かなきゃ、どっちみち負けだ)

 

 己を鼓舞し、迷いを断ち切ろうと、黄瀬は自陣に戻っていく灰崎の背に向けて叫びをぶつけた。

 

「まだだっ……まだ試合は終わってない!!」

 

「――あ?」

 

 突然の大声に、思わず灰崎が振り返る。そこには、スローインされたボールを受け取ったまま動かない黄瀬の姿があった。

 

(ペースを乱されるな。集中しろ。集中……集中……!)

 

 数瞬の静寂が過ぎたのち、黄瀬は意を決する。ゆっくりと目を開くと、ゴールまで20メートルはあるかという距離をものともせずに、シュートを放った。

 

「黄瀬!お前なら大丈夫だ!!」

 

 笠松がさらに黄瀬の背中を押す。夏に桐皇に負けてから、海常は死に物狂いで鍛えてきた。中でも黄瀬は、自身の身体をかえりみないほどに努力してきたのだ。だからあんなクソヤロー(灰崎)に負けるはずがない――誰よりも努力していた姿を間近で見て来たからこそ、海常のメンバー達はこの危機的状況でも黄瀬のことを信じていた。希望の光はまだ消えていなかった。

 

「あーダメダメ。さっきオレのシュート見ちまったもんなあ」

 

 だが彼らの希望は、灰崎の容赦のない宣告によって打ち砕かれることとなる。

 

「他のキセキの世代が相手なら、こんなモン見せたところで技は奪えねーよ。アイツらはマジの天才(ホンモノ)だ。……けど、お前が相手なら、話は別だ」

 

「あ……れ……?」

 

 ボールが最高到達点に達した時、黄瀬自身も隠しきれない違和感を覚えてしまった。

 

キセキの世代(アイツら)の技だけは、どうやって真似るのかさえ分からなかったが……礼を言うぜ、リョータ。お前がどうやって()()してるのか、わざわざ見せてくれたんだからなァ」

 

 普通、シュートは上手い人ほどループの高さがいつも変わらない。事実、緑間のシュートはコート内のどこから撃っても常に一定のループを描いており、その正確さはまるで精密機械のようだと形容されるほどだ。そして先ほどまでの完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)は、見事にそれを再現してみせていた。

 

 だが今の黄瀬のシュートには明らかにブレが生じていた。コンマ以下の精度が求められる緑間の超長距離高弾道シュートにとってそれは、致命的とも言えるミスだった。

 

「けどそれは単なる紛い物(ニセモノ)だ。……だから、お前(ニセモノ)が相手なら、オレでも奪える」

 

 精彩を欠いた黄瀬のシュートに、海常メンバーに不安がよぎる。黄瀬を信じる気持ちとのせめぎ合い中、祈るようにしてボールを見つめる。

 

 そして祈りが届いたのか、ボールは無事に福田総合のゴールに届いた。

 

 ――がしかし、届いただけ。ボールはリングに当たって弾かれ、ゴールネットを揺らすことはなかった。

 

「もう一度言うぜ。完全無欠の模倣(パーフェクトコピー)は、オレのもんだ」

 

 灰崎は自分の所有権を誇示するように獰猛な笑みを浮かべ、親指の腹に舌を這わした。その姿はまるで、獲物を追い詰めて舌舐めずりするハイエナのようだった。

 

「……っ、時間がねえ!とにかく当たれ!!」

 

 そこからの笠松の判断は早かった。黄瀬の技が奪われた……これはもう事実として認めるしかない。だが落ち込んでいるような時間はない。とにかく今できることをやるしかないのだと、チームメイトに声をかけていく。焦りの中、海常チームが一斉に走り出す。

 

 対する福田総合には、幾ばくかの余裕があった。海常は最後のチャンスを逃した、あとは時間一杯まで使ってボールを回していけば自分たちの勝ちだ、と福田総合に早くも祝勝ムードが漂う。

 

「いや、まだだ。黄瀬の言う通り、まだ試合は終わってない」 

 

 だがボールを回収したキャプテンの石田には、そんな気の緩みは無かった。バスケットボールに一発逆転はない……が、それでも諦めない限り可能性がゼロになることはない。そして海常は最後まで誰一人諦めることのないチームだということを、石田は十分理解していた。

 

 ならばこちらも最後まで全力で応えるのが当然の礼儀だと、石田は灰崎にボールを渡した。

 

「へえ……トドメを刺せってか?アンタもなかなかヒドいじゃねーか」

 

「灰崎」

 

「……はいはい」

 

 灰崎は石田の気持ちを汲み取ろうとはせず、ニヤニヤしながらボールを受け取り、その場でシュートフォームに入った。

 

「ショウゴ君――!!」

 

 それを見てもなお黄瀬は、声を荒げながら灰崎をめがけて走り続けた。もう今からでは間に合わないということは分かっていたが、それでも走らずにはいられなかった。

 

「リョータ……最後に手本を見せてやるよ」

 

 灰崎の手からボールが離れる。ブレの無い綺麗な軌道が、まっすぐに海常ゴールへ向って伸びていった。

 

 残り時間を削り取る長い長い滞空時間が、海常チームの心をえぐる。確かに海常は誰一人諦めていなかった。だがそれ故に、その心は着実にダメージを負う。いっそ諦めて無関心になれたほうがまだ楽だったのかもしれない。

 

(あぁ……改めて思う。灰崎、やはりこいつは――)

 

 その様子に、宙を舞うボールを見つめる石田は一人思った。灰崎という男は不真面目で、粗暴で……同じチームでプレーしたいとは決して思えないような選手だ。だが――まぎれもない天才なのだと。

 

 

 

 

 やがて、勢いよくネットを通過したボールが床を打ち鳴らした時、試合終了を告げるブザーの音が響き渡った。

 

***

 

「73対80で福田総合学園高校の勝ち!礼!!」

 

 試合終了の知らせに、場内は騒然としていた。()()黄瀬涼太を擁する海常高校が、注目高ではなかった福田総合を相手に敗退したという事実に、観客はわが目を疑った。だが彼らは、『キセキの世代』と呼ばれた黄瀬を圧倒した灰崎の実力を認めざるを得なかった。

 

 一躍注目選手となったことで、『黄瀬と入れ替わりで退部した元帝光中のスタメン』というセンセーショナルな過去はあっという間に広まるだろう。

 

 その時、『キセキの世代』と呼ばれているのは果たしてどちらだろうか。

 

「ショウゴ君……」

 

「オレの勝ちだ、リョータ。キセキの世代っつう呼び名、返してもらうぜ」

 

 ベンチに戻る前に、灰崎は改めて自分の勝利を宣言しようと、黄瀬に声をかけた。

 

「そんな肩書きなんかどうでもいい…!そんなことよりっ……頼みがあるっス」

 

 だが黄瀬は、肩書き自体に未練は無いという。それよりも約束して欲しいことがあると。

 

「オレは黒子っち達と次の準決勝で必ずやるって約束してた……だから!次の試合は、全てを出し切るぐらい全力で戦って欲しい……せめてものお願いっス」

 

 黄瀬は言い終わると、うつむいて悔しさに歯を食いしばった。黄瀬にとって、灰崎に負けたことよりも、黒子との約束を果たせなかったことのほうが悔しかった。信じている、そう言ってもらったのに、それに応えることができなかった自分が許せなかった。だからせめて、自分の代わりに誠凛とは全力で戦って欲しいと、準決勝への思いを灰崎に託そうとした。

 

「ハァ……どいつもこいつも、自分勝手なことばっか言ってんじゃねえよ」

 

 それを聞いた灰崎は、心底面倒そうに溜め息をついた。

 

「オレがバスケに復帰したのはただのヒマつぶしだ。お前らの中からキセキの世代の座を奪っちまったら、あとの試合になんかキョーミは無ねえよ」

 

「っ……ショウゴ君……!アンタは昔からッ……なんでいつもいつもそうなんっスか!?」

 

 自分たちの思いを踏みにじる返答に黄瀬は、思わず灰崎のユニフォームを両手で掴んで詰め寄った。

 

「知るかっつってんだろ。あいにくオレは、お前らと違ってバスケを何とも思ってねぇんだよ」

 

 分かったら放せよ、と黄瀬の手を払いのける灰崎。黄瀬の反応が気に入らなかったのか、舌打ちをすると、つまらなさげにコートから出ていった。

 

 一人残された黄瀬は頬を濡らし、「ごめん……黒子っち、火神っち」とうわ言ように何度も繰り返していた。

 

 

 

 

 一方そのころ、両チームの主将同士もまた、言葉を交わしていた。

 

「うちの負けだな。正直効いたぜ、最後のは」

 

「……笠松か。気の毒だが、悪いとは思わんぞ」

 

「いいさそれは。勝負の世界だ」

 

 口では謝らないと言いながらもどこか気まずそうな石田を見て、笠松は苦笑いしながら答える。だがそれもつかの間、ここからが本題だといった様子で表情を引き締め、続けてこう言った。

 

「けどアンタ、いつまで灰崎(あんなやつ)に好き勝手やらせるつもりだ?こう言っちゃなんだが、調子に乗らせると厄介なことになるぜ。あの手のは」

 

「……あぁ、分かっている。きっとうちのチームはロクな事にならないだろな。だがここまで来てしまった以上、アイツにはまだ働いてもらわないと困る。だから、せいぜい最後まで使()()()()()()さ」

 

 笠松の忠告に対し石田は、百も承知だと答えた。そして、決意を固めるように一呼吸置くと、

 

「毒を食らわば皿までだ」 

 

 静かにそう言い切った。

 

――――

――

 

 こうして、ウィンターカップ5日目は幕を閉じ、ついに4強が出揃った。激戦を勝ち抜いてきた彼らだが、その原動力となっているモノは人それぞれだった。例えばそれは――

 

 勝利という名の責務を全うするため。

 あの時の誓いを果たすため。

 仲間と共に夢を掴むため。

 

 ――そして、ただ我欲を満たすため。

 

 それぞれの理由を胸に、選手達は明日の試合に向けて英気を養うべく、会場をあとにする。

 

 帰り道、吐く息は白く……だが彼らの心は、季節外れの熱気に包まれていた。




ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

私はかませ犬っぽいキャラが大好きで、灰崎という存在はクリーンヒットしました。
灰崎みたいなクズがクズのまま、黄瀬君みたいな努力家で才能あふれる人に、
まっとうな勝負で勝つという話を読みたい、という思いから書き始めました。

黄瀬君には申し訳ないことをしてしまいました。
黄瀬クラスタの方々、すみませんでした。

……まあ黄瀬君たちも中学時代はなかなかクズなことやってたので、
アンチ帝光は灰崎のせいみたいな風潮には疑問ですが。

少しでも灰崎好きの方に楽しんで頂ければ幸せです。

最後に、

黒子っちのミートボールを食べた手と反対の手を舐めてた灰崎は可愛い。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。