蟲の女王   作:兼無

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言い訳は後でしようとおもいます。


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 ──赤い十字を染め抜いた軍服の騎兵が、列を成して凱旋する。

 ──豊かな海の街、商人と武器を携えた人々がごった返している。

 ──銀の盾に金の十字をあしらった旗が高々と掲げられ、縋るようにそれを見つめるみすぼらしい姿の人々が路傍に座り込んでいる。

 

 疲弊しきった戦場のようだと、そんなことを思った。

 嗅ぎ慣れた死臭が、街全体に染み付いている。

 慣れ親しんだ渇いた砂混じりの風の中でも、海沿いの潮の香る風の中でも、付き纏い続ける腐った血の臭いだ。

 

 ──地響きのような人々の歓声に彼らの視線を追う。

 ──海上を睨む砲台の上から一人の男が姿を現す。歓声に応えるように拳を振り上げ、勝利の喜びを唄い、反撃を誓う。聖地の奪還を、と。

 

 皆の目は希望に輝いているというのに、私はそれを苦々しく見つめていた。

 街の名をティルス。エルサレム王国最後の国土であり、私がその男を手に掛ける五年前の事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはようございます、兄さん、姉さん」

 

 今日は桜も衛宮の家には行かなかったようだ。

 聖杯戦争の参加者ということもあり、巻き込むことを避けたのだろうか。

 

「ああ……おはよう…………桜」

「おはよう桜、いい朝だな」

 

 頬は痩せこけ、枯れ木のような風情になった慎二とは対照的に私の気力は漲っていた。サーヴァント召喚による疲労は一夜の睡眠で完全に回復したと言っていいだろう。

 

(…………あの、姉さん? 兄さんになにを)

(ああ、私の言いつけを破ろうとしたのでな。少し灸を据えてやった)

(……………………そうですか)

 

 桜はそれ以上追及してこなかったが、ライダーが私を見る視線は同族に対する敬愛で、まあおおよそ桜も察した事だろう。

 消費したオドを求めて半ば暴走した事は理解しているが、そうでなくても私はああしたと思う。

 

「爺様、わざわざそこに座っているんだ。言いたいことは言ってしまえ」

 

 鮭をほぐしながら、茶を飲んでいる爺様に話を振る。

 

「そうじゃのう。その前に皐月は学校に行く気か?」

 

 私が制服に着替えている事を見れば明らかな事だ。

 

「そのつもりだ。どうせ遠坂はマスターだからな。桜が近寄れば争いは避けられないが、私なら特に問題ない。それとなく監視するつもりだ」

 

 遠坂の気性なら、参加者でもない私を排除しようとはすまい。

 

「ふむ。お前には明らかになっておらぬマスターの捜索を任せたかったのじゃが」

「馬鹿を言え。遠坂は手出ししてこないが、他のマスター連中はその限りではあるまい。そんな恐ろしいことが出来るか」

 

 昨夜のうちにハサンにそれを命じた事はおくびにも出さない。

 

「それだけ、かの?」

「いや。桜にも学校に行ってもらう。遠坂が仕掛けてくるならそれでいい。桜は私のサポートを受けられる。自信家な遠坂なら或いは仕掛けてくるかもしれんが、十中八九動くまい。それに少なくとも二組のマスターが集う場所だ。他のマスターへの撒き餌にもなる」

「なるほどな。桜もそれでよいかの?」

「…………はい、お爺様」

 

 多少の迷いはあるだろう。場合によっては実の姉を殺めることになるのだ。

 

「で、慎二…………一晩で随分やつれたのう。学校はどうする?」

 

 最後に爺様は見る影もなくなった慎二を見やる。

 

「正直休みた────い、いきます」

 

 慎二はじろりと睨むとすぐに言葉を翻した。

 

「皐月、あまり慎二をいじめるでない」

 

 爺様は慎二を可愛がっている。甘やかし甲斐があるのだとか。

 だが私とてそうなのだ。躾甲斐があるという意味でだけど。

 

「可愛がった覚えしか無い」

「…………まあよいか。ではそういう事にしよう。儂は蟲を使ってマスターを探しておく」

 

 茶を飲み干した爺様が屋敷の奥に引っ込むと部屋の空気がわずかに弛緩した。

 

「ああ慎二」

「ひっ」

 

 箸を取り落とすほど怯えなくてもいいだろう。

 

「いや、怯えるな。昨日はやりすぎた。許せ。辛かったら休んでもいいぞ」

 

 お前には早く元気になってもらわんとな、と舌なめずりしつつ小さく付け加えるのを忘れない。

 

「ああ、うん。いいよ行くよ。だいたい姉さんがああなのは昔から分かってたことだし」

 

 呟くように返事をした慎二はどこか遠い目をしている。

 

「ね、姉さん、私は部活があるのでそろそろ行きますね」

「あ、待てよ桜。僕も今日は顔を出す。一緒に行こう、な、置いていくなよ」

 

 そそくさと二人して食器を下げて走り去っていった。

 道化役の私が馬鹿の様だが、聖杯戦争中だという無駄な気負いは抜けただろう。

 あのままでは誰の目にも関係者だと明らかだ。

 

「ライダー、桜から目を離すな」

「ええ。皐月も気をつけて」

 

 それだけ言うとライダーも慌ただしく出ていった二人を追って霊体化してしまう。

 

『そういう訳だ、ハサン。学校では少なくとも味方のサーヴァントがある。私は気にせず安心して探索に勤しめ』

『わかった』

 

 私の信頼すべき片腕は短く応えて消えた。

 

「さて、用意は整ったか」

 

 爺様の、ひいては私の為にこの戦いに勝てる図面を引くとしよう。

 

 

 

 

 

 始業十分前、と言う頃になって私はようやく学校についた。

 朝一秒でも長く寝ていたい手合いがやってくるのがこの時間だ。

 そんな覚醒しきっていない彼らの歩みが人並みの速度を保っているのは、校門の門柱、その横に学園のアイドルが直立しているからに他なるまい。 

 なにをしているのかと興味本位で視線をやると、射殺さんばかりの目で睨まれた。

 どうやらお目当ては私らしい。

 

「間桐先輩おはようございます」

 

 遠坂はすいすいと人ゴミの中を泳ぐように、というよりは人の海をモーゼの如く叩き割って私の腕をがっちりと掴んだ。

 綺礼から私がマスターだとバレたかなと少しだけ警戒したが、辺りにエーテル体は観測出来ない。

 アーチャーや自身の伝承に気配遮断を持つ者も有るだろうから油断は出来ないが、とりあえず命の危険はあるまい。

 普段関わらない私と遠坂の関係を奇異に思って見ている視線を誤魔化すべく、私は遠坂の手を握り返した。

 

「ああ、おはよう。なんだ、寂しくなったか?」

 

 ざわめく周囲。え、何今のってどういうこと? あの人ら男っ気ねーなと思ったらそういうことだったの? 俺先輩から聞いた事あるけど、あの間桐って先輩一年の時に上級生の男沈めたらしいぜ、うっわマジかよ、俺に勇気なくてよかったー、などなど、声量は抑えてあるものの言いたい放題言われている。

 素知らぬ顔で遠坂を引きずり、校舎裏へと向かう。遅刻は甘んじて受け入れよう。

 

(ちょっとどういうつもりよ!)

 

 腕の中で遠坂が呻いた。

 

(それはこっちの台詞だ。私の円満な学園生活に水を差す気か?)

(そんなものどっちみち今ので終わったじゃない!)

 

 あんたと違って私はもう一年ここで過ごすのよ、とかなんとか言っているが知った事ではない。暗くなる遠坂を構わずぐいぐいと引っ張り、さくっと簡易な人払いの結界を張る。

 

「ふう、このあたりでいいか。何か言いたいことがあれば言っていいぞ?」

「…………慎二といいあんたといい間桐の人間がちょっと変なのを忘れてたわ。わたしが聞きたいのはね、どうして桜が学校にいるかって言うことよ。あの子マスターなんでしょ?」

 

 私はその質問の意味を捉えかねた。

 

「学生の本分は学業にある。登校は当然の事だろう?」

「……………………とぼけてるってわけじゃないのね?」

 

 声が震えている。今日はそう寒くもないが風邪でもひいたのだろうか。

 

「もちろんだ。むしろ私には何故遠坂が腹を立てているのかわからんな」

「ああそう、じゃあ言ってあげる。わたしを舐めてるのかって言ってるのよ。いい? この学校はわたしの縄張りなの。そこにのこのこと現れた魔術師が、どういう扱いを受けるか、分からないあんたじゃないでしょう?」

 

 なるほど、侮られた、と思っているのか。

 では桜のために、いや間桐の名誉のためにその勘違いを正してやろう。

 

「舐めているのはお前の方だぞ、遠坂。桜は間桐の次期当主。爺様は半ば隠居を決め込んでいるから、間桐の顔は桜と言っていい。なぜ間桐が遠坂ごときに怯え、振る舞いを変えねばならない? あれはお前と対等に振る舞える魔術師だ」

 

 事実上の宣戦布告に等しい。

 

「────言いたいことはそれだけ?」

 

 ぎち、と遠坂の右手が鳴った。恐らく宝石でも握りこんでいるのだろう。

 

「いいや、まだあるぞ。無論冬木のセカンドオーナーたる遠坂が、学生を巻き込んでまで闘争を望むことはなかろうという計算もある。不心得者が現れた時、排除のための共闘の約束も取りつけやすい。それに、外道とて参加しうる戦いだ。私や慎二を人質に取られれば桜は揺らぎそうだしな。ならば目の届く所に居てやるのが私にできることでもある」

 

 それに引き換え、遠坂こそ何を考えているのだろうか。

 

「どういう意味よ」

「言葉通りの意味だ。お前は私達が学校に訪れないと踏んでいた。いいか? 間桐と遠坂はその性質上聖杯戦争への参加とその所在を前もって知られるという弱点を持っている。不心得者がお前を狙えば学校に類が及ぶのは推して知れる事。級友を巻き込む事に呵責はないのか?」

「なによ。あんた達だって────」

「それは遠坂が学校にいる事を予想したためだ。いなければ仮病なりを使って引き上げていた。共闘であれば、犠牲者なく事を済ませられるだろう?」

「…………わたしは一人でも守れる」

 

 食いしばるような声が遠坂から漏れた。

 

「どうだかな。例えば前回の聖杯戦争、時臣氏は優秀な魔術師だったと聞くが、自分の身すら守りきれなかった。そういう戦いだぞ?」

「あんたにお父様の何が────」

「────桜の実の父だ。直接会ったことはないが、知る努力を欠いた事はない」

 

 正確には個人的な興味だが。

 人格と才能が比例するなどとは思っていないが、私は桜の一件で遠坂時臣を無能と見た。いずれ捻りつぶしてやりたいと思っていたが、それはもう叶わない。ただそれだけの事。

 

「…………そう。ありがとう」

「礼を言われる筋合いではない。桜の姉なら当然の義務だ」

 

 遠坂はそれで黙ってしまった。

 

「私は教室に行く。放課後までの不可侵、とりつけたと思っていいか?」

「………………ええ。了解したわ」

 

 これで遠坂の動きは鈍る。昼は本来索敵に割くべき時間だ。遠坂とて様子見のための登校だろうが、今の了承で、以降遠坂は昼、学校に拘束されることになる。

 そしてハサンというカードを持つ私は座したままそのアドバンテージを一方的に取れる事を意味する。

 初戦は優勢。

 あとは他のマスターを発見してからだ。

 

 

 

 

 

 進学校だけに授業の内容は入試対策を優先するものに変わっている。

 時期が時期なので仕方がないのだが、私には不要なもので、必然、あまり身が入らない。

 目に見えて手を抜いているわけではないが、多分寝ていても咎められはしないだろう。

 だから私の意識は今朝見た夢へと向いている。

 私ではない誰かの中から、私はその夢を見ていた。

 およそ察しはつく。ハサンの記憶を夢に見ているのだろう。

 聖杯戦争に招かれる者達は皆英雄だ。それも生半可な者達ではない。例えば叔父が喚んだのはサー・ランスロット。アーサー王伝説の中でも特に武勇に優れた人物だ。

 三騎士はもちろん、ライダーやキャスターとて無名ではあるまい。

 だが、アサシンというクラスはどうだろう。

 暗殺とは政治的、宗教的な背景を理由に要人を殺害する行為であり、そこに隠密性は必ずしも求められない。

 とはいえ、暗殺されるような心当たりのある人物、それも要人がその危険への対策を取らぬはずがない。自然そういった人物の周囲は厳重に警護され、暗殺にはその警護を出し抜く技量が必要になった事だろう。

 結果として生還する暗殺者もあるだろうし、時には捨て身で相打ちを取りに行かねばならない者もあるだろう。

 そこで死ぬような者はハサンという頂点には至れない。暗殺に気付かれぬ程の技量か、暗殺後周囲の護衛を突破して生還出来るほどの実力者でなければならない。

 襲撃される側に、暗殺者の情報は残らないわけだ。

 同時に、一介の暗殺者に過ぎない者の名を教団が書物として残しているはずもない。

 こうして名無しの暗殺者は、実績を積み上げ、教団内の政争を勝ち上がり、指導者たるハサン・サッバーハとなる。

 暗殺者個人としての伝説はこうして姿を眩ますのだ。

 故に伝承として後押しされるような神秘はハサン個人には無い。得手不得手はあってもそれは個人としてのものであり英雄としてのものではない。

 そんな理由もあり、私は当初ハサンを深く知るつもりはなかった。

 そもそも私はハサンの武勇に頼る必要のない状況を作る事を第一義としていたからだ。

 しかし物事がそううまく運ぶとは限らない。最悪の場合ハサンに白兵戦を強いねばならない事もありえる。

 暗殺者を白兵戦で使う。誰の目にも悪手だが、ハサンが白兵戦ですら他を圧倒する技量を持っているなら話は別である。

 夜にでもハサンに詳しく聞く気はあるが、先んじて予測を立てておいた方が話は早い。幸い夢というヒントも出たことだし。

 長々と言い訳じみた思考を放棄する。

 つまるところ暇潰しめいた思考の山車にハサンを使うことに対する後ろめたさの表れなのかもしれない。

 クラス・アサシン。

 その出自は皆、山の翁、ハサン・サッバーハとされる。

 最初の、つまりオリジナルのハサン・サッバーハはニザール派を興した人物だと記憶している。

 後に暗殺教団とまで呼ばれるニザール派だが、暗殺という手段は源流となるイスマーイル派のフィダーイーの思想から来ている。

 中東に限ってさえ暗殺の歴史は古いのだ。

 とはいえ最初のハサン以前の暗殺者はハサン・サッバーハになり得ない。

 ニザール派の興りは、一〇九五年、イスマーイール派のカリフ位争いに敗れたニザールがアレクサンドリアで興した反乱に同調した者たちだ。この時既にイラン方面のイスマーイール派の中でも頭角を表しつつあったのがハサン・サッバーハであり、ニザールを支持し、ファーティマ朝との関わりを断つことになる。

 詳しい歴史は置いても、初代ハサン・サッバーハ自身は暗殺者足り得ない。彼は宗教者であり政治家である。

 彼が没したのが一一二四年。私のサーヴァントであるハサンは少なくともそれ以降の存在だ。

 そこで夢の内容を吟味する。

 赤い十字をあしらった軍服に聖地奪還とくれば、それは最早十字軍以外の何物でもない。

 第一回は初代ハサンの没年以前なので違う。

 第二回は既に聖地、エルサレムを十字軍王国が抑えていることから違う。

 戦闘の有無、エルサレムを十字軍が支配しているかどうか、攻略目的地がエルサレムであるか否か。そしてティルスという地名。残るのは第三回のみである。

 第三回十字軍。イスラムの擁護者サラディンによるエルサレム制圧と時の教皇グレゴリウス八世の聖地奪還呼びかけに端を発する宗教戦争だ。

 夢で見た地がティルスであるというのなら、砲台の上に居た男はモンフェラート侯コンラート一世になる。

 後にエルサレム王国、国王位に着かんとする男を暗殺したのがハサンということになるわけだ。

 

「実感が、わかないな」

 

 つい零れたひとりごとだったが、誰にも聞きとがめられることは無かったようだ。

 ただ、ハサンの事は少しだけ分かった。

 暗殺者であったのならフィダーイー、つまり自己犠牲を厭わぬ者として完成されている可能性がある。無茶をしないよう手綱を引いておかねばならない。

 

 

 

 

 

 遠坂との不可侵は放課後まで有効だ。いきなり私を狙うことはないと思うが、それもサーヴァント次第と言える。

 マスターである魔術師などより余程に優れている存在がサーヴァントとして従うのは、自身の望みと令呪の存在によるものだ。

 自然、サーヴァントと良好な関係を築きたければある程度その意見を容れる必要がある。

 私の遠坂への態度はお世辞にも友好的とは言えなかったし、マスターではないと言っても敵マスターの姉でしかも魔術師だ。

 遠坂のサーヴァントが排除するべきだと遠坂に進言する可能性もあるし、あるいは独断で排除に動く可能性もある。

 そういう理由で私は学校に長居するわけには行かなかった。

 HRの終わりと同時に私はさっさと学校を後にする。慎二はまあ放っておいて大丈夫だろう。あれも下手をすれば自分も巻き込まれる立場だということは良く分かっているはずだ。

 桜にはライダーがついている。

 争って敗れる事はあっても、それはマスターとしての責任だ。

 

「さて、まっすぐ帰るべきか」

『帰るべきだ、と言いたい所だが、幸い俺がいる』

 

 ただのひとりごとに返事があった。

 驚きはしたが、念話となれば一人しか相手は思いつかない。

 

『ハサンか。いいところに来た。買い物に行くから護衛してくれ』

 

 向かう先はマウント深山。目当ては大判焼きだ。

 

『………………必要な事なのか?』

 

 言葉だけで不満をいっぱいに表してくるが、どうやらついてきてくれるらしい。

 

『当然だ。心身の管理とて重要な戦略課題だろう?』

『俺が覚える疲労感は計算外なのか?』

『英雄と小娘ではその比重が違いすぎるだろう。まさかちょっとした散歩さえ苦痛だと言う気じゃないだろうな?』

 

 ちょっと嫌味を言っただけなのにハサンはそれで黙ってしまった。

 一つだけ奢ってやることにしよう。

 

 

 

 

 こしあんが詰まった大判焼きを手に公園のベンチに腰掛ける。

 

「ほら、うまいぞ」

 

 いいつつ私は自分の大判焼きに齧り付いた。お茶が欲しくなる甘さがたまらない。

 

「君は理知的な方だと思ったが、案外無謀だな」

 

 ハサンは受け取った大判焼きを観察している。

 公園には学校帰りの子供たちの声が響きわたっているが、誰一人完全武装のハサンに気付かない。

 認識阻害の結界は、聖杯戦争に参加する上で必須な技能だ。

 

「あったかいうちに食え。十三世紀中東の料理がどんなものだったかは知らんが、流通に関しては今の方が間違いなくいい。調理法も時代と共に洗練される物だしな」

 

 既に二つ目の大判焼きに手を伸ばしている私を見て不味いものではないと踏んだか、ハサンは意を決したように手の中のそれを齧った。

 黙したまま咀嚼しているその様を私はただ見守る。

 

「……………………うまい。が、随分と甘いんだな」

「現代人は濃い味付けに慣れているからな。私はあっさりしたものの方が好きだが、たまにはこういう物も食べたくなる」

 

 言いつつ大判焼きを頬張る。

 

「……選べる豊かさがあるというのはいい事だ」

 

 どこか遠くを見ているハサンを横目に、自販機でお茶を買う。やはり甘すぎる。

 

「…………どこかに皺寄せが行かなければな。ハサンの時代だって富める者はいいものを食べていただろう?」

「この時代でもそうなのか?」

「意識しにくいようにより巧妙化されてる分、昔よりもひどい気がするよ。その昔も知識でしか知らないんだけどな」

 

 受け取ったペットボトルを戸惑いつつ受け取ったハサンは、少考して蓋の開け方を悟り、便利なものだと呟いた。

 

「それを正そうとする者は居ないのか?」

「いるんだろうけどさ、何かを変えるには痛みが伴う。それで助かる者も何かを失う者もどっちも痛いんだ」

 

 そんな事に挑めるほど強い者ばかりじゃない。

 

「そればかりはいつの世も同じだな」

 

 諦めたように、ハサンはそう呟いた。寂しそうな顔が、諦めきれていないのだと私に教える。

 

「────なあハサン。私はお前の事を知ろうと思ったんだ」

「知ってどうする?」

「『彼れを知りて己を知れば、百戦して危うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず危うし』隣の国の物を知る人が昔言った言葉だそうだ。今の私達は一勝一負も危ういことになるだろう?」

「過去の偉人に倣うのは今も同じか」

 

 言葉自体には異論はないようだ。

 

「ホントのことを言えば、今朝お前の生前の記憶を夢で見て、少し調べた」

「俺の生きた時代を言い当てたからな。そうでないかとは思っていた」

 

 嫌な顔をするかと思ったが、ハサンは当たり前の事だと笑った。

 

「いいだろう。だが、後でお前のことも教えてもらうぞ」

 

 そう断って、ハサンは話し始めた。

 

 

 

 アルタイル・イブン・ラ・アハド。

 ハサンは生前の個人名をそう名乗った。

 私の予測通り、十二世紀末から十三世紀にかけての中東で主に活動していたようだ。

 それも山の翁となった後も十字軍の残党と直接戦うほどの武闘派だったという。私が山の翁としての戦略能力に期待しているという事を知った上で、戦力としてのみ期待してくれとハサンは苦笑いした。

 

「私は歴代のハサンと同じく、お前の望みは聖杯を手にすることにあると予想しているが────確認しておく。聖杯に掛ける望みはなんだ?」

「俺の願いは俺の子孫と民衆の繁栄と安寧だ。そのために大いなる力を不心得者が持つことを阻止したい。故に俺に取って聖杯とは願う物ではなく守護する物に過ぎない」

 

 聖杯に願う物などない、そうハサンは言い切った。

 

「本当に、無いのか」

 

 私が知る限りでは、マスターなどよりも余程優れた英霊たちがサーヴァントとして使役されることを甘んじて受け入れている理由は聖杯を望むがためである。

 ならば何故この男は私の召喚に応えたのだろう。

 

「ああ、無い。無論人並みの望みは持ち合わせている。ひと目妻と子らの顔を見たいと願わなくもない。だが、そう思える事を喜びこそすれ、実現するために誰かの願いを退けようとは思わない」

 

 ささやかな望みはあるが、叶えるために血道を上げる類のものではないのだと、この男は言う。

 

「どうしてそう考えるのか訊いてもいいか?」

「……………………俺は俺の子らを信じている。必ず困難を乗り越え生を繋ぐと。民にしてもそうだ。戦乱に飲まれようと、病に侵されようと今この時代に彼らはちゃんと生きている。過去の亡霊に過ぎない俺が現代に掛ける望みはないだろう?」

 

 欲が無いのではなく、それは欲する事ではないと言うことだろうか。血族自体が悲願へと向かうための機能である魔術師には理解しがたく、ただその無駄のない思想には好感を覚える。

 しかし、扱いにくくなった。

 私自身には聖杯に掛ける願いなど無いが、私の目的は爺様に聖杯を差し出す事だ。

 世間一般の常識に照らすと、爺様は不心得者、という事になりはしないか。

 その願い自体は不老不死で間違い無いだろうが、ここに至るまでの過程で、爺様はあまりにも殺しすぎている。

 

「さあマスターの番だぞ。マスターの願いはなんだ?」

 

 来た。

 忘れていてくれればよかったがそう都合よくは行かないらしい。

 それにしたって、どこまで話していいか分からない。

 

「私自身には聖杯に望みはない。ただ、爺様に聖杯を差し出すことで、対価として私は私の望みを叶える事になる」

「ふ、む。その望みとは?」

 

 ぼかした物言いでは当然満足してくれない。

 

「私が間桐の全てを手にし、その悲願を引き継ぐ事だ。ハサン、魔術師とは自身のみならずその子孫まで巻き込んで一つの願いを追う生き物だ。理由は知らないが爺様は歩みを止めてしまった。ならばその子孫たる私には後を引き継ぐ義務がある」

「義務感から聖杯を手にする、と?」

「そうじゃない。言い方が悪かったな。私は魔術師として育てられた。魔術師にとってそうすることは当然で、言うなれば、そう、息をするのと同じようなものだ」

 

 最早そう有ることが私にとって自然なことなのだ。

 

「……………………それは洗脳とどう違う?」

「違わないさ。極論教育とは取捨選択を許した洗脳だ。常識に沿えない人間が異常者として排斥されるのが世の在り方であるのなら、洗脳によって常識を刷り込まれる事は不幸ではない」

 

 ハサンの眼が射抜くように私を見た。

 

「認めがたいな。そこまで考えられるなら、何故それを是とする? 受け手に取捨選択の機会が与えられている事こそが洗脳と教育の最大の差だろう?」

 

 しかしその選択は私の平穏を脅かす。

 

「…………それを悪だと断じてしまえば、私が洗脳される様を見過ごした者たち全てを恨まずにはいられなくなる。恨みは理屈を飛び越える。きっと私は誰かれ構わず痛めつけ、苦しめる鬼になってしまうよ。だから私は洗脳されているままでいることを望むんだ」

 

 この思想に身を浸していたからこそ、私は今日までの苦痛の一切を耐えられたのだ。そう有ることが当然である。その一事が私の精神を支えてきた。

 黙り込んだハサンへとできるだけ気楽に笑いかける。

 

「まあ、どう生きるのが正しいなんて事はない。だからこそ他人の生き方をどうこうすべきではないし、自分の生き方を貫くにしても、できるだけ他人を妨げないように気を使う。私に出来る譲歩はこれくらいだ」

 

 他人に内心を吐露したのは初めてかもしれない。心地よさと同時に気怠さがある。

 これは賭けでもある。ハサンが相容れられぬと言うのであれば決裂も仕方がない。サーヴァントを失うのは惜しいが、結束無くして生き残ることは難しい。

 

「…………マスターの考えは了解した。他者への配慮が消えぬ限り、俺はマスターに従おう」

「助かるよ、ハサン」

「何、俺はアサシンとして多くの者の生を奪ってきた。良かれと思って殺した事も、ただ命に従って殺したことも、手向かわれて斬った事もある。そんな人間がとやかく言える事でもない────だからこれは失敗した者としての助言だ。洗脳の結果であってもいい。だがそれと気づいて反発してしまったなら、もう一度、自由意志で掴み直さなければ、マスターは決して救われない」

 

 奇しくも私が桜に言った事とほとんど同じ言葉だった。

 嫌々やっても身に付かない。やるなら好きでやらねばならないのだと、私は知っていたはずなのに。

 何のことはない。あれだけ偉そうに桜にものを言っておきながら、心得ていないのは私も同じだったということ。

 

「────ありがとう。一つけじめがついた気がする」

「マスターに迷われては俺が困るからな」

 

 言われてふと、まだ名をきちんと名乗っていなかった事を思い出す。

 

「私は間桐皐月だ。皐月と呼んでくれ」

 

 主従としてではなく、協力者として見ると言う宣言。

 差し出した手をハサンはしっかりと握り返してくれた。

 

「ああ、よろしく頼むよ皐月」

 

 照れたように鼻先を指で擦るハサンはどこまでも人間的で、その存在を少しだけ近く感じた。




タブを見て察しをつけていた方も多いかと思いますが、見ての通りです。
五次ハサンディスってんのかああん? などなど言われそうですが召喚のプロセス的に彼が出てきていい物なのか、とか悩んだ結果がこれです。
絶望的に勝利の可能性が無い間桐陣営にはこれくらいのテコ入れいるんじゃないかなーとか考えた結果ではないと思います、はい。

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