「なあ桜、まだまわるのか?」
ヴェルデを彷徨くこと四時間、私の疲労は限界に達しようとしていた。
実体化したまま付いてくることを選ばなかったライダーは実に賢い。本命の理由は遠坂の監視を嫌っての事だろうけれど。
両手にぶら下げた紙袋は七つ。幾つかは違う店で買った物をまとめてあるから実際はもっと多くの店舗を回ったことになる。
なにより流行に逆らう私の趣味を店員に諒解させるのが辛い。益のない会話がこんなにしんどいものだとは知らなかった。
店舗を変える度にその手間が発生するものだから、私は途中から無口を装って桜の後ろに隠れていた。
いざ買うとなっても桜はいちいち試着するように強要してくる。
そんなことをせずとも桜が買ってきた服でサイズに困ったことは無いのだからと言おうものなら精神攻撃が容赦なく飛んでくる。
普段ならともかく弱った私に逆らう術などなく、只々桜の着せ替え人形になる他なかった。
一日に二十回以上着替えたのは初めての事だと思う。必要のない経験だ。
「んー、もう一軒ぐらい回りたいですが、お腹が空きましたね。ご飯にします?」
「そうだな。うん。実にお腹が空いた」
腹など減っていないがこれ以上は嫌だ。
憔悴している私とは対称的に桜は出発前より元気になっている気がする。
「何にしましょう? 姉さんは食べたいもの、あります?」
「長く座っていられるところならどこでもいいよ」
「あはは、立ちっぱなしですからね」
そういうことじゃないけれど、もうなんだっていい。帰りたい。
『ハサン、遠坂はどうなった?』
『上から皐月達を眺めている。あちらも相当参っているようだな』
買い物をしているだけならともかく、監視のために四時間張り付くのは辛かろう。仲間意識が芽生えるのと同時に少しだけ同情した。
何にせよ付き合ってくれたことには感謝しなければならない。
これで早々に見切りをつけて帰られては意味が無いのだ。
陣営ごとに見れば安定した強さを持っているように見える衛宮と遠坂の同盟だが、個々の戦力として考えた時、衛宮は大きな弱点だ。
聖杯戦争を単純化して捉えれば、各陣営には平等にリスクが振りかかる。
こうして遠坂を切り離しておけば、衛宮は一人になる。サーヴァントの性能までは知らないが、半人前故に背負うリスクは跳ね上がる。
遠坂とて同盟を組んだとなれば衛宮になんらかの対策を与えているだろうが、魔術も心構えも一朝一夕で身に付くものではない。
身に危険が及べば当然衛宮は遠坂に援護を要求するだろうし、そうなればその危機は私の知るところになる。
それがどれだけのメリットを私に与えるかは語るまでもないだろう。
そういう意味でこの餌に掛かったのが遠坂だったのは幸運と言える。
もちろん他の陣営が釣れた時の事も考えていた。
ランサーはそもそも私をマスターだと知っている。サーヴァントニ騎を相手に、それも昨日襲撃されたマスターが無策でうろついているとは考えまい。
バーサーカーならどうか。打倒するとなれば十分な脅威だが、逃げるだけなら容易く、また場合によってはハサンによるマスター殺しを狙える。
衛宮なら懐柔してもいい。三流魔術師相手なら手の打ちようはいくらでもある。
オムライスを専門に食べさせる某チェーン店へと入る桜の背を追いながら、私は次の状況を考える。
昨夜とは違った意味で疲れきっている姉さんは当然のように店の一番奥、六人掛けの席を占拠した。
時間は二時を回った所で店内は空き始めたようなので、邪魔になるということもないだろうけれど、傍若無人に見えて人並みには気を使う姉さんらしくない振る舞いだ。
心が荒むほど疲れているのかもしれない。
『ライダーも疲れた?』
『いいえサクラ。しかし、サクラは意外と丈夫なのですね。サツキの疲労は納得ですが』
テーブルに顎を乗せようとした姉さんがちらりとこっちを見て、肘をついて顎を支えるに留める。
本当に疲れているようだ。
「姉さんはやっぱり買い物嫌いなんですね」
「なんだ、顔に出ていたか?」
的はずれなことを言う姉さんが面白く、わたしものってみる。
「はい。眉間に皺が寄っていますよ」
額に手を当てて眉間を揉みほぐしている姉さん。たまに抜けた事をする人だが、未だにわたしはその真贋を見抜けない。
ふと姉さんの眼が一点を見たままなのに気づき、視線を追って振り返る。
「ああ。映画とかでよくありますよね」
追った視線の先にあったのは店の入口。姉さんはそこを視界に入れられる位置を選んだのだと納得した。
「ん、うん。ほら、あいつの性格を考えるとありそうだろう?」
あいつ。遠坂先輩の事だろう。
ライダーから教えられた時には取り乱しもした。この外出の意図は聞いていたけれど、遠坂先輩は学校に行くものだと思っていたし、姉さんはわたしがそう考えていることを知って否定しなかった。
「姉さんはずるいですよね」
「ずるい、か。桜に言われるとは思わなかった」
意外そうな顔で姉さんは言う。
「わたしは正直者ですよ」
「私だって嘘はつ────吐くこともあるけどさ。なんだ、意地悪な姉が弱ってるのをいいことに、今のうちにいじめておこうという算段か?」
らしからぬ全面降伏。それでもわたしを悪者にしようとするあたりが姉さんの強かさなのだろうか。
「はい。こんな機会でもないと姉さんは買い物に付き合ってくれないでしょうし」
「買い物に行く度いじめられるとなったら尚更買い物が嫌いになるな」
残念。姉さんは終始仏頂面だったけど、誰かと買い物に行くのはとても楽しかったのに。
『さ、サクラ』
『どうしたのライ────』
「へえ。間桐先輩は買い物が好きでもないのにわざわざ学校をサボってまでこうして出歩いていたんですね。酔狂がすぎるんじゃないですか?」
声。
あり得ることだとわかっていたはずなのに動揺してしまう。
姉さんの眼が先ほどと違いわたしの後ろを見上げている。気付かなかったのはわたしの落ち度だ。
「遠坂こそ。買い物をするでもなくわざわざ学校をサボってまでヴェルデの中を四時間もうろついていたんだな。酔狂がすぎるんじゃないか?」
姉さんからだるそうな気配が消し飛ぶ。
わたしはゆっくりと振り返り、目が醒めるような赤を認めた。
「…………遠坂先輩」
「…………こんにちは間桐さん」
目を合わせることを躊躇うようならしくない逡巡のあと遠坂先輩は短く応えた。
衛宮先輩の家での一件以来顔を合わせるのが気まずい。あの後姉さんが怒鳴り込んでしまったし、姉さんからその顛末も聞き及んでいる。
「それで。遠坂も昼飯か?」
「ええ。いい加減疲れたわ。相席いいかしら?」
二人の声に敵対的な色がない事に愕然とする。先日の一件を分けて考えてもわたしも遠坂先輩もマスターだというのに。
「ふむ。私個人としては学園のヒロインが一人寂しくオムライスをかっこむ様子とかに興味があるんだが、桜、どうする?」
「えっと…………」
いっそ姉さんの態度は楽しげで、その心中がわからない。
「ほんと意地が悪いわね」
遠坂先輩も了承すら取らないまま席につき、メニューを眺め始める。
「なんでそんなに…………」
自然で居られるんだろうか。理解できない。
「別に不思議な事じゃないぞ桜。ここは平日昼過ぎの平和なレストランだ。外面を気にする遠坂が猟奇的な事件を起こしたりはしない」
「あら、その割に間桐先輩は飢えた犬みたいに眼をぎらつかせてますね」
毒を吐く姉さんをメニューから視線を上げた遠坂先輩が見下ろす。
自然というのはわたしの勘違いのようだ。周囲の気温が下がったような錯覚を覚える。
精一杯無関係ですという顔を取り繕い、運ばれてきた料理を受け取る。今のやり取りがウェイターさんの耳に入っていなければいいのだけれど。
「それはもちろん隙あらば私はお前の首を圧し折ってやるつもりだからな。鬱陶しい外野さえいなければ躊躇いなくポッキリやってやるんだが」
「平和な午後に物騒な話を持ちださないで下さいますか?」
遠坂先輩の表情は何かに勝ったというようなそれで、
「物騒? 痴情の縺れは今時昼のお茶の間で流れる程度には茶飯事だぞ」
しかし姉さんの一言で表情を改めた。
「…………あくまでそういうスタンスなわけね」
「そういうことだな。なんだってお前と情報交換なんかしなきゃならない?」
つまり姉さんの言う外野とは周囲の客の事で、遠坂先輩はサーヴァントを指していると受け取った。ここで聖杯戦争の話には付き合わないと姉さんが突っぱねた形だ。
「へえ。貴方はそうでも妹さんはどうでしょうね。ねえ間桐さん?」
あっさりと遠坂先輩はわたしに矛先を切り替えた。
そもそもわたしは自発的に聖杯戦争に参加しているわけじゃない。考えるのは姉さんとお爺様の仕事で、私はそれに従うだけ。だから、
「えっと、わたしはその」
視線で姉さんへと助けを求める。
「うちの妹をいじめないでくれないか遠坂。しかし柳洞の眼は正しかったな。今のお前は毒婦そのものだ」
「ちょっと、なんで柳洞君が出てくるのよ。あと関係ない人は引っ込んでいてくださいませんか、間桐先輩?」
その言葉を受けて姉さんは黙った。
ただ、その様子が尋常ではない。遠坂先輩の舌鋒に気圧されたと言うよりは、魔術の探求時にたまに見せる深い思考に落ちるような集中。
「…………関係ない? 舐めているのか、遠坂」
低く威圧するような声色。先ほどのような遊び混じりのそれではない。
「もちろん。三流魔術師相手にわたしがどうしてまじめに取り合わないといけないのかしら?」
何かを含ませるような遠坂先輩の答えだが、姉さんは意に介さない。
「…………いや、そこまで程度が低いとは思っていなかった。私は何度も告げているのだがな。ふん、これではわざわざ時間を潰した意味が無い」
まるっきり興味を無くしたように姉さんはオムライスを食べ始める。
「うん、うまい。遠坂も早く何か注文してしまえ。私達が食べ終わってもお前を待っていてやると思わないことだぞ。気にしないというならそれはそれで面白いが」
敵意の欠片もないそれは普段姉さんが使う外面で、つまりはこれ以上遠坂先輩に取り合う気は無いという意思表示。
わたしはそれに従うしかないし、物騒な話は好きになれないから不満もない。どちらにせよわたしのしたい事はこの場ではできないのだし。
姉さんに倣ってスプーンを手に取る。
しばらく食器の音だけが場を支配する。遠坂先輩は沈思するように黙っているし、姉さんはただ食事のみを楽しんでいる。
「…………そう。じゃあ私はこれで失礼するわ」
椅子を引く音と共に遠坂先輩が立ち上がった。
「なんだ、食べないのか」
「ええ。邪魔したわね」
「構わないさ。なあ桜」
「はい。遠坂先輩、また学校で」
既に背を向けている遠坂先輩。迷った末にそう声をかけた。
「…………ええ、またね。間桐さん」
小さくだけど、遠坂先輩は確かに返事をくれた。
昼食後、買い物を切り上げたわたし達は依然続く遠坂先輩からの監視を受けつつ、駐輪場に立っていた。
問題は側車に荷物を押し込んだため一人乗れないということ。
「んじゃライダー、桜を家までちゃんと送ってくれ」
そして当然のように姉さんが別行動を取ろうとしていることだ。
「それじゃ姉さんが危ないですよ」
この人はつい昨日死にかけたのを忘れているのだろうか。
サーヴァントと敵対して逃げ切る事ができる訳などないのだ。よしんばそれが叶ったとしてもそんな幸運は何度も続かない。
死んでしまえばそれまでで、血道を上げて伸ばしてきた手も無意味になるというのに。
「幸いさっきの会話で遠坂が全く私を危険視していない事が分かったからな。十中八九お前の後をつけるさ。ちょっと考えれば桜の行動にわたしが介入していることぐらい分かるだろうに」
どうやら姉さんの不満は過小評価されたことにではなく、遠坂先輩が自分の出したヒントに食いついていないことに対しての物だったらしい。
なんでも思い通りに動かしたがるところは姉さんも兄さんもそっくりだ。
「あれ、じゃあ今日の外出も無駄なんですか?」
「…………いや、無駄ではなかったさ。私の予測を外れたというだけで、遠坂とは実りある会話ができた。私はそろそろ遠坂を舞台から下ろしたい。桜、遠坂とサシで話をするなら今のうちだぞ」
そして姉さんが兄さんと違うのは、人の考えを予測することに長けているという点。
百中というほどではないし、正鵠を射ていない事もあるけれど、大きくは外さない。確かにそれはわたしの望みだ。
まずはそこを片付けなくてはわたしは何も選べない。
「いいんですか?」
「いいさ。私はお前の自由を尊重する。話したくないことは話さなくていいし、聞けと言うなら耳を傾けよう」
それだけわたしに責任を負わせるという事で、だから私は姉さんが恐ろしい。蟲は自ら考える必要など無いというのに、姉さんはわたしに人を思い出させる。
矛盾。いや、いいのだ。考えるのはわたしの役目ではないのだから。
「サツキはお一人でどちらに?」
「衛宮にでも会いに行こうかと思う。こじれそうなら桜を連れてうまく逃げてくれ。桜に撤退の判断は難しいだろうから」
息を呑んだライダーが何を言おうとしたのかは分かる。
単身でサーヴァントを従えるマスターと相対する危険性。特に完全に敵対関係にあることを指摘しようとしたのだろう。
「口を挟んでくれなくて助かるよ」
それは言っても無駄という諦めだろうか。
「姉さん、先輩になにを…………」
「ただの確認と揺さぶり。そんな恐い顔をするな。衛宮に手は出さない。まだ悩んでいるんだろう?」
姉さんはよく嘘を吐く。すぐばれるような嘘から、それこそまだわたしが気付いていないような物まで。
だからせめて自分で見極める。
半ば睨むように覗きこんだ姉さんの眼は揺れること無くわたしの眼を覗き返していて、ただ表情は満足そうに笑っていた。
「はい」
「うん。じゃあ気をつけて」
ライダーに発進を促すように手を振り、姉さんは一歩下がった。
「サツキこそ気をつけて下さい。マスターに心労を掛けられては困る」
「それはもっともだ」
ライダーの腰を抱きながら姉さんを振り返る。
遅れて目立つ赤い服がタクシー乗り場へと駆け込む。姉さんの読みは当たっているようだ。
つい腕に力が入り、ライダーが変な悲鳴を挙げた。
間桐邸、遠坂邸は洋館というもの珍しさもあって目立っているが、衛宮邸は純和風の大邸宅といった風情でやはりこの界隈では目立っている。
大きい屋敷と言えばもう少し先に藤村の屋敷があったりするのだが、極道の屋敷と大きさを比較できるこの家は少々妙だとは思っていた。
桜の話では衛宮は一人暮らしだし、その養父、という人物も五年ほど前に彼岸の住人になっていると聞いていたからだ。
「まさか、あの男に育てられたとはな」
肩越しに髪を撫でる。
十年前、恐らくは衛宮切嗣に持っていかれた髪と左腕。
髪の恨みを義理の息子に返すほど私は暇でも偏執的でもないが、思うところが無いわけではない。
開け放たれた門を潜るとからん、と澄んだ鐘の音が鳴った。
「へえ、侵入者相手の結界としてはよく出来ている」
タタタ、と走ってくる足音を待たずに、インターホンを押す。
敵意はあるが別に殺し合いをしにきたわけではない。
やりたい、というのなら付き合う心積もりだが。
「…………間桐先輩か。一体何の用ですか?」
家の奥から現れた衛宮はエプロンをつけていた。やけに似合っている。
料理が得手というのは本当のようで、やけにいい匂いがする。シチューか何かだろうか。昼飯を摂った直後だというのに食指が動く。
「いやなに、近くを通ったから顔を見に来ただけだ。先日は失礼をしたからな」
我ながら中身の無い答えだな、と苦い笑いを隠せない。
「戯言を。言え、一体何が目的だ!」
音も無く側に寄ったセイバーがその不可視の剣先を私の喉元に突きつけていた。
もちろんハサンを通して知っていた私は、微動だにせぬままセイバーを睨み、そして衛宮へと視線を移す。
衛宮は話をしにきた相手を切りつけるような男ではない。
「セイバー、やめてくれ」
「しかし────」
反論は認めないと言わんばかりの強い視線にセイバーが黙る。なかなかどうしてマスターをしている。
「…………それは、俺も配慮が足りなかったからいいんです。ただ、遠坂に聞いたんですけど桜がマスターって本当ですか?」
「そうだ。だから桜の身を案じて、という理由で桜を側に置かないのは無意味だ」
「でも…………桜には────女の子に危ない目に遭って欲しくないんです」
それは論理として完結していない。
「お前は遠坂を側においているだろう? そこに桜が居ないのは何故かと、ただそれだけの話だ。お前の側が危ないと言うのなら遠坂は危険に晒していいと言う事になる」
「それは…………」
しかしなんだって私は小姑の真似事をしているのだろうか。
「まあマスターとしての助言でも貰って借りがある、というなら分からんでもないがな。お前は惰性で遠坂と同盟を組み、桜を退けたのか? そうだとすれば二人に対して失礼だ。よもや桜の気持ちに気が付いていないわけではないだろう?」
「遠坂との同盟にそんな感情なんか挟んじゃいない。桜の気持ちにはきちんと答えを出す。どうなるかはまだ分からないけど傷つけるような事はしない。それじゃだめなのか?」
憮然とした態度の衛宮だが、まるで分かっていない。
これは要するに、とある姉妹の殺し合いが現実になるとすれば、そのきっかけはお前にあるのだぞ、という未来への呪いなのだ。
長期的には桜が間桐の家に養子に出されたことが始まりだが、人の感情は過去ではなく現在で爆発する。
過去を理由に感情を燃やしたければ忘却を防ぐためにもその出来事を掘り返し続けなければならない。耐性と摩耗、そして習慣。
「ああだめだ。桜にしてみればそれは裏切りも同然だ。それでもお前を憎めない桜の気持ちが何処に行くと思う?」
「まさかリンに?」
反応の悪い衛宮より、セイバーが先に声を上げた。
「サーヴァントとは言えやはり女だな。絶対にとは言わないが無い話ではないだろう? 感情は理屈を飛び越える事がままある。殺しあっていなければいいが」
さも愉快だと言わんばかりに表情を作る。
「殺し合いってそんな、桜達はどこにいるんだ? そうなるかもしれないんなら何故止めない?」
掴みかかってきた衛宮を嗤う。
まるで分かっていない。
ふ、と膝の力を抜く。
自然衛宮は私に覆いかぶさるように倒れこんだ。
「あ、わ、悪い────」
慌てて起き上がった衛宮の手を払いのけ、ゆっくりと立ち上がり埃を払う。
「自らの非を追及するより先に、他人を暴力的に問い詰め、目的を果たす為には手段を問わない────養父にそっくりだな、衛宮士郎」
そして動揺した精神を更に揺さぶる。衛宮が亡き養父を敬愛しているという話は桜から聞き及んでいる。
「何、を」
「お前の養父は衛宮切嗣だろう? 十年前危うく殺されかけたからよく覚えているぞ」
殺されかけたと言うのは誇張ではない。左腕を失っただけですんだのは、私が何一つ情報を持っていなかったからだ。
「爺さんが、そんな、う」
「嘘じゃない。いきなり家に乗り込んできて、まだ七つだった私に向かって発砲を交えながら楽しい尋問をしてくださった。あれほど過激ではないが、今のお前の振る舞いはそれに近かったよ」
襟を糺しながら息をつく。
衛宮は口を閉じ開きし、そのまま黙った。
何故かセイバーまで目を伏せている。
「まあ、その事については別に根に持ってるわけじゃない。髪と────大事なものを一つ持っていかれただけだ──────質問に答えようか。何処でかは知らない。途中で抜けてきたからな。そして何故止めないか。それは桜にはそうするだけの理由があるからだ」
「理由って…………」
「それをお前に語るわけにはいかない。お前が桜の旦那になると言うのなら言っておかねばならない事だが、今のところその気はないんだろう?」
「だけど理由が分からないと」
「いつでも訳が教えられるなどと思うな。分からんなりに考えろ。一年近く側で桜を見ていて凡その人物すら把握できないのなら、それは衛宮、お前の過失だ」
そうだろう、と衛宮を見返す。
言い返せない衛宮に代わりセイバーが口を開く。
「…………サツキでしたか。貴方の言っていることは正しい。だがマスターを混乱させないで欲しい。シロウはこういう判断に慣れていないし、貴方の言葉が正しいならシロウには落ち着いて考える時間が必要だ────シロウ、リンとの同盟を考えると助力はしておきたいが場所が分からないのでは話にならない。何か連絡を取る手段は…………リンは機械音痴でしたね、そういえば」
セイバーが家の奥を振り返る。電話がそっちにあるのだろう。
しかしこいつは私の前で連絡手段の有無を明かすデメリットを理解しているのだろうか?
「とにかくサツキとてこうして話をしにきた以上その戦いを望んではいないはず。今の話にも嘘はないでしょう」
射抜くようなセイバーの視線は目を逸らす事を許さないものだった。
「嘘ではないが、遠坂と桜の殺し合いについてはそうでもない。桜が迷いなく遠坂を殺すと言うのならそれでいいし、自分で手を下せぬが邪魔だと言うのなら、私が殺してやってもいい。恨みは忘れようと思う、というならそれはそれで構わん。わかるか?」
桜に追従するようで、行動を後押しし、或いは代行する指針。
不満そうな衛宮とは裏腹にセイバーは悲しげに、しかししみじみと目を閉じた。
「…………貴方は本当にサクラを大事にしているのですね」
ときたま姉としてのポーズ以上に踏み出してしまうのはそう言う事なのかもしれないが、ただ肯定するのは癪なので無視した。
「このまま対象が衛宮に転べば、セイバー。私はお前達と完全に敵だ。人とサーヴァントとの差など関係ない。私はお前を出し抜き、衛宮を縊り殺す」
「そうならない事を願いますが、その時は容赦なく、躊躇なく、貴方を殺して見せましょう」
それはこの状況下で私が受けられる最大の賛辞だった。
セイバーの眼を見返し頷く。
「私の用件は以上だ。言いたいことは言わせてもらったよ」
「そうか。じゃあ、帰ってくれ。少し考えたい」
素っ気ない返事を背に言われるまま衛宮邸を辞す。
衛宮に楔は差し込んだ。これで残すところはアインツベルン。
「さて、桜はうまい事やってるかな」
ゆっくりとではあるが前に進んでいる感触に満足しつつ、桜の考えを読もうとしてやめた。
桜は一人前。私のすることなど当たりをつけているだろう。