蟲の女王   作:兼無

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特には。


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「それでは桜のこと、しかと頼んだぞ、皐月」

「ああ、面倒だが任された。爺様も気をつけてな」

「うむ」

 

 なんてやり取りと共に、爺様は例年通り各地に散らばる土地の管理のための行脚へと旅立っていった。全く冗談じゃない。

 私はこれでも学校に通う身だ。つまり平日の半分を学校に拘束される。

 その間桜は家に一人でいることになる。頼んだ云々はつまり、桜を一人家に置いて不自由がないようにしておけ、ということだろう。

 

「爺様もよくやる。勝手に養子を取ったかと思えばこれだ」

 

 ため息混じりに呟きながら屋内へと引き返すと、桜と目が合った。

 黒く艶やかだった髪は色を失い暗い青に染まりつつある。それは間桐の色だ。

 桜がうちに来てまだ一週間と立っていないというのに。

 たった一週間であの用心深い爺様が目を離して良し、と判ずる程度には桜の様子はひどい。諦めきっているというよりは、そういうものなのだと信じている。

 そうでもしないと心が保たないのだろう。

 

「爺様はいつもなら暫く帰って来ないが、聖杯戦争の事もある。うちから参加する予定の者が無いとはいえ家を開けっ放しにはしないはずだ」

 

 ならば現実という奴をきちんと理解しておいてもらった方がいい。桜の恐怖は時を置かず戻って来ると、そう伝えた。

 

「…………わかりました」

 

 桜の表情は欠片も変わらない。

 

「しかし困ったな。私は普段桜が何をされているか知らん。任せたぞ、なんて言われてもさっぱりだ」

 

 わざとらしく独り言めいた言葉を桜に聞かせる。

 盗み見た桜の顔に一瞬期待めいたものが見えたが、すぐに元の抜け殻のような顔に戻った。

 爺様め。随分いじめたようじゃないか。

 

「そうだな。出かけるとしようか、桜」

「…………外に、ですか?」

 

 意外で、そして不安なのだろう。何しろ私は桜をいじめる爺様の孫であり、その爺様から桜を任された人間だ。

 外に何をしに行くのか気になって仕方がないという顔だ。

 

「ああ。ただの買い物だから着替えておいで。ただし連れて行くのには条件がある」

「条件、ですか?」

 

 少しだけ表情を取り戻した桜の顔が固まった。

 

「そう、それがいけない。いいか、内面は隠し通せ。無表情では爺様を欺くには足りない。笑え。できるだけ綺麗に、自然にだ。この家でうまくやっていく為の最低条件だし、普段も使える便利なスキルだ」

 

 そうとわからない作り笑いは恐ろしい。

 同時に内面を他者の目に晒さないという事は、誰一人自分の在り方を咎めてはくれないということ。

 あらゆる自制を自分で課さねばならない。

 だが、それができぬのなら桜は壊れる他ない。

 或いは本心を見せられる程信用の置ける者があれば話は別だが、桜の場合はそれも難しい。

 

「私には人形を妹にする趣味はない。出来るか、桜?」

 

 暗に、それができねば僅かな手助けすらしない、と私は言った。

 

「…………今は、無理です。でも、いつかきっと」

 

 なるほど、遠坂の姉妹が俊英だというのは本当だったらしい。

 

「よし。それじゃ今日から私がお前の姉さんだ。宜しくな、桜」

「はい、姉さん」

 

 酷く出来の悪い笑顔だったが、それでも今は十分。

 実の姉を置いて私を姉さんと呼び、なお笑ってみせたのだからこれ以上を求めるのは酷と言うものだろう。

 

「それで、何を買いに行くんですか、姉さん?」

「心の守り方は教えてやったからな、次は体だ。何かとうちの魔術はハードでな。鍛えておいて損はないが、鍛えるには糧がいる────桜、お前料理はできるか?」

「手伝いをしたことはありますけど…………」

 

 ならば手際は側で見ているか。

 ウィッチクラフトなどは料理と段取りは変わらない。優れた魔女は料理も上手いのだ。

 間桐の魔術に限ればそんなものは何の役にも立たないが、あって邪魔なスキルでもない。

 

「私も上手いわけではないが教えてやる。嫌でも食っておけば気力になる。それが旨ければ尚更だ。簡単なものから始めよう。何か食べたいものとか作ってみたいものはあるか、桜?」

「えっと、最近暑いですし冷やし中華とかどうでしょう?」

 

 ちょっと簡単すぎる気がしないでもないが、桜がどの程度できるのかを見るにはちょうどいいかもしれない。

 

「いいんじゃないか? 商店街まで歩くからそういう格好をしておいで」

「はい、姉さん」

 

 幾分足取りが軽くなったように見える桜を見送りながら、柄にもない事をしている自分が少しだけおかしく笑ってしまった。

 

 

 

 

 

 桜が私の妹になって三ヶ月ほどが過ぎた夜の事だ。壁越しに桜のすすり泣く声を聞く事もなくなり、私も低調でしか回せない魔術回路に慣れてきたとあって、私は久方ぶりの安眠を味わっていた。

 だというのに、

 

「何事だいったい」

 

 そんな安息が、階下から響き渡る物音で台無しになった。

 ぱっと思いついたのが父のヒステリーだったが、父は家を空けている。なんでも聖杯戦争中家に居たくないらしく、その準備に奔走しているようだ。

 何にせよ考えていても仕方がないとベッドから起きだした所に、コンコン、と控えめなノックがあった。

 ドアを開けると桜が寝間着のまま部屋の前に立っていた。

 

「桜も起きたか」

 

 よもや別な用でもあるまい。この妖怪屋敷では夜一人でトイレに行くのが怖いなんてつまらないホラーは起こらないのだ。

 いやまあ、慎二に限って言えば、夜中にこの家を一人で歩き回るのが怖いと、たまに私の部屋にやってくるのだが、あれも妹が出来たと気を張っているのでそんな無様を晒すまい。

 

「はい。一体なんでしょうか?」

「爺様がぶっ倒れた、とかではなさそうだな。面倒事かもしれないし私が見てくる。寝ていていいぞ」

 

 爺様への魔力供給はここのところ桜がほとんどを補っている。こうしている今も桜の頭は眠気でふらふらと揺れていた。

 

「えっと…………」

 

 恐る恐るこちらを伺うような表情。思わず手助けしてやりたくなる顔だ。

 少しずつ表情を操る術を身に着けてきたようでうれしい。

 

「そういう顔ができれば上出来だ。が、世の中には特殊な性癖を持つ連中もいる。相手がどういう人間かまできちんと見極めてそうしろよ?」

 

 嗜虐癖なんて厄介な性質を抱えてる奴だっているにはいるのだ。どちらかと言うと私もそのクチなのでちょっと苛めたくなってしまう。

 

「あはは、でも姉さんは優しい人ですから」

 

 桜はくすぐったそうに笑っている。その真贋を私の目は見抜けない。

 

「そう思っているならまだ甘い。まあ帰りがけに部屋に寄るよ。桜が起きてたら何があったか教えてやる」

 

 桜の頭をひと撫でして私は階下へと足を踏み出した。

 

 ひたひたと廊下を進んでいるうちに、爺様の書斎から言い争うような声が聞こえてきた。夜分に爺様相手に口論など、とんでもない客がやってきたらしい。

 命知らず、と言い換えてもいい。

 

「儂を舐めておるのか、雁夜?」

「御託はいい、さっさと桜ちゃんを出せ、クソジジイ」

「カカカ、吼えおるわ。いったいどの面下げて間桐の家に戻ってきた? この家の事に口を出す資格なぞ貴様にはないぞ、雁夜よ」

 

 雁夜。叔父の名だ。私が生まれる前にはこの家を出奔していたと聞いていたが。

 

「うるさい。俺は葵さんの友人としてここに来たんだ。桜ちゃんに会わせろ。時臣は騙せても俺は騙せ無いぞ」

「騙すなどとんでもないわ。遠坂と儂は合意の上で桜を間桐の養子としたのだ。一体何の問題がある?」

 

 爺様の部屋に近づくにつれ、声はどんどん大きくなる。これは外にも漏れてそうだな。

 片手間に屋敷に付属する結界を発動させ、音を遮断しておく。

 爺様の事だからそのあたりはしっかりしていると思うが、念のためだ。

 

「問題がって、そんなこと────」

「遠坂の小倅が望んだ通り、儂は桜を間桐の魔術師にするために尽力しておる」

「き、きさま、あの子を蟲蔵に落としたのか!?」

「当然じゃろう。間桐の魔術とはそういうもの。そりゃ生娘には少々辛かろうが、遠坂との約定を守るためには致し方あるまい?」

「そんな、そんなひどいことを…………あの子はまだ六歳だぞ!」

「あら、わたしは五つの時でしたけど。こんばんは雁夜叔父様。はじめまして、ですよね?」

 

 半開きの扉から滑りこむように室内に入り、激高している男の背にそう言葉を放った。

 その向こうで爺様の顔がにやりと歪む。

 男はそれには全く気づかずにゆっくりとこちらに向き直った。

 

「…………君は、誰だ?」

「皐月といいます。鶴野の娘ですから、雁夜さんの姪にあたります」

 

 他所行きの口調。敢えて抑圧されている風を装う。

 

「な、え? ま、まて臓硯、どういうことだ?」

「どうもこうも無いわ。今そ奴が言った通りよ」

「後継がいるなら何故桜ちゃんを──」

「仕方あるまい。雁夜、お前とて知っておるだろう。間桐は衰退の一途を辿っておる。良い血を入れねば滅ぶは明白よ」

 

 爺様は実に楽しげだ。大方叔父をいじめて楽しむ算段でも立てているのだろう。

 私としては眠りを妨害された愚痴を言いに来たのだが、都合がいいことに捌け口になりそうな人がいたというだけのこと。

 あまりその気はないのだが。

 

「しかし、その子がいるじゃないか!」

「恥ずかしい話ですが、わたしはあまり出来が良くありませんの。お爺様には無駄に手間を取らせてしまい申し訳なく」

 

 殊勝に頭を下げる私に爺様は鷹揚に頷いて応えた。

 

「それじゃ、それじゃ、君のせいなのか?」

 

 爺様へと向いていた憎悪が私へと向けられようとしている。しかし錯乱気味とは言え今の言葉は癇に障るな。

 少しだけ爺様の余興に付き合うことにする。

 

「わたしが力及ばぬばかりに、桜に苦労を強いているのは事実です」

 

 目を伏せ、さもそうするしか知らぬという風に詫びる。

 

「それは違うぞ雁夜。元はといえば早々に役目を捨てて逃げ出した貴様自身の責であろう?」

「それは…………だが────」

「桜はいいですね、そんな風に心配してくれる人がいて。わたしの時などは皆喜んでわたしを蟲蔵に突き落としたのに」

「────あ」

 

 まともな常識があれば自分が論理ではなく感情によって動いていることに気がつくだろう。それは交渉ではない。

 そして交渉でないのなら残された道は互いの排除であり、排除されるのはいつだって弱者だ。そしてこの場で排除される弱者とは間桐雁夜を指す。

 ならば論理を以って交渉に挑む他無く、そして論理を以ってすれば、今の自分が私にとっていかに惨いことをしていたのかに気づいてしまう。

 

「お爺様、先ほど雁夜叔父さんは逃げ出したのだ、と言っておられましたが」

 

 私の意図に気がついたのだろう。

 

「うむ。お前には話しておらなんだな。此奴は鶴野などよりよほどに才があった。お前よりもな。にも関わらず蟲蔵に落ちるのは嫌だと逃げ出しおったのだ。故に今お前と桜が蟲蔵に落ちておるは此奴のせいであるとも言える」

「…………そう、なのですね」

 

 恨みよりも羨むような顔で、私は叔父をじっと見つめた。

 自由のために逃げた者が、自分でない者を助けるために戻ってきたのだと、ただ受け入れるだけの表情。一切責めを匂わせぬが故に、叔父は今自責に駆られているだろう。

 実に単純なすり替えだ。間桐の家に於いて一切の原因は爺様に集約する。間桐の家の人間ならばそんなことは承知のはずだが、それでも自己に非があれば、他人を責める舌鋒も鋭さを失ってしまう。

 

「俺は、確かに逃げたさ。もう遅いのかもしれない。しかし────臓硯、俺にチャンスをくれ」

「ん? 何が出来るというんだ貴様に」

「そろそろ聖杯戦争の時期だろうが。俺が出てやるって言ってるんだ」

 

 今度こそ爺様は吹き出した。私もなんとか下を向いて笑いをこらえる。下手をすれば先の暴言などよりも冒涜的だ。

 それは私が、魔術師達が積み上げてきたモノの価値を否定するに等しい行為なのだから。

 

「馬鹿を言え。貴様とて鶴野よりは才があるというだけの凡人。それもまともな鍛錬すらして来なかった貴様など、聖杯戦争に参加する資格を得られるかどうかすら危ういわ」

「だが、最早よそ者に過ぎない俺が彼女たちを救い出す為には、ジジイ、お前の望みを叶える他ないだろう!」

「それが無謀だ、と言っておるのだ。才こそ無いに等しいがな、お前などよりそこの皐月の方が聖杯戦争に挑むと言うなら望みがある」

 

 貴様が出たところで早々に命を散らし、間桐の家名に泥を塗るだけだ、と締めくくり、爺様は椅子に座り直した。

 

「皐月よ、すまぬが茶を淹れてくれぬか? 馬鹿を相手に長いこと喋っておって喉が乾いたわい」

 

 爺様の顔色を伺う。

 話し疲れたというよりも、何か思いついたという悪い顔だ。

 

「わかりました。叔父様の分も用意して参ります」

 

 従順を装い部屋から引き下がり、暗い廊下を台所へと進む。

 

「あれで良かったか?」

 

 十分に部屋から離れて暗がりへと声を放ると、わさり、と影が揺れた。

 

「上々よ。皐月は気が利くから助かるわい」

「気持ちよく寝ていた所にでかい音を立てられて気が立っていただけだ。爺様は叔父をどうする気なんだ?」

「出たい出たいと言うのだから聖杯戦争に出してやればよい。自分は死んでも良いなどと言っておるしな。最初から死ぬのを前提にすれば、或いはあれでもいいところまで行くやもしれぬ」

 

 なるほど。爺様にはその程度の肉体改造など容易かろう。

 

「良かったじゃないか、聖杯戦争の駒が手に入ったぞ、爺様」

「馬鹿を言え。あれには万に一つも望みは無いわ。場合によっては後押してやらんでもないが」

 

 カカカと声を上げて笑う爺様。

 

「しかしまあ、桜に加えて雁夜叔父の調整と、随分忙しくなるな。頑張れよ爺様」

 

 湯を沸かしつつそんなことを言う。

 実際この家の資金繰りすら爺様の手腕に寄るものであり、父などはほんの補佐に過ぎない。妖怪爺とは言え過労で倒れかねない。

 

「なんじゃ、手伝ってはくれんのか?」

「…………桜の調整を一切任せてくれると言うなら考えてもいい」

 

 薬缶から吹き上がる蒸気を眺めつつ、そう呟く。

 

「…………よもや情ではあるまい? 貴様にはそんなものなどなかろう。何を考えている?」

 

 訝しむ爺様の目。

 

「私は無駄が嫌いだ。すぐ死ぬ者を手塩に掛けて育てる趣味はない。この時点で雁夜叔父は駄目だ。どうせ死んでしまう。その点桜ならうまく仕込めば私の助手ぐらいにはなる。それに爺様が随分いじめたようだからな。少し甘い顔を見せれば私に靡くのは当然だろう? 修練も進めやすい」

 

 爺様が何に桜を使う気なのかは知らないが、間桐の魔術を仕込んでおいて損はないはずだ。文句はあるまい。

 

「なるほどな。矛盾はない。だが、貴様は儂が桜を何に使うか知っておるのか、皐月?」

「知らん。だからやるなら一人でやってくれと言った」

 

 桜の調教を引き受けてもいい。それは私にとってただの譲歩であって要求ではない。そこを間違えられても困る。

 

「分かった。儂が時々介入する事を認めるなら、桜はお前に任せてもよい」

「介入は構わんが、勝手に持っていくなよ? 掛けた手間分ぐらいは要求するぞ」

「分っておる、分っておる」

 

 湯が沸くのを合図に、爺様の姿はふ、と消え、台所には静寂が戻った。

 

「はは、楽しくなりそうじゃないか」

 

 茶を入れながらつい呟いた。

 あれだけの才だ。きちんと導けば私などより面白い魔術師になる。

 仮面のまま叔父に茶を差し入れた私は、そのまま桜の部屋へと向かった。

 

 

 

 軽いノックの後、返事を待たずに私は桜の部屋へと入り込んだ。

 

「桜、起きてるか?」

 

 小さな膨らみの有るベッドへと歩み寄ると、もぞりと桜が起き上がった。

 

「はい。姉さん、下はどうでしたか?」

「ただの来客だった────お前は見知っているかもしれん。間桐雁夜という男だ。私達からすると叔父になる」

「雁夜おじさん、ですか?」

「ああ。私は初めて会ったのだがな」

 

 一言断ってベッドの端に腰を下ろす。

 

「よく、会っていたのか?」

「…………どうしてそんなことを訊くんです?」

 

 桜の様子が少し強張ったのを空気で感じた。

 

「何か勘ぐっているわけじゃない。叔父が随分と桜の事を気に掛けている風だったからな。そうではないかと思っただけだ」

「────お母さんの幼馴染だとかで、わたしと姉さんにも…………その、良くしてくれました」

 

 しまった、という顔をする桜。その心中は分からないでもないが、その遠慮は無意味だ。

 

「いい。凛だったか、あれはお前の姉だろう。ならば姉さんでいい」

「…………でも、私は捨てられたんですよ?」

 

 酷く暗い声。つまりそれは桜の本心だ。

 

「────桜、眠くないなら少し話をしてもいいか?」

「はい、大丈夫、ですけど」

 

 私の声色が変わったのに気がついたようだ。

 

「まずその言い方では間桐の家はゴミ箱だ。そう違わんというのが頭の痛い所だが」

「す、すみません、そんなつもりじゃ…………」

「いい。お前は凛が好きか?」

「…………分かりません」

「質問を変えよう。また会いたいか?」

「………………会いたい、です」

 

 つ、と頬を涙が伝った。黙ってタオルを取ってやる。

 

「そうか────これから私が口にすることは単に私の推測だ。そういう前提で話を聞いてくれ」

 

 嗚咽で声が出ないのか、タオルを顔に押し付けたまま桜は小さく頷いた。

 

「基本的に魔術師の家というのは絶対的な家長制度を布いている。桜がうちに養子にきたのは、うちの爺様と桜の父、時臣氏の意向だ。

 凛が嫌だといっても時臣氏は止めなかっただろう。お前の父は魔術師としては間違っていない。お前の才能は稀有なものだ。下手をすれば魔術の研究材料にされかねないほどにな。そういう者には魔道の加護がいる。没落しかかった間桐の家は悪くない選択肢だったのだろう」

 

 桜とて頭ではわかっているはずだ。

 

「…………でも、わたしは────」

「だけどな、桜。時臣はお前を間桐に送れば、お前が蟲蔵に落ちることなんて分かっていたはずだ。うちの爺様が五百年生きた化物であることなんて周知の事実だ。普通の魔術ではそんな長命を得られはしない────それでもあの男はお前の才が活かされる事を望んだ」

「…………っ」

「分かっている。お前は魔術なんてどうでもいい。ただ母と姉と父と、四人で幸せに暮らしたかっただけだろう?」

「あ、わ、わたしは」

「魔道の庇護がなどというがな。遠坂とて魔道元帥の系譜だ。お前を庇護するのに力が足りぬなどということはない。凛とてお前の庇護のためならば父の跡を継いだ後も助力を惜しまなかっただろう。

 そういう意味で、お前は父に捨てられたのだと言っても間違ってはいない」

 

 言葉を切り窓の外を眺める。

 

「…………恨むならお父様を恨め、と言うんですか?」

「そうは言わない。ただ、時臣という男はお前の父であるよりも、魔術師であることを取ったと、それだけのことだ。実際にお前にひどい事をしたのは爺様で、知っていてただ見ていたのは私だ」

 

 まだ前置きだというのに喉が渇いた。

 

「これがおおよそお前が今置かれている状況を作った原因だな。私が本当に話したいのはここからだ」

「ここから、ですか?」

 

 話は終わりだとでも思っていたのだろうか。こんなものは前提に過ぎない。

 

「ああ。その上でお前は魔術師として生きることを強要された。これはもうどうにもならん。あとは心構えの問題だ。お前は嫌々魔術の研鑽に人生を費やす気か?」

「…………望め、と言うんですか?」

「望んだ方が気が楽だぞ、と言っている。ああ因みにお前の教育係は今日付けで私になった」

「…………姉さんが、教育係」

 

 桜の口から安堵の息が漏れる。

爺様よりマシだと信用してくれるのは嬉しいが、それは甘い。

 

「安心するのは早いぞ。爺様のような無茶をする気はないが、魔術とは身に刻むものであり、間桐のそれは心身共に痛みを伴うからな。

 だいたいお前悔しくないのか? 時臣はお前ではなく凛を取った。それはつまりお前より凛の方が大成すると踏んだという事だ。今こうしている時にも凛は父母の側で幸せに過ごしている。遠坂の魔術とて痛みなく身につくものではあるまいが、お前の姉は魔術の修行が辛いとお前にこぼした事があるか?」

 

 無いはずだ。誇りを持たぬ魔術師は存在しない。我が身の研鑽を次代に継ぐ。その喜びと矜持無くして魔術師足り続けられる者はいない。

 より高みをと目指せば更なる苦痛が待っているのだ。笑いながらそれに挑める者でなければ魔術の研鑽は成らない。

 

「父と姉を見返してやるがいい。お前の姉がどのような魔術師になるかなど知らんが、お前を養子に出した事、後悔させてやればいい」

「それは────」

「まあ修行の目的としては少々歪んでいるがな。そうでもしないとお前、ずっと嫌々だろう。私だってやる気のない生徒に物を教えるのは苦痛だ。私とてお前が来るまでの三年間爺様に扱かれてきた。ただ、それを辛いと思った事は無い」

「無い、んですか?」

 

 目を見開いて見上げてくる桜を見返す。

 

「ああ、無い。もっとも私は普通を知らないからな。前提が桜とは違うのだが────それでどうする、桜? お前が間桐に飼われる犬ではなく、間桐の魔術師になりたい、と言うのであれば私は全力で手を貸す事を約束する。爺様に約束は取り付けたぞ?」

「お爺様が、ですか?」

「ああ。もし爺様がお前を自分のために使うなら、私がお前に掛けた手間を要求すると言っておいた」

「それって…………」

「お前が私に爺様が対価を用意できないぐらい世話を焼かせればいいということだ」

 

 ようやく桜は笑ってくれた。

 言いたいことは言えたので私も立ち上がる。いい加減眠い。

 

「分かりました。一つ訊いてもいいですか?」

「なんだ?」

「どうして急に姉さんが私の教育係に?」

 

 もっともな疑問だ。肝心のところを話していなかった。

 

「その、なんだ。叔父が聖杯戦争に出ると言い出してな。爺様はそっちで手一杯、というところだ」

「叔父さんが、どうして?」

「聖杯を手にすれば、間桐の探求は一応終わる。そうなればお前も私も用済み、とでも考えたんだろう」

 

 魔術とはそんなものではないし、爺様の出方次第では目すらない。

 

「…………でも、それは違いますよね?」

 

 桜の頭を撫でる。

 この子は賢い。たとえ無意味だから止せと言ったところで叔父は止まるまい。ならば有難く受け止め、訪れるだろう彼の死を悼んでやるのが出来る最善だ。

 

「分かってきたじゃないか。そうだ。魔術師とは高みを目指し進む求道者だ。爺様とて長命を求めるのはそうでもしないと届かぬ所にある物を求めているからだ。だが摩耗しきった爺様では聖杯を手にしたとて最早叶わないと私は考える」

 

 停滞することに慣れた者が、再び足を踏み出すのは難しい。まして当初の目的を覚えているかすら怪しいのだ。

 爺様に一度問うた事がある。不死を願い、何に手を伸ばすのかと。

 爺様は珍しく表情を消し黙り込み、暫くしてお前が知るのはまだ早いとだけ言った。

 それ以来その話題には触れて来なかったが、私の疑惑は晴れない。

 

「姉さんが跡を引き継ぐんですか?」

「そのつもりだったがな。お前がやってきた。毒を食らわば皿までだ。桜、そこまで手を伸ばしてみないか?」

「それが、お父様たちを見返す事になるのなら」

 

 桜に会ってから聞いた一番強い声だった。

 今はそれでいい。いずれ探求自体を楽しめる様になってもらいたいが、それは私の手腕次第だ。

 

「遅くまで悪かったな。お休み桜」

「はい、おやすみなさい姉さん」

 他人行儀な挨拶ではない。

 ただ少しだけ桜を近く感じた。




もうちょっとこう、ううん。

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