深夜というにはまだ早い。
けれど辺りはすっかり暗闇に呑まれていて、街灯には羽虫が群がっているのが見えた。静かな公園で、虫のさざめきくらいが耳に入る。
だから、その音はよく響いた。
ザッ、と砂利を踏んだかのような音が、すぐ横の野球場に繋がる階段から聞こえた。全身の毛が逆立つとは、このことなのだろう。階段を見やるが、なにもいない。だというのに、何者かが階段を登ってくる音は止まらない。
気が付いたときには既に走っていた。本能があの場所に居ては駄目だと判断したのか、僕は夜道を駆けた。
なだらかな丘を渾身の力で蹴り、身体を加速させる。すでに虫のさざめきも気にならないほどに動転していて、風切音だけが耳に入る。体の疲れなど忘れていた。
コーナーで差をつけることで有名なこの靴は、この瞬間のためにあったのかと錯覚する。瞬○まじリスペクト。
しかしそのとき、なんの前触れもなく、靴紐が解けた。
そして、前もって打ち合わせでもしていたのかと疑うほどに、僕はきれいに解けた靴紐を踏んで、地面に転がることとなった。靴紐をきれいに踏む選手権があれば、準優勝くらいなら狙えそうなほどに自然な流れで踏んだ。
これほどこの靴を恨んだこともないだろう。○足許さん。
立ち上がろうとしたそのとき、なにかに手を掴まれた。
ひんやりとしていて、どうしようもなくその手は白い。豆腐くらい白い。華奢な腕で、生気は感じられない。きっと箸より重いものなど持ったことがないのだろう。けっ! このぼんぼんめ!
……そいつが幽霊ということは、なんとなく理解した。
僕は幽霊に手を引かれて、階段を下っていた。先には、野球場がある、はずだ。はずなのに、僕は違う気がした。
目はもう暗闇に慣れているはずなのに、なぜだか何が前にあるのかわからない。そこで、思った。これはもしや、ピンチなのでは? と。
幽霊は僕を暗闇に引きずり込もうとしている。その先は死後の世界か、あるいは出口なんてない茫洋とした闇が広がっているだけだろうか。あとは異世界転生なんて可能性も微粒子レベルでありそうだ。
そこで、自分の中に沸々と浮かび上がってくるものの存在に気づいた。それはきっと、怒り。この世には、抗いようのない理不尽がある。これもきっと、そのたぐいだ。
けれど、多くの理不尽は、目に見えない形でやってくる。しかし、僕は目の前の幽霊は見えていた。
だから、抗った。
「えっ?」
腕を振りほどいたのだ。今まで特に抵抗もなかった僕がそんなことをしたからか、幽霊はキョトンとして声を漏らした。
それから僕は、すばやく幽霊の手を取る。はやい。
「僕をあっちに連れて行くんじゃなくて、お前がこっちに来るんだよ」
僕は幽霊を連れて、来た道を引き返していく。動揺は既になくなっていて、虫のさざめきが聞こえた。
「え、ええ……」
幽霊は困惑の声を上げながらも、その手を振りほどこうとはしなかった。解けた靴紐が地面に擦れる。
その音で気づいたが、瞬○に罪はないのだ。今度マジックテープの靴を買おうと心に決めた。
瞬○さんすみません。